2001(平成13)年11月23日 サンデー下関掲載

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ご存知ですか

崩壊寸前の顕彰碑

ここ数年、下関の街には記念碑や文学碑が次々に建てられて道行く人びとを和ませている。新しいところでは、今夏、赤間神宮前の公園で除幕した「朝鮮通信使上陸た淹留之地」碑があり、来春には『くじらさんありがとう』と刻んだ「感謝碑」も建立の予定だという。かつて私自身も、山陽本線の車窓からよく見える旧彦島上水の丘に「平家最期の砦」、下関中央病院の一郭に「大洋球団発祥地」などの碑を建てたいと幾つかの紙面に書き、細江町の石ぶみ郡は私の散策場所の一つでもある。

 

ところがその一方で「手厚い保護を」と訴える石ぶみもあちこちに点在していることを忘れてはならぬ。

 

たとえば大歳神社の「七卿烈士潜寓画碑」は、幕末の急進派公卿七人の「都落ち」で知られる画碑だが風化が激しく、このままでは何年ももたないだろう。

 

そして今、最も危険なのが下関最大の甍を持つ光明寺境内の「広井良図顕彰碑」だ。これもまたかなり風化していて碑文は読みづらいが、それよりも崩壊寸前で、いつ事故が起きてもおかしくない状態。写真に見るとおり、上部は既に欠け落ちて、その下の中ほどには三ヶ所、鉄線による補修が施されたものの完全ではなく、何かの拍子に崩れるのではないかと、寺院や境内の保育園関係者は日夜、心を痛めている。建てられっぱなしの石碑を勝手に処分するわけにいかないからだ。

 

これに関して何とかならないものかと、いろいろ当たってみたが、今のところラチがあかない。

 

小月小学校、下関商業、豊浦中学校、山口中学、徳山中学(現高校)や私塾・硯湾学舎などで学んだ人びとによって明治38年(1905)に建てられたこの顕彰碑にも、新しい石ぶみ設置と同じ温かさで手をさしのべて欲しいとの願い切である。どなたか光明寺の石ぶみを救ってください、と。

 

文・都美多ギコ 写真・富田義弘

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1998(平成10)年10月2日 サンデー下関掲載

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ご存知ですか

光明寺の甍

日和山公園ふもとの「光明寺」とその境内に建つ「広井良図顕彰碑」は、既に清水唯夫さんが平成8年1月26日と2月23日の紙面で紹介済みだが、この寺院の美しい反りを持つ大甍が修復されたので重複を恐れずに書いてみよう。

 

周旋直前の二度にわたる焼夷弾爆撃で廃墟と化した下関の中心部に、遠くからでもそれと判った建造物といえば、山陽ホテルと下関警察署、山陽百貨店と光明寺の聳えたつ大屋根くらいのものであった。幸いにも要塞司令部による厳戒態勢の白昼、官憲の目を恐れつつ決死の覚悟で焼土を撮りまくった上垣内茂夫さんの貴重な戦災写真の何枚かに、光明寺の大屋根がはっきりと写し出されている。

 

その頃から復興の槌音が更に大きく響きはじめたころ、光明寺の境内に立つと海峡は米軍投下の機雷で沈められた船舶の数々が舳先(へさき)を波間に突き出して天を仰ぎ、さながら「船の墓場」であった。それでも、海峡の女王と呼ばれた白亜の関門連絡船や外輪を回しながら波を漕ぐ貨車航送船などが映画に見るような水柱を唐突に噴きあげた。ユニークな水上警察署ビルの手前には貨物専用引込み線の「跳ね橋」が手持ち無沙汰そうにいつも空を見あげていた。そして、門前の石段を見おろすと、焼夷弾にいぶされた煙痕が赤黒く、あるいは茶褐色ににぶっていた。

 

いま、境内に立っても海は殆ど見えず、屹立するビルの上には海峡ゆめタワーがヌッと顔を出していて、灼熱の苦しみに耐えた石段は除去されて触れることは出来ない。しかし、見事に修復された甍は正面から見あげても壮観だが、入江側から眺めると更に美しい。

 

11月1日から慶讃法要が営まれるという。

 

文・都美多ギコ 写真・吉岡一生

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1996(平成8)年2月23日 サンデー下関掲載

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ご存知ですか

広井良図顕彰碑

光明寺(細江町)境内、石段を登ったすぐ左手に一基の碑があります。風化で碑文が読みずらくなっていますが、明治初期の下関教育界に大きい足跡を残した広井良図の顕彰碑です。

良図は、文政十年(1827)に清末藩士広井良弼の子として上小月に生まれ、名は初め少吉、字が子重、硯湾・赤水・進修斎などと写しました。

清末藩の儒者で私塾「柳渓精舎」の主宰者広井良徳の孫に当たり、父の早逝で祖父に薫陶を受けて育ちますが、幼児より明敏で、十歳のとき萩に出て藩校明倫館に学び、十四歳で早くも明倫館舎長となります。

修学を終え、小月村の柳渓精舎で子弟教育に当たりますが、二十歳のときから十数年、美濃・安芸などを巡って遊学。元治元年(1864)藩命により江戸に出て国事周旋に務めますが、政変の渦中に巻き込まれて幕府方に拘囚され、二年後ようやくに放免されて帰藩します。以後、清末藩校育英館の舎頭を務め、維新後は藩の権大参事として藩政にも参画。明治五年(1872)新しい学制施工で小月小学校開校に際し初代校長に迎えられました。

校長在任一年。その後、光明寺の地に私塾「硯湾学舎」を開設。さらに明治十年(1877)から二年間は赤間関市庁に出仕し教育行政に尽しました。

そして明治十七年(1880)から十七年間は私塾のかたわら赤間関商業学校(現下商)や豊浦・山口・徳山の各県立中学校(現高校)で教鞭をとり、晩年は田中町に漢学の塾を開いて余生を送り、明治三十六年(1903)八月、七十七歳で没しますが、「業を翠うもの前後三千」と言われています。

光明寺境内の碑は、明治三十八年(1905)十月、教え子や関係者によって建立されたものです。

文・写真 清永 唯夫

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1996(平成8)年1月26日 サンデー下関掲載

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ご存知ですか

維新史跡・光明寺

維新史跡の一つに「光明寺」があります。

常陸国(茨城県)の人釈正善の開基により、大永年中(1521~1527)豊浦郡西市村(豊田町)に一宇を建立。のち内井村・幡生村(下関市)と転じ、享保17年(1732)に細江町高台の現在地に移されたと伝えられる浄土真宗のこの寺、昭和20年7月の大空襲では、周囲は火の海と化し、炎は石垣まで迫りましたが、本堂は焼失をまぬがれ、維新時の姿を今に伝えています。

文久3年(1863)の下関攘夷戦の際には、久坂玄瑞率いる浪士隊約50人がこの寺に駐屯しており、5月11日未明、アメリカ商船ペンブローク号に対して庚申・癸亥両艦で海峡に乗り出し、また亀山八幡宮境内に築かれていた砲台から攘夷の第一弾を射ち出したのが彼たちでした。今日この浪士隊を「光明寺党」とも呼んでいます。

『白石正一郎日記』の中に

6日(文久3年4月)、中山公子今日又狐狩ニ御出長府より御猟方来ル、得もの狐壱疋光明寺へ御持行被召上候

 

という記述が見られます。

中山公子とは、悲劇の死をとげた急進派公卿中山忠光のことで、狐を食べたとは少々荒っぽい話ですが、一党を激励する意味での訪問であったのでしょう。

また、癸亥丸(英国より購入した長州藩軍艦)を飾っていた「艦首像」を切り取って来て、光明寺本堂の階段下に据え置き、出入りのたびごとにその像を蹴とばし、攘夷の思いを高揚させていたとも伝えられています。若者らしい稚気ではありますが、これもある意味で強い結束のための踏絵であったと言えましょう。

若き志士たちの足跡が刻まれたこの古刹、下関における重要な史跡としてもっと顕彰されてよいのではないでしょうか。

文・写真:清永 唯夫

 

 

 

 

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2013年9月 み仏をよぶわが声は み仏のわれをよびます み声なりけりれ 法語カレンダー解説

hougo201309阿弥陀仏の本願とは

 

この歌は、甲斐和里子さんの『草かご』の詩集から引かれた言葉です。

親鸞聖人の『教行信証』教文類には、

 

 

それ真実の教を顕さば、すなはち『大無量寿経』これなり

(『註釈版聖典一三五頁)

 

と述べられています。

 

この『仏説無量寿経』(『大無量寿経』)には何が説かれてあるかと言いますと、あらゆる人を念仏ひとつで救おうという、阿弥陀仏の本願が説かれています。その阿弥陀仏の本願とは何かと言うと、阿弥陀仏という仏は、もと法蔵という菩薩が四十八の願いをおこし、長い修行を経て、理想の浄土を建立して仏となられました。その浄土を極楽と名づけ、その仏を阿弥陀仏と名づけられたのです。

 

その四十八願の十八番目の願を、特に「本願」と呼んでいます。この本願は、あらゆる衆生に対して、「われを信じ、わが名を称える者を、わが国に必ず往生させる」という誓願であります。

 

この阿弥陀仏の誓願が成就したことを、釈尊が説かれだのが成就文(じょうじゅもん)です。第十八願の成就文には、

 

あらゆる衆生(しゅじょう)、その名号を聞きて信心歓喜(しんじんかんぎ)せんこと、乃至一念(ないしいちねん)せん。

(『註釈版聖典』四一頁)

 

とあるように、何を信ずるのかというと、名号のいわれを信じることで必ず救われていくのです。したがって、あらゆる人びとを念仏ひとつで救うと誓われた阿弥陀仏の本願を説かれた経典が、『仏説無量寿経』ということになります。

 

『仏説無量寿経』の終わりには、

 

それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと。

(『註釈版聖典』八一頁)

 

と、「名号を聞いて歓喜踊躍する者は、無上の功徳を具足する」と説かれてあります。

 

名号のいわれを聞くものは、無上の功徳を得ることができるというのです。この無上の功徳とは、浄土に生まれて仏と同じ覚りを開くということです。親鸞聖人は、この経典によって、凡夫が阿弥陀仏の本願力によって信心をめぐまれ、正定聚不退の位に定まり、浄土に往生して仏の覚りを開くことを、明らかにされました。

 

 

仏願の生起本末を聞く

名号のいわれをどのようにして聞くかというと、親鸞聖人は『教行信証』信文類に、

 

しかるに『経(きょう)』(大経・下)に「聞(もん)」といふは、衆生、仏願の生起本末(しょうきほんまつ)を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。

(『註釈版聖典』二五一頁)

 

と示されます。仏願の生起本末を聞いて疑う心のないことを「聞」と言われるのです。

 

「仏願の生起」とは、阿弥陀さまの本願を起こされた理由ということです。本願の起こりは誰のためのものかというと、それは煩悩に振り回され真実の心を持たない私のために説かれたものです。「仏願の本末」とは、その起こりと結果ということで、阿弥陀さまは五劫もの長い間修行されて、本願を立てられた苦労(本)の結果、覚りを開いて阿弥陀仏(末)となられました。阿弥陀さまは、あらゆる人びとを救うために名号を誓われました。そして、阿弥陀仏の本願を信じて、念仏を称えることによって救われていく教えを明らかにされたのです。

 

このように、名号のいわれを聞くということは、聞き流したり、自分の思いで聞くことではありません。聞くということは、阿弥陀さまのまことを聞くことです。聞こえたということは、まことが受け取れたということです。まことが受け取れたならば、それは仏のおおせにすべてをまかせたということになります。阿弥陀さまと私との接点が結ばれるためには、仏の喚び声を聞くしか方法はありません。

 

そのことを『歎異抄』後序には、

 

聖人(親鸞)のつねの仰せには、「弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人(しんらんいちにん)がためなりけり。さればそれはどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」と御述懐候(ごじゅつかいそうら)ひし

(『註釈版聖典』八五三頁)

 

と言われています。

 

 

南無阿弥陀仏の喚び声

 

聞くとは、阿弥陀さまの私たちを救わずにはおれないという喚び声を聞くことであります。

親鸞聖人は『教行信証』行文類に、善導大師の「六字釈」を引いて、

 

「南無」の言は帰命(きみょう)なり。(中略)ここをもって「帰命」は本願招喚(ほんがんしょうかん)の勅命(ちょくめい)なり。

「発願回向(はつがんえこう)」といふは、如来すでに発願して衆生の行を回施(えせ)したまふの心なり。

「即是其行(そくぜごぎょう)」といふは、すなはち選択本願これなり。

(『註釈版聖典』一七○頁)

 

と延べられておられます。

 

「南無」とは帰依することで、「よりかかる」という意味です。「帰命」とは「本願招喚の勅命」とあるように、招喚とは、念仏を称えて浄土に生まれてほしいと、阿弥陀仏が「我を信ぜよ」と招き喚んでくださっているということです。すなわち、「この弥陀にまかせよ」と喚んでくださる阿弥陀さまからの喚び声です。「発願回向」とは、阿弥陀さまがわれらが往生するための名号を与えてくださる、大悲のこころを言います。「即是其行」とは、阿弥陀さまが与えてくださった功徳、すなわち、名号が行者の上に称名となって現れている姿を言います。

 

このように、阿弥陀さまの上にできあがった万行の徳(名号)が、帰命の信心のところに領受されて、私たちの往生が決まるのです。南無阿弥陀仏とは、「念仏ひとつで必ず救う、我にまかせよ」という阿弥陀仏の喚び声です。すなわち、「よりたのめ、よりかかれよ」と、私を呼んでくださっている喚び声です。私の心に届いた名号が信心ですから、口には称名となって出てきます。このように、私たちの救いは、名号の独りばたらきということになります。

 

『歎異抄』第一条には、

 

弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。

(『註釈版聖典』八三一頁)

 

と、親鸞聖人は「阿弥陀仏の誓願は、不思議なはたらきによって必ず浄土に生まれさせてくださると信じて、念仏を称えようと思い立つ心の起こる時、ただちに阿弥陀さまは摂取して見捨てることなく抱き取ってくださいます」とおっしゃっています。

 

さて、私が本願寺派の宗学院で学んでいる時のことです。『教行信証』の講義は故大江淳誠(じゅんじょう)和上でした。和上がいつも言われていたことがあります。

 

「名号は動いている。名号は動的存在で固然たるものではない。じっとしているものではなく、常に活動しているものである。名号は死にものではない。我らの口には念仏が出てくるはずがないのに、念仏の声がいつの間にか口に出てくるようになったということは、名号が私にはたらいて、私の口を動かして称えさせているのである。

 

たとえば、太陽は常に全世界の生きとし生きるものに向かって照らして、地上のものに芽を出させ、花を咲かせ、実を実らせている。このように、念仏を称えているのは念仏者の声であるけれども、名号が行者の信後の上に相続として生き生きと出てくるよろこびの声となり、称名となって現れて出てくるのである」(『教行信証講義録』趣意)

 

このように、大江和上はおっしゃっておられました。

 

 

信心と称名

 

浄土真宗の信心とは、阿弥陀仏のいわれを聞いて疑いなく信じる心を言います。また、「つつしんで往相の回向を案ずるに、大信あり。大信心は、すなはちこれ」(『教行信証』信文類 『註釈版聖典』二一一頁)といって、十二の名前を挙げ、そのなかに「証大涅槃(しょうだいねはん)の真因(しんいん)」という言葉を出し、覚りを開く因(種)が信心であることを述べています。また、「『信心』といふは、すなはち本願力回向の信心なり」(『同』二五一頁)

 

真実信心うるひとはすなはち定聚のかずにいる

不退のくらゐにいりぬれば

かならず滅度にいだらしか

(『註釈版聖典』五六七頁)

 

とあり、親鸞聖人は「真実信心の人は正定聚の数に入って、不退の位に就いて必ず滅度に到る」と述べられます。信心をよろこぶ人は、煩悩を持つたまま「正定聚」という浄土往生の仲間となり、阿弥陀さまの大きな慈悲に抱かれながら、生き生きといのちを輝かせながら生きていく生活が展開してくるのです。

 

浅原才市さんは、

 

かぜをひけばせきが出る
さいちが御ほうぎの風をひいた
念仏のせきが出る

(鈴木大拙編『妙好人 浅原才市集』一四七頁)

 

と言われました。信心をよろこぶ人として生きていかれた人の言葉です。

 

たとえば、ススキの穂がゆれているのは、風がある証拠です。風は私たちの目には見えないけれども、ススキの穂がゆれていることで、風のあることを知ることができます。ススキの穂をゆらしているのは、風の力がススキに宿ったからであります。

 

私たちは、如来の本願力によって名号をめぐまれ、わが心に届いたところが信心です。その名号には、私たちが成仏するための功徳が込められていますので、この功徳がわが心に満入しますと、信心となります。その信心には、必ず念仏(称名)がついております。

 

煩悩にまみれた私の口から出るはずのないこの尊い念仏が、私の口から出てくるということは、ひとえに阿弥陀仏の大いなる力によるもの以外にありません。南無阿弥陀仏、おかげさまと、よろこばさせでいただく念仏であります。

(石田雅文)

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2013年8月 確かな一足一足が 念仏して 与えられる 法語カレンダー解説

hougocalendar201308苦悩の根本解決

 

この言葉は、宮戸道雄(みやとみちお)著の『仏に遇うということ』に出てきますが、その一部を紹介します。

 

   「鶴と亀」とは、これはわれわれ日本人が描いている幸福の象徴ですね。鶴は千年亀は万年とか申しまして、長生不死でしょう。だから、めでたいときに使います。つまり、一時的に欲望が満たされたという話です。人間は一生涯、「鶴と亀」を求めて歩いてきた、ということですね。そして、その「鶴と亀がすべった」というのですから、私の人生の目標は鶴と亀ではなかったのだ、つまり幸福の追求ではなかったのです。ただ一つ、自分自身に出遇うためであった。生死のカゴの中をノタウチ回るしかなかった私に、夜明けして、そこから出る、生死を出離(しゅつり)する、このこと一つのための私の人生だったのだと、私の歩んでいく方向と目的がハッキリして、確かな一足一足が念仏によって与えられてくるということを、「鶴と亀がすべった」と言ったのではないかと思います。

(二四七頁)

 

人は誰でも幸福を求めて生きています。どうすれば人間は幸福になれるだろうか、どうしたら幸福を手に入れることができるかを考えます。ところが、人生は自分の思いどおりにはいきません。思いどおりにいかないところに、人生の苦悩が起こってきます。人間は、自分の思っている主観の感情と客観の事実が一致すると幸せを感じますが、主観の感情と客観の事実とが一致しない時には苦悩が出てきます。苦悩の原因はどこにあるかというと、それは主観の感情にあると受け止めるのが仏教の見方です。

 

たとえば、大学受験の生徒にとって、自分の希望の大学に合格すれば、自分の思い(主観)がかなったのでよろこびになります。しかし、不合格になると、自分の思いとは反対の事実(客観)が起こりますので、そこで苦しみが出てきます。苦しみの原因は自分以外にあると考えて、むつかしい問題を出した大学が悪いとか、学校の先生の教え方が悪かったとか、自分のことを棚に上げて批判をします。それでは苦悩の根本解決にはなりません。苦しみの原因を尋ねていきますと、客観の事実にあるのではなく、自分の側にあるのです。このように、自分の側に苦悩の原因を探っていくのが問題の解決方法と言えます。

 

苦悩の起こる人生を根本的に克服しようとすれば、自分の殻だけに閉じこもるのではなく、念仏の教えに導かれながら、心の持ち方を転換することが大切なのではないでしょうか。

 

 

迷いを転じる

仏教の目的は、迷いを転じて覚りを開くことであります。親鸞聖人は「覚り」という宝を探しに、比叡山に登られました。比叡山では聖道門(しょうどうもん)の教えが基本です。聖道門の教えとは、自らの力で煩悩を断ちきって覚りの真理に到る道を説くものです。

 

親鸞聖人は、常行三昧堂(じょうぎょうざんまいどう)の堂僧(どうそう)として、常行三昧にはげまれました。常行三昧とは、お堂のなかで、九十日間、休みもなく阿弥陀如来の周りを回りながら、心に仏を思い口には念仏を称えて歩き続ける修行です。これを続けますと、修行者は自分のなかで阿弥陀仏に出遇うことができるというのです。親鸞聖人は、自らをみがいて仏と同じ覚りを開こうと努力をされましたが、阿弥陀仏に出遇うどころか、かえって、いままで気づかなかった心の醜さが見えてくるようになりました。

 

親鸞聖人の曾孫である存覚(ぞんかく)上人は、『嘆徳文(たんどくもん)』に、

 

定水(じょうすい)を凝らすといへども識浪(しきろう)しきりに動き、心月(しんがつ)を観ずといへども妄雲(もううん)なほ覆ふ。(中略)すべからく勢利(せいり)を抛(なげう)ちてただちに出離を悕(ねが)ふべし

(『註釈版聖典』一〇七七頁)

 

と、その心境を述べておられます。精神を集中して覚りに近づこうとすればするほど、かえって煩悩にさえぎられて、仏さまから離れていく自分に気づき、自力聖道門の教えがいかにむつかしいものであるかを知らされました。

 

比叡山の修行に行きづまりを感じられた親鸞聖人は、悩みを解決してくれる新たな道を求めて、山を下りる決心をされました。

 

そして、親鸞聖人は、在家仏教の道を歩まれた聖徳太子に救いを求めて、六角堂に参龍(さんろう)されました。その後に、吉水の草庵で、専修念仏の教えを説いておられた法然聖人のもとに通われ、真剣な聞法を続けられました。

 

 

本願念仏との出遇い

 

法然聖人は、四十三歳の時に、善導大師の『観経疏』の

 

一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥(ぎょうじゅうざが)、時節の久近(くごん)を問はず、念々に捨てざ
るをば、これを正定の業と名づく、かの仏願に順ずるがゆゑに。

(『教行信証』信文類、引文 『註釈版聖典』二二一頁)

 

という一文に出遇われました。こうして、すべての人びとが救われる道に目覚められ、心の眼を開くことができました。そして、凡夫の救われる道は、阿弥陀さまの名である念仏を称えるだけで救われると言われました。

 

法然聖人は、念仏を称える人が救われていく理由を、「仏の仏願がそうなっているから」と言い、「念仏する者は必ず往生させる」と第十八願に誓われているからだ、と言われるのです。こうして、善導大師の教えを受けて、迷いを離れて覚りに到る道として、専修念仏の教えを説いていかれました。

 

専修念仏の教えとは、「阿弥陀仏の本願は、もともと凡夫を救うために誓われたものであるから、本願を信じ、念仏を称えるだけで救われる」というものでした。法然聖人の説かれる念仏とは、自分の方から仏を尋ね求めていくものと考えられていたけれども、実はすでに仏の方から願いがかけられ、救いの手がさしのべられていたという、他力の念仏の教えでありました。

 

親鸞聖人は、法然聖人の教えを新鮮な教えと受け止められたのです。『教行信証』後序には、

 

しかるに愚禿釈(ぐとくしゃく)の鸞(らん)、建仁辛酉(けんにんかのとのとり)の暦(れき)、雑行(ぞうぎょう)を棄てて本願に帰す。

(『註釈版聖典』四七二頁)

 

と示されているように、親鸞聖人は、自力の念仏を放棄して、阿弥陀仏の本願念仏の教えに入っていかれました。二十九歳の時でした。本願念仏との出遇いが、人生の大きな転機(回心)となりました。

 

『歎異抄』後序には、

 

煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)、火宅無常(かたくむじょう)の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします

(『註釈版聖典』八五三~八五四百)

 

とあります。これは、私たちはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、私たちの社会は燃えさかる家のような世界であります。すべてこの世は虚しく偽りで、真実と言えるものは何一つもありません。はかない不安な世の中にあって、阿弥陀さまの願いを受けて称える念仏だけが真実であると、親鸞聖人はおおせになっておられるのです。

 

『高僧和讃』には、

 

智慧光(ちえこう)のちからより
本師源空(ほんしげんくう)あらはれて
浄土真宗をひらきつつ
選択本願(せんじゃくほんがん)のべたまふ

(『註釈版聖典』五九五頁)

 

と、本願念仏を開かれたのは法然聖人であることを述べています。親鸞聖人は、ただ法然聖人の教えを受け継ぐだけであります。親鸞聖人にとっての真実とは、法然聖人の説かれる本願念仏の教えでありました。

 

親鸞聖人は、

 

親鸞におきでは、ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細(しさい)なきなり。

(『歎異抄』第二条 『註釈版聖典』八三二頁)

 

と言って、法然聖人の言葉を聞いて信ずるだけで、ほかに救われる方法があるわけではありませんと断言されています。

また、

 

たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ

(『同』)

 

と、「法然聖人の行かれるところならば、たとえそれが地獄であろうとも、私はどこまでもよろこんでついて行く」とおっしゃって、法然聖人に対する絶対の信頼と帰依を示されています。

 

阿弥陀仏の本願が真実であるから、本願念仏の道を明らかにしてくださった法然聖人の言葉が、どうして嘘・偽りでありましょうか。阿弥陀仏の真実なることを確信されることによって、親鸞聖人の進む方向が明らかとなりました。

 

 

念仏によって与えられる人生

 

『歎異抄』第三条には、「善人なほもって往生をとぐ。いはんや悪人をや」(『註釈版聖典』八三三頁)と、有名な悪人正機(あくにんしょうき)が述べられています。

その後に、

 

煩悩具足のわれらは、いづれの行にても生死をはなるることあるべからざるを、あはれみたまひて願をおこしたまふ本意、悪人成仏のためなれば、他力をたのみたてまつる悪人、もつとも往生の正因(しょういん)なり。

(『註釈版聖典』八三四頁)

 

と述べて、「阿弥陀さまは、凡夫を救おうと本願を立ててくださったのだから、自分が善人と思っている人よりも、優先的に悪人こそが浄土に生まれることができるのです」と語られています。

 

自力で往生しようと思う人は、本願のはたらきを信じる心が欠けていますので、阿弥陀さまの本願のこころに反しています。それに対して、自分で自分のことを悪人と自覚した人は、本願のはたらき(他力)にまかすことができますので、善人よりも悪人の方が阿弥陀仏の救いの対象であると、親鸞聖人はおおせになられました。

 

念仏の道は、煩悩に振り回されている凡夫を救うためのものです。また、浄土に生まれて覚りの智慧をいただく道です。

 

煩悩具足の凡夫という自覚は、立派な人間ではないように受け取られがちですが、阿弥陀さまの摂取の光明に包まれ、あらゆる恵みに感謝し、社会のさまざまな問題に積極的に関わっていく生き方と蘇っていくものです。このような生き方が、念仏によって与えられる人生であります。

 

(石田雅文)

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2013年7月 「まかせよ まかせよ」如来の声 「おまかせします」私の声 法語カレンダー解説

hougo201307苦悩を克服する方法

鈴木章子(あやこ)さんの『癌告知のあとで』の一部を紹介します。

鈴木さんは、入院をされて乳ガンとの取り組みが始まると、限られた人生の前には、世間一般の価値観が通用しなくなるということに気づかれて、「お先真っ暗」といった心境になられます。「生死」の問題と向き合うようになった時、次のような手紙を受け取ります。

 

 そんなとき、八十歳を過ぎた実家の父から手紙があり、「あなたは、一体何をドタバタしているのか。生死はお任せ以外にはないのだ。人知の及ばぬことはすべてお任せしなさい。そのためにお寺に生まれさせてもらって、お寺に嫁いだのではないか。生死はあなたが考えることではない。自分でどうにもならぬことをどうにかしようとすることは、あなたの傲慢である。ただ事実を大切にひきうけて任せなさい」と書いてありました。

(『癌告知のあとで』二一頁)

 

こうして、お父さんの言葉に安心され、誰にも代わってもらえない人生であることに気づいたと言われています。

人間が生きるということは、誰もが持っている根源的な生命の欲求であります。生命の欲求は、動物も同じように共通に持っています。しかし、人間には理性があり、願望を持った生き方をしていますが、その願望も、突然、病にかかって再起不能の宣告を受けたりすると、かなわなくなることがあります。このような不安定ななかで私たちは生きています。

仏教は、人生の苦悩を克服するために、煩悩をなくしていくことを教えるものです。

しかし、煩悩をなくすことは不可能です。そこで、心の持ち方を転換し、視点を変えることによって、少しでも苦悩を克服できる方法があるのではないでしょうか。

 

 

現生正定聚の利益

 

親鸞聖人の『正像末和讃』には、

 

如来(にょらい)の作願(さがん)をたづぬれば

苦悩の有情(うじょう)をすてずして

回向(えこう)を首(しゅ)としたまひて

大悲心(だいひしん)をば成就(じょうじゅ)せり

 (『註釈版聖典』六〇六頁)

 

とあります。『仏説無量寿経』には、法蔵菩薩があらゆる衆生を救いたいと誓願をおこされたとあります。そして、長い間の修行をかけて完成してくださったのが、南無阿弥陀仏の名号です。その名号が「南無阿弥陀仏」の喚び声となってはたらいておられることが、説かれてあります。また『仏説阿弥陀経』には、ここから西方に、十万億の諸仏の国々を過ぎたところに世界があって、その世界を極楽と言います。その極楽には阿弥陀という仏がおられて、いまも現に迷い続けている人びとを救う法を説き続けておられるとあります。

 

『教行信証』信文類末には、

金剛(こんごう)の真心(しんしん)を獲得(ぎゃくとく)すれば、横(おう)に五趣八難(ごしゅはちなん)の道(どう)を超え、かならず現生(げんしょう)に十種の益(やく)を獲(う)。

(『註釈版聖典』二五一頁)

 

と表し、金剛の信心を得た人には、仏道の妨げとなる八難を超えて、十種類の念仏の徳が備わると述べられています。その利益には、念仏者は阿弥陀さまの光明に摂取されて、常に護られている利益や、心によろこびがあふれてくる利益、阿弥陀さまの大悲を人のために常に実践できる利益などがあります。

 

『正像末和讃』には、

弥陀智願(みだちがん)の広海(こうかい)に

凡夫善悪(ぼんぶぜんあく)の心水(しんすい)も

帰入(きにゅう)しぬればすなはちに

大悲心(だいひしん)とぞ転ずなる

(『註釈版聖典』六〇七頁)

と言われ、これら十種の利益のなかに、悪が転じられて善となる利益があることが記されています。

「凡夫善悪の心水」には、「凡夫の善の心、悪の心を水にたとへたるなり」(『註釈版聖典』六〇八頁)と左訓がしてあります。また、「転ずなる」にも「あくの心甘んとな
るをてんずるなりといふなり」(『浄土真宗聖典全書(二) 宗祖篇・上』四八八頁・原片
仮名)と左訓がつけてあります。この意味から窺いますと、川の水(凡夫の心)が海に入ると海水(仏の心)と一味になるように、私たち衆生の心中に阿弥陀さまの大悲心が満入(まんにゅう)すると、たちどころに凡夫の煩悩の心が善に転ぜら札て、阿弥陀さまの大悲心と融化(とけて形を変える)していくのであります。

阿弥陀さまの助ける名号が私に届いた姿が、お助けを喜ぶ信心となります。「たのめ助くるぞ」の阿弥陀さまの喚び声を聞くところに、私は「お助けをたのむ」という信心を持つことになります。つまり、阿弥陀仏の喚び声が、喚び声どおりに私の心にありのままに届いて、「おまかせします」と南無阿弥陀仏の念仏となって出てきてくだざるのであります。

これら信心の十種の利益のなかで中心となるのが、「正定聚(しょうじょうじゅ)の益」です。正定聚の益とは浄土に生まれて仏になることが約束され、念仏者の仲間に入れていただくことなのです。

 

『浄土和讃』には、

真実信心(しんじつしんじん)うるひとは

すなはち定聚(じゅうじゅ)のかずにいる

不退(ふたい)のくらゐにいりぬれば

かならず滅度(めつど)にいたらしむ

(『註釈版聖典』五六七頁)

 

とあります。凡夫が自力で覚りを開くことは不可能なことです。しかし、真実信心の人は、阿弥陀仏の功徳を領受した信心獲得の念仏者のことを指しますから、正定聚の人と同じことです。その信心を得た人には、現生において、「仏になるまでといふ」『一念多念文意』『註釈版聖典』六八〇頁・脚註)不退転の位につき、大きな利益を得ることができます。

たとえば、受験生が大学入試に合格すれば、大学生の仲間入りをします。ところが、まだ入学式を済ませていないので大学生とは言えません。しかし、いずれは大学生になることが決まっているのです。大学入試に合格したということは、真実信心を得た人と同じということで、正定聚の仲間に入り不退の位に就くのです。正定聚の人は後戻りしない、すなわち退転しないということです。迷いの世界にもう落ちる心配がなくなるということです。信心を得た人は、現生において正定聚の人となり、不退の位に就きます。そして浄土に往生すると同時に、必ず滅度の覚りを開くことができるのです。

 

『親鸞聖人御消息集』には、

正定聚の人は如来とひとしとも申すなり。浄土の真実信心の人は、この身こそあさましき不浄造悪(ふじょうぞうあく)の身なれども、心はすでに如来とひとしければ、如来とひとしと申すこともあるべしとしらせたまへ。

(『註釈版聖典』七五八頁)

 

とあります。このように、正定聚の人は「如来と等しい」とも言われています。信心をよろこぶ人は、この身はあさましい煩悩具足の凡夫ではあるけれども、阿弥陀さまから無上の功徳である名号を回向(えこう)されますので、信心の徳として念仏者の心は如来と同じ功徳にめぐまれるのです。

正定聚については、「往生すべき身とさだまるなり」『一念多念文意』『註釈版聖典』六七九頁・脚註)、「かならず仏になるべき身となれるとなり」(『同』六八〇頁・脚註)と左訓がしてあります。信心をよろこぶ人は、まさしく往生することが定まった仲間となって、浄土に往生すると必ず成仏する身となるというのです。

正定聚の人とは、阿弥陀さまと同じよろこびをめぐまれた人となり、「念仏のひとは弥勒のごとく仏になるべしとなり」(『同』六八〇~六八一頁・脚註)と弥勒菩薩と同じとも言われます。弥勒菩薩とは、五十六億七千万年の後、この世の衆生を救済する未来仏と言われていますが、その弥勒と同じだと言われるのです。こうして信心をよろこぶ人は、あさましい罪深い心はなくなりませんが、大涅槃に近づく尊い人間となっていくのであります。

また、信心よろこぶ人と言えども、苦悩のなかにありながら、力強く生きる力を与えられるのです。それは、蓮の華が泥のなかで生育しながら、泥のなかから美しい華を咲かせることに似ています。信心をよろこぶ人は念仏の華を咲かせることから、分陀利華(ふんだりけ)(白蓮華)と言い、妙好人・真の仏弟子とも言われるのです。

 

 

釈尊の勧めと阿弥陀さまの喚び声

『教行信証』信文類には、善導大師の二河白道の話が出ています。

ある旅人が西に向かおうとしますと、その白道を炎と水の波浪が交互に交わって通ることができません。旅人は引き返そうとしますが、群賊・悪獣が追ってきて殺そうとします。旅人は、恐ろしくなって西に向かおうとしますが、このままだと水火の二河に落ちてしまいます。今引き返しても死、立ち止まっても死、このまま進んでも死が待ちかまえています。これを「三定死(さんじょうし)」と言います(『註釈版聖典二二四頁』)。

もう死を免れることはできないと思っていますと、東の岸にたちまちに人の勧める声を聞きました。「あなたは決意して、この道を訪ねていきなさい。必ず死ぬことはないであろう。もしも、そこに止まったならば、死ぬであろう」と呼びかけてきました。また、西の岸からも、「あなたは、一心に正しい思いを持って、ただちにこの道を来なさい。私は、あなたを必ず護るであろう。決して水河の難をおそれてはならない」という、喚び声が聞こえてきました。

この話では、東の岸から「きみただ決定(けつじょう)してこの道を尋ねて行け」(『註釈版聖典』二二四頁)という声とは、釈尊がこの道を行けば必ず浄土に通じるということを勧める声であり、西の岸からの「なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん」(『同』)という声は、阿弥陀さまの喚び声でありました。これを釈迦・弥陀の「発遣(はっけん)・招喚(しょうかん)」と言います。釈迦のこちらからの勧めと、阿弥陀さまの浄土からの「ただちに来たれ」という喚び声がひとつとなって、念仏者に救いの法をさしのべておられるのです。

 

 

如来の声と私の声

阿弥陀さまの「わが声をたよりに来れば、必ず救う」という、「まかせよ、まかせよ」との喚び声に、私は素直に「はい、おまかせします」と答えるだけでいいのです。

信心をよろこぶ人は、阿弥陀さまの「われにまかせよ」という喚び声を聞いて、すべてを阿弥陀仏におまかせすることで、浄土往生をなしとげることができるのです。

覚りを開くことは、凡夫の自力のはからいではどうすることもできません。凡夫を救うはたらきは、阿弥陀仏の受け持ちであります。阿弥陀仏の受け持ちは、凡夫を必ず仏に仕上げていくことですから、凡夫は阿弥陀仏の喚び声におまかせして念仏するだけでいいのです。

(石田雅文)

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ごえん ~結ぶ絆から、広がるご縁へ~

goenhyoshi

start

ある日の、お父さんと娘さんの会話から。

 

【お父さん】

「<ご縁>って言葉を知っているかい?」

 

【娘】

「何か聞いたことあるような、ないような・・・おばあちゃんが、よく言ってるような気がする」

 

【お父さん】

「若い人は、最近使わなくなったようだね。でも、縁結びという言葉は、知っているだろう?」

 

【娘】

「うん。彼との縁結びを、お願いに行こうと思っているよ」

 

【父】

「え、もう彼氏ができたのか!?」

 

【娘】

「お父さん、まだ、これから探すところだから、安心して」

 

【お父さん】

「おどかすのは、やめてくれよ。ただ、縁を結ぶというのは、もともと<結縁>といって、人間同士ではなく仏さまとの<ご縁>のことなんだよ」

 

【娘】

「え、そうなの。全然知らなかった」

 

【お父さん】

「そうだよ。辞書で<結縁>を調べてごらん」

 

【娘】

「あ、ほんとうだ。最初に<仏道に入る縁を結ぶ>って書いてある。びっくり!」

 

【お父さん】

「もう一つ質問するよ。じゃ、どうしたら、私たちが、仏さまと縁を結ぶことができると思う?」

 

【娘】

「えっと・・・それは、私がお寺に行って、お賽銭を入れるからとか?」

 

【お父さん】

「お金が縁を結ぶということかい?そうじゃないんだ。そもそも仏さまは、私たちが気付かない時も、ずっと私たちのことを心配してくださっているんだよ。その思いが、もうおまえに届いているから、それを受けとめるのが、仏さまとご縁を結ぶということなんだ」

 

【娘】

「へぇ~。じゃあ、今はまだ、私と一緒で、仏さまの片思いなんだね」

 

【お父さん】

「そうだね」

 

【娘】

「仏さまが、どんなふうに心配してくれているのか、知りたくなってきたわ」

 

 

この冊子では、仏教が大切にしてきた「ご縁」という言葉を、10章に分けて、考えてみようと思います。

 

| はじめに | 「ごえん」①~⑤ | 「ごえん」⑥~⑩ | もっと知りたいご縁のこと |

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「ごえん」①~⑤

goen1 私たちには、さまざまな縁(原因)がはたらいています。そして、そのことを、知り尽くすことができません。今、ここで起きている事柄は、数え切れない無限の原因が積み重なった結果です。私たち人間の浅はかな考え方では、到底、理解し尽くすことができません。

 

一方で、因果関係でものを見ることは、私たち人間に特徴的な思考方法でもあります。しかし、私たちには、ほんとうの因果関係を正しく見極めることができず、自分の都合で因果関係を見てしまいます。これは誤った認識であり、それによって誤った行為が生み出され、悲しみや苦しみの要因ともなります。

 

縁起を見抜くことができず、自己中心的な考えで、結果に対して誤った原因を見てしまう私たちは、仏さまに出あい、その智慧をともしびとしなければ、私自身をきちんと見つめることさえできません。

 

仏さまが示された「縁起」とは、物事の正しい因果のことです。この教えをよりどころとして、思い込みや自己中心的な因果関係を見てしまわないよう、常に注意しなければなりません。

 

あなたと私も、そして仏さまと私も、人間のはからいでは知り尽くせない多くのご縁でつながって、不思議なめぐりあわせがあって、ここに出あっているのです。

 

 

 

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goen2 「袖振り合うも多生の縁」(※1)という言葉があります。「多生」を「多少」と書き間違える人もいますが、「多生」でなければ、この言葉の正しい意味にはなりません。往来で行き交う人の着物の袖先が、軽く接するようなささやかな関係であっても、何度も生まれ変わる中で生じた貴重な縁であることを意味しています。

 

しかし、長い時間の中で育まれたご縁であることを意識することは、なかなか難しいことです。直接的な原因について思いをめぐらすことはできても、遠い過去からの原因を自覚し続けることは本当に困難です。

 

親鸞聖人(※2)は、『教行信証』(親鸞聖人の主著)の「総序」で、

 

ああ、弘誓(ぐぜい)の強縁(ごうえん)、多生にも値(もうあ)ひがたく、真実の浄信、億劫(おくごう)にも獲がたし。

たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ(『註釈版聖典第二版』132頁)

 

と仰っています。阿弥陀さま(※3)からの願いである大いなる本願は、いくたび生を重ねてもあえるものではなく、まことの信心はどれだけ時を経ても得ることは難しい。思いがけず、真実の行と信(※4)を得たなら、遠い過去から、阿弥陀さまの光が、育み続けてくれていたご縁を感謝しよろこぶべきであると、親鸞聖人はお示しくださっています。

 

私たちは、心配し続けてくれている人、願い続けてくれている人がいても、当たり前のようにそのことに気付かなかったり、ついつい忘れてしまったりしています。そうした縁が途切れた時、心配してくれていた人がいなくなった時に、やっと、その大切さに気付くということも少なくありません。

 

阿弥陀さまの光明は、私たちの気付かない遠い過去から、すべての人々を照らし続けています。そのことが、貴重なご縁となって、今、救いに出あっているのです。

 

※1 「袖振り合うも多生の縁」は、「袖すり合う」「袖触れ合う」「他生の縁」といった表現のものもあります。

※2 「親鸞聖人」浄土真宗の宗祖1173-1263

※3 「阿弥陀さま」浄土真宗のご本尊、阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)

※4 「行と信」仏教一般では、行はさとりに至るための修行を意味しますが、浄土真宗では、浄土往生の行は信と同じく阿弥陀さまより衆生にふり向けられ、あたえられたものとして、大行といわれます。

 

 

 

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goen3

質問です。名前しかわからない、まったく見も知らぬ遠くの人へてがみを届けなくてはなりません。何人を仲介すれば、目的の人に、その手紙は届くでしょうか?

 

これは、アメリカで1960年代に実際に行われた実験です。1600キロ離れた土地に住むビジネスマンに、自分より関係の深そうな方に手紙を渡すという方法で、人づてに手紙を送ろうとします。すると、平均して、たったの6人を介するだけで目的の人物に届くのです。これはアメリカ国内での実験でしたが、2003年には、世界規模で同様の実験を行いました。すると、やはり同じく6人で届いたそうです。

 

私たちは、広い世界の中で、ばらばらに生きているように思いがちです。遠くにいる人であれば、まったく無関係に生きているように感じてしまいます。しかし、誰もが、たった6人を通してつながり合っていける世界、「スモールワールド」に生きているということを、これらの実験は証明したのです。インターネットが急速に発達している現代では、世界は、さらに小さなものになっていくことでしょう。

 

しかし、私たち人間は、私と外の世界を切り分けて認識する習慣を持つため、つながりを断って、世界を認識してしまいがちです。それによって、自己中心的な視点に縛られ、自己へのとらわれから離れられなくなり、つながっていても、また、つながる可能性があっても、そのことを自覚することができないでいます。個別に独立した存在として切り離された関係をつくり、お互いに、ねたみ、怒り、非難の心で見てしまうのが、私たちのありさまなのであり、疎外される人々を生み出す私たちの社会のありのままの姿です。

 

遠い、近いという感情は、私たちの心が作り出すものです。自他を隔てることのない仏さまの智慧を鏡とするとき、自己のとらわれから離れられない私たちに、分別するあり方を省みて、互いにつながりあっていける可能性が、開けてくることでしょう。

 

 

 

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goen4 吐く息が白くなるような寒い冬の日、暖かなお風呂に入ると、「あ~ありがたいなあ」と思わず声が漏れることがあります。「ありがたい(有り難い)」とは、「有ることが難しいこと」、つまり極めてまれなことに感謝をする言葉です。もちろん、お風呂に入ったときだけではありません。仕事や恋愛など日常生活の中で直面するさまざまな困難の中で思わぬ支えに出あったとき、口に出さなくても私たちはありがたさを心から実感することがあります。

 

さて、お釈迦さまから始まった仏教の教えは、約2500年の時を経て、現代にまで受け継がれてきました。しかし、その歴史は決して平坦なものではありませんでした。中でも仏教が国家に受容された中国・日本などの東アジアでは、いくたびかの深刻な弾圧や迫害によって、その教えが途絶えそうになったことが多くの歴史書に記されています。そうした困難の中で仏法をなんとか伝えようとしてきた人々がいたからこそ、私たちは今、その教えに出あうことができているのです。

 

親鸞聖人は、法然聖人(※1)など自らを導いてきた人々の教えを通して阿弥陀さまの救いに出あえたことをよろこび、ご著作の最後に、次の言葉を引用されています。

 

前に生れるものは後のものを導き、後に生れるものは前のもののあとを尋ね、果てしなくつらなって途切れることのないようにしたいからである。

(『教行信証』化巻、『現代語版』646頁)

ここには、み教えを伝えてくれた先人への感謝と共に、自らも途切れることなく人々に伝えていこうとする親鸞聖人の決意をうかがうことができます。過去から現在へと多くの困難の中でみ教えを伝えてきた方々の「有り難い」ご縁の積み重ねによって、今、私たちが阿弥陀さまの教えに出あうことができているのです。私たちの手によって、未来へとその教えをつなげていきたいものです。

 

※1 「法然聖人」浄土宗の宗祖、親鸞聖人の師、1133-1212

 

 

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goen5毎年お正月になると、初詣の参拝者で多くの神社や仏閣はにぎわいます。

 

中でも、若者たちに人気なのが、「縁結び」のご利益です。「今年こそは素敵な人と出あいたい」と、「良縁成就」のお守りを求めて長蛇の列ができる風景は、この時期の風物詩といえるでしょう。このように、私たちが求める「ご縁」は、「悪い縁」をとりのぞき、「良い縁がほしい」「自分の思い通りの異性が見つかれば良い」という思いが反映された、いささか都合の良いものであることが多いようです。

 

しかし、私と仏さまとの間にある「ご縁」は、こうした私たちが求める「縁結び」とは、全く違うものです。曇鸞大師(6世紀に活躍した中国の僧)は、慈悲について述べる中で、阿弥陀さまの慈悲を「無縁、これ大悲なり」(『往生論註』上巻、『註釈版聖典七祖篇』62頁)と示しておられます。「無縁」とは、仏教では「つながりがない」という意味ではなく、「特定の対象(縁)を選ぶのではない」ということを意味します。つまり、阿弥陀さまから結ばれた私との「ご縁」は、どのようなものに対しても向けられる大悲(私たちを慈しむ心)のはたらきそのものなのです。このことが、『仏説無量寿経』には「十方衆生を救う」と誓われています。「十方衆生」とは、あらゆる世界のいのちあるものという意味です。

 

阿弥陀さまの普遍の救いに出あうとき、自分中心の世界に生きていた私が、仏さまにつながっている世界、仏さまの慈しみに包まれている世界の中にあると、気付かされていくのです。縁のよしあしを気にして思い悩む私たちに対して、阿弥陀さまのほうからすでに、全ての者に対する「ご縁」が結ばれています。この仏縁を通して、私たちが、互いに阿弥陀さまの大悲に等しく包まれているもの同士であったことが知らされていくのです。

 

 

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「ごえん」⑥~⑩

goen6「仏説阿弥陀経」の中に、極楽浄土にいる鳥として「共命(ぐみょう)の鳥」の名が見えます。「共命の鳥」とは、胴体は一つなのに、頭が二つあるので「共命」といいますが、この共命の鳥については、次のようなエピソードがあります。

 

鳥は木の実を餌としていますが、ある共命の鳥は、一方の頭のほうだけが、いつもおいしい木の実を先に食べ、もう一方の頭の方は、いつも残りものの木の実を食べていました。いつも残りものばかりになっている方が、そのことを不満に思っていたために、ある時、毒の木の実を見つけた時、「おいしそうな木の実がある」と言いました。こう言えば、必ずもう一方の方が、横取りして、毒の入った実を食べ、苦しむだろうと思ったのです。予想通り、さっさと横取りして、毒の実を食べ、苦しみ始めました。「やった。ざまあ見ろ」と喜んでいたところが、胴体はつながっているので、もう一方の方にも毒が回って苦しんだという話です。

 

私たちは、この鳥を「愚かだ」といえるでしょうか。私と他人とのつながりを忘れ、「自分が」、「自分が」と我を張っています。私と他者とのつながりを忘れて、自分ばかりを主張するから、互いにぶつかり合うことになります。それを、仏教の言葉で「我他彼此(がたぴし)」というのです。

 

自分のことだけ主張すれば「ガタピシ」と不快な音を立てます。かといって、自己中心的なあり方から離れることが簡単にできるわけではありません。自己主張してガタピシと音を立てるのが私たちのありのままの姿であり、互いに主張し、話し合い、論争し、そうやってつくられていくのが私たちの社会です。

 

しかし、「ご縁」という見方があれば、共命の鳥のように、いのちを共にしているものであると知らされて、ただぶつかり合うだけの愚かさを知り、互いの意見を尊重し、許し合い支え合う「共に」の社会を作っていく思いが生まれてくるのではないでしょうか。

 

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goen7毎年お正月になると、年賀状を送ります。しかし、せっかく送った年賀状が、「宛先不明」で返ってくることがあります。どこかへ引っ越しされたのか、お亡くなりになったのか・・・・・・。原因はわかりませんが、返ってきた年賀状を見て、寂しい気持ちになった経験を持つ方も、多いのではないでしょうか。大切なご縁であっても、ふとしたことで失われてしまうのが、私たちが生きている人間世界の関係です。

 

それは、親子や夫婦といったかけがえのない大切な縁であっても、変わることはありません。なぜなら、「死別」を免れることはできないからです。『仏説無量寿経』には、独りで生まれ、独りで死んでいくとあります。人間は、生まれるときも死ぬときも独りであるというこの言葉には、生死のもたらす別離の悲しみが示されています。

 

親鸞聖人は「人間の八つの苦しみ(※1)の中で、愛別離苦が、もっとも痛切なものである」と仰ったと『口伝鈔(くでんしょう)』に伝えられています。八つの苦しみの中には、自分が老いること、死んでいくことの苦しみも含まれますが、そうした苦しみよりも、慈しみ合っているもの同士が別れていくことほど、悲しく切ないものはないと仰っているのです。この言葉からも、大切な縁が切れてしまうことの痛みの大きさが、あらためて実感されます。

 

そのような私たちに対して、阿弥陀さまの救いは、決して断ち切れることがない縁として届いています。はるか昔から、そして今も、未来も、「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」(掬い取って決して捨てない)として、すべてのいのちあるものの元に、阿弥陀さまの光は届いています。この誰もがつながっていける、途切れることのない阿弥陀さまからのご縁をいただいていくことを、「信心」というのです。

 

そして、信心をいただいた私たちは、お浄土に生まれ、仏となって、ご縁のあった人々との間に、永遠のつながりを結ぶことができるのです。

 

※1 「八つの苦しみ」は「八苦」といい、生・老・病・死の四苦に愛別離苦、怨憎会苦(怨み憎むものと合う苦しみ)、求不得苦(求めて得られない苦しみ)、五蘊盛苦(私たちの生存そのものの苦しみ)の四つを加えたものです。

 

 

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goen8私たちは食前に何も意識せずに「いただきます」という言葉を発します。しかし、近ごろは「いただきます」、「ごちそうさま」の一声さえ出なくなっていると嘆く声も聞かれます。

 

浄土真宗本願寺派は2009年11月に新しい「食前のことば」を定めました。

 

【食前のことば】

● 多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。

○ 深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。

 

【食後のことば】

● 尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝(ごおんほうしゃ)につとめます。

○ おかげでごちそうさまでした。

 

この【食前のことば】の「多くのいのち」という表現には、多くの動植物のいのちをいただかなければ生きていけない私たちのあり方への「慚愧」の思いが込められています。

 

【食前のことば】は、食事が空腹を満たすだけではなく、食事というめぐみを通して、私たちの命を支えているものへの「ご縁」を知らせていただく機縁となるでしょう。

 

このように多くのいのちによってめぐまれた私の人生ですから、ご報謝させていただく決意が生まれます。それが【食後のことば】です。

 

もちろん、食事だけではありません。普段、私たちは何気なく生活していますが、その一つひとつを「ご縁」というまなざしから見れば、そこに多くの「おかげ」「ご恩」があり、私のいのちが支えられていることが見えてきます。

 

「ご縁」を見る習慣が身につくと、何も思わずにご飯を食べることができなくなるかもしれませんね。

 

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goen9砂場で、幼い子どもが、時の経つのを忘れて、砂山を作って遊んでいるのを見かけることがあります。

 

大地、砂つぶ、子どもの作業、これら一つひとつが原因(縁)となり、砂山ができあがります。この中の一つの原因が欠けても、砂山はできません。そして、やがて風が吹き、雨が降り、時間が経過して、砂山は崩れていきます。色々な原因(縁)によって、形を変えていくのです。

 

いくつもの縁によって生まれ、また縁によって変化し続け、やがて元の形が無くなっていくありようを「無常」といいます。このように、「縁」と「無常」とは一対の言葉なのです。

 

多くの縁によって、この世に生を受けた幼子も、砂山が崩れて元の砂つぶに戻っていくように、やがては臨終の時を迎えなければなりません。だからこそ、急ぎ、仏とならせていただく仏縁をいただかなければならないのです。

 

お釈迦さまは、「縁起」こそが真理であると説かれました。この世に生まれてきた者は誰も、「縁起」と「無常」の世界を免れることができません。なぜなら、私たちの存在そのものが、「縁」でできた「無常」なものだからです。親鸞聖人は「火宅(かたく)無常の世界」と、「無常」について表現されました、私たちが生きるこの世は、燃えさかる家のように、たちまちに移り変わる世界なのです、やがては、この世での縁が尽き、終わりを迎えなければならないのが私たちのありさまなのです。

 

そんな無常な私たちだからこそ、いつでも、どこでも、はたらいてくださっている阿弥陀さまの慈悲によって、仏とならせていただく。その教えに今、出あい、存在の根底から阿弥陀さまの慈悲の中で生きていくことが、何よりも大切な救いとなるのです。

 

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goen10「僕は誰からも必要とされていない。私なんていなくてもいいんじゃないか・・・・・」

 

学校や職場で、こうした思いを持つ方は、決して少なくないのではないでしょうか。最近では厳しい就職活動の中で自分の存在そのものが否定されたように感じ、自らいのちを絶つ学生がいることも報道されています。「あなたの代わりはいくらでもいる」などのように、取り換え可能な人間と言われることほど、「生きる意味」を失う体験はありません。まさに私たちは、「誰かにとって大切な存在であること」によってはじめて、「自分の大切さ」が実感できるのです。

 

仏教には、「インドラの網」という有名なたとえがあります。インドラとは古代インドの神様であり仏教では帝釈天(たいしゃくてん)という名で知られています。その宮殿を飾っている網の結びめの一つひとつには宝珠が結わえられており、それらがちょうど合わせ鏡のように互いに互いを映し合い、どれか一つの宝珠をとりあげれば、そこにはその他すべての宝珠の姿が映し出されているというのです。

 

自分の顔は、鏡に映して見ることができるように、私自身の姿についても、自分で気付くより、他者の存在を通して知らされるということがしばしばあります、同様に、他者にとってもまた、他ならない私の存在が大きな意味を持っています、このように、あらゆる存在が互いに関わりあいながら形づくられている究極的な縁起の世界こそが、私たちが生きているこの世界なのです。

 

今、生きているこの私こそが、実は「全ての存在にとってなくてはならない、大切な私」であることを、仏教は伝えています。

 

 

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