7/24 第35回下関組少年少女研修会が開催されました

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7月24日に 第35回下関組少年少女研修会が開催されました。 市内のお友達男女45名が参加しました。   当日上田中町の敬光寺に集まって、開会式(お勤め)をして研修会が始まりました。   敬光寺での研 … 続きを読む

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2015年8月 今を生きずにいつを生きる こころを生きずにどこを生きる 法語カレンダー解説

hougo201508お寺の前の掲示板

 

八月といえば、私の郷里の福岡ではなんと言ってもお盆です。「例年以上の猛暑です」という毎年恒例のニュースにぐったりしつつ、意を決して外に出てみれば、強烈な日差しと濃い影。盛大な蝉しぐれと入道雲。たちまち吹き出す汗に貼りつく白衣、そんな中を原付バイクにまたがってお参りする私。そして久しぶりに集まった家族や親戚と連れだってお寺参りされる方々。里のお盆の毎年の風景です。

 

ところでお寺の前を通りかかると、しばしば門前の掲示板に、味わい深い法語が書かれています。あれは掲示伝道といいます。門前を通りがかった人が、歩き過ぎるまでに読める程度の言葉かずで、真理を伝える言葉や、ぬくもりを伝える言葉などが示されています。目にすれば「なるほど」と思わずうなる言葉や、忘れがちな大切な事実を思い起こさせてもらいます。しかし掲示伝道を自分でやってみるとなると結構、大変です。長すぎたり難しすぎたりで、具合のいい言葉を選び出したり案出したりすることは、そう簡単にはいきません。

 

今月の言葉は、大神信章氏の『学仏大悲心 ほとけのおしえ 詩と言葉』(探究社)という書物からです。この一冊には、大神氏が生涯をかけて創作し続けた法語や短文が満ちあふれています。氏は、いわば法語伝道の達人といえましょう。

 

大神氏は一九四九(昭和二十四)年にお生まれになり、二〇一三(平成二十五)年二月十八日にご往生されています。しかしページをめくって氏の紡ぎ出した法語に触れ続けていると、おもしろいもので、会ったこともない氏の人格に濃厚に触れる気がします。ご法義が身に染みついた人が発する言葉とは、そういうものなのかもしれません。今月のお言葉も、そんな氏が残された力強いお言葉です。

 

 

無量光・無量寿のこころ

 

さて阿弥陀さまの「阿弥陀」とは、「無量光」「無量寿」を意味するインドの言葉「アミターバ」「アミターユス」がもとになっているといわれます。特に両方に共通する「アミタ」の部分は「無量」、すなわち私たちには「量り知ることができない」という意味です。そしてその後に続く「アーバ」は「光」、「アーユス」が「寿」です。

 

仏教のお話を聞いていると、しばしばこの「光」というのが登場しますね。仏教で光というのは、詳しくは「光明」といいます。真理を明らかに見通した仏さまの智慧をあらわしているのです。一方で、仏教では私たちのもっている根源的な自己中心性(煩悩)のことを「無明」、すなわち闇として表現します。つまり光と闇の対比で、仏さまと私たちの関係性を表しているのです。

 

私たちは人生を生きていくのに、それぞれに構築した価値観をたよりに生きています。しかしこの無明という表現は、仏教の教えに触れることなく構築された価値観とは、実は「闇」に身を置くようなものであると言っているのではないでしょうか。闇に身を置くと、自分がどのような姿で、どちらを向いているのか、まるでわかりません。しかしそこに一条でも光が差し込めばどうでしょうか。おのずとみずからの姿を知らされ、行くべき方向を知ることになります。

 

つまり阿弥陀さまはご自分の名前に、どのような場所に生きる、どのような者の闇であっても、かならず光を与えていく如来であることを「無量光」の意味をもって「阿弥陀」と知らせているのです。また、その広大な活動は時をえらばず、常に私を照らし護り続けるのだということを「無量寿」(量り知れないいのち)の意味を込めて「阿弥陀」と名告られたのでした。

 

阿弥陀さまのこうした強力なはたらきは、遥かなる過去から私一人をあたかも狙い撃ちにするようになされてきました。私はいま図らずも、お浄土の阿弥陀さまを、そして先人を心に思い浮かべ、お念仏するようになっていますが、この姿こそ、そうしたはたらきが私の身の上に結実した何よりの証なのです。お念仏する者とは、阿弥陀さまによって育てられた者であり、そのはたらきを知らされた者に他なりません。

 

ところで私が法事の席などで、たとえば「阿弥陀さまのお救いは、お名前の通り、無量光・無量寿のお救いです。それは端的には、〈いつでもどこでも〉のお救いということです」といったような法話をすることがあります。すると法事が終わって私か着替えをしていたら、ご門徒さんがすっと寄ってこられ、

 

今日のはなし、ようわかった。いつでもどこでもの如来さんで、ほんによかったばい。私も今は元気ばってん、いずれは、いつかどこかで阿弥陀さんの世話にならないけんもんね

 

と言う方がおられます。――いやいや。そうではないのです。実は、「いつでも」というのはいつも「今」なのです。「どこでも」というのは「ここ」のことです。つまり「いつでもどこでも」と聞けば、「いつかどこかで」と聞かずに「今ここで」阿弥陀さまに値遇していくのであると昧わっていただきたいのです。

 

 

「味わう」ということ

 

浄土真宗ではお聴聞が大切であると強調しますね。しかしだからといって、お聴聞を重ねて知識を増やし賢くなれと勧めているわけではありません。また、聞くことで煩悩を減らしなさいと言っているわけでもありません。もし知識を得て賢くなるために聞いているのなら、同じような話を何度も聞く必要はありませんし、試験でもすればよいのです。また煩悩が減っていくのならば、長年お参りされている方は仏さまのような在り方に近づいているはずですが、私のお寺では見たところ、ここだけの話ですが、そうでもないようです。では何度も何度もお参りされる方は、なぜお参りされているのでしょうか。

 

あれは、実は本堂の阿弥陀さまの前に座ってお慈悲を味わっておられるのです。

 

阿弥陀さまのお慈悲を味わうことが心地よいから、何度でも参るのです。ですから、昔からお聴聞してご法義に触れることを学習ではなく、味わいといいます。つまり食事ですね。食事は一度食べたから、もう十分というわけではありません。またしばらくたてば食事をして味わいますし、それが極上の味ならなおさらです。そういえば先輩の布教使さんが、「お酒の味をすでに知っているからといって、もう晩酌は必要ありませんというわけにはなかなかいきませんでしょう」と譬(たと)えておられたことを思い出しました。やや不謹慎かも知れませんが、おっしゃりたいことはとてもよくわかりますね。

 

お聴聞をしておりましたら、「私の全人生をつつみ込む阿弥陀さま」といった表現をしばしば耳にします。しかしいくら全人生といってみても、それは結局、いつも「今」の自分以外にはないのではないでしょうか。久遠劫来の過去を経ながら、いま現に迷いの世界に存在し、未来へと歩みを続けるのは、他の誰でもなく、いつも「今」の私だからです。ですからお念仏しては、いつもわが身を離れない阿弥陀さまを確認し、またご法義を聞いては阿弥陀さまのお慈悲に身を浸します。それはいつも「その時その場」でやっていくのであり、その人にとっては「今ここ」でお念仏しているのです。そしてどの「今ここ」であってもかまわない。「無量光」だからどこでだっていいし、「無量寿」だからいつだっていい。そしてご法義は味わうのだから「何度でもよい」ということです。その意味において、私たちは阿弥陀さまに全人生を包まれています。

 

 

「いま」と「すでに」

 

親鸞さまは、阿弥陀さまのことが説かれた経典や、その真意を明らかにされた七高僧さまとの出遇いについて、『教行信証』の「総序」に、

 

ここに愚禿釈(ぐとくしゃく)の親鸞、慶(よろこ)ばしかな、西蕃(せいばん)・月支(げっし)の聖典しょうてん)、東夏(とうか)(中国)・日域(じちいき)(日本)の師釈(ししゃく)に、遇ひがたくしていま遇ふことを得たり、聞きがたくしてすでに聞くことを得たり。

 

(ここに愚禿釈の親鸞は、よろこばしいことに、インド・西域の聖典、中国・日本の祖師方の解釈に、遇いがたいのに今遇うことができ、聞きがたいのにすでに聞くことができた)

(『註釈版聖典』 一三二頁)

 

と述べておられます。ここで注目すべきは「いま」と「すでに」という部分です。

 

この文章を書いた時点では、それらの方々に出遇われたのは過去のはずですから「すでに」という表現が当てはまるはずです。しかしながら、それを「今」という表現を離さずにお書きになっている。これは「遇ふ」ことと「聞く」こととが別の時に行われたというわけではありません。ならば一方で「今」と書き、一方で「すでに」と書けば矛盾しているように感じますが、そこに親鸞さまの真実があるように感じます。私はこの表現にこそ、経典や祖師方と、いつも「今」遇い続けていらっしゃった親鸞さまのお姿を垣間見るような気がするのです。

 

今月の言葉を、いま一度味わってみてください。

(井上見淳)

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東北大震災義援金について

いつもご協力ありがとうございます。

このたびも多くの方々より義援金を賜りました。

本日、 浄土真宗本願寺派東北教区災害義援金として73.540円を送りました。

ありがとうございました。

2015.07.31  住職記

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2015年7月 私が私であってよかったといえるあなたになれ 法語案内解説

hougo201507阿弥陀さま・親鸞さまとともに

 

今月の言葉は、実に味わい深いものがあります。これは一九九九(平成十二年十月五日に、四十歳でご往生された中島みどりさんという方の言葉です。彼女にはご主人と小学校二年生の娘さんと幼稚園に通う息子さんがいました。そんな彼女が悪性リンパ腫と診断され、激痛の中でご主人と二人のお子さんに、妻として、また母として、渾身の力で愛情のこもった言葉をつづり、思いの全てを伝えていかれたのでした。それが今月の言葉が収録されている『白蓮華のように―あなたに会えてよかった―』という一冊なのです。この本を読めば、彼女が厳しい闘病生活を、阿弥陀さま・親鸞さま、そしてご家族と、いかに感謝とよろこびと反省によって過ごしていかれたかがわかります。彼女は、幼少期に浄土真宗の日曜学校に通う生徒さんであり、やがて自然と人生の意味に真剣に向き合うようになっていかれたようです。この本にあらわれている彼女の姿は、尊い本物の念仏者です。

 

 

人生の実相

 

中島さんは今月の言葉を、ご自身で次のようにお子さん達に伝えておられます。

 

私が私であってよかったといえる私は、お金持ちになったり、健康だからよかったといえるようになったとか、そんなことではないのです。…中略…お金がなくても病気をしてもいろんなことをするなかで、いつでも、どんなときでも、「私が私でよかったといえるあなたになれ」と呼びかけてくださる方があった。その呼び声を聞くということが、人間のいちばん大事な願いではないでしょうか。そのお方こそ親鸞聖人だと私は思います。だから「お母さんは、お母さんでよかったと思ってます」、お母さんは親鸞様が大好きです。

(『白蓮華のように―あなたに会えてよかった―』一四~一五頁)

 

これによると中島さんは、自分の望むように金や健康があれば、人は自分の人生を認めることが出来るのだといった、そんな甘い人生観を勧めているのではありません。むしろそうしたことは思惑通りにならないことが人生であることを伝えつつ、それでも「私が私でよかった」とその人生を引き受けていける人間になれ、と言っているのです。そして自分の人生がどう在っても、それを引き受けていくためには、人生を認めてくれる自分以外の存在が必要なのであり、その方こそ真実の阿弥陀さまを明らかにされた親鸞さまであるとおっしゃっているのです。まことにその通りですね。

 

 

他力の論理

 

私は幼い頃、とてもかわいがってもらっていた方から「あなたは言ったことを理解してくれるから、好きよ」と言われたことがあります。私は子どもなからにこの言葉がとても怖かった。好きなことに理由があったわけですが、そこに強烈な違和感を覚えたのでした。そうであるならば、もしその方が言ったことを私が理解せず受け入れなかったら、自分のことを好きではなくなるのだ。反発すれば相手にされなくなるのだと思ったからです。

 

この言葉は当時の私に強烈な印象を残しましたが、大きくなるにつれ、人間関係というのは、多かれ少なかれ、こうした駆け引きのような関係によって成立していることにも気づいていきました。『無量寿経』には、

 

人、世間愛欲(せけんあいよく)のなかにありて、独り生れ独り死し、独り去り独り来る。

(人は世間の情にとらわれて生活しているが、結局独りで生れて独りで死に、独りで来て独りで去るのである)

(『註釈版聖典』五六頁)

 

という有名な言葉があります。世間に生きるそれぞれが、それぞれの思惑によって、都合のいいように「いい人」と「悪い人」と「どっちでもいい人」とを描き出し、その中を独りで生きている。結果を出せば賞賛されるが、出せない者は相手にもされず、思い通りにいけば喜ぶが、思い通りにいかないと腹を立てて、他人を責め、そして自分を責める。確かにこうした姿が、この娑婆世界の論理かもしれません。

 

しかし親鸞さまのみ教えに触れていると、これとはまったく別の論理に触れます。たとえば親鸞さまがとても大切にされた『涅槃経』には、父殺しの罪の重さに堪えきれなくなった阿闇世(あじゃせ)王の全身に、高熱をともなう無数の発疹ができてしまい、彼は心身共にまさに「生き地獄」ともいうべき重篤な状態にあったという場面が出てきます。そして、その様子を見た耆婆(ぎば)という大臣が、その病を治せるのはお釈迦さま以外にはいないだろうと告げ、それでもお釈迦さまとの面会を逡巡する王に対して、次のように告げるのです。

 

たとへば一人(いちにん)にして七子(しちし)あらん。この七子のなかに一子(いっし)病に遇へば、父母(ぶも)の心平等ならざるにあらざれども、しかるに病子において心すなはちひとへに重きがごとし。大王、如来もまたしかなり。もろもろの衆生において平等ならざるにあらざれども、しかるに罪者において心すなはちひとへに重し。放逸のものにおいて仏すなはち慈念したまふ。

 

たとえばあるものに七人の子がいたとしましょう。その七人の子の中で一人が病気になれば、親の心は平等でないわけはありませんが、その病気の子にはとくに心をかけるようなものであります。王さま、如来もまたその通りです。あらゆる衆生を平等に見ておられますが、罪あるものにはとくに心をかけてくださるのです。放逸のものに如来は慈しみの心をかけてくださるのである)。

(『註釈版聖典』二七九頁)

 

ここに出てくる、病気の子にこそ親の愛情は集中していくという話は、先ほど述べました娑婆世界の論理とは違います。勝れているから認められるのではなく、劣弱な状態にあるからこそ見捨てることなく慈悲が向けられていく。それが阿弥陀さまの「摂取不捨」の大悲の論理なのです。

 

子が泣いていれば親は動きます。それはその子が利口だからでも、器量がいいからでも、その子に頼まれたからでも決してありません。そこに理由なんかないのです。しいていえば、その子が我が子だからでしょうか。阿弥陀さまが古来「親さま」と呼ばれてきた所以はここにあるのです。

 

 

よかった探し

 

ある土曜日、子どもがあまりにもせがむので、DVDを借りに行きました。一目散にアニメコーナーに走っていく子どもたちに私も着いていったのですが、そこでとても懐かしいDVDを見つけ、こっそり私も一緒に借りたのでした。それは『愛少女ポリアンナ物語』といいます。

 

この物語は全体を通して「よかった探し」という言葉と共に展開します。たとえば毎週火曜日はハムエッグを食べる日になっていたのですが、父が今日はハムと卵が手に入らなかったことを告げると、幼いポリアンナは、「それならご飯を食べない」とむくれてしまいます。それに対し、父は次のように告げます。

 

今ここにパンとミルクがある、このことに感謝しなければならないよ。そして今日は食べられなくても、お前には明日か明後日、とにかくハムエッグを食べる楽しみがあるんだよ。そうは思わないか? ポリアンナ。

 

それに対し、彼女は「確かに今日だったら当たり前みたいで、そんなに嬉しくなかったかもしれない。きっと今度食べる時は今日の何倍も嬉しいわ、よかった!」と言うのです。物語の中で、客観的にみれば、多くのつらく厳しい現実が彼女に襲いかかるのですが、本人はその中で上手に発想を転換しながら意味をみいたし、「よかった」を何度も探して、明るく乗り切っていきます。そのたびに彼女の持つしなやかな強靫さに感心させられます。

 

そして、私は中島さんの言葉にも同質のものを感じるのです。彼女はこう言います。

 

もしお寺にお参りして、聴聞をしてみたいと思うときがきたときは、ぜひ、お参りして下さい。

この世に生まれ出た目的がはっきりするはずです。お母さんもそのことがわからなくて随分と悩みました。随分苦しい時期もありましたけれど、こうして病気になり、はじめて目がさめた気がしました。やっと目をさめさせられたのです。ここまでの大変な病気をしなければわがらなかったのですね。だから、お母さんは自分の病気に感謝しているのですよ。苦しくてつらいけど、やはりこの病気になっていなければ、もっと大切なものに目が開かなかったでしょう。

そう考えるとなんでもご縁ですね。本当にありかたいことです。

(『白蓮華のようにあなたに会えてよかった―』一六頁)

 

自分の人生に「あれがなかった」「これがない」と言い出せば、それこそキリがないわけですが、この彼女の言葉は、むしろ自分には何か恵まれていたのか、そして、いま何か恵まれているのか、そちらに目を向けることの大切さを教えています。こうした発想の転換は、ご法義を聞く者に具わっていく仏の智慧であるといえます。そして、この苦難を転換する智慧を与えて、その人生を護念し続ける方、それが阿弥陀さまなのです。

 

中島さんという方はその阿弥陀さまに確かに出遇い、苦難を転換する智慧を得て、「私が私であってよかった」と見事に自分の人生を引き受けて行かれた珠玉の念仏者です。

 

今月の言葉を、いま一度昧わってみてください。

(井上見淳)

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本堂の向拝の階段に「手摺り」を設置しました

この度も本堂の向拝(ごはい)の階段に「手摺り」を設置しました。

階段を昇降する際はどうぞご利用ください。

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6月19日白蓮仏教婦人会の総会・ご法座を行ないました。

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6月19日に 白蓮仏教婦人会の総会・ご法座を行ないました。

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6月16日 光明寺にて下関組仏教婦人会総会が行われます。

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皆様お誘いあわせの上、ご参加ください。

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2015年6月 ものが 縛るのではありません ものをとらえる心に 縛られるのです 法語カレンダー解説

hougo201506心の問題

 

今月は仲野良俊師(一九一六~一九八八)の『三誓偶(さんせいげ)講話』一九八三年発刊、東本願寺出版部)にある言葉です。師は京都府のお生まれです。大谷大学卒業後、一九四二(昭和十七)年からビルマ(ミヤンマーで日本語学校の教員をされ、一九五六(昭和三十二年より真宗大谷派教化研究所所員をされ、それ以降は教学研究に携わられ、北海道教学研究所所長、教学研究所所長を歴任されました。また、真宗大谷派専念寺住職でもありました。

 

『三誓謁講話』は、一九六二年に雑誌に発表されました。この時代は池田勇人首相の「所得倍増計画」の下に、物価も所得もどんどんと上がり、三種の神器として憧れであった白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が普及しだした頃です。人びとはより良い生活のために一生懸命はたらき、少しずつ実現していきました。

 

生活がよくなるのはいいことですが、白黒テレビを買えば、カラーテレビ、その次は大きなテレビ、さらには二台目のテレビと欲望は広がります。物を得てしばらくは幸福感がありますが、後は当たり前になり、欲望は大きくなってきます。この欲望となってくる心に注目しないと、物に流されるだけの生活になってきます。

 

このことを仲野師は、便利な物を手に入れれば、もっと便利な物がほしくなるといい、結局は次々と出てくる欲しい物、必要な物に縛られた生活になっていくとされました。しかしその実は、欲しい物に縛られるのではなく、欲しい物をとらえる私の心に縛られていると言われます。それが今月の言葉です。

 

 

物にも事にも縛られて

 

五十年前に較べて、あまりに物が多すぎて、物は要らないという人もいます。しかし状況はそれほど変わったわけではありません。

 

「大きな家があれば幸福になる」「あの服を買うことができれば、新しい自分になる」「ケータイを変えれば世界が広がる」などを思って、購入している人は多くいます。時には「あの服が買えないから、楽しくなれない」など、物がないから自分の好まない状態になるという人もいます。また物だけにではなく、「旅行に行けば新しい自分になれる」と思って旅行を繰り返す人、「あの人がいなければ幸福に過ごせる」と思って、その人との関係を断とうとしている人など、旅行する、関係を断つという事にも私たちは縛られています。

 

今月の言葉は、たまたま物にとらわれて必死になっていた人びとの話をされていたので、このような言葉になったのですが、事についても同様の見解をお持ちだったと『三誓渇講話』から推測されます。

 

 

悩みは尽きない

 

聞いた話です。ある人がいくつもの悩みを克服してこられ、「娘の結婚が終われば悩みはなくなる」といっていました。娘さんが結婚された後しばらくすると、親の体調の悪いことが気になり、十分な治療をしているのか、このまま寝込むことはないのだろうかと悩まれました。親が快復すると、仲のよかった知人の態度がよそよそしくなったことが悩みになりました。この人の予想に反して、悩みは尽きません。おそらくは孫ができたときは元気に育つかと悩まれたと想像できます。

 

この人は、何故こんなに悩みを抱えて生きていかなければならないのかと考えておられるでしょうが、聞いた限りでは、この人の心が悩みを作っているように見えます。仲野師の言い方では、心が悩みを作り、その心に縛られているように見えます。この心が解放されることは幸せなことです。

 

 

煩悩とさとり

 

私たちを悩み煩わせる心を、仏教では煩悩といいます。煩悩は百八あるといいますが、その中心的な煩悩を三毒といいます。それは貪欲(とんよく)と瞋恚(しんに)と愚痴(ぐち)です。貪欲は決して満足しないむさぼりの心です。瞋恚は思い通り行かなければすぐに出てくる怒りの心です。愚痴は三毒の根本的な煩悩で、自分中心の心です。自分さえよければ他はどうなっても構わないというよりは、自分のことを第一に考える心、自分のことにしか思いが及ばない心です。

 

三毒を中心とした煩悩が、物事についての悩み苦しみを引き起こすといわれます。この煩悩を自由にコントロールしたり無くしたりできれば、物事に支配されているという心もなくなり、欲望もおのずから変わっていって、安らかな生活ができることになるはずです。お釈迦さまは、煩悩を滅することによってさとりの境地に至ると示されました。

 

親鸞聖人は、私たちの煩悩の多さを、

 

無明煩悩(むみょうぼんのう)しげくして
塵数(じゅんじゅ)のごとく遍満(へんまん)す

(『正像末和讃』『註釈版聖典』六〇一頁)

 

と説いて、塵の数ほど満ちているといわれます。これほど多くの煩悩にとらわれた生活をおくっている私たちがいくら修行を重ねても煩悩を滅することは極めて難しいことです。私たちの周りで、修行を成就したという話は聞きますが、さとりを開いたという話は聞いたことがありません。

 

『正信掲』に「煩悩を断ぜずして涅槃(ねはん)を得る」とありますように、この世界で煩悩を断ちきらなくても、浄土で煩悩を断じて涅槃の仏果を得る道を親鸞聖人はお示しになり、ご自身も実践されました。それは本願の教えのままに信心と念仏によって浄土に往生することです。この信心について聖人は『教行信証』で次のように説かれます。

 

一つには、わが身は今このように罪深い迷いの凡夫であり、はかり知れない昔からいつも迷い続けて、これから後も迷いの世界を離れる手がかりがないと、ゆるぎなく深く信じる。二つには、阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂め取ってお救いくださると、疑いなくためらうことなく、阿弥陀仏の願力におまかせして、間違いなく往生すると、ゆるぎなく深く信じる。

(『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』 一七二頁)

 

一つは、私は罪深い迷いの凡夫であり、はかりしれない昔から迷いの世界から出る縁がないことを信じるとあります。これを機の深信といいます。二つは、阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂め取ってお救いくださるから、本願力によって必ず浄土に往生することを信じるとあります。これを法の深信といいます。この二つを二種深信といいます。これは信心が二種類あるということではなく、一つの信心の両面を示しています。さとりに至る因を全くもだない私か、仏にお任せするという信心を示しています。この信心は自身の迷いのすがたがわかるほどに本願力の大きなはたらきがわかり、本願力のはたらきがわかるほどに、自分自身の罪悪性がわかるという面をもっています。

 

 

愚かさがわかる

 

親鸞聖人はご自身のことを「愚禿親鸞(愚かなざんぎり頭の親鸞)」「貪瞋邪偽(とんじんじゃぎ)おほし(貪欲、瞋恚、いつわりが多い)」「小慈小悲もなき身(慈悲心がまったくない)」といわれるのは、本願力に照らされて見えてきたご自身のすがたです。またご自身の愚かさがわかるほどに本願の尊さがわかり、本願のはたらきを確信されたと思われます。

 

ただ、だからといって、自分の「愚かさ」「貪瞋邪偽が多いこと」などがわかったことが往生の因になるのではありません。往生の因は、本願文にあるように信心です。また誰もが聖人と同じことを感じるのではありません。人それぞれの生活環境によって異なります。欲望の多さに目がいく人もいれば、妬みそねむ心に目がいく人、自分の高慢さに目がいく人もいます。

 

親鸞聖人が阿弥陀仏のはたらきによってご自身のすがたをご覧になったように、私たちも、自分のすがたが知らされます。それは自分の煩悩を知らされたり、煩悩の生活によっておこした罪悪性について知らされることになりますから、あまりいい話ではありません。しかし、正しく自分を見ることは大切なことだと考えています。

 

病気を克服した人は私の周りに沢山います。病気にもよりますが、治癒したからといって元々の健康な生活ができるとは限りません。胃、食道を切除した人は、普通の生活をしていても、自分が切除したことを忘れて他の人と同じ調子で飲食していると、後で大変苦しい思いをします。糖尿病で食事の量を規制している人も同様です。病気を治癒した人が自分の立場を忘れても、すぐに反応がありますが、自分の迷いに気付かないと迷いがさらに迷いを生みますから、問題は病気を克服した人より深刻です。

 

 

煩悩を知らされて

 

阿弥陀仏を信じ念仏していく中で、煩悩を知らされるとどのようになるのでしょうか。

 

もし貪欲がわかると、「欲望の強い自分のすがたが恥ずかしい」「これで満足しなければならない」と思うかも知れません。瞋恚を知らされると、怒る自分を反省して、怒る回数が減るかも知れません。また貪欲、瞋恚から抜け出せない私であると感じるかも知れません。

 

先にあげた「娘の結婚で悩みは解消する」といっていた人でいえば、自分の心が悩みを作っていることがわかると、生きている限り悩みはついてくるものだと理解されるはずです。それは楽しいことではありませんが、一つの救いです。親の体調が気になったとしても、病院へ行ってもらおうと努力するかも知れませんが、親がもっと元気であればこんなに心配することもないのにと愚痴ることはありません。

 

京都女子学園の創設者である甲斐和里子さんの歌に、

 

足ることを知れるひとつは天地の何にもかへぬわがたからなり

(『草かご』百華苑)

 

があります。念仏の生活の中で欲望を見つめられ、「これで十分」と思う気持ちを得たことが宝であるといわれます。煩悩を知らされて、「これで十分」という満ち足りた心を得ることは豊かな人生につながっていきます。

 

私たちは甲斐さんのような心境になれるか、貪欲とわかりながら、貪欲の生活を続けるかはわかりません。しかし、貪欲と知ることと知らないこととでは大きな違いがあります。

 

(村上泰順)

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光明寺前に観光説明版が設置されました。

2015年5月24日の大河ドラマ『花燃ゆ』の終わりに光明寺がご紹介されましたが、皆様ご覧いただいたでしょうか。

見逃した方は今週の土曜日の再放送がございますので是非ご覧ください。

 

さて、2015年3月末に光明寺前の歩道に観光説明版が設置されました。

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奇兵隊の母体となった、光明寺党及び久坂玄瑞の観光説明版です。

 

画像をクリックすると拡大します

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光明寺(この説明版の対面のお寺)

 

京都本願寺の8代目蓮如上人(れんにょしょうにん)の弟子であった釈正善(しゃくしょうぜん)が、大永年間(1521~1528)に豊浦郡西市(現在の下関市豊田町西市)に堂を建てたことに始まるとされています。その後、内日、幡生を経て、享保17年(1732)に当地へ移転しました。

 

幕末、長州藩が関門海峡で攘夷を実行した際(「攘夷戦争」)には、中山忠光・久坂玄瑞が率いる「光明寺党」の本拠となりました。文久3年(1863)5月10日、草が玄瑞ら「光明寺党」は亀山八幡宮下から萩藩軍艦「庚申丸(こうしんまる)」に乗り込み、米船「ペンブローク」に向けて砲撃を開始。まさに、彼らの砲撃が攘夷決行の第一砲となったのです。

 

なお、儒学者・医者など様々な身分の人々で組織された「光明寺党」は、後に高杉晋作が結成する「奇兵隊」の母体となりました。

 

※攘夷とは・・・外的を追い払い、国内に入れないようにすること

設置者:下関市観光施設課

近くにお立ち寄りになりましたら足を少し止めてご覧ください。

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5月22日、23日 宗祖降誕会が行われました

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5月22日、23日 宗祖降誕会が行われました。     ごはん、味噌汁(豆腐・わかめ)、 なす・いもの揚げ物、 あんかけ、木の芽和え、 散らし寿司、 香の物、 昆布の佃煮、デザート   &n … 続きを読む

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