7月6日 仏婦総会を行ないました

7月6日、仏婦総会を行ないました。

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2016年8月 まどえる身にも 信あらば 生死のままに 涅槃あり 法語カレンダー解説

8月

凡夫と白蓮華

先月の法語では、往相(浄土へうまれること)と還相(浄土から、衆生を救うためにこの娑婆世界に還ってくること)はすべて阿弥陀如来のご本願のはたらき、すなわ
ち他力であると、阿弥陀如来のはたらきが讃えられました。
そして今月の法語は、

「正信偈」の「惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃」〔惑染
の凡夫、信心発すれば、生死すなはち涅槃なりと証知せしむ。〕(『註釈版聖典』二〇六
頁)

のおこころを詠われたものです。

これは、煩悩に染まり惑う凡夫であっても、ひ
とたび他力の信心をおこしたならば、迷いの身であるままで、やがて浄土に往生して
「生死すなはち涅槃なり」という、仏のさとりを開くことができる、ということです。
私たちは浄土に生まれどう変えられていくのか、言い換えれば浄土往生の相状とし
て、私たちの側から他力のはたらきをどのように受け止められていくのかということ
が、ここに示されています。
さて、最初の「惑染凡夫信心発」とは、曇鸞大師は『往生論註』の中に、

これは几夫、煩悩の泥のなかにありて、菩薩のために開導せられて、よく仏の
正覚の華を生ずるに喩ふ。
(『註釈版聖典(七祖篇)』二一七頁)

と述べられていますが、これに拠ったものとうかがうことができます。
ご承知のように、蓮華は清らかな地には生じません。湿った泥の中にありながら
も、その泥に染まらず清らかで美しい花を咲かせます。とりわけ白い蓮の花は、
まったく濁りが混じらない純白の象徴的な花として、信心の人を讃える言葉として
用いられます。余談ですが、蓮の華の花言葉をご存じでしょうか。調べてみますと
「清らかな心」だそうです。私たちの蓮の華にもつ印象は、どこでも大体同じよう
であります
さて、「正信偈」では「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是
人名分陀利華」〔一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解
のひととのたまへり。この人を分陀利華と名づく。〕(『註釈版聖典』二〇四頁)とあ
りますが、「和訳正信偈」をいただきますと、

ほとけの誓い信ずれば
すぐれし人とはめたまい
いとおろかなるものとても
白蓮華とぞたたえます

とあるのが、まさにこのことをいうのでしょう。
ところで、曇鸞大師が初めて、ご本願の救いのめあては一切衆生、とりわけ十悪
五逆・謗法の者であることを明らかにされました。この極悪の凡夫こそ、法語では
「まどえる身にも」とありますが、このような者がどうして救われると言えるのか
ということを、讐えで示されています。

たとへば千歳の闇室に、光もししばらく至らば、すなはち明朗なるがごとし。
闇、あに室にあること千歳にして去らじといふことを得んや。
(『註釈版聖典(七祖篇)』九七頁)

と、十悪五逆・謗法の者とは、心の中に深い迷いの闇を抱えている凡夫ではあるけ
れども、その迷いの闇がたとえ千年続いていたとしても、ひとたび光がさしこめ
ば、たちまちにして闇も消えて明るくなります。闇は光によってしか破られませ
ん。自分でいくらもがいても闇は晴れることがないばかりか、かえって深くなるば
かりであります。しかし、信心を得て、ご本願の光明が心の中に差し込めば、迷い
の闇は晴れ、浄土に往生を得ると説かれています。

 生死の迷いと涅槃の世界
さて、「正信偈」では次の句として「証知生死即涅槃」〔生死すなはち涅槃なり
と証知せしむ。〕(『註釈版聖典』二〇六頁)とあります。このご文はもともと曇鸞大
師の『論註』の中に、無礙道を説明して、

「道」とは無凝道なり。(中略)「一道」とは一無礙道なり。「無礙」とは、いは
く、生死すなはちこれ涅槃と知るなり。 (『註釈版聖典(七祖篇)』一五五頁)

とあるのに拠られたものでありましょう。『歎異抄』第七条に「念仏者は無礙の一
道なり」(『註釈版聖典』八三六頁)という言葉がありますが、何ものにもさえぎら
れない道ということを説明して、「生死すなはちこれ涅槃と知るなり」と示された
のです。

さて、この「証知生死即涅槃」というのは、どういうことでしょうか。「生死」
とは生と死によって限界づけられた無常の世界のことであり、またそこに迷い苦し
んでいる私たちの人生そのものであります。親鸞聖人が「生死出づべき道」を求め
られたというのは、仏教は生死の迷いを脱してさとりに至るのが目的であり、その
目的をめざして歩むことが仏道だからです。そして、その目標が「涅槃」というこ
とになります。「涅槃」とはさとり、あるいはさとりの世界であり、不生不滅の永
遠の真理そのものの世界です。
煩悩を否定し尽くされたのさとりの世界を「涅槃」といいますので、生死と涅槃
の二つは決して一つにはなりえないのです。言葉を換えていえば、生死、煩悩があ
るところには「涅槃」はなく、また、涅槃の世界には生死や煩悩が微塵も存在し得
ないのであります。いわば、生死と涅槃は否定的なまったく逆の関係であるという
ことです。ですから「迷いはそのまま涅槃である」と言われても、理解し難いこと
です。

したがって、このことは仏さまの智慧において初めて言える言葉であります。言い
換えれば、決して私たち凡夫がそういう境地をさとるというようなことではないので
す。浄土でさとりを得て初めて開かれる境地であるということです。ところが、「正
信偈」の前の句をいただきますと「惑染の凡夫、信心を発すれば」とあるのは、ど
う考えたらよいかという問題が出てきます。これは、信心を発するといっても、凡夫
の起こす信心ではなく、あくまで信心をいただくことであります。
信心をいただくとは、私たちにおいては仏さまの智慧の眼をいただくことでもあり
ます。仏さまの智慧の眼をいただけば、生死の世界は、涅槃の世界と別ものではな
く、生死の世界は涅槃の世界に包まれていたということを知らされるということでは
ないでしょうか。煩悩の衆生は、煩悩の我が身であることを把握できません。自己
中心的な考えしかできない私たちは、どこまでも自分の都合でしか考えられないも
のです。このような独善的な日常を送り続けていく中で、迷い続け苦しんでいるのが
この私たちの相であります。煩悩具足の我が身が、煩悩具足であることを気づかし
められるのは、ほかならない如来大悲の光明に照らされたらばこそであります。

 「おんいのち」をいただく

『歎異抄』後序に、「聖人の仰せ」として有名なご文があります。

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとた
はごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします
(『註釈版聖典』八五三頁)

 凡夫にも、また凡夫の営む世界にも、真実はただのひとつもないと述懐されてい
るのですが、「そらごとたはごと、まことあることなし」と見抜かれた仏さまの智
慧の眼には、ただ頭が下がるだけで何の反論もできません。ただ、「まことあるこ
となき」現実を歎き悲しむのではなく、「まことなき世の中」を、「まことあること
なき」身のままに「まこと」をもって生きることの大切さを知らされるのです。そ
の「まこと」とは、お念仏となって至り届けてくださっております。そして、煩悩
具足の凡夫であることに気づけば気づくほどに、本願大悲の深さが、いよいよ身に
しみて感じられるのであります。そのお念仏をただ一つの依りどころとすること
が、私たちの生き方ではないかと思います。
お念仏のおこころを喜ばれた白井成允師は、歌集『青蓮華』の中に、

いつの日に死なんもよしや弥陀仏の み光の中のおんいのちなり

と詠んでおられます。「いつの日に死なんもよしや」とは、生死は生死のまま、一
切が阿弥陀如来に摂取されているという、よろこびと安心のこころ、つまり罪深い
私か救われていく喜びを表現されているのでしょう。だからこそ、続けて「弥陀仏
のみ光の中のおんいのちなり」と、流れるように詠っておられるのだと思います。
「我が命」と言わず、「おんいのちなり」と詠まれたおこころこそ、「証知生死即涅
槃」の世界をいただかれた尊い生き方のあらわれであると思います。

(桐原良彦)

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2016年7月 往くも帰るも他力ぞと ただ信心をすすめけり 法語カレンダー解説

hougo201607第三祖・曇鸞大師

 

今月の法語は、七高僧の第三祖であります曇鸞大師(四七六~五四二)の教えを称えられたご文の意訳です。これは、「正信偈」のなかの、

 

往還回向由他力(おうげんねこうゆたりき)
正定之因唯信心(しょうじょうしいんゆいしんじん)

 

往還の回向は他力による。正定の因はただ信心なり
(『註釈版聖典』二〇五頁)

 

のおこころを詠われたものです。さて、このおこころをうかがう前に、まず曇鸞大師とはどういうお方であったかということを考えてみたいと思います。

 

「正信偈」には、曇鸞大師の伝記をエピソードを交え示されています。親鸞聖人が「正信偈」の中に四劫を費やして伝記を示されることは、非常にめずらしいことであります。それほどまでに劇的であり感動的であったものと思われたのではないでしょうか。その四句のうち二句が、

 

三蔵流支授浄教(さんぞうるしじゅじょうきょう)
梵焼仙経帰楽邦(ぼんじょうせんぎょうきらくほう)

 

三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまひき。

(『註釈版聖典』二〇五頁)

 

であります。『教行信証(現代語版)』によりますと、「菩提流支三蔵から浄土の経典を授けられたので、仙経を焼き捨てて浄土の教えに帰依された」とわかりやすく訳されております。

 

大師は、龍樹菩薩・天親菩薩のあとを継いで、中国に出られた最初の祖師です。はるか東方に五台山(ごだいさん)を望む雁門(がんもん)の地で出生されましたが、当時は北魏(ほくぎ)の孝文帝(こうぶんてい)の時代でありました。孝文帝は深く仏教に帰依し、仏教興隆に力を注いだお方でありました。

 

そのような時代の中、早くから仏教に心を惹かれたということです。出家の後、大師は龍樹菩薩の『中論』『十二門論』『智度論』、および『百論』を学び、いわゆる四論宗の学者として頭角を現し、続いて『大集経』の研究に取り組まれました。しかし、健康を損ねたので、不老長寿の法を求めて、はるか一千二百キロ以上の道のりを超え、揚子江の南の地に住む道教の師、陶弘景を訪ねられました。そして、そこで『仙経』十巻を授けられました。

 

その『仙経』を抱え意気揚々と帰路に着いたのですが、途中洛陽の都で、はからずもインドから来ていた訳経僧・菩提流支(ぼだいるし)に出遇いました。このお方は数多くの経論を翻訳された学識高い超一級の高僧でしたが、大師は大胆にも菩提流支にむかって「仏教の中に、この仙経に勝る教えがあるか」と問うたというのです。その問いに対し菩提流支は地に唾を吐いて、「仙経に説く不老長寿の法も、所詮は生死輪廻を出るものではない。たとえいのちを長らえたとしても、やがて必ず死に、生死を流転するのみである」と厳しく叱責され、『観無量寿経』を授けられたということです。

 

実は『観無量寿経』には、阿弥陀仏の久遠のいのちとその世界が、そしてそこに往生して永遠のいのちを得る道が説かれてあります。菩提流支の一喝に目が覚めた大師は、命がけで手に入れたにもかかわらず『仙経』を焼き捨てて、深く浄土の教えに帰依されたのです。決して不要なものを捨てたのではありません。また、何かの役に立つと思って傍らに残しておられたのでもありません。命がけで手に入れた貴重な書は、世間的には高価な書であるかもしれませんが、自らの生死の解決、生老病死そのものを根本とする苦には、何の手だてにもなり得ないということだったのです。

 

それからというもの浄土教を専らに学び、自行化他に勤しまれて『往生論註』二巻を著され、大いに浄土教の顕揚に努められたということです。

 

 

「往くも還るも 他力ぞと」

 

ところで親鸞聖人は、『教行信証』の「教巻」の一番最初に、

 

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。

(『註釈版聖典』 一三五頁)

 

と示されました。実は大師の教えから出ているのですが、聖人はそれを押しひろげて、往相・還相の二種の回向を説く教えこそ浄土真宗であると、体系的に顕されました。また、この二種の回向は、本願力の回向に他ならないと仰っています。法語の「往くも還るも」という言葉は、この往相・還相のことです。簡単に述べますと、往相とは浄土へ往生する相、還相とは浄土から迷いの世界へ還ってくる相、ということになります。さらに言えば、往相とは、この私か浄土へ往生するはたらき、ちからのことであり、また還相とは、この私か浄土へ往生した後に、迷いの世界であるこの世へ還ってきて衆生を済度するはたらきのことです。この「ちから、はたらき」すべてが本願力回向だということです。それを「他力」というのです。

 

そもそも仏教一般では、この私が積んだ善根(ぜんこん)功徳を他の人のために施すことを回向と言います。しかしながら、私どものような凡夫がいくら死にものぐるいで精進したとしても、煩悩がある限りは雑毒(ぞうどく)の善でしかなく、かたちだけの中味のない虚仮(こけ)の行と言わざるを得ません。「愚禿悲歎述懐(ぐとくひたんじゅっかい)」のご和讃をいただきますと、

 

悪性さらにやめがたし
こころは蛇蝸(じゃかつ)のごとくなり
修善も雑毒なるゆゑに
虚仮の行とぞなづけたる

(『註釈版聖典』六一七頁)

 

と詠われてありますが、私たちの心は、蛇や蝸(さそり)のごとく、ややもすると他人を傷つけかねない危ない存在であります。そのような私たちが雑毒の善や虚仮の行をもって、他に施しをすることは決してできないばかりか、私一人の往生すら叶うものではありません。それができるのは、煩悩を完全に脱却した阿弥陀如来だけであります。

 

つまり、回向の主体は阿弥陀如来の本願力ということです。私たちを導いてくださる、このような阿弥陀如来のちから、はたらきを、親鸞聖人は『教行信証』「行巻」に、

 

しかるに覈(まこと)に其の本を求むれば、阿弥陀如来を増上縁(ぞうじょうえん)とするなり。

(『註釈版聖典』一九二頁)

 

とお示しくださいました。そのおこころは、往相も還相もそのもとをたずねれば、すべては阿弥陀如来の本願にもとづいた「増上縁」でありますということです。

 

「増上縁」とは強力な縁ということですから、私たちが浄土に往生するためのはたらきである名号も信心も、そして、浄土に往生した後、ただちに仏としての活動にはいり、浄土から迷いの世界へふたたび還ってきて、あらゆる手段を講じてご縁のある方々を浄土に導くことも、すべて阿弥陀如来のおはからいであったのです。

 

まだ同じ「行巻」には、

 

おほよそこれかの浄土に生ずると、およびかの菩薩・人・天の起すところの諸行は、みな阿弥陀如来の本願力によるがゆゑに。

(『註釈版聖典』一九二頁)

 

とあります。「かの浄土に生ずると」とは往相であり、「かの菩薩・人・天の起すところの諸行」とは還相のことです。これらはすべて阿弥陀如来の方で用意され、この私たちに施してくださっているということを、すなわち往相も還相も他力であると、はかりしれない深い感慨と謝念をもっていただかれたのでありました。

 

 

ただ信心一つ

 

さてこのような阿弥陀如来のはたらきを、私たちはどのように受け止めれば良いのでしょうか。

 

法語の「ただ信心を すすめけり」にそのことが示されています。

 

私たち凡夫が、必ず往生させていただく身と定まるのは、ただ信心一つによるということでしょう。前の言葉では、往相も還相もともに阿弥陀如来のおはからいであったと述べられておりますから、私の方ですることは、いただくこと以外の他のことはありません。このいただきぶりを信心と申しあげるのです。

 

ただ信心といっても、私のつくり上げた信心ではありません。虚仮不実の身である私がいくら積み上げたとしても、それによって浄土往生はかないません。言い換えれば、私の力ではこの世から浄土への橋をかけることができない、ということです。だから、それができるのは阿弥陀如来だけであります。

 

また、信心をいただくといっても、なにか品物のようなかたまりを受け取るのではありません。阿弥陀如来のお慈悲のこころをいただくのであります。そのおこころをいただいたとき、不思議なことに、すでに彼岸からこの世にかけられた橋があったことに気づかされるのです。それが一切衆生を救わずにはおかないという、ご本願の喚びかけなのです。それが仏さまの名のりであり、名号であったのです。

 

したがって、私たちはただただ本願を信じて、み名を呼ぶよりはかないのです。ご本願の喚びかけによって救われるのでありますから、私の作り上げる信心は一切無用であると言わざるを得ません。

 

このように、阿弥陀如来のみ教えに心身をゆだねること、すなわち信心ひとつを勧められたのです。そこで『教行信証』「行巻」に、

 

愚かなるかな後の学者、他力の乗ずべきを聞きてまさに信心を生ずべし。みづから局分(局の字、せばし、ちかし、かぎる)することなかれ

(『註釈版聖典』一九四頁)

 

と、すべてをまかせることができる他力の法を聞いて、信心をおこすべきである。決して自力にこだわってはならないと、信心の大切な意味を強調されているのも、要は信心が本願力回向の他力に相応するからであります。そのことをはじめて明らかにされたのが曇鸞大師でありました。

(桐原良彦)

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2016年6月 ただよくつねに み名称え ふかきめぐみ こたえかし 法語カレンダー解説

201606ほんとうのことば

 

今月のことばは、親鸞聖人の「正信偈」の「唯能常称如来号(ゆいのうじょうしょうにょらいごう)応報大悲弘誓恩(おうほうだいひぐぜいおん)」〔ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといへり。〕(『註釈版聖典』二〇五頁)が意訳されたものです。ここでちょっと、「正信偈」が詠まれた背景についてうかがっておきましょう。

 

「正信偈」は、聖人の畢生(ひっせい)の著『教行信証』にある百二十句の偈(詩、うた)です。「帰命無量寿如来、南無不可思議光…」〔無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる。〕(『註釈版聖典』二〇三頁)と、偈の一句一句が漢字七文字で統一されていますので、皆で声を揃えてお勤めしやすいのです。その「正信偈」が書き始められる直前につぎの文があります。

 

しかれば、大聖(釈尊)の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、仏恩の深遠なるを信知して、「正信念仏謁」を作りでいはく

(『註釈版聖典』二〇二頁)

 

わたしたちは「正信念仏偈」を略して「お正信偈」と呼んでいるのですね。「正信偈」の内容は大きく前半と後半に分けられるのですが、まず前半部分は古来より依経段(えきょうだん)といわれています。『無量寿経』(『大経』)に依っている段落という意味で、先のご文では「大聖の真言」に相当しますし、聖人のほかの著述では『浄土和讃』の内容とおおよそ重なります。聖人のおっしゃる「真言」とは、さとれるお方のまことの言葉です。人間ではない仏さまの言葉こそが唯一まことだ、ということです。残念ながらわたしたち人間の言葉はあてになりません。これはなにも自分が誰か他人の言葉にだまされる、ということだけではなく、自分が他人を、そして自分自身をだましながら生きているということです。

 

でもわたしたちは、そうでなければ生きていけないのかもしれません。「今日中にこの仕事を片付けるつもりだったけれど、テレビで延期になっていた野球中継があるから仕事はそれこそ延期に・・」と、自分を甘い言葉でだますのです。ですからある意味、わたしたちは日ごろから、だまされる言葉や嘘の言葉というものに泥みすぎているのです。しかし、『大経』に説かれる「あなたを仏と成らせて救う」という言葉は、仏さまの仰せであって、人間の発した言葉ではありません。真実の言葉であって、決してだまされたり裏切られることのない「真言」なのです。

 

話はもどりますが、「正信偈」の後半部分は依釈段(えしゃくだん)といわれています。七高僧がなさった、お釈迦さまの「真言」のご解釈に依っている段落という意味です。先ほどの「正信偈」の文では「大祖の解釈」とあり、先述した前半と同様に、聖人の他の著述でいえば『高僧和讃』の内容と重なります。七高僧がご苦労くだされた意義については先々月のことばで確認いたしました。また、特に第一祖である龍樹菩薩のお手柄についてすでに二ヵ月分にわたってうかがってきました。そのうえで、今月のことばとして龍樹菩薩にうかがうべきは称名報恩のお心です。

 

冒頭にて掲げました「正信偶」のご文を、蓮如上人は『正信偶大意』にて、

 

真実の信心を獲得(ぎゃくとく)せんひとは、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)に名号を称へて、大悲弘誓の恩徳を報じたてまつるべしといへるこころなり。

(『註釈版聖典』一〇三〇頁)

 

と解釈され、お念仏申すことが仏恩を報ずることになるとおっしゃるのです。それはなぜでしょうか。

 

 

見えないけれど知らされるもの

 

「見えない」ことと「無い」ことは全く違います。讃岐の庄松同行の言葉として伝えられているものに、「ご本尊様が物を仰せられたら、お前等は一時もここに生きて居られぬ」というものがあります。「お寺の本堂の阿弥陀さまは生きておられるのだろうか、何もものをおっしゃらないではないか」という尋ねに応じられた際の言葉です。仏さまはわたしのこころなどすでにお見通しですが、それについて何もおっしゃらないから、わたしは平然と生きていられるのです。もし、まるでマンガの吹き出しのように、心の中で思っていることが他人に見られることにでもなれば、とても表を歩けたものではありません。あるけれども見えないもの、あるいは目を逸らせて見ないようにしているものが多いから、わたしたちは何食わぬ顔でいられるのでしょう。

 

都会では 夕日をみることも、
満天の星を仰ぐこともできない。
人間が造った建物や照明で
見ることができなくなったのだ。
それを―
「見えないから無い」と思うような
その愚かな心を煩悩という

(寺川幽芳『こころの掲示板』)

 

わたしの本務校である中央仏教学院にて、長年ご指導をくださいました寺川幽芳先生の詩です。見えないものや見ることができなくなったものを、知らせて見せるはたらきも宗教なのでしょう。実は多くの見えないものに囲まれ、支えられていたのです。中国には「水を飲むときは井戸を掘ってくれた人のことを偲べ」という意味の格言があると聞いたことがあります。見えなくて、知らなかったけれども蒙(こうむ)っているはたらきを冥加(みょうが)といいます。過去をふり返って、わたしは願われていた、はからわれていたと知ったときから、恩を報ぜずにいられない心持ちが生じます。

 

『歎異抄』後序には「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」(『註釈版聖典』八五三頁)という言葉が、聖人のつねの仰せとして引かれています。阿弥陀さまのご本願がこのわたし一人のためであったと知らされるのです。先の「正信謁」のご文でいえば、「大聖(釈尊)の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、仏恩の深遠なるを信知」しかならば、必ず報恩謝徳の念に及ばずにはいられないのです。

 

冒頭にも記しましたように、今月のことばは、「正信偈」では「ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといへり」と讃詠されています。「恩を報ずべし」の箇所を「恩を報ぜねばならない」と読めば、恩返しの強制のように見えます。しかし、決してそうではありません。恩は「なされたところを知る」という意味ですから、知らないままに強制されて成り立つようなものは恩ではないのです。

 

仏祖をはじめ、家族や知人の恩、何らかの組織や地球環境の恩ということも言えるでしょう。「自分は他人の世話になったことはない」とあくまで言い張る人があっても、自分一人でこの世に生まれ出たはずはありませんので、この世の始まりは母親から産まれるという「なされた」ことからだと言えないでしょうか。

 

話は今月のことばに戻りますが、つぎに問題となるのは、なぜ「つねにみ名となえ」ることが報恩になるのかという点です。

 

 

「称」は、はかり

 

聖人は、つぎの曇鸞大師のことばを『教行信証』「行巻」に引用しておられます。

 

いかんが讃嘆する。いはく、かの如来の名を称(称の字、軽重を知るなり。『説文』にいはく、銓なり、是なり、等なり、俗に秤に作る、斤両を正すをいふなり)す。かの如来の光明智相のごとく、かの名義のごとく、実のごとく修行し相応せんと欲ふがゆゑにと

(『註釈版聖典』 一五六頁)

 

称えるという「称」の文字を説明して、「秤」の意味があることを示しておられます。天秤ばかりは右と左がつり合うことで重さをはかります。ですから、二つのものがつり合っている状態、という意味があります。

 

いま、お念仏を称えることが、阿弥陀さまが衆生を救うおいわれにかなっている、つりあっている、とおっしゃるのです。阿弥陀さまの清浄真実の仏のお心と、あるものを見ようともしない煩悩具足のわたしの心は、雪と炭ほどの違いです。つり合うことなど何もありません。ですが、そのわたしにおいて、唯一つり合うものが「南無阿弥陀仏」のお念仏として恵まれているのです。

 

親孝行とは、子どもが親の願いのとおりになることだと聞いたことがあります。

 

反対にいえば、子どもの側から考えている親孝行の多くが、実は子どもの自己満足であって真の親孝行にはなっていない、ということかもしれません。ですから、ときどき見聞きする「無理をして出世などしなくていい、ただ元気でいてくれ」「丈夫な体でないことは、むしろ親のわたしが痛いほどに知っている。ただおまえの優しい心をずっと大切にしていてほしい」「世間様にご迷惑をかけて、結果どんなつまはじき者にされようとも、いつまでもわたしの子でいてくれることが願いだ」などの親の願いは、成功や健康、善良などの一般的な価値観、そして子どもの側の想像を超えているのでしょう。

 

阿弥陀さまは、わたしに「南無阿弥陀仏」を与えるから称えておくれ、と願い通しです。だから、その願いのとおりに「南無阿弥陀仏」とお念仏申すことが、唯一阿弥陀さまのこころにかなうのです。

 

親鸞聖人は『尊号真像銘文』に、

 

「称仏六字」といふは、南無阿弥陀仏の六字をとなふるとなり。「即嘆仏」といふは、すなはち南無阿弥陀仏をとなふるは、仏をほめたてまつるになるとなり。

(『註釈版聖典』六五五頁)

 

とお示しですが、お念仏が仏徳讃嘆に「なる」のです。わたしの心根が良いからではありません、親の願いがわたしに到り届いたからです。

 

以前、お出遇いしたお同行の言葉が思い起こされます。

 

その方はでいつも常に小声で「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ…」と称えておられます。ですからそのような常念仏のお心持ちを聞かせてください、とうかがったのです。「はい、わかしは念仏せずにおれない身としていただいたことがうれしいから、お念仏させてもらっています」とおっしゃいました。

 

ご報謝させてもらうことさえも阿弥陀さまからのご恩だったのです。

(高田未明)

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2016年5月 宗祖降誕会法要のご案内

201605

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2016年5月 弥陀の誓いに帰しぬれば 不退のくらい自然なり 法語カレンダー解説

hougo201605「宗教は必要ですか」

 

「宗教は必要ですか」という問いを聞くことがあります。その問いは「宗教など不要です」と、実は言いたいのかもしれません。「宗教を信仰しなくても、立派に社会で成功している人はたくさんいるではありませんか」とか、さらには「無宗教であることこそ良識ある人なのだ」などという考えが見え隠れしています。いま、この問いをきっかけとして考えてみたいのは「必要性を感じる」という点です。

 

生活習慣病や初期の糖尿病には、病気の自覚がほとんどありません。しかし、お医者さんが生活の改善や治療の必要性を説きます。むしろ治療の難しさを知り、病状に苦しむ多くの姿を見てきたお医者さんだからこそ、治療を、そして治療に先立つ予防を切に訴えるのです。ですから、病人であるという自覚と、本来の治療の必要性とは別のことからだということが言えるでしょう。

 

同様に、わたしが宗教を必要としていなくとも、宗教を説いてくださる、すなわち真の救いを与えずにいられないお医者さんが、阿弥陀さまだということができます。無明の病のわたしに真実を与えて真実たらしめる、つまり仏と成らせる救いです。

 

今月のことばは、この阿弥陀さまの「あなたを救う」という誓いに帰依し、すべてをおまかせしたならば、ただちに「不退のくらい」に入る、と示されています。

 

実は、これも龍樹菩薩が、阿弥陀さまの救いの特徴の一つとしてお讃えになったことがらです。親鸞聖人のご和讃にも、

 

不退(ふたい)のくらゐすみやかに
えんとおもはんひとはみな
恭敬(くぎょう)の心に執持(しゅうじ)して
弥陀(みだ)の名号(みょうごう)称すべし

(『註釈版聖典』五七九頁)

 

として、阿弥陀さまに帰依しお念仏申す身とならせていただいたならば、すみやかに不退の位に到ることが示されています。

 

 

船の行き先

 

真理やさとり、つまり仏果へ向かって歩む者を菩薩といいます。しかし、その道ゆきははなはだ困難です。ですから仏道はそもそも難行であるといえます。龍樹菩薩の「易行品」の冒頭に、

 

阿惟越致地(あゆいおっちじ)に至るには、もろもろの難行を行じ、久しくしてすなはち得べし。
あるいは声聞(しょうもん)・辟支仏地(びゃくしぶつじ)に堕(だ)す。もししからばこれ大衰患(だいすいげん)なり。

(『註釈版聖血ハ(七祖篇)』三頁)

 

とあり、難行を久しい時間行じつつも、声聞や辟支仏地という仏のさとりより低い位に落ち着いてしまうことがあります。つまり、時間が経てば必ずさとりに近づくかといえば、そうとも言えないのであって、登りつめた菩薩の位でも、破戒など仏道修行上のマイナス要因によって後戻りすることがあります。

 

先の「易行品」のご文には「阿惟越致地」との言葉がありますが、これが「不退のくらい」、不退転地ともいわれることがらです。仏道修行は後戻りする可能性を引き受けつつ、気の遠くなる時間を歩み続けるものですから、もし、退転しない境地に入るならそれは菩薩にとっては歓喜以外のなにものでもありません。また、この不退転地に到れば、まだ仏とは成っていないものの、真如をさとるためほんとうの歓喜を得ます。ですから不退転地は歓喜地ともいわれ、「正信謁」によれば、

 

宣説大乗無上法(せんぜつだいじょうむじょうほう)
証歓宜地生安楽(しょうかんぎじしょうあんらく)

 

大乗無上の法を宣説し、歓喜地を証して安楽に生ぜんと。

(『註釈版聖典』二〇五頁)

 

とあり、龍樹菩薩ご自身が歓喜地、つまり不退転地の菩薩であったことが知られます。

 

本願のお念仏を聞きうけるならば、仏果に到るための行と信が、その行者の身の上に因として成立することになりますので、必ず成仏という果に到ります。この因が成立するのは現生であって、信心獲得その時ですから、信心が正しき因となります。この世で、いま、さとりに到ることが定まるのです。不退転、後戻りしないということを言い換えれば、もう仏と成ることが定まったと表現できます。その意味で、まさしく仏になることに決定している聚類(なかま)、正定聚ともいわれます。

 

繰り返しになりますが、親鸞聖人は、この正定聚の位に入るのは「信心を獲るいま、ここで」とおっしゃるのです。よくよく考えればたいへん驚くべきことで、今月のことば「弥陀の誓いに帰しぬれば不退のくらい自然なり」は、そのようなとても大切なことがらが詠まれていたのです。

 

 

凡夫の聖者

 

しかし、そうするとつぎに、他の浄土教一般の考え方との大きな違いが問題となってくるのです。つまり、正定聚不退転という菩薩の位に入るためには、この穢土(えど)ではなくて浄土に往生することが必要だとする考え方とくい違うのです。菩薩の階位は『菩薩環路本業経』に説かれる五十二位が有名で、そこには十信・十住・十行・十廻向・十地・等覚・妙覚の各階位が示されており、なかでも十地位の初地以上を聖位と捉えます。ならば、この世で生きている限り凡夫でしかあり得ないわたしが、現生で正定聚に入るとするならば、凡夫でありながら聖者という事態が生じるのです。事実、親鸞聖人の『一念多念文意』には、

 

「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、水火二河(すいかにが)のたとへにあらはれたり

(『註釈版聖典』六九三頁)

 

とあり、死ぬまで三毒をそなえた凡夫であり続けることが示されています。一方で『人出二門偈頌』には、

 

煩悩を具足せる几夫人、仏願力によりて信を獲得す。この人はすなはち凡数(ぼんじゅ)の摂(しょう)にあらず

(『註釈版聖典』五五〇頁)

 

として、信心の行者はすでに凡夫の仲間ではない、ともお示しです。この凡夫でありながら凡夫ではない、矛盾ともいえることがらが信心の念仏者のうえに統一されている点がわかりづらいのです。

 

聖人ご在世の当時も、ご門弟方のあいたで同様の疑問が生じていたことが、聖人のお手紙からうかがえます。そこで、聖人がお手紙において不退転、現生正定聚を語っておられるご文をいくつかみてみましょう。

 

真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚のくらゐに住す

(『親鸞聖人御消息』第一通『註釈版聖典』七三五頁)

 

御たづね候ふことは、弥陀他力の回向の誓願にあひたてまつりて、真実の信心をたまはりて、よろこぶこころの定まるとき、摂取して捨てられまゐらせざるゆゑに、金剛心になるときを正定聚の位に住すとも申す

(『同』第三十九通『註釈版聖典』八〇二頁)

 

ほかにも似た趣旨のご文はたくさんありますが、これらは「信心の行者は、阿弥陀さまの摂取不捨のはたらきにあずかるからこそ、正定聚の位に住するのである」というかたちが共通していて、正定聚は摂取不捨とペアになって示されていることが見えてきます。「摂取不捨(摂め取って捨てず)」はもともと『仏説観無量寿経』(観経)に出てくることばですが、その摂取不捨の理解として詳しく親鸞聖人が語られたものが『浄土和讃』にあります。それは、

 

十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれは
阿弥陀となづけたてまつる

(『註釈版聖典』五七一頁)

 

というご和讃で、特に「摂取」の左には註が施されており、「摂めとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追はへとるなり。摂はをさめとる、取は迎へとる」(『註釈版聖典』五七一頁)と示されています。ここよりすれば摂取不捨とは、念仏の衆生を摂めとって捨てず、護りつづけることだといえるのです。これは、この世で生死のなかにありながら生死に縛られない立場をも意味しています。だからこそお念仏の救いには、煩悩の有無や臨終のあり方、そして凡夫であるか聖者であるかなどが問題とならないのです。石が水に沈む性質のまま、船に乗せられて沈まずに浮かぶことにたとえられますが、阿弥陀さまにまかせきったならば、今生で凡夫のまま正定聚の位につかせていただくのです。

 

また、「摂取不捨」で思い起こされるのは『歎異抄』第一条ではないでしょうか。

 

弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。

(『註釈版聖典』八ご二頁)

 

ここに出る「摂取不捨の利益」のことばを、「不退のくらい」と読みかえると、今月のことばの内容と重なっていることに気づかされるのです。

 

親鸞聖人が見ぬかれたのは、阿弥陀さまの救いにあずかった者に成り立つ、現生正定聚という利益でした。そしてこの点は、先だって龍樹菩薩が説いておられたことを承けたものであることが、『教行信証』「行巻」に示されています。

 

しかれば、真実の行信を獲れば、心に歓喜多きがゆゑに、これを歓喜地と名づく。(中略)いかにいはんや十方群生海、この行信に帰命すれば摂取して 捨てたまはずゆゑに阿弥陀仏と名づけたてまつると。これを他力といふ。ここをもって龍樹大士(りゅうじゅだいじ)は「即時入必定(そくじにゅうひつじょう)」(易行品一六)といへり。曇鸞大師は「入正定聚之数(にゅうしょうじょうしゅしじゅ)」(論註・上意)といへり。

(『註釈版聖典』 一八六頁)

 

ここに龍樹菩薩および、後に龍樹菩薩の説を承ける曇鸞大師のお名前を掲げ、両師の明らかにされたところは「即時大必定」および「入正定之聚」という、信心の行者が不退転地に入ることが示されます。龍樹菩薩がお説きくださった、船に乗せられて水路を進む易行の眼目だといえるでしょう。

 

 

わたしの願いに先だって

 

あるお同行が、つぎのように打ち明けてくださいました。

 

「わたしは生まれてから今日まで、これといって大きな問題にも出遭わず、現在も、おかけで夜も眠られないほどの悩みというものはありません。だからでしょうか、仏教でこの世を『穢土』といわれるほどに厭わしいとも思いません。ですが、何となく不安なのです。衣食住に何の不足もなく、家族も元気で地域の人々とも親しく穏やかな日々ですが、なぜかわたしは『これで良いのだ』と落ち着くことができません。決して日々寂しくて堪えられないというほどでもありませんが、この不安は隠せません。わかしは気にしすぎでしょうか」

 

なぜ宗教は必要なのですかと問わずにいられないわたしたちは、科学技術をはじめとするすばらしい人知や多くのめぐみに浴しながら、心の奥の深い深いところで、生まれたがための不安、つまり老病死の不安を抱えつづけています。本当の意味で、心の底から安心したいと願っています。ですから決して「気にしすぎ」では済まされない問題なのです。

 

そんな問題をかかえるわたしを見ぬいている阿弥陀さまの救いであって、聖人のご和讃(『高僧和讃』)では「龍樹讃」に、

 

生死の苦海ほとりなし
ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ
のせてかならずわたしける

(『註釈版聖典』五七九頁)

 

との一首があります。お念仏は、この迷いの境界に沈んでいるわたしを、まことの境界に至らせる弥陀の願船です。船に乗せられたならば、もう船の行く先にしか行けなくなるのです。願船に乗せられ、南無阿弥陀仏を称える身とならせていただくならば、その時、お浄土にしか往けない身となるのです。

 

死んでいくだけの寂しい人生かと、うすうす不安を感じていました。でも、そうじゃありませんでした。お念仏によって、お浄土に生まれていく人生だったと知らされ、この世で往生浄土の証拠を得させていただくのです。

(高田未明)

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2016年4月 陸地のあゆみ難けれど 船路のたびの 易きかな 法語カレンダー解説

hougo201604わたしのものの見方

 

お釈迦さまは、まことの道理を説かれました。そういわれてもなかなかピンときませんが、「ものごとのありのまま」と表現できるようなありよう、ありさまのことで、それが文章として伝わっているのが仏教のお経です。しかし、お経にはものごとのありのままが説かれていますが、それを読み、その内容を聞くわたしたちは、自分の立場を離れてものごとをありのままに見ることがたいへん難しいのです。

 

幼児が母親にたずねます。「どうしてかあちゃんは、ばあちゃんのことを『おかあさん』と言うの?」母親は、幼児の祖母からいえば嫁です。夫からすれば妻です。職場の小学校では児童から先生と呼ばれています。でも、子どもにとってみれば、いつもそばにいてくれる大好きなかあちゃんは、かあちゃんでしかないのです。ばあちゃんが「おかあさん」と呼ばれているのを耳にすると、ちょっとさびしく複雑な気持ちにもなるのです。母、妻、嫁、先生などのことぼは、どれもその人を指し示している一面だけです。本当にその人物を、あるいはものごとを過不足なくとらえ言いあらわすことなど、わたしたちにはできないのかもしれません。

 

いま、お経に説かれているありのままとは、すべてのものごとは互いにかかわりあいながら、変化しながら存在しているということです。学生だった「わたし」が就職して社員になり、結婚して親になり、孫に恵まれ祖父となって退職しても、すべて「わたし」です。そのような「わたし」はつづまるところ、生・老・病・死の変化を避けることはできないと説かれています。しかし、そのことに眼をそむけて生きていくのではなく、その生・老・病・死を真正面から引きうけ、しかも越えていく道が、すでに「わたし」に開かれていることが、経典には説かれています。

 

お経に説かれる教えは、時代や場所の違いを貫くものです。ですが、教えを聞き受けるわたしたちは大きな影響を受けています。気候風土、思想、生活習慣、言語など、時代や国が違えば大きく変わってきます。さらにいえば、同じ家に暮らす家族であっても心の中はそれぞれ全く違うのです。そのような、さまざまな違いがあるわたしたちに、まことの道理を時代や場所に応じて、少しでも多くの人に教えが届くように説いてくださった方々が、高僧と称されているのでしょう。ですから、高僧方は本当の意味でお経が読める方々であり、わたしたちはほとんどお釈迦さまと同じようなお方として仰がせていただくのです。

 

 

つねなみはなれたお方

 

お経には、「ご本願は菩薩が五劫という長い時間をかけ、考え抜かれてできあがった」「ここより西方に、極楽という阿弥陀仏の世界がある」と説かれています。

 

それを「五劫とは何年?」「浄土、それは西に何キロ行けばいいの?」と考えるのは、この世の人間の考え方を当てはめているだけで、まことの道理、お経の内容からどんどん離れていくこととなります。さらに、時間・空間に生きるわたしたちがお経の言葉をどんどん錆びつかせています。現代の日本であれば、つぎのような例があります。「仏」は死体のことを指し、「浄土」をこの世の快楽の延長と考える。ものごとに難渋することが「往生」であり、努力放棄の他人任せが「他力本願」など、お経の言葉をわれわれが手垢まみれにして、まことの道理を貶めているのかもしれません。高僧とはそのようなあり方を誠め、その時代その場所で、仏教を本来の真理の高みに引き戻されたお方々ともいえるでしょう。

 

いま、高僧のなかでも親鸞聖人が仰いでいかれた、インド・中国・日本の三国にわたる七人の高僧がおられます。「正信掲」では後半の依釈段に、

 

印度西天之論家(いんどさいてんしろんげ)
中夏日域之高僧(ちゅうかじちいきしこうそう)
顕大聖興世正意(けんだいしょうこうせしょうい)
明如来本誓応機(みょうにょらいほんぜいおうき)

 

印度西天の論家、中夏(中国)・日域(日本)の高僧、大聖(釈尊)興世の正意を顕し、如来の本誓、機に応ぜることを明かす

(『註釈版聖典』二〇四頁)

 

と説かれています。お念仏を勧めた高僧はこれまで多く出られましたが、「正信偈」に讃えられている七祖は、「阿弥陀

さまよりたまわる本願の念仏」を説かれた高僧でした。特に『仏説無量寿経』(『大経』)には、

 

如来無蓋(むがい)の大悲をもって三界を衿哀(こうあい)したまふ。世に出興するゆゑは、道教を光闡(こうせん)して、群萌(ぐんもう)を拯(すく)ひ恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり。

(『註釈版聖典』 一三六頁)

 

とのお言葉があります。お釈迦さまがこの世にお出ましになった本意は、阿弥陀仏の本願を説き、いのちあるすべてのものを救うことにあったと説かれています。そしてインド・中国・日本の七高僧は、そのお釈迦さまの本意を、それぞれの時代や場所で明らかにし、伝えてくださいました。

 

先の「正信偈」の文に「機に応ぜる」とありましたが、「応」という字は、本来は「應」です。應の上の部分は「广(おおい)十人十隹(とり)」から成り、人が胸に鳥を受け止めた様子だといわれます。それに「心」を加え、心でしっかりと受け止めるなどの意になります。『大経』に説かれる本願念仏の教えこそ、今日のこのわかしにぴったりと合致しており、受けとることができる唯一の救いの道なのです。

 

 

あらゆる仏教の祖

 

真宗七高僧の第一祖は龍樹菩薩です。お釈迦さまがお隠れになって約七百年後、南インドに出たお方です。伝記によれば、青年時代は目に余る放埓ぶりでしたが、むしろそのような日々のなかに、仏法に真実を求める縁がおとずれ、今日の大乗仏教でいわれる空の思想を大成されました。空といわれると捉えどころがないように感じられて難しいですが、聖人の和讃に、

 

南天竺(なんてんじく)に比丘(びく)あらん
龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)となづくべし
有無の邪見を破すべしと
世尊(せそん)はかねてときたまふ

(『註釈版聖典』五七八頁)

 

と詠まれていることが手がかりとなります。

 

「有無の邪見」とは有見と無見という二つのかたよった見方です。有見はすべてのものが実体的に「有る」と考え、それに執着する見方です。無見は有見の反対で、なにも「無い」、すべては虚無とするニヒリズムです。それらはともに正しくない邪な見方であり、そのような邪見を離れた、本来のあるがままという意味で空というとらえ方を示されました。現代では一般的に、「死後、地獄に堕ちる」という恐怖はどんどん薄らいでいるでしょう。しかしそれで死の問題が解決したのかといえば、むしろ逆に思えてくるのです。つまり、「死んだらそれでおしまい。いまを楽しく生きましょう」などとわかったように言いながら、「おしまい」、何もなくなる、という得体の知れなさに恐怖しているのではないでしょうか。

 

ですから龍樹菩薩は、わたしたちが有無の邪見におちいることに対して、空の理をもって、本来のまことの道理に引き戻してくださったのです。この点を聖人は和讃で、

 

本師龍樹菩薩は
大乗無上の法をとき
歓喜地を証してぞ
ひとへに念仏すすめける

(『註釈版聖典』五八七頁)

 

と讃えておられます。

 

大乗仏教の重要な思想である空を明らかにしたお方ですから、龍樹菩薩は浄土真宗の七高僧に数えられるだけではなく、古くから「八宗の祖師」として讃え称されています。奈良東大寺の凝然という学僧が著した書に『八宗綱要』があります。

 

仏教各宗派の教義を網羅した概論書ですが、そこには「問う、その八宗とは云何。答う、八宗というは一に倶舎宗、二に成実宗、三に律宗、四に法相宗、五に三論宗、六に天台宗、七に華厳宗、八に真言宗なり」と述べられていますので、ここに挙げられている具体的な八宗派が祖師として仰いでいるという意味合いでしょう。

 

また、仏教では数字の八について、ものごとが欠けることなくそろっている、という意味の満数ととらえることもありますので、全仏教の祖師という意味あいかもしれません。ともかく、仏教各宗が認める祖師であり、空思想の大成者が先はどの和讃では「ひとへに念仏」を勧めたと示されています。その理由はどこにあったのでしょうか。

 

 

二つの道ゆき

 

今月のことばは、「正信偈」の龍樹菩薩を讃えられた一連のご文のなかで、

 

顕示難行陸路苦(けんじなんぎょうろくろく)
信楽易行水道楽(しんぎょういぎょうしいどうらく)

 

難行の陸路、苦しきことを顕示して、易行の水道、楽しきことを信楽せしむ。

(『註釈版聖典』二〇四頁)

 

というところが元になっています。ここでは、仏道の道行きを乗りものに擬えてお示しくださいました。やや話は変わりますが、『十六夜日記』などの史料によれば、親鸞聖人の時代、関東から京都までかかる日数は、おおよそ二、三週間だったと考えられます。また『歎異抄』第二条には、関東のご門弟が聖人に会うために上洛された場面が「おのおのの十余箇国のさかひをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまふ」(『註釈版聖典』八三二頁)と訳されています。悪天候などによって、思い通りに歩みを進められない日々もあるでしょうし、その間に旅人の体調が崩れることも珍しくなかったでしょう。それだけに陸路を自ら歩んで行くことは難事であり、決して気を緩めることはできなかったはずです。しかし、同じ道ゆきであっても乗り物に乗せられるのであれば大きく状況は変わり、旅人の心持ちも楽しく安心なものとなります。いわば、この乗せられる安心が陸路の難行に対する、船路の易行のお心です。

 

わたしたちは、物事は難しいほうがレベルが高くて、値打ちがあるもののように考えてしまいます。仏教他宗派の命がけの修行にくらべて、浄土真宗の易行のお念仏は、いかにも見劣りするかもしれません。しかし、つぎのように考え直すことはできないでしょうか。現在、携帯電話の画面上で指をすべらせると、インターネットを通じてたちどころにあらゆる情報が表示されます。一昔前は考えられなかった魔法のようなことが、いまでは子どもからお年寄りまで多くの方が、当然のように利用しています。これは技術の進歩によって、多くの人々に使える仕組みがととのったからです。けっして、昔より指の動かし方が上手になったから、あるいは皆が高度な情報技術を習得したから利用できるようになったのではありません。

 

お念仏は、あらゆる人々に成り立つ易行の仏道として完成し、ひらかれてあったのです。凡夫という仏教的に劣った者を漏らさない、すぐれた救えがととのっているのです。ですから陸路を歩むに対して水路の乗船は、乗せられるものの能力が問われない、ほんとうに安心できる道ゆきだったのです。

 

龍樹菩薩がひろく説き示した教えは、あなたもわたしもともどもに、本願念仏に乗せられて往く仏道だったのです。

(高田未明)

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下関組 今月の寺院法座案内

下関組法座のご案内

下関組の法座案内は下関組のホームページにて更新される予定です。

詳細については各寺院にお問い合わせください。

 

光明寺の法座案内につきましては光明寺からのお知らせをご覧ください。

 

 

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2016年3月 信心ひとたびおこりなば 煩悩を断たで涅槃あり 法語カレンダー解説

hougocalender201603三月の法語は「和訳正信謁」の第七首前半です。

 

信心ひとたびおこりなば

煩悩(なやみ)を断たで涅槃(すくい)あり

 

「正信偈」では、

 

能発一念喜愛心(のうほついちねんきあいしん)
不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)

よく一念喜愛(いちねんきあい)の心(しん)を発(ほっ)すれば、煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり

(『註釈版聖典』二〇三頁)

 

という偈文にあたります。現代語版には、

 

信をおこして、阿弥陀仏の救いを喜ぶ人は、自ら煩悩を断ち切らないまま、浄土でさとりを得ることができる。

(『教行信証(現代語版)』一四四頁)

と訳されています。

 

 

信心ひとたびおこりなば

 

この「正信偈」のご文について、ある先輩の先生は、「よく・・・・発す」(能発)と詠われるところに注目したいと言われます。それは、「能(よく)」の字が置かれているところに、親鸞聖人の深い感慨の心がうかがわれると言われるのです。

 

中国浄土教を大成された善導大師が『観無量寿経』を解説くださった『観経疏』の中の「散善義(さんぜんぎ)」に、「深く信ずる心」について説かれる中に、

 

決定して深く自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、礦劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず

(『註釈版聖典』二一八頁)

 

と示されています。

 

現代語版では、

 

わが身は今このように罪深い迷いの凡夫であり、ばかり知れない昔からいつも迷い続けて、これから後も迷いの世界を離れる手がかりがないと、ゆるぎなく深く信ずる。

(『教行信証(現代語版)』 一七二頁)

 

と述べられ、親鸞聖人はこれをその通りに重く受け止められて『教行信証』の「信文類」(『註釈版聖典』二一八頁)などに引用されています。

 

―私どもは、礦劫のいにしえより迷いの海に浮き沈みを繰り返していて、そこから離脱できる縁は全くなかったのです。そのような私どもに、阿弥陀さまは飽くことなく大慈悲のお育てのみ手を差し伸べてくださって、今やっと「他力の信」に目覚めることができました、という感動の心が「よく・・・発す」のご文になっているのではないか、ということです。「和訳正信偈」のご文では、「信心ひとたびおこりなば」にその感動の心がうかがわれるでしょう。

 

 

煩悩を断たで涅槃あり

 

「煩悩」とは、さとり(正覚)に対する無智からおこるもので、私どもの自己中心的な営みそのものであり、身勝手な欲望(貪欲)や、それが満足できないでいらだちに走る怒り(瞋恚)などに支配されているのが「煩悩具足」の姿であると説明できるでしょう。人間生活の全体が煩悩の活動そのものであります。

 

釈尊がおさとり(正覚)を完成(成就)されたことを物語る釈尊伝では、「降魔成道」と呼ばれる一段に、「煩悩具足」の凡夫の姿が語られています。釈尊は出家された後の数年間厳しい苦行をされますが、「苦行は心身を痛めるだけだ」と気づかれて、最後の三昧(深い禅定、精神集中)に入られます。その時に、悪魔が釈尊の三昧を妨害するために、乙女の姿をして欲望を駆り立てる誘惑の手を出したり、武力で妨害したりするなど、三昧の邪魔をする物語が語られます。しかし、釈尊はその誘惑や妨害をひとつずつ退けられたといわれます。これは、釈尊の心の中で悟りの道を妨害する「煩悩」がはたらいていたことを意味するとされます。釈尊がこれらの「煩悩」を一つひとつ退けられて、ついに涅槃(正覚)に至られたというのが、仏伝の「降魔成道」すなわち「悪魔を降する(=悪魔を退ける)ことが、道を成す(=涅槃に至る)ことになる」という物語となっています。

 

このように、「涅槃」とは、煩悩のはたらきがなくなったこと、すなわち煩悩の活動が火を消したように消滅したところで、「悟り(正覚)」が得られたことを意味します。

 

したがって、自ら悟り(正覚)を求める「聖道門」や「自力の道」では、「正信偈」に言われる「煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり」とか、「和訳正信偈」の「煩悩を断たで涅槃あり」ということは不可能なことになります。

 

このように、「断煩悩」すなわち凡夫が自ら煩悩を断ち切ることは不可能であり、自分の努力で迷いから離脱する道はないということになります。親鸞聖人は、比叡山において二十年もの間、その苦悩の道を歩まれ、絶望に沈まれて法然聖人を訪ねることになられたのでした。そして、この絶望に沈む凡夫に代わって、煩悩を断絶する「行」が、阿弥陀さまの「五劫思惟の願、兆載永劫のご修行」であったこと、その成果が名号「南無阿弥陀仏」に凝縮されて「これを受け取ってくれよ」と喚びかけられていることを教えられたのでした。

 

すなわち、私の方は、煩悩具足のまま、煩悩を断つことのできないままでありながら、阿弥陀さまのおはたらきによって、名号のはたらきによって、涅槃のさとりを完成(成就)することのできる身となるということなのです。

 

『歎異抄』の結び(後序)に、親鸞聖人のおことばを引かれています。

 

聖人のつねの仰せには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。さればそれはどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐候ひしことを、いままた案ずるに、善導の「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、礦劫よりこのかたつねにしづみつねに流転して、出離の縁あることなき身としれ」といふ金言に、すこしもたがはせおはしまさず。

(『註釈版聖典』八五三頁)

 

〔現代語版〕

親鸞聖人がつねづね仰せになっていたことですが、「阿弥陀仏が五劫もの長い間思いをめぐらしてたてられた1 ‥臓をよくよ仁札ごてみるとヽそれはただこの親鸞一人をお救いくださるためであった。思えば、このわたしはそれほどに重い罪を背負う身であっだのに、救おうと思い立ってくださった阿弥陀仏の本願の、何ともったいないことであろうか」と、しみじみとお話しになっておられました。そのことを今またあらためて考えてみますと、善導大師の、「自分は現に、深く重い罪悪をかかえて迷いの世界にさまよい続けている凡夫であり、果てしない過去の世から今に至るまで、いつもこの迷いの世界に沈み、つねに生れ変り死に変りし続けてきたのであって、そこから脱け出る縁などない身であると知れ」という尊いお言葉と、少しも違ってはおりません。

(『歎異抄(現代語版)』四八頁)

 

このように、煩悩具足のままのこの「私」は、涅槃(正覚)へと出離する縁など全くない身であるのに、阿弥陀さまの大いなる本願のはたらき、「南無阿弥陀仏」として結実した救いのおはたらきによってこそ、この世を離れる時、往生成仏する身となっている、といわれるのです。

 

「煩悩を断たで 涅槃あり」は、以上のようにいただかれるでしょう。

(佐々木恵精)

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1月24日 若婦の「新年会」が大雪の中、行ないました

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