2013年5月 鈴と 小鳥と それから私 みんなちがって みんないい 法語カレンダー解説

hougo201305 もう十年近く前のことです。長男が小学校四年生の頃、宿題にローマ字の文章を朗読して、親に聞いてもらうというものがありました。彼が「読むから聞いてほしい」と言うので、私は寝転がったまま聞いていました。

 

 「watasniga ryoutewo hirogetemo……」と始まった時、私はびっくりして起き上がりました。

 

 「えっ、この文章は」と尋ねると、国語の教科書に載っている文章だということでした。金子みすゞさんの詩が、学校の教材として取り上げられているとは、私にとってはとても驚きでした。童謡詩人である金子みすずさんの作品のなかには、阿弥陀さまの温かなまなざしが感じられるものがたくさんあります。その代表作とも言える「私と小鳥と鈴と」という作品の最後の部分が、今月の法語です。

 

私が両手をひろげても、

お空はちつとも飛べないが

飛べる小鳥は私のやうに、

地面を速くは走れない

 

私がからだをゆすつても、

きれいな音は出ないけど、

あの鳴る鈴は私のやうに、

たくさんの唄は知らないよ。

 

鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがつて、みんないい。

(『さみしい女王 新装版 金子みすゞ全集・Ⅲ』 一四五頁 JULA出版局)

 

 この私と小鳥とは、間違いなく違います。小鳥は飛べるけれども、私がいくら両手を広げても飛べません。しかし、その小鳥も地面に降りれば、私ほど速くは走れないということになります。また、鈴を振ればきれいな音が出ますが、私か身体をゆすってもまったく音は出ません。しかし、私はたくさんの唄を知っていますが、鈴は一種類の音色しか出すことができません。当たり前と言えば当たり前すぎる話ですが、それぞれが全然違います。しかし、違っているけれども、それぞれがそのままで、かけがえのない尊い存在なんだと知らされます。命という観点で言えば、生きとし生けるものすべてが精一杯その命を輝かせており、それぞれの命がそれぞれの色で光っているということを、教えていてくれると思います。

 

 金子みすゞさんは、本名を金子テルと言い、山口県の仙崎という港町に明治三十六(1903)年に生まれます。小さい頃から、手を引かれてよくお寺へお参りしていたそうです。みすゞさんが育った仙崎という町は、その昔から念仏の薫る土壌があり、彼女の家族も浄土真宗の信仰に篤(あつ)く、みすゞさんは幼少期からそのような環境のなかで育ちました。そして、阿弥陀さまの温かく、哀しく、慈悲深いまなざしを通して、たくさんの作品を残してくれました。

 

 「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい」とは、それぞれの命が、それぞれの色で精一杯輝いており、その色をそのまま認めていく世界を表現していると思います。一つひとつの命が、そのままに、あるがままに認め合うことのできる世界を教えてくれます。それはそのまま、阿弥陀さまの慈しみに満ちた温かなまなざしが根底にあるからではないでしょうか。ところが、私たちは常に比較してしまいます。比べてしまいます。一切比べる必要などなく、そのまま、あるがままを尊び、受け止め、認め合っていく世界が、阿弥陀さまのお慈悲から流れ出ているのだと思います。そしてそのまなざしは、無機質な鈴というものにまで命の息吹を認めていくのでしょう。

 

 

あるがままの姿で

 もう二十年近く前に、私自身、初めて常例布教にご縁をいただいた時のことです。

 九日間に十一ヵ寺の寺院を巡る布教の旅でした。初めての経験のなか、かなり緊張しながら各寺院での布教をさせていただき、それぞれの住職や門信徒の皆さんとの出会いに、新鮮な感動を覚えていました。私は、自家用車で各寺院を回らせていただきましたが、何軒目かの寺院に車で着いた時には、住職さんがすでに玄関へ出て、私の到着を待っていてくださいました。荷物を持って車を降り、玄関で挨拶をし、奥の部屋に通されました。かなり年配の住職さんでしたが、私の大きな荷物を持ってくださり、部屋に入った後、お茶を入れていただきました。お茶を入れて、湯飲みを茶托(ちゃたく)に乗せて私に出してくださった後、その住職さんはメモ用紙とボールペンを取り出して、そのメモ用紙にさらさらと何かを書いて、私に渡してくださいました。私は、最初、事態をうまく飲み込めなかったのですが、メモ用紙を何枚も書いては破り書いては破いて、私にくださる姿を通して、私なりに事情がわかってきました。筆談です。声を失われた住職さんでした。

 

 この住職さんが、「一語法話」のなかに登場されます。「一語法話」とは、以前、本願寺から毎年発行されていた四つ折りの簡単な冊子で、そこには、文字どおり、短い法話が載っています。その法話には、「本当の喜び」という題名が付けられており、それを書いてくださったのは、当時、中央基幹運動推進相談員をされていた真敷祐弘(ましきゆうこう)先生でした。その短い法話に、次のように説かれています。

 

 

 私の先輩住職にNさんがおられます。Nさんは二十四年前、喉頭ガンで手術を受け、声が出なくなりました。

 病気は治りましたが、声を失った寺の住職の苦しみが始まりました。ご法話も勤行(おつとめ)もできない自分に生きている価値があるのだろうか。苦しい毎日が続きました。  そんなとき、隣寺の住職がお見舞いに見えて、筆談の中からNさんの苦悩を知り、ただ一言「お念仏の教えは、仕事が出来る出来ないではなしに、全ての人が、あるがままの姿で救われる道の発見ではありませんか」と励ましてくださいました。

 この一言がNさんを目覚めさせ、生きる勇気を与えてくれました。  以来二十四年間、声を失った不便でつらい毎日でありますが、このことが機縁となってあらためて法に遇うことができたことを喜んでおられます。 「本当の喜び」とは、自分の思うようになった時や、他人の不幸と比べて喜ぶことではないということを私たちは学ぶことができます。

(『一語法話』第四七号所収、一九九九年)

 住職がすることと言って、まず思い浮かぶのは、お経をお勤めすること、つまり読経ということでしょう。また、み教えを言葉にして伝えること、つまり法話ということでしょう。その両方ともできなくなってしまった自分に、生きている価値があるのだろうか、と思い悩む切なさとはどれはどのものであったか、私には想像もつきません。見舞いに来てくださった隣寺の住職さんの一言が、まさに「そのまま」の救いを表してくださっています。「全ての人が、あるがままの姿で救われていく道の発見」と表現されていますが、その道を自分で切り開いていくのではなく、すでに用意されている道を見つけるという意味になります。この私ひとりのために、阿弥陀さまが届けてくださった道がすでにあるということです。自分でその道を建設していくのなら、一歩も半歩も前に進むことはできませんが、すべて阿弥陀さまの側でしつらえていただいたものであり、それを発見させていただくことが、お念仏との出遇いの大きな意味合いであると、真敷先生は「一語法話」のなかで教えてくださいます。

 

 

大漁

 金子みすゞさんの多くの作品のなかに、「大漁」という詩があります。

 

朝焼小焼(あさやけこやけ)だ

大漁(たいれふ)だ

大羽鰯(おほばいわし)の

大漁だ。

 

濱は祭りの

やうだけど

海のなかでは

何萬(なんまん)の

鰯のとむらひ

するだらう。

(『美しい町 新装版 金子みすゞ全集・I』 一〇一頁 JULA出版局)

 

 大羽鰯(おおばいわし)の大漁に沸く浜辺のよろこびようとは裏腹に、その海のなかではどれだけ多くの鰯の命が失われ、その弔いがされるだろう。祭りのようににぎわう港の様子を見つめるみすゞさんの目には、そのよろこびの光景ではなく、海のなかの哀しみの情景が思い浮かび、多くの鰯の命が失われたことへの哀しみが感じられたことでしょう。

 そして、他の命を犠牲にして生きていかねばならない自分白身の命の哀しさも、そこには表されています。それがそのまま、故郷のお念仏の薫る土壌のなかで育まれたまなざしなのでしょう。

 

 

積もった雪

 昨年の冬、長野県の私の住む町では、記録的な豪雪に見舞われました。かき落とすように激しい雪降りの時は、見る見るうちに雪が積もっていきます。うずたかく屋根に積もった雪を眺めながら、「大丈夫かなあ」と不安になることもしばしばありました。降雪のあった日は、早朝の暗いうちから除雪機を運転し、境内の除雪をします。

 日によっては、新雪が腰の高さぐらいになることもあります。玄関から公道までの参道や駐車場などをきちんと除雪するには、かなりの時間がかかります。吹雪のなかを作業することもしばしばです。除雪をするというよりも、雪と戦う、格闘するといった表現のほうが似つかわしいかも知れません。厄介物をやっつけるといった気持ちが強いのは確かです。ところが、みすゞさんは、そんな雪に対して命を見ています。

 

「積った雪」という作品です。

 

上の雪

さむかろな。

つめたい月がさしてゐて。

 

下の雪

重かろな。

何百人ものせてゐて。

 

中の雪

さみしかろな。

空も地面もみえないで。

(『空のかあさま 新装版 金子みすゞ全集・Ⅱ』二四二頁 JULA出版局)

 

 積もったばかりの雪は、ふわふわしていて真っ白ですが、晴れた日が続くと、雪が沈んで締まってきます。そして、気温が下がってまた雪が降り、気温が上がって雪が締まり、それを繰り返しながら、雪にも地層のような層が幾重にもできていきます。

春先の雪の断面にはそれがきれいに見えます。雪国に住む私か厄介物をやっつけるように扱うその雪を、みすゞさんは三つの層に分けて、「さむかろな」、「重かろな」、「さみしかろな」とうたいます。このようなまなざしは、きっと阿弥陀さまのはたらきをいただいて手に入れられたものなのでしょう。

 

 「ああでなければいけない、こうでなければいけない」などという枠組だらけのこの娑婆で、各々の違いを認め、そのままのあり方を尊ぶまなざしを、阿弥陀さまからいただきます。さらに、命を尊ぶ一方で、他の命を犠牲にして成り立つ我が命の哀しさに思いを馳せるまなざしや、各々の立場のなかにある切なさに気づいていくまなざしもいただきます。どれもこれもみな、みすゞさんが「詩」という形をとって私たちに伝えてくれる、阿弥陀さまの慈しみのまなざしの世界です。

 

(井上慶真)

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下関組法座案内 2013年4月

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2013年4月 念仏もうすところに立ち上がっていく力があたえられる 法語カレンダー解説

hougo2013-4いつも一緒に

「『なんまんだぶ、なんまんだぶ』とお念仏申すところに、亡くなっただんなさんはいつも一緒にいてくださいますよ」。この一言で救われた方がいらっしゃいます。本願寺の聞法(もんぽう)会館で行われる「門徒推進員中央教修」で、何年か前に出会った六十代の女性です。

 

門徒推進員の養成を目的として行われる中央教修は、現在、一年間に八回ほど開催されており、三泊四日の日程で、毎回の定員が五十名ほどです。朝早くから夜遅くまで、かなりきつい時間割ですが、それだけに終了後の懇親会の場で受講者の皆さんが見せてくれる笑顔は格別です。先はどの女性は、教修の最初に行われる班ごとの話し合いのなかで自己紹介をしながら、白身のお念仏との出遇いを、次のように教えてくださいました。

 

「私は、数年前に夫を亡くしました。辛くて切なくて、どうしようもなくて、ずっと泣いていました。夫のいない生活など考えられませんでした。そんな折り、住職さんがこう言ってくださったんです。『なんまんだぶ、なんまんだぶ』とお念仏申すところに、亡くなっただんなさんはいつも一緒にいてくださいますよ、と。住職さんのその一言が、なぜか胸にすーっとしみこんでいったんです。そして、ものすごく気持ちが楽になったんです」と、その女性は笑顔で語ってくださいました。

 

そして、そのようなことをいう浄土真宗とはどんな教えなんだろうという疑問が湧いてきて、住職さんに相談したところ、「連研」という研修会の受講を勧められたとのことでした。地元の組の連研を二年間受講して修了し、その後、中央教修にご縁をいただきました。

 

中央教修の四日間、この方は終始笑顔で受講していらっしゃいました。浄土真宗のみ教えに出遇えたことを、心の底からよろこんでおられるといった様子でした。夫との別れは、どうしようもなく辛くて哀しいことでしたが、そのことがご縁となって、阿弥陀さまの温かいお慈悲に出遇えてよかったと、背中が語っているように思えました。教修が終わり、しばらくしてお便りをいただき、そこにはみ教えに出遇えたことのよろこびと、今後もみ教えを依りどころとして生きていきたい旨がしたためてありました。なんまんだぶが大きな力になるということを、その姿でしっかりと示してくださった方でした。

 

 

安心しなさい

また、昨年、あるお葬式でこんなことがありました。連絡をいただいて、私はすぐに臨終のお勤めに向かいました。亡くなった方は八十代後半の女性で、自宅で一人暮らしをされており、近所に嫁いだ娘さんが常に顔を出して、身の回りのお世話をしておられました。私は、その女性の自宅に着いて、すぐに仏間に通されました。八畳ほどの部屋にお仏壇があり、そこにご遺体が横たわっていました。お灯明をともしお線香を焚いて、お勤めの準備をしていましたら、お仏壇の脇の柱に和紙が貼ってあり、そこに文章が書かれているのが目に入りました。

 

「安心しなさい、ひきうけた。いつでもどこでも見ているよ。知っているよ、まもっているよ」。私はパッと見て、瞬間的に「ああ、すてきな言葉だなあ」と思いました。そして、「なんまんだぶの意味そのものじゃないか」と感じました。その和紙の色あせ方や傷み具合からして、かなり前のものだろうとは思いましたが、十九年前のものだとお聞きしました。その言葉は、十九年前にその女性の夫が亡くなった時に、近所に住む、やはりこれも門徒推進員の男性が、「きっと寂しい思いをされていることだろう」ということで、持ってきてくださったものだそうです。その推進員さんが自分で作られた言葉なのか、どこかからの引用なのかはわかりませんが、励ましの言葉として届けてくださったものだということです。

 

その女性は、毎日、仏間で寝起きをされていたそうです。いただいたたった一枚の和紙も、せっかく持ってきてもらったものだから一応もらっておくといった程度のものなら、すぐにどこかに紛れてなくなってしまうと思います。しかし、お仏壇の隣の柱にきちんと貼ってあるということは、その言葉を自身の依りどころとして、毎日噛みしめておられたのではないかと思われます。

 

「安心しなさい」とはご心配するな」ということですが、ご心配するな」と言われても、心配せずにおれないのが私たちです。心配でどうしようもなく、じたばたするのが私たちの常です。しかし、同じじたばたするにしても、阿弥陀さまのはたらきをいただき、安心してじたばたできる人生が、そこに開かれてくるのではないでしょうか。

 

「いつでも、どこでもみているよ」とは、私たちが、いつ、どこにいても、阿弥陀さまと一緒であるということであり、こちらが寝ていても忘れていても、必ず阿弥陀さまは、この私にかかりきりになっていてくださるということでしょう。「知っているよ、まもっているよ」とは、私たちの本性や私たちが抱えているたくさんの荷物を阿弥陀さまはすべてお見通しで、救われる可能性が一切ないこの私だからこそ放っておけないで、また、「あなたの悲しみは私の悲しみですよ。あなたのよろこびは私のよろこびですよ」と、常に喚びかけてくださるということだと昧わっています。

 

 

障りを乗り越えていく道

『歎異抄』という書物のなかに、私たちの宗祖親鸞聖人のお言葉として、「念仏者は無礙(むげ)の一道(いちどう)なり」(『註釈版聖典』八三六頁)とあります。「念仏者は、何ものにも妨げられない、ただ一筋の道を歩むものです」という意味になります。「無礙」という言葉が出てきますが、その「礙」という字は、「障り」とか「妨げるもの」という意味ですので、「無礙の一道」とは、「何ものにも妨げられない一筋の道」ということになります。障りのないのが「無礙」ですから、障りのあるのは「有礙(うげ)」でしょう。親鸞聖人のおっしやる「無礙」とは、「有礙」か「無礙」かという二者択一の「無礙」ではなく、「有礙」が「有礙」のまんま「無礙」となっていく世界を表してくださっているのです。「障り」のあるまんまが「障り」のない状態になっていく。つまり、「ある」か「ない」今ではなく、「障り」を乗り越えていく道を教えていてくだざるのだと思います。

 

 

死と向き合う

もう十年以上前のことですが、五十九歳でガンで亡くなっていかれた門徒推進員の男性が思い起こされます。この方は、連れ合いさんとともに、夫婦二人で飯山組(いいやまそ)の「連研」に参加して二年間研修を受け、その後、本願寺の中央教修にご縁をいただかれ、門徒推進員となられました。京都から帰ってこられたお二人は、すぐに寺に報告にみえて、「とにかく行ってきてよかった、本当によかった。ありかたいご縁だったし、多くの仲間かできてとてもうれしかった」と、笑顔でそのよろこびを伝えてくださいました。そして、お二人とも五十代半ばで門徒推進員となられ、今後の教化活動の核になってくださるものと、住職として大いに期待していました。ところが数年経ってから、この方がガンで亡くなってしまいました。

 

夫の葬儀の後、連れ合いさんは何回も寺を訪れて、さますまなことを涙とともに話してくださいました。夫のことを話し始めると、すぐに涙があふれてきます。涙をぬぐいながら、入院中のこと、夫婦の会話、告知の場面、そして、死に臨む時のことなとを話してくださいました。最初の入院は地元の総合病院でした。この時点ですでにガンであることがわかっていましたが、本人には知らされませんでした。隠しておくことの辛さ、嘘をつくことの哀しさ、そして嘘の上に嘘を重ねることの切なさを、切々と訴えてくださいました。しばらく地元の病院での入院生活か続きましたが、そのうちに病院を替わることになりました。

 

一時間ほど離れた町の病院に転院し、治療を受けることになりました。転院してから、本人は疑いを持ちます。「おれ、ガンじゃねえのか」と本人が尋ねます。「父ちゃん、何言ってんの。ガンであるわけないでしょう」と連れ合いさんが答えます。このようなやりとりも何回かあり、とても辛かったそうです。転院からしばらくして、この方が人院しているということがやっと私の耳に入り、それまでまったく知らなかった私は、慌てて坊守とともに病院に急ぎました。個室の病室には、ご夫婦でいらっしゃいました。私たちの顔を見ると、お二人ともたいへんよろこんでくださり、「よく来てくれた、よく来てくれた」と、笑顔で迎えてくださいました。すでに車いすの生活になっており、「こんなに細くなっちゃった」と言って、私に足を見せてくださいました。この時点ですでに告知がなされていました。

 

告知の場面に話が及ぶと連れ合いさんの目から、ひときわ大粒の涙がこぼれます。担当の医師の部屋に夫婦二人で呼ばれ、静かな口調ではっきりと告知がなされました。部屋を出て病室仁戻る時、病院の長い廊下を二人は無言のまま歩いて行きます。その時、連れ合いさんの頭にあったのは、「病室に入って二人きりになったら、夫はどれだけ取り乱すだろうか。その時、私はどうすればいいだろうか」ということでした。病室に戻ってから、二人はなかなか言葉が出ず、無言の時間が流れていきます。連れ合いさんが、思い切って言葉を出します。「父ちゃん、しょうがないやねえ」と。夫は特に取り乱した様子もなく、「おれ、やっぱりガンだったんか。しょうがねえやなあ」と答えたそうです。そして、二人で決めました。残された目々を精一杯生き抜いていこうと。

 

遂に臨終の場面となります。夫は医師や看護師の手を握り、絞り出すような声で「ありがとう」と言い、そして最後の力を振り絞って連れ合いさんを抱きしめて、「ありがとう」と言われて、息を引きとっていかれたそうです。

 

連れ合いさんによると、連研、中央教修を通じてみ教えと出遇えたことが、夫の大きな依りどころとなっていたそうです。葬儀から半年ほど経った頃、「やっと泣かないで、父ちゃんの話ができるようになりました」という言葉を、聞くことができました。

 

私たちの阿弥陀さまは、「いま、ここ、この私に」はたらきかけていてくださいます。「なんまんだぶ」となり、私に届いてくださっています。お念仏申す人生とは、阿弥陀さまと一緒に歩む一筋の道であるといただいています。

(井上慶真)

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下関組寺院法座案内 2013年3月

shimonosekisohouza201303

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春季彼岸会法要と仏教壮年会三月例会のご案内

三月のご案内

 

春季彼岸会法要

 

三月十五日()十六日()

          朝 席 午前十時より

          おとき 正午

          昼 席 午後一時半より

   講 師 市内永田郷 浄満寺

新  晃眞 師

 

仏教壮年会三月例会

 

三月十六日()

午後一時半より

講 師 市内永田郷 浄満寺

新  晃眞 師

 

 

二○一二年九月一日

 

            下関市細江町一

 

光 明 寺

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2013年3月 参れると思うて 参れぬお浄土へ 本願力にて往生す 法語カレンダー解説

hougo2013-3本願力にて往生す

三月の法語は、稲垣最三(さいぞう)師(法名・瑞剱(ずいけん))のお言葉です。瑞剱師は、姫路市のご出身で、篤信のご両親のもとで幼少から学問に励まれました。漢籍や英文学、仏教、哲学などに親しまれながら、浄土真宗のみ教えに、そして教義の奥義に研讚を積まれて、仏法伝道に一生を捧げられました。そして、多くの著述、多くの信心発露する詩歌を著わされ、多くの門信徒に他力の教えを伝えられました。

 

瑞剱師は、毎月の法座などで、「本願力にて往生す」と、つねづね口癖のように語られて、本願力のおはたらきについて説き続けられました。たとえば、師の著述のなかに、次のように述べられています。

 

 弥陀如来は法蔵菩薩であらせられた時、世自在王仏(せじざいおうぶつ)のみもとで修行せられて、凡夫を助けてやりたいのであるが、凡夫は智慧も慈悲もなく、修行もようしないで、悪業ばかり造っておって、生死、生死と、はてしなく苦海に沈んでおるのをあわれみたもうて、自ら願と行とを完成して、阿弥陀仏とならせたもうた。その正覚の功徳力にて一切衆生を助けなおかぬという本願を建てたもうかのである。

 

故にわれ等は阿弥陀如来の慈悲を信じ、智慧を信じ、功徳力を念ずることによりて往生成仏することが出来るのである。功徳力を信ずることが、つまり本願を信じたことである。阿弥陀如来の無量力功徳はわれらの救済であり、われらの生命であり、われらの往生する種である。如来の功徳を念ずるところ、功徳は直にわれらのものとなる。まことに不可思議の利益である。衆生に仏の功徳を念ぜしめて助けなおかんというのが阿弥陀如来の本願である。故に本願はありかたい。本願は如来の大慈悲力であり、大智慧力である。これを願力という。

(『本願力 法雷叢書Ⅰ』二頁)

このように、瑞剱師は、阿弥陀さまは、あらゆる生きとし生けるものを助けなければおかぬという本願をたてられ、完成してくださった。その阿弥陀さまの智慧と慈悲の円満した功徳の力を私たちが信ずるところ、すなわち本願力を信ずるところに、無量の功徳が私たちのいのちとなり、往生する種となり、浄土往生の救いが実現する。

このように、阿弥陀さまの大智慧のはたらき、大慈悲のはたらきが本願力となって、この「私」にはたらいてくださっている、それゆえこの本願がありかたい、と示されています。

父母に育てられ

 ご両親の熱心な聴聞の生活のなかで育てられたこと、そして、ひたすらに仏道を求めるようにと導かれたことを深く感謝されていた瑞剱師ですが、「浄土往生」「浄土へ参る身となる」ということについて、次のような経験談を、自叙伝ともいうべき『仏母庵(ぶつもあん)物語』に述べておられます。

 最三(瑞剱)三十七歳の時父は往生の素懐(そかい)を遂げたり。物心付きし頃より食事時には必ず仏法の話を父より聞き、また、予より質疑を提出したり。然るに三十七歳まで、予は自から安心(あんじん)をねり堅めて、<これで如何〉(この私の領解でいかがでしょう、間違いないでしょうという意味)などの意を述ぶ。父はその度毎に予の安心を打ち破ること、恰(あたか)もさいの川原で子どもが石を積んだのを鬼が鉄棒にて打ち砕くが如し。数百回数千回数を知らざるほどなりき。

父曰く、「それでよいそれでよい、それで極楽へ参れる。じゃが、参れる様になって参れるお浄土か、参れぬこの私を如来様が喚んで下さるのと違うか云云」と云い、とうとう父の生前中、一度も父の印可(いんか)を受けし事なし。父が最三(瑞剱)に対する教導、まことに禅家の師家の風ありか。此の父を持ち、恩師桂利剱(りけん)先生を持った予の幸(しあわせ)は幾百万の富にもまさるものあり。

(『法雷』特集号(4)所収、一二九~一三○頁、一九八五年)

参れると思うて参れぬお浄土

 このように述べて、父上の教導のご恩を感謝されるとともに、「お浄土へ参る」「お浄土に救われる」ということを、ここに明確に示されています。

 阿弥陀さまの大慈悲のおはたらきにいだかれて、本願力に乗せていただいて、お念仏させていただく。これは「信心獲得(ぎゃくとく)」の姿であります。阿弥陀さまのお救いにあずかって安堵している「安心」の姿であるということになりましょう。

 しかし、「これで、(お浄土に)参れるのだ」という心になっていたら、「自分の思いだけのことであり、自分のはからいに過ぎぬ」と、父上に厳しく誠められたそのことを、瑞剱師は感謝の心をもって述懐されているのです。

 すなわち、「参れるようになった」とか「参れると思うている」とかには、私の思いがはたらき、「私」の勝手な判断がはたらいている。すなわち「自力」のはからいのなかにあるのであって、それでは「他力信心」、すなわち阿弥陀さまの本願力のまま、大慈悲のおはたらきのままにはなっていない、ということになります。

 父上に「参れるようになって参れるお浄土か」と問い質され、「参れぬこの私を如来さまが喚んでくだざるのと違うか」と言われるところに、他力の他力たるところが示されているといただくところです。

他力信心のかなめ

  そこで、瑞剱師は、その他力信心のかなめを、

 

参れると思うて参れぬ お浄土へ
本願力にて往生す

参れると思うて参れぬ お浄土へ
参れぬものが 参る不可思議

参れると思うて参れぬ お浄土へ
仏智不思議に 引かれ引かれて

どうしても参られぬ 本願あるから参られる

などと、詠われるのです。

 煩悩具足の凡夫として、あるいはこの迷いの世界にある人間として、自分中心の思いや自らのはからいから離れるということは、不可能なことと言えるでしょう。釈尊ご自身がそのようにご教示くださっており、また阿弥陀さまの大慈悲心も、そのような凡愚のものであるとお示しくださって、大悲のはたらきをこの「私」にはたらかせてくださっています。「私」の方では、わが身を慚愧(ざんぎ)する以外になく、大慈悲のおはたらきをそのままに受けさせていただき、たよりとさせていただくばかりなのです。

 

(佐々木恵精)

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下関組寺院法座案内 2013年2月

houzaannai2013-2

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仏教壮年会 二月例会のご案内

 

二月のご案内

 

 

 

仏教壮年会 二月例会

 

二月 九日()  午後二時より

 

講座 十五回「みんなで学ぶ ご絵伝」

 

 

        宇部市東須恵中野 蓮光寺住職

  講  師  伊 東 順 浩 師

 

 

 

二○一三年 二月 一日

 

          下関市細江町一丁目七番十号

 

光 明 寺

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2013年2月 人間とはその智恵ゆえにまことに深い闇を生きている 法語カレンダー解説

hougo2013-2十二歳の息子の死

 

二月の法語は、高史明(コサミョン)さんの言葉をいただきました。

人間とは、その知恵ゆえにまことに深い闇を生きている

(『悲の海は深く』七七頁)

 

私ども人間の知恵がいかに深い闇のなかのものであるかを語られるものですが、ここには、高さんの深い人生観が窺われます。

高さんの独り子の息子さんは、十二歳の春を迎えた時、自らこの世を去られます。

高さんは、この最愛の子の突然の自死に出遭って、目の前が真っ暗になられました。

息子さんが鋭い視線で多くの詩を書き残していたことを知って、それまで息子のことを何も知らずにいたことにがっくりされました。中学生となった息子さんに、「これからは、何事も自分で責任をもって歩んでゆくことだ」と、激励のつもりで語りかけた、その直後の自死でした。

 

ご白身が、何も本当のことをわかっていない「無明」のなかにある、わが子も「無明」のなかにある、ともに深い暗黒の淵に落ち込んでいるという思いでおられました。そのような時に、『歎異抄』と真剣に対面するようになり、『歎異抄』の声が聞こえてきたと言われます。

 

初めのうちは、『歎異抄』を読んでも、頭のなかに何ら入ってくることはありませんでしたと言われます。小学校を出て以来初めて墨をすり、「南無阿弥陀仏」という文字を、毎日毎日書いていたが、それにどういう意味があるのか説明できないけれども、そうせずにおれなかったと、当時のことを語られます。

 

そして、連れ合いの岡百合子(ゆりこ)さんが「仏さまの顔を見に行きたい」と言うので、一緒に奈良を訪ね、田んぼのなかの道を歩いていた時のことだそうです。周囲が黄金色に輝く光景に出遇ったその時に、夕日の輝きのなかで、「生きているんだ」と気づかされたと言われます。『歎異抄』第五条の「まづ有縁(うえん)を度(ど)すべきなり」(『註釈版聖典』八三五頁)という言葉がどういう教えであるか、言葉としても整理して考えられるようになったとのことです。

 

浅はかな人間の知恵

息子さんの自死によって『歎異抄』に向き合うようになった高さんは、人生の絶望、暗黒の淵を体験されて、人間の知恵がいかにたよりないか、浅はかなものであるかを思い知らされたということでしょう。

『歎異抄』の結びの部分(後序)に、

 

煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)、火宅無常(かたくむじょう)の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします

(『注釈版聖典』八五三~八五四頁)

 

とあります。すなわち、「私どもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、この世は燃えさかる家のようにたちまち移り変わる世界であって、すべては虚しく偽りで、真実と言えるものは何一つない。そのなかにあって、ただ念仏だけが真実なのである」とあるとおりである、と実感されたのです。

 

私ども人間の世界は、いまや科学技術の急速な発達のおかげで、たいへん便利な生活ができるようになっています。そして、私たち人間は有能で、世界を支配しつつあるというような驕(おご)りの思いすら、持ち始めていると言えるでしょう。しかし、それは人間中心の思考の上に乗っての営みであり、さらには自己中心の思考に支配されている驕慢(きょうまん)の姿と言わざるを得ません。

 

人間中心の科学的な知識にしても、人間の欲望を満足させようとする思考にしても、根本的に「無明」(真実が見えていない無知)の世界のことであるという深い洞察が、高さんの言葉に窺われます。

 

『正像末和讃』には

 

末法五濁(まっぽうごじょく)の有情(うじょう)の

行証(ぎょうしょう)かなはぬときなれば

釈迦(しゃか)の遺法(ゆいほう)ことごとく

竜宮(りゅうぐ)にいりたまひにき

(『註釈版聖典』六〇一頁)

 

と詠われています。すなわち、親鸞聖人は「末法の五濁の闇にある私ども人間には、修行も覚りもかなわない時(時代)であるから、釈尊が遺された教法もみなこの世から隠れて、竜王の宮に入ってしまわれた」と言われるのです。この和讃を拝読されて高さんは、人間の自己中心の知恵は、その根っこに「五濁」の深い闇が横たわっているが、そこでは修行も覚り(証)もかなわぬといわれている、と受け止められたのです。

 

ただ念仏のみぞまこと

 

『仏説阿弥陀経』には、

 

釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)、よく甚難希有(じんなんけう)の事(じ)をなして、よく娑婆国土(しゃばこくど)の五濁悪世(ごじょくあくせ)、劫濁(こうじょく)・見濁(けんじょく)・煩悩濁(ぼんのうじょく)・衆生濁(しゅじょうじょく)・命濁(みょうじょく)のなかにおいて、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得て、もろもろの衆生のために、この一切世間難信(いっさいせけんなんしん)の法を説きたまふ

(『註釈版聖典』一二八頁)

 

と、すなわち「釈迦牟尼仏は、世にもまれな、きわめてなしがたい尊いことを成し遂げられた。この娑婆世界は濁りきり、悪に満ちていて、時代は汚れ、思想は乱れ、欲望をはじめ、さまざまの煩悩は激しく、人びとは堕落し、生命を損ない、大切にしていない。そのなかにありながら、この上ない覚りを得て、人びとのために、この世のすべてのものたちには信じがたい尊い教えをお説きになった」と説かれています。このように、『仏説阿弥陀経』に、諸仏がたが釈尊の不可思議の功徳をほめ讃えておられることが説かれていることを、高さんは深く受け止められます。

 

そして、法然聖人、親鸞聖人が、人類史の地殻に潜む暗黒を露わにされていることを、さらには、その地獄のただ中を生き抜いて真実のみ教えを捉え返され、「ただ念仏のみぞまことにておはします」(『歎異抄』後序 『註釈版聖典』八五四頁)の道を、さらに深くお示しくださったと言われています。

 

まさに、高さんがいただかれたように、私たちは、人間中心の営み、自分中心の知恵の「深い闇」のなかにあって、如来の大悲のおはたらきに出遇わせていただいているのであると言えるでしょう。

(佐々木恵精)

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