2017年11月 信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ

あらゆる生きものへの慈しみIMG_20171030_0014

私の奉職する筑紫女学園大学には、週に一度、驚くべき時間があります。それは、講義が行われる期間の毎週水曜日のお昼休みに開催されている「礼拝アワー」という時間です。はじめに参加者全員で「重誓偈」をお勤めして、その後、教員や学生などさまざまな方が担当して十分程度の感話を行い、それを参加者全員で拝聴するという、全体で十五分足らずの時間です。驚くべきこととは、全くの自由参加であるにもかかわらず、必ず毎回、五十人以上、多い時には百人以上の学生さんや教職員の方々が参加してくださっているということです。奉職した年、「礼拝アワー」に出席するたびに、たくさんの学生や事務職員の方の姿を見ては、本当にこの大学は、仏教関係の講義を担当する人だけではなく、すべての教職員さんや学生さんまでも含めて、仏教・浄土真宗を大切にする空気があるのだなと感動したことを記憶しています。
私にとって「礼拝アワー」の時間は、貴重な学びの時間でもあります。さまざまなジャンルの専門家の先生方や学生さん方が、それぞれ日頃考えていらっしゃることなどをお話ししてくださるのです。毎回毎回、知らないことばかりで目からうろこが落ちるような話や、思索の深さに驚かされたりと、新鮮な気持ちを取り戻せる時間です。
ある日、福祉を専門とされている先生がされたお話の中で、愛知県にある児童養護施設、暁学園のことを、「この学園で実践されている願いが、仏教・浄土真宗の教えを基礎とした筑紫女学園大学での学びの根底にもあるべき考え方だと思います」と言って紹介されました。
暁学園は、最後の節談(ふしだん)説教師といわれる真宗大谷派の僧侶、祖父江省念(そぶえしょうねん)師の次男、祖父江文宏師によって設立されました。祖父江文宏師は、「子ども」を尊重して「小さい人」と呼び、人生をかけて虐待や差別などの暴力から子どもたちを保護されました。その姿勢が子どもたちにも伝わり、「園長すけ」と愛着をもって呼ばれていたそうです。

あなたのなかの ほとけさまが
わたしのなかの ほとけさまに
微笑みかける
いのちはいつも
愛としてはたらく              (『詩集 残された時間』六三頁)

と詠まれた一篇の詩からも、仏教・浄土真宗の教えをペースとした、祖父江師の子どもへの深い愛情と慈しみのまなざしを知ることができます。さらに、祖父江師が生涯をかけて携われていた児童養護施設、暁学園のホームページ冒頭には、こうした言葉が掲載されています。

いま 忘れてはならないこと
食べている君の後に  餓えている六人の小さい人が

笑っている君の後に  病んでいる六人の小さい人が
君が生きる一分の間に  死んで往く二十五人の小さい人がある

戦争のための道具一口分で  世界中の小さい人が学校に行けるという事実だ

イマージュを世界に放て  想いを人間に馳せろ

君が創る時代は  弱い人が、とりわけ小さい人が
社会のてっぺんで  人間らしく生きられる時代だ
(社会福祉法人積善会 児童養護施設暁学園 ホームページ)

尊くも生まれてきた子どもたちであるにもかかわらず、「暁学園の七十五パーセントの小さい人たちは大人からの暴力を受け、その傷に苦しんでいることを悲しみ、さらには「暴力を振るってしまった大人もまた、受けた暴力から立ち直れない人たち」だと想像し慈しむ祖父江師の姿勢に、仏教徒・念仏者としての社会へのまなざしのあり方を学ばせていただくような気がします。
「慈しみの心を持つ」ということは、他の存在への思いやりの心や愛情として、さまざまな宗教で説かれています。その中で仏教の大きな特徴は、その慈しみの心が単に人間同士だけではなく、あらゆる生きとし生けるものへと想像をひろげている点にあると考えられます。『南伝大蔵経(なんでんだいぞうきょう)』の中に収められている『スッタニパータ』という経典には、

いかなる生物生類(いきものしょうるい)であっても、怯(おび)えているものでも強剛(きょうごう)なものでも、悉(ことごと)く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大(そだい)なものでも、
目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、
一切の生きとし生けるものは、幸せであれ。
(中村元訳『ブッダのことばIスッタニパーター』、岩波文庫三七頁)

と説かれ、お釈迦さまが、すべてのいのちとのつながりに目覚める智慧のまなこに立って、できる限りの慈悲の心をひろげ、あらゆるいのちあるものが幸せであることを願おうとされる姿がしるされています。この経典から、すべてのいのちのつながりに目覚め智慧をえたものは、必ず慈悲心をおこし実践することを学ぶことができるのです。

願作仏心 度衆生心

今月のご法語は、『正像末和讃』の第三十四番目のご和讃、

釈迦(しゃか)・弥陀(みだ)の慈悲(じひ)よりぞ
願作仏心(がんさぶっしん)はえしめたる
信心(しんこん)の智慧(ちえ)にいりてこそ
仏恩報(ぶっとんほう)ずる身(み)とはなれ              (『註釈版聖典』六〇六頁)

から引用されています。『三帖和讃(現代語版)』では、

釈尊と阿弥陀仏の慈悲により、仏になろうと願う心すなわち願作仏心を得させていただいた。信心の智慧を得ることで、はじめて阿弥陀仏のご恩に報いる身となるのである。                        二五〇頁)

と訳されています。先ほど紹介した、お釈迦さまの説かれる慈悲の心が私たちに弥陀法として回向されることで、本来、仏になってすべてのいのちを救いたいなどとは願わないはずの私たちが、願作仏心をえることで信心の智慧があたえられ、仏の恩に報いる生き方があらたに始まる、とおっしゃられているのです。願作仏心については、同じ『正像末和讃』で、

浄土(じょうど)の大菩提心(だいぼだいしん)は
願作仏心(がんさぶっしん)をすすめしむ
すなはち願作仏心(がんさぶっしん)を
度衆生心(どしゅうしょうしん)となづけたり             (『註釈版聖典』六〇三頁)

(浄土門では大いなるさとりを求める心を説いて、仏になろうと願う心すなわち願作仏心を勧めている。この心はそのまま、あらゆるものを救おうとする心すなわち度衆生心ともいわれている。『三帖和讃(現代語版)』 一四三頁)

と説かれ、願作仏心はそもそも浄土の大菩提心であり、その心は願作仏という側面と、度衆生という側面を持っているのだと示しておられます。
親鸞聖人はこの願作仏心について、

他力の菩提心なり。極楽に生れて仏にならんと願へとすすめたまへるこころなり
弥陀の悲願をふかく信じて仏にならんとねがふこころを菩提心とまうすなり
(『註釈版聖典』六〇四頁)

と、阿弥陀さまの法にうなづくことで、私たちが煩悩の身でありながらも、仏となりたいと願う願作仏心のことを菩提心というと、左訓をふって解説していらっしゃいます。
次に願作仏の心のもう一つの側面、度衆生の心については

よろづの有情(うじょう)を仏になさんとおもふこころなりとしるべし      (同頁)

と、すべての生きとし生けるものを仏にしたいと願う心であると、左訓で紹介されています。自らが仏になりたいと願う心は、他の存在を救いたいと願う心でもあると教えておられるのです。つまり、阿弥陀さまよりたまわる大菩提心は、私たちが仏になりたいと願う心(願作仏心)であり、すべてのいのちを救いたいと願う心(度衆生心)でもあるということなのです。

いのちのつながりに目覚める智慧

こうしたことを踏まえて、再度今月のご法語、

信心の智慧にいりてこそ
仏恩報ずる身とはなれ

をいただいてみましょう。
親鸞聖人は、阿弥陀さまやお釈迦さまの慈悲心によって、大菩提心である願作仏心をたまわった人間は、すべての生きとし生けるものを仏にしたいと願う信心の智慧を同時にたまわるのだから、本当に仏の恩に報いる生き方がどのようなものかを知ることができる、とおっしゃりたかったのでしょう。別の表現をすれば、これまで救いのうちにありながらも、そのことに気付かなかった私たちが、あらためて救われることが決まっている尊い存在としての自覚を持ち、すべての生きとし生けるものとともに生きている事実に目覚める智慧をいただく身となるならば、これまで恩に報いることを考えなかった存在が、恩に報いる生き方を考えるようになるということでもあります。
ここで説かれる智慧の内容を、先はどの『スッタニパータ』の言葉と照らし合わせて考えてみたいと思います。お釈迦さまは「一切の生きとし生けるものは幸せであれ」と、自らとともに生きているさまざまないのちのつながりに目覚め、その幸せを願うようになることが仏法に目覚めた智慧あるものの願いだ、と説かれていました。つまり、智慧を得るとは、他のすべての生命に共感する力を得るということだといえるでしょう。他のすべての生命へ共感する力は、他のすべてのいのちの悲しみへの想像力を前提とします。悲しみへの想像力は、自分だけがよい思いをしていればよいといった欲望を満たすことばかり考えている生き方からは生まれてはきません。仏法に出遇えば、自己中心的な自分から生まれてくるはずがない、他のすべてのいのちの悲しみへの想像力が生まれてくる経験をするというのです。
これを親鸞聖人のお言葉で考えるならば、そもそも自分にはないはずの智慧にもとづいた慈悲心が、阿弥陀さまからあたえられてそなわる経験、回向された信心の智慧だといいかえることができるでしょう。だから、救われているという自覚が仏の恩を知ることにつながりますから、「仏恩報ずる身」としてその恩に報いていく生き方がはじまるということなのです。
先に紹介した祖父江文宏師の活動は、まさに「信心の智慧」をいただくことで「仏恩報ずる身」となられた結果だったといただくことができます。最後に、暴力と長年向き合ってこられた祖父江師の言葉を、ご紹介させていただきます。

人が暴力に頼るのは、人間関係の持ち方の良し悪しではなく、人間関係を求めざるを得ない人間の存在自体に、理知でしか生きられないという、暴力を生む芽があるのです。芽が暴力という表現に育ってしまうかどうかは、その人が育ってきた道筋、環境、現在の人間関係等が複合的に絡み合ってのことです。ことはいつも、人でない特別な人が起こすのではなく、私もまた、起こすかもしれないものであるということなのでしょう。(中略)だからこそ弱者に身を添わす、傷ついた者の支援者になるということです。
(『悲しみに身を添わせて』 一〇六頁)

自分の都合に左右されがちな私たちですが、この祖父江師の弱者の立場に立ち続けようとする姿勢に学ぶべき部分が少なからずあるのではないでしょうか。そのことが、私自身が「信心の智慧」をいただき、「仏恩報ずる身」となることの入口の一つに立つことのように感じられるのです。

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2017年10月 ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏をとなうべし

末法という時代IMG_20170929_0014
九月から十二月の法語は、『正像末和讃』からのお言葉です。「今の世の中は末法だ」とか「世も末だ」といった言葉を耳にすることがありますが、こうした表現の下地となった末法という時代の捉え方を背景にお書きになられたご和讃です。ですので、時代背景なども考慮しながら味わわせていただくためにも、この「正像未」という言葉について、ご紹介させていただきます。
仏教における歴史の見方に、時代を正法・像法・末法の三つに分ける三時思想というものがあります。お釈迦さまが亡くなられて五百年間は、お釈迦さまの説かれた正しい教え(教)と正しい行い(行)があることで、さとりにいたる人があらわれる(証)ことから、正法の時代とされます。その後の千年間は、正しい教え(教)と正しい行い(行)はあるけれども、さとりにいたる人があらわれてこない像法の時代と考えられていました。正法の時代と像法の時代を合計した千五百年が過ぎた後は、正しい教えはあるがそれを理解できる人がいなくなり、行も証もすたれてしまうと考えられ、末法の時代が一万年続くと考えられていました。このように、お釈迦さまが亡くなられてから時代が過ぎるとともに仏教が衰微していく状況を、正・像・末の三時代に分けて考えていたのです。
親鸞聖人が幼年期から青年期を過ごされた時代は、貴族がみやびやかに政治を行っていた平安の世から、源頼朝などの武士が台頭してきて戦乱にあけくれる世の中へと、歴史状況が大きく変化していった時代です。

祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声、諸行無常(しょぎょうむじょう)の響あり。娑羅双樹(しゃらそうじゅ)の花の色、盛者必衰(じょうしゃひっすい)のことわりをあらはす。奢(おご)れる人も久しからず、唯(ただ)春の夜の夢のごとし。たけき者も遂(つい)にはほろびぬ、偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)に同じ。
『平家物語』巻第一 「祇園精舎」、岩波文庫一四頁)

これは、たいへん有名な『平家物語』の一節です。武家政権として、一時は平時忠が「平家にあらずんば人にあらず」というほどに圧倒的な勢力を誇っていた平家一門ですが、時の流れの中で「奢れる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし」といわれるほどの末路をたどり、空しくも滅亡していったのです。こうした『平家物語』で描かれる世の中のほかなさや空しさを、多くの人たちが実感をもって受けとめていた時代だったことがわかります。現実社会で栄枯盛衰する出来事と仏教での末法という時代認識とがぴったりと重なり、僧侶だけではなく、広く一般の人々までもが、「すでに末法に入っているから、さとりをひらいて救ってくれる存在はいないのだ」といった意識を持ち、末法という仏教的な時代認識がひろく共有されていたと考えられています。
正像末という時代の変わり目についての計算方法については、千五百年説、二千年説などいくつか立場があるのですが、親鸞聖人は末法に入った時期について、

正法・像法・末法の三つの時代が説かれた教えについて考えると、釈尊の入滅された年代は、周の第五代穆王の五十三年にあたっている。その年からわが国の元仁元年に至るまで二千百七十三年を経ている。また『賢劫経』『仁王経』『涅槃経』などの説によると、すでに末法の時代に入ってから六百七十三年を経ているのである。 (『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』五三七~五三八頁)

と述べられており、紀元前九四九年をお釈迦さまが亡くなられた年として計算されたうえで、正法五百年、像法千年の説を主に使用されていたようです。この『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)で年代計算の基準として書がれている元仁元年が西暦コーニ四年ですから、お釈迦さまが亡くなられてから二千百七十三年たち、すでに末法の世に入ってから六百七十三年たっていると書かれていますので、親鸞聖人は西暦五五二年に末法の世に入ったと考えていらっしゃったことがわかります。
こうした出口が見つからないほどの混迷を極めた時代だといった実感とともに、ひろく一般の人々にも末法思想が共有されていた時代状況の中で、親鸞聖人は末法の時代に最もふさわしい教えとして浄土真宗をお説きくださったのです。その中で、とくに末法の世における仏教者のあり方をお示しくださっているのが『正像末和讃』です。
唯一の救われる道
今月のご法語は、『正像末和讃』第五十四番目の、

弥陀大悲(みだだいひ)の誓願(せいがん)を
ふかく信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく
南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)をとなふべし (『註釈版聖典』六〇九頁)

から引用されています。現代語訳では、

阿弥陀仏の大いなる慈悲の本願を深く信じる人は、みなともに寝ても覚めても変りなく南無阿弥陀仏の名号を称えるがよい。 (『三帖和讃(現代語版)』 一六〇頁)

とされています。
親鸞聖人ご自身も、末法の時代だと肌身をもって実感しておられたことでしょう。『正像末和讃』の「悲嘆述懐讃」では、

五濁増(ごじょくそう)のしるしには
この世の道俗(どうぞく)ことごとく
外儀(げぎ)は仏教のすがたにて
内心外道を帰敬せり (『註釈版聖典』六一八頁)

(さまざまな濁りに満ちた時代の中で、この世の出家のものも在家のものもみな、仏教を信じるものであるかのように振る舞いながら、内にはそれ以外の教えを敬い信じている。『三帖和讃(現代語版)』 一八五頁)

と、現実での宗教状況を悲しまれています。ここで聖人は、人間のエゴイスティック(自己中心的)な煩悩を反省する宗教としての仏教がすたれてしまい、煩悩がドンドンと肥大化していると述べられています。そしてこのような時代にあっては、飢饉や戦争などが増大する時代の汚れや、邪悪な思想がはびこるなどの思想の乱れが進み、人間の資質が低下し、悪を思うままに行うようになるといった五濁がますます増えている「しるし」があると説かれています。その「しるし」とは、僧侶も一般の人も誰しもが、仏像を拝んだりして一見すると仏教を信奉しているようだけれども、その信奉している中身はまったくエゴイズムを反省する仏教的なものではなく、内心にあるエゴイズムの満足ばかりを〈仏のような神〉に祈る外道に帰敬している姿のことだ、と説かれているのです。
うした当時の社会において、仏教が正当に理解されていない事実に対する親鸞聖人の悲しみが、同じ「悲嘆述懐讃」の中で、

かなしきかなやこのごろの
和国の道俗みなともに
仏教の威儀(いぎ)をもととして
天地の鬼神(きじん)を尊敬(そんきょう)す (『註釈版聖典』六一八頁)

(何と悲しいことであろう。近頃の日本の出家のものや在家のものは、みな仏教を信じるものであるかのように振る舞いながら、天地の鬼神を尊び敬っている。『三帖和讃(現代語版)』 一八七頁)

と示されているのです。
ひたすら仏教者としての正しい生き方を求めて生きておられた聖人を、何度も何度も、時の権力者などとも強いつながりのあった既成仏教教団の偉い僧侶たちが中心となって、弾圧をしてくるのです。その理由は、親鸞聖人が、

仏に帰依せば、つひにまたその余のもろもろの天神に帰依せざれ
(『教行信証』『註釈版聖典』四二九頁)

(仏に帰依するなら、決してその他のさまざまな天の神々に帰依してはならない『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』五六二頁)

と、神を拝むことに疑問をもたない生き方と仏の願いに生かされる生き方との違いを明確に意識しておられ、仏教に帰依したあかしとして、神を拝まない生き方が始まることを生活の中で実践されていたからです。親鸞聖人にとっての末法という時代認識は、多くの人たちに「仏教が仏教として理解されていない」といった、ご自身が生きておられる生身の人生の中で実感されていたものであったと考えることができます。
こうした仏教が正当に理解されていない時代状況の中で、「真の仏弟子」としての歩みを止められなかった理由を、親鸞聖人は「弥陀大悲の誓願が回向されて、私白身に信としていたりとどいているからだ」と考えていらっしゃったのでしょう。人間自身の力では到底さとりになどいたることのできない「末法の世」でありながらも、それでも人間が真実に向かって生きていく道標として「弥陀の誓願」が説かれ、名号として回向されることで、末法における唯一の救いの道として浄土真宗の教えがある、と考えておられたのだとうかがえます。
ですから今回のご法語で説かれるように、「弥陀の誓願」として経典に説かれた仏の願いが、人間にとっての真実の道を示すものである、ということに目覚めさせていただいた人間は、寝ても覚めてもいつでも、そのことに気付かせてくださった阿弥陀さまの喚び声に耳を傾け続け、聞きつづけなければならないと、ご教示くださっていらっしやるのでしょう。ここに、親鸞聖人にとっての、弥陀の誓願に救われたことへの報恩行としての称名念仏の意味を、学ばせていただくことができるように感じます。

自灯明 法灯明

『長阿含経』の「遊行経」には、お釈迦さまが涅槃にいたるまでの様子が描かれています。八十歳になられたお釈迦さまは、弟子の阿難尊者を伴って旅を続けられる途中、病気にかかり自らの死が近いことを自覚されます。阿難尊者をはじめ多くのお弟子さまたちにとって、お釈迦さまこそが人生の灯火であり、依りどころとなっていました。そのお釈迦さまが亡くなったら、自分たちは何を頼りにして生きていけばいいのかと戸惑っているさなか、お釈迦さまは最後の教えとしてこの言葉を説かれます。

弟子だちよ、おまえたちは、おのおの、自らを灯火とし、自らをよりどころとせよ、他を頼りとしてはならない。この法を灯火とし、よりどころとせよ、他の教えをよりどころとしてはならない。 (仏教伝道協会編『和文仏教聖典』 一〇頁)

私たちは、何か絶対的に頼りにできるものがあればそこによりかかり、自分で物事の判断をすることなく生きてしまいがちです。しかし、お釈迦さまは「自らをよりどころとせよ、他を頼りとしてはならない」と説かれます。これは決して自分勝手に生きよということではありません。自らに届いた「法を灯火とし、よりどころとせよ」と説かれているのです。常にエゴイスティックな自分を反省し、真実の道を示す灯火として仏法を自らの生き方の中心において生きていきなさい、という教えなのでしょう。
まさに親鸞聖人にとってのお念仏も、この「法を灯火とし、よりどころ」とする生き方を、称名念仏として自らの口を通して出遇わせていただく弥陀の誓願に耳を傾けることで、自らの生き方全体を阿弥陀さまのはたらきの中にゆだねる行為として、考えていらっしゃったように感じられるのです。
末法の世に生きる私たちは、唯一、寝ても覚めても称える名号を、「一人で生きているのではない。すべてのいのちのつながりの中で生きていることを忘れるな」という阿弥陀さまの喚び声と聞かせ続けていただくことで、真実の道を歩むことができます。そこに、親鸞聖人が浄土真宗をお説きくださった尊さをひしひしと感じます。
(宇治和貴)

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2017年9月 願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず

大いなるみ手にIMG_20170831_0001

皆さんは、自分の人生を支えてくれる大きな世界に出遇っていますか。どんなに反抗しても、どんなに逃げても、どんなに罪深くても、私かどのような状態であろうとも、大きな心で包み込み、支えてくださる世界があるのです。

いだかれて ありとも知らず おろかにも われ反抗す 大いなるみ手に
(『無憂樹(あそか)』八五頁)

これは、九條武子さまの詠まれた歌です。九條武子さまは、明治二十年、西本願寺第二十一代宗主明如上人の次女としてお生まれになりました。兄は、大谷探検隊を率い、中央アジアの考古学的調査に貢献した大谷光瑞師です。明治三十七年(武子さま十七歳)、義姉の壽子お裏方(光瑞師夫人)とともに、仏教婦人会を設立されました。明治四十四年(武子さま二十四歳)、善子お裏方が亡くなられると仏教婦人会の中心となり、全国を巡回し伝道されました。そして、大正九年(武子さま三十三歳)、亡き壽子お裏方とともに計画された、仏教精神を根底とする京都女子高等専門学校(京都女子大学の前身)を設立されました。また、歌人としても有名な方で、先に紹介した歌が収められている『無憂華』をはじめ、『金鈴』『薫染』などの歌集が出版されています。
私が、この歌を聞いてすぐに思い出したのは、孫悟空のエピソードです。孫悟空は、お釈迦さまに自分の力を見せつけようと、肋斗雲に乗って、天の果てまで飛んでいきます。しばらくすると、前に五本の柱が立っていました。これが天の果ての印に違いないど思った孫悟空は、その柱にここまで来たことを証明する文字を残して、お釈迦さまの所まで戻っていきます。そして、天の果てまで行って来て、その証拠に文字を残してきたことを自慢げに話すのですが、実は、その五本の柱は、お釈迦さまの指だったというものです。いかに反抗し、好き勝手に飛び回ったと思っていても、所詮はお釈迦さまのみ手の中に過ぎなかったというのです。
私たちは、阿弥陀さまの真実のはたらきの中に包まれ生かされているにも関わらず、それに気づかず、真実に逆らう生き方しかできていないのです。常に自己中心の心から離れられず、「自分が、自分が」という小さな世界を創り出し、その中で、他人を傷つけ、自分も傷ついて生きているのです。それを迷いといいます。阿弥陀さまは、そんな私たちを見捨てず救わずにはおかないと、常にはたらきかけてくださっています。このような、私たちを包み支えてくれている大きな世界があるのです。その大きな世界に出遇わせていただくことが大切なのです。

晩年の信境をうかがう

さて、九月の法語は、『正像末和讃』の中の一つ、

願力無窮(がんりきむぐう)にましませば
罪業深重(ざいごうじんじゅう)もおもからず
仏智無辺(ぶっちむへん)にましませば
散乱放逸(さんらんほういつ)もすてられず              (『註釈版聖典』六〇六頁)

の前半部分です。現代語に訳してみると、

阿弥陀仏の本願のはたらきはきわまりないので、深く重い罪が重すぎて、救われないということはない。阿弥陀仏の智慧のはたらきは広大無辺であるから、散り乱れた心で勝手気ままな行いをするものであっても見捨てられることはない。

となります。
『正像末和讃』は、その成立が親鸞聖人八十五歳以降とみられ、晩年の信境の深まりがうかがえる和讃です。この和讃は、正覚法印の『唯信鈔』の、

仏力蜘窮(ぶちりきむぐ)なり、罪業深重のみをおもしとせず。仏智無辺なり、散乱放逸のものおもすつることなし。ただ信心を要とす。そのほかおばかりへりみざるなり。 (『真宗聖教全集』第二巻<宗祖部>七五〇項

によって、作られたものです。

願力無窮 仏智無辺

和慶を昧わってみましょう。まず、前半の「願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず」について、「願力」とは本願力。つまり、阿弥陀さまがすべての人を必ず救うと願いはたらいてくださっている、。そのはたらきのことです。それが「無窮」、つまり、極まり(窮まり)が無いので、『罪業深重もおもからず』、深く重い罪が重すぎて、救われないということはないというのです。阿弥陀さまのはたらきにくらべたら、私の罪など全然重くない。どんな重い罪であっても、阿弥陀さまのはたらきは、それを上回り、救いとってくださるのです。
そして、後半の「仏智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず」の「仏智」とは、阿弥陀さまの智慧のはたらきのこと、「無辺」とは、無辺際(際、辺が無い)、限定が無い(無限)という意味です。つまり、阿弥陀さまの智慧のはたらきは広大無辺で、あらゆる所に行き渡るというのです。また、「無辺」には、辺見(偏見)が無いという意味もあります。偏った見方をせず、ありのままに見るという智慧の内容を表しています。それは分け隔てをしないということにつながります。
どんな人間であろうと、分け隔てなく平等に救ってくださるのです。阿弥陀さまの智慧は、大悲の智慧ともいわれるように、必ず慈悲としてはたらきます。智慧のはたらきは、そのまま慈悲のはたらきでもあります。智慧とは、ありのままにものを見る力です。阿弥陀さまは智慧の眼で私たちを見てくださいますから、善悪・賢愚などの分け隔てをされません。それを仏智無辺といわれているのです。

「散乱放逸」とは、散り乱れた心で勝手気ままな行いをすることですが、親鸞聖人は、「散乱放逸」の左側に小さい字で註釈を加えてくださっています。それを左訓と呼んでいます。それによると、

散り乱る、ほしきまゝのこゝろといふ
(「文明本」『浄土真宗聖典全書』第二巻〈宗祖篇上〉四八七頁・原片仮名)

とあります。つまり、散り乱れ、勝手きままな心のことです。また、別の写本の左訓には、

我らがこゝろの散り乱れて悪きを嫌はず、浄土に参るべしと知るべしとなり
(「国宝本」同頁・原片仮名)

とあります。散り乱れた悪い私の心を嫌わず、浄土に参らせていただけるというのです。これが「散乱放逸もすてられず」の意味です。
「散乱放逸」という言葉を聞いて、お釈迦さまに反抗し、好き勝手飛び回っている孫悟空のことが思い浮かびました。そして、その孫悟空も結局はお釈迦さまの手の中から抜け出すことはできなかったのです。そのことが孫悟空のことではなく真実に背き、自己中心の心に振り回されて、自分勝手に生きているこの私か、阿弥陀さまのみ手の中に包まれ支えられていることと、重なったのです。

仏さまを悲しませない生き方

この和讃では、「願力無窮」と「仏智無辺」が阿弥陀さまのはたらきを表し、「罪業深重」と「散乱放逸」が私の悲しいあり方を表しています。そして、その悲しいあり方をしている私か、阿弥陀さまのはたらきによって救われていくのです。
「罪悪深重もおもからず」「散乱放逸もすてられず」のお言葉は、罪悪深重でいい、散乱放逸でいい、といっているのではありません。でもそれが、偽らざる私の現実の姿なのです。いや、そのことにさえ気付いていない私かいるのです。そんな私か「願力無窮」「仏智無辺」に出遇った時、「罪悪深重」「散乱放逸」の私が見えてくるのです。そして、そんな私のあり方を問題とすることなく包み込んでくださる大悲の心に出遇った時、少しでも仏さまを悲しませない生き方をしようという思いも出てくるのです。それは、ちょうど親の愛情に触れた時、自分が親不孝者であることが知らされると同時に、少しでも親に迷惑をかけない生き方をしようと思うのに似ています。仏(親)さまを悲しませない生き方をするのは簡単ではありませんが、その思いが私を少しずつ正しい方向に導き、お育てくださるのです。
私たちの人生を支えてくれる大きな世界。普段はそんなことを考えることもなく、自分勝手に生きています。そして、知らぬ間に多くの人を傷つけ、多くの罪を犯しています。その罪の重さはとても重い(罪悪深重)。しかし、阿弥陀さまの本願のはたらきは極まりなく(願力無窮)、私の犯しか罪の重さもものともせず、救いとってくださいます。阿弥陀さまの智慧のはたらきは広大無辺であり(仏智無辺)、散り乱れた心でどこに向かっていようとも(散乱放逸)、決して見捨てず救い取ってくださいます(正しい方向に導いてくださいます)。私かどんな状態にあろうとも、阿弥陀さまの手の中にあるのです。そんな世界に出遇った時、安心して生きぬくことができるのです。
最後に、この和讃と同じように、悲しいあり方をしているこの私か、阿弥陀さまのはたらきに包まれて生かされている安心を詠んだ歌を紹介しましょう。この和讃の直前にある、次の和讃です。

無明長夜(むみょうじょうや)の灯矩(とうこ)なり
智眼(ちげん)くらしとかなしむな
生死大海(しょうじだいかい)の船筏(せんばつ)なり
罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ      (『正像末和讃』『註釈版聖典』六〇六頁)

訳してみると、

阿弥陀仏の本願は、煩悩に振り回され、真実が見えず迷っている私たちの、暗く長い闇を照らす大きな灯火である。智慧の眼が暗く閉ざされているといって、悲しむことはない。阿弥陀仏の本願は、迷いの大海を渡す乗物(船筏)である。罪の障りが重いといって嘆くことはない。

となります。ともに味わわせていただきたい和讃です。
(小池秀章)

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2017年8月 金剛心は菩提心 この心すなわち 他力なり

「さとりタイ」は煩悩?

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中学生や高校生に煩悩についての話をする時、僧侶であり教育者でもある東井義雄さんの「バカにはなるまい」という文章を、よく紹介していました。

皆さんの人生はこれから始まるわけですが、これから始まる人生をどんな人生にしあげていくか。ところが、ちょうど皆さんの時にはね、いろんな欲望や衝動かこみあげてくる。だから、バカにならんようにしようと思ったらな、あんたらのまわりには、こんなのがいっぱい泳いどる。へたくそな鯛の絵を黒板に三匹かきました。
私はなんでもへたくそで、絵は特にへたくそで、鰯に見えるか、めだかに見えるかしらんけどな、これ鯛のつもりじゃ。鯛にはどんな種類があるか知っているか。一番こちらの鯛は何という鯛かというと、「もうちょっと寝とりタイ」という鯛。その次の鯛は何という鯛か、「もうちょっとテレビが見タイ」という鯛。その次の鯛は「もうちょっと漫画が読みタイ」という鯛。近頃、日本も豊かになって、鯛が異常繁殖して、その上お父さんお母さんがたが、皆さんをかわいがるつもりで、一生懸命に鯛の餌やりしてくださるので、知らんまに鯛が大きくなって、かんじんの主人公を食べてしまいよる。(中略)
皆さんも、いろんな「タイ」を持っていると思いますが、どうか「たい」の奴隷にならんようにして下さいね。
東井義雄著「バカにはなるまい」三一圭二二頁)

このような文章です。そして、「このような『○○タイ』という心を煩悩といいます。この煩悩によって、私たちは苦しんだり、悩んだりしています。ですから、仏教では、煩悩を滅して安らかなさとりの境地に至ることを目指すのです」というような説明をしていました。すると、
「先生、では、『さとりタイ』という心も煩悩ではないんですか?」と質問してくる生徒が、時々いました。なかなか鋭い質問です。
みなさんは、どう思いますか。「さとりタイ」という心は、煩悩でしょうか。もし、私が「さとりタイ」と思ったとしたら、それは多分、煩悩だと思います。なぜなら、「さとりタイ」と思うその理由は、「さとったら苦しみ悩みがなくなって、楽な人生を送れそうだから」とか、「さとったら偉くなって、皆から尊敬されるから」とか、結局は私の欲望を満たそうという思いでしかないからです。

「さとりタイ」は菩提心

仏教でいう「さとり」とは、真実に目覚めることです。ただ、真実に目覚めた人は、自分が真実に目覚め苦しみ悩みがなくなったら、それで終わりではなく、周りで苦しみ悩んでいる人を見て、真実に目覚めさせようとします。自分だけがさとって、周りの人が苦しんでいても白分には関係ない、というのはさとりではありません。自らがさとること(自利)と、他をさとらせること(利他)の両方が完成して、初めてさとりというのです。つまり、さとりとは自利利他の完成のことです。
いざとなれば、自分のことしか考えない私。そんな自己中心の心から離れられない私に、このようなさとりを求めたいという心が起こるでしょうか。
仏教では、「さとりタイ」という心、さとりを求める心を、「菩提心」といいます。仏道修行を始めるにあたって、この菩提心を起こすことは必要不可欠なことであり、出発点でもあります。菩提心なくして修行は成り立ちません。これが伝統的な仏教の考え方です。

自力と他力

ところが、親鸞聖人の師である法然聖人は、この菩提心やさまざまな修行を捨て、念仏一つを選び取られました。善人も悪人も、出家者も在家者も、男も女も、すべての大が平等に念仏一つで救われる、と説かれたのです。その根拠は、阿弥陀さまのご本願の中に「すべての人を、お念仏一つで必ず救う」と誓われているから、というものでした。
それに対して、奈良や比叡山の伝統仏教教団から、批判が起こりました。その代表的な人が栂尾の明恵上人(高弁)です。明恵上人は「摧邪輪」を著し、法然聖人が菩提心を捨てたことを徹底的に批判しました。伝統的な仏教の枠組みからいえば当然の主張でしたが、それは、法然聖人の教えが理解してもらえないことからでてくる批判でした。
これらの批判に対して、法然聖人の弟子であった親鸞聖人は応えていかれるのです。それが「教行信証」「菩提心釈」(「註釈版聖典」二四六~二四九頁)です。詳しく説明すると煩雑になりますので、要点のみを述べます。
親鸞聖人は、菩提心に「自力の菩提心」と「他力の菩提心」があるといわれています。そして、法然聖人が捨てられたのは自力の菩提心であり、煩悩具足の凡夫である私には、そのような菩提心を起こすことは不可能だというのです。「正像末和讃』に、

自力聖道の菩提心
こころもことぱもおよぱれず
常没流転の几愚は
いかでか発起せしむべき  (「註釈版聖典」六〇三項)

(自力聖道門の菩提心は、思いはかることも言葉に表すこともできない。常に迷いの海に沈み、迷いの世界をさまよっている愚かな凡夫は、どうして菩提心を起こすことができるであろうか。)

とあるのが、その意味です。
では、他力の菩提心とは何かというと、信心であるというのです。ここでいう信心とは、私が信じる心ではなく、阿弥陀さまの救いのはたらいを疑いなく受け容れた心(状態)のことです。阿弥陀さまから与えられた信心だということで、他力回向の信心といいます。つまり、他力の菩提心は、私か起こす心ではなく、阿弥陀さまから与えられた心なのです。その他力の菩提心(信心)が私を揺さぶり、さとりを求める私へと、少しずつお育てくださる力です。
また、他力回向の信心(他力の菩提心)は、願作仏心(仏に成ることを願う心・自利)であり、度衆生心(衆生を救済しようとする心・利他)である、といわれています。「高僧和讃」「天親讃」に、

願作仏の心はこれ
度衆生のこころなり
度衆生の心はこれ
利他真実の信心なり               (『註釈版聖典』五八一頁)

仏に成ることを願う心〈願作仏心〉は、衆生を救済しようとする心〈度衆生心〉である。衆生を救済しようとする心〈度衆生心〉は、阿弥陀さまから与えられた真実の信心〈他力回向の信心〉である。)

とあるのがそれです。
天親菩薩と曇鸞大師

さて、八月の法語は、「高僧和讃」「天親讃」の中の一つ、

信心すなはち一心なり
一心すなはち金剛心
金剛心は菩提心
この心すなはち他力なり             (『註釈版聖典』五八一頁)

の後半部分です。現代語に訳してみると、

真実の信心は、すなわち一心である。一心は、すなわち金剛心(決して壊れることのない心)である。金剛心は、菩提心(さとりを求める心)である。この心は、すなわち他力(阿弥陀仏のはたらき)である。

となります。

『高僧和讃』は、七高僧の教えを、その事跡や著作をもとに、和語で讃嘆されたものです。この和讃は、天親菩薩の著作「浄土論」の、

世尊我一心 帰命尽十方 無擬光如来 願生安楽国
(「尊号真像銘文」引文、「註釈版聖典」六五一頁)

(世尊、われ一心に尽十方無磯光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず。「註釈版聖典(七祖篇)』二九頁)

というご文や、「浄土論」の註釈書である曇鸞大師の『往生論註』の、

この無上菩提心とは、すなはちこれ願作仏心なり。願作仏心とは、すなはちこれ度衆生心なり。度衆生心とは、すなはち衆生を摂取して有仏の国土に生ぜしむる心なり。このゆゑにかの安楽浄土に生ぜんと願ずるものは、かならず無上菩提心を発すなり。       (「註釈版聖典(七祖篇)」 一四四頁)

によって、作られたものです。
堅固不動な他力の心

和讃を昧わってみましょう。まず、「信心すなはち一心なり」の「信心」とは、親鸞聖人の明らかにしてくださった信心、真実の信心のことです。この信心は、私か信じる心ではなく、阿弥陀さまの救いのはたらきを疑いなく受け容れた心(状態)のことで、本願力回向の信心(他力回向の信心)ともいいます。この真実の信心が「一心」であるというのです。この「一心」とは、天親菩薩が「浄土論」のはじめに、

世尊(釈尊)よ、私(天親)は一心に、尽十方無磯光如来(阿弥陀如来)に帰命したてまつりて、安楽国(浄土)に生まれることを願います。

と、自らの信心を表明したところに出てくる「一心」のことで、その内容が「帰命尽十方無磯光如来」なのです。尽十方無擬光如来とは、智慧の光をもって十方世界を照らし、さわりなく衆生を救う如来さまということで、阿弥陀さまのことです。私の煩悩もさわりとせず救ってくださる阿弥陀さまに、お任せする(帰命する)。
それが一心であり、信心なのです。この一心は、私か作り上げた心ではなく、阿弥陀さまの心です。阿弥陀さまの無磯の救いのはたらきが届いたところを一心と呼んでいるのです。一心が私の心なら、ふらふらして散り乱れ壊れてしまいますが、阿弥陀さまの心なので、決して壊れたりゆらいだりすることはありません。
よって、「一心すなわち金剛心」と、「一心」は決して壊れることのない心、金剛心であるというのです。「金剛心」という言葉は、『浄土論』にも、その註釈書である曇鸞大師の『往生論註』にも出てきません。この言葉は、善導大師『観経疏』「玄義分」の冒頭にある「帰三宝偶」(「註釈版聖典(七祖篇)」二九八頁)に出てきますが、決して壊れることのない堅固不動な心のことをいいます。
続いて、「金剛心は菩提心」とあるように、金剛心は、さとりを求める心、菩提心であるというのです。
そして、最後に「この心すなはち他力なり」と結びます。信心といい、一心といい、金剛心といい、菩提心といった心は、すなわち他力(阿弥陀さまのはたらき)であると結論づけているのです。信心も一心も金剛心も菩提心も、私の心ではなく、阿弥陀さまの心なのです。阿弥陀さまのはたらきが届いた姿なのです。ここに親鸞聖人の深い思いがうかがえます。
(小池秀章)

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2017年7月 功徳の宝海 みちみちて 煩悩の濁水 へだてなし

生老病死の解決IMG_20170704_0013_NEW
ある先生から、「『人生が空しい』という人がいますが、それは、人生が空しいのではなく、空しい人生観しか持っていないだけなのです」というお話を聞かせていただいた時、深く考えさせられた記憶があります。私たちは、空しくない人生、真に充実した人生が送れることを望んで生きています。しかし、そのような人生を送れている人が、どれだけいるでしょうか。
お釈迦さまは、王子という身分に生まれ、何不自由ないめぐまれた環境にいながら、何か満たされない空しい人生を送られていました。その根本的な原因は、老・病・死に対する不安にありました。人はどんなにめぐまれた生活をしていても、生まれたからには、必ず老い、病み、死んでいきます。これらの苦しみは、後に四苦として説かれますが、四苦とは、生苦(生まれる苦しみ)、老苦(老いる苦しみ)、病苦(病の苦しみ)、死苦(死ぬ苦しみ)の、四つの苦しみのことです。お釈迦さまは、この四苦を解決しない限り本当の幸せはないという思いから、出家されたといわれています。
皆さんは、老い、病み、死んでいくことは、いやですか。もし、老い、病み、死んでいくことが不幸なことだとしたら、「オギャー」と生まれた瞬間が、一番若く、健康で、死から遠いので、一番幸せだということになります。そして年をとり、病んでいくにしたがって、どんどん、どんどん、不幸になって、最後には死んでいかなければならないので、ものすごく不幸になって人生を終わることになります。そんな人生、いやではないですか。
お釈迦さまは、四苦の解決を求めて二十九歳で出家し、三十五歳でさとりを開き、四苦を解決されたのです。四苦を解決されたからといって、老いなかったり、病気にならなかったり、死ななかったりするのではありません。お釈迦さまも、老い、病み、死んでいかれました。しかし、老い、病み、死んでいくことが不幸なことではない、という人生観を体得されたのです。老いるということは、肉体的には衰えていきますが、精神的には、新しい世界が開けてくることでもあります。若い時見えなかった世界が、老いて見えてくるということもあるでしょう。病についても、肉体的な苦しみは避けられませんが、病になったおかげて周りの人の温かさにふれ、幸せになることもあるでしょう。死も決して駄目になることではなく、大きないのちに還っていくことだと受け取れれば、決して不幸になることではないのです。このように、老・病・死は決して駄目になること、不幸なことではなく、大きな意味のあることなのです。
さとりの世界
『仏説阿弥陀経』に、さとりの境地である極楽浄土は、どのような世界なのかということが述べられています。それによると、

お浄土には、綺麗な池があって、その底には金の砂が敷き詰められている。そして、その池には、綺麗な蓮の花が咲いている。青色の蓮の花は青色の光を、黄色の蓮の花は黄色の光を、赤色の蓮の花は赤色の光を、白色の蓮の花は白色の光を放ち、よい香りを漂わせている。

とあります。これは、「私か私色に光り輝き、あなたがあなた色に光り輝く。それが本来あるべきあり方であり、さとりの世界だ」ということを表しています。それぞれの色の蓮の花がそれぞれに光っているというところを、漢文で表記すると、

青色青光(しょうしきしょうこう) 黄色黄光(おうしきおうこう) 赤色赤光(しゃくしきしゃっこう) 白色白光(びゃくしきびゃっこう)

となります。ある人が、この青黄赤白のところを生老病死の漢字と入れ替えて、

生色生光 老色老光 病色病光 死色死光

として味わわれました。生か生のまま光り輝き、老いが老いのまま光り輝き、病が病のまま光り輝き、死が死のまま光り輝く。それがさとりの境地であり、空しくない人生なのです。仏さまのみ教え(はたらき)が私に届いた時、そんな世界が開けてくるのです。
天親菩薩の『浄土論』
さて、七月の法語は、『高僧和讃』「天親讃」の中の一つ、

本願力(ほんがんりき)にあひぬれば
むなしくすぐるひとぞなき
功徳(くとく)の宝海(ほうかい)みちみちて
煩悩(ぼんのう)の濁水(じょくすい)へだてなし             (『註釈版聖典』五八〇頁)

の後半部分です。現代語に訳してみると、

本願のはたらきに出遇ったならば、空しく迷いの世界を過ごす人はいない。
名号にそなわったすぐれたはたらきが、海のように満ち満ちて、濁った煩悩の水も、分け隔てがない。

となります。
『高僧和讃』は、七高僧(龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師・道棹禅師・善導大師・源信和尚・法然聖人)の教えを、その事跡や著作をもとに、和語で讃嘆されたものです。この和讃は、天親菩薩の著作『浄土論』の、

観仏本願力 遇無空過者 能令速満足 功徳大宝海
(『尊号真像銘文』引文、『註釈版聖典』六五一頁)
(仏の本願力を観ずるに、遇ひて空しく過ぐるものなし。よくすみやかに功徳の大宝海を満足せしむ。『註釈版聖典(七祖篇)』三一頁)

によって、作られたものです。
本願力を信じる
和讃を昧わってみましょう。まず、前半の「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき」とは、阿弥陀さまがすべての人を必ず救うと願いはたらいてくださっている、そのはたらきに遇えば、空しい人生を過ごす人はいないということです。阿弥陀さまのはたらきは、南無阿弥陀仏のお念仏(名号)となって私たちに届きます。もっとわかりやすく言えば、教えの言葉となって届きます。そしてそれは、私の闇を照らしてくれる光となるのです。光によって闇は破られるように、私の人生の闇は、言葉によって破られます。そこに、空しくない人生が開けてくるのです。
親鸞聖人は、「遇」という文字について『尊号真像銘文』の中で、

「遇」はまうあふといふ。まうあふと申すは、本願力を信ずるなり。
(『註釈版聖典』六九一頁)

と解説してくださっています。「もうあう(まうあふ)」の「もう」は、「参る」の変化したもので、「もうあう」とは「尊いものにあう」という意味になります。また「遇」の字には、「たまたま」という意味があります。つまり、「本願力に遇う」とは、単に「本願力に会う」のではなく、「たまたま偶然あわせていただく」という意味であり、それはまた「本願力を信じる(疑いなく受け容れる)」ということを意味するのです。
次に、後半の「功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」についてです。親鸞聖人は、「功徳」という言葉について『一念多念文意』の中で、

「功徳」と申すは名号なり。            (『註釈版聖典』六九二頁)

と、「功徳」とは南無阿弥陀仏の名号である、と解説してくださっています。一般的に「功徳」とは、善い結果をもたらすもととなる善行(「功徳を積む」)、または、善行の結果として与えられる果報(「功徳がある」)の意味でとらえますが、基本的には、すぐれたはたらき(性質)という意味です。つまり、「功徳の宝海」とは、南無阿弥陀仏の名号のすぐれたはたらき(性質)が果てしなく広く大きいことを、海に喩えているのです。海は、どんなに汚れた川の水が流れ込んでも、それを同化して一味にします。それと同じように、南無阿弥陀仏の名号のはたらきが私に満ち満ちて、煩悩と同化して分け隔てがないというのです。
煩悩と分け隔てがないというということは、煩悩が往生の妨げにならないということを意味します。南無阿弥陀仏の名号のはたらきは、煩悩に妨げられることなく、私たちを浄土に往生させてくださるのです。
親鸞聖人は、このような阿弥陀さまの無磯の救いを、尽十方無傷光如来というみ名のうえで味わっておられます。尽十方無磯光如来とは阿弥陀さまの徳を表す名で、智慧の光をもって十方世界を照らし、さわりなく衆生を救う如来、という意味です。
浄土に向かう人生
『親鸞聖人御消息』では、

第十八の本願成就のゆゑに阿弥陀如来とならせたまひて、不可思議の利益きはまりましまさぬ御かたちを、天親菩薩は尽十方無磯光如来とあらはしたまへり。このゆゑに、よきあしき人をきらはず、煩悩のこころをえらばず、へだてずして、往生はかならずするなりとしるべしとなり。(『註釈版聖典』七四七頁)
(第十八願を成就したことにより阿弥陀仏となられ、思いはかることのできない利益が極まりないというそのお姿を、天親菩薩は尽十方無傷光如来と表されています。ですから、善人や悪人を区別することなく、煩悩に汚れた心を分け隔てすることなく、必ず往生すると知らなければなりません。)

と述べられています。
「煩悩に妨げられることなく浄土に往生させていただく」ということは、「煩悩だらけのこの私か、南無阿弥陀仏の名号のはたらきによって、今、ここで、浄土に向かう人生を歩ませていただく」ということなのです。浄土に往生させていただくのは、この世のいのちを終える時ですが、往生浄土の道を歩ませていただくのは「今、ここ」なのです。ある先生が、「名号は阿弥陀さまの智慧と慈悲の結晶である」といわれました。阿弥陀さまの智慧と慈悲のはたらきが、南無阿弥陀仏の名号として私に届き、煩悩に振り回されて生きている私を、正しい方向に導いてくださるのです。そして、空しい人生を空しくない人生へと転換してくださるのです。
親鸞聖人は、その状態を「功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし」と讃嘆されたのです。                               (小池秀章)

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2017年6月 弥陀の回向成就して 往相・還相 ふたつなり

手を合わすということtpo5月

浄土真宗では、朝夕にお仏壇の前に座って手を合わせ、ご法座やご法事の機会にお聴聞をするということが伝えられてきました。
ところが最近は、仏事をしたり、お寺へお参りしましょうということを、皆さん、特に若い世代の方々にお勧めすることが、難しくなってきました。
ご法事をお勤めすることの意味について考える時、このように思う方はいらっしゃらないでしょうか。
「死んだ人が化けて出てこないように、お経を読んでもらっておく」
このような思いでご法事に参加するのでは、非常に残念な気がします。なぜなら、この言い方には二つの失礼なところがあるからです。
まず一つは、亡くなった方に失礼なのではないでしょうか。故人となった方は人生の先輩であります。年齢が上ばりとは限りません。同世代や年下の場合もあります。これまで私たちが見送ってきた先人は、この娑婆世界を精一杯生き抜き、私たちよりも一足先にお浄土へ生まれていかれました。生前さまざまなことを教えてくださった先輩が、この娑婆世界で最後に見せて教えてくださったのが、いのちある者が死にゆく姿です。儚くももろい、だからこそかけがえのないいのちを生き抜いたお姿です。その先輩に対して、「出てくるな」ではずいぷんと失礼なのではないでしょうか。
そしてもう一つは、亡くなった方と縁のあった方に失礼なのではないかと思うのです。故人とのお付き合いの度合いは人それぞれです。挨拶を交わす程度の人もいたでしょう。ですが、その方と常に寄り添い、ともに生きた人もいます。その方の死をいまだに受け容れられず、もう一度会いたい、顔を見たい、声だけでも聞かせてほしい、どのような形でもよいからもう一度姿を見せてくれないかと、いくら涙を流しても忘れられない人もいるかもしれません。そのような遺族に対して、失礼な言い方になってしまうのではないでしょうか。
死が他人事であると、私たちは平気で人を傷つけるようなことを言ってしまうのかもしれません。
「浄土真宗」という言葉は、往生浄土、つまりこの私がお浄土に往き生まれていくことを問題としています。
葬儀の折りの挨拶などで、「故人が生前、たいへんお世話になりました」という言葉を聞くことがあります。これは存命中のこと、つまり亡くなる前のことを言っていますので、本来ならば「死前(死の前)」(そんな言葉はありませんが)というべきでしょうか。この生前という言葉は、亡くなった後に生まれていく世界があることを前提としています。最近は、天国やあの世という言い方のほうが思い浮かべやすいのでしょうか。お浄土ということが意識されないまま、それでも次に生まれていく世界について言及しているのです。
往生浄土とは、この私のいのちの行く末を問題としています。他人事ではありません。そのことを私に教えてくれる真実、(真)の教え(宗)を、親鸞聖人は浄土真宗といわれたのです。

浄土真宗という道

今月のことばは、親鸞聖人の『高僧和讃』の中、曇鸞大師のお示しについて述べられた一首です。浄土往生について、それが阿弥陀さまのはたらきである他力によって私たちに恵まれているのだということを、曇鸞大師の『往生論註』などのお言葉を通してお示しくださっています。
私たちは阿弥陀さまのはたらきによって、浄土に往生して仏さまになることができるのです。そして、迷いの世界に還って縁のある方々を救う活動をします。この往相(浄土に往く様子)と還相(浄土から還ってくる様子)とを、ともに阿弥陀さまから恵まれるのです。
阿弥陀さまからたまわることを本願力回向といいます。回向とは、回はめぐらす、向はさしむけることで、自分のおさめた善行の功徳を他にふりむけることをいいます。
身近なところで何か欲しいものがあるとします。たとえば新しい車が発売され、それを欲しいと思った時、ただ欲しいだけでは手に入りません。使うお金を節約し、一生懸命働いて得たお金を蓄えて、欲しいものと同じ価値(値段)にまで貯めることができたら、それをお店に持って行って車を得るためにふりむける、役立たせることで欲しいものが手に入ります。
他のご宗旨で厳しい修行をしたり、滝に打たれるなどの荒行をするのも、何も体を鍛えたり、水に強くなることが目的ではないでしょう。行によって身心に得られた鍛錬を、さとりを開くためにふりむけ役立たせる。それを自力回向といいます。
浄土真宗では、阿弥陀さまが本願力をもって、その功徳を私にふりむけることを回向といいます。阿弥陀さまが本願のはたらきとして、南無阿弥陀仏にその功徳のすべてを込めて私たち衆生にふりむけてくださっているのです。それを他力回向、本願力回向といいます。
町で回転寿司のお店をよく見かけます。私は、ここにいつも感慨深い思いをもつのです。ご存じの通り、回転寿司は職人さんが私たちのためにつくってくれたお寿司が店内を回転します。グルーッと
めぐって私たちの席にまでさしむけられますので、私たちはお寿司を取りに行く必要も、また難しい技術を身につけてお寿司を握る必要もありません。ただ私たちのもとに届けられたお寿司を受け取って、口に運ぶだけです。おいしいお寿司を味わいながら浄土真宗の他力回向に思いをめぐらしていると、回転寿司の看板ですら、「えてんずし」と読みたくなってしまいます。

還相のはたらきの中に

私たちが死の痛みを感じる、その大きな機会の一つに、大切な方を見送るということがあります。私たちはこれまで、たくさんの方々を見送ってきました。それは一つ一つの傷となって、私たちの心に刻み込まれています。
その痛みを通して、私たちはいのちを見つめることになるといえるでしょう。
ある研修会で、ご一緒した四十代の女性に教えられたことがあります。
仏教にふれる入門的な学びの機会でした。私か言葉の説明をしたり、味わいを申しあげたりするたびに、真剣に受講しておられるその女性の表情からは、何かつらいご経験をなさったであろうことが伝わってきました。
会が終わり、他の受講生の方が帰られた後、小さな声で聞いてこられました。
「亡くなった人は、お浄土でどのように過ごしているのでしょうか?」
お浄土では仏さまになって、穏やかに人々を導く活動をなさっていることが、お経に示されています。仏さまのはたらきをお手伝いしてくださっているということですから、現に私たちの周りにも、それを感じることができるのかもしれませんね。そのようなことをご一緒に味わわせていただきました。
その女性は、二年前、十五歳のお嬢さまを病気で亡くされたとのことでした。静かに、そして強く、お嬢さまのことを今も思い続けていらっしゃる様子に、見えなくとも感じることのできる世界があることを教えられました。
「死んだらおしまい」という言い方をよく聞きます。
今あるいのちの大切さを重く受けとめる必要はもちろんあります。生きていてこそ、健康であってこそ、思い通りに活動できてこそ、というのは誰もが求める大切なことです。
生きることの意義は、軽んじられるべきではありません。ですが、だからといって、死んだらおしまいなのでしょうか。本人にとっては死んだらどうにもできない、生きているうちにしておかなければならないことがたくさんある、というのはわかります。
でも、周りの方にとっては死で終わりではないのです。その人の死とかかわって生きていかなければなりません。他者の死によって心に傷をうけ、他者の死の後もそのいのちを思い続けるのです。
浄土とは、死を通していのちをみつめ、そこに向かって歩む生き方を考えることを教えてくれるのです。

仏に導かれていた私

四月の法語の中で申しあげた実父の十三回忌の法事で、施主であり父の後を継いで住職となっていた兄が、次のような挨拶をしました。
「日々の生活では父のことを思い出すことが少なくなりました。ほとんど思い出すことはないと言っていいくらいです」
弟の私は、そこまで言わなくてもいいのではないかと思いながら聞いていました。長男というのは父親とぶつかり合うものだと改めて感じながら、続きを聞きました。
「父のことを考えようとしない私や、それぞれの生活をそれぞれの場で過ごしている親戚、ご門徒のみなさまが、父の法事という機会に仏さまの前に座って、一同に手を合わす時間を過ごさせていただきました。仏さまとなった父に導かれて、自身のいのちの行く末を見つめる場に座っていました。念仏とともに今のいのちを精一杯生き抜き、お浄土へ生まれて来てくれよと、父が願っていてくれたのではないか、そのような仏さまの願いにふれさせていただく十三回忌の法事となりました」
死んだ人のために法事を勤めているのではなく、亡くなった方から導かれて、仏さまのはたらきによって願われて、手を合わす私になっていたのだということに気付かされました。
これまで、私たちはいろいろな思いをもちながら身近な方を見送ってきました。
何とかならないのか、何かしてやれることはないのか。この思いは見送った後も続きます。あれでよかったのだろうか、こんなこともしてあげたかった、など。
今度は、私たちが見送られる側になっていきます。その時、遺していかねばならない愛する者たちに、いろいろな思いをもつのでしょう。
ということは、これまで見送ってきた方々も、遺る私たちにいろいろな思いを持ちながら、お浄土へと生まれていかれたことに気付きます。仏さまとなった先人の願いに導かれて、阿弥陀さまのはたらきによって私もお浄土へ参る身であることをしっかりと受けとめさせていただき、歩んでまいりたいと思います。
(佐々木隆晃)

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2017年5月 大信心は仏性なり 仏性すなわち如来なり

たまわりたる信心tpo5月
浄土真宗のみ教えで一番大切なことは「信心」であるといえます。蓮如上人の「御文章」に、

聖人(しょうにん)(親鸞)一流(いちりゅう)の御勧化(ごかんけ)のおもむきは、信心(しんじん)をもって本(ほん)とせられ候(そうろ)ふ
(五帖目第十通、「『註釈版聖典』一一九六頁」

とある通りです。
ですが、一番わかりにくいというか、合点がいきにくいのも浄土真宗の信心であるといえるかもしれません。
信心」という言葉を辞書で調べてみると、「神仏を信仰して祈念すること。また、その心」(「広辞苑」)とあります。神仏を信じるのですから、主語は衆生、つまり私です。ところがその説明には、次のように追加されるものがたくさんあります。

親鸞は(中略)信心は如来から与えられるものと考え、独特の理解を示した。
(『岩波仏教辞典』五七三頁)

親鸞は(中略)本願力回向の信心を明らかにした。(『浄土真宗辞典』三九六頁)

どの宗教も信心を語らないものはありません。何をどのように信じるのか、そこにそれぞれの宗教の特徴があらわれているといえます、そのような中、辞書で特に追加の説明がなされているように、浄上真宗の信心を理解することは簡単ではないようです。
今月のことばは、親鸞聖人の『浄土和讃』の中、『諸経讃』と呼ばれる一首です。さまざまな経典の言葉を通して阿弥陀さまと浄ヒの功徳を讃嘆するもので、この一節では信心について示されています。
はじめに「大信心は仏性なり(大いなる信心は仏性である)」とあります。信心とは私が信じるのであって、私の心のことをいうのだとすると、そこに大の字がついて大いなる信心と表現されるのはおかしいのではないでしょうか。親鸞聖人が、自分の心をそのように立派なものとお示しになるとは、考えにくいように思います。
親鸞聖人は、私の心、すなわち凡夫のはからいによる思いがいかにたよりにならないものであるかを、明らかにしてくださいました。この私が信じるとか、信じないとかいった場合、いくら言葉を尽くして信じているといっても、あるいは確固たる信念で信じ続けるなどといっても、自分の考えで信じている以上、都合が悪くなると信じなくなってしまいます。
親鸞聖人がお示しになった信心とは、他力の信心です。阿弥陀さまから与えられる、たまわりたる信心のことです。阿弥陀さまから回向されるので大信心(大いなる信心)といえるのであり、金剛心や一心ともあらわされるのです。
阿弥陀さまは、たよりにならない私の心を自分で何とかせよとおっしゃるのではありません。私たち衆生が煩悩を身にそなえた凡人であることをはじめから知っておられて、救わずにおかないと大いなる慈悲の心で本願をおこされたのでした。
まことの心
阿弥陀さまの本願は、「仏説無最寿経」に説かれる四十八願の中、第十八願として誓われています。そこには信心について、「至心信楽(ししんしんぎょう)してわが国(くに)に生(しょう)ぜんと欲(おも)ひ(欲生我国)(よくしょうがこく)(『註釈版聖典』一八項)とあります。心から信じて仏の国(お浄土)に生まれたいと願う、それが信心であるというのです。
至心とはまことの心、信楽とはとは信じ喜ぶ心、欲生とはお浄土に往生しようと思う心のことです。一見すると、この信心は主語か私で、私かどのように信じるのか、その私の信じ方を示しているように見えます。
ですが、先はども申しましたように、私の中にまことの心や確固たる信念を求めることは難しいものです。お浄土よりも迷いの世界である今の生活に執着する思いがとても強く、救いを信じ喜ぶ心もおこりません。
喜ぶべきことを喜べない私、まことの心をもつことができない私を、阿弥陀さまはすべて見抜いたうえで、そんな私を救わずにおかないと他力の悲願をおこされたのです。
まことの心を持てるようになったら救おう、仏のさとりに近づいてきたなら迎え入れようというのでは、いつまでも闇の中で立ちすくんでいなければならなかった私です。そのような私の姿を自身の悲しみとし、願わずにおれなかった阿弥陀さまのやるせない思いが、本願でありました。
阿弥陀さまは、私たち衆生にかわって真実の心(至心)をおこし、この私を往生させようと願い(欲生)、救いとることに疑いのない心(信楽)を完成されました。その願いを南無阿弥陀仏の六字に込めて、私たちに与えてくださっているのです。
他力の信心とは、南無阿弥陀仏に込められた仏の願いが私の心に入り満ちてくださっとところに成り立ちます。
阿弥陀さまが「われに任せよ、わが名を称えよ、必ず浄土に生まれさせよう」と願われた心が私に届き、「そうですか、お任せいたします」と受けとめていくところに、他力の信心をたまわるのです。
言葉は人を育てる
私の勤めている相愛大学には、『日々の糧(かて)』という法語を収めた小さな冊子があります。それを毎週木曜日の昼休み、礼拝の時間に学生のみなさんと拝読しています。
その法語に次のようなものがあります。

言葉は心のあらわれ。心が荒れると乱れた言葉、心が豊かだと美しい言葉となる。見えない心も、言葉で見える。

この冊子は、もともと高校生や中学生に拝読してもらうように編集されました。ある卒業生は、礼拝の時間に拝読した法語が、その後の人生の節目に思い出されることがある、そのようにおっしゃっています。難しい言葉や宗教の専門用語は用いられず、日々の生活の中でさまざまに示唆を与えてくれる言葉の数々が載せられています。
自分の心や他者の心、人の心は本当に見えにくいものです。見えないことから誤解も生まれ、苦しくつらい思いをせねばならないことがあります。だからこそ、田心いやりを忘れてはならないし、人の思いが垣問見えた時には大切にしたいものです。
口をついて出てくる言葉は、人を傷つけることもあれば、人を救う言葉となることもあります。言葉は心のあらわれであり、見えない心を伝えてくれます。
一方で、言葉には限界があります。言葉にした時点で、実際の思いとはかけ離れていってしまう特徴をもちます。言葉が一人歩さして、思いもよらない事態になることもしばしば見受けられます。
煩悩にまみれた私の心から発せられる言葉には、まことを見出すことは難しいといえるでしょう。真実の言葉にふれてこそ、真実に気付かされるのです。
ふだんから美しい言葉に接していると、その言葉に育てられ、自然と美しい立ち居振る舞いが身に付いてきます。そういえば、食事の時に申している「食前のことば」「食後のことば」を通して、おかげを感じご恩を喜ぶありがたさに気付かされます。そして、手を合わすことによって、たくさんのいのちをいただいて生かされているわが身であることに思いを致すことができるのです。
『歎異抄』の有名な言葉が思い出されます。

煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)、火宅無常(かたくむじょう)の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします
(『註釈版聖典』八五三~八五四頁)

(わたしどもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変る世界であって、すべてはむなしくいつわりで、真実といえるものは何一つない。その中にあって、ただ念仏だけが真実なのである『歎異抄(現代語版)』五〇頁)

真実の言葉である南無阿弥陀仏によって私の姿に気付かされ、仏とともに歩む人生へと導かれるのです。
願いが届いたところ
毎年一月に行われる大学入試センター試験で、感慨深い出来事にふれさせていただきました。
私の勤めている学校も試験会場となり、監督業務に携わらせていただきました。二百人ほどが入れる大きな教室に、間隔を空けて五十人が座って受験していました。私の受け持ちの列があって、前から順に問題冊子や解答用紙を配布いたします。その中、私か配布物を置いたり解答用紙を回収したりする、そのたびに必ず小さな声で、「ありがとうございます」とおっしゃる受験生がいました。シーンと静まりかえった教室ですので、その女の子の声は聞こえるか聞こえないかの小さな声でした。ですが、必ず何をした時も「ありがとうございます」とおっしゃるのです。
いつの間にか、私もその受験生の所に来ると、動作の時に少しだけ頭が下がってしまいます。もとより偉そうに行っていたつもりはありませんが、知らず知らずのうちに「こちらこそ」、あるいは「どうぞ」。そして「がんばってください」。私か声に出して言うことはありませんでしたが、そのような思いで頭を下げずにおれませんでした。
現代的な感覚でいうなら、そう言ったからといって試験に合格するわけではない。言っても何か得するわけではない。そんな時間があったら英単語の一つでも覚えたほうがマシ、そのようにいう人もあるかもしれません。
それでも、一言の「ありがとうございます」が、人の動きを変える力をもっていたのです。その方の言葉は私の心の底に、体の中に入り満ちたのです。
そして、その方はなぜこのように、「ありがとうございます」と言うようになったのだろうかと考えた時、想像でしかありませんが、その方がこれまでにかかわってきたたくさんの方々の願いが、そこにあるのではないかと思うのです。感謝することを忘れないでほしい、損得勘定や効率的・合理的な考えだけではない、恩を知る人になってほしいという願いをかけて接してこられたのではないだろうか。その方のことを大切に思っている人の願いが、その方の心の底、体の中に入り満ちて、「ありがとうございます」という言葉となってあらわれていたのではないか、そのように感じさせていただく出遇いでした。
阿弥陀さまの願いにふれ、まことの心をいただいて、お浄土を見据えた人生を歩ませていただくのです。それが大いなる信心をたまわり、如来とともに歩む念仏者としての心強い人生となるのです。

(佐々木隆晃)

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2017年4月 仏の御名を きくひとは ながく不退に かなうなり

名前の意味4月のことば-12
親鸞聖人のみ教えにふれていると、名前の意味を深く味わうことの大切さに気付かされます。自分の名前、家族の名前、友人、知人、それぞれの名前にはどのような字が使われ、どのような願いが込められているのか。そのように考える時、多くのいのちとかかわりながら生きてきた身であることを思わずにおれません。
四月は新年度を迎える月です。出会った相手に自己紹介をしたり、学校や職場でこれまでと異なる所属になるなど、新たな道に進む人もいるでしょう。自分の名前は他者とのかかわりにおいてこそ、意味をなすものでもあるのです。
以前よりは少ないかもしれませんが、日本の文化には改名という習慣があります。名を変えることによって新たな一歩を踏み出し、これまでと異なる生き方を自覚する、改名はその宣言ともなります。元服などの通過儀礼においても、幼名を改めて元服名(烏帽子名(えぼしな))を付けるなどしました。
様相は少し違いますが、結婚や養子縁組などによって改姓する場合も、いろいろな変化を自覚することになります。私自身、九年前に結婚して婿養子(婿養子)に入りましたので、姓も所属寺も住所も職場も、すべて独身の時とは変わりました。乗っている車のナンバーの地名から、家の中でテレビを見る時の体の姿勢まで変わってしまったような気がして、人とのかかわりによってそれまでとは異なる人生となることをしみじみ感じています。
浄土真宗では、門信徒としてお念仏の生活を送ることを誓う「帰敬式(ききょうしき)」という儀式があります。これを受式すると仏弟子としての法名が授与されます。法名とは仏法に帰依し、お釈迦さまの弟子となった者の名前です。生前に機会がなかった場合は葬儀の折りに付けられますが、本来は生前に受けることをお勧めし、お釈迦さまの「釈(しゃく)」の字を冠して「釋○○」と名付けられます。仏道を歩む出発点となり、念仏者として毎日を精一杯生き抜き、いのちを終えるとお浄土へ生まれゆく、そのような人生を歩んでいくことの名告りだといえます。
名前というものの意味を考える時、これまでの人生で受けた恵みとこれからの生きる方向性を改めて見定めることになるように思います。
これまで受けた恵みを「恩」といいます。恩は口と大と心という字から成り立っています。大は手足をいっぱいに広げた人の形、口はむしろ、敷物です。常に使用し親しんできた敷物の上に人が寝ているところに心を添えているので、日頃から大切にし可愛がられてきたことを意味し、体いっぱいに愛情を受けてきたことを恩といいます。
人から受けたご恩は、気付くことのできたものだけでなく、その多くを知らないところ、気付かないところで受けてきました。恩返しという言葉がありますが、そう簡単に返しきれるものではありません。そもそもすべて返して、貸し借りなしにするようなものではないのでしょう。返しきれない恩の大きさを知り、これからの生き方をその恩に「報」いるというかたちでいい表すのです。一生をかけて報恩の道を歩む、そのような生き方が始まるのです。
名に込められた願い
子どもに人気のあるなぞなぞの中には、大人も考えさせられるものがあります。
「自分のものなのに、他の人の方がよく使うもの、なあに?」
このなぞなぞは、答え自体にも教えられるものがあるのですが、ある会で申しあげた時のやりとりもありがたいものとなりました。
「それは私の給料です!」
ある男性が自信満々にお答えになり、続けて訴えるようにおっしゃいました。
「私が一生懸命働いて稼いだ給料を、家族は次から次へと使ってしまうんです。
ひどいと思いませんか?」
怒っているのでも悲しんでいるのでもなく、仕方がない、それでもがんばっている自分かいることをただ聞いてほしい、そんな印象でした。ご一緒に学ばせていただいたのは、その解決方法として家族に変化を求めるのではなく、給料が自分のものであるという思いを捨てることが一番の近道なのではないか、そのような視点の転換をお互いさせていただきましょう、という結論にいたったことでした。
なぞなぞの答えは「名前」です。
自己紹介や書類への記入など、自分の名前は自分が一番使うではないかと思ってしまいます。ですが、私か自分の名前を覚えるそのずっと前から、願いを込めて私の名前を考え、そして私を呼び続けてくれた人がいたのです。
名前は、他の人に呼んでもらうためにあるのであり、名前を通して他者とかかわることができるのです。「名」の字は夕と口から成っていて、夕方の薄暗い闇の中では顔がよく見えないから、口で自分の存在を声に出して相手に告げることを示しています。
名前を通していのちのかかわりに気付かされ、名前によって今後の生き方に思いを巡らすことができます。そこに、生かされているいのちであることを感じ取る念仏者へと育てられるはたらきがあったのです。それは、お念仏の中に毎日を過ごし、お浄土を見据えて生きる人生へと導く、阿弥陀さまの願いのはたらきでした。
願いを聞く
今月のことばは、親鸞聖人の『浄土和讃』の中、「讃阿弥陀仏偶和讃(さんあみだぶつげわさん)」と呼ばれる一首です。阿弥陀さまと浄土の徳について讃嘆されていて、この一節には阿弥陀仏のみ名の功徳が示されています。
はじめに「仏の御名をきく」とあります。仏のみ名とは南無阿弥陀仏の六字ですから、南無阿弥陀仏を聞くということです。
お念仏は自分の口でナンマンダブと称えるので、南無阿弥陀仏とは称えるものなのですが、それを聞くと表現するところに浄土真宗のみ教えの特徴があります。
阿弥陀さまは、この私を救わずにおかないと願いをおこされました。その願いとは、『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』の第十八願に「われに任せよ、わが名を称えよ、必ず浄土に生まれさせよう」と、誓われています。
阿弥陀さまが、わが名を称えよ、南無阿弥陀仏と称えてくれよとおっしゃっているのは、どのようなお心なのでしょうか。
数年前、実父の十三回忌の法事をお勤めした時のことです。法事にお参りくださった方々を見ると、以前とくらべ、父と圓世代のおじ・おばや、ご門徒の方々の人数が、ずいぷんと少なくなった印象でした。父と同じくお浄土に生まれられた方もいます。ご存命であっても、ご高齢のために外に出にくくなった方もいらっしゃいます。
一方で、子の世代である私たちや孫の世代はとてもにぎやかでした。私も当時四歳の娘を連れて帰省しました。父と直接会ったことのない家族も集まって、父から連綿と続くいのちのつながりを感じる、そのような法事でした。
その場で感じた変化の一つに、自分の一人称、つまり自身の呼び方がありました。私は自分のことを、実母と話す時は「ぼく」、施主の兄と話す時は「おれ」、ご門徒の皆さまには「私」、甥や姪には「たあ兄ちゃん(独身の時からそう呼ばれているのでこ、そして娘の前では「お父さん」といいます。顔を動かすたびに、自分の呼び方が変わるややこしさを感じたものです。
自分がどれだけ父親としての役割を果たせているか、はなはだ心許ないのですが、それでも実の父親の法事で、自分のことを「お父さん」と呼んでいる私かいました。
子どもが親に向かって「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになるのは、親の方から子どもに向かって「お父さんですよ」「お母さんはここにいますよ」と名告り、ずっと呼び続けてきたからでしょう。
この「お父さんですよ」という言葉は、考えてみればおかしな言い方です。自分のことを指して「さん」といい、「お」まで付けています。最近、敬語が乱れているといわれますが、自分に敬称を付けるのは言葉としては間違いでしょう。「父ですよIというのが正しい言い方です。
では娘に話しかける時、私か自分のことを「父ですよ」と呼び続けたらどうなるでしょうか。おそらく娘は私に向かって「ちち」と呼ぶでしょう。世話になるのだから、機嫌をとっておかなければいけないから「さん」といい、「お」まで付けようなどとは考えないでしょう。
「お父さんですよ」と子どもに向かって呼びかける時、そこには、あなたを放っておけない私かここにいますよ、声に出して呼んでごらん、遊びに夢中のあなたがこちらを見ていなくても、あなたを心配せずにおれない私はいつでも見ていますよ、そんな思いが込められています。
阿弥陀という仏さまから呼び続けられていた私です。そのまま呼べばいいように、願いとはたらきが込められた六字のみ名として私に与えられていたのです。それは念仏者として今の生涯を精一杯生き抜き、お浄土へと生まれてきてくれよと願わずにおれない親さまの願いであり、呼び続けずにおれない仏さまのはたらきだったのです。
願いの中で生きる
み名を聞き、南無阿弥陀仏の六字に込められた仏の願いを聞いて、そのはたらきの中に生かされている私であることに気付かされました。私の口から出てくるナンマンダブは、ともに歩んでくださる仏の声でありました。そのような念仏者となったなら、決して迷いの人生を過ごすことはないということを、「ながく不退にかなうなり」と今月のことばに示されています。
「ながく」というのはしばらくという意味ではなく、ずっと仏さまとともに歩む人生のことをいいます。
今も煩悩具足の凡夫であることに違いはありません。南無阿弥陀仏のこころを聞いたからといって、腹を立てることのない聖人君子のように立派な人になることができるわけではありません。思い悩みは尽きなくとも、それでも、ともに歩んでくださる仏さまのはたらきを常に身近に感じながら過ごす生き方が、念仏者には開かれているのです。
(佐々木隆晃)

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2017年3月 一念慶喜するひとは 往生かならず さだまりぬ

往生が定まるIMG_20170228_0001_NEW-1
三月の法語では、『浄土和讃』の第二十六首(「讃阿弥陀仏偶讃」二四)の後半二句を味わわせていただきます。
まず、この和讃の全四句をいただきますと、
若不生者(にゃくふしょうじゃ)のちかひゆゑ
信楽(しんぎょう)まことにときいたり
一念慶喜(いちねんきょうき)するひとは
往生(おうじょう)かならずさだまりぬ            (「註釈版聖典」五六一頁)

(「もし生れることができないようなら、さとりを開かない」と本願に誓われているので、真実の信心を得たまさにそのとき、本願を信じ喜ぶ人は、浄土に往生することが問違いなく定まるのである。「三帖和讃(現代語版)』 一九頁)

と詠われています。
今月の法語である後半二句では、真実信心(信楽)が得られたその瞬間(一念)に湧きおこる喜び(慶喜)とともに、その時にさとりの世界であるお浄土に往生することが決定(けつじょう)しているということが見事に詠われています。
「若不生者」の誓い
冒頭の「若不生者」(もし生まれることができないなら)とは、阿弥陀さまのご本願のお言葉です。そこではじめに、本願の由来とその意味をうかがうことにいたしましょう。
「あらゆる生きとし生けるもの(「衆生(しゅじょう)」といわれます)がさとり(正覚)に至るように〔という衆生救済の願いを必ずや実現する〕」という決意(誓願)をもって、「衆生救済」の利他行の道を歩み、この目的を成し遂げようとする実践者を、「菩薩」といいます。そして、その道を完成してさとり(正覚)に至ったものを、「仏」や「如来」といいます。『仏説無量寿経』には、阿弥陀さまがかつて法蔵菩薩であった時、「あらゆる生きとし生けるものが、さとり(正覚)の世界である極楽浄土に往生できるように。さもなければ、私はさとりを得た仏とならない」という、「衆生救済」のための根本となる大誓願を、四十八にわたって誓われたことが説かれています。そして、この大誓願(四十八願)を完成・成就されて阿弥陀如来となられ、いま現に衆生救済の活動をされている、と説かれています。親鸞聖人の師匠である法然聖人は、その大誓願のかなめが第十八願であるとし、これを「本願中の王」とされました。
ここでは、その願文を親鸞聖人が主著『教行信証』に引用されているところによっていただくこととしましょう。〈ただし、ここでは原文や「現代語訳」の中に( )付で、漢語で慣用句として用いられる語句を付記しています。〉

たとひわれ仏(ぶつ)を得(え)たらんに、十方(じっぽう)の衆生(しゅじょう)、心(こころ)を至(いた)し(至心(ししん))信楽(しんぎょう)して(信楽)わが国(くに)に生(うま)れんと欲(おも)ひて(欲生)、乃至十念(ないしじゅうねん)せん。もし生(うま)れざれば(若不生者)、正覚(しょうがく)を取(と)らじ(不取正覚)と。ただ五逆(ごぎゃく)と誹膀正法(ひほうしょうぼう)を除(のぞ)く。

(わたしが仏になったとき、あらゆる人々が、まことの心で(至心)信じ喜び(信楽)、わたしの国に生れると思って(欲生)、たとえば十声念仏して(乃至十念)、もし生れることができないようなら(若不正者)、わたしは決してさとりを開くまい(不取正覚)。ただし、五逆の罪を犯したり、正しい法を膀るものだけは除かれる「顕浄土真実教行証文類(現代語版)」 一六一頁)

このように、この誓願(決意)をおこされて、さとり(正覚)を完成・成就されたのが阿弥陀さまです。そこで、この本願のとおり、阿弥陀さまがここにはたらいているといただき、「まことの心で阿弥陀さまのはたらきを信じ喜び、(その阿弥陀仏の国に)生まれると思って」「十声でも念仏する」ものは、さとりの世界であるお浄土へ生まれさせていただく。-その通りにいただかれて、念仏の生活をされたのが法然聖人でした。そして、その阿弥陀さまのたらきに出遇ったことを、

ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべし
                    (「歎異抄」『註釈版聖典』八三二頁)

とお示しくださったところに、「念仏往生」の法門が開かれたのです。
本願成就文の意味
さらに、親鸞聖人は、この第十八願文との関係から、・その本願が完成・成就されたはたらきを説かれるご文、すなわち『仏説無量寿経』下巻冒頭の「本願成就文」(第十八願成就文)に注目されました。そうして、「本願成就文」に基づいて「仏説無量寿経」全文を拝読され、阿弥陀さまのみ教えを受け止められたのです。そのご文を、同じく「教行信証」に引かれている引用文によっていただくと、

あらゆる衆生(諸有衆生)、その(無量寿仏の)名号を聞きて信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向せしめたまへり(至心回向)。かの国に生ぜんと願ぜば、すなはち往生を得、不退転に住せん。ただ五逆と誹膀正法とをば除く                        (『註釈版聖典』二コー頁)

(すべての人々は、その名号のいわれを聞いて信じ喜ぶ〔その心(一念)をいだく〕まさにそのとき、その信は阿弥陀仏がまことの心(至心)をもってお与えなったものであるから、浄土へ生れようと願うたちどころに往生すべき身に定まり(即得往生)、不退転の位に至るのである。ただし、五逆の罪を犯したり、正しい法を膀るものだけは除かれる「顕浄土真実教行証文類(現代語版)」 一六二頁)

とあります。
このご文の読み方は、一般的な漢文体の読み方と異なっているといわれますが、親鸞聖人は「仏説無量寿経」の真意を受け止めて読み込まれ、そのためにこのような読み方をされたと理解できます。ここに、親鸞聖人の深く鋭い仏教観がうかがわれ、だからこそ、このような現代語訳がなされるのです。それは、どのようなことでしょうか。この成就文を、一般的、表面的な読み方で拝読しますと、次のようになります。

諸有衆生(あらゆるしゅじゃう)、其(そ)の(無量寿仏の)名号(みょうごう)を聞(き)きて、信心歓喜(しんじむくゎんぎ)して、乃(すなわ)ち一念(ねむ)に至るまで
 心を至し廻向(いかう)して、彼の国に生ぜむと願ずれば、即ち往生を得、不退転に住す。
(浄土真宗聖典編纂委員会編「蓮如上人500回遠忌総合計画実施記念浄土三部経」四七頁)

傍線を付したところに注目してご文を拝読しますと、ここではご文全体の主語は「諸有衆生」であるとみられますが、親鸞聖人は、「乃至一念」までと「至心回向」との聞に切れ目を入れて、二文からなるように読まれました。すなわち前述のように、聖人は「至心に回向せしめたまへり」(至心に回向なさっている)と読まれて、この部分だけは「無量寿仏」(阿弥陀仏)を主語とされています。ここから、「至心回向」すなわち「まことの心をもって回向なさる(ふりむけお与えになる)」のは、「あらゆる衆生が」ではなく「無量寿仏が」ということになり、無量寿仏(阿弥陀仏)のお仕事・おはたらきであったといただかれました。
このように、「至心回向」を阿弥陀さまのはたらきと受け止めることによって、『仏説無量寿経』を首尾一貫、矛盾なく拝読することができ、これによって「他力回向」の意が明確に示されたのです。

 

信方便の易行

 

さらに、三月の法語の結びの「往生かならずさだまりぬ」について、その意味をうかがいたいと思います。「本願成就文」には、「すなはち往生を得、不退転に住せん」とあり、

(信を得たそのとき浄土へ生れようと願う、そのときたちどころに)往生すべき身に定まり(即得往生)、不退転の位に至る。

と現代語訳することができます。その意味を、親鸞聖人は、七高僧の第一祖・龍樹菩薩が著わされた『十住毘婆沙論』の易行品五、および龍樹菩薩のみ教えに基づいて論説をなされている、第三祖・曇鸞大師のご指南によって、明確にお示しになりました。それは、おおよそ次のように説明できるでしょう。
龍樹菩薩は、「易行品」に次のように述べられます。

仏法に無量の門あり。世間の道に難あり、易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至るものあり。〈もし人疾く不退転地に至らんと欲はば、恭敬の心をもって執持して名号を称すべし〉。(中略)人よくこの(阿弥陀)仏の無量力功徳を念ずれば、即の時に必定に入る。
(『教行信証』「信文類」引文、「註釈版聖典」 一五一~一五三頁)

ここに、「信方便の易行」といわれ、「ちょうど船に乗せていただいて容易に目的地に至るように、〔阿弥陀さまのはたらきに〕感謝の念(恭敬の心)をもって阿弥陀さまの名号を称え念ずれば、〈即の時に必定に入る〉こととなる」、すなわち、阿弥陀さまに恭敬の心をもってそのはたらきを信ずるものは、直ちにさとりに至ることが決定した状態に入ることとなる、と説かれています。
「現生正定聚」となる
さらに、第三祖・曇鸞大師は、第二祖の天親菩薩の「浄土論」を解説する大著「往生論註」(「浄土論註」)を著わされ、その冒頭に龍樹菩薩の「易行品」の当該のご文を引かれて、註釈・解説の依りどころとされています。この『往生論註』のご文を親鸞聖人は「教行信証」「行文類」に引用されますが、そのかなめとなるご文だけをうかがうことにしましょう。

引用のご文は、「つつしんで龍樹菩薩の『十住毘婆沙』を案ずるにいはく」(『註釈版聖典』一五四頁)に始まり、菩薩の道に難行道と易行道の二道があることを示されます。そして、難行道について「五濁の世、無仏の時において、(自ら修行して)阿毘蹟致(不退転)を求むるを難とす」(同頁)といわれ、易行道については、

易行道とは、いはく、ただ信仏の因縁をもって浄土に生ぜんと願ず。仏願力に乗じてすなはちかの清浄の土に往生を得しむ。仏力住持してすなはち大乗正定の聚に入る。正定はすなはちこれ阿毘趾致なり。たとへば水路に船に乗じてすなはち楽しきがごとし          (『註釈版聖典』 一五五頁)

(易行道とは、ただ仏を信じて浄土の往生を願えば、如来の願力によって清らかな国に生れ、仏にささえられ、ただちに大乗の正定聚に入ることができることをいう。正定聚とは不退転の位である。これをたとえていえば、水路を船で行けば楽しいようなものである「顕浄土真実教行信証文類(現代語版)」四五~四六頁)

と述べられます。ここに龍樹菩薩の示される「易行道」を受けられて、曇鸞大師は「信仏の因縁」(阿弥陀さまに任せきるという信)によって浄土往生を願えば、「仏願力に乗じて」「大乗正定の聚」に入ると示されます。
こうして、阿弥陀仏の本願のはたらきに乗せていただくと(すなわち、阿弥陀さまのおはたらきに任せきって)、「大乗の正定聚」として「浄土に往生してさとりを得る身となる仲間に入る」ことができるのです。それは、この世を去る時のことでなく、いま現在において「往生成仏する身に決定している仲間」となる、すなわち[現生正定聚]を意味しているのです。
三月の法語である「往生かならずさだまりぬ」とは、まさにこの龍樹菩薩、曇鸞大師の示される「正定聚に入る」ことを意味しており、「現生正定聚」となることが示されているということになるでしょう。真実信心が得られたその時に、まさにこの「現生正定聚」となるということを、この一句で簡潔に詠われていて、味わい深い法語であります。
(佐々木恵精)

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表紙のことば 仏恩ふかく おもいつつ つねに弥陀を 念ずべし

和讃を味わうご縁にSA201701-1
二〇一七(平成二十九)年の法語カレンダーでは、ご和讃をともに味わうご縁とさせていただくこととなりました。
「和讃」とは和語による仏教讃歌ということで、平安時代の中頃から作られるようになりました。今様歌(いまよううた)の形式で、口ずさみやすい七・五調の歌謡によって、仏法を、また祖師がたの偉業を讃える詩歌として、民衆にも親しまれるようになっていったものと見られます。七・五を一句として、五句、七句、十句、あるいは数十句で一首とする「和讃」が盛んに作られたとのことですが、平安時代のものでは、例えば、比叡珀・天台の祖師で、親鸞聖人が浄土真宗の第六祖と仰がれる、源信和尚(げんしんかしょう)が作られた『極楽六時讃』があります。これは、七・五の句が八百七十句余りからなる長編の和讃で、極楽に往生した人が浄土を直接見聞するというかたちで、お浄土が讃嘆されています。
鎌倉期に入ってからは親鸞聖人が多くの和讃を作られましたが、そのご和讃は、七・五を一句として四部を一首とする形式で、その内容はそれぞれの和讃一首ごとに完結していました。口ずさみやすい和讃一首一首に浄土真宗の奥義を味わうことができ、しかも、仏法の奥義(おうぎ)を、また祖師がたのご教示を詠(うた)い讃嘆されて、報謝の心を示されているところに、大きな特徴があります。
主なご和讃として、浄土真宗のみ教えに基づいて阿弥陀さまとお浄土を讃えられる『浄土和讃』、七高僧のお導きとお徳を讃える『高僧和讃』、末法の世にある凡夫が救われるみ教えを讃える『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』の三帖(さんじょう)が、三帖和讃」としてまとめられ、聖人の教えを受ける御同朋御同行(おんどうぼうおんどうぎょう)によって常々詠われています。その他の和讃を含めて、聖人は五百首以上の和讃を作られており、そのおかげによって私どもはご法義を味わい、その法味(ほうみ)を楽しむことができることになったといえるでしょう。
また、親鸞聖人の畢生(ひっせい)の大著は、漢文体で論述された大論書『顕浄土真実教行証文類(げんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)』(『教行信証』などと通称します)で、ここに浄土真宗の法義が示され、そしてまた報謝の心が披渥(ひれき)されていますが、聖人ご制作のご和讃も、『教行信証』と同じように真宗の法義のかなめが詠われ、報謝の心が詠われているため、「和語の教行信証」といわれます。日頃から、その格調高く優雅なご和讃を味わうことで仏法に出遇(であ)い、阿弥陀さまのお慈悲をいただくことができることから、このようにいかれているのです。
『高僧和讃』「善導讃」
それでは、法語カレンダーの月々のことばを通して、ご和讃を味わわせていただきましょう。

仏恩ふかくおもひつつ
つねに弥陀を念ずべし               (『註釈版聖典』五九三頁)

表紙にあげるご和讃の言葉ですが、これは『高僧和讃』の中の善導大師を讃える和讃「善導讃」の第二十五首(『高僧和讃』全体通しては第八十六首)の後半(第三・四句)になります。『三帖和讃(現代語版)』には、

仏(ほとけ)のご恩を深く思い、常に阿弥陀仏の名号を称えるがよい。   二一五頁)

とあります。
この和讃の前半二句に、

弘誓(くげい)のちからをかぶらずは
いづれのときにか娑婆(しゃば)をいでん           (『註釈版聖典』五九三頁)

(阿弥陀仏の本願のはたらきを受けなければ、はたしていつ娑婆世界を出ることができるであろう。三帖和讃(現代語版)』 一一五頁)
と詠われるのに続くもので、「阿弥陀さまの本願のはたらきにいだかれているご恩を深く受け止め、お念仏させていただかなくては」という、報謝の心が示されているといただくことができるでしょう。
娑婆とは
前半二句の中の「娑婆(しゃば)」とは、元は梵語(ぼんご)のサパー(saha)の音写語で、「忍(にん)・堪(かん)忍(にん)」などと訳されます。現代語としては一般に、不自由な施設から外の自由な世界を指して「娑婆」といい、軍隊の兵役なとがら解放されて自由の身となることを、俗に「娑婆に出る」などといいます。しかし、本来の仏教語としては「堪え忍ぶ」という意味の言葉で、この世の生きとし生けるもの(衆生)は自分の欲望が満たされず怒りや争いに振り回される、いわゆる煩悩の苦悩を堪え忍ばなければならないという意味で、この苦悩の世界、堪忍しなければならない世界を「娑婆」とか、「娑婆世界」「堪忍土」などといいます。
このご和讃では、その前半に、

阿弥陀仏の本願のおはたらきをお受けしなかったら、欲望や怒りの渦巻く煩悩に振り回されている娑婆世界(苦悩の世界)を、果たしていつ出られるだろうか。とても出られるものではない。

と詠われ、その後半に、

〔阿弥陀仏のご本願のはたらきに抱かれているからこそ、この娑婆を出ることができる。〕その仏のはたらきのご恩を深く思わせていただき、常に阿弥陀さまのみ名をお称えしなくては。

というように、本願のはたらきをいただいていることへの報謝の心が詠われているといただくことができます。
善導大師のお心
このご和讃は、前述の通り、『高僧和讃』の中の「善導讃(ぜんどうさん)」全二十六首の結びに当たる二首うちの第一首であり、善導大師(だいし)のお言葉に基づいて詠われています。善導大師のご著書『般舟讃(はんじゅさん)』は、浄土を願生する信心の人として阿弥陀さまのお徳を讃嘆する一大詩篇ですが、その中に次のような一節があり、それを親鸞聖人は『教行信証』の「信文類(しんもんるい)」に引用されています。そこには、

今より仏果に至るまで、長劫に仏を讃めて慈恩を報ぜん。弥陀の弘誓の力を蒙らずは、いづれの時いずれの劫にか娑婆を出でんと。

(『註釈版聖典』二六〇頁)

(これからさとりを開くまで、長く仏の徳をとだえて、大いなる慈悲の恩に報いていこう。阿弥陀仏の本願のはたらきを受けることがなかったなら、はたしていつ迷いの世界を出ることができようか。『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』二五〇頁)

とあり、その内容は、

阿弥陀仏の本願のはたらきを受けなかったならば、いつになったらこの苦悩する迷いの世界を出ることができるだろうか。〔本願のはたらきに出遇わせていただいているから、この迷界を出離する身となっているのである。〕 その阿弥陀仏のご恩を讃え、その大慈悲のはたらきにご恩報謝していこう。

と詠われているといただくことができるでしょう。この阿弥陀さまのはたらきに対するご恩報謝の心が、まさにこの和讃に詠われているのです。
冠頭のご和讃から
さらに、『浄土和讃』の冒頭には、一般に「冠頭讃」と呼ばれる二首が置かれていますが、このご和讃は「三帖和讃」全体のかなめを示す、まさに「冠頭」のお言葉であるといえるでしょう。
その第一首には、

陀の名号となへつつ
半心まことにうるひとは
憶念の心つねにして
仏恩報ずるおもひあり              三註釈叛聖典(一五五五頁)

真実の信心を得て阿弥陀仏の名号を称える身となった人は、常に本願を心に思いおこし、仏のご恩に報いようとするのである。三帖和讃(現代語版)』三頁)

と詠われます。
親鸞聖人は、比叡山で修行に修行を垂れながらも、さとり(正覚)への道を得ることができず、苦悶された末に恩師法然聖人を訪ねられました。そして法然聖人より「ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべし」(『歎異抄』『註釈版聖典』啓二二頁)という教えをいただかれ、「弥陀の本願を信じ、そのおはたらきにお任せして浄土往生の身とさせていただく、そのご恩報謝の念仏をさせていただくばかりである」と、念仏の道を一筋に歩まれることになりました。
この冠頭のご和讃は、まさに「真実信心の人」であり「念仏の行人」であるものの、あるべき姿を詠われていると、いただくことができるでしょう。

表紙に挙げるご和讃のことばもまた、この冠頭のご和讃と同じように、仏恩報謝に生きる念仏者の姿をお示しくださっていると、うかがうことができるでしょう。
親鸞聖人にお出遇いし、念仏の道を歩むものとして、まさに仏恩報謝に生かさせていただかなくては、と想うところです。
(佐々木恵精)

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