2017年2月 如来すなわち 涅槃なり 涅槃を仏性と なづけたり

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二月の法語は、『浄土和讃』の第九十三首前半の二句ですが、まずはこの和讃の全四句とその現代語訳をうかがいましょう。

如来(にょらい)すなはち涅槃(ねはん)なり
涅槃を仏性(ぶっしょう)となづけたり
几地(ぼんじ)にしてはさとられず
安養(あんにょう)にいたりて証(しょう)すべし (『註釈版聖典』五七三頁)

(如来はすなわち涅槃である。この涅槃を仏性と申しあげる。凡夫には、これをさとることができない。浄土に至ってはじめてさとることができる。『三帖和讃(現代語版)』五六頁)

前半の二句に、「如来」「涅槃」「仏性」という言葉があり、これが二月の法語のかなめとなっていますが、その意味からうかがっていきたいと思います。このご和讃においては、いずれも「さとり」(正覚)の内容を表す言葉ですが、その元になる言葉の成り立ちを見てみましょう。
まず「如来」とは、「阿弥陀如来」「釈迦如来」などといわれるように、さとり(正覚)に至られたお方のことで、「仏」ともいいます。もともとインドの原語(サンスクリット語)では「tathagata」といわれ、その訳語が「如来」となりました。この語の解釈として、「tatha」は「その通りの」「その通りに」という意味の語で、「あるがままの真理」を意味し、「如」「然(しかり)」とか「真」などと訳されます。そこで、「tathagata」は「如(tathaに至った(gara))」、あるいは「如(tatha)から来った(agata)」という解釈から、「如去」「如来」などと漢訳されたのですが、やがて「如来」が一般的な訳語に定着しました。
それは、「如」なる真理(あるいは真理の体得者)が、この迷いの世界に来られてはたらいておられるという意味で、「如来」とはさとりを得られた仏がはたらき出ている真理の活動体である、と受け止められたからです。すなわち、「さとりの真理が、生きとし生けるものを(迷いの世界からさとりへと)救うはたらきが、如来であり仏である」ということになります。まさにあるがままの真理の活動体が、仏であり如来であるということです。
次に「涅槃」とは、やはりインドの原語(サンスクリット語)からくる言葉で、原語「nirvana」の音写語「涅槃」が漢訳語として定着したものです。元の「吹き消す」という意味の言葉から、この迷いの世を離れること、つまり自己中心的な欲望の活動である「煩悩」を吹き消し滅尽して煩悩の世界から解放されるという、煩悩の滅を意味する言葉として使われました。こうして、「涅槃」とは「解脱」を意味する語として用いられたのです。また「滅度」がその意訳語で、「煩悩悪業を滅して苦の果を度る」という意味であるとされます。「涅槃寂静」などといわれるように、煩悩の炎が吹き消された静かな境地を意味し、さとり(正覚)を意味するものとして古くから使用されてきた語です。
さらに「仏性」とは、まさに、さとり(正覚)を得られた仏の本性ということですが、これもインドの原語(サンスクリット語)の「buddhata」(仏の本性)「buddha‐dhatu」(仏の界・仏の本性)「buddha-gotra」(仏の種性)などの訳とされ、さとりそのものの性質を意味する言葉です。『涅槃経(ねはんぎょう)』には、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶしょう)」(生きとし生けるものはすべて仏となる本性を有している)といわれ、あらゆるものが本来さとりを得る本性を持っていると説かれています。確かに煩悩を離脱しさとりを得ることが仏道の根本ですが、現実には煩悩に覆われ苦悩の中にある私たちですから、その中から離脱を求めることは難中の難といわざるをえません。
真理としての如来
それでは、このご和讃にはどのような意味が示されているのでしょうか。
親鸞聖人の著述によって、『涅槃経』のご文に従ってこのご和讃が詠われているとうかがうことができます。『涅槃経』には、さとり(正覚)を別の語で解説して、さとりの何たるかを示すところがあり、その一節を聖人は『教行信証』の第五巻である「真仏上文類」に引用されています。そこには、

真解脱(しんげだつ)はすなはちこれ如来(にょらい)なり。至乃 如来はすなはちこれ涅槃(ねはん)なり、涅槃はすなはちこれ無尽(むじん)なり、無尽はすなはちこれ仏性(ぶっしょう)なり、仏性はすなはちこれ決定(けつじょう)なり、決定はすなはちこれ阿桁多羅三貌三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)なり(『註釈版聖典』三四二圭二四三頁)

真実のさとりはすなわち如来である。(中略)如来はすなわち涅槃である。涅槃は尽きることのないものである。尽きることのないものはすなわち仏性である。仏性はすなわち決定である。決定はすなわちこの上ないさとりである『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』三九二頁)

と示されています。
また、このご和讃の古写本に左訓が付けられていて、そこには、

如来と申すは即ち涅槃と申すみ言(こと)なり、涅槃と申すは即ち真(まこと)の法身(ほっしん)と申す仏性なり、知るべし。この凡夫はこの世界にしてさとらず候へば、他力をたのみまいらせて安楽浄土にしてさとるべしとなり(「顕智本」『浄土真宗聖典全書』第二巻〈宗祖篇上〉三八五頁・原片仮名)

とあります。
ここでは、「真解脱が如来である」「如来とは涅槃という言葉〔と同じ〕である」といわれているように、何ものにもとらわれることのないもの(無凝(むげ)、無尽のもの)である真理(如なる真理、真如法性(しんにょほっしょう))を如来ということが示され、また、この真理が仏を仏たらしめている本性であり、それを「仏性」と呼ぶといわれています。この真理に到達する(真理を体得する)ことによって、煩悩の苦悩から離脱し、「涅槃」(さとりそのもの)に至ることができるのです。
親鸞聖人は、『涅槃経』などを引用され、言葉を尽くして、如来は真理そのものであり、それが具現化してはたらき出るものであることをお示しくださっていますが、このご和讃の前半二句にもその意味が端的に詠われています。
真理が体得できない凡央
そして、後半の二句で、

しかし、煩悩の苦悩の中にある凡夫には、この真理の体得(さとり)を達成することはできない、安養浄土に至ってこそ達成できる。

と詠われているといただくことができます。

このように、煩悩の世界にどっぷり浸かっている私どもには、とても仏・如来の境界、さとりの境界を知ることも感じることもできません。阿弥陀さまの犬慈悲のはたらきをいただいてこそ、浄土への道を歩ませていただくことができ、「安養」(極楽浄土)に往生してさとり(正覚)を得ることができるのである、と知らせていただくのです。(佐々木恵精)

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2017年1月 無明の闇を 破するゆえ 智慧光仏と なづけたり

「智慧光」のはたらき

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一月の法語は、『浄土和讃』の中の冒頭、「讃阿弥陀仏偶和讃(さんあみだぶつげわさん)」第九首のはじめの二句です。まず、その全四句とその現代語訳をうかがいましょう。

無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)するゆゑ
 智慧光仏(ちえこうぶつ)となづけたり
 一切諸仏(いっさいしょぶつ)・三乗衆(さんじょうしゅ)
 ともに嘆誉(たんよ)したまへり              (「註釈版聖典」五五八頁)
(阿弥陀仏の光は無明の闇をすべて破るから、智慧光仏と申しあげる。すべての仏も菩薩も縁覚(えんがく)も声聞(しょうもん)も、みなともにほめたたえておられる。「三帖和讃(現代語版)』一一頁)

このご和讃では、阿弥陀さまの智慧の輝きである「智慧光」を讃嘆されて、「如来の智慧の輝きは、私どもの無知の闇を打ち破ってくださる」と讃えられています。『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』(『大経』と通称されます)には、阿弥陀さまの大いなるはたらきを、「十二光仏」の仏名(ぶつみょう)をかかげて称讃されている場面があります。また、中国浄土教の基礎を築かれた曇鸞大師(どんらんたいし)は、『讃阿弥陀仏偶』という、この「十二光仏」を讃えられる偶文を作られました。親鸞聖人は、これら経典や祖師の言葉に基づいて「讃阿弥陀仏偶和讃」をご制作になられましたが、この「十二光仏」の第八に「智慧光」が挙げられているのです。
『仏説無量寿経)』には、次のように阿弥陀さまがおさとりを開かれ、衆生をお救いになる姿が説かれています。
阿弥陀さまは元は法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)といわれ、「あらゆるものが真実のさとり(正覚)の世界に至るようにならなければ、私はさとりを開くまい」との大誓願(本願)をおこされて、兆載永劫(ちょうさいようごう)といわれる永い永い間のご修行を行われました。そしてその本願を成就し、「限りない光と限りないいのち」の仏である阿弥陀さまとなられて、さとりの世界であるお浄土を建立されたのです。その結果、あらゆる生きとし生けるもの(一切衆生)をお浄土に導くおはたらきを、今現になされているのです。
このように、阿弥陀さまの本願のはたらき、大慈悲のはたらきが、「仏説無量寿経」では説かれます。
「十二光仏」は、この阿弥陀さまの大いなる慈悲のはたらきを具体的に示されているものと、うかがうことができます。その中で「智慧光仏」とは、仏としてすべてを見通される智慧-私どもの知識や言葉の世界をはるかに超えた、あるがままの真理(真如(しんにょ))をさとる智慧のちからIIIが、すべてを照らし出す輝きを持っているということが示されているといえるでしょう。
自己中心にしか動くことのできない私どもは、真実を知るすべを持たず、無知蒙昧の中にあって、自分勝手で貪るような欲望によってさまようばかりです。さらに、そのような欲望が満足できないために、怒りや恨みを生み出します。これら葛藤する激情が「煩悩」といわれ、お釈迦さま以来、説き示されてきた私ども「煩悩具足」の姿であります。このような私どもを、無知の闇、煩悩の闇からさとり(正覚)の世界へと救い出してくださるのが阿弥陀さまであり、それが「智慧光仏」と呼ばれるゆえんです。
無明の闇
このご和讃の「無明の闇を破す」というお言葉をいただくと、第一に思い浮かぶのが、親鸞聖人の主著「教行信証」の冒頭のお言葉です。『教行信証』には、その全体の「序文」にあたる章がおかれ、一般に「総序」と呼ばれています。聖人はこの総序に「浄土の真実の教」たる浄土真宗の根本を端的に述べられて、阿弥陀さまの本願のはたらきに帰すること、そしてインド・中国・日本へと、そのみ教えを伝えられた祖師方のご教示に報謝すべきことを披渥されています。その冒頭に、

ひそかにおもんみれば、難思(なんじ)の弘誓(ぐぜい)は難度海(なんどかい)を度(ど)する大船(だいせん)、無磯(むげ)の光明(こうみょう)は無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)する恵日(えにち)なり。
(わたしなりに考えてみると、思いはかることのできない阿弥陀仏の本願は、渡ることのできない迷いの海を渡してくださる大きな船であり、何ものにもさまたげられないその光明は、煩悩の闇を破ってくださる智慧の輝きである。「顕浄土真実教行証文類(現代語版)』三頁)

と宣言されています。すなわち、

あたかも、自分では渡ることのできない大海原を、大きな安定した船に乗せていただいて向こう岸まで渡していただく、そのように、大慈悲のはたらきそのものである阿弥陀さまの本願のはたらきが、大きな船となってさとりの岸であるお浄土に渡してくださる。また、自分勝手な欲望の中で苦悩する私どもの苦悩の闇である煩悩を、その阿弥陀さまのすべてを見通されている智慧の輝きが破ってくださるのである。

と、阿弥陀さまの大いなる智慧と慈悲のはたらきを讃えておられるのです。
まさに、このご和讃前半のお心が総序の冒頭に、感謝と感激をもって語られているといえるでしょう。
ご和讃の典拠
親鸞聖人は、このご和讃を、どのような根拠によって作られているのでしょうか。前述のように、「仏説無量寿経」に説かれる「十二光仏」、そして「十二光仏」を讃嘆される曇鸞大師の『讃阿弥陀仏渇』が、直接の典拠であるともいえるでしょうが、諸先生方がご指摘の通り、『仏説無量寿経』の「胎化得失(たいけとくしつ)」と呼ばれているご文を念頭に置いておられたとも拝察されるのです。
「胎化得失」の文では、次のようなことが説かれています。
一つには、「明信仏智(みょうしんぶっち)」といい、阿弥陀さまの本願のおはたらき、大慈悲のおはたらきにそのままお任せする心、すなわち全幅の信任の心である真実信心に至った人は、この世を去るその時にお浄土に忽然と生まれる、このことを「化生(けど)」といいます。
しかしそれに対して、二つには「不了仏智(ふりょうぶっち)」といい、本願や大慈悲にいささかでも疑いがあるものは、お浄土の宮殿に生まれても。あたかも蓮のつぼみの中に閉じこもっているかのように、あるいは胎内にとどまっているかのように、真実の往生に至りえないでいるのです。そして五百年の間、仏の姿も菩薩・声聞(しょうもん)などの聖者(しょうじゃ)方にさえもまみえることがないので、これを「胎生(たいしょう)」といいます。このように、ここでは本願に対する疑いを持つことが往生の大きな妨げであることが示されています。
「胎化得失」のご文には、

かの化生のものは智慧勝れたるがゆゑなり。その胎生のものはみな智慧なし。
                         (『註釈版聖典』七七頁)

と説かれていますが、このご文から、親鸞聖人のご和讃に「無明の闇を破す」とある「無明」(無知)とは、阿弥陀さまのみ教えに疑いを持つことを意味しているとうかがうことができます。純粋に阿弥陀さまのお導きにそのまま従わせていただくことが、信心のかなめであること、そしてまた、そのような信心は阿弥陀さまの智慧の輝きのはたらきによって与えられるのである、といただくことができます。
朝陽を浴びて

このご和讃をいただきながら、思い出されることがあります。
それは、ベルギーのアントワープに慈光寺を開かれた、アドリアンーベルさん(一九二七-二○○九)のことです。
ペルさんの学生時代は、世界大戦などの変勁を経て、キリスト教の世界にも思想的に混乱が生まれ始めていた頃といえるでしょうが、その頃から東洋思想を学ぶようになり、仏教にも関心を持っておられたようです。しかし浄土真宗については、まだその名前さえも知られていない頃で、いわゆる上座仏教(じょうざぶっきょう)や、大乗仏教でも自ら禅定(ぜんじょう)を深め空(くう)の哲理を求めるような道などを学ぽうとされていたと思われます。
そんな折、英国のジヤックーオースチンさん(一九一三-一九九三)と出遇われるご縁が生まれます。銀行員だったオースチンさんは、いち早く英訳された『歎異抄』に魅せられて、その翻訳と解説を行った、神戸の稲垣最三師(法名によって瑞剱師と呼ばれます)に手紙を出され、その後、瑞剱師から一方的に手紙を送り続けられるというようにして、手紙説法が続けられたのでした。三百通以上の手紙によって、仏教の基本、大乗仏教の思想、浄土真宗の教義、他力回向のこと、お念仏のことなどが緯々説かれ、オースチンさんは、ついに浄土真宗本願寺派で得度されたのでした。そうして、ペルさんとも文通をしていたのですが、ある時(一九六〇年代後半と思われます)、英国からアントワープのペルさん宅を訪ね、仏教談義をさ
れたとのことです。
おそらく、オースチンさんからペルさんには、「自らさとりを求める道は凡夫に成就できるのですか」という課題を、またペルさんからオースチンさんには、「他力回向の教え、ただ弥陀の本願を信じて念仏する道とはどのような教えなのですか」という疑問を語りかけるという、論議が展開されたことだろうと想像されます。その談論は夜を徹してなされ、東の空か明るくなる頃、訪問者であるオースチンさんは疲れ切って寝込んでしまったのですが、ベルさんは頭が冴えわたり眠れないでいました。
そして、東の空にかすかに明るくなる朝陽を拝して、ベルさんは「はっとした」といわれるのです。かすかに朝陽を浴びながら、「阿弥陀さまの光明に照らされている……」という感慨を覚えたということなのです。太陽の光は阿弥陀さまの光明ではありませんし、それ以上に「如来の光明」は私どもの肉眼で見えるような光ではないのですが、ペルさんは朝陽を浴びて、「このちっぽけな私にふりそそいでい  3る阿弥陀さまの大きな輝き、大きなおはたらき」を感じ取られたのであろう、とうかがうことができるでしょう。
まさに、「無明の闇を破ってくださるのが、如来の智慧の輝きである」と詠われているのがこのご和讃である、といただくことができるでしょう。
(佐々木恵精)

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2016年12月 世のもろびとよ みなともに このみさとしを 信ずべき

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「ひかりといのちきわみなき 阿弥陀ほとけを仰がなん」からはじまった「和訳正信喝」は、いよいよこの法語をもって締めくくられていきます.

ここは本文最後の二句「道俗時衆共同心(どうぞくじしゅぐどうしん) 唯可信斯高僧説(ゆいかしんしこうそうせつ)」〔道俗時衆(づぞくじしゅ)ともに同心(どうしん)に ただこの高僧(こうそう)の説を信ずべしと.〕

(『註釈版や典』一.0じ頁)

の意訳になります.

「このみさとしを信(しん)ずべし」とは、これまで「正信偶」で述べられた「仏説無量寿経」の法義、インド(直樹・天親)、中国(曇鸞・道棹・稗導)、日本(源信・源空)の七人の高僧方の教法におしたがいしましょう、という意味です。
ここでは釈尊が出世された本意はひとえに阿弥陀如来の本願真実を説かんがためであり.『にごりの世にしまどうもの おしえのまこと 信ずべし」(「五濁悪時群生海(ごじょくあくじぐんじょうかい) 応僑如来如実言」)(おうしんにょらいにょじつごん)と示された言葉にも対応し、この世のすべての人びとにたいし、高僧方の導きによって「おしえのまこと」である『仏説無量寿経』に説かれる本願を信じ念仏申す身となり、出家(道)も在家(俗)も.時の人(時衆)みなともに(共同心)、浄上に往生させていただきましょう、と勧められ、百二十句の渇文を結ばれるのであります.

親鸞聖人が教法を学ぶ姿勢は、「御伝紗」(ごでんしょう)の「愚禿(じとく)すすむるところ、さらに私(わたくし)なし」(「註釈版聖典」 一〇五じ頁)や「御文章」の「親鸞(しんらん)めづらしき法(ほう)をもひろめず」

(『註釈版聖典』一〇八四貝)

と述べられますように、あくまでも伝統の祖師方の教法に依られました.
もちろん聖人独自の経典理解や他には見られない教義の展開がありますが、祖師方が一切の経典の根本意趣を「仏説無量寿経」に説かれる本願念仏の救済と見定められたこと、また光寿無量の阿弥陀如来に帰順し浄土を願生されたこと、さらにそれぞれの時代と人間に相応した教法を樹立されたことなど、まさに命がけのご苦労があって教えが伝わってきたことを仰がれ讃えられるという一貫した態度が窺(うかが)えます。
「仏説無量寿経」には、法蔵菩薩が本願を建立し、一々の誓いが永劫(ようごう)の修行によって遂に完成され阿弥陀如来となり、その名は誓いの通りに喚び声となって一切の世界に響きわたり、しかも時はすでに十劫というはかり知れない歳月が経過している、と説かれています。それは私自身が。「無始(むし))よりこのかた」といわれるように果てしなく生死流転(しょうじるてん)を繰り返し、如来の願いに背を向け続けてきた時間の長さをも意味しています。しかしながら今生まれ難くして父母の縁によって仏法の聞こえる世に生まれ、通い難くして本願と出遇い、仏の仰せに信順し念仏巾す人生を恵まれたことは、まことにしあわせなことといわねばなりません。

 

今日一日のいのち
ところで、私の手元に「死の宣告をうけて 竹下昭寿こ坦書」(竹下哲編)と題された竹下昭寿さんという方の手記の写しがあります。
この方は若くしてガンを患い、昭和三十四年に三十歳で往生の素懐を遂げられました。同年一月六日にガンを告知され、三月二十五日にはすでに不治の病状であることを医師に宣告されます。
そしてその日から四月十二日まで日記を書き、病苦をかかえた日々の心境をありのままに綴られています。その内容は、まさに昭寿さんが歩まれてきた人生を締めくくる法悦の記録ともいえるものでした。
冊子の冒頭には担当であった高原医師が、

…その日が来た。思い切って船のともづなをふりはなして、船出の口がいよいよ迫ってきたことを告げる口である。病状は…胃ガンである。すでに不治の状態であることを宣告した。あと幾月か幾日かと数えるよりも。今日一日限りと心得て、今日一日を頂いて生きて行くべきことを語った。-何もかも我一人のためなりき 今H一日のいのちたふとし’―これは昭寿君に贈った一位である、君は何等動ずることなく、平然として私の宣告を受けとられた。人ならぬ大きな力に抱かれた君の姿に、私はただお念仏申すのみであった。この日から君の生活は明るくなり、念仏と感謝の生活になった。
…ただ徒に人生航海の日の長いことが幸福ではない。喜びも悲しみも乗り越えて、一路お浄上を目ざして誓願の大船に乗托して、名残惜しくも雄々しくも船出された君こそ、人生最大の勝利者である
                          {「遺書をいただいてI」)
という一文を寄せておられます。
故人は篤信の家庭に育ち、遺書を編集された実兄の竹ド哲さんや念仏者であった高原医師をはじめ、法義篤き人びとに囲まれながら生涯を終えられたのでした。

 

竹下哲さんは、

愛する弟昭寿は、お念仏を申しながら静かに息を引き取りました。静かな、静かな往生でした。親思い、兄弟思いのやさしい弟でしたが、とうとう三十年五か月の生涯を閉じてしまいました。何だか夢のようです。あとに残された私どもは、片腕を失ったような、限りない寂しさと悲しさでいっぱいです。このや
るせなさと悲しさは、とてもことばで一胃い表すことはできません。でも、何かその底にはしみじみとした喜びがあります。深い安らぎがあります。それは、弟が如来の人悲を讃嘆し、静かに念仏しながらお浄土に召されていったからだ、と思います
                          (弟のことII)
と記されています。

 

白道を歩いていく

医師から不治である旨を告げられた日、

…これからさき、どんな病苦にのたうちまわるかも知れない。…この世を去る以外にないのだ。しかしその宿業の果てには、親鸞聖人や唯円房が渡っていられる処があるのだ。そして、十五年前往っておられるお父さんも。この世の人
間の愛情の、なんと濃やかな中に、自分は生かされていたことだろう。三十年間の愛の火の中で。しかも何よりも、仏縁に恵まれていたことの良かったこと。すべては大慈悲の唯中に、いままでもいまも生かされているのだ。…

また五日後には、

お念仏の世界こそ、寂しいこの人生の明け幕れの中での落ち着ける場所ですから。ほんとに人生とは寂しいところ、名残おしいところです。愛別離苦という言葉もしみじみと味わわれます。でも、なつかしいお浄土が川意されてあるのです、限りなくなつかしい浄土-

四月九日には、

白道を歩いていく お母さんや兄ちゃんたちの やるせなき愛情を総身に浴びて それでもひとり白道を歩いていく いつかその道がつきたとき そこにはお浄土が開けている 多くの仏さまたちが時っていて下さる おお御苦労だっ
たと如来さまが 抱きとって下さろう もうそのときは仏の一員 病、衣、食、住の執着のないところ 無執着の世界-浄上 そこでほんとうに大切なことだけを 無限にやらせていただけるのだ

と、念仏に出遇うことのできた人生の意味について書いておられます。
そして翌日の四月十二日、

…一本願の船に乗せて頂いているという、大安心の上でのやっさもっさだ、大いにじたばたしても、往生は間違いなし 如来の願船のびくともしないことのありがたさ

という言葉で「遺書」は終わっています。

 

常住の世界への夜明け

親鸞聖人は『一念多念文意』に「念仏の人をば、上上人・好人・妙好人・希有人・最勝人とはめたまへり」

(「註釈版聖典」六八一。貞)

と述べられ、念仏する人は分陀利華(白蓮華)であり、五種の誉れがある人にほかならないと讃えられています。なぜなら蓮華は泥の中でしか咲かず、泥に根を張りながら泥とは真反対の美しい花を咲かせるからです。そのように念仏の人は煩悩の濁りに身を沈めながら濁りに染まることなく、必ず浄土に往生する美しき人であるといわれるのです。
昭寿さんは如来に抱かれ、諸仏に讃えられ、朋友に励まされて浄土へと往かれました。白道を歩む人とは煩悩の苦をかかえ孤独の中にあって苫や孤独に沈まず、生死の事実に処してなお生死を超える念仏を賜った人であるといえるでしょう。
兄の哲さんは記録を編集される中で、

人生は一応五十年の契約。しかし、家主が不意に出て行ってくれ、と言うことがある。そのとき、田舎に自分の家がある者は、「これまでお世話になりました。ありがとう。」と言って出て行ける
と書いておられます。

この世はたえず変化しとどまることがなく、煩悩に満ちた世界です。この世で生きていく限り、私たちの惑い、苦しみ、悩み、悲しみは尽きることがありません。
しかしながら、尽十方無擬光の如来(煩悩にさえられずに十方を照らし尽くす光の仏)はこの世に来って生死を照らす光となり、苦悩にうちひしがれ孤独に涙するものの灯火となり、帰すべき郷里へと必ず導いてくださいます。光を信じ御名を称えることは暗き人生の暁となり、むなしく命終わることなき常住の世界への夜明けとなるのです。
阿弥陀如来は「安心して帰せよヽわが世界に至れよ」と一人ひとりの苦悩の人生に
喚びかけられています。そして私が称える念仏には、親鸞聖人をはじめ三国の祖師方、さらに浄上に往生された幾多の念仏者の願いがこもっていることが知られます。
この「正信喝」は自信教人信の書であるといわれます。本願のまことは「親鸞一人がため」(自信)と聖人によって受けとめられ、さらに「十方衆生みなもれず往生すべし」(教人信)とすべての人々に開かれた救いでありました。親鸞聖人は自ら信じたよりとされたこの「みさとし」を、すべての人びとに「どうか信じてください、お念仏申してください」とよびかけられているのです。

すべて命あるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ
                       (「スッタニパータ」 一四五濁)
仏陀は生きとし生ける者すべてを安楽、安穏の境地に至らしめたいと願われました。

 

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2016年11月 さとりの国に うまるるは ただ信心に きわまりぬ

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今月は親鸞聖人の恩師法然房源空聖人のご功績を讃えられるところです。「正信偈」本文の「生死輪転(しょうじりんでん)の家に還来(かえ)ることは、決するに疑情(ぎじょう)をもって所止(しょし)とす。

すみやかに寂静無為(じゃくじょうむい)の楽(みやこ)に入ることは、かならず信心(しんじん)をもって能入(のうにゅう)とすといへり」

(「註釈版聖典」二〇七頁)

と示される後半部分の現代語訳です。
これはもともと

法然聖人(一一三三~一二一二)が著された『選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)』「三心章(さんしんしょう)」の「生死(しょうじ)の家には疑(うたがい)をもって所止となし、涅槃(ねはん)の城(みやこ)には信(しん)をもって能入となす」

(「註釈版聖典(七祖篇)」 一二四八頁)

の文によられたもので、

私たちが迷いの世界にとどまるのか、あるいは悟りの世界に生まれるかは、ひとえに本願を信ずるか。疑うか、その一事に尽きる意を表し、決判(けっぱん)せられるところです。

生と死を繰り返す迷いの世界は「生死の家」と喩えられ、また「生死の几夫の流転の闇宅」、「魔郷」などとも表現されています。一方で無明煩悩が一切消滅した悟りの領域は「涅槃の城」「安楽」「西方寂静無為(さいほうじゃくじょうむい)の楽」などと示されています。「楽」は「洛」と同じ発音で「洛陽」の意に通じるところから、「涅槃のみやこ」ともいわれます。

生死の闇とは智慧くらき私たちの住む娑婆界のことで、いわば浹い心で閉ざされた世界のことです。涅槃寂静とは煩悩を離れた安楽の境地、広やかな心開けた智慧の領域をいいます。この「生死の家」から「涅槃の城」に至るためには、私たちのさかしらな知識や功徳善根の所業をもっては成し遂げられないことであり、阿弥陀如来が成就された本願の名号を疑いなく聞信するほかはないとされるのです。

ですから、もし本願を疑う者あらばその自力をたのむ執心をひるがえし、如来の「わが名を聞いてわれをたよりとせよ、必ず救う」との仰せを素直に信じ受け入れるべきであると勧められるのです。
信心とは、阿弥陀如来の真実心、一切の虚仮不実をはなれた清浄なる願心のことであり、煩悩に汚れた虚仮不実の心をいうのではありません。しかしながら、ひとたび凡夫の心に如来の願心(智慧と慈悲)が至りとどくならば、この煩悩をかかえた身のままで往生成仏することが決定せしめられることになります。それはちょうど万川が海に帰して海水の一味となるように。仏の功徳(名号)によって煩悩がそのまま菩提と転ぜられ、この身に仏因が満足せしめられるからであります。

 

 

金剛の信心をたまわる

一般的に私たちが何かを信じるという場合、「まちがいないものと認めたよりにする。信頼する」という主体は、あくまでこちらの側にあります。その場合、信頼する対象が確かであるかどうかは常に私の判断一つにかかっており、自分が正しいと考えている判断が同じ対象であっても、その時々で変わっていくとすれば「信じる」といっても一定することがないのは明らかです。
たとえば、自分が信頼していた相手に裏切られたときに、「あの人を信じた私がバカだった、愚かだった」などと言って反省したりもする訳ですが、本心は「私を裏切ったあの人が悪いのだ、あの人が愚かなのだ」とどこかで相手を責める気持ちが潜んでいるものです。また人と口論した後で後悔し、相手に謝るときに「私も悪かった」とつい言ってしまう、そんなところにも相手を責める気持ちが「も」という表現となって露呈されてしまいます。あてにならない張本人が自分自身であるのに、「あの人があてにならない、他人をあてにはしない」と頑なに心を閉ざしてしまうのです。このように人間は自我愛から離れられず、自分が心底愚かであるとは思えない存在であるといえるでしょう。
本願力とはそのようなあてにならない不実の存在であるわが身を知らせ、閉ざされたわが心にはたらいて、悟りの世界にいたる正しき因を与えてくださるのです。それは仏の仰せを聞くことも、私が仏を信じたよりとする心も、すべて私に先行して用意されている一方的なはたらきであるといえます。
「唯信紗文意(ゆいしんしょうもんいん)」には、

この信楽(しんぎょう)をうるときかならず摂取(せっしゅ)して捨てたまはざれば、すなはち正定聚(しょうじょうじゅ)の位に定まるなり。このゆゑに信心(しんじん)やぶれず、かたぶかず、みだれぬこと金剛(こんごう)のごとくなるがゆゑに、金剛の信心とは申すなり。

(「註釈版聖典」七〇三頁)

と述べられています。ここで信心が金剛心であるといわれるのは、私がゆるぎなき不動の心を持つという意味ではありません。「どんなことがあっても、あなたをさとりの浄土に往生させずにはおかない」という決してくずれない、壊れることのない如来の一方的な願心、変わることなき本願力のはたらきによるから金剛の信心といわれているのです。

 

 

育まれる信頼感

さて、二〇一四(平成二十六)年、百四歳で亡くなられた詩人まどみちおさんの有名な童謡の一つに「ぞうさん」があることはよく知られています。「ぞうさんぞうさん おはながながいのね そうよかあさんもながいのよ」という歌詞で、「ぞうさんぞうさん だれがすきなの あのねかあさんがすきなのよ」と詩は続いています。私はこの歌はよく知ってはいましたが、詩の内容に込められた深い意味を今まで考えることがありませんでした。

ある詩人がこの詩について「「ぞうさん」とはいったいどんな詩なのか」と質問されたとき、まどさんは「ぞうに生まれてうれしいぞうの歌」とこたえられたといいます。
まどさんはこの詩で、「鼻が長いね」と言われたけれど、ぼくはお母さんとそっくり、大好きなお母さんの子どもだから、「そうよ」と胸を張ってこたえることができるぞうさんを登場させています。自分を大好きな子どもとして育ててくれるお母さんがいてくれるから、他と比べる必要がないぽく白身をよろこぶことができる、そんなぞうさんの気持ちを表現しようとされたのかもしれません。

さらには、私たち大人に向かって、あなたは子どもを信頼していますか、子どもたちの心に充足を与えていますか、あなた自身はこの世に生まれてきてよかったですか、劣等感や優越感に苦しんではいませんか、といった様々な問いかけをされているように思われます。
私事になりますが、昨年浄土に往生いたしました母は、私が何か頼み事をしたときにはきまって自分のことは後回しにして、私の頼んだ用事を済ませてくれていました。面倒な内容でもイヤな顔をせず、むしろ何かよろこんでしてくれているように思えました。そして「してあげた」というそぶりも見せず、言わずにいた母でした。

 

振り返ると私の方はわがままばかりで、自分にとって都合のよい親であればよい、とどこかで考えている不肖者でしたが、それもすべて承知のうえでの行動だったのだと思います。
子が親にたいして抱く信頼感は、もともと親が子を信頼する心からはじまっています。親への信用はつねに子に先行して親から子への信用としてとどけられていたのでした。
しかしながら、昨今ではその信頼が大きく揺らいでいます。家族問における殺傷事件の報道も珍しいことではなくなりました。「だれでもよかった」というような若者の理由なき凶悪事件が起きるたびに、加害者における生育歴との関連が識者によって指摘されています。

 

「愛することは向かい合うこと」とマザーテレサさんは言っています。自分と向き合ってくれない大人たち、自己肯定感が乏しく、虐待や養育放棄によってまったく親に愛情を感じられずに苦悩している子どもたちがいます。親から与えられる幼少期における信頼感。いわゆるベーシックトラストはその人格形成においてきわめて重要であることは明らかでしょう。
誰かに深く愛されているという自覚は、やがて他者の差異を認め、他者を大切にしようとするやさしさや、執拗に他者との違いにこだわる心を克服していく柔軟さにもつながります。また家族や友人をはじめ。多くの人びとと信頼関係を育んでいこうとする姿勢にもあらわれることでしょう。
先に述べましたように、人間の信頼はあくまで不完全であり、非常にもろく崩れやすいものではあります。この世において必ず別離というものがある以上、いつまでも関係が続くというわけにはまいりません。しかし私たちは不完全でしかない人間であるからこそ、心を通じ合わせ、互いの信頼の絆を一層大切に育てる努力をしなければならないと思うのです。

 

 

 

仏によって成就された信頼感

今月の法語である「さとりの国にうまるるは、ただ信心にきわまりぬ」と言われる信心とは、仏の方から一方的に与えられたまこと、信頼の心です。ですから、たとえ私が如来に背を向け、裏切っていくようなことがあったとしても、決してその心は壊れることもなく、揺らぐこともありません。それは絶対の信頼ともいうべきものであり、私の方から断絶しようとしても、仏の側からは決して断絶させないと、はたらいてくださっているという関係性なのです。必ずさとりの国に生まれさせようと、はたらき続ける真実心という信頼の極みが、仏によって成就されているのです。
私が称えている念仏は、如来が私と決して離れることがない信頼の「絆」で確かにつながっている証であるといえるでしょう。

雪ふるや 受くるのみなる母の愛

ここには、雪の空を仰ぎ、降りしきる雪に母の慈愛を重ね、母へのこよなき感謝を表そうとする作者の心情が溢れています。
私たちがめざすべき世界は「涅槃の城」です。それは人生に破綻し苦悩に沈み、不信感に閉ざされた「生死の家」を出離したところにひらかれる悟りの世界であり、仏の智慧と慈悲によって絶対の信が成就されているところです。そしてその境界は自らの悟りを完成するにとどまらす、ただちにこの世に還来して他者を救うために慈悲のはたらきをなすという世界でもあるのです。
念仏への信頼を育み、心豊かな人間関係が構築されるよう努力したいものです。

(貴島信行)

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2016年10月 まどいの眼には 見えねども ほとけはつねに照らします

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今月の法語は、ヒ高僧の第六祖、源信和尚を讃仰された「正信渇」本文、「煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我(ぼんのうしょうげんすいふけん だいひむけんじょうしょうが)」一煩悩(ぼんのう)、眼(なまこ)を障(さ)へて見たてまつらずといへども、大悲(だいひ)、倦(ものう)きことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり。(「註釈版聖典」二〇六頁)について意訳されたところです。

これはもともと「往生要集」にある

 

「われまたかの摂取(せっしゅ)のなかにあれども、煩悩(ぼんのう)、眼(なまこ)を障(さ)へて、見たてまつることあたはずといへども、大悲倦(だいひう)むことなくして、つねにわが身を照らしたまふ」

(「註釈版聖典(七祖篇)」九五六頁)

 

という文によられたものです。

源信和尚(九四二~一〇一七)は大和国(やまとのくに)(奈良県)当麻(たいま)の里に誕生され、七歳で父と死別、九歳で比叡山に登り慈慧僧正良源(じけいそうせいりょうげん)に師事されました。英才の誉れ高く十五歳にして宮中で仏典を講ぜられた折、天皇より布帛(ふはく)の栄誉を受け、早速故郷の母に贈ったところ、母はその品を送り返し、名声や利欲を求める世渡る僧になることは悲しい、どうか母の後世を導いてほしい、との手紙が添えられていたといわれます。その後和尚は母の誡めを深く心にとどめ、高位を求めることなく叡山横川(ひざんえいざんよこわ)の首榜厳院(しゅりょうごんいん)に隠棲(いんせい)し、専心(せんしん)に釈尊一代(しゃくそんいちだい)の法を学修(がくしゅう)されました。そして四十四歳の頃『往生要集』三巻を著して日本浄土教の大成をはかり、自らも浄土を願生(がんしょう)しつつ念仏の興隆につとめられたのでした。

 

頑魯(がんろ)のもの

『往生要集』序文には「予(よ)がごとき頑魯(がんろ)のもの」(私のようなかたくなで愚かな者)(『註釈版聖典(七祖篇)」七九し貞)と、和尚は自身について述べておられます。また「念仏証拠門」においては「極重(ごくじゅう)の悪人(あくにん)は、他の方便(ほうべん)なし。ただ仏(ぶつ)を称念(しょうねん)して、極楽(ごくらく)に生(しょう)ずることを得(う)」(『註釈版聖典(し咀偽)」 一〇九八頁)と浄土教における往生行の要点を示し、愚悪の人間が極楽に生まれる手だてはただ称名念仏(しょうみょうねんぶつ)するほかなきことを闡明(せんめい)にされたのでした。

愚悪の者とは、抜きがたい自己へのもりじゅこころ執着心、我が身可愛いという自己中心の思いのやむことのない。われわれ人間のことです。和尚が白身を深く誡められた名聞利養(みょうもんりよう)の執心もそのあらわれであって、今月の言葉に「まどいの眼には見えねども」といわれるのは、まさにそのような真理(智慧)に暗く煩悩に翻弄されながら苦悩していく、人間の有様を示されるのです。思い通りにしたいという我欲の心(惑)は、思い通りにいかぬゆえに怒りとなり、愚かしき言動となって表出(業)し、他を傷つけていくことになります。そして新たなとまのう苦悩(苦)をさらによび起こしていきます。こうした無知の行為と結果が連鎖してとどまることなく循環していくという、そのことに無自覚であるゆえに愚悪といわれるのです。

以前、首筋や肩の凝りかひどく腰の鈍痛もあったので、整体治療院で看てもらった時、診察室の鏡の前で「肩の位置が左右均等でなく、体に歪みをきたしている」と説明を受け、不自然な自分の立ち姿に驚いたことがあります。凝りや痛みの原因が普段からの姿勢を意識しないことでそれが習慣となり、知らず知らずのうちに体の歪みとなってあらわれてきたのでしょう。では、これがもし心の歪みであったとしたら、と考えると、なおさら自分で気づけるはずもありません。身心ともにケアを怠らないよう心がけたいと思ったことでした。

「観経疏(かんぎょうしょ)」には

「経教(けいきょう)はこれを喩(たと)ふるに鏡のごとし。しばしば読みしばしば尋ぬれば、智慧(ちえ)を開発す」

(「註釈版聖典(じ組篇)」ニハ七頁)

と示されています。つまり経典は喩えていうと鏡のようであり、たびたび読んで教えを尋ねていけば智慧が開けるといわれます。教法を鏡とすることは、鏡の前に立った自分の外側の姿ばかりか、まるでレントゲンに映し出されるように、内側の心の歪みまでも明らかになるのです。苦の原因、煩悩の病巣が知らされるところに、苦を厭(いと)い離れる智慧がもたらされることを教えられているのです。

今月の法語には「ほとけはつねに照らします」とあります。親鸞聖人は「尊号真像銘文(そんごうしんぞうめいもん)』で、先の「往生要集」の「大悲無倦常照我身(大悲倦むことなくして、つねにわが身を照らしたまふ)」について、

「常(じょう)」はつねにといふ、「照(しょう)」はてらしたまふといふ。無擬(むげ)の光明(こうみょう)、信心(しんじん)の人をつねにてらしたまふとなり。…(中略)…「我身(がしん)」は、わが身を大慈大悲(だいじだいひ)ものうきことなくして、つねにまもりたまふとおもへとなり。摂取不捨の御めぐみのこころをあらはしたまふなり。        

(『註釈版聖典』六六一頁)

と解説されています。「我身」とは原文では源信和尚のことをさしていますが、ここではさわりなき仏光(ぶっこう)は苦悩の根元であるまどいを照破(しょうは)して必ず大悲心のうちに摂め取り、さとりの浄土に往生させようとつねに信心の人を休むことなく怠りなく照らしまもってくださる、といわれています。

 

こんな人生もあるのかな…

過日、夫が亡くなったので葬儀をしてほしいとの連絡を受けました、初めてのご縁でもありましたので必要な事柄をお聞きして、指定された葬儀会館に向かいました。臨終から通夜、葬儀、火葬、還骨法要と済み、中険ではじめてご自宅にお参りをいたしました。読経を終えて、故人の妻であるΥさんから仏事のお尋ねがあり、そのときご家庭のことなどを伺いました。しばらくお話しされていて、話題が三人の子どもさんのことに及んだとき、しばし沈黙され、時折言葉に詰まりながらも語ってくださった内容は、
三人の子どものうち、次男は小学校四年生のときに自動車事故に遭い、医師からは脳挫傷との診断が下り、事故の翌日以来全く意識が戻らず、すでに四卜九歳になっているということ。二年前にご主人が脳梗塞、ガンを患って入院されるまでは、ずっとその子どもを自宅で看護されてきたこと。当時は行政の介護サービスが整っていない時代だったので大変難渋されたこと、食事などは自分で何とか咀喘はできても、口を開くタイミングを辛抱強く待たねばならず、一回の食事に二時間を要してしまうこと。。また入浴は本人の身体に硬直があるため、一人ではとても無理なので夫が帰るのを侍ってから二人でしなければならなかったこと。自分自身も数年来ガンを患って、三度の手術を経験してきたこと。そして夫婦で五十二年間暮らしてはきたが、日常生活はほとんど子どもの介護に明け暮れたので二人で旅行に出かけたことも、映画をゆっくり観たこともなかった。
というものでした。Υさんが、「子どもが施設に移った後、今は私がこのベッドで寝ております」と言って後ろを向かれた、その部屋の後方には長い介護の時を物語るかのような小さめのスチールベッドが見えました、そして「夫も亡くなり、私も病身となってしまいました。いつまで子どものそばにいてやれるか心細いことですが、やはりあの子を置いて死ぬわけにはいかない…、そんな気持ちでおります。…こんな人生もあるのかな…と不思議に思います」と言われました。
私は「こんな人生もあるのかな…」と二度繰り返された言葉を聞きながら。今日までの大変なご苦労が察せられて、胸が締め付けられるような思いになりました。「きっとこの世でお母さまでしかできない菩薩の行を、わが子のためになさってこられたんだと、私にはそう思えます」と私か一一日ったとき、Υさんはしずかにお仏壇の方に向かい、深々と頭を垂れ合掌されたのでした。Υさんの美しい姿の中に、たしかに大悲の光明かとどいてくださっていること、大いなる慈しみと悲しみをもってあわれみ、どのような苦悩の人生をも照らし慰めてくださる尊き仏光を仰がずにはおれませんでした。

子が受けてきた苦難は、その子とどこまでもともにあって、どのような労苦をも忍受していくという親の覚悟、苦難があることに気づかされます。重い病苦をかかえて生きるわが子なるがゆえに、苦悩し憐懲(れんみん)してやまない母なる情愛が知らされるのです。

 

人の憍りと仏の大悲
「教行信証」「信文類」には、

如来一切のために、つねに慈父母(じふぼ)となりたまへり。まさに知るべし、もろもろの衆生(しゅうじょう)は、みなこれ如来(にょらい)の子なり。

(『註釈版聖典』二八八頁)

と示されています、自分の存在がかえりみられることもなく、見離されてしまうことがあったとしても、決して見捨てることができないというたった一人の親が私のために存在してくださることほど、たのもしく安心できるものはありません.如来がもろびとをわが子と見そなわし、わが苦悩として同悲同苦される慈悲のはたらきは、まるで父母が一子にかかりはて寄り添うような姿にほかならないと喩えられています。

「若不生者(にゃくふしょうじゃ)、不取正覚(ふしゅしょうかく)」(あなたを安楽の浄土に、もし生まれさせることができなかったら、決して悟りの仏となることはない)という法蔵菩薩の誓願は、いったい誰のために建てられたのでしょうか。思えばながいまよいの私の歴史とともに、つねに南無阿弥陀仏の名となって喚びかけ続けてくださっていた途方もない如来の歴史があったのでした。その切なる願心はわがためにとどまらず、一切の衆生に向けられた広大無辺のはたらきであることを聞かせていただくとき、ただ頭を垂れ念仏申さずにはおれません。

源信和尚は、

雨の堕(お)つるに、山の頂(いただき)に住(とど)まらずしてかならず下(くだ)れる処(ところ)に帰(き)するがごとし。もし人、僑心(きょうしん)をもってみずから高くすれば、すなはち法水入(ほうすいい)らず」(雨が降れば山の頂にとどまらず必ず低い方に流れるように、自分を高くするならば法の水は入ることがない)              

(「註釈版聖典(七祖篇)」 一一七四頁)

と示されています。自然の道理を知らずして、僑り(おご)の心をもってみずからを高くし、仏法のめぐみを素直に受け入れようとしないこの私を、仏は大悲の光明をもって照らし、いよいよ念仏申す身に育ててくださいます。決して見捨てることなく、怠ることなく、つねに私たちを守護していてくださるみ仏であると教えてくださっているのです。(貴島信行)

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2016年9月一生悪を 作るとも 弘誓に値いて 救わるる

8月今月の法語は、「正信偈」にある「一生造悪生造悪値弘誓 至安養界証妙果」〔一生悪を造れども、弘誓に値ひぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといへり。〕
(『註釈版聖典』二〇六頁)のおこころを詠われたものです。これは、七高僧の第四
祖であります道緯禅師(五六二~六四五)の教えを称えられたご文の一部です。現
代語訳をいただきますと、

「たとえ生涯悪をつくり続けても、阿弥陀仏の本願を信じれば、浄土に往生しこの上ないさとりを開く」と述べられた。  (『教行信証(現代語版)』一四九頁)

とありますので、そのおこころを味わわれたものであります。
禅師は、十四歳の時出家されて『涅槃経』の研究に没頭されました。しかし。
救いの道を求めて三十歳の頃、意を決して慧?禅師の門に入り、学解仏教から実践
仏教へと転じられました。その後十数年間坐禅と戒律の実践に励まれたのですが、
内心一抹の不安を抱かれたのでしょう。当時仏教徒の間に広まっていた末法思想と
相まって、ある日、曇鸞大師の遺跡を訪ねて玄中寺に詣で、そこに建てられた碑
文を見て心機一転、浄土教に帰せられたということです。時に四十八歳の時であり
ます。それを契機として玄中寺に留まり、八十四歳で亡くなられるまで三十六年
間、自ら念仏者となり、広く有縁の人々を教化されました。

 

末法の自覚

さて、禅師の教えの特徴は、釈尊の教えにもとづく仏教を分類整理し、聖道門
と浄土門とに分けて、聖道門の証し難きこと、浄土門の入り易きことを述べ、人々
に浄土往生の道を勧められたことです。聖道門というのは、この世で自力の修行に
よって仏になる聖者の道で、浄土門とは、阿弥陀仏の本願によって浄土に往生して
仏になる道をいいます。親鸞聖人も『高僧和讃』において、

本師道緯禅師は
  聖道万行さしおきて
  唯有浄土一門を
通入すべきみちととく (『註釈版聖典』五八八頁)

と詠われているのが、このことです。ただ、禅師がただ単に頭の中で考え、概念的

に考え出されたものではなく、血の出るような求道の体験から生み出された教えで
あることに留意したいと思います。それは、我が身の問題に関して、また如何とも
しがたい時代の中で、もはや救いようのない煩悩具足の自分を発見されたからに違
いありません。とりわけ、禅師ほど時代ということを問題とされた方はおられな
かったのではないでしょうか。

 

仏教の時代観に、正法・像法・末法の三時説があることをご承知だと思います。
正法とは、教えがあって(教)それを正しく実践する人かおり(行)、それによっ
てさとりを得ることができる(証)、という時代です。像法とは、教えがありそれ
を実践(行)する人がいても、さとり(証)を得るものがいなくなった時代で、次
の末法とは、かろうじて教えのみあって、それを行じる人もいなければ、当然さと
りを得るものもいないという時代のことです。禅師が誕生されたのは、すでに末法
に入ってから十一年目となっておりましたし、それと呼応するかのように廃仏・天
災等が相次ぎ、絶望的な時代に自らの生死の問題解決を求めていかれたのでしょ
う。だからこそ『安楽集』に、

「わが末法の時のうちに、億々の衆生、行を起し道を修すれども、いまだ一人
として得るものあらず」と。当今は末法にして、現にこれ五濁悪世なり。ただ
浄土の一門のみありて、通人すべき路なり。(『註釈版聖典(七祖篇)』二四一頁)

と末法の今の時代において、教えが機(ひと)と時(時代)とに相応するのは、浄
土教よりほかにはないということを述べられたのであります。だからこそ『安楽
集』には、先のご文の後に

このゆゑに『大経』にのたまはく、「もし衆生ありて、たとひ一生悪を造れ
ども、命終の時に臨みて、十念相続してわが名字を称せんに、もし生ぜずは
正覚を取らじ」 (『註釈版聖典(七祖篇)』二四一頁)

と末法の今の時代において、教えが機(ひと)と時(時代)とに相応するのは、浄
土教よりほかにはないということを述べられたのであります。だからこそ『安楽
集』には、先のご文の後に、

このゆゑに『大経』にのたまはく、「もし衆生ありて、たとひ一生悪を造れ
ども、命終の時に臨みて、十念相続してわが名字を称せんに、もし生ぜずは
正覚を取らじ」 (『註釈版聖典(七祖篇)』二四一頁)

と示されたのでした。つまり、もともとある『無量寿経』(『大経』)の第十八願と、
『観無量寿経』の「下品下生」の文とを合わせられて、ご本願の意を道緯禅師が述
べられたのです。このご文によって、親鸞聖人は「一生造悪値弘誓 至安養界証妙

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2016年9月 秋季彼岸会法要のご案内

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7月9日 若婦の総会を開きました。

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7月9日、若婦の総会を開きました。

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7月6日 仏婦総会を行ないました

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2016年8月 まどえる身にも 信あらば 生死のままに 涅槃あり 法語カレンダー解説

8月

凡夫と白蓮華

先月の法語では、往相(浄土へうまれること)と還相(浄土から、衆生を救うためにこの娑婆世界に還ってくること)はすべて阿弥陀如来のご本願のはたらき、すなわ
ち他力であると、阿弥陀如来のはたらきが讃えられました。
そして今月の法語は、

「正信偈」の「惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃」〔惑染
の凡夫、信心発すれば、生死すなはち涅槃なりと証知せしむ。〕(『註釈版聖典』二〇六
頁)

のおこころを詠われたものです。

これは、煩悩に染まり惑う凡夫であっても、ひ
とたび他力の信心をおこしたならば、迷いの身であるままで、やがて浄土に往生して
「生死すなはち涅槃なり」という、仏のさとりを開くことができる、ということです。
私たちは浄土に生まれどう変えられていくのか、言い換えれば浄土往生の相状とし
て、私たちの側から他力のはたらきをどのように受け止められていくのかということ
が、ここに示されています。
さて、最初の「惑染凡夫信心発」とは、曇鸞大師は『往生論註』の中に、

これは几夫、煩悩の泥のなかにありて、菩薩のために開導せられて、よく仏の
正覚の華を生ずるに喩ふ。
(『註釈版聖典(七祖篇)』二一七頁)

と述べられていますが、これに拠ったものとうかがうことができます。
ご承知のように、蓮華は清らかな地には生じません。湿った泥の中にありながら
も、その泥に染まらず清らかで美しい花を咲かせます。とりわけ白い蓮の花は、
まったく濁りが混じらない純白の象徴的な花として、信心の人を讃える言葉として
用いられます。余談ですが、蓮の華の花言葉をご存じでしょうか。調べてみますと
「清らかな心」だそうです。私たちの蓮の華にもつ印象は、どこでも大体同じよう
であります
さて、「正信偈」では「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是
人名分陀利華」〔一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解
のひととのたまへり。この人を分陀利華と名づく。〕(『註釈版聖典』二〇四頁)とあ
りますが、「和訳正信偈」をいただきますと、

ほとけの誓い信ずれば
すぐれし人とはめたまい
いとおろかなるものとても
白蓮華とぞたたえます

とあるのが、まさにこのことをいうのでしょう。
ところで、曇鸞大師が初めて、ご本願の救いのめあては一切衆生、とりわけ十悪
五逆・謗法の者であることを明らかにされました。この極悪の凡夫こそ、法語では
「まどえる身にも」とありますが、このような者がどうして救われると言えるのか
ということを、讐えで示されています。

たとへば千歳の闇室に、光もししばらく至らば、すなはち明朗なるがごとし。
闇、あに室にあること千歳にして去らじといふことを得んや。
(『註釈版聖典(七祖篇)』九七頁)

と、十悪五逆・謗法の者とは、心の中に深い迷いの闇を抱えている凡夫ではあるけ
れども、その迷いの闇がたとえ千年続いていたとしても、ひとたび光がさしこめ
ば、たちまちにして闇も消えて明るくなります。闇は光によってしか破られませ
ん。自分でいくらもがいても闇は晴れることがないばかりか、かえって深くなるば
かりであります。しかし、信心を得て、ご本願の光明が心の中に差し込めば、迷い
の闇は晴れ、浄土に往生を得ると説かれています。

 生死の迷いと涅槃の世界
さて、「正信偈」では次の句として「証知生死即涅槃」〔生死すなはち涅槃なり
と証知せしむ。〕(『註釈版聖典』二〇六頁)とあります。このご文はもともと曇鸞大
師の『論註』の中に、無礙道を説明して、

「道」とは無凝道なり。(中略)「一道」とは一無礙道なり。「無礙」とは、いは
く、生死すなはちこれ涅槃と知るなり。 (『註釈版聖典(七祖篇)』一五五頁)

とあるのに拠られたものでありましょう。『歎異抄』第七条に「念仏者は無礙の一
道なり」(『註釈版聖典』八三六頁)という言葉がありますが、何ものにもさえぎら
れない道ということを説明して、「生死すなはちこれ涅槃と知るなり」と示された
のです。

さて、この「証知生死即涅槃」というのは、どういうことでしょうか。「生死」
とは生と死によって限界づけられた無常の世界のことであり、またそこに迷い苦し
んでいる私たちの人生そのものであります。親鸞聖人が「生死出づべき道」を求め
られたというのは、仏教は生死の迷いを脱してさとりに至るのが目的であり、その
目的をめざして歩むことが仏道だからです。そして、その目標が「涅槃」というこ
とになります。「涅槃」とはさとり、あるいはさとりの世界であり、不生不滅の永
遠の真理そのものの世界です。
煩悩を否定し尽くされたのさとりの世界を「涅槃」といいますので、生死と涅槃
の二つは決して一つにはなりえないのです。言葉を換えていえば、生死、煩悩があ
るところには「涅槃」はなく、また、涅槃の世界には生死や煩悩が微塵も存在し得
ないのであります。いわば、生死と涅槃は否定的なまったく逆の関係であるという
ことです。ですから「迷いはそのまま涅槃である」と言われても、理解し難いこと
です。

したがって、このことは仏さまの智慧において初めて言える言葉であります。言い
換えれば、決して私たち凡夫がそういう境地をさとるというようなことではないので
す。浄土でさとりを得て初めて開かれる境地であるということです。ところが、「正
信偈」の前の句をいただきますと「惑染の凡夫、信心を発すれば」とあるのは、ど
う考えたらよいかという問題が出てきます。これは、信心を発するといっても、凡夫
の起こす信心ではなく、あくまで信心をいただくことであります。
信心をいただくとは、私たちにおいては仏さまの智慧の眼をいただくことでもあり
ます。仏さまの智慧の眼をいただけば、生死の世界は、涅槃の世界と別ものではな
く、生死の世界は涅槃の世界に包まれていたということを知らされるということでは
ないでしょうか。煩悩の衆生は、煩悩の我が身であることを把握できません。自己
中心的な考えしかできない私たちは、どこまでも自分の都合でしか考えられないも
のです。このような独善的な日常を送り続けていく中で、迷い続け苦しんでいるのが
この私たちの相であります。煩悩具足の我が身が、煩悩具足であることを気づかし
められるのは、ほかならない如来大悲の光明に照らされたらばこそであります。

 「おんいのち」をいただく

『歎異抄』後序に、「聖人の仰せ」として有名なご文があります。

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとた
はごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします
(『註釈版聖典』八五三頁)

 凡夫にも、また凡夫の営む世界にも、真実はただのひとつもないと述懐されてい
るのですが、「そらごとたはごと、まことあることなし」と見抜かれた仏さまの智
慧の眼には、ただ頭が下がるだけで何の反論もできません。ただ、「まことあるこ
となき」現実を歎き悲しむのではなく、「まことなき世の中」を、「まことあること
なき」身のままに「まこと」をもって生きることの大切さを知らされるのです。そ
の「まこと」とは、お念仏となって至り届けてくださっております。そして、煩悩
具足の凡夫であることに気づけば気づくほどに、本願大悲の深さが、いよいよ身に
しみて感じられるのであります。そのお念仏をただ一つの依りどころとすること
が、私たちの生き方ではないかと思います。
お念仏のおこころを喜ばれた白井成允師は、歌集『青蓮華』の中に、

いつの日に死なんもよしや弥陀仏の み光の中のおんいのちなり

と詠んでおられます。「いつの日に死なんもよしや」とは、生死は生死のまま、一
切が阿弥陀如来に摂取されているという、よろこびと安心のこころ、つまり罪深い
私か救われていく喜びを表現されているのでしょう。だからこそ、続けて「弥陀仏
のみ光の中のおんいのちなり」と、流れるように詠っておられるのだと思います。
「我が命」と言わず、「おんいのちなり」と詠まれたおこころこそ、「証知生死即涅
槃」の世界をいただかれた尊い生き方のあらわれであると思います。

(桐原良彦)

カテゴリー: 法語カレンダー解説 | 2016年8月 まどえる身にも 信あらば 生死のままに 涅槃あり 法語カレンダー解説 はコメントを受け付けていません