「ごえん」①~⑤

goen1 私たちには、さまざまな縁(原因)がはたらいています。そして、そのことを、知り尽くすことができません。今、ここで起きている事柄は、数え切れない無限の原因が積み重なった結果です。私たち人間の浅はかな考え方では、到底、理解し尽くすことができません。

 

一方で、因果関係でものを見ることは、私たち人間に特徴的な思考方法でもあります。しかし、私たちには、ほんとうの因果関係を正しく見極めることができず、自分の都合で因果関係を見てしまいます。これは誤った認識であり、それによって誤った行為が生み出され、悲しみや苦しみの要因ともなります。

 

縁起を見抜くことができず、自己中心的な考えで、結果に対して誤った原因を見てしまう私たちは、仏さまに出あい、その智慧をともしびとしなければ、私自身をきちんと見つめることさえできません。

 

仏さまが示された「縁起」とは、物事の正しい因果のことです。この教えをよりどころとして、思い込みや自己中心的な因果関係を見てしまわないよう、常に注意しなければなりません。

 

あなたと私も、そして仏さまと私も、人間のはからいでは知り尽くせない多くのご縁でつながって、不思議なめぐりあわせがあって、ここに出あっているのです。

 

 

 

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goen2 「袖振り合うも多生の縁」(※1)という言葉があります。「多生」を「多少」と書き間違える人もいますが、「多生」でなければ、この言葉の正しい意味にはなりません。往来で行き交う人の着物の袖先が、軽く接するようなささやかな関係であっても、何度も生まれ変わる中で生じた貴重な縁であることを意味しています。

 

しかし、長い時間の中で育まれたご縁であることを意識することは、なかなか難しいことです。直接的な原因について思いをめぐらすことはできても、遠い過去からの原因を自覚し続けることは本当に困難です。

 

親鸞聖人(※2)は、『教行信証』(親鸞聖人の主著)の「総序」で、

 

ああ、弘誓(ぐぜい)の強縁(ごうえん)、多生にも値(もうあ)ひがたく、真実の浄信、億劫(おくごう)にも獲がたし。

たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ(『註釈版聖典第二版』132頁)

 

と仰っています。阿弥陀さま(※3)からの願いである大いなる本願は、いくたび生を重ねてもあえるものではなく、まことの信心はどれだけ時を経ても得ることは難しい。思いがけず、真実の行と信(※4)を得たなら、遠い過去から、阿弥陀さまの光が、育み続けてくれていたご縁を感謝しよろこぶべきであると、親鸞聖人はお示しくださっています。

 

私たちは、心配し続けてくれている人、願い続けてくれている人がいても、当たり前のようにそのことに気付かなかったり、ついつい忘れてしまったりしています。そうした縁が途切れた時、心配してくれていた人がいなくなった時に、やっと、その大切さに気付くということも少なくありません。

 

阿弥陀さまの光明は、私たちの気付かない遠い過去から、すべての人々を照らし続けています。そのことが、貴重なご縁となって、今、救いに出あっているのです。

 

※1 「袖振り合うも多生の縁」は、「袖すり合う」「袖触れ合う」「他生の縁」といった表現のものもあります。

※2 「親鸞聖人」浄土真宗の宗祖1173-1263

※3 「阿弥陀さま」浄土真宗のご本尊、阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)

※4 「行と信」仏教一般では、行はさとりに至るための修行を意味しますが、浄土真宗では、浄土往生の行は信と同じく阿弥陀さまより衆生にふり向けられ、あたえられたものとして、大行といわれます。

 

 

 

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goen3

質問です。名前しかわからない、まったく見も知らぬ遠くの人へてがみを届けなくてはなりません。何人を仲介すれば、目的の人に、その手紙は届くでしょうか?

 

これは、アメリカで1960年代に実際に行われた実験です。1600キロ離れた土地に住むビジネスマンに、自分より関係の深そうな方に手紙を渡すという方法で、人づてに手紙を送ろうとします。すると、平均して、たったの6人を介するだけで目的の人物に届くのです。これはアメリカ国内での実験でしたが、2003年には、世界規模で同様の実験を行いました。すると、やはり同じく6人で届いたそうです。

 

私たちは、広い世界の中で、ばらばらに生きているように思いがちです。遠くにいる人であれば、まったく無関係に生きているように感じてしまいます。しかし、誰もが、たった6人を通してつながり合っていける世界、「スモールワールド」に生きているということを、これらの実験は証明したのです。インターネットが急速に発達している現代では、世界は、さらに小さなものになっていくことでしょう。

 

しかし、私たち人間は、私と外の世界を切り分けて認識する習慣を持つため、つながりを断って、世界を認識してしまいがちです。それによって、自己中心的な視点に縛られ、自己へのとらわれから離れられなくなり、つながっていても、また、つながる可能性があっても、そのことを自覚することができないでいます。個別に独立した存在として切り離された関係をつくり、お互いに、ねたみ、怒り、非難の心で見てしまうのが、私たちのありさまなのであり、疎外される人々を生み出す私たちの社会のありのままの姿です。

 

遠い、近いという感情は、私たちの心が作り出すものです。自他を隔てることのない仏さまの智慧を鏡とするとき、自己のとらわれから離れられない私たちに、分別するあり方を省みて、互いにつながりあっていける可能性が、開けてくることでしょう。

 

 

 

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goen4 吐く息が白くなるような寒い冬の日、暖かなお風呂に入ると、「あ~ありがたいなあ」と思わず声が漏れることがあります。「ありがたい(有り難い)」とは、「有ることが難しいこと」、つまり極めてまれなことに感謝をする言葉です。もちろん、お風呂に入ったときだけではありません。仕事や恋愛など日常生活の中で直面するさまざまな困難の中で思わぬ支えに出あったとき、口に出さなくても私たちはありがたさを心から実感することがあります。

 

さて、お釈迦さまから始まった仏教の教えは、約2500年の時を経て、現代にまで受け継がれてきました。しかし、その歴史は決して平坦なものではありませんでした。中でも仏教が国家に受容された中国・日本などの東アジアでは、いくたびかの深刻な弾圧や迫害によって、その教えが途絶えそうになったことが多くの歴史書に記されています。そうした困難の中で仏法をなんとか伝えようとしてきた人々がいたからこそ、私たちは今、その教えに出あうことができているのです。

 

親鸞聖人は、法然聖人(※1)など自らを導いてきた人々の教えを通して阿弥陀さまの救いに出あえたことをよろこび、ご著作の最後に、次の言葉を引用されています。

 

前に生れるものは後のものを導き、後に生れるものは前のもののあとを尋ね、果てしなくつらなって途切れることのないようにしたいからである。

(『教行信証』化巻、『現代語版』646頁)

ここには、み教えを伝えてくれた先人への感謝と共に、自らも途切れることなく人々に伝えていこうとする親鸞聖人の決意をうかがうことができます。過去から現在へと多くの困難の中でみ教えを伝えてきた方々の「有り難い」ご縁の積み重ねによって、今、私たちが阿弥陀さまの教えに出あうことができているのです。私たちの手によって、未来へとその教えをつなげていきたいものです。

 

※1 「法然聖人」浄土宗の宗祖、親鸞聖人の師、1133-1212

 

 

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goen5毎年お正月になると、初詣の参拝者で多くの神社や仏閣はにぎわいます。

 

中でも、若者たちに人気なのが、「縁結び」のご利益です。「今年こそは素敵な人と出あいたい」と、「良縁成就」のお守りを求めて長蛇の列ができる風景は、この時期の風物詩といえるでしょう。このように、私たちが求める「ご縁」は、「悪い縁」をとりのぞき、「良い縁がほしい」「自分の思い通りの異性が見つかれば良い」という思いが反映された、いささか都合の良いものであることが多いようです。

 

しかし、私と仏さまとの間にある「ご縁」は、こうした私たちが求める「縁結び」とは、全く違うものです。曇鸞大師(6世紀に活躍した中国の僧)は、慈悲について述べる中で、阿弥陀さまの慈悲を「無縁、これ大悲なり」(『往生論註』上巻、『註釈版聖典七祖篇』62頁)と示しておられます。「無縁」とは、仏教では「つながりがない」という意味ではなく、「特定の対象(縁)を選ぶのではない」ということを意味します。つまり、阿弥陀さまから結ばれた私との「ご縁」は、どのようなものに対しても向けられる大悲(私たちを慈しむ心)のはたらきそのものなのです。このことが、『仏説無量寿経』には「十方衆生を救う」と誓われています。「十方衆生」とは、あらゆる世界のいのちあるものという意味です。

 

阿弥陀さまの普遍の救いに出あうとき、自分中心の世界に生きていた私が、仏さまにつながっている世界、仏さまの慈しみに包まれている世界の中にあると、気付かされていくのです。縁のよしあしを気にして思い悩む私たちに対して、阿弥陀さまのほうからすでに、全ての者に対する「ご縁」が結ばれています。この仏縁を通して、私たちが、互いに阿弥陀さまの大悲に等しく包まれているもの同士であったことが知らされていくのです。

 

 

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「ごえん」⑥~⑩

goen6「仏説阿弥陀経」の中に、極楽浄土にいる鳥として「共命(ぐみょう)の鳥」の名が見えます。「共命の鳥」とは、胴体は一つなのに、頭が二つあるので「共命」といいますが、この共命の鳥については、次のようなエピソードがあります。

 

鳥は木の実を餌としていますが、ある共命の鳥は、一方の頭のほうだけが、いつもおいしい木の実を先に食べ、もう一方の頭の方は、いつも残りものの木の実を食べていました。いつも残りものばかりになっている方が、そのことを不満に思っていたために、ある時、毒の木の実を見つけた時、「おいしそうな木の実がある」と言いました。こう言えば、必ずもう一方の方が、横取りして、毒の入った実を食べ、苦しむだろうと思ったのです。予想通り、さっさと横取りして、毒の実を食べ、苦しみ始めました。「やった。ざまあ見ろ」と喜んでいたところが、胴体はつながっているので、もう一方の方にも毒が回って苦しんだという話です。

 

私たちは、この鳥を「愚かだ」といえるでしょうか。私と他人とのつながりを忘れ、「自分が」、「自分が」と我を張っています。私と他者とのつながりを忘れて、自分ばかりを主張するから、互いにぶつかり合うことになります。それを、仏教の言葉で「我他彼此(がたぴし)」というのです。

 

自分のことだけ主張すれば「ガタピシ」と不快な音を立てます。かといって、自己中心的なあり方から離れることが簡単にできるわけではありません。自己主張してガタピシと音を立てるのが私たちのありのままの姿であり、互いに主張し、話し合い、論争し、そうやってつくられていくのが私たちの社会です。

 

しかし、「ご縁」という見方があれば、共命の鳥のように、いのちを共にしているものであると知らされて、ただぶつかり合うだけの愚かさを知り、互いの意見を尊重し、許し合い支え合う「共に」の社会を作っていく思いが生まれてくるのではないでしょうか。

 

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goen7毎年お正月になると、年賀状を送ります。しかし、せっかく送った年賀状が、「宛先不明」で返ってくることがあります。どこかへ引っ越しされたのか、お亡くなりになったのか・・・・・・。原因はわかりませんが、返ってきた年賀状を見て、寂しい気持ちになった経験を持つ方も、多いのではないでしょうか。大切なご縁であっても、ふとしたことで失われてしまうのが、私たちが生きている人間世界の関係です。

 

それは、親子や夫婦といったかけがえのない大切な縁であっても、変わることはありません。なぜなら、「死別」を免れることはできないからです。『仏説無量寿経』には、独りで生まれ、独りで死んでいくとあります。人間は、生まれるときも死ぬときも独りであるというこの言葉には、生死のもたらす別離の悲しみが示されています。

 

親鸞聖人は「人間の八つの苦しみ(※1)の中で、愛別離苦が、もっとも痛切なものである」と仰ったと『口伝鈔(くでんしょう)』に伝えられています。八つの苦しみの中には、自分が老いること、死んでいくことの苦しみも含まれますが、そうした苦しみよりも、慈しみ合っているもの同士が別れていくことほど、悲しく切ないものはないと仰っているのです。この言葉からも、大切な縁が切れてしまうことの痛みの大きさが、あらためて実感されます。

 

そのような私たちに対して、阿弥陀さまの救いは、決して断ち切れることがない縁として届いています。はるか昔から、そして今も、未来も、「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」(掬い取って決して捨てない)として、すべてのいのちあるものの元に、阿弥陀さまの光は届いています。この誰もがつながっていける、途切れることのない阿弥陀さまからのご縁をいただいていくことを、「信心」というのです。

 

そして、信心をいただいた私たちは、お浄土に生まれ、仏となって、ご縁のあった人々との間に、永遠のつながりを結ぶことができるのです。

 

※1 「八つの苦しみ」は「八苦」といい、生・老・病・死の四苦に愛別離苦、怨憎会苦(怨み憎むものと合う苦しみ)、求不得苦(求めて得られない苦しみ)、五蘊盛苦(私たちの生存そのものの苦しみ)の四つを加えたものです。

 

 

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goen8私たちは食前に何も意識せずに「いただきます」という言葉を発します。しかし、近ごろは「いただきます」、「ごちそうさま」の一声さえ出なくなっていると嘆く声も聞かれます。

 

浄土真宗本願寺派は2009年11月に新しい「食前のことば」を定めました。

 

【食前のことば】

● 多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。

○ 深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。

 

【食後のことば】

● 尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝(ごおんほうしゃ)につとめます。

○ おかげでごちそうさまでした。

 

この【食前のことば】の「多くのいのち」という表現には、多くの動植物のいのちをいただかなければ生きていけない私たちのあり方への「慚愧」の思いが込められています。

 

【食前のことば】は、食事が空腹を満たすだけではなく、食事というめぐみを通して、私たちの命を支えているものへの「ご縁」を知らせていただく機縁となるでしょう。

 

このように多くのいのちによってめぐまれた私の人生ですから、ご報謝させていただく決意が生まれます。それが【食後のことば】です。

 

もちろん、食事だけではありません。普段、私たちは何気なく生活していますが、その一つひとつを「ご縁」というまなざしから見れば、そこに多くの「おかげ」「ご恩」があり、私のいのちが支えられていることが見えてきます。

 

「ご縁」を見る習慣が身につくと、何も思わずにご飯を食べることができなくなるかもしれませんね。

 

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goen9砂場で、幼い子どもが、時の経つのを忘れて、砂山を作って遊んでいるのを見かけることがあります。

 

大地、砂つぶ、子どもの作業、これら一つひとつが原因(縁)となり、砂山ができあがります。この中の一つの原因が欠けても、砂山はできません。そして、やがて風が吹き、雨が降り、時間が経過して、砂山は崩れていきます。色々な原因(縁)によって、形を変えていくのです。

 

いくつもの縁によって生まれ、また縁によって変化し続け、やがて元の形が無くなっていくありようを「無常」といいます。このように、「縁」と「無常」とは一対の言葉なのです。

 

多くの縁によって、この世に生を受けた幼子も、砂山が崩れて元の砂つぶに戻っていくように、やがては臨終の時を迎えなければなりません。だからこそ、急ぎ、仏とならせていただく仏縁をいただかなければならないのです。

 

お釈迦さまは、「縁起」こそが真理であると説かれました。この世に生まれてきた者は誰も、「縁起」と「無常」の世界を免れることができません。なぜなら、私たちの存在そのものが、「縁」でできた「無常」なものだからです。親鸞聖人は「火宅(かたく)無常の世界」と、「無常」について表現されました、私たちが生きるこの世は、燃えさかる家のように、たちまちに移り変わる世界なのです、やがては、この世での縁が尽き、終わりを迎えなければならないのが私たちのありさまなのです。

 

そんな無常な私たちだからこそ、いつでも、どこでも、はたらいてくださっている阿弥陀さまの慈悲によって、仏とならせていただく。その教えに今、出あい、存在の根底から阿弥陀さまの慈悲の中で生きていくことが、何よりも大切な救いとなるのです。

 

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goen10「僕は誰からも必要とされていない。私なんていなくてもいいんじゃないか・・・・・」

 

学校や職場で、こうした思いを持つ方は、決して少なくないのではないでしょうか。最近では厳しい就職活動の中で自分の存在そのものが否定されたように感じ、自らいのちを絶つ学生がいることも報道されています。「あなたの代わりはいくらでもいる」などのように、取り換え可能な人間と言われることほど、「生きる意味」を失う体験はありません。まさに私たちは、「誰かにとって大切な存在であること」によってはじめて、「自分の大切さ」が実感できるのです。

 

仏教には、「インドラの網」という有名なたとえがあります。インドラとは古代インドの神様であり仏教では帝釈天(たいしゃくてん)という名で知られています。その宮殿を飾っている網の結びめの一つひとつには宝珠が結わえられており、それらがちょうど合わせ鏡のように互いに互いを映し合い、どれか一つの宝珠をとりあげれば、そこにはその他すべての宝珠の姿が映し出されているというのです。

 

自分の顔は、鏡に映して見ることができるように、私自身の姿についても、自分で気付くより、他者の存在を通して知らされるということがしばしばあります、同様に、他者にとってもまた、他ならない私の存在が大きな意味を持っています、このように、あらゆる存在が互いに関わりあいながら形づくられている究極的な縁起の世界こそが、私たちが生きているこの世界なのです。

 

今、生きているこの私こそが、実は「全ての存在にとってなくてはならない、大切な私」であることを、仏教は伝えています。

 

 

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「ごえん」もっと知りたいご縁のこと

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「結ぶ絆から、広がるご縁へ」

 

浄土真宗本願寺派は、「御同朋の社会をめざす運動」の総合テーマに、「結ぶ絆から、広がるご縁へ」という言葉を掲げております。

 

「絆とは、もとは「馬などをつないでおく綱」の意味で、人が結ぶつながりのことです。この人と人との結びつきは、確かに大切でかけがえのないものですが、一方で、人間の思いや好意によるつながりは、どこまでも不確かなものでしかありません。このように人間の分別的な知の世界に「つながり」を限定させるなら、私たちの社会が抱える深い闇、大きな悲歎(ひたん)を人間の根源的なところから克服していく原理としては、不十分でありましょう。

 

一方、「ご縁」とは、人間が作為的につくり出すつながりを意味する言葉ではありません。それは、すべての物事が互いに関わり合って存在していること、あらゆる存在が無限の過去から関連し合いながら現在にいたっていることを示しています。ご縁とは、生きる力を再生させる原理となり、利己的なあり方から離れ難い自己への内省を喚起し、根源的な無力さを実感させながら、それだからこそ他者とつながりあっていくあり方を開いていきます。

 

総合テーマに「結ぶ絆から、広がるご縁へ」を掲げるのは、あらゆるものが縁起し合っているという視点に立って、この運動を進めたいという願いが込められているからです。

 

宗門は、「阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝え、もって自他共に心豊かに生きることのできる社会」をめざしています。この宗門の根本的な理念を実現していくために、「御同朋の社会をめざす運動」を展開していきます。

 

 

「ご縁」と「縁起」

仏教の根底を成す思想

「ご縁」は、お釈迦さまが説いた大切な教えである「縁起」に由来する言葉です。

 

お釈迦さまはさとりを開かれ、その後45年間にわたりさまざまな教えを説かれましたが、その教えの根本が「縁起」であるといわれています。お釈迦さまは、人が生まれ、老い、病み、やがて死にいたるという苦しみの原因を探っていき、その原因が人間相互の根本的な欲望や愚かさであることを見いだしました。そのうえでその愚かさが生み出す苦悩を、「智」によって解放していく道を示されたのです。

 

お釈迦さまのさとりは、苦しみの原因を、時間をさかのぼって観察することで得られた境地であり、もともと「縁起」は、時間的な経過の中での原因と結果の関係を意味していました。しかし、後の時代に成ると、あらゆる存在は、他のものとの関係の中で存在しているという、相互の依存関係を意味するようにもなりました。つまり、「縁起」とは、私たちには見極めることが困難なものですが、宇宙のあらゆるものは時間的にも、相互の関係としても、結びつき合って存在しているのであり、バラバラに存在しているようであっても、個別に単独で存在しているものはないという、この世界に真実のあり方を示す思想を表現する言葉になりました。

 

ですから、時間的なつながりと、互いの存在が同時的につながり合っているという二つの私たちの存在を規定するとともに、仏教徒として生きる道を明らかにする奥深い原理が、この短い「縁起」という言葉に集約されているのです。

 

 

日本での浸透

とりわけ、日本に仏教が伝来して以来、この「縁起」の「お互いに関連し合う」という考え方が大切にされてきました。そのことが「縁」に「ご」をつけて「ご縁」という表現になり、江戸時代には、浄土真宗の法話などでも、たびたび用いられてきました。その後、「ご縁」は、日本社会に広く浸透し、日常でしばしば用いられる言葉となり、「多くのご縁によって生かされている」という見方が培われてきたとみられます。

 

親鸞聖人が「遠く宿縁を慶べ」と述べられるところにも、仏法に出あい、阿弥陀さまのみ教えに導かれる身となったことを、遠い過去からのはかり知れない「ご縁」によって与えられ導かれてきたとよろこばれているお姿、すなわち「縁起」の理念にもとに、「ご縁」をこよなくよろこばれているお姿があらわれています。

 

さらに親鸞聖人は、阿弥陀さまの救いを「弘誓(ぐぜい)の強縁(ごうえん)」と讃えられ、「巧妙名号顕因縁(こうみょうみょうごうけんいんねん)」と、阿弥陀さまのはたらきが、私たちの救いの「因であり縁である」と示されました。私たちの救いのすべてが、他力であるとお示しになったのです。

 

 

「業縁」

「業縁」という言葉も使われます。「業」(karman)とは、行いを意味しています。インドでは、お釈迦さまの生まれる前から、輪廻思想の中で、善い行いをすれば楽な世界に生じ、悪い行いをすれば苦しみの果があるとする因果応報の考え方があり、宿命論的な意味合いが強く、インドにおける差別的な身分制度の思想的背景になってきました。しかし、お釈迦さまは、物事は一つの原因によって生じるようなものではなく、また、多くの原因によって常に移り変わり、固定的で変わらぬ私自身はないという「諸行無常」・「諸法無我」の教えを説き、「業」に関する宿命論的な見方を否定されました。

仏教の縁起の体系はそのお釈迦さまお心を根拠とするものであり、親鸞聖人もその心を継承していかれました。

 

しかしその後、お釈迦さまが否定したにもかかわらず、現実の事態を個人の過去世に責任を負わせる考え方とし、「過去からの業によって差別を受けるのはしょうがない」といった諦めの論理として、「業」を利用してきた歴史があります。

 

さらに、親鸞聖人が『歎異抄(たんにしょう)』で「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」と言われたと伝えられるお言葉は、聖人の深い自己凝視と、真実のありようが人知を超えていることを嘆じられたものであるにもかかわらず、この言葉をも私たちは差別の現実を諦めさせていく論理として使用してきた歴史的事実を有しています。

 

これらの反省に立ったうえで、仏教の根本の教えである「諸行無常」・「諸法無我」そして「縁起」といった考え方を改めて問い直すとともに、自己を深く内省し、一人ひとりが抱える課題に真摯に向き合っていくことを行動へつなげたいと思います。

 

ご縁の中に生かされているという真実の教えを根底として、自他共に心豊かに生きることのできる御同朋の社会をめざしていきましょう。

 

編集・発行:浄土真宗本願寺派総合研究所、重点プロジェクト推進室

印刷:大日本印刷株式会社

 

 

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下関組寺院法座案内6月

houza201306

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2013年6月 仏智に照らされて 初めて 愚鈍の身と知らされる 法語カレンダー解説

hougocalender2013-06み教えを学ぶとは

 

 私白身、寺に生まれ育って僧侶となり、気がつけば三十年以上経ちました。周りから見れば、寺に生まれた者が僧侶になるのは、ある意味、当たり前かも知れませんが、私はさほど積極的な意識で僧侶になったわけではないと言わねばなりません。たいへん不謹慎な話で恐縮ですが、「立派な僧侶になるぞ」と高い志を掲げてきたわけではなく、むしろ「嫌だなあ」という意識の方が強かったということです。

 

 寺の長男に向けられる視線が、私には非常に大きな重圧となり、小さい頃はそれが窮屈で仕方ありませんでした。「お行儀がよくて当たり前」、「いい子で当たり前」、「勉強ができて当たり前」などというレッテルを貼られ、いい子でいることを持続するため、ある程度の演技もしていたと思います。仏法や寺に対してそのようなイメージが持たれているのは、よくある話です。つまり、み教えを学んで賢くなる、利口になる、まじめになる、立派になる、優秀になる。このような見方が強いと思いますが、み教えを学ぶとは、いったいどのようなことなのでしょうか。

 

 

腹が立たなくなった

 

 以前、ある高名な先生が書かれた法話のなかに、こんなお話がありました。そこに登場してくるのは、不思議なご縁で寺へ参るようになった男性のご門徒さんです。それまでまったく寺へのご縁がなかったその方は、ちょっとしたきっかけから、毎月の寺の常例法座にお参りし、ご法話を聞かれるようになったそうです。ご縁をいただいたことをたいへんよろこび、毎月欠かさず常例法座に参加し、熱心に法話に耳を傾けておられたそうです。

 

 ご縁をいただいてから、二、三年経った頃、そのご門徒さんは住職さんにこう言われたそうです。「私は、お寺にご縁をいただいて、本当によかったとよろこんでいます。毎月の常例法座は、いろいろなお話が聞けて楽しいし、とても勉強になります。それに、お寺へお参りするようになってから、私は腹が立たなくなりました」と。それを聞いた住職さんは、こう言います。「ほう、腹が立たなくなりましたか。あなたの周りの人たちはみんな、できた方ばかりなんですなあ」と。

 

 そうしますと、腹が立たなくなったと言った、そのご門徒さんはおもしろくありません。ほめ言葉の一つもあるかと思えば、そうではなく、周りの人たちのおかけで腹が立たなくなったと言われてしまうわけですから、もう1度こう言います。「いやいや、そうではなくて、私は、お寺へお参りして、法話を聞くようになったおかげで腹が立たなくなったと言ってるんです」と。そうしますと住職さんは、「いや、だから、私は、周りにできた方ばかりがいるから、あなたは腹が立たなくなったんでしょうなあと言ってるんです」と。

 

 つまり、腹が立たなくなった理由を、ご門徒さんは「お寺へお参りし、法話を聞くようになったこと」、住職さんは「周囲にできた方々がいてくれること」と、各々異なって見ているから話がかみあわないようです。このようなやりとりが何回かあった後、自分の言うことがわかってもらえないそのご門徒さんは、かなり語気を荒げ、大きな声でこう怒鳴ります。

 

 「いや、だからぁ、あんたもわからん人だなあ。おれは、お寺へお参りして、法話を聞いたおかげで、腹が立たなくなったと言うとるんじゃあ」と。それを聞いた住職さんは、「あんた、いま、怒ったじゃないか。さっき、腹が立たなくなったって言ったんじゃないのか」と言います。それに対して、ご門徒さんも負けていません。「あんたがいらんこと言うからじゃ」と。住職さんもなかなかのものです。「あんたの周りの人たちは、みんないらんこと言わん人ばかりなんじゃな」と。

 

 「法話を聞いて、腹が立たなくなった」ということに対して、変なほめ言葉でごまかすのではなく、大切なことに気づいてほしいとの思いから、この住職さんはこのような応答をしたのだと思います。もちろん、いつでも、どこでも、好きなだけ腹を立ててもかまわないというような、放逸無漸(ほういつむざん)を言うわけではありませんが、いくら腹を立てないようにしても、縁にもよおされれば、どうしても頭から湯気が立ち上ってしまう私かここにいることに気づいてほしい、という住職さんの強い思いがあったのだと思います。そうでなければ、適当におべんちゃらを言って、無難に済ませておいた方が楽なのですから。

 

愚者になりて

 

 

 親鸞聖人は、この私のこんな姿を次のようにおっしゃいます。

 

「凡夫」といふは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、水火二河(すいかにが)のたとへにあらはれたり。

『二念多念文意』『註釈版聖典』六九三頁)

 

 

 つまり、「凡夫というのは、わたしどもの身には無明煩悩が満ちみちており、欲望も多く、怒りや腹立ちやそねみやねたみの心ばかりが絶え間なく起こり、まさに命が終わろうとするその時まで、止まることもなく、絶えることもないと、水火二河の譬えに示されているとおりである」という意味になります。怒りや腹立ちの心が絶え間なく起こり、命が終わろうとするその時まで消えない、そんな本性の私かここにいると知らされます。

 

 親鸞聖人のお手紙のなかに、法然聖人からいただいたお言葉として、「浄土宗の人は愚者(ぐしゃ)になりて往生す」(『親鸞聖人御消息集』『註釈版聖典』七七一頁)と記されています。愚者であるこの私が、愚者のまま往生させていただくことが示されています。そのお手紙のなかには、「さかさかしきひと」という表現があり、それは「いかにも賢明なようにふるまうひと」という意味になります。み教えを聞いて、学んで、「賢明な」人、つまり、賢者になるというのではなく、むしろ、愚者である私白身に気づかされることの大切さを、しっかりと見据えるべきであるということでしょう。

 

 愚者ではなく、賢者になりたがる私かここにいます。ある寺院の伝道掲示板でこんな法語を見つけました。

 

賢くなることを教える世の中で、自らの愚かさに気づかせてくれる教えが仏法である。

 

 

 なるほどと思いました。「愚」より「賢」を好み、愚かであるよりも賢くあることを願うのが、私たちが持っているいわば普通の価値観だと思います。もっともな話だと思います。しかし、み教えを聞けば聞くほど、愚者である私が見えてきて、ちょっとした知識(自分としてはかなり膨大な知識)を身につけて賢者になったかのように錯覚してしまう、大きな愚かさのなかにどっぷりと浸かっている私かいることを学ばせていただくのだと思います。聞いて、学んで、上達し、向上していくということは私たちのなかにある最高の価値観の一つですから、そう考えることは当然だと思いますが、学ぶ姿勢や方向性によって、捉え方がかなり違ってくるのではないでしょうか。

 

「ありのまま」の厳しさ

 

 

 だいぶ以前のことですが、あるご門徒のお宅に法事に出かけた時にこんなことがありました。その時は、法要もお斉もそのご門徒さんの自宅で行われました。法要が終わり、仏間の隅で私は衣を脱いで、たたんで鞄にしまったりしておりました。お斉の準備をするために、お膳を並べたり、ビールを用意したりしている様子を眺めながら、私は畳の上に座って鞄のなかをごそごそしていました。背後から人の気配がして、「おしょうさん」と呼びかけられて振り向くと、そこに、立派なスーツに身を包んだ男性がにこにこした表情で立っておられました。

 

 その方は、私にこうおっしゃいました。「今日は、ありがとうございました。先ほどのお経は本当にありがたかったです。おしょうさんは素晴らしい声をしていらっしゃいますね。朗々とした大きな声で、とてもありがたいお経でした」と。そのように言われますと私も悪い気はしませんので、「いやぁ、それほどでもありませんよ。恐れ入ります」などと返しながら、内心ほくそ笑んでおりました。

 

 その方は続けて、私にこう尋ねてきました。「お経を唱えている間は、どんなことを考えているのですか。無我の境地ですか、無心の状態ですか」と。私は、これを聞いて、一瞬どう答えればいいのだろうと迷いましたが、あまり白々しい嘘を言うのも嫌でしたので、こんなふうに言いました。「そうですね。お経を勤めている間ぐらい、集中力を高めて、無心の状態、無我の境地になれたらいいのですが、正直言いますと、なかなかそうもまいりません。いろんなことが頭のなかをかけめぐってしまいます。たとえば、今日のお斉はどんなごちそうが出るかなとか、今日は午後も法事があるからお酒は少し控えておかなければ、とか考えてしまいます」と。そうしましたら、その方は、それまでのにこにこした表情が一変して、呆れたような表情になって、首をかしげながら向こうへ行ってしまいました。私の答え方にも問題があったとは思いますが、このような素朴な問いに、瞬時に的確に答えることの難しさを痛感した場面でした。

 

 その男性は、おそらく、お勤めの最中には、雑念も入らずに清らかな心で読経に集中しているということを期待されていたのだと思います。ところが、私が雑念でいっぱいのようなことを言ったものですから、そのギャップに驚いて呆れてしまわれたのでしょう。もちろん、お勤めの最中にさまざまな雑念がいくら混じってもいいということでは決してありませんが、どれだけお経に集中しても、清らかな心にしようとしても、なかなかできない私かいるということを見据えることが肝要であると思います。

 

 阿弥陀さまのはたらきをいただいて日暮らしを続ける私たちは、愚者であり、愚鈍である自身のありのままの姿に気づかされます。それは言い訳でもあきらめでもなく、自身を厳しく問うていく、誠に厳しい眼をいただくということだと思います。「どうせ愚鈍だから」と言い訳するのではなく、愚鈍の身の私だからこそ、阿弥陀さまは決して見捨てずに私にかかりきりになり、その愚鈍を治療する必要もなく、「そのまま」愚鈍の身で往生させていただくんだと味わっております。

(井上慶真)

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山口別院永代経法要 参拝団募集のお知らせ

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ご門主様「お言葉」

このたび私は、本願寺住職、浄土真宗本願寺派門主を退任することにいたしました。

 

一九七七(昭和五十二)年四月に就任して以来、満三十六年が過ぎました。明年の六月五日をもって、退任いたします。

 

先代・勝如門主は一九七三(昭和四十八)年の本山本願寺における親鸞聖人御誕生八百年・立教開宗七百五十年のご法要を終え、引退をお決めになりました。

 

私は、親鸞聖人七百五十回大遠忌法要のご満座の導師をつとめることができました。そして、時代の変化に対応するよう宗門の組織が整えられました。十年後にはご誕生八百五十年を迎えます。新たな歩みを始めるよい時期であると考えます。

 

後を継ぎます新門は、すでに、築地本願寺の副住職として実務に就くばかりでなく、首都圏をはじめ各地を訪ね、宗門の事情への理解を深めています。新鮮な感覚と知識を持って任を果たしてくれることと思います。

 

申すまでもなく、私は住職、門主の職務を離れましても、浄土真宗の僧侶であることには変わりはありません。退任後もご法義繁昌のため、その務めを果たす所存です。

 

宗門の行事等は一年以上前に準備を始める場合も少なくありません。継承が円滑に行われるよう、この時期に退任を表明することにいたしました。

 

二○一三(平成二十五)年 四月二十六日

本願寺門主 住職    大谷 光真

 

門信徒のみなさまへ

 

謹啓

 

慈光照護のもと、貴台におかれましては、ご法義の繁盛と寺門の興隆発展のためにご精進いただいておりますこと、また平素から実践運動推進にご高配を賜っておりますこと厚くお礼申しあげます。

 

さて、過日四月十三日から厳修いたしました立教開宗記念法要の四月十五日の法要ご親教に引き続き、ご門主・本願寺ご住職様から別紙のとおり明年六月五日をもってご退任される旨宣明され、また同時にお裏方本願寺坊守様におかれましてもご退任されることになりました。ご門主様ご退任後につきましては、新門・本願寺嗣法様が法統を継承され、新裏方様とともに私どもをお導き賜ることになります。

 

このたびの重大なご決意に、浄土真宗の流れを汲む一人として、今日までのご門主様並びにお裏方様のご教導に対する甚深の謝意を申しあげますとともに、これからの宗門・本山の新たな始まりを期して誠に身の引き締まる思いをいたしていることであります。

 

つきましては、ご門主様の正式のご退任まで一年有余の期間はございますが、今後とも宗派及び本願寺の協力体制の中において、ご門主様の思し召しを滞りなく遂行すべく宗門一丸となって諸準備を進めてまいりたいと存じます。皆様におかれましては、これからの取り組みに対し、なお一層のご協力を切にお願いし、取り急ぎ寸楮をもってお知らせいたします。

合掌

二〇一三(平成二十五)年四月二十六日

浄土真宗本願寺派 総長            園  城  義孝
本 願 寺 執行長            佐々木  鴻昭

 

ご住職様

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懐かしのアルバム 1936年 1月撮影

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昭和11(1936)年 1月撮影

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下関組寺院法座案内5月

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2013年5月 鈴と 小鳥と それから私 みんなちがって みんないい 法語カレンダー解説

hougo201305 もう十年近く前のことです。長男が小学校四年生の頃、宿題にローマ字の文章を朗読して、親に聞いてもらうというものがありました。彼が「読むから聞いてほしい」と言うので、私は寝転がったまま聞いていました。

 

 「watasniga ryoutewo hirogetemo……」と始まった時、私はびっくりして起き上がりました。

 

 「えっ、この文章は」と尋ねると、国語の教科書に載っている文章だということでした。金子みすゞさんの詩が、学校の教材として取り上げられているとは、私にとってはとても驚きでした。童謡詩人である金子みすずさんの作品のなかには、阿弥陀さまの温かなまなざしが感じられるものがたくさんあります。その代表作とも言える「私と小鳥と鈴と」という作品の最後の部分が、今月の法語です。

 

私が両手をひろげても、

お空はちつとも飛べないが

飛べる小鳥は私のやうに、

地面を速くは走れない

 

私がからだをゆすつても、

きれいな音は出ないけど、

あの鳴る鈴は私のやうに、

たくさんの唄は知らないよ。

 

鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがつて、みんないい。

(『さみしい女王 新装版 金子みすゞ全集・Ⅲ』 一四五頁 JULA出版局)

 

 この私と小鳥とは、間違いなく違います。小鳥は飛べるけれども、私がいくら両手を広げても飛べません。しかし、その小鳥も地面に降りれば、私ほど速くは走れないということになります。また、鈴を振ればきれいな音が出ますが、私か身体をゆすってもまったく音は出ません。しかし、私はたくさんの唄を知っていますが、鈴は一種類の音色しか出すことができません。当たり前と言えば当たり前すぎる話ですが、それぞれが全然違います。しかし、違っているけれども、それぞれがそのままで、かけがえのない尊い存在なんだと知らされます。命という観点で言えば、生きとし生けるものすべてが精一杯その命を輝かせており、それぞれの命がそれぞれの色で光っているということを、教えていてくれると思います。

 

 金子みすゞさんは、本名を金子テルと言い、山口県の仙崎という港町に明治三十六(1903)年に生まれます。小さい頃から、手を引かれてよくお寺へお参りしていたそうです。みすゞさんが育った仙崎という町は、その昔から念仏の薫る土壌があり、彼女の家族も浄土真宗の信仰に篤(あつ)く、みすゞさんは幼少期からそのような環境のなかで育ちました。そして、阿弥陀さまの温かく、哀しく、慈悲深いまなざしを通して、たくさんの作品を残してくれました。

 

 「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい」とは、それぞれの命が、それぞれの色で精一杯輝いており、その色をそのまま認めていく世界を表現していると思います。一つひとつの命が、そのままに、あるがままに認め合うことのできる世界を教えてくれます。それはそのまま、阿弥陀さまの慈しみに満ちた温かなまなざしが根底にあるからではないでしょうか。ところが、私たちは常に比較してしまいます。比べてしまいます。一切比べる必要などなく、そのまま、あるがままを尊び、受け止め、認め合っていく世界が、阿弥陀さまのお慈悲から流れ出ているのだと思います。そしてそのまなざしは、無機質な鈴というものにまで命の息吹を認めていくのでしょう。

 

 

あるがままの姿で

 もう二十年近く前に、私自身、初めて常例布教にご縁をいただいた時のことです。

 九日間に十一ヵ寺の寺院を巡る布教の旅でした。初めての経験のなか、かなり緊張しながら各寺院での布教をさせていただき、それぞれの住職や門信徒の皆さんとの出会いに、新鮮な感動を覚えていました。私は、自家用車で各寺院を回らせていただきましたが、何軒目かの寺院に車で着いた時には、住職さんがすでに玄関へ出て、私の到着を待っていてくださいました。荷物を持って車を降り、玄関で挨拶をし、奥の部屋に通されました。かなり年配の住職さんでしたが、私の大きな荷物を持ってくださり、部屋に入った後、お茶を入れていただきました。お茶を入れて、湯飲みを茶托(ちゃたく)に乗せて私に出してくださった後、その住職さんはメモ用紙とボールペンを取り出して、そのメモ用紙にさらさらと何かを書いて、私に渡してくださいました。私は、最初、事態をうまく飲み込めなかったのですが、メモ用紙を何枚も書いては破り書いては破いて、私にくださる姿を通して、私なりに事情がわかってきました。筆談です。声を失われた住職さんでした。

 

 この住職さんが、「一語法話」のなかに登場されます。「一語法話」とは、以前、本願寺から毎年発行されていた四つ折りの簡単な冊子で、そこには、文字どおり、短い法話が載っています。その法話には、「本当の喜び」という題名が付けられており、それを書いてくださったのは、当時、中央基幹運動推進相談員をされていた真敷祐弘(ましきゆうこう)先生でした。その短い法話に、次のように説かれています。

 

 

 私の先輩住職にNさんがおられます。Nさんは二十四年前、喉頭ガンで手術を受け、声が出なくなりました。

 病気は治りましたが、声を失った寺の住職の苦しみが始まりました。ご法話も勤行(おつとめ)もできない自分に生きている価値があるのだろうか。苦しい毎日が続きました。  そんなとき、隣寺の住職がお見舞いに見えて、筆談の中からNさんの苦悩を知り、ただ一言「お念仏の教えは、仕事が出来る出来ないではなしに、全ての人が、あるがままの姿で救われる道の発見ではありませんか」と励ましてくださいました。

 この一言がNさんを目覚めさせ、生きる勇気を与えてくれました。  以来二十四年間、声を失った不便でつらい毎日でありますが、このことが機縁となってあらためて法に遇うことができたことを喜んでおられます。 「本当の喜び」とは、自分の思うようになった時や、他人の不幸と比べて喜ぶことではないということを私たちは学ぶことができます。

(『一語法話』第四七号所収、一九九九年)

 住職がすることと言って、まず思い浮かぶのは、お経をお勤めすること、つまり読経ということでしょう。また、み教えを言葉にして伝えること、つまり法話ということでしょう。その両方ともできなくなってしまった自分に、生きている価値があるのだろうか、と思い悩む切なさとはどれはどのものであったか、私には想像もつきません。見舞いに来てくださった隣寺の住職さんの一言が、まさに「そのまま」の救いを表してくださっています。「全ての人が、あるがままの姿で救われていく道の発見」と表現されていますが、その道を自分で切り開いていくのではなく、すでに用意されている道を見つけるという意味になります。この私ひとりのために、阿弥陀さまが届けてくださった道がすでにあるということです。自分でその道を建設していくのなら、一歩も半歩も前に進むことはできませんが、すべて阿弥陀さまの側でしつらえていただいたものであり、それを発見させていただくことが、お念仏との出遇いの大きな意味合いであると、真敷先生は「一語法話」のなかで教えてくださいます。

 

 

大漁

 金子みすゞさんの多くの作品のなかに、「大漁」という詩があります。

 

朝焼小焼(あさやけこやけ)だ

大漁(たいれふ)だ

大羽鰯(おほばいわし)の

大漁だ。

 

濱は祭りの

やうだけど

海のなかでは

何萬(なんまん)の

鰯のとむらひ

するだらう。

(『美しい町 新装版 金子みすゞ全集・I』 一〇一頁 JULA出版局)

 

 大羽鰯(おおばいわし)の大漁に沸く浜辺のよろこびようとは裏腹に、その海のなかではどれだけ多くの鰯の命が失われ、その弔いがされるだろう。祭りのようににぎわう港の様子を見つめるみすゞさんの目には、そのよろこびの光景ではなく、海のなかの哀しみの情景が思い浮かび、多くの鰯の命が失われたことへの哀しみが感じられたことでしょう。

 そして、他の命を犠牲にして生きていかねばならない自分白身の命の哀しさも、そこには表されています。それがそのまま、故郷のお念仏の薫る土壌のなかで育まれたまなざしなのでしょう。

 

 

積もった雪

 昨年の冬、長野県の私の住む町では、記録的な豪雪に見舞われました。かき落とすように激しい雪降りの時は、見る見るうちに雪が積もっていきます。うずたかく屋根に積もった雪を眺めながら、「大丈夫かなあ」と不安になることもしばしばありました。降雪のあった日は、早朝の暗いうちから除雪機を運転し、境内の除雪をします。

 日によっては、新雪が腰の高さぐらいになることもあります。玄関から公道までの参道や駐車場などをきちんと除雪するには、かなりの時間がかかります。吹雪のなかを作業することもしばしばです。除雪をするというよりも、雪と戦う、格闘するといった表現のほうが似つかわしいかも知れません。厄介物をやっつけるといった気持ちが強いのは確かです。ところが、みすゞさんは、そんな雪に対して命を見ています。

 

「積った雪」という作品です。

 

上の雪

さむかろな。

つめたい月がさしてゐて。

 

下の雪

重かろな。

何百人ものせてゐて。

 

中の雪

さみしかろな。

空も地面もみえないで。

(『空のかあさま 新装版 金子みすゞ全集・Ⅱ』二四二頁 JULA出版局)

 

 積もったばかりの雪は、ふわふわしていて真っ白ですが、晴れた日が続くと、雪が沈んで締まってきます。そして、気温が下がってまた雪が降り、気温が上がって雪が締まり、それを繰り返しながら、雪にも地層のような層が幾重にもできていきます。

春先の雪の断面にはそれがきれいに見えます。雪国に住む私か厄介物をやっつけるように扱うその雪を、みすゞさんは三つの層に分けて、「さむかろな」、「重かろな」、「さみしかろな」とうたいます。このようなまなざしは、きっと阿弥陀さまのはたらきをいただいて手に入れられたものなのでしょう。

 

 「ああでなければいけない、こうでなければいけない」などという枠組だらけのこの娑婆で、各々の違いを認め、そのままのあり方を尊ぶまなざしを、阿弥陀さまからいただきます。さらに、命を尊ぶ一方で、他の命を犠牲にして成り立つ我が命の哀しさに思いを馳せるまなざしや、各々の立場のなかにある切なさに気づいていくまなざしもいただきます。どれもこれもみな、みすゞさんが「詩」という形をとって私たちに伝えてくれる、阿弥陀さまの慈しみのまなざしの世界です。

 

(井上慶真)

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