2015年12月 生活の中で念仏するのではなく念仏の上に生活がいとなまれる 法語カレンダー解説

hougo201512価値判断の基準はどこ?

 

今月の法語は、和田稠氏の著書『信の回復』(東本願寺出版部)からいただいています。和田氏は石川県生まれ、真宗大谷派浄泉寺住職、石川県立大聖寺高校の校長などを歴任され、二〇〇六(平成十八)年にご往生されました。

 

この法語で示されているのは、まず何か価値の基準になっているのか、ということです。

 

法語の中で誡められている「生活の中で念仏」というあり方は、生活の論理を前提とし、その上で念仏申すすがたです。生活が主であり、念仏申すことは従です。

 

生活によってお念仏が左右されることはありますが、お念仏によって生活が問われることはありません。つまり価値判断の基準は生活にある、と言うことができます。

 

一方、勧められている「念仏の上に生活かいとなまれる」あり方とは、お念仏を前提とし、その上で生活していくすがかです。お念仏加主であり、生活が従です。私たちの生活は、お念仏によって問われ続けます。つまり、価値判断の基準はお念仏にある、と言うことができます。

 

これはたとえて言うならば、趣味としてスポーツを行う人の生活と、プロスポーツ選手の生活との違いです。

 

趣味の人は、生活の許す範囲でスポーツをします。時間や費用などは、生活に支障が出ない範囲であることが原則でしょう。つまり最終的な価値基準は生活にあり、生活を乱す場合は、あきらめることもあり得ます。あくまで生活が主であり、趣味は従であると言えます。

 

一方プロスポーツ選手は、自らのプレーが万全になっていくように生活を組み立てていきます。日々の生活リズム、食事、トレーニングなど、すべてプロ選手として力を発揮するために細心の注意が払われます。最終的な価値基準はスポーツ選手としてのプレーにあり、そのために、常に生活を問う姿勢が求められます。つまり、プレーが主であり、生活は従です。

 

お念仏申すことは、もちろん趣味ではありません。プロ選手のように名声やお金が手に入るものでも、厳しいトレーニングなどを必要とするものでもありませんが、お念仏申すこと、そしてお念仏に込められた阿弥陀如来のおこころを価値判断の基準とするとき、私の生活ぶりが問われるのです。

 

 

お念仏に問われる

 

では、お念仏に生活が問われるとは、どういうことなのでしょうか。今月の法語にある「念仏の上に生活かいとなまれる」というあり方はどのようなものでしょうか。

 

親鸞聖人の「御消息」に次のようなお示しがあります。

 

まづおのおのの、むかしは弥陀のちかひをもしらず、阿弥陀仏をも申さずおはしまし候ひしが、釈迦・弥陀の御方便にもよほされて、いま弥陀のちかひをもききはじめておはします身にて候ふなり。もとは無明の酒に酔ひて、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒をのみ好みめしあうて候ひつるに、仏のちかひをききけじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして、阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし。

(『親鸞聖人御消息』第二通、『註釈版聖典』七三九頁)

 

そもそもみなさんは、かつては阿弥陀仏の本願も知らず、その名号を称えることもありませんでしたが、釈尊と阿弥陀仏の巧みな手だてに導かれて、今は阿弥陀仏の本願を聞き始めるようになられたのです。以前は無明の酒に酔って、貪欲・脱恚・愚痴の三毒ばかりを好んでおられましたが、阿弥陀仏の本願を聞き始めてから、無明の酔いも次第に醒め、少しずつ三毒も好まないようになり、阿弥陀仏の薬を常に好むようになっておられるのです。

(『親鸞聖人御消息(現代語版)』九頁)

 

お念仏申す身となった人が、無明の酔いから次第に醒め、貪欲・瞋恚・愚痴の三毒の煩悩を好む生活から、次第に離れていく様子が示されています。お念仏が価値基準となってくださり、三毒の煩悩を好んでいた私から、好まない私へと変革されていきます。

 

貪欲とはむさぼりの心のことです。自らにとって好ましいと思えるものを果てしなく求める心のことです。瞋恚とは燃え上がるような怒り、憎しみの心です。愚痴とは迷いの根本であり、無明ともいいます。真理を知らないおろかさのことです。私たちは縁起の道理を知らず(無明)、それゆえに自分中心の心にとらわれて、自らに都合がよいものを貪り(貪欲)、都合が悪いものを退け(瞋恚)、迷いを深めて(愚痴)います。そして、そのような煩悩の病を治療する薬がお念仏に譬えられています。

 

 

仏教をどう聞くか

 

私たちの物事の受け止め方は、何事も自分に都合良く、見事なまでに仕上がっています。親鸞聖人はそのような私のあり方を「煩悩具足の凡夫」とお示しになりました。

 

私の勤務先がある京都市には、たくさんのバスが走っています。交通事情によって、バスが時刻表とはわずかに前後して到着・発車することがあります。

 

自分が既にバスに乗車している時や、バス停で早くからバス待ちをしている時には、時刻表より早いバス運行は歓迎です。ところが、時刻表に合わせてバス停に行ったところ、先にバスが出てしまっていたら、たいへん腹立たしく思ってしまいます。

 

バスが時刻表より早く運行されることが、立場によって歓迎すべきことになったり、腹立ちに結び付いたりするのです。この時の価値判断の基準は、まさしく自分にとって都合がよいか、悪いか、の一点です。

 

私たちの物事の受け止め方は、きわめていい加減であり、危険であると言わなければなりません。念仏をこのような受け止め方の延長で考えるのが、今月の法語で誡められている「生活の上で念仏」申すあり方です。

 

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の図をご覧ください。私たちの日常の思考は「①私の生活」で囲った部分です。必ずしもお祈りが伴うわけではありませんが、ともあれ、自分の都合の実現が、私たちの「幸せ」です。そして、お念仏や仏さまを自分の都合を実現する、いわば道具としてさえ使おうとします。私たちは自分白身が抱える根深い煩悩を問うことはありません。自分の都合が実現しないと「仏の力もその程度」「神も仏もあるものか」とうそぶくのです。

 

一方、仏教が問題にしているのは、「①私の生活」の部分全体です。①の部分は、煩悩に振り回されて生きるあり方そのものです。

 

私たちは煩悩に振り回され、目先の快楽、老・病・死によって壊れる幸せを求めています。阿弥陀如来はそのあり様を見抜き、心から心配されています(図の②の部分)。そして、それに気付くことさえない愚か者に、お名号「南無阿弥陀仏」となって「必ず救う」と喚びかけてくださいます。

 

お念仏申すということは、私の生活全体が阿弥陀如来に問われるということです。「①私の生活」が煩悩に振り回されているあり様であり、それは苦悩を作り続けるあり方であることが知らされます。自分の都合にとらわれた「①私の生活」が、地獄行き決定の生き方であることを知らされるのです。

 

 

愚者になりて

 

お念仏によって、阿弥陀如来のおこころに出遇い、煩悩に振り回される自分のあり様を知らされるとき、おのずと自らの愚かさを恥じる心が生まれます。お念仏申す身となっても私か煩悩具足の凡夫であることに変化はありません。けれどもそのような私に、煩悩に振り回された生き方をできる限り慎もうとする心が生まれるのです。

 

親鸞聖人は、このことを先の「御消息」で、

 

仏のちかひをききはじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして

(『親鸞聖人御消息』第二通、『註釈版聖典』七三九頁)

 

と示されていました。

 

阿弥陀如来は、私の愚かさを見抜く智慧と、そのような愚か者を救わずにはおれない慈悲をお持ちの仏です。私か称えるお名号には、その智慧と慈悲が込められています。お念仏を申し、煩悩を煩悩として知らされ、生き方が転換されていくことは阿弥陀如来の智慧と慈悲のはたらきに、この私か包まれていることを意味します。

 

親鸞聖人は法然聖人のお言葉を次のように回想されています。

 

故法然聖人は、「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と候ひし

(『親鸞聖人御消息』第{六通、『註釈版聖典』七七一頁)

 

今は亡き法然上人が、「浄土の教えを仰ぐ人は、わが身の愚かさに気づいて往生するのである」と仰せになっていたのを確かにお聞きしました

(『親鸞聖人御消息(現代語版)』六一頁)

 

私たちは、賢くなって阿弥陀如来の浄土に往生するのではありません。親鸞聖人の回想からは、自らの愚かさを知らされることを通して、阿弥陀如来の救いの確かさ、あたたかさを受け止めておられる様子が窺えます。念仏の上にいとなまれる生活とは、そのようなものなのです。

(黒田義道)

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2015年11月 如来の本願は称名念仏にあり 法語カレンダー解説

hougo201511阿弥陀如来の本願

 

今月は藤元正樹氏の言葉です。藤元氏は一九二九(昭和四)年、兵庫県に生まれられました。真宗大谷派円徳寺住職を勤められ、また大谷派同和推進本部委員、真宗教学研究所研究員などを歴任、二〇〇〇(平成十二)年にご往生されています。

 

この法語は、二〇〇一(平成十三)年に出版された『願心を師となす』(東本願寺出版部)からいただいています。

 

さて『無量寿経』には、「私はこんな仏になりたい」という法蔵菩薩の四十八の願いが示されています。法蔵菩薩とは、修行時代の阿弥陀如来のお名前です。そして、この願いが、願いの通りに実現しないならば、決して仏に成らないと誓われています。

 

この四十八願の中心となるのは、第十八番目の誓願です。これを本願といいます。本願には次のように誓われています。

 

たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽してわが国に生ぜんと欲ひて、乃至(ないし)十念(じゅうねん)せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹誇正法とをば除く。

(『註釈版聖典』 一八頁)

 

わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗(そし)るものだけは除かれます。

(『浄土三部経(現代語版)』二九頁)

 

すべての人々に対して、信心(至心信楽してわが国に生ぜんと欲ひて)と称名念仏(乃至十念せん)とが並べて示され、そのような者を必ず往生させる、という内容です。私たちを往生成仏させるはたらきは、お名号「南無阿弥陀仏」に込められ、喚び声となって私に至り届いてくださいます。本願には、そのお名号を信じさせ、称えさせて往生させると誓われているのです。

 

 

「お念仏一つ」と「信心一つ」

 

親鸞聖人がお勧めくださった浄土真宗のご法義は、「お念仏一つ」とも「信心一つ」とも言われます。この場合の「お念仏」とは称名念仏のことです。同じく「一つ」と言いながら、本願には「お念仏」と「信心」が出て参りますので、戸惑われる方もおられるかもしれません。

 

一見すると、「お念仏一つ」「信心一つ」と異なることが言われているようにも見えますが、別のことを言っているのではありません。信心を離れたお念仏はなく、お念仏を離れた信心もありません。「信心一つ」で往生成仏が決定した人の生活が、「お念仏一つ」の生活となって続いていく、ということなのです。

 

 

信心一つが正因

 

「信心一つ」ということについて、親鸞聖人のお示しを窺うと、例えば「正信掲」に、

 

正定(しょうじょう)の因(いん)はただ信心なり。

(『註釈版聖典』二〇六頁)

 

浄土へ往生するための因は、ただ信心一つである。

(『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』 一四八頁)

 

 

とおっしゃっています。私たちの往生の因は信心一つである、と明確にされています。お名号「南無阿弥陀仏」に込められた「必ず救う」という阿弥陀如来のはたらきが、私の心に届いたすがたが信心ですので、私の往生成仏は、信心が開けおこった時に決定します。

 

たとえば、「ご本山にお参りしましょう」という呼びかけが私の心に届き、「ご本山にお参りします」という心が生じた時、呼びかけの通り、ご本山にお参りすることが決定します。早速、決定済みのご本山参拝をスケジュール帳に記入しなければなりません。

 

本願には、信心と称名念仏が誓われていますが、往生成仏の決定は、信心が開けおこった時です。私か行う称名念仏は、信心相続の行であり、私の往生成仏の決定には関わらないと言うことができます。

 

 

「乃至」のおこころ

 

信心が正因であることは、本願において、称名念仏の回数が決まっていないことからも窺うことができます。

 

本願には称名念仏が「乃至十念」と誓われています。「十念」とは、十声の称名念仏のことです。それに冠された「乃至」は、回数が決まっていないことを示す言葉です。そこで「乃至十念」について、『浄土三部経(現代語版)』では「わずか十回でも念仏して」と現代語訳されています。

 

親鸞聖人は、本願の「乃至十念」について、二念多念文意』に、次のようにお示しになっています。

 

本願の文に、「乃至十念」と誓ひたまへり。すでに十念と誓ひたまへるにてしるべし、一念にかぎらずといふことを。いはんや乃至と誓ひたまへり。称名の遍数さだまらずといふことを。この誓願は、すなはち易往易行のみちをあらはし、大慈大悲のきはまりなきことをしめしたまふなり。

(『註釈版聖典』六八六頁)

 

『無量寿経』の本願の文に、「乃至十念」とお誓いになっている。すでに十念とお誓いになっていることから、一念に限定するのではないと知ることができる。まして乃至とお誓いになっているのである。だから、称名の数は定まっていないと知ることができる。この誓願は、誰もが浄土に往生することのできる他力易行の道をあらわし、如来の大いなる慈悲のお心がきわまりないことをお示しになっているのである

(『一念多念文意(現代語版)』二二頁)

 

 

「乃至」の言葉には、「称名念仏の回数は問題ではありませんよ」という阿弥陀如来のお心があらわれているのだ、とお示しです。

 

阿弥陀如来が称名念仏の回数を問題にされていないということは、称名念仏の回数が、多くても少なくても、極言すればゼロ回であっても往生決定とは関わりがない、ということになります。私たちの往生の因となるのは、信心一つだということが、すでに本願に示されているのです。

 

このようなことが成り立つのは、私を往生成仏させる力がお名号にあるからです。私の□に称えられているお名号に、私を往生成仏させる力があるのです。称名念仏申すという私の行為と引き換えに往生成仏が決定するのではありません。仮に称名念仏が往生成仏の条件なのであれば、そのような重大事に「乃至」という数を特定しないお言葉が添えられているとは思われません。

 

信心を得てから、この世のいのちが尽きるまで、称名念仏の回数はさまざまです。回数を問わず、ひとしく救われていく道であることを、親鸞聖人は「大慈大悲のきはまりなきことをしめしたまふなり」とお示しになっています。

 

 

「お念仏一つ」

 

では阿弥陀如来は、どうして本願に称名念仏をお誓いなのでしょうか。信心一つで私たちの往生成仏が決定するのに、なぜ阿弥陀如来は、「名号を称えさせるぞ」とはたらきかけてくださるのでしょうか。

 

お名号は、阿弥陀如来の救いの力そのものです。そもそも、称名念仏申すはずのない私の口から、「南無阿弥陀仏」が出てきてくださるということは、まさしく阿弥陀如来のはたらきが、私のもとへ届いていることのあらわれです。

 

このことを思うとき、阿弥陀如来に抱かれているよろこびの思い、感謝の思いが称名念仏となって出てきます。そしてその声を、阿弥陀如来が私を救おうとされる力、お名号として、私たちは聞くのです。

 

本願の称名念仏は、私たちの心持ちから言えば、阿弥陀如来に救い取られているという感謝の気持ちをあらわすものです。私たちが往生成仏する正因は「信心一つ」であり、その生活は「お念仏一つ」の生活となって続いていくのです。

 

親鸞聖人は『一念多念文意』において、称名念仏が易往易行の道であることをあらわし、阿弥陀如来の大慈悲心がきわまりないことが示されているのだ、と仰せになっていました。

 

称名念仏が「易往易行の道」であるというのは、誰でも容易に行うことができ、容易に往生できる道だということです。

 

称名念仏は、いつでも、どこでも、申すことができます。何か特別の準備が必要な行いではありません。歩きながらでも、横になりながらでも、うれしい時も、悲しい時も、心静かな時も、心乱れた時も、申すことができます。

 

阿弥陀如来は、私たちの生活が自分中心の心に振り回されたものであることを、見抜いておられます。仮に「心を調えてお念仏申せ」と本願にお誓いであれば大変です。「腹を立てないでおこう」などとどれほど思っていても、「しまった、腹を立てている」と気付くのは、既に腹が立った後です。ことに自分こそが正しいと思えてならない時の怒りは、止めることができません。

 

私たちは煩悩にまみれ、特別な準備がそもそも不可能です。いつでも、どこでも、特別な準備なしに申すことができる称名念仏を、阿弥陀如来は私たちのために選び取ってくださっているのです。

 

阿弥陀如来は根深い煩悩を抱えた私を見抜き、周到に本願をお建てになっています。時に悲しみの中で、時に怒りの中で、時にうれしさの中で、折々に称名念仏を申すとき、煩悩の中にある私のすがたを知らされ、また、私をお捨てにならないはたらきを感じるのです。

(黒田義道)

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2015年10月 世俗の論理の行き詰ることを教えるのが仏法 法語カレンダー解説

hougo201510四門出遊

 

十月は、栗山力精(くりやまりきしょう)氏が寺報「海」二百五十八号に記された言葉です。

 

栗山氏は一九一七(大正六)年、広島県のお生まれです。}九三九(昭和十四)年に福岡県の円徳寺に入られ、伝道活動に勤しまれました。寺報「海」は一九五五(昭和三十)年に創刊、栗山氏がご往生になる前年の一九八〇(昭和五十五)年には、三百号を数えました。

 

さて今月の法語では、世俗の論理と仏教の論理が根本的に異なることが示されています。世俗の論理とは、私たちの日常生活での論理ということです。

 

しばしば誤解を受けますが、仏教は、私たちの願いを思いのままに実現する便利な道具ではありません。また、世俗を巧みに生き抜くための処世術でもありません。もちろん、お寺に参拝したり、仏教を聴聞することで、一時的に気分が落ち着くなどの効用もあるかもしれません。けれども、それは仏教の本質ではない点に注意する必要があります。

 

では、仏教は何を課題とする教えなのでしょうか。

 

このことは、若き日のお釈迦さまの物語から窺うことができます。次のような内容です。

 

 

カピラ城の王子であったお釈迦さまは、なに不自由ない優雅な生活を送っていました。

 

ある日、お釈迦さまは馬車に乗って宮殿の外に散歩に出かけました。

 

東の門からお城を出ると、体が衰えた老人に出会いました。王子であるお釈迦さまの周りには、そうした老人はおりません。お釈迦さまは、御者に「あの人は何という者であるか。他の者と違っているようだ」とお尋ねになりました。そして、御者からそれが老人というもので、年齢を重ねれば、誰もがそのようになることを知らされます。

 

お釈迦さまはショックを受け沈み込んだ気持ちで、その場から宮殿に引き返されました。

 

またある日、南の門から出かけると、今度は重い病人に出会います。お釈迦さまは同様に御者に尋ねられ、宮殿に引き返します。またある日、西の門から出かけると、今度は死人に出会います。今度もまた同様でした。お釈迦さまは老・病・死の事実に衝撃を受けられたのです。

 

そしてまたある日、今度は北の門から出かけました。そこでお釈迦さまは、気高い出家者に出会います。御者から出家者について説明を受け、自ら出家する決意を固められました。

 

 

この物語は四門出遊(しもんしゅつゆう)と呼ばれています。お釈迦さまが直面された課題と、出家して求道の生活へと入られた心の動きがあらわされています。

 

 

仏教の課題

 

四門出遊の物語で示されるお釈迦さまの課題は、仏教の課題そのものと言うことができます。

 

物語の中で、お釈迦さまは老・病・死の事実に衝撃を受けられます。『アングッタラ・二カーヤ』というパーリ語経典には、出家前のお釈迦さまが、次のような反省をされたと記されています。

 

愚かな凡夫は、自分が老いゆくものであって、また、老いるのを免れないのに、他人が老衰したのを見ると、考えこんで、悩み、恥じ、嫌悪している― 自分のことを看過して。(中略)わたくしがこのように考察したとき、青年期における青年の意気(若さの驕り)はまったく消え失せてしまった。

(『中村元選集【決定版】』 一一巻、」五六頁、春秋社)

 

さらに、お釈迦さまは、病・死について考察され、「健康時における健康の意気(健康の驕り)」「生存時における生存の意気(生きているという驕り)」が全く消え失せたとされています。

 

「若さの驕り」「健康の驕り」「生存の驕り」とは、自らの老・病・死に心を向けることができない、私たちのありさまをあらわしている言葉です。科学の進歩により、老・病・死を先延ばしにすることは、いくらか可能になりました。けれども老・病・死から完全に逃れるという希望は、決して満たされることがないままです。お釈迦さまは、老・病・死の事実が他ならぬ自分自身に降りかかることを深く受け止め、ショックを受けられたのです。

 

 

世俗の論理を超えて

 

老・病・死は、私たちにとって代表的な不幸です。なぜなら、老・病・死は、私たちが社会で築き上げてきた財産や、地位や、名誉など、あらゆるものを根こそぎ損ねてしまうからです。

 

残念なことに世俗で手に入れた物事は、必ず失われてしまいます。そうした不安定なものは、私たちの究極的依り所にはなり得ません。頼りにできないのです。

 

ところが私たちは、老・病・死の厳しい現実に、なかなか心を向けることができません。そして目先の楽しみを追い、失われる幸せばかりを求めているのではないでしょうか。

 

栗山氏は次のようにもおっしゃっています。

 

仏の教えは、この生死(しょうじ)を出ずべき道、生死を離れ出る道を教えるのである。
いままでは生死の中に埋没して、煩悩のとりこになっていて、自分では幸せだと思い込んでいたのである。

(「海」二九八号)

 

煩悩とは自分中心の心のことです。自分自身を悩ませる結果を招く心です。しかし私たちは煩悩に振り回され、その中で自分の「幸せ」を求めています。そして、財産や地位や名誉を得ようとする中で、自分か傷つき、他人を傷つけを繰り返しています。

 

自分の思い通りにならないと言っては、怒り、悲しみ、その余り、後悔に暮れる行いをしてしまうこともしばしばです。「私が、私が」と他人を押しのけ、ようやく望みを叶えても、世俗の論理の中で得た幸せは、老・病・死によって、結局は失われてしまいます。

 

世俗の論理で「幸せ」と思える事柄は、誤った思い込みなのではないでしょうか。日常生活の中で、私たちが追い求めている幸せとはどのようなものか、よくよく考える必要がありそうです。

 

仏教は、煩悩に根ざす世俗の論理を明らかにし、それを乗り越えていく教えなのです。

 

 

病院のそばで

 

お釈迦さまは二十九歳の時に出家され、厳しい修行の末に、さとりを開き、仏と成られました。これは煩悩を断ち、老・病・死がもはや不幸とはならない生き方をされるようになったということです。世俗の論理を離れられたのです。

 

ところが、私たちは世俗の論理を離れることが不可能です。煩悩に振り回され、止むことがありません。根深い愚かさを抱えているからです。

 

もう何年も前のことです。事情があって転居することになり、賃貸物件を探していました。不動産屋さんがいくつかの物件を案内してくださいました。その一つに病院に近い物件がありました。高齢者の医療を得意とする病院のようで、窓からは治療に取り組む患者さんやお医者さんの姿が見えました。あいにく希望の条件と合わず、その物件には入居しませんでした。その時に、若い係の方が次のようにおっしゃいました。

 

「病気の方の姿がいつも見えるのはいやですよね」

 

気楽に断れるように、という心遣いだったのだと思いますが、本音のようにも思えました。

 

お断りした理由が別の点にあったこともあり、私は強い違和感を覚えました。もし、私の家族があの病院に通っていると言ったら、どう返答するつもりだったのだろう。そんなことも考えました。

 

私たちは、お釈迦さまのように、鋭いセンスを持ち合わせていません。老・病・死のように、考えたくもないようなことに話題が及ぶと、すぐに「不吉だ」などと言って話を避けようとします。若い係の方と同様、自分の問題として考えることが、なかなかできません。このように言っている私も、「家族があの病院に通っていると言ったら」とは考えたものの、「私があの病院に通っていると言ったら」とは、考えることができませんでした。私もまた煩悩の海に溺れ、若さ・健康・生存の驕りの中にあるのです。

 

 

仏法をあるじとし、世間を客人とせよ

 

それでは、私たちは世俗の論理のままで生きるしかないのでしょうか。いいえ、そうではありません。蓮如上人のお言葉が思い出されます。

 

一、仏法をあるじとし、世間を客人(まろうど)とせよといへり。仏法のうへよりは、世間のことは時にしたがひあひはたらくべきことなりと云々(うんぬん)

(『蓮如上人御一代記聞書』一五七条、『註釈版聖典』一二一八頁)

 

一、「仏法を主とし、世間のことを客人としなさい」という言葉がある。仏法を深く信じた上は、世間のことはときに応じて行うべきものである

(『蓮如上人御一代記聞書(現代語版)』一○一頁)

 

蓮如上人が仰せになる仏法とは、阿弥陀如来のご本願の救いのことです。阿弥陀如来は、私たちが根深い煩悩を抱えていることを見抜いておられます。そして、世俗の論理の中で苦悩を深める私たちこそ、救わずにはおれないとはたらいてくださっています。

 

私たちは底なしの愚かさを抱えています。そのような愚者に向けられた「南無阿弥陀仏」を依り所として生きるよりほかありません。阿弥陀如来の智慧と慈悲が込められたお名号「南無阿弥陀仏」は、世俗の論理が行き詰まることを私たちに知らせるはたらきです。そして世俗の論理に迷う私たちを救おうとする、真実の喚び声であるのです。

 

世俗の論理に合わせ、都合よく仏法を受け止めるのではなく、仏法を中心に、仏法に合わせて世俗での生き方を考え直さなければなりません。

 

それが、阿弥陀如来の本願を聞信する浄土真宗門徒の生活なのです。

(黒田義道)

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北海道・強制労働犠牲者 朝鮮人の遺骨奉還 市民による追悼会とお見送りのご案内

戦時下、北海道で強制労働の犠牲となった朝鮮人の「遺骨奉還 70年ぶりの里帰り」が9月11日から実施されます。北海道を出発し、17日に下関で法要・追悼会後、関釜フェリーにて朝鮮半島へとお帰りになります。(以下パンフレット参照)

多くの朝鮮人が最初に降り立った異国の地、関釜連絡船の発着地・下関での最後のお見送りに、市民の皆さん、ぜひご参加ください。

 

 

■下関のお見送り ―法要・追悼会―

日時:9月17日(木)13時30分~

場所:光明寺 山口県下関市細江町1丁目7-10 TEL:083-222-0156

光明寺へのアクセス方法はこちら≫

 

 

■呼びかけ

「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」 宇部市常磐町1-1-9 宇部緑橋教会内

「山口県朝鮮人強制連行真相調査団」 下関市長崎本町1-25

 

 

■協力団体

日本とコリアを結ぶ会―下関

 

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戦後70年にあたって非戦・平和を願う総長談話

アジア・太平洋戦争の終結から、本年で70年目を迎えました。先の大戦によって犠牲 になられた世界中のすべての皆さまに対し、あらためて衷心より哀悼の意を表します。また、大切な方を失った方々の悲しみは、今現在も癒えることがありません。戦争は遠い未来の人々にまで、深い苦しみを与えるのです。

 

約2500年前、釈尊は「己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」と説かれました。しかし、今なお私たちは、自分の都合の良いもの には愛着を抱き、不都合なものには憎しみを抱くという、自己中心的な生き方をしています。共にかけがえのない命を受けながら、他者を認めることができず、 争いあっているのです。いかなる戦争も、必ず、多くの命を奪います。そして、人と人が命を奪いあうことほど愚かなことはありません。

 

非戦・平和こそ人類の進むべき道です。

 

大谷光真前門主は、1997年3月20日、本山・本願寺における基幹運動推進・御同朋の社会をめざす法要で、「すべてのいのちの尊厳性を護ること、基本 的人権の尊重は、今日、日本社会の課題にとどまらず、人類共通の課題であり、世界平和達成への道でもあります」と述べられました。私たちは「いのちの尊厳 性」が平和実現のキーワードであることを、今こそ認識すべきであります。

 

また、大谷光淳門主は、2015年7月3日、広島平和記念公園における平和を願う法要で、「人類が経験したこともなかった世界規模での争いが起こったあ と、70年という歳月が、争いがもたらした深い悲しみや痛みを和らげることができたでしょうか。そして、私たちはそこから平和への願いと、学びをどれだけ 深めることができたでしょうか」と述べられました。

 

現在、日本では、我が国の平和と安全保障を巡って、国会のみならず、全国各地で厳しい議論がおこなわれていますが、多くの国民が納得できるよう、十分な 説明と丁寧な審議が尽くされることを願っております。私たち浄土真宗本願寺派でも、先の戦争の遂行に協力した慚愧すべき歴史の事実から目をそらすことな く、念仏者がどのように恒久平和に貢献しうるかについて、研究を重ねてきました。近々に、その成果≪平和に関する論点整理≫を中間報告として公表する予定 です。これを機に、宗門内外の方々と共々に学びを深めることができれば幸いです。

 

戦後70年を経た今、私たちは過去の戦争の記憶を風化させることなく、仏の智慧に導かれる念仏者として、すべての命が尊重され、自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献すべく、歩みを進めてまいります。

 

2015年8月10日

浄土真宗本願寺派
総 長  石上 智康

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8月15日 本山で終戦70周年追悼法要が営まれました

ご門主 表白(ひょうびゃく)で非戦・平和の決意

「戦争を支持した宗門の歴史を深く省みて」

 

 

終戦記念日の8月15日、本願寺では終戦70周年戦没者追悼法要が営まれました。

 

 

ご門主の表白(全文)

 

敬って大慈大悲の阿弥陀如来の尊前に申し上げます。

本日ここに本願寺 釋 専如
恭しく尊前を荘厳し参仕の衆僧並びに有縁の方々と共に懇ろに聖教を読誦して 終戦70周年戦没者音庫法要を厳修いたします。

謹んで思いますに阿弥陀如来の智慧と慈悲は南無阿弥陀仏の名号となって 私たちを救おうと 常にはたらき続けてくださいます。

それは 智慧も慈悲もなく、自分中心の考えから敵と味方を区別し憎しみ傷つけあう 私たちのすがたを 阿弥陀如来は見抜かれているからであります。

顧みますとかつて日本は国を守るためとして戦争への道を選び私たちの宗門も それを支持してきました。

しかしながら戦火は国内外で人々の生活の場をも破壊しおびただしい命が失われ 後には大きな痛みと悲しみが残されました。

以来70年が経過した今、戦争の記憶が薄れ行く中で日本の平和への歩みは重大な局面を迎えています。

この法要に際して 戦争で亡くなられた すべての方々を想い追悼の心を新たにすると共に 私たちの根本的な愚かさと戦争を支持した宗門の歴史を 深く省みて 絶望や対立を超えて非戦・平和の決意を受け継いでいかなければなりません。
このうえはいよいよ聞法求道に精進して阿弥陀如来の智慧と慈悲を仰ぎつつ平和な世界を築くために 力を尽くしたいと思います。

敬って申し上げます。

 

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2015年9月 煩悩の嵐の中にも 念仏において 本願の呼び声が 聞こえてくる 法語カレンダー解説

hougo201509南無阿弥陀仏の喚び声

 

九月といえばお彼岸です。日中はまだまだきびしく照りつける太陽も、夕刻にはやわらかな光となって、真西に静かに沈んでいきます。先人たちも壮年期には、まるで日中の太陽のごとく精力的に時代をなしていかれましたが、晩年には夕日のようなやわらかさをたたえて、真西の方角にあるお浄土へと旅立っていかれました。
そして私たちもやがてそこに生まれさせていただきます。私たちにとってお彼岸とは、真西のお浄土を仰いでいく大切な時間なのです。

 

さて今月の言葉は、真宗大谷派の正親含英氏の言葉です。浄土真宗の真髄を伝える素晴らしい言葉であり、また氏のご法義に対する真剣な迫力を感じさせる言葉でもあります。なるほど、氏の仰せの通りですね。阿弥陀さまはお浄土にいて、私たちが来るのをただ待っている如来さまではありません。私を心配して立ち上がり、私の所にやってこられたのです。そしてどれはどの時間がかかろうとも私を念仏する者へと育て上げ、煩悩を抱えたまま浄土へと導いてくださる方です。そのことを告げるのが「南無阿弥陀仏」の喚び声なのです。

 

「南無阿弥陀仏」とは、一般的には「阿弥陀仏に南無します」、すなわち「阿弥陀さまにおまかせします」という意味で理解します。しかしそれが喚び声だというのなら、「阿弥陀仏に南無せよ」と聞こえてきます。それは「私(阿弥陀仏)にまかせなさい(南無)」と聞こえているのです。親鸞さまはその声こそ、私の人生すべてを包み込むあたたかい如来さまの名告りなのであり、その名告りがあったからこそ、私は「阿弥陀さまにおまかせしまず」とお念仏するように育てられたのであると教えてくださいました。

 

 

愛に二つあり

 

ところで愛という言葉があります。ちまたでは「愛しています」「愛がないね」などと、とにかく愛という言葉が溢れかえっています。私も実は、そういう言葉を言ったことがないわけではありません。しかしながら仏教では「愛」と言っても、「渇愛」と「慈愛」との二つに分けて考えます。つまり愛なら何でもいいというわけではない、というのです。この辺が仏教のおもしろいところです。

 

この「渇愛」とは、あたかも喉が渇けば水を求めていくように、自分で勝手に好きと嫌いを描き出し、「ああなりたい」「こうしてほしい」などと、常に相手に渇望し続けるような在り方であり、これは執着と同じ意味です。つまり愛とは言ってもいつも自分が中心なのであり、いわば愛という名の煩悩だといえます。

 

一方で「慈愛」とは「慈」を「いつくしむ」と訓むように、相手を思いやり大切にする愛情のことで、こちらの場合はどこまでも相手が中心なのであり、これはさとりの慈悲のことです。では私たちが起こす愛情はどちらでしょうか、と尋ねられれば、お察しの通り、ほとんどが渇愛です。相手に何かをしてあげても、それが別にほめてもらうつもりでしたわけではなくても、しだいに心には打算がちらつきます。そして相手が知らん顔をしているとなると、「お礼の二回もない」と憤慨する始末です。

 

しかし問題なのは、私たちに慈愛はないのかということです。確かにほとんど渇愛だけれど、時にはほんのかすかな慈愛もあるのではと思う方もおられるのではないでしょうか。

 

 

看病疲れをとおして

 

私には、十年前に亡くなった叔父がいます。叔父は外科医でした。まじめで、あまり多くを話さず、ひたすらはたらき続けた方であり、自慢の叔父でした。ある時、その叔父が「看病疲れってわかるか」と私に話しかけ、こんな話をしてくれました。叔父の専門は肝臓で、手術してよくなる方もおられますが、一方で亡くなる方も少なくありません。そんな中、入院しているおばあちゃんをとても献身的に看病するひとりの女性がいたそうです。その方はいわゆる「長男の嫁」だったそうですが、日々、何人も同じような方を見ている中で、その女性の姿はとても印象的だったそうです。
しかし、おばあさんは数力月の入院の末に亡くなり、ご家族が最後に叔父へお礼を言いにこられたそうです。その時、叔父はふとその女性に、普段は決してそういうことをいうタイプではないのですが、「よく頑張っておられましたね」といったことを告げたそうです。すると、その女性が病室の後片付けを終えると再びやってこられて、こう言われたそうです。

 

先生。……さっき私の看病のことを言っていただきましたけど、本当に清らかな気持ちでお義母さんのことを思って動いてたんは、せいぜいはじめの二ヵ月くらいなんです。あとはだんだんこっちもしんどくなってきて、私はいつも、「お義母さん、いつまで生きるんかなあ」と思ってばっかりでした。

 

泣きながらの告白だったそうです。叔父がしみじみと話してくれたのでした。

 

清らかな思いではしめた看病が、やがてお義母さんの死を願うようになる。これは言葉を換えれば、この女性の慈愛は、最終的に渇愛へと変貌をとげてしまったといえるのではないでしょうか。しかし私たちはこの話を聞いて、この女性をひどい人だと非難することができるでしょうか。できないはずです。なぜならこの話には人間である以上、誰も否定できない真実があるからです。

 

我々にだって清らかな思いは確かにあります。しかしそれはこの女性のようにかならず渇愛へと変貌を遂げていきます。では、どういった時にその気持ちは変貌を遂げ始めるのでしょうか。それは自分の体力の限界です。自分の体力が限界に達したとき、隠しきれない自己愛が、相手を思う清らかな気持ちを、いとも簡単に塗りつぶしてしまうのです。善導大師さまは、この人間の生き様を、

 

たとひ清心(しょうしん)を発(おこ)せども、なほ水に画(えが)くがごとし

(『註釈版聖典(七祖篇)』三四〇頁)

 

とおっしゃいました。清らかな心を発しても、水に絵を画くように、画いたはしから消えていくのだと。私たちは悲しいけれども、こうした生き方しかできない生き物なのです。

 

 

他力のお念仏

 

比叡山時代の親鸞さまほど、このことを日々経験しては直視され、苦悶され続けた方はいないかもしれません。「もう少し頑張れば道が開けるのだろうか」「いや別の道があるのではないだろうか」。親鸞さまの葛藤は続き、やがてその「別の道」というのは、法然聖人という方の仏道ではないだろうかと思うようになっていったようです。そして葛藤の結論を、尊崇してやまない聖徳太子にゆだねるべく六角堂へ参龍し、結果、親鸞さまは法然さまのもとで本当の阿弥陀さまに出遇われたのです。

 

よくご存じの「正信念仏偶」に次の言葉があります。

 

已能(いのう)雖破(すいは)無明闇(むみょうあん)
貪愛(とんない)瞋憎(しんぞう)之(し)雲霧(うんむ)
常覆(じょうふ)真実(しんじつ)信人天(しんじんてん)
譬如(ひにょ)日光(にっこう)覆(ふ)雲霧(うんむ)
雲霧(うんむ)之(し)下(げ)明(みょう)無闇(むあん)

 

すでによく無明の闇を破すといへども、貪愛・瞋憎の雲霧、つねに真実信心の天に覆へり。たとへば日光の雲霧に覆はるれども、雲霧の下あきらかにして闇なきがごとし。

(『註釈版聖典』二〇四頁)

 

親鸞さまはこの部分を『尊号真像銘文(そんごうしんぞうめいもん)』という書物ではご自身で解釈されて、

 

日月(にちがつ)の雲霧に覆はるれども、闇はれて雲・霧の下あきらかなるがごとく、貪愛・瞋憎の雲・霧に信心は覆はるれども、往生にさはりあるべからずとしるべしとなり

 

(太陽や月が雲や霧におおわれていても、闇は晴れて雲や霧の下が明るいように、貪りや怒りの雲や霧に信心がおおわれていても、往生のさまたげになることはないと知るがよいというのである)

(『註釈版聖典』六七三頁)

 

と言われています。つまり阿弥陀さまとは、決して煩悩を無くすことで救いとするのではなく、煩悩があっても「往生にさはりあるべからず」、つまりすなわち救いのさまたげにはならないと告げていく如来さまであるというのです。これこそ親鸞さまにとっての「救い」でした。それはどうしても「渇愛」を消せずに苦しむ者に、そのまま救うという不可思議の救いを与えていく完全なる「慈愛」にみちた他力の教えだったのでした。

 

煩悩のあるままに救うということは、私か優しい気持ちの時でも、誰かに怒っている時でも、誰かに親切な時でも、意地悪な時でも、笑っている時でも、泣いている時でも、どんな時であっても、私に寄り添い、決して見捨てない阿弥陀仏さまだということです。まさに煩悩の嵐のような私の人生に、お念仏の喚び声が聞こえてくるとき、そのような尊い如来さまに私たちは出遇っていくのです。

 

今月の言葉を、いま一度昧わってみてください。

(井上見淳)

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7/24 第35回下関組少年少女研修会が開催されました

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7月24日に 第35回下関組少年少女研修会が開催されました。 市内のお友達男女45名が参加しました。   当日上田中町の敬光寺に集まって、開会式(お勤め)をして研修会が始まりました。   敬光寺での研 … 続きを読む

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2015年8月 今を生きずにいつを生きる こころを生きずにどこを生きる 法語カレンダー解説

hougo201508お寺の前の掲示板

 

八月といえば、私の郷里の福岡ではなんと言ってもお盆です。「例年以上の猛暑です」という毎年恒例のニュースにぐったりしつつ、意を決して外に出てみれば、強烈な日差しと濃い影。盛大な蝉しぐれと入道雲。たちまち吹き出す汗に貼りつく白衣、そんな中を原付バイクにまたがってお参りする私。そして久しぶりに集まった家族や親戚と連れだってお寺参りされる方々。里のお盆の毎年の風景です。

 

ところでお寺の前を通りかかると、しばしば門前の掲示板に、味わい深い法語が書かれています。あれは掲示伝道といいます。門前を通りがかった人が、歩き過ぎるまでに読める程度の言葉かずで、真理を伝える言葉や、ぬくもりを伝える言葉などが示されています。目にすれば「なるほど」と思わずうなる言葉や、忘れがちな大切な事実を思い起こさせてもらいます。しかし掲示伝道を自分でやってみるとなると結構、大変です。長すぎたり難しすぎたりで、具合のいい言葉を選び出したり案出したりすることは、そう簡単にはいきません。

 

今月の言葉は、大神信章氏の『学仏大悲心 ほとけのおしえ 詩と言葉』(探究社)という書物からです。この一冊には、大神氏が生涯をかけて創作し続けた法語や短文が満ちあふれています。氏は、いわば法語伝道の達人といえましょう。

 

大神氏は一九四九(昭和二十四)年にお生まれになり、二〇一三(平成二十五)年二月十八日にご往生されています。しかしページをめくって氏の紡ぎ出した法語に触れ続けていると、おもしろいもので、会ったこともない氏の人格に濃厚に触れる気がします。ご法義が身に染みついた人が発する言葉とは、そういうものなのかもしれません。今月のお言葉も、そんな氏が残された力強いお言葉です。

 

 

無量光・無量寿のこころ

 

さて阿弥陀さまの「阿弥陀」とは、「無量光」「無量寿」を意味するインドの言葉「アミターバ」「アミターユス」がもとになっているといわれます。特に両方に共通する「アミタ」の部分は「無量」、すなわち私たちには「量り知ることができない」という意味です。そしてその後に続く「アーバ」は「光」、「アーユス」が「寿」です。

 

仏教のお話を聞いていると、しばしばこの「光」というのが登場しますね。仏教で光というのは、詳しくは「光明」といいます。真理を明らかに見通した仏さまの智慧をあらわしているのです。一方で、仏教では私たちのもっている根源的な自己中心性(煩悩)のことを「無明」、すなわち闇として表現します。つまり光と闇の対比で、仏さまと私たちの関係性を表しているのです。

 

私たちは人生を生きていくのに、それぞれに構築した価値観をたよりに生きています。しかしこの無明という表現は、仏教の教えに触れることなく構築された価値観とは、実は「闇」に身を置くようなものであると言っているのではないでしょうか。闇に身を置くと、自分がどのような姿で、どちらを向いているのか、まるでわかりません。しかしそこに一条でも光が差し込めばどうでしょうか。おのずとみずからの姿を知らされ、行くべき方向を知ることになります。

 

つまり阿弥陀さまはご自分の名前に、どのような場所に生きる、どのような者の闇であっても、かならず光を与えていく如来であることを「無量光」の意味をもって「阿弥陀」と知らせているのです。また、その広大な活動は時をえらばず、常に私を照らし護り続けるのだということを「無量寿」(量り知れないいのち)の意味を込めて「阿弥陀」と名告られたのでした。

 

阿弥陀さまのこうした強力なはたらきは、遥かなる過去から私一人をあたかも狙い撃ちにするようになされてきました。私はいま図らずも、お浄土の阿弥陀さまを、そして先人を心に思い浮かべ、お念仏するようになっていますが、この姿こそ、そうしたはたらきが私の身の上に結実した何よりの証なのです。お念仏する者とは、阿弥陀さまによって育てられた者であり、そのはたらきを知らされた者に他なりません。

 

ところで私が法事の席などで、たとえば「阿弥陀さまのお救いは、お名前の通り、無量光・無量寿のお救いです。それは端的には、〈いつでもどこでも〉のお救いということです」といったような法話をすることがあります。すると法事が終わって私か着替えをしていたら、ご門徒さんがすっと寄ってこられ、

 

今日のはなし、ようわかった。いつでもどこでもの如来さんで、ほんによかったばい。私も今は元気ばってん、いずれは、いつかどこかで阿弥陀さんの世話にならないけんもんね

 

と言う方がおられます。――いやいや。そうではないのです。実は、「いつでも」というのはいつも「今」なのです。「どこでも」というのは「ここ」のことです。つまり「いつでもどこでも」と聞けば、「いつかどこかで」と聞かずに「今ここで」阿弥陀さまに値遇していくのであると昧わっていただきたいのです。

 

 

「味わう」ということ

 

浄土真宗ではお聴聞が大切であると強調しますね。しかしだからといって、お聴聞を重ねて知識を増やし賢くなれと勧めているわけではありません。また、聞くことで煩悩を減らしなさいと言っているわけでもありません。もし知識を得て賢くなるために聞いているのなら、同じような話を何度も聞く必要はありませんし、試験でもすればよいのです。また煩悩が減っていくのならば、長年お参りされている方は仏さまのような在り方に近づいているはずですが、私のお寺では見たところ、ここだけの話ですが、そうでもないようです。では何度も何度もお参りされる方は、なぜお参りされているのでしょうか。

 

あれは、実は本堂の阿弥陀さまの前に座ってお慈悲を味わっておられるのです。

 

阿弥陀さまのお慈悲を味わうことが心地よいから、何度でも参るのです。ですから、昔からお聴聞してご法義に触れることを学習ではなく、味わいといいます。つまり食事ですね。食事は一度食べたから、もう十分というわけではありません。またしばらくたてば食事をして味わいますし、それが極上の味ならなおさらです。そういえば先輩の布教使さんが、「お酒の味をすでに知っているからといって、もう晩酌は必要ありませんというわけにはなかなかいきませんでしょう」と譬(たと)えておられたことを思い出しました。やや不謹慎かも知れませんが、おっしゃりたいことはとてもよくわかりますね。

 

お聴聞をしておりましたら、「私の全人生をつつみ込む阿弥陀さま」といった表現をしばしば耳にします。しかしいくら全人生といってみても、それは結局、いつも「今」の自分以外にはないのではないでしょうか。久遠劫来の過去を経ながら、いま現に迷いの世界に存在し、未来へと歩みを続けるのは、他の誰でもなく、いつも「今」の私だからです。ですからお念仏しては、いつもわが身を離れない阿弥陀さまを確認し、またご法義を聞いては阿弥陀さまのお慈悲に身を浸します。それはいつも「その時その場」でやっていくのであり、その人にとっては「今ここ」でお念仏しているのです。そしてどの「今ここ」であってもかまわない。「無量光」だからどこでだっていいし、「無量寿」だからいつだっていい。そしてご法義は味わうのだから「何度でもよい」ということです。その意味において、私たちは阿弥陀さまに全人生を包まれています。

 

 

「いま」と「すでに」

 

親鸞さまは、阿弥陀さまのことが説かれた経典や、その真意を明らかにされた七高僧さまとの出遇いについて、『教行信証』の「総序」に、

 

ここに愚禿釈(ぐとくしゃく)の親鸞、慶(よろこ)ばしかな、西蕃(せいばん)・月支(げっし)の聖典しょうてん)、東夏(とうか)(中国)・日域(じちいき)(日本)の師釈(ししゃく)に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。

 

(ここに愚禿釈の親鸞は、よろこばしいことに、インド・西域の聖典、中国・日本の祖師方の解釈に、遇いがたいのに今遇うことができ、聞きがたいのにすでに聞くことができた)

(『註釈版聖典』 一三二頁)

 

と述べておられます。ここで注目すべきは「いま」と「すでに」という部分です。

 

この文章を書いた時点では、それらの方々に出遇われたのは過去のはずですから「すでに」という表現が当てはまるはずです。しかしながら、それを「今」という表現を離さずにお書きになっている。これは「遇ふ」ことと「聞く」こととが別の時に行われたというわけではありません。ならば一方で「今」と書き、一方で「すでに」と書けば矛盾しているように感じますが、そこに親鸞さまの真実があるように感じます。私はこの表現にこそ、経典や祖師方と、いつも「今」遇い続けていらっしゃった親鸞さまのお姿を垣間見るような気がするのです。

 

今月の言葉を、いま一度味わってみてください。

(井上見淳)

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東北大震災義援金について

いつもご協力ありがとうございます。

このたびも多くの方々より義援金を賜りました。

本日、 浄土真宗本願寺派東北教区災害義援金として73.540円を送りました。

ありがとうございました。

2015.07.31  住職記

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