下関組寺院法座案内 2013年3月

shimonosekisohouza201303

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春季彼岸会法要と仏教壮年会三月例会のご案内

三月のご案内

 

春季彼岸会法要

 

三月十五日()十六日()

          朝 席 午前十時より

          おとき 正午

          昼 席 午後一時半より

   講 師 市内永田郷 浄満寺

新  晃眞 師

 

仏教壮年会三月例会

 

三月十六日()

午後一時半より

講 師 市内永田郷 浄満寺

新  晃眞 師

 

 

二○一二年九月一日

 

            下関市細江町一

 

光 明 寺

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2013年3月 参れると思うて 参れぬお浄土へ 本願力にて往生す 法語カレンダー解説

hougo2013-3本願力にて往生す

三月の法語は、稲垣最三(さいぞう)師(法名・瑞剱(ずいけん))のお言葉です。瑞剱師は、姫路市のご出身で、篤信のご両親のもとで幼少から学問に励まれました。漢籍や英文学、仏教、哲学などに親しまれながら、浄土真宗のみ教えに、そして教義の奥義に研讚を積まれて、仏法伝道に一生を捧げられました。そして、多くの著述、多くの信心発露する詩歌を著わされ、多くの門信徒に他力の教えを伝えられました。

 

瑞剱師は、毎月の法座などで、「本願力にて往生す」と、つねづね口癖のように語られて、本願力のおはたらきについて説き続けられました。たとえば、師の著述のなかに、次のように述べられています。

 

 弥陀如来は法蔵菩薩であらせられた時、世自在王仏(せじざいおうぶつ)のみもとで修行せられて、凡夫を助けてやりたいのであるが、凡夫は智慧も慈悲もなく、修行もようしないで、悪業ばかり造っておって、生死、生死と、はてしなく苦海に沈んでおるのをあわれみたもうて、自ら願と行とを完成して、阿弥陀仏とならせたもうた。その正覚の功徳力にて一切衆生を助けなおかぬという本願を建てたもうかのである。

 

故にわれ等は阿弥陀如来の慈悲を信じ、智慧を信じ、功徳力を念ずることによりて往生成仏することが出来るのである。功徳力を信ずることが、つまり本願を信じたことである。阿弥陀如来の無量力功徳はわれらの救済であり、われらの生命であり、われらの往生する種である。如来の功徳を念ずるところ、功徳は直にわれらのものとなる。まことに不可思議の利益である。衆生に仏の功徳を念ぜしめて助けなおかんというのが阿弥陀如来の本願である。故に本願はありかたい。本願は如来の大慈悲力であり、大智慧力である。これを願力という。

(『本願力 法雷叢書Ⅰ』二頁)

このように、瑞剱師は、阿弥陀さまは、あらゆる生きとし生けるものを助けなければおかぬという本願をたてられ、完成してくださった。その阿弥陀さまの智慧と慈悲の円満した功徳の力を私たちが信ずるところ、すなわち本願力を信ずるところに、無量の功徳が私たちのいのちとなり、往生する種となり、浄土往生の救いが実現する。

このように、阿弥陀さまの大智慧のはたらき、大慈悲のはたらきが本願力となって、この「私」にはたらいてくださっている、それゆえこの本願がありかたい、と示されています。

父母に育てられ

 ご両親の熱心な聴聞の生活のなかで育てられたこと、そして、ひたすらに仏道を求めるようにと導かれたことを深く感謝されていた瑞剱師ですが、「浄土往生」「浄土へ参る身となる」ということについて、次のような経験談を、自叙伝ともいうべき『仏母庵(ぶつもあん)物語』に述べておられます。

 最三(瑞剱)三十七歳の時父は往生の素懐(そかい)を遂げたり。物心付きし頃より食事時には必ず仏法の話を父より聞き、また、予より質疑を提出したり。然るに三十七歳まで、予は自から安心(あんじん)をねり堅めて、<これで如何〉(この私の領解でいかがでしょう、間違いないでしょうという意味)などの意を述ぶ。父はその度毎に予の安心を打ち破ること、恰(あたか)もさいの川原で子どもが石を積んだのを鬼が鉄棒にて打ち砕くが如し。数百回数千回数を知らざるほどなりき。

父曰く、「それでよいそれでよい、それで極楽へ参れる。じゃが、参れる様になって参れるお浄土か、参れぬこの私を如来様が喚んで下さるのと違うか云云」と云い、とうとう父の生前中、一度も父の印可(いんか)を受けし事なし。父が最三(瑞剱)に対する教導、まことに禅家の師家の風ありか。此の父を持ち、恩師桂利剱(りけん)先生を持った予の幸(しあわせ)は幾百万の富にもまさるものあり。

(『法雷』特集号(4)所収、一二九~一三○頁、一九八五年)

参れると思うて参れぬお浄土

 このように述べて、父上の教導のご恩を感謝されるとともに、「お浄土へ参る」「お浄土に救われる」ということを、ここに明確に示されています。

 阿弥陀さまの大慈悲のおはたらきにいだかれて、本願力に乗せていただいて、お念仏させていただく。これは「信心獲得(ぎゃくとく)」の姿であります。阿弥陀さまのお救いにあずかって安堵している「安心」の姿であるということになりましょう。

 しかし、「これで、(お浄土に)参れるのだ」という心になっていたら、「自分の思いだけのことであり、自分のはからいに過ぎぬ」と、父上に厳しく誠められたそのことを、瑞剱師は感謝の心をもって述懐されているのです。

 すなわち、「参れるようになった」とか「参れると思うている」とかには、私の思いがはたらき、「私」の勝手な判断がはたらいている。すなわち「自力」のはからいのなかにあるのであって、それでは「他力信心」、すなわち阿弥陀さまの本願力のまま、大慈悲のおはたらきのままにはなっていない、ということになります。

 父上に「参れるようになって参れるお浄土か」と問い質され、「参れぬこの私を如来さまが喚んでくだざるのと違うか」と言われるところに、他力の他力たるところが示されているといただくところです。

他力信心のかなめ

  そこで、瑞剱師は、その他力信心のかなめを、

 

参れると思うて参れぬ お浄土へ
本願力にて往生す

参れると思うて参れぬ お浄土へ
参れぬものが 参る不可思議

参れると思うて参れぬ お浄土へ
仏智不思議に 引かれ引かれて

どうしても参られぬ 本願あるから参られる

などと、詠われるのです。

 煩悩具足の凡夫として、あるいはこの迷いの世界にある人間として、自分中心の思いや自らのはからいから離れるということは、不可能なことと言えるでしょう。釈尊ご自身がそのようにご教示くださっており、また阿弥陀さまの大慈悲心も、そのような凡愚のものであるとお示しくださって、大悲のはたらきをこの「私」にはたらかせてくださっています。「私」の方では、わが身を慚愧(ざんぎ)する以外になく、大慈悲のおはたらきをそのままに受けさせていただき、たよりとさせていただくばかりなのです。

 

(佐々木恵精)

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下関組寺院法座案内 2013年2月

houzaannai2013-2

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仏教壮年会 二月例会のご案内

 

二月のご案内

 

 

 

仏教壮年会 二月例会

 

二月 九日()  午後二時より

 

講座 十五回「みんなで学ぶ ご絵伝」

 

 

        宇部市東須恵中野 蓮光寺住職

  講  師  伊 東 順 浩 師

 

 

 

二○一三年 二月 一日

 

          下関市細江町一丁目七番十号

 

光 明 寺

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2013年2月 人間とはその智恵ゆえにまことに深い闇を生きている 法語カレンダー解説

hougo2013-2十二歳の息子の死

 

二月の法語は、高史明(コサミョン)さんの言葉をいただきました。

人間とは、その知恵ゆえにまことに深い闇を生きている

(『悲の海は深く』七七頁)

 

私ども人間の知恵がいかに深い闇のなかのものであるかを語られるものですが、ここには、高さんの深い人生観が窺われます。

高さんの独り子の息子さんは、十二歳の春を迎えた時、自らこの世を去られます。

高さんは、この最愛の子の突然の自死に出遭って、目の前が真っ暗になられました。

息子さんが鋭い視線で多くの詩を書き残していたことを知って、それまで息子のことを何も知らずにいたことにがっくりされました。中学生となった息子さんに、「これからは、何事も自分で責任をもって歩んでゆくことだ」と、激励のつもりで語りかけた、その直後の自死でした。

 

ご白身が、何も本当のことをわかっていない「無明」のなかにある、わが子も「無明」のなかにある、ともに深い暗黒の淵に落ち込んでいるという思いでおられました。そのような時に、『歎異抄』と真剣に対面するようになり、『歎異抄』の声が聞こえてきたと言われます。

 

初めのうちは、『歎異抄』を読んでも、頭のなかに何ら入ってくることはありませんでしたと言われます。小学校を出て以来初めて墨をすり、「南無阿弥陀仏」という文字を、毎日毎日書いていたが、それにどういう意味があるのか説明できないけれども、そうせずにおれなかったと、当時のことを語られます。

 

そして、連れ合いの岡百合子(ゆりこ)さんが「仏さまの顔を見に行きたい」と言うので、一緒に奈良を訪ね、田んぼのなかの道を歩いていた時のことだそうです。周囲が黄金色に輝く光景に出遇ったその時に、夕日の輝きのなかで、「生きているんだ」と気づかされたと言われます。『歎異抄』第五条の「まづ有縁(うえん)を度(ど)すべきなり」(『註釈版聖典』八三五頁)という言葉がどういう教えであるか、言葉としても整理して考えられるようになったとのことです。

 

浅はかな人間の知恵

息子さんの自死によって『歎異抄』に向き合うようになった高さんは、人生の絶望、暗黒の淵を体験されて、人間の知恵がいかにたよりないか、浅はかなものであるかを思い知らされたということでしょう。

『歎異抄』の結びの部分(後序)に、

 

煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)、火宅無常(かたくむじょう)の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします

(『注釈版聖典』八五三~八五四頁)

 

とあります。すなわち、「私どもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、この世は燃えさかる家のようにたちまち移り変わる世界であって、すべては虚しく偽りで、真実と言えるものは何一つない。そのなかにあって、ただ念仏だけが真実なのである」とあるとおりである、と実感されたのです。

 

私ども人間の世界は、いまや科学技術の急速な発達のおかげで、たいへん便利な生活ができるようになっています。そして、私たち人間は有能で、世界を支配しつつあるというような驕(おご)りの思いすら、持ち始めていると言えるでしょう。しかし、それは人間中心の思考の上に乗っての営みであり、さらには自己中心の思考に支配されている驕慢(きょうまん)の姿と言わざるを得ません。

 

人間中心の科学的な知識にしても、人間の欲望を満足させようとする思考にしても、根本的に「無明」(真実が見えていない無知)の世界のことであるという深い洞察が、高さんの言葉に窺われます。

 

『正像末和讃』には

 

末法五濁(まっぽうごじょく)の有情(うじょう)の

行証(ぎょうしょう)かなはぬときなれば

釈迦(しゃか)の遺法(ゆいほう)ことごとく

竜宮(りゅうぐ)にいりたまひにき

(『註釈版聖典』六〇一頁)

 

と詠われています。すなわち、親鸞聖人は「末法の五濁の闇にある私ども人間には、修行も覚りもかなわない時(時代)であるから、釈尊が遺された教法もみなこの世から隠れて、竜王の宮に入ってしまわれた」と言われるのです。この和讃を拝読されて高さんは、人間の自己中心の知恵は、その根っこに「五濁」の深い闇が横たわっているが、そこでは修行も覚り(証)もかなわぬといわれている、と受け止められたのです。

 

ただ念仏のみぞまこと

 

『仏説阿弥陀経』には、

 

釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)、よく甚難希有(じんなんけう)の事(じ)をなして、よく娑婆国土(しゃばこくど)の五濁悪世(ごじょくあくせ)、劫濁(こうじょく)・見濁(けんじょく)・煩悩濁(ぼんのうじょく)・衆生濁(しゅじょうじょく)・命濁(みょうじょく)のなかにおいて、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得て、もろもろの衆生のために、この一切世間難信(いっさいせけんなんしん)の法を説きたまふ

(『註釈版聖典』一二八頁)

 

と、すなわち「釈迦牟尼仏は、世にもまれな、きわめてなしがたい尊いことを成し遂げられた。この娑婆世界は濁りきり、悪に満ちていて、時代は汚れ、思想は乱れ、欲望をはじめ、さまざまの煩悩は激しく、人びとは堕落し、生命を損ない、大切にしていない。そのなかにありながら、この上ない覚りを得て、人びとのために、この世のすべてのものたちには信じがたい尊い教えをお説きになった」と説かれています。このように、『仏説阿弥陀経』に、諸仏がたが釈尊の不可思議の功徳をほめ讃えておられることが説かれていることを、高さんは深く受け止められます。

 

そして、法然聖人、親鸞聖人が、人類史の地殻に潜む暗黒を露わにされていることを、さらには、その地獄のただ中を生き抜いて真実のみ教えを捉え返され、「ただ念仏のみぞまことにておはします」(『歎異抄』後序 『註釈版聖典』八五四頁)の道を、さらに深くお示しくださったと言われています。

 

まさに、高さんがいただかれたように、私たちは、人間中心の営み、自分中心の知恵の「深い闇」のなかにあって、如来の大悲のおはたらきに出遇わせていただいているのであると言えるでしょう。

(佐々木恵精)

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御正忌報恩講がお勤まりになりました。

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2013年1月13日から16日、御正忌報恩講がお勤まりになりました。 内陣のお荘厳、おときの風景などのギャラリーです。

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2013年1月 とにかく お慈悲の力は ぬくいでなあ 法語カレンダー解説

hougo2013-1妙好人

 

「妙好人(みょうこうにん)」とは、お念仏をいただいた篤信の念仏者を讃える称讃の言葉として用いられます。もともとは、善導大師(ぜんどうだいし)が用いられたのが最初でした。『仏説観無量寿経』に、釈尊が篤信の念仏者を讃えて、

 

もし念仏するものは、まさに知るべし、この人はこれ人中(にんちゅう)の分陀利華(ぶんだりけ)なり。

(『註釈版聖典』一一七頁)

 

と説かれています。分陀利華(芬陀利華とも表記されます)とは、泥田にありながら清浄な華を咲かせる白蓮華(びゃくれんげ)のことです。これを善導大師は註釈されて、経に分陀利華と讃えられたことは、

 

すなはちこれ人中の好人なり、人中の妙好人なり、人中の上上人(じょうじょうにん)なり、人中の希有人(けうにん)なり、人中の最勝人(さいしょうにん)なり。

(『観経疏』「散善義」『註釈版聖典(七祖篇)』四九九~五〇〇頁)

 

と言われ、言葉を尽くして念仏者を称讃されました。

特に、「妙好人」という言葉をもって篤信の念仏者を表すようになったのは、江戸時代の真宗学者・実成院仰誓(じつじょういんごうぜい)師からで、その後、次第に一般に使用されるようになり、今や海外でも「Myokonin」で通用するようになっています。

 

 

源左さんの苦悶

 

一月の法語は、その妙好人の一人として讃えられる足利源左(あしかがげんざ)さんの言葉から選ばれました。

源左さんは、本名を足利喜三郎と言いますが、一般に源左衛門と言い、略して「源左」で通っておりました。鳥取県の浜村温泉に近い気多郡(けたぐん)山根村の生まれで、根っからのお百姓さんでした。頑強な体格で気性も荒く、喧嘩や賭博もした青年期であったようですが、勤労には精を出し、分け隔てなく人びとの難儀を助ける性格だったとのことです。

源左さんが聞法を始めたきっかけは、十八歳の時に、父親が当時流行していたコレラにかかり急死して、動転したことでした。父親がわずか半日のわずらいで亡くなるのですが、その直前に、「おらが死んで淋しけりゃ、親をさがして親にすがれ」と言い残した遺言が心にとどまり、死とは何か、親さまとは何かを考える毎日でした。そして、願正寺を訪ねて住職の芳瑞(ほうずい)師の導きを受けて、聞法生活を始めたのでした。

さらに、二十一歳で結婚して、五人の子どもを授かりますが、いずれも死別するという、世の無常をつくづく思わされて、近隣の法座に出向き、本願寺にも足を運んで求道し続けます。しかし、死について、親さまについて、わからない苦悶の日々が続いていました。

 

 

ふいっとわからしてもらったいな

 

三十歳を過ぎたある夏の朝、「ふいっとわからしてもらったいな」と、源左さんが語る出来事が起こります。

源左さんは、いつものようにまだ夜の明けやらぬうちに、牛を連れて、裏山の城谷(じょうだん)へ草刈りに行きました。朝日が昇る頃、刈り取った草を幾つかに束ねて牛の背に担がせ、帰ろうとする時に、全部乗せては牛が辛かろうというので、一把(わ)だけ、自分が背負って帰ろうとしました。

ところが、疲れていたのでしょうか、急に腹が痛くなってどうにもならないので、背負っていた草の束を、牛の背に負わせました。自分はスーツと楽になった、その瞬間に心が開けたのです。

 

ふいっと分らしてもらったいな。

(柳宗悦・衣笠一省編『妙好人 因幡(いなば)の源左』三頁)

 

と、源左さんは後々までこのように語っております。「おれが背負っていかねば」と、気張っていた草の束を、牛の背にまかせたとたんに、手ぶらとなった自分は、ウソのように楽になった。その時、わたしのこの生と死のすべてをしっかりと支えて、「お前の生死はすべてこの親が引き受けたぞ」と喚び続けていてくださる阿弥陀さまがましますことを、全身で「ふいっと」気づかせてもらった、というのです。

その後は、「デン(牛)がおらの善知識だあ」とよろこび、なおいっそう牛を大事にしています。自分には(人間には)背負いきれない深重なる罪業を、阿弥陀さまがすでに背負ってくださっていた、その他力のご恩に気づかされたということができるでしょう。

 

おらなあ、親さんが、源左助けるって云はれっだけえ、ようこそゝよりほかにゃないだいなあ

(『同』九九頁)

ようこそゝ、なんまんだぶゝ

(『同』四頁)

 このように、口癖のように語り、多くの人びとにお念仏のよろこびを伝えたのでした。

とにかく お慈悲は ぬくいでなあ

(『山陰 妙好人のことば』二三頁)

 これが一月の法語です。ここに、源左さんが、苦しい、悲惨な人生を味わいながらも、大慈悲の温もりのなかにあることをしみじみと語られた言葉と、いただくことができるでしょう。

 

 

よろこびと安堵の言葉

 

『仏説観無量寿経』に「仏心(ぶっしん)とは大慈悲(だいじひ)これなり」(『註釈版聖典』一〇二頁)とあります。阿弥陀さまは、煩悩や苦悩、悲嘆のただなかにある私たちのあるがままの姿を見通し、常にはたらきかけて、摂取不捨されています。どのようなことがあっても、とらえて離すことなく見捨てることがない、如来の大慈悲です。そこに、言い知れぬ「温もり」を味わうのです。源左さんが、如来の大慈悲をひしひしと感じている、その心が深く味わわれます。

 親鸞聖人は、『教行信証』行文類に、

 

大悲(だいひ)の願船(がんせん)に乗(じょう)じて光明(こうみょう)の広海(こうかい)に浮(うか)びぬれば、至徳(しとく)の風静かに衆禍(しゅか)の波(なみ)転ず。

(『註釈版聖典』 一八九頁)

 

と説かれています。すなわち、「本願の大いなる慈悲の船に乗り、念仏の衆生を摂め取る光明の大海に浮かぶと、この上ない功徳の風が静かに吹き、すべての禍(わざわい)の波は転じて治まる」と示されています。

 そのとおりに、如来の大慈悲の船に乗せていただいていることのよろこびと安堵が、源左さんの言葉からいただかれます。

 

(佐々木恵精)

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下関組寺院法座案内 2013年1月

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2013年 表紙 念仏とは自己を発見することである 法語カレンダー解説

智慧と慈悲

 

二〇一三(平成二十五)年の法語カレンダーは、「智慧(ちえ)と慈悲」をテーマとしています。

 

ブッダ・釈尊は真実に目覚められて、最初の説法で「四聖諦(ししょうたい)」(あるいは「四諦八正道(したいはっしょうどう)」)を説かれたと言われます。その「四聖諦」の第一が「この世は苦である」という真実であり、第二が「その苦の原因は(自己中心の)愛欲、すなわち煩悩である」という真実である、と説かれました。

『歎異抄』にも、私どもの姿を「煩悩具足の凡夫」と示される親鸞聖人のお言葉が述べられていますが、そのようなご教示によって、私たちは自らをたよりとして自己中心的な振る舞いしかできず、覚りを目指す実践がまったくかなわないものであると、つくづく知らされます。実際には、私たちは、何かに失敗した時とか、大きな災害に出遭った時などには、自分の愚かさや人間の無力さをいくらか感じますが、自分中心の思いを持ち、自分中心の眼(まなこ)でものを見ること以外にない存在で、なかなか自己をまともに見つめることができないものであります。

釈尊のみ教えに出遇(あ)って、やっと少し自分の姿に気づかされ、さらに、真実の覚りそのものである如来の、あらゆるものを平等にご覧になる真実の智慧と、すべてにへだてなくはたらく大慈悲に照らされてこそ、愚かなる「私」の姿が見えてまいります。

それが、煩悩具足の凡夫であると知らされるということになります。

この法語カレンダーには、如来の智慧と慈悲に照らされて、自己を見つめ、自己の愚かさを知らされるとともに、大悲にいだかれたよろこびをかみしめる。そのようなお言葉を、先達のご著述などから選んでいます。ともに味わいつつ、日々を過ごしたく思います。

 

自己の発見

 

表紙に、金子大榮(かねこだいえい)師のお言葉をいただきました。

念仏とは 自己を 発見することである

(金子大榮著『歎異抄』四六頁)

「念仏」とは、浄土教では私どもの口元で「南無阿弥陀仏」と称えさせていただく「称名念仏」のことですが、本来、真実の覚りそのものである如来を心に念ずることが「念仏」であり、仏を念ずることによって覚りへの道を歩む、すなわち仏道を歩むことになる、ということになります。しかし、親鸞聖人は、「この私」が迷いのなかの凡夫であることを厳しく見つめられ、真実の覚りである阿弥陀さまの本願によってこそ、救われる道が開かれているということを説かれました。

阿弥陀さまが「あらゆるものを救わずにはおかぬ」と願われ、「南無阿弥陀仏」の名号(みょうごう)を完成され、如来の大智と大悲を円かにそなえた救いのはたらきそのものである名号となって、「この私」に喚びかけてくださっている。その本願を信じ、名号をいただき、称名念仏するところに、救われていく道が開かれることになります。

親鸞聖人は、称名念仏の道を歩むについて、その根底に、如来の智慧と慈悲のおはたらきにいだかれて、そのはたらきにたよりきる心、「信心」があることが大事である、と示されました。師である法然聖人は、「ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべし」(『歎異抄』第二条 『註釈版聖典』八三二頁)とおっしゃられたと言われているように、唯円房(ゆいえんぼう)がまとめられた『歎異抄』にも、しばしば「念仏する」ことが説き示してあります。

『歎異抄』には「念仏」が三十九回使われていて、「念仏によって往生する」と説かれているのです。すなわち、念仏するところに、如来の本願を信じ、如来の智慧と慈悲のはたらきをいただく。そしてそのことは、「この私」の煩悩具足の姿を知らされつつ、如来の大いなるはたらきにいだかれる世界が開かれることであると、うかがわれるのであります。

金子大榮師が、念仏とは「自己を発見すること」であると語られるところには、念仏するなかに、阿弥陀如来の本願のはたらきをいただき、「この私」をあるがままに見つめさせていただく世界が広がっていることが示されているものと、うかがうことができるでしょう。

お念仏とともに生きる、お念仏のなかに生活するということは、お念仏するなかで、お念仏を通して、仏・如来に対面し、自己をあるがままに見つめる、そしてお念仏のなかに如来の大慈悲をよろこばせていただく、ということになるでしょう。

 

念仏のなかの生活

 

これは、阪神大震災の一年余り前のことですが、浄土真宗本願寺派の総長を長く務められた豊原大潤(だいじゅん)師が語ってくださった話です。

ある祝賀の会合で話されたのです。お祝いの言葉を述べられた後に―、

「私は、耳が遠くなり、自宅にいても家族の話がろくに聞こえず、まったく孤独な毎日です。そのようななかでも、ひとりでにお念仏を称えている、お念仏申すばかりの生活です。

ありかたいことに、自分か称えるお念仏だけは聞こえるのです、耳元でお念仏が響いてくださる。これが尊い、ありかたいことです。私か称えさせていただいているお念仏をいただきながら、お念仏のなかに生活させていただいています」

と加えられて、挨拶を結ばれました。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 なまんだ―ぶ…… とお称えする

このお念仏するなかに、「愚かなるこの私」がお念仏のなかに生かされている、お念仏とともに歩む身となっているということを、深いよろこびのなかで感じとり、ご自身を見つめておられる、そういうお姿を、豊原大潤師の挨拶のなかに拝見させていただいたのです。

金子師のお言葉のとおり、このような「自己発見」の場がお念仏なのだ、といただくことができます。

(佐々木恵精)

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