2016年10月 まどいの眼には 見えねども ほとけはつねに照らします

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今月の法語は、ヒ高僧の第六祖、源信和尚を讃仰された「正信渇」本文、「煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我(ぼんのうしょうげんすいふけん だいひむけんじょうしょうが)」一煩悩(ぼんのう)、眼(なまこ)を障(さ)へて見たてまつらずといへども、大悲(だいひ)、倦(ものう)きことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり。(「註釈版聖典」二〇六頁)について意訳されたところです。

これはもともと「往生要集」にある

 

「われまたかの摂取(せっしゅ)のなかにあれども、煩悩(ぼんのう)、眼(なまこ)を障(さ)へて、見たてまつることあたはずといへども、大悲倦(だいひう)むことなくして、つねにわが身を照らしたまふ」

(「註釈版聖典(七祖篇)」九五六頁)

 

という文によられたものです。

源信和尚(九四二~一〇一七)は大和国(やまとのくに)(奈良県)当麻(たいま)の里に誕生され、七歳で父と死別、九歳で比叡山に登り慈慧僧正良源(じけいそうせいりょうげん)に師事されました。英才の誉れ高く十五歳にして宮中で仏典を講ぜられた折、天皇より布帛(ふはく)の栄誉を受け、早速故郷の母に贈ったところ、母はその品を送り返し、名声や利欲を求める世渡る僧になることは悲しい、どうか母の後世を導いてほしい、との手紙が添えられていたといわれます。その後和尚は母の誡めを深く心にとどめ、高位を求めることなく叡山横川(ひざんえいざんよこわ)の首榜厳院(しゅりょうごんいん)に隠棲(いんせい)し、専心(せんしん)に釈尊一代(しゃくそんいちだい)の法を学修(がくしゅう)されました。そして四十四歳の頃『往生要集』三巻を著して日本浄土教の大成をはかり、自らも浄土を願生(がんしょう)しつつ念仏の興隆につとめられたのでした。

 

頑魯(がんろ)のもの

『往生要集』序文には「予(よ)がごとき頑魯(がんろ)のもの」(私のようなかたくなで愚かな者)(『註釈版聖典(七祖篇)」七九し貞)と、和尚は自身について述べておられます。また「念仏証拠門」においては「極重(ごくじゅう)の悪人(あくにん)は、他の方便(ほうべん)なし。ただ仏(ぶつ)を称念(しょうねん)して、極楽(ごくらく)に生(しょう)ずることを得(う)」(『註釈版聖典(し咀偽)」 一〇九八頁)と浄土教における往生行の要点を示し、愚悪の人間が極楽に生まれる手だてはただ称名念仏(しょうみょうねんぶつ)するほかなきことを闡明(せんめい)にされたのでした。

愚悪の者とは、抜きがたい自己へのもりじゅこころ執着心、我が身可愛いという自己中心の思いのやむことのない。われわれ人間のことです。和尚が白身を深く誡められた名聞利養(みょうもんりよう)の執心もそのあらわれであって、今月の言葉に「まどいの眼には見えねども」といわれるのは、まさにそのような真理(智慧)に暗く煩悩に翻弄されながら苦悩していく、人間の有様を示されるのです。思い通りにしたいという我欲の心(惑)は、思い通りにいかぬゆえに怒りとなり、愚かしき言動となって表出(業)し、他を傷つけていくことになります。そして新たなとまのう苦悩(苦)をさらによび起こしていきます。こうした無知の行為と結果が連鎖してとどまることなく循環していくという、そのことに無自覚であるゆえに愚悪といわれるのです。

以前、首筋や肩の凝りかひどく腰の鈍痛もあったので、整体治療院で看てもらった時、診察室の鏡の前で「肩の位置が左右均等でなく、体に歪みをきたしている」と説明を受け、不自然な自分の立ち姿に驚いたことがあります。凝りや痛みの原因が普段からの姿勢を意識しないことでそれが習慣となり、知らず知らずのうちに体の歪みとなってあらわれてきたのでしょう。では、これがもし心の歪みであったとしたら、と考えると、なおさら自分で気づけるはずもありません。身心ともにケアを怠らないよう心がけたいと思ったことでした。

「観経疏(かんぎょうしょ)」には

「経教(けいきょう)はこれを喩(たと)ふるに鏡のごとし。しばしば読みしばしば尋ぬれば、智慧(ちえ)を開発す」

(「註釈版聖典(じ組篇)」ニハ七頁)

と示されています。つまり経典は喩えていうと鏡のようであり、たびたび読んで教えを尋ねていけば智慧が開けるといわれます。教法を鏡とすることは、鏡の前に立った自分の外側の姿ばかりか、まるでレントゲンに映し出されるように、内側の心の歪みまでも明らかになるのです。苦の原因、煩悩の病巣が知らされるところに、苦を厭(いと)い離れる智慧がもたらされることを教えられているのです。

今月の法語には「ほとけはつねに照らします」とあります。親鸞聖人は「尊号真像銘文(そんごうしんぞうめいもん)』で、先の「往生要集」の「大悲無倦常照我身(大悲倦むことなくして、つねにわが身を照らしたまふ)」について、

「常(じょう)」はつねにといふ、「照(しょう)」はてらしたまふといふ。無擬(むげ)の光明(こうみょう)、信心(しんじん)の人をつねにてらしたまふとなり。…(中略)…「我身(がしん)」は、わが身を大慈大悲(だいじだいひ)ものうきことなくして、つねにまもりたまふとおもへとなり。摂取不捨の御めぐみのこころをあらはしたまふなり。        

(『註釈版聖典』六六一頁)

と解説されています。「我身」とは原文では源信和尚のことをさしていますが、ここではさわりなき仏光(ぶっこう)は苦悩の根元であるまどいを照破(しょうは)して必ず大悲心のうちに摂め取り、さとりの浄土に往生させようとつねに信心の人を休むことなく怠りなく照らしまもってくださる、といわれています。

 

こんな人生もあるのかな…

過日、夫が亡くなったので葬儀をしてほしいとの連絡を受けました、初めてのご縁でもありましたので必要な事柄をお聞きして、指定された葬儀会館に向かいました。臨終から通夜、葬儀、火葬、還骨法要と済み、中険ではじめてご自宅にお参りをいたしました。読経を終えて、故人の妻であるΥさんから仏事のお尋ねがあり、そのときご家庭のことなどを伺いました。しばらくお話しされていて、話題が三人の子どもさんのことに及んだとき、しばし沈黙され、時折言葉に詰まりながらも語ってくださった内容は、
三人の子どものうち、次男は小学校四年生のときに自動車事故に遭い、医師からは脳挫傷との診断が下り、事故の翌日以来全く意識が戻らず、すでに四卜九歳になっているということ。二年前にご主人が脳梗塞、ガンを患って入院されるまでは、ずっとその子どもを自宅で看護されてきたこと。当時は行政の介護サービスが整っていない時代だったので大変難渋されたこと、食事などは自分で何とか咀喘はできても、口を開くタイミングを辛抱強く待たねばならず、一回の食事に二時間を要してしまうこと。。また入浴は本人の身体に硬直があるため、一人ではとても無理なので夫が帰るのを侍ってから二人でしなければならなかったこと。自分自身も数年来ガンを患って、三度の手術を経験してきたこと。そして夫婦で五十二年間暮らしてはきたが、日常生活はほとんど子どもの介護に明け暮れたので二人で旅行に出かけたことも、映画をゆっくり観たこともなかった。
というものでした。Υさんが、「子どもが施設に移った後、今は私がこのベッドで寝ております」と言って後ろを向かれた、その部屋の後方には長い介護の時を物語るかのような小さめのスチールベッドが見えました、そして「夫も亡くなり、私も病身となってしまいました。いつまで子どものそばにいてやれるか心細いことですが、やはりあの子を置いて死ぬわけにはいかない…、そんな気持ちでおります。…こんな人生もあるのかな…と不思議に思います」と言われました。
私は「こんな人生もあるのかな…」と二度繰り返された言葉を聞きながら。今日までの大変なご苦労が察せられて、胸が締め付けられるような思いになりました。「きっとこの世でお母さまでしかできない菩薩の行を、わが子のためになさってこられたんだと、私にはそう思えます」と私か一一日ったとき、Υさんはしずかにお仏壇の方に向かい、深々と頭を垂れ合掌されたのでした。Υさんの美しい姿の中に、たしかに大悲の光明かとどいてくださっていること、大いなる慈しみと悲しみをもってあわれみ、どのような苦悩の人生をも照らし慰めてくださる尊き仏光を仰がずにはおれませんでした。

子が受けてきた苦難は、その子とどこまでもともにあって、どのような労苦をも忍受していくという親の覚悟、苦難があることに気づかされます。重い病苦をかかえて生きるわが子なるがゆえに、苦悩し憐懲(れんみん)してやまない母なる情愛が知らされるのです。

 

人の憍りと仏の大悲
「教行信証」「信文類」には、

如来一切のために、つねに慈父母(じふぼ)となりたまへり。まさに知るべし、もろもろの衆生(しゅうじょう)は、みなこれ如来(にょらい)の子なり。

(『註釈版聖典』二八八頁)

と示されています、自分の存在がかえりみられることもなく、見離されてしまうことがあったとしても、決して見捨てることができないというたった一人の親が私のために存在してくださることほど、たのもしく安心できるものはありません.如来がもろびとをわが子と見そなわし、わが苦悩として同悲同苦される慈悲のはたらきは、まるで父母が一子にかかりはて寄り添うような姿にほかならないと喩えられています。

「若不生者(にゃくふしょうじゃ)、不取正覚(ふしゅしょうかく)」(あなたを安楽の浄土に、もし生まれさせることができなかったら、決して悟りの仏となることはない)という法蔵菩薩の誓願は、いったい誰のために建てられたのでしょうか。思えばながいまよいの私の歴史とともに、つねに南無阿弥陀仏の名となって喚びかけ続けてくださっていた途方もない如来の歴史があったのでした。その切なる願心はわがためにとどまらず、一切の衆生に向けられた広大無辺のはたらきであることを聞かせていただくとき、ただ頭を垂れ念仏申さずにはおれません。

源信和尚は、

雨の堕(お)つるに、山の頂(いただき)に住(とど)まらずしてかならず下(くだ)れる処(ところ)に帰(き)するがごとし。もし人、僑心(きょうしん)をもってみずから高くすれば、すなはち法水入(ほうすいい)らず」(雨が降れば山の頂にとどまらず必ず低い方に流れるように、自分を高くするならば法の水は入ることがない)              

(「註釈版聖典(七祖篇)」 一一七四頁)

と示されています。自然の道理を知らずして、僑り(おご)の心をもってみずからを高くし、仏法のめぐみを素直に受け入れようとしないこの私を、仏は大悲の光明をもって照らし、いよいよ念仏申す身に育ててくださいます。決して見捨てることなく、怠ることなく、つねに私たちを守護していてくださるみ仏であると教えてくださっているのです。(貴島信行)

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2016年9月一生悪を 作るとも 弘誓に値いて 救わるる

8月今月の法語は、「正信偈」にある「一生造悪生造悪値弘誓 至安養界証妙果」〔一生悪を造れども、弘誓に値ひぬれば、安養界に至りて妙果を証せしむといへり。〕
(『註釈版聖典』二〇六頁)のおこころを詠われたものです。これは、七高僧の第四
祖であります道緯禅師(五六二~六四五)の教えを称えられたご文の一部です。現
代語訳をいただきますと、

「たとえ生涯悪をつくり続けても、阿弥陀仏の本願を信じれば、浄土に往生しこの上ないさとりを開く」と述べられた。  (『教行信証(現代語版)』一四九頁)

とありますので、そのおこころを味わわれたものであります。
禅師は、十四歳の時出家されて『涅槃経』の研究に没頭されました。しかし。
救いの道を求めて三十歳の頃、意を決して慧?禅師の門に入り、学解仏教から実践
仏教へと転じられました。その後十数年間坐禅と戒律の実践に励まれたのですが、
内心一抹の不安を抱かれたのでしょう。当時仏教徒の間に広まっていた末法思想と
相まって、ある日、曇鸞大師の遺跡を訪ねて玄中寺に詣で、そこに建てられた碑
文を見て心機一転、浄土教に帰せられたということです。時に四十八歳の時であり
ます。それを契機として玄中寺に留まり、八十四歳で亡くなられるまで三十六年
間、自ら念仏者となり、広く有縁の人々を教化されました。

 

末法の自覚

さて、禅師の教えの特徴は、釈尊の教えにもとづく仏教を分類整理し、聖道門
と浄土門とに分けて、聖道門の証し難きこと、浄土門の入り易きことを述べ、人々
に浄土往生の道を勧められたことです。聖道門というのは、この世で自力の修行に
よって仏になる聖者の道で、浄土門とは、阿弥陀仏の本願によって浄土に往生して
仏になる道をいいます。親鸞聖人も『高僧和讃』において、

本師道緯禅師は
  聖道万行さしおきて
  唯有浄土一門を
通入すべきみちととく (『註釈版聖典』五八八頁)

と詠われているのが、このことです。ただ、禅師がただ単に頭の中で考え、概念的

に考え出されたものではなく、血の出るような求道の体験から生み出された教えで
あることに留意したいと思います。それは、我が身の問題に関して、また如何とも
しがたい時代の中で、もはや救いようのない煩悩具足の自分を発見されたからに違
いありません。とりわけ、禅師ほど時代ということを問題とされた方はおられな
かったのではないでしょうか。

 

仏教の時代観に、正法・像法・末法の三時説があることをご承知だと思います。
正法とは、教えがあって(教)それを正しく実践する人かおり(行)、それによっ
てさとりを得ることができる(証)、という時代です。像法とは、教えがありそれ
を実践(行)する人がいても、さとり(証)を得るものがいなくなった時代で、次
の末法とは、かろうじて教えのみあって、それを行じる人もいなければ、当然さと
りを得るものもいないという時代のことです。禅師が誕生されたのは、すでに末法
に入ってから十一年目となっておりましたし、それと呼応するかのように廃仏・天
災等が相次ぎ、絶望的な時代に自らの生死の問題解決を求めていかれたのでしょ
う。だからこそ『安楽集』に、

「わが末法の時のうちに、億々の衆生、行を起し道を修すれども、いまだ一人
として得るものあらず」と。当今は末法にして、現にこれ五濁悪世なり。ただ
浄土の一門のみありて、通人すべき路なり。(『註釈版聖典(七祖篇)』二四一頁)

と末法の今の時代において、教えが機(ひと)と時(時代)とに相応するのは、浄
土教よりほかにはないということを述べられたのであります。だからこそ『安楽
集』には、先のご文の後に

このゆゑに『大経』にのたまはく、「もし衆生ありて、たとひ一生悪を造れ
ども、命終の時に臨みて、十念相続してわが名字を称せんに、もし生ぜずは
正覚を取らじ」 (『註釈版聖典(七祖篇)』二四一頁)

と末法の今の時代において、教えが機(ひと)と時(時代)とに相応するのは、浄
土教よりほかにはないということを述べられたのであります。だからこそ『安楽
集』には、先のご文の後に、

このゆゑに『大経』にのたまはく、「もし衆生ありて、たとひ一生悪を造れ
ども、命終の時に臨みて、十念相続してわが名字を称せんに、もし生ぜずは
正覚を取らじ」 (『註釈版聖典(七祖篇)』二四一頁)

と示されたのでした。つまり、もともとある『無量寿経』(『大経』)の第十八願と、
『観無量寿経』の「下品下生」の文とを合わせられて、ご本願の意を道緯禅師が述
べられたのです。このご文によって、親鸞聖人は「一生造悪値弘誓 至安養界証妙

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2016年9月 秋季彼岸会法要のご案内

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7月9日 若婦の総会を開きました。

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7月6日 仏婦総会を行ないました

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2016年8月 まどえる身にも 信あらば 生死のままに 涅槃あり 法語カレンダー解説

8月

凡夫と白蓮華

先月の法語では、往相(浄土へうまれること)と還相(浄土から、衆生を救うためにこの娑婆世界に還ってくること)はすべて阿弥陀如来のご本願のはたらき、すなわ
ち他力であると、阿弥陀如来のはたらきが讃えられました。
そして今月の法語は、

「正信偈」の「惑染凡夫信心発 証知生死即涅槃」〔惑染
の凡夫、信心発すれば、生死すなはち涅槃なりと証知せしむ。〕(『註釈版聖典』二〇六
頁)

のおこころを詠われたものです。

これは、煩悩に染まり惑う凡夫であっても、ひ
とたび他力の信心をおこしたならば、迷いの身であるままで、やがて浄土に往生して
「生死すなはち涅槃なり」という、仏のさとりを開くことができる、ということです。
私たちは浄土に生まれどう変えられていくのか、言い換えれば浄土往生の相状とし
て、私たちの側から他力のはたらきをどのように受け止められていくのかということ
が、ここに示されています。
さて、最初の「惑染凡夫信心発」とは、曇鸞大師は『往生論註』の中に、

これは几夫、煩悩の泥のなかにありて、菩薩のために開導せられて、よく仏の
正覚の華を生ずるに喩ふ。
(『註釈版聖典(七祖篇)』二一七頁)

と述べられていますが、これに拠ったものとうかがうことができます。
ご承知のように、蓮華は清らかな地には生じません。湿った泥の中にありながら
も、その泥に染まらず清らかで美しい花を咲かせます。とりわけ白い蓮の花は、
まったく濁りが混じらない純白の象徴的な花として、信心の人を讃える言葉として
用いられます。余談ですが、蓮の華の花言葉をご存じでしょうか。調べてみますと
「清らかな心」だそうです。私たちの蓮の華にもつ印象は、どこでも大体同じよう
であります
さて、「正信偈」では「一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是
人名分陀利華」〔一切善悪の凡夫人、如来の弘誓願を聞信すれば、仏、広大勝解
のひととのたまへり。この人を分陀利華と名づく。〕(『註釈版聖典』二〇四頁)とあ
りますが、「和訳正信偈」をいただきますと、

ほとけの誓い信ずれば
すぐれし人とはめたまい
いとおろかなるものとても
白蓮華とぞたたえます

とあるのが、まさにこのことをいうのでしょう。
ところで、曇鸞大師が初めて、ご本願の救いのめあては一切衆生、とりわけ十悪
五逆・謗法の者であることを明らかにされました。この極悪の凡夫こそ、法語では
「まどえる身にも」とありますが、このような者がどうして救われると言えるのか
ということを、讐えで示されています。

たとへば千歳の闇室に、光もししばらく至らば、すなはち明朗なるがごとし。
闇、あに室にあること千歳にして去らじといふことを得んや。
(『註釈版聖典(七祖篇)』九七頁)

と、十悪五逆・謗法の者とは、心の中に深い迷いの闇を抱えている凡夫ではあるけ
れども、その迷いの闇がたとえ千年続いていたとしても、ひとたび光がさしこめ
ば、たちまちにして闇も消えて明るくなります。闇は光によってしか破られませ
ん。自分でいくらもがいても闇は晴れることがないばかりか、かえって深くなるば
かりであります。しかし、信心を得て、ご本願の光明が心の中に差し込めば、迷い
の闇は晴れ、浄土に往生を得ると説かれています。

 生死の迷いと涅槃の世界
さて、「正信偈」では次の句として「証知生死即涅槃」〔生死すなはち涅槃なり
と証知せしむ。〕(『註釈版聖典』二〇六頁)とあります。このご文はもともと曇鸞大
師の『論註』の中に、無礙道を説明して、

「道」とは無凝道なり。(中略)「一道」とは一無礙道なり。「無礙」とは、いは
く、生死すなはちこれ涅槃と知るなり。 (『註釈版聖典(七祖篇)』一五五頁)

とあるのに拠られたものでありましょう。『歎異抄』第七条に「念仏者は無礙の一
道なり」(『註釈版聖典』八三六頁)という言葉がありますが、何ものにもさえぎら
れない道ということを説明して、「生死すなはちこれ涅槃と知るなり」と示された
のです。

さて、この「証知生死即涅槃」というのは、どういうことでしょうか。「生死」
とは生と死によって限界づけられた無常の世界のことであり、またそこに迷い苦し
んでいる私たちの人生そのものであります。親鸞聖人が「生死出づべき道」を求め
られたというのは、仏教は生死の迷いを脱してさとりに至るのが目的であり、その
目的をめざして歩むことが仏道だからです。そして、その目標が「涅槃」というこ
とになります。「涅槃」とはさとり、あるいはさとりの世界であり、不生不滅の永
遠の真理そのものの世界です。
煩悩を否定し尽くされたのさとりの世界を「涅槃」といいますので、生死と涅槃
の二つは決して一つにはなりえないのです。言葉を換えていえば、生死、煩悩があ
るところには「涅槃」はなく、また、涅槃の世界には生死や煩悩が微塵も存在し得
ないのであります。いわば、生死と涅槃は否定的なまったく逆の関係であるという
ことです。ですから「迷いはそのまま涅槃である」と言われても、理解し難いこと
です。

したがって、このことは仏さまの智慧において初めて言える言葉であります。言い
換えれば、決して私たち凡夫がそういう境地をさとるというようなことではないので
す。浄土でさとりを得て初めて開かれる境地であるということです。ところが、「正
信偈」の前の句をいただきますと「惑染の凡夫、信心を発すれば」とあるのは、ど
う考えたらよいかという問題が出てきます。これは、信心を発するといっても、凡夫
の起こす信心ではなく、あくまで信心をいただくことであります。
信心をいただくとは、私たちにおいては仏さまの智慧の眼をいただくことでもあり
ます。仏さまの智慧の眼をいただけば、生死の世界は、涅槃の世界と別ものではな
く、生死の世界は涅槃の世界に包まれていたということを知らされるということでは
ないでしょうか。煩悩の衆生は、煩悩の我が身であることを把握できません。自己
中心的な考えしかできない私たちは、どこまでも自分の都合でしか考えられないも
のです。このような独善的な日常を送り続けていく中で、迷い続け苦しんでいるのが
この私たちの相であります。煩悩具足の我が身が、煩悩具足であることを気づかし
められるのは、ほかならない如来大悲の光明に照らされたらばこそであります。

 「おんいのち」をいただく

『歎異抄』後序に、「聖人の仰せ」として有名なご文があります。

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもつてそらごとた
はごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします
(『註釈版聖典』八五三頁)

 凡夫にも、また凡夫の営む世界にも、真実はただのひとつもないと述懐されてい
るのですが、「そらごとたはごと、まことあることなし」と見抜かれた仏さまの智
慧の眼には、ただ頭が下がるだけで何の反論もできません。ただ、「まことあるこ
となき」現実を歎き悲しむのではなく、「まことなき世の中」を、「まことあること
なき」身のままに「まこと」をもって生きることの大切さを知らされるのです。そ
の「まこと」とは、お念仏となって至り届けてくださっております。そして、煩悩
具足の凡夫であることに気づけば気づくほどに、本願大悲の深さが、いよいよ身に
しみて感じられるのであります。そのお念仏をただ一つの依りどころとすること
が、私たちの生き方ではないかと思います。
お念仏のおこころを喜ばれた白井成允師は、歌集『青蓮華』の中に、

いつの日に死なんもよしや弥陀仏の み光の中のおんいのちなり

と詠んでおられます。「いつの日に死なんもよしや」とは、生死は生死のまま、一
切が阿弥陀如来に摂取されているという、よろこびと安心のこころ、つまり罪深い
私か救われていく喜びを表現されているのでしょう。だからこそ、続けて「弥陀仏
のみ光の中のおんいのちなり」と、流れるように詠っておられるのだと思います。
「我が命」と言わず、「おんいのちなり」と詠まれたおこころこそ、「証知生死即涅
槃」の世界をいただかれた尊い生き方のあらわれであると思います。

(桐原良彦)

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2016年7月 往くも帰るも他力ぞと ただ信心をすすめけり 法語カレンダー解説

hougo201607第三祖・曇鸞大師

 

今月の法語は、七高僧の第三祖であります曇鸞大師(四七六~五四二)の教えを称えられたご文の意訳です。これは、「正信偈」のなかの、

 

往還回向由他力(おうげんねこうゆたりき)
正定之因唯信心(しょうじょうしいんゆいしんじん)

 

往還の回向は他力による。正定の因はただ信心なり
(『註釈版聖典』二〇五頁)

 

のおこころを詠われたものです。さて、このおこころをうかがう前に、まず曇鸞大師とはどういうお方であったかということを考えてみたいと思います。

 

「正信偈」には、曇鸞大師の伝記をエピソードを交え示されています。親鸞聖人が「正信偈」の中に四劫を費やして伝記を示されることは、非常にめずらしいことであります。それほどまでに劇的であり感動的であったものと思われたのではないでしょうか。その四句のうち二句が、

 

三蔵流支授浄教(さんぞうるしじゅじょうきょう)
梵焼仙経帰楽邦(ぼんじょうせんぎょうきらくほう)

 

三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまひき。

(『註釈版聖典』二〇五頁)

 

であります。『教行信証(現代語版)』によりますと、「菩提流支三蔵から浄土の経典を授けられたので、仙経を焼き捨てて浄土の教えに帰依された」とわかりやすく訳されております。

 

大師は、龍樹菩薩・天親菩薩のあとを継いで、中国に出られた最初の祖師です。はるか東方に五台山(ごだいさん)を望む雁門(がんもん)の地で出生されましたが、当時は北魏(ほくぎ)の孝文帝(こうぶんてい)の時代でありました。孝文帝は深く仏教に帰依し、仏教興隆に力を注いだお方でありました。

 

そのような時代の中、早くから仏教に心を惹かれたということです。出家の後、大師は龍樹菩薩の『中論』『十二門論』『智度論』、および『百論』を学び、いわゆる四論宗の学者として頭角を現し、続いて『大集経』の研究に取り組まれました。しかし、健康を損ねたので、不老長寿の法を求めて、はるか一千二百キロ以上の道のりを超え、揚子江の南の地に住む道教の師、陶弘景を訪ねられました。そして、そこで『仙経』十巻を授けられました。

 

その『仙経』を抱え意気揚々と帰路に着いたのですが、途中洛陽の都で、はからずもインドから来ていた訳経僧・菩提流支(ぼだいるし)に出遇いました。このお方は数多くの経論を翻訳された学識高い超一級の高僧でしたが、大師は大胆にも菩提流支にむかって「仏教の中に、この仙経に勝る教えがあるか」と問うたというのです。その問いに対し菩提流支は地に唾を吐いて、「仙経に説く不老長寿の法も、所詮は生死輪廻を出るものではない。たとえいのちを長らえたとしても、やがて必ず死に、生死を流転するのみである」と厳しく叱責され、『観無量寿経』を授けられたということです。

 

実は『観無量寿経』には、阿弥陀仏の久遠のいのちとその世界が、そしてそこに往生して永遠のいのちを得る道が説かれてあります。菩提流支の一喝に目が覚めた大師は、命がけで手に入れたにもかかわらず『仙経』を焼き捨てて、深く浄土の教えに帰依されたのです。決して不要なものを捨てたのではありません。また、何かの役に立つと思って傍らに残しておられたのでもありません。命がけで手に入れた貴重な書は、世間的には高価な書であるかもしれませんが、自らの生死の解決、生老病死そのものを根本とする苦には、何の手だてにもなり得ないということだったのです。

 

それからというもの浄土教を専らに学び、自行化他に勤しまれて『往生論註』二巻を著され、大いに浄土教の顕揚に努められたということです。

 

 

「往くも還るも 他力ぞと」

 

ところで親鸞聖人は、『教行信証』の「教巻」の一番最初に、

 

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。

(『註釈版聖典』 一三五頁)

 

と示されました。実は大師の教えから出ているのですが、聖人はそれを押しひろげて、往相・還相の二種の回向を説く教えこそ浄土真宗であると、体系的に顕されました。また、この二種の回向は、本願力の回向に他ならないと仰っています。法語の「往くも還るも」という言葉は、この往相・還相のことです。簡単に述べますと、往相とは浄土へ往生する相、還相とは浄土から迷いの世界へ還ってくる相、ということになります。さらに言えば、往相とは、この私か浄土へ往生するはたらき、ちからのことであり、また還相とは、この私か浄土へ往生した後に、迷いの世界であるこの世へ還ってきて衆生を済度するはたらきのことです。この「ちから、はたらき」すべてが本願力回向だということです。それを「他力」というのです。

 

そもそも仏教一般では、この私が積んだ善根(ぜんこん)功徳を他の人のために施すことを回向と言います。しかしながら、私どものような凡夫がいくら死にものぐるいで精進したとしても、煩悩がある限りは雑毒(ぞうどく)の善でしかなく、かたちだけの中味のない虚仮(こけ)の行と言わざるを得ません。「愚禿悲歎述懐(ぐとくひたんじゅっかい)」のご和讃をいただきますと、

 

悪性さらにやめがたし
こころは蛇蝸(じゃかつ)のごとくなり
修善も雑毒なるゆゑに
虚仮の行とぞなづけたる

(『註釈版聖典』六一七頁)

 

と詠われてありますが、私たちの心は、蛇や蝸(さそり)のごとく、ややもすると他人を傷つけかねない危ない存在であります。そのような私たちが雑毒の善や虚仮の行をもって、他に施しをすることは決してできないばかりか、私一人の往生すら叶うものではありません。それができるのは、煩悩を完全に脱却した阿弥陀如来だけであります。

 

つまり、回向の主体は阿弥陀如来の本願力ということです。私たちを導いてくださる、このような阿弥陀如来のちから、はたらきを、親鸞聖人は『教行信証』「行巻」に、

 

しかるに覈(まこと)に其の本を求むれば、阿弥陀如来を増上縁(ぞうじょうえん)とするなり。

(『註釈版聖典』一九二頁)

 

とお示しくださいました。そのおこころは、往相も還相もそのもとをたずねれば、すべては阿弥陀如来の本願にもとづいた「増上縁」でありますということです。

 

「増上縁」とは強力な縁ということですから、私たちが浄土に往生するためのはたらきである名号も信心も、そして、浄土に往生した後、ただちに仏としての活動にはいり、浄土から迷いの世界へふたたび還ってきて、あらゆる手段を講じてご縁のある方々を浄土に導くことも、すべて阿弥陀如来のおはからいであったのです。

 

まだ同じ「行巻」には、

 

おほよそこれかの浄土に生ずると、およびかの菩薩・人・天の起すところの諸行は、みな阿弥陀如来の本願力によるがゆゑに。

(『註釈版聖典』一九二頁)

 

とあります。「かの浄土に生ずると」とは往相であり、「かの菩薩・人・天の起すところの諸行」とは還相のことです。これらはすべて阿弥陀如来の方で用意され、この私たちに施してくださっているということを、すなわち往相も還相も他力であると、はかりしれない深い感慨と謝念をもっていただかれたのでありました。

 

 

ただ信心一つ

 

さてこのような阿弥陀如来のはたらきを、私たちはどのように受け止めれば良いのでしょうか。

 

法語の「ただ信心を すすめけり」にそのことが示されています。

 

私たち凡夫が、必ず往生させていただく身と定まるのは、ただ信心一つによるということでしょう。前の言葉では、往相も還相もともに阿弥陀如来のおはからいであったと述べられておりますから、私の方ですることは、いただくこと以外の他のことはありません。このいただきぶりを信心と申しあげるのです。

 

ただ信心といっても、私のつくり上げた信心ではありません。虚仮不実の身である私がいくら積み上げたとしても、それによって浄土往生はかないません。言い換えれば、私の力ではこの世から浄土への橋をかけることができない、ということです。だから、それができるのは阿弥陀如来だけであります。

 

また、信心をいただくといっても、なにか品物のようなかたまりを受け取るのではありません。阿弥陀如来のお慈悲のこころをいただくのであります。そのおこころをいただいたとき、不思議なことに、すでに彼岸からこの世にかけられた橋があったことに気づかされるのです。それが一切衆生を救わずにはおかないという、ご本願の喚びかけなのです。それが仏さまの名のりであり、名号であったのです。

 

したがって、私たちはただただ本願を信じて、み名を呼ぶよりはかないのです。ご本願の喚びかけによって救われるのでありますから、私の作り上げる信心は一切無用であると言わざるを得ません。

 

このように、阿弥陀如来のみ教えに心身をゆだねること、すなわち信心ひとつを勧められたのです。そこで『教行信証』「行巻」に、

 

愚かなるかな後の学者、他力の乗ずべきを聞きてまさに信心を生ずべし。みづから局分(局の字、せばし、ちかし、かぎる)することなかれ

(『註釈版聖典』一九四頁)

 

と、すべてをまかせることができる他力の法を聞いて、信心をおこすべきである。決して自力にこだわってはならないと、信心の大切な意味を強調されているのも、要は信心が本願力回向の他力に相応するからであります。そのことをはじめて明らかにされたのが曇鸞大師でありました。

(桐原良彦)

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2016年6月 ただよくつねに み名称え ふかきめぐみ こたえかし 法語カレンダー解説

201606ほんとうのことば

 

今月のことばは、親鸞聖人の「正信偈」の「唯能常称如来号(ゆいのうじょうしょうにょらいごう)応報大悲弘誓恩(おうほうだいひぐぜいおん)」〔ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといへり。〕(『註釈版聖典』二〇五頁)が意訳されたものです。ここでちょっと、「正信偈」が詠まれた背景についてうかがっておきましょう。

 

「正信偈」は、聖人の畢生(ひっせい)の著『教行信証』にある百二十句の偈(詩、うた)です。「帰命無量寿如来、南無不可思議光…」〔無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる。〕(『註釈版聖典』二〇三頁)と、偈の一句一句が漢字七文字で統一されていますので、皆で声を揃えてお勤めしやすいのです。その「正信偈」が書き始められる直前につぎの文があります。

 

しかれば、大聖(釈尊)の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、仏恩の深遠なるを信知して、「正信念仏謁」を作りでいはく

(『註釈版聖典』二〇二頁)

 

わたしたちは「正信念仏偈」を略して「お正信偈」と呼んでいるのですね。「正信偈」の内容は大きく前半と後半に分けられるのですが、まず前半部分は古来より依経段(えきょうだん)といわれています。『無量寿経』(『大経』)に依っている段落という意味で、先のご文では「大聖の真言」に相当しますし、聖人のほかの著述では『浄土和讃』の内容とおおよそ重なります。聖人のおっしゃる「真言」とは、さとれるお方のまことの言葉です。人間ではない仏さまの言葉こそが唯一まことだ、ということです。残念ながらわたしたち人間の言葉はあてになりません。これはなにも自分が誰か他人の言葉にだまされる、ということだけではなく、自分が他人を、そして自分自身をだましながら生きているということです。

 

でもわたしたちは、そうでなければ生きていけないのかもしれません。「今日中にこの仕事を片付けるつもりだったけれど、テレビで延期になっていた野球中継があるから仕事はそれこそ延期に・・」と、自分を甘い言葉でだますのです。ですからある意味、わたしたちは日ごろから、だまされる言葉や嘘の言葉というものに泥みすぎているのです。しかし、『大経』に説かれる「あなたを仏と成らせて救う」という言葉は、仏さまの仰せであって、人間の発した言葉ではありません。真実の言葉であって、決してだまされたり裏切られることのない「真言」なのです。

 

話はもどりますが、「正信偈」の後半部分は依釈段(えしゃくだん)といわれています。七高僧がなさった、お釈迦さまの「真言」のご解釈に依っている段落という意味です。先ほどの「正信偈」の文では「大祖の解釈」とあり、先述した前半と同様に、聖人の他の著述でいえば『高僧和讃』の内容と重なります。七高僧がご苦労くだされた意義については先々月のことばで確認いたしました。また、特に第一祖である龍樹菩薩のお手柄についてすでに二ヵ月分にわたってうかがってきました。そのうえで、今月のことばとして龍樹菩薩にうかがうべきは称名報恩のお心です。

 

冒頭にて掲げました「正信偶」のご文を、蓮如上人は『正信偶大意』にて、

 

真実の信心を獲得(ぎゃくとく)せんひとは、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)に名号を称へて、大悲弘誓の恩徳を報じたてまつるべしといへるこころなり。

(『註釈版聖典』一〇三〇頁)

 

と解釈され、お念仏申すことが仏恩を報ずることになるとおっしゃるのです。それはなぜでしょうか。

 

 

見えないけれど知らされるもの

 

「見えない」ことと「無い」ことは全く違います。讃岐の庄松同行の言葉として伝えられているものに、「ご本尊様が物を仰せられたら、お前等は一時もここに生きて居られぬ」というものがあります。「お寺の本堂の阿弥陀さまは生きておられるのだろうか、何もものをおっしゃらないではないか」という尋ねに応じられた際の言葉です。仏さまはわたしのこころなどすでにお見通しですが、それについて何もおっしゃらないから、わたしは平然と生きていられるのです。もし、まるでマンガの吹き出しのように、心の中で思っていることが他人に見られることにでもなれば、とても表を歩けたものではありません。あるけれども見えないもの、あるいは目を逸らせて見ないようにしているものが多いから、わたしたちは何食わぬ顔でいられるのでしょう。

 

都会では 夕日をみることも、
満天の星を仰ぐこともできない。
人間が造った建物や照明で
見ることができなくなったのだ。
それを―
「見えないから無い」と思うような
その愚かな心を煩悩という

(寺川幽芳『こころの掲示板』)

 

わたしの本務校である中央仏教学院にて、長年ご指導をくださいました寺川幽芳先生の詩です。見えないものや見ることができなくなったものを、知らせて見せるはたらきも宗教なのでしょう。実は多くの見えないものに囲まれ、支えられていたのです。中国には「水を飲むときは井戸を掘ってくれた人のことを偲べ」という意味の格言があると聞いたことがあります。見えなくて、知らなかったけれども蒙(こうむ)っているはたらきを冥加(みょうが)といいます。過去をふり返って、わたしは願われていた、はからわれていたと知ったときから、恩を報ぜずにいられない心持ちが生じます。

 

『歎異抄』後序には「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」(『註釈版聖典』八五三頁)という言葉が、聖人のつねの仰せとして引かれています。阿弥陀さまのご本願がこのわたし一人のためであったと知らされるのです。先の「正信謁」のご文でいえば、「大聖(釈尊)の真言に帰し、大祖の解釈に閲して、仏恩の深遠なるを信知」しかならば、必ず報恩謝徳の念に及ばずにはいられないのです。

 

冒頭にも記しましたように、今月のことばは、「正信偈」では「ただよくつねに如来の号を称して、大悲弘誓の恩を報ずべしといへり」と讃詠されています。「恩を報ずべし」の箇所を「恩を報ぜねばならない」と読めば、恩返しの強制のように見えます。しかし、決してそうではありません。恩は「なされたところを知る」という意味ですから、知らないままに強制されて成り立つようなものは恩ではないのです。

 

仏祖をはじめ、家族や知人の恩、何らかの組織や地球環境の恩ということも言えるでしょう。「自分は他人の世話になったことはない」とあくまで言い張る人があっても、自分一人でこの世に生まれ出たはずはありませんので、この世の始まりは母親から産まれるという「なされた」ことからだと言えないでしょうか。

 

話は今月のことばに戻りますが、つぎに問題となるのは、なぜ「つねにみ名となえ」ることが報恩になるのかという点です。

 

 

「称」は、はかり

 

聖人は、つぎの曇鸞大師のことばを『教行信証』「行巻」に引用しておられます。

 

いかんが讃嘆する。いはく、かの如来の名を称(称の字、軽重を知るなり。『説文』にいはく、銓なり、是なり、等なり、俗に秤に作る、斤両を正すをいふなり)す。かの如来の光明智相のごとく、かの名義のごとく、実のごとく修行し相応せんと欲ふがゆゑにと

(『註釈版聖典』 一五六頁)

 

称えるという「称」の文字を説明して、「秤」の意味があることを示しておられます。天秤ばかりは右と左がつり合うことで重さをはかります。ですから、二つのものがつり合っている状態、という意味があります。

 

いま、お念仏を称えることが、阿弥陀さまが衆生を救うおいわれにかなっている、つりあっている、とおっしゃるのです。阿弥陀さまの清浄真実の仏のお心と、あるものを見ようともしない煩悩具足のわたしの心は、雪と炭ほどの違いです。つり合うことなど何もありません。ですが、そのわたしにおいて、唯一つり合うものが「南無阿弥陀仏」のお念仏として恵まれているのです。

 

親孝行とは、子どもが親の願いのとおりになることだと聞いたことがあります。

 

反対にいえば、子どもの側から考えている親孝行の多くが、実は子どもの自己満足であって真の親孝行にはなっていない、ということかもしれません。ですから、ときどき見聞きする「無理をして出世などしなくていい、ただ元気でいてくれ」「丈夫な体でないことは、むしろ親のわたしが痛いほどに知っている。ただおまえの優しい心をずっと大切にしていてほしい」「世間様にご迷惑をかけて、結果どんなつまはじき者にされようとも、いつまでもわたしの子でいてくれることが願いだ」などの親の願いは、成功や健康、善良などの一般的な価値観、そして子どもの側の想像を超えているのでしょう。

 

阿弥陀さまは、わたしに「南無阿弥陀仏」を与えるから称えておくれ、と願い通しです。だから、その願いのとおりに「南無阿弥陀仏」とお念仏申すことが、唯一阿弥陀さまのこころにかなうのです。

 

親鸞聖人は『尊号真像銘文』に、

 

「称仏六字」といふは、南無阿弥陀仏の六字をとなふるとなり。「即嘆仏」といふは、すなはち南無阿弥陀仏をとなふるは、仏をほめたてまつるになるとなり。

(『註釈版聖典』六五五頁)

 

とお示しですが、お念仏が仏徳讃嘆に「なる」のです。わたしの心根が良いからではありません、親の願いがわたしに到り届いたからです。

 

以前、お出遇いしたお同行の言葉が思い起こされます。

 

その方はでいつも常に小声で「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ…」と称えておられます。ですからそのような常念仏のお心持ちを聞かせてください、とうかがったのです。「はい、わかしは念仏せずにおれない身としていただいたことがうれしいから、お念仏させてもらっています」とおっしゃいました。

 

ご報謝させてもらうことさえも阿弥陀さまからのご恩だったのです。

(高田未明)

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2016年5月 宗祖降誕会法要のご案内

201605

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2016年5月 弥陀の誓いに帰しぬれば 不退のくらい自然なり 法語カレンダー解説

hougo201605「宗教は必要ですか」

 

「宗教は必要ですか」という問いを聞くことがあります。その問いは「宗教など不要です」と、実は言いたいのかもしれません。「宗教を信仰しなくても、立派に社会で成功している人はたくさんいるではありませんか」とか、さらには「無宗教であることこそ良識ある人なのだ」などという考えが見え隠れしています。いま、この問いをきっかけとして考えてみたいのは「必要性を感じる」という点です。

 

生活習慣病や初期の糖尿病には、病気の自覚がほとんどありません。しかし、お医者さんが生活の改善や治療の必要性を説きます。むしろ治療の難しさを知り、病状に苦しむ多くの姿を見てきたお医者さんだからこそ、治療を、そして治療に先立つ予防を切に訴えるのです。ですから、病人であるという自覚と、本来の治療の必要性とは別のことからだということが言えるでしょう。

 

同様に、わたしが宗教を必要としていなくとも、宗教を説いてくださる、すなわち真の救いを与えずにいられないお医者さんが、阿弥陀さまだということができます。無明の病のわたしに真実を与えて真実たらしめる、つまり仏と成らせる救いです。

 

今月のことばは、この阿弥陀さまの「あなたを救う」という誓いに帰依し、すべてをおまかせしたならば、ただちに「不退のくらい」に入る、と示されています。

 

実は、これも龍樹菩薩が、阿弥陀さまの救いの特徴の一つとしてお讃えになったことがらです。親鸞聖人のご和讃にも、

 

不退(ふたい)のくらゐすみやかに
えんとおもはんひとはみな
恭敬(くぎょう)の心に執持(しゅうじ)して
弥陀(みだ)の名号(みょうごう)称すべし

(『註釈版聖典』五七九頁)

 

として、阿弥陀さまに帰依しお念仏申す身とならせていただいたならば、すみやかに不退の位に到ることが示されています。

 

 

船の行き先

 

真理やさとり、つまり仏果へ向かって歩む者を菩薩といいます。しかし、その道ゆきははなはだ困難です。ですから仏道はそもそも難行であるといえます。龍樹菩薩の「易行品」の冒頭に、

 

阿惟越致地(あゆいおっちじ)に至るには、もろもろの難行を行じ、久しくしてすなはち得べし。
あるいは声聞(しょうもん)・辟支仏地(びゃくしぶつじ)に堕(だ)す。もししからばこれ大衰患(だいすいげん)なり。

(『註釈版聖血ハ(七祖篇)』三頁)

 

とあり、難行を久しい時間行じつつも、声聞や辟支仏地という仏のさとりより低い位に落ち着いてしまうことがあります。つまり、時間が経てば必ずさとりに近づくかといえば、そうとも言えないのであって、登りつめた菩薩の位でも、破戒など仏道修行上のマイナス要因によって後戻りすることがあります。

 

先の「易行品」のご文には「阿惟越致地」との言葉がありますが、これが「不退のくらい」、不退転地ともいわれることがらです。仏道修行は後戻りする可能性を引き受けつつ、気の遠くなる時間を歩み続けるものですから、もし、退転しない境地に入るならそれは菩薩にとっては歓喜以外のなにものでもありません。また、この不退転地に到れば、まだ仏とは成っていないものの、真如をさとるためほんとうの歓喜を得ます。ですから不退転地は歓喜地ともいわれ、「正信謁」によれば、

 

宣説大乗無上法(せんぜつだいじょうむじょうほう)
証歓宜地生安楽(しょうかんぎじしょうあんらく)

 

大乗無上の法を宣説し、歓喜地を証して安楽に生ぜんと。

(『註釈版聖典』二〇五頁)

 

とあり、龍樹菩薩ご自身が歓喜地、つまり不退転地の菩薩であったことが知られます。

 

本願のお念仏を聞きうけるならば、仏果に到るための行と信が、その行者の身の上に因として成立することになりますので、必ず成仏という果に到ります。この因が成立するのは現生であって、信心獲得その時ですから、信心が正しき因となります。この世で、いま、さとりに到ることが定まるのです。不退転、後戻りしないということを言い換えれば、もう仏と成ることが定まったと表現できます。その意味で、まさしく仏になることに決定している聚類(なかま)、正定聚ともいわれます。

 

繰り返しになりますが、親鸞聖人は、この正定聚の位に入るのは「信心を獲るいま、ここで」とおっしゃるのです。よくよく考えればたいへん驚くべきことで、今月のことば「弥陀の誓いに帰しぬれば不退のくらい自然なり」は、そのようなとても大切なことがらが詠まれていたのです。

 

 

凡夫の聖者

 

しかし、そうするとつぎに、他の浄土教一般の考え方との大きな違いが問題となってくるのです。つまり、正定聚不退転という菩薩の位に入るためには、この穢土(えど)ではなくて浄土に往生することが必要だとする考え方とくい違うのです。菩薩の階位は『菩薩環路本業経』に説かれる五十二位が有名で、そこには十信・十住・十行・十廻向・十地・等覚・妙覚の各階位が示されており、なかでも十地位の初地以上を聖位と捉えます。ならば、この世で生きている限り凡夫でしかあり得ないわたしが、現生で正定聚に入るとするならば、凡夫でありながら聖者という事態が生じるのです。事実、親鸞聖人の『一念多念文意』には、

 

「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、水火二河(すいかにが)のたとへにあらはれたり

(『註釈版聖典』六九三頁)

 

とあり、死ぬまで三毒をそなえた凡夫であり続けることが示されています。一方で『人出二門偈頌』には、

 

煩悩を具足せる几夫人、仏願力によりて信を獲得す。この人はすなはち凡数(ぼんじゅ)の摂(しょう)にあらず

(『註釈版聖典』五五〇頁)

 

として、信心の行者はすでに凡夫の仲間ではない、ともお示しです。この凡夫でありながら凡夫ではない、矛盾ともいえることがらが信心の念仏者のうえに統一されている点がわかりづらいのです。

 

聖人ご在世の当時も、ご門弟方のあいたで同様の疑問が生じていたことが、聖人のお手紙からうかがえます。そこで、聖人がお手紙において不退転、現生正定聚を語っておられるご文をいくつかみてみましょう。

 

真実信心の行人は、摂取不捨のゆゑに正定聚のくらゐに住す

(『親鸞聖人御消息』第一通『註釈版聖典』七三五頁)

 

御たづね候ふことは、弥陀他力の回向の誓願にあひたてまつりて、真実の信心をたまはりて、よろこぶこころの定まるとき、摂取して捨てられまゐらせざるゆゑに、金剛心になるときを正定聚の位に住すとも申す

(『同』第三十九通『註釈版聖典』八〇二頁)

 

ほかにも似た趣旨のご文はたくさんありますが、これらは「信心の行者は、阿弥陀さまの摂取不捨のはたらきにあずかるからこそ、正定聚の位に住するのである」というかたちが共通していて、正定聚は摂取不捨とペアになって示されていることが見えてきます。「摂取不捨(摂め取って捨てず)」はもともと『仏説観無量寿経』(観経)に出てくることばですが、その摂取不捨の理解として詳しく親鸞聖人が語られたものが『浄土和讃』にあります。それは、

 

十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれは
阿弥陀となづけたてまつる

(『註釈版聖典』五七一頁)

 

というご和讃で、特に「摂取」の左には註が施されており、「摂めとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追はへとるなり。摂はをさめとる、取は迎へとる」(『註釈版聖典』五七一頁)と示されています。ここよりすれば摂取不捨とは、念仏の衆生を摂めとって捨てず、護りつづけることだといえるのです。これは、この世で生死のなかにありながら生死に縛られない立場をも意味しています。だからこそお念仏の救いには、煩悩の有無や臨終のあり方、そして凡夫であるか聖者であるかなどが問題とならないのです。石が水に沈む性質のまま、船に乗せられて沈まずに浮かぶことにたとえられますが、阿弥陀さまにまかせきったならば、今生で凡夫のまま正定聚の位につかせていただくのです。

 

また、「摂取不捨」で思い起こされるのは『歎異抄』第一条ではないでしょうか。

 

弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。

(『註釈版聖典』八ご二頁)

 

ここに出る「摂取不捨の利益」のことばを、「不退のくらい」と読みかえると、今月のことばの内容と重なっていることに気づかされるのです。

 

親鸞聖人が見ぬかれたのは、阿弥陀さまの救いにあずかった者に成り立つ、現生正定聚という利益でした。そしてこの点は、先だって龍樹菩薩が説いておられたことを承けたものであることが、『教行信証』「行巻」に示されています。

 

しかれば、真実の行信を獲れば、心に歓喜多きがゆゑに、これを歓喜地と名づく。(中略)いかにいはんや十方群生海、この行信に帰命すれば摂取して 捨てたまはずゆゑに阿弥陀仏と名づけたてまつると。これを他力といふ。ここをもって龍樹大士(りゅうじゅだいじ)は「即時入必定(そくじにゅうひつじょう)」(易行品一六)といへり。曇鸞大師は「入正定聚之数(にゅうしょうじょうしゅしじゅ)」(論註・上意)といへり。

(『註釈版聖典』 一八六頁)

 

ここに龍樹菩薩および、後に龍樹菩薩の説を承ける曇鸞大師のお名前を掲げ、両師の明らかにされたところは「即時大必定」および「入正定之聚」という、信心の行者が不退転地に入ることが示されます。龍樹菩薩がお説きくださった、船に乗せられて水路を進む易行の眼目だといえるでしょう。

 

 

わたしの願いに先だって

 

あるお同行が、つぎのように打ち明けてくださいました。

 

「わたしは生まれてから今日まで、これといって大きな問題にも出遭わず、現在も、おかけで夜も眠られないほどの悩みというものはありません。だからでしょうか、仏教でこの世を『穢土』といわれるほどに厭わしいとも思いません。ですが、何となく不安なのです。衣食住に何の不足もなく、家族も元気で地域の人々とも親しく穏やかな日々ですが、なぜかわたしは『これで良いのだ』と落ち着くことができません。決して日々寂しくて堪えられないというほどでもありませんが、この不安は隠せません。わかしは気にしすぎでしょうか」

 

なぜ宗教は必要なのですかと問わずにいられないわたしたちは、科学技術をはじめとするすばらしい人知や多くのめぐみに浴しながら、心の奥の深い深いところで、生まれたがための不安、つまり老病死の不安を抱えつづけています。本当の意味で、心の底から安心したいと願っています。ですから決して「気にしすぎ」では済まされない問題なのです。

 

そんな問題をかかえるわたしを見ぬいている阿弥陀さまの救いであって、聖人のご和讃(『高僧和讃』)では「龍樹讃」に、

 

生死の苦海ほとりなし
ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ
のせてかならずわたしける

(『註釈版聖典』五七九頁)

 

との一首があります。お念仏は、この迷いの境界に沈んでいるわたしを、まことの境界に至らせる弥陀の願船です。船に乗せられたならば、もう船の行く先にしか行けなくなるのです。願船に乗せられ、南無阿弥陀仏を称える身とならせていただくならば、その時、お浄土にしか往けない身となるのです。

 

死んでいくだけの寂しい人生かと、うすうす不安を感じていました。でも、そうじゃありませんでした。お念仏によって、お浄土に生まれていく人生だったと知らされ、この世で往生浄土の証拠を得させていただくのです。

(高田未明)

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