2014年5月 きのう聞くも 今日またきくも ぜひに来いとの およびごえ 法語カレンダー解説

お願いだから、そのまますぐに来ておくれ

私がまだ学生の頃、恩帥・村上速水(そくすい)先生とともに京都の上桂にある浄住寺というお寺を訪ねたことがありました。浄住寺は黄檗宗の禅寺です。このお寺を会場にして一年に一度、元大谷大学教授の池山栄吉という先生を偲ぶ「一道会」が開催されていましたので、その会に初めて参加させてもらったのです。お寺には池山先生の二十七回忌を機縁として名号碑が建てられており、その裏面に善導大師の「なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん」の言葉を先生が解釈された「お願いだから、すぐに来ておくれよ」の文字が刻んでありました。

 

池山先生は大学でドイツ語を教えておられましたが、『歎異抄』を通して真の念仏者となっていかれ、『歎異抄』をドイツ語に翻訳された『独語歎異抄』をはじめ、『意訳歎異抄』『絶対他力の体験』『信を行く旅人』『仏と人』など、お念仏の味わいを述べられた書物も出版しておられます。その念仏者・池山先生を偲ぶ会が、なぜ禅寺を会場にしてと不審に思われるかもしれませんが、実は浄住寺の榊原徳草(さかきばらとくそう)住職(当時)は禅僧でしたが、篤信の念仏者でした。京都女子大学の元教授・宮地郭慧(みやじかくえ)先生や龍谷大学の元学長・千葉乗隆(じょうりゅう)先生も一時、下宿されたことのあるお寺でもありました。

 

本堂にお参りしますと、まずご住職調声のもとで、『歎異抄』の前半部分が朗読されます。『歎異抄』の言葉に感極まって泣きながら朗読されるご住職の姿は、三十年余り経った今でも脳裏に深く焼き付いております。まさに『歎異抄』の一言一句が私のための法語という味わいからのお姿でした。朗読が終わりますと、参加者の中から池山先生の思い出や『歎異抄』の味わいを述べる法話が始まります。お参りしたときには西元宗助先生、川畑愛義(あいよし)先生、花田正夫先生など、今から思えば錚々たる先生方がお話をされました。特に池山先生がよくいわれていた「お願いだから、すぐに来ておくれよ」の言葉を各先生方が味わい深くお話しされましたが、当時、学生であった私には充分理解できませんでした。

 

 

二河白道の喩え

 

親鸞聖人は『教行無証』「信文類」に善導大師の二河白道(にがびゃくどう)の喩えを引用されています(『註釈版聖典』二二三頁)が、そこには釈迦・弥陀二尊の喚びかけが示されています。二河白道は、進むことも死、とどまることも死という切羽詰まった状況のなかにある旅人が、東の岸から「きみ、ただ決定してこの道を尋ねて行け。かならず死の難なけん。もし住まらばすなはち死せん」という勧める声と、西の岸から「なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん」という喚びかけを聞きます。続いて、その勧める声と喚びかけについて、

 

〈東の岸に人の声の勧め遣はすを聞きで、道を尋ねてただちに西に進む〉といふは、すなはち釈迦すでに滅したまひて、後の人見たてまつらず、なほ教法ありて尋ぬべきに喩ふ、すなはちこれを声のごとしと喩ふるなり。……〈西の岸の上に人ありて喚ばふ〉といふは、すなはち弥陀の願意に喩ふ。

 (『同二二六頁』)

 

と述べられ、東の岸からの勧めは釈迦の教法に、西の岸からの喚びかけは阿弥陀仏の本願に喩えられたものであると説明されています。したがって、二尊の命令とは、釈尊が説かれた教えの勧め(発遣)と、「まかせよ、必ず救う」という阿弥陀仏の喚びかけ(招喚)を意味します。その勧めと「まかせよ」という喚びかけの命令に、命令通りに応えていくのが信心であり、これを『尊号真像銘文』には「帰命は、すなはち釈迦・弥陀の二尊の勅命にしたがひて、召しにかなふと申すことばなり」(『同』六五六頁)と解釈されています。池山先生は、「なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん」という阿弥陀仏の喚びかけを「お願いだから、すぐ来ておくれよ」と阿弥陀仏から願われている言葉として受け止めていかれたのです。

 

 

願われている宗教

『癌告知のあとで』という本を残して、四十七歳で浄土へ往生された念仏者・鈴木章子さんのお兄さんで、元大谷大学長の小川一乗先生に中央仏教学院の特別講義に一度ご縁をいただきました。仏教学者ですが、お念仏の教えをわかりやすくお話ししてくださいました。その先生が「神と仏」の相違について、次のようなことをいわれています。

 

 神は人間を超越した不思議な能力を有し、我々に禍福を降ろす存在である。

キリスト教の神は全知全能・宇宙を創造し我々を裁く絶対者としての存在であり、神道の神は国土を創造し支配する神聖な存在である。そして神は我々の欲望を適えてくれる存在であるため「願う宗教」というべきである。しかし、我々の方から「願う宗教」は、困った時の神頼みのごとく、不幸な出来事から逃避する「逃げる宗教」であり、いつも願いが適うとは限らないため、「裏切られる宗教」でもある。そして、願う心は日頃、神仏を大切にしておけば不幸な出来事がふりかかってこないかも知れないという気持ちが基本であるため、神仏との取り引きをすることにもなる。

これに対して仏教は我々が仏(覚者)に成る教えであるから、仏は我々の大先輩であり、中でも阿弥陀仏は、我々の欲望から解放してくれる存在である。「願う宗教」の虚しさに気づき、迷いから目覚めよと、目覚めた仏から「願われている宗教」である(『宗教』三〇八号・要旨)

 

先生のいわれる「願う宗教」は言い換えれば「請求書の宗教」であり、「願われている宗教」は「領収書の宗教」です。阿弥陀如来に願い事を請求していくのではなく、「ぜひに来い」と願われている喚び声に気づいて、「そのままおまかせします、有り難うございました」と応えていくのが領収書です。

 

 

聞くということについて

「きのう聞くも 今日またきくも ぜひに来いとの およびごえ」という言葉は、昨日の聴聞も今日の聴聞も、いつ、どこで聞いても、「ぜひに来い」と願われている喚び声に目覚めていくことです。

親鸞聖人は「聞く」ということについて、『大経』の本願成就文の「聞其名号」の言葉を解釈して『教行信証』「信文類」に、

 

しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きで疑心あることなし、これを聞といふなり

(『註釈版聖典』二五一頁)

 

といわれ、また一念多念文意』にも、

 

「聞其名号」といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。

(『同』六七八頁)

と述べて、名号を聞くというのは仏願の生起本末を聞くことと示され、名号を聞くことがそのまま信心であるといわれます。聞く内容について、仏願の生起とは、阿弥陀如来が本願を起こされた理由であり、仏願の本末とは、阿弥陀如来が因の位(法蔵菩薩)のときに起こされた本願が、果の位(成仏)において願い通りに衆生を必ず救う本願力・名号が完成したということです。わかりやすくいいますと、私のこころと如来のこころの、二つのこころを聞くということです。

私のこころを聞くというのは、煩悩罪悪に汚染され清浄真実の心がないために、往生できる要素をまったく持たない私のあるがままの相を知らせてもらうということであり、如来のこころを聞くというのは、迷いの世界を脱け出すことのできない私を必ず救うはたらきであることを知らせてもらうということです。この二つのこころを聞いていくことが、そのまま「ぜひに来い」と願われている喚び声に日覚めていくことです。

(白川晴顕)

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2014年4月 一切は 縁において生まれ 縁においてあり 縁において去っていく 法語カレンダー解説

hougocalender201404縁起について

 

仏教の根幹をなす思想の一つに縁起があります。この世の一切の存在は直接にも問接にも何らかのかたちでそれぞれ関わり合い、同時に生滅変化しているという考え方です。縁起という語は因縁生起の略であり、因は結果を生じさせる直接の原因、縁はそれを助ける外的な条件のことです。「一切は縁において生まれ、縁においてあり、縁において去っていく」の言葉には、この縁起の思想が端的に表明してあります。
釈尊の悟りの内容は縁起の理法を達観されたことにあり、それはそのまま、仏教の標幟が諸行無常印・諸法無我印・涅槃寂静印の三法印にあるといわれる所以でもあります。すなわち、この世に存在する一切のものは、常往にして不変なるものは何もなく、時間的に因縁果の道理に沿って刹那刹那に変化してやまないために、それ自身、無常であると説くのが諸行無常印です。また一切の存在は他のものと空間的な因縁の関係をもたずして存在するものは何もなく、互いにもちつもたれつの関係にあると説くのが諸法無我印です。

 

それは私白身も単独に存在するものではなく、さまざまな因と縁が和合する中に生かされている仮の存在であるために、我として執着すべきものではないことを教えています。したがって、一切の存在そのものはもちつもたれつの関係にあるために、自性(固定した独自の性質)をもつものではなく、無自性なるものであることを知らせるために説かれたのが諸法無我印です。

 

そして、この諸行無常、諸法無我の真理に目覚めていくことこそ涅槃寂静の境地を体得することであり、それが仏道の目指すさとりの境地に他なりません。

 

 

一切は縁において生まれ

 

初めの「一切は縁において生まれ」という言葉ですが、この世に命が誕生するためにはさまざまな多くの縁がなければなりません。私か生まれてくるためにも父母の両親がいなければなりません。その両親にも二人の親、そうして先祖を遡っていきますと、十代前(三五〇年頃前の江戸中期)は千二十四人、二十代前(七〇〇年頃前の親鸞聖人の鎌倉時代)は百四万八千五百七十六人、三十代前(一〇〇〇年頃前の平安時代)は十億七千三百七十四万千八百二十四人の親の数になります。さらに四十代前二四〇〇年頃前の聖徳太子の時代)まで遡りますと、その数は一兆九百九十五億千百六十二万七千七百二十六人という膨大な数字になります。聖徳太子の頃の日本の人口は五百万人位であったといわれていますので、数が合わないことになりますが、これはすべての先祖が他人同士であったと仮定した上での計算結果です。先祖の中には同じ先祖を持つ人同士が結婚するということも多くあったことは否めません。

ともあれ、私の先祖は、あなたの先祖と同じ人であり、まさに日本国民は血の通った父母・兄弟です。

 

したがって親鸞聖人は『歎異抄』第五条に「一切の有情はみなもって世々生々の父母・兄弟なり」(『註釈版聖典』八三四頁)と述べられたのです。そして、その先祖の一人でも欠けておれば、今の私は存在していないということになります。私かこの世に存在するということは当たり前のことではなく、とても不思議なことなのです。

 

 

縁においてあり

 

次の「縁においてあり」という言葉は、この世の一切の存在はお互いにもちつもたれつの関係にあることを示しています。自然界では太陽によって育てられた草を草食動物が食べて成長し、その草食動物を肉食動物が補食します。

そして肉食動物が死ぬとバクテリアが大地に草の栄養物として還元するといった食物連鎖を取り上げてみても、一切のものは単独に存在するものは何もないということが解ると思います。私かこの世に存在するのも私一人の力で存在しているのではありません。生きていくためには野菜や魚、肉も食べなければなりません。多くの命を犠牲にして今の私か存在しているのです。

 

しかし、今の特に若い世代はそのことに気づいていない人が多いのではないかと思います。先日もテレビで若いディレクターが佃煮にされた小魚と串刺しにされたエビが皿に整然と並べら牡た状況を見て、「綺朧ですね」という言葉を言っただけで、それを口にしました。そこからは「命をいただきます、申し訳ありません」という気持ちさえ伝かってきませんでした。ディレクターだけではなく、これが現代の若い世代に共通した姿勢ではないかと思います。仏教の教えを全く知らないことが大きな要因であるといってもよいでしょう。

 

仏教国・ブータンでは牛肉などは食べても魚は決して食べないと聞いたことがあります。同じ一つの命であれば、数多くの命を犠牲にしなければならない魚より牛一頭で多くの命が養えるという考え方からだそうです。

 

金子みすゞの有名な詩に「大漁」という詩があります。

朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の
大漁だ。

浜はまつりの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだらう。

(『金子みすゞ童謡全集』 JULA出版局』)

 

大漁だ、大漁だと祭りのように喜んでいるのは人間中心の考え方です。鰮の立場になれば、それは兄弟・仲間への弔いに他なりません。

 

仏教のものの見方は、「私一人の力で生きているのではない、多くの命を犠牲にしなければ生きていけない私である、申し訳ありません」。ここに仏教徒としての基本姿勢があります。

 

 

縁において去っていく

 

そして、結びの「縁において去っていく」という言葉には、因果律、すなわちあらゆる現象には原因のない結果はあり得ないのだから、それを引き起こした原因が必ずあるという見方が示されています。

 

以前、元検事総長であった方が、「人間死んだらゴミになる」ということを言われ、話題になったことがありました。仏教は因果の道理を踏まえたものの見方をしますので、「人間は生きてきたように死んでいく」という捉え方をします。そうすると結果がゴミになるのであれば、その人の生き様はゴミのような人生であったということになります。もし仮に元検事総長のお孫さんが訪ねてきて、「お爺ちゃん、僕死んだらどうなるの」と質問したら、果たして、「おまえが死んだらゴミになるんだよ」と応えられたでしょうか。元検事総長がどのような気持ちで、この言葉をいわれたのか、はっきりしませんが、このような考え方であれば、「死んだらもうお終い、生きているときがすべてである」という享楽主義にもなりかねません。同時に死ぬ間際になれば、「今から死ぬからゴミ袋を用意して遺体をゴミとして出すように」と家族に依頼しておくことも必要です。そしてゴミになる死であれば、迎える死は安らかかといえば、決してそうではなく、恐怖そのものになっていくのではないでしょうか。

 

親鸞聖人は『教行信証』「証文類」に

 

しかるに煩悩成就の凡夫、生死罪濁(ざいじょく)の群萌(ぐんもう)、往相回向(おうそうえこう)の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚(だいじょうしょうじょうじゅ)の数に入るなり。正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至る。

(『註釈版聖典』三〇七頁)

 

と述べて、他力の信心を獲得すれば、即時に正定聚の仲間になることができ、正定聚が約束されるために必ず滅度の浄土に生まれることができると示されます。煩悩が満ち満ちていようとも、生死を繰り返す罪業深い身であろうとも、阿弥陀如来の本願のはたらき一つにすべてをまかせたならば、それが因となって迷いのない浄土へ往生できる果が得られるのです。

 

職場で安心して働けるのも、旅行が安心してできるのも、帰る家があってこそではないでしょうか。それと同じように、生きているときに帰っていく世界、帰っていく浄土が持てるということは、人生そのものが充実し安心できるものになっていきます。「縁において去っていく」のが仏教の説く因果の道理ですから、その縁を大切なものにしていかなければなりません。

(白川晴顕)

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ご門主のご著作『いまを生かされて』 書籍紹介

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●いまを生かされて

【定価】1,260円(本体¥1,200+税)

親鸞聖人は、生涯に500余りの和讃を残しました。なかでも『浄土和讃』と『高僧和讃』は76歳、『正像末和讃』は85歳のときの成立で、88歳まで加筆・補正を続けられました。

晩年を迎えた親鸞聖人は、和讃を通して、共に生き、悩み、苦しみ、立ち尽くす人々に向かって、「私も同じ苦悩するものだ。しかし嘆くことはない。仏の温かなまなざしに気づいたなら、必ず人生は転換される」と語りかけています。

「三帖和讃」から62首を選ばれ、わかりやすい言葉で意訳。親鸞聖人のおこころをたずねられ、現代人の課題などを通して、自他ともに心豊かに生きることとは何かを問われている。大谷光真ご門主の、浄土真宗本願寺派門主としてご在任中最後のご著作。

 

 

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2014年3月 帰ってゆくべき世界は 今遇う光によって 知らされる 法語カレンダー解説

201403彼岸にあたって

 

三月は春彼岸の季節です。彼岸とは、「彼方の岸」という意味で、こちら側の、私どもの迷いの世界を「此岸(しがん)」というのに対して、苦悩の海を隔てた「悟りの岸」を彼岸といい、涅槃界を意味しています。

 

もともと、迷いの世界のあらゆる生きとし生けるものを救おうとして修行される大乗の菩薩たちの実践道が「波羅蜜」(パーラミター)と呼ばれます。それが「悟りを完成する」、すなわち「悟りの岸に到る」実践道で、「到彼岸」とも訳されます。
これを略して「彼岸」といわれるようになりました。したがって「彼岸」とは、本来「悟りに至る〔菩薩の〕修行」といえます。

 

その彼岸の法要「彼岸会」が春分、秋分を中心に前後七日間行われるようになったのは、『観無量寿経』に、阿弥陀さまを深い瞑想の中で観じ取る「観想」が説かれ、その第一に「日想観(にっそうかん)」が説かれていることによっているようです。

 

すなわち、善導大師が説かれるように、阿弥陀さまを観想してそのはたらきに出遇い、悟りに到ろうとするのに、まず「私どもに受け止められるよう、悟りの世界を西方浄土と方位を示して、お浄土と阿弥陀仏のすがたを立てられた」(指方立相(しほうりっそう)といわれます)とされて、その阿弥陀仏と阿弥陀仏の世界を観想する道が説かれます。

 

その第一が日想観です。阿弥陀仏の世界「浄土」を観ずるのに、西に沈みつつある赤々と照り輝く夕陽を観ずる、眼を閉じてもありありと夕陽が見られるように観想する。そこに西方十万億の世界を超えたところのお浄土のすがたをいただくというわけです。そして、もっとも適切な「日想観」は、真東から日が昇り真西に沈む、その夕陽を観想するとされ、春分、秋分の日が特別な「観想」のときとされるのです。

 

これがお彼岸の日となり、その前後七日間にお彼岸の法要「彼岸会」が執り行われるようになったようです。西に沈みつつある夕陽を拝してお浄土に、そして阿弥陀さまに心を馳せる、ということで、たとえば大阪の四天王寺では、古くからお彼岸に多くの参拝者が参詣し、夕陽を拝されたと聞きます。

 

夕陽を拝して阿弥陀さまの光明に抱かれていることを感ずるところに、夕陽を拝する意味があるといえるでしょうが、さらに、夕陽がなくても、お念仏の中に阿弥陀さまの智慧と慈悲のはたらき、その光明に抱かれていることを気づかされていくことになるでしょう。今月のことばの「今遇う光によって」とは、この阿弥陀さまの無量なる光明に出遇うということで、阿弥陀さまのご本願のはたらきに出遇い、慶びと報謝のお念仏が口元で出てくるとき、「帰るべき世界」であるお浄上が知らされるということになります。

 

 

光明に照らされて

 

この法語に関連して、ヨーロッパの篤信の念仏者の一人をご紹介しましょう。それは、ベルギーのアントワープに慈光寺を開かれたアドリアン・ペル(一九二七―ニOO九)というお方です。ペル師は、十七歳ころから仏教に惹かれて、まずは上座部系の仏教(初期仏教)からですが、仏教を学ぶようになったとのことです。学生時代には宗教学を学ばれ、特に東洋思想に惹かれて道教の研究をされていたようですが、その中で仏教もしだいに大乗仏教―般若経や華厳思想など―を学ぶようになっていったとのことです。そんなとき、英国・ロンドンのジャック・オースチン師と文通されるようになった。オースチン師は、その数年前にすでに仏教とりわけ『歎異抄』に出遇い、他力のみ教えに傾倒されでいたのでした。

 

そして、オースチン師がアントワープを訪ねて仏教談義をされたときのことです。
まだ「他力」に徹しきることができないでいるペル師に、大乗仏教の究極としての「他力回向」を語り掛けるオースチン師、そのお二人は、夜を徹して仏教について、そして他力について、議論し合ったとのことでした。そして東の空が白むころ、疲れ果てて寝てしまったオースチン師のそばで、ペル師は朝陽がほのかに射しこむ中で、「〔如来の〕光明に照らされている」という感慨を覚えた、とのことでした。如来の大慈悲に照らされているのだ、と観じ取られたということでしょう。人間性、理性を中心とするヨーロッパの思想文化の伝統の中にあって、まれな不思議なことですが、如来の大智・大悲のはたらき、無量の光明に出遇い、他力の教えに遇われた、といえるだろうと思われます。

 

 

大悲ものうきことなく

 

ヨーロッパの篤信の念仏者をもう一人ご紹介しましょう。スイスのジュネーブに信楽寺を開かれたジャン・エラクル(一九三〇―二〇○五)というお方です。敬虔々クリスチャンの家庭に育ち、若くして司祭にまでなっていたエラクル師ですが、修道院での「黙想」の生活を好んでおられたとのことで、次第に東洋思想(インド)の神秘主義に、そして仏教に惹かれて、本格的に仏教を学ばれる、それも、法華経や華厳経などを漢訳経典で学ぶほどになられたのでした。しかし、華厳や天台などは自らの努力では不可能な道であることに気づかされて、先人の導きにも出遇って『歎異抄』などを通して真宗に帰依するに到られたのでした。そして、一九七〇年にはジュネーブで「真宗協会」を設立されるに到り、のちに信楽寺を開くことになります。「黙想」や瞑想を好んでおられたことからもうかがえるように、師は勤行を大事にされて朝夕のお勤めには「正信偶」を日本式の勤行で丁寧にお勤めされます。

 

そのお勤めについて、このような感慨を述べられています。いつも、「正信掲」をお勤めしますと、

 

極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我
のところに来ると、胸が詰まり感激のあまり涙が出るのです……。

 

と言われるのです。この四句は、「正信偈」の中の、源信和尚の教えを述べられる最後の偶文で、

 

極重の悪人はただ仏を称すべし。われまたかの摂取のかかにあれども、 煩悩、眼を障へて見たてまつらずといへども、大悲、倦きことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり。

(『註釈版聖典二○七頁』)

 

「きわめて罪の重い悪人はただ念仏すべきである。わたしもまた阿弥陀仏の光明の中に摂め取られているけれども、煩悩がわたしの眼をさえぎって、見たてまつることができない。しかしながら、阿弥陀仏の大いなる慈悲の光明は、そのようなわたしを見捨てることなく常に照らしていてくださる」と述べられた。

(『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』一五一百頁)

 

と詠われています。エラクル師は、「これは、私のために説かれているおことばだ。罪の重い、煩悩に支配された愚かなこの私に、自分の眼では見たてまつることができないでいるのに、阿弥陀如来のはたらき、慈悲の光明は、飽くことなく常に照らしていてくがさるとは……といただかれて、感涙するのだ」といわれるのです。
大悲の光明に出遇っておられる姿が、ここにあるといえるでしょう

(佐々木惠精)

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2014年1月15日 御正忌報恩講がとりおこなわれました。

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2014年1月15日に光明寺にて御正忌報恩講がとりおこなわれ、たくさんの方がお参りになりました。

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2014年2月 人は 法を求めるに止まって 法に生きることを 忘れている 法語カレンダー解説

hougo201402仏教が生きている ――法に生きる

 

二月は、高光大船(たかみつだいせん)師のお言葉をいただきました。大船師は、暁烏敏(あけがらすはや)師や藤原鉄乗(ふじわらてつじょう)師らとともに加賀の三羽烏とも敬われ、真宗大谷派の同朋会運動を生み出す源となった、篤信の念仏者であったといわれます。

 

みずからを仏法から離してその外側において「法を求める」に止まっているのではなくて、仏法の中にあって「法に生きる」のでなくては本当の仏法求道ではない、と断言されているところに、鋭い、そして真剣な「求法」の姿、「聞法」の姿が示されているとうかがわれます。学生時代に大船師に出遇われた訓覇信雄師は「仏教を生きている人がいる。仏教が生きているという事実に触れて目が覚めたんだ。……」と、最初の出遇いの印象を語られているとのことですが、今月の法語は、その意味をよく示しています。

 

 

『蓮如上人御一代記聞書』のおことばから

 

仏法が生活そのものとなるべきことを、『蓮如上人御一代記聞書(ごいちだいきききがき)』には適切な讐喩によって示されています。

 

その一つが、『聞書』第八八条に次のようにあります。

 

人のこころえのとほり申されけるに、わがこころはただ龍に水を入れ候ふやうに、仏法の御座敷にてはありがたくもたふとくも存じ候ふが、やがてもとの心中になされ候ふと、申され候ふところに、前々住上人(蓮如)仰せられ候ふ。
その寵(かご)を水につけよ、わが身をば法にひてておくべきよし仰せられ候ふよしに候ふ。万事信なきによりてわろきなり。善知識のわろきと仰せらるるは、信のなきことをくせごとと仰せられ候ふことに候ふ。

(『註釈版聖典』一二五九~一二六○頁)

 

現代語版では、次のように訳されています。

 

ある人が思っている通りをそのままに打ち明けて、「わたしの心はまるで籠に水を入れるようなもので、ご法話を聞くお座敷では、ありかたい、尊いと思うのですが、その場を離れると、たちまちもとの心に戻ってしまいます」と申しあげたところ、蓮如上人は、「その籠を水の中につけなさい。わが身を仏法の水の中にひたしておけばよいのだ」と仰せになったということです。
「何ごとも信心がないから悪いのである。よき師が悪いことだといわれるのは、他でもない。信心がないことを大きな誤りだといわれるのである」とも仰せになりました。

(『蓮如上人御一代記聞書(現代語版)』六三頁』)

 

自分のこころを籠に喩え、聴聞するみ教え(ご法義)を水に喩えて、本堂や会館で仏法を聴聞しているときは、ご法義の水がわが心の籠に入ってきて「ありかたいことだ」と思われるが、一歩外に出ると、ザルの籠からは水がすべて流れ出てしまって、もとのザルの、空の心になってしまう、と訴える聴聞者が取り上げられています。まさに、現代のせわしい社会生活を送る私どもの姿を端的に示しているといえるでしょう。蓮如上人は、即座に応えられます、「そのザルの籠を〔ご法義の〕水にひたしておきなさい」と。日々の生活そのものが仏法の中にあることが大事で、仏法がそのまま生活となるべきことをお示しくださっています。世事に忙しく追われている現代人にとって、難しいことといわれるかもしれませんが、「後生の一大事」を心にとめる場合、まさに日々の生活に仏法がある、仏法の中に生活する、仏法そのものが生活となるということが大事な事といえるでしょう。

「何ごとも信心がないから悪いのだ」といわれるのも、親鸞聖人の教えをしっかりと受け止められて「信がないのがもっともよくない」と厳しく戒められて、「ご法義の中に身を浸しておく」こと ―それが信心の姿でもあります― が大事であるとお示しくださっているといただくのです。

 

 

世間のヒマを闕きて

 

同じく『蓮如上人御一代記聞書』第一五五条に、聴聞のあるべき姿を次のように示されています。

 

仏法には世間のひまを闕(か)きてきくべし。世間の隙をあけて法をきくべきやうに思ふこと、あさましきことなり。仏法には明日といふことはあるまじきよしの仰せに候ふ。「たとひ大千(だいせん)世界に みてらん火をもすぎゆきて 仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり」と、『和讃』(浄土和讃・三一)にあそばされ候ふ。

(『註釈版聖典』一二八○頁)

 

同じく現代語版には次のように訳されています。

 

「仏法は世間の用事を差しおいて聞きなさい。世間の用事を終え、ひまな時間をつくって仏法を聞こうと思うのは、とんでもないことである。仏法においては、明日ということがあってはならない」と、蓮如上人は仰せになりました。

 

このことは『浄土和讃』にも、

 

たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきで
仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり

 

たとえ世界中に火が満ちているとしても、ひるまず進み、仏の御名を聞き信じる人は、往生成仏すべき身に定まるのである。

 

と示されています。(『蓮如上人御一代記聞書(現代語版)』 一〇〇~一〇一頁)

 

多くの人々が、次のように考えているかもしれません、―すなわち、仏教の話を聞く、ご法話を聴聞するということは、世事に忙しくしている者として、暇ができたら聴聞に行こうとか、追われている仕事をすませてからにしようとか、職を離れてある程度の年齢になってからにしようとか、と考えがちかもしれま廿ん。しかし、そのような世間的な仕事などは生涯つきるものではなく、常についてまわります。そこで、「後生の一大事」を聴聞する仏法聴聞のこころえを、蓮如上人は「世間のことに費やす時問をさいて法を聞け」とさとされています。そもそも、仏法を聞こうとしない人は、世間のことが大事、生きるための仕事が大事であるとして、ひまができたらとか、ひまがあったらとか、になりがちですが、それでは、一生聴聞の時を取ることができません。

 

親鸞聖人が命がけで「生死出づべき道」を求めて法然聖人を尋ね、念仏の道に到られた、そのおこころをいただいて、日々に、一刻一刻を聴聞の時として仏法を歩むべきことを、ここにお示しくださっているといただかれるのです。

 

二月の法語「人は 法を求めるに止まって 法に生きることを忘れている」をいただいて、仏法そのものに生きることを心にとめるべきであると受け止めさせていただくのです。仏法を対象化してしまったり、世間的なことの次に置いてしまったり、世間的なことの次に置いてしまったり、などしていては、仏法に本当に触れることはでない、仏法の中にわが身を置いて「法に生きるべし」とさとされているおことばといえるでしょう。

(佐々木惠精)

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2014年1月 み仏の み名を称ふるわが声は わが声ながら たふとかりけり 法語カレンダー解説

201401お念仏の声―――わが声に如来のおはたらきが

 

「お念仏を称える」というとき、筆者にはいつも思い出される感動の場面があります。それは、昨年(二〇一三年)の法語カレンダーを解説した『月々のことば』でも紹介したことですが、浄土真宗本願寺派の総長を長く務められた豊原大潤師がある祝賀会の席でご挨拶された時のことです。

 

豊原師は、お祝いの言葉を述べられて、ご自身の近況を次のように述べられました。

 

 私は、高齢になって耳が遠くなりました。自宅にいても家族の会話が全く聞こえません。一人ぼっちでいるような孤独の中での毎日です。そのような中で、ひとりでにお念仏を称えています。念仏申すばかりの生活なのです。ところが、ありかたいことに、自分で称えるお念仏だけは聞こえます。耳元でお念仏が響いてくださっている。これが尊い、ありかたいことです。

私か称えさせていただいているお念仏が耳元で響く、そのお念仏をいただきながら、お念仏のなかに生活させていただいています。お念仏して、阿弥陀さまにまみえながらの一日一日です、ありがたいことです・・・・

 

 

と加えられてご挨拶されたのでした。「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏……」と称えながら、阿弥陀さまの犬慈悲のおはたらきに出遇っておられる、そのお姿に感動をいただいたのです。

 

 

「南無阿弥陀仏」――――呼び名に大安堵

 

名号「南無阿弥陀仏」を称えるお念仏について、次のような説明をよくお聞きします。――幼子が「おかあちゃん!」と、母親を呼ぶ声に、「おかあちゃんはここにいるよ」と母親が応えると、母親の姿が見えなくても幼子は大安心している。「おかあちゃん」という呼び名はその幼子にとって母親の慈愛のはたらきあるものとして響いているのです。しかも、その呼び名「おかあちゃん」までも、母親に育てられていくうちに母親から教えられ与えられたもので、その呼び名を口にして母親の慈愛につつまれて安心しきっている。――「南無阿弥陀仏」と称名念仏するのは、ちょうどこのような幼子が母を呼ぶのと同じように、大慈悲のおはたらきである阿弥陀如来を、しかも阿弥陀如来から与えられた呼び名「南無阿弥陀仏」をいただいて、称えさせていただくところに、如来とともにあることに大安堵する、そのようにいただくことができるでしょう。

 

 

法味愛楽の中で

 

甲斐和里子(かいわりこ)師は、明治の世において、「仏教主義の学校が京都に一つもないのは、まことに申し訳ない」との思いからいち早く顕道女学校を、そして文中女学校を創設され、女子教育に専念されて現在の京都女子学園の基礎を築かれた、我が国の女子教育に大きな足跡を残されたすぐれた教育者でした。本願寺派の宗学者足利義山師のご息女であり、仏法の中に育たれて仏法を深く求め続けられた篤信のお方で、教育の場を離れられた後も日々法味愛楽のご生活でした。その法味をつづられたご著の一つ『草かご』には、お念仏を慶ばれるお姿がありありと著されています。今月の法語の歌についても、幾度かその心境を述べておられますが、その中から、八十九歳の時の一文をここにご紹介し、味わいを深めさせていただければ、と思います。

 

 私の口について申しあげます。もとより総入れ歯で妙な口でございますが、その妙な口からお念仏がおでましくださいます。いかなる大善大功徳よりも一声のお念仏の方がより尊いと聞かしていただいておりますが、さほど尊いお念仏が、ややもすれば人をそしったり、要らぬことを言いちらしたりする下品な下品な私の口から、昼でも夜でも、またこれを書いているただ今でもドンドン御出ましくださるということは誠に不可思議千万で、勿体のうてたまりません。
殊に人なき林の中などで声をたててお念仏していると、なんだか御浄土の如来様と御話をしているように感ぜられだして泣けてくるときがございます。

 

みほとけの御名を称ふるわが声は わがこゑながら尊かりけり

 

 私の父(足利義山)はじめ、数々の御同行さん方が、心臓麻疹や脳溢血で一声のお念仏も称えずに往生せられたことを見聞し、何となく本意なく思いつづけて居た私か突然重い胆石病にかかり、呼吸も苦しうなって来た時「サアやがて往生じゃ、ここでひとつ大声でお念仏して周囲の人々に安心して貰うてから眼を閉じましょう……」と思いたち、それこそほんまに命がけで努力して見たが遂に不可能であった。再び全快するほどの精力であってさへ右のごとくあったから、他日いよいよの時私は遂に一声のお念仏もよう称えずに往生させていただくかも知れん。されば父はじめその他の学者さんや御同行さんたちもあるいはそうであられたのかも知れん。そうとすればさぞやハガユクおぼしつつ御往生なされたであろうなど思われだして、三十年以前の其の胆石病以来一層ありがたくお念仏させていただかれるようになりました。無学な老人の私でも何の努力も要らず、安らかに安らかに称えさせていただかれる此の南無阿弥陀仏さまのあらせられることのありがたさ嬉しさは、いくら書いても際限がございませんからもうやめますが皆さまお互いに精出してお念仏して、一切有情に仏縁を結ばせてあげましょうではございませんか?

(『草かご(改訂版)』 一八五~一八六頁)

 

 

ご自分の口でお念仏しながら、その称名念仏の響きに阿弥陀如来のはたらきがとどいている、阿弥陀如来のみ手が差しのべられている、と感じ取られているお姿が、ありありとあらわされています。「南無阿弥陀仏」とともにあることの尊さを感得しておられるおことばです。

 

この一文を拝読して、親鸞聖人が『教行信証』の行文類に引用されている元照律師(がんじょうりつし)の『阿弥陀経義疏(きょうぎしょ)』のご文が思い出されます。それは次のようなご文です。

 

いはんやわが弥陀は名をもって物を接したまふ。ここをもって耳に聞き□に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入(らんにゅう)す。永く仏種となりて頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証(ぎゃくしょう)す。まことに知んぬ、少善根にあらず、これ多功徳なり

(『註釈版聖典』 一八〇頁)

 

現代語版では、次のように訳されています。

 

まして、阿弥陀仏の名号をもって衆生を摂め取られるのであるそこで、この名号を耳に聞き、口に称えると、限りない尊い功徳が心に入りこみ、長く成仏の因となって、たちまちはかり知れない長い間つくり続けてきた重い罪が除かれ、この上ない仏のさとりを得ることができる。まことにこの名号はわずかな功徳ではなく、多くの功徳をそなえていることが知られるのである。

(『教行信証(現代語版)』九七頁)

 

このように、「南無阿弥陀仏」という名号が生きとし生けるもの(衆生)をとらえて離さない、それで、み名を聞き口に称えると、如来の尊いお徳が、おはたらきが私どものこころに入り込んでくださる、と言われています。―――甲斐和里子師の歌と『草かご』の一文から、師がお念仏とともにあって如来の大慈悲に抱かれておられるおすがたがここにあるといただくのです。

(佐々木恵精)

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2014年表紙 称名とは み名を 聞くことであります 法語カレンダー解説

2014hyoushi智慧と慈悲

 

二〇一四(平成二十六)年の法語カレンダーは、前年に続いて「智慧と慈悲」をテーマとしています。仏法に出遇い、真実の道を歩むということは、如来の真実の智慧に照らされ大慈悲のはたらきにつつまれてこそ、生まれてくるといえるでしょう。

 

とりわけ、現代は、科学技術のあまりにも急速な進歩、発展に浴して便利か生活を送ることができるようになり、人間の願いや欲望を大いに満喫しているように見えるのですが、それだけなお一層、人間の自己中心的な生き方が強くなり、かえって争いや葛藤が増大し、ますます混迷の渦が深まっているように思われます。

 

釈尊以来、「人生は苦なり」と説かれていますが、「生死」の姿、すなわち、生まれてきて必ず死んでいくのだということを知識としては知りつつも、この「生死の問題」を先へ先へと追いやって、「生死出づべき道」を求める心が希薄になっているのが、この私も含めて、現代人の姿であるように思われます。そのような愚かな存在として、真実に目覚められた釈尊のみ教え、あらゆる衆生を「生死出づべき道」に導き救い取ろうとしてくださっている如来の智慧と慈悲に照らされてこそ、仏法に出遇った本当の生き方ができることになる、そのようにうかがわれるのです。

 

このような意味から、本年の法語カレンダーのテーマを、前年に続いて「智慧と慈悲」とし、先人のおことばを法語にいただいて、真実の智慧と慈悲に照らされるご縁とさせていただきたいと願っております。

 

 

称名―み名を聞く

 

表紙に、足利浄圓師のおことばをいただきました。

称名とは、 み名を 聞くことであります

 (『親鸞に出遇った人びと3』 」四九頁)

「称名」というのは、「称名念仏」といわれるように、直接には、阿弥陀さまの呼び名である名号を「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と称えることです。それは、『無量寿経』に説かれるように、「迷いのなかにあるあらゆる生きとし生けるものを真実の世界・浄土に救わずにはおかぬ」と誓われたご本願を完成されて、無量寿・無量光である阿弥陀如来となられ、いま現にはたらいてくださっています。その本願力につつまれて、報謝のこころから「南無阿弥陀仏」と称えることになる、ということであります。

 

親鸞聖人は、この「称名」について丁寧な説明を施しておられます、その意味をまずうかがうことにしましょう。聖人が八十五歳の時に書き記された『一念多念文意』に善導大師の『往生礼讃』のご文を引かれて、「称名」について説明されているのです。そのご文には、次のように記されています。

 

・・・・・「称」は御(み)なをとなふるとなり。また「称」ははかりといふこころなり。
はかりといふはもののほどを定むることなり。名号を称すること、十声(とこえ)・一声(ひとこえ)、きくひと(名号のはたらきを聞く人)、疑ふこころ一念もなければ、実報土(じっぽうど)へ生(うま)ると申すこころなり。
(『註釈版聖典』六九四頁、カッコ内は筆者記入)

 

その現代語版には、このご文が次のように訳されています。

 

 「称」は阿弥陀仏のみ名を称えるということである。また「称」の字には、「はかり」という意味もある。「はかり」というのは、ものごとの程度をそのままに定めることである。名号を称えることがわずか十声や一声のものや、ただ名号を聞いて信じるものであっても、少しも本願を疑う心がないので、真実の浄土へ生れるという意味である。

(二念多念文意(現代語版)』三九頁)

 

すなわち、「称名」とは、阿弥陀仏の名号を称えることである、その「称」には「はかり」という意味があり、ものの軽重を知る秤のように、ものの重さをそのままに定めるという意味があるといわれます。そのように説明されて、他力の称名が、「南無阿弥陀仏」という如来の名号のいわれの通りにそのままに、生きとし生ける衆生を往生成仏させる徳のあるものであることを示されるもので、衆生の往生成仏を定めるはたらきをもつものであることを意味しているとうかがわれます。また実際、「称」は、「称讃」とも言われるように、本来「たたえる」「ほめる」また「〔目方などを〕はかる」という意味であることが、国語辞典などにも示されています。聖人の説明は、まさに「称」の意味を踏まえて、「称名」を解説され、「名号を称える」という意義を明確に示してくださっているのです。名号の徳、そのおはたらきあることをそのとおりに受けとめて称えるのが「称名念仏」であり、この「私」の元では、したがって報恩のお念仏ということになる、と言い換えることができるでしょう。

 

 

「聞名」の宗教

 

さらに、足利浄圓師は、この称名の意義を深く受けとめられて、称名念仏することが、そのまま「み名を聞くことである」と示されたのです。浄圓師は、二十五歳で開教使としてアメリカにわたりカリフォルニアとハワイーホノルル本願寺で伝道に努められた後、帰国してからさらに宗学の研譜を積まれ、同朋舎を設立して仏教書の出版にも力を注ぎ、ついにはご自宅を法座「自照会」の会場に、さらに自照舎もご自宅に移して、仏法響流(こうる)に邁進された奇瑞の仏法者でありました。多く仏法愛楽のエッセー集を残されましたが、その一つに、「み名を聞くこと」について、その意味を、次のように述べておられます。

 

親鸞聖人の宗教は聞名(もんみょう)の宗教であります。称名はみ名を聞くことであります。念仏とはみ名を聞くことであります。称名念仏とは口を動かして懸命になって努力している心に価値があるのでなく、謹んでみ名において打ちあけられてある如来の御心を聞くことであります。称えるのでなく如来の真実の、自分を喚びさましてくださる御声を、そのまんま聞くところに浄土真宗の全体があり、親鸞聖人の宗教のありたけがあります。聖人の宗教は、この真実に自分を喚びさましてくださる御声を、み名において聞くだけであります。このほかに別に不思議も神秘もないのであります。

(「一樹の蔭」『親鸞に出遇った人びと3』 一四九頁)

 

ここに、親鸞聖人の示されたみ教えのかなめが「聞信」にあり「聞名」にあることが明確に示され、称名念仏もまた、報恩のこころの中に、如来のお心を聞かせていただくことがそのかなめとなっていることを示されているといただくことができるでしょう。

 

 

「私」にまで流れ出るお念仏

 

まさに「称名念仏」は、阿弥陀如来の本願のはたらきそのものであり、阿弥陀如来が私の口元にはたらいてくださっている、といただくことができるでしょう。そのお念仏のはたらきについて、浄圓師は、次のようなお言葉を示しておられます。

 

過ぎし過去の記憶をたどり、自分のこれまで歩んできた足跡を見つめて、危険な綱渡りに冷汗を覚ゆるようなことがある。また自分が現在やっていることで、よしそれを懸命になってやっていることでも、お浄土まで続くような価値のあるものでないことを見たとき、やるせなき果(はか)なさを感じる。そうした場合きっと私の口からお念仏が流れでる。私の生活においてあらゆる場合、その帰結としてお念仏が飛び出してくるのである。

私はよくこのお念仏は、何処から流れてきたものか、ということが思われるのである。一応考えると、私の育てられた家の中にお念仏申す習慣があったから、私は知らず識らずのうちに、こうした習慣になったのであるとも思われる。然し私の家のこの習慣は、何処から流れてきたかと、過去へ過去へとさかのぼって考えて行くと、私の申しているお念仏が、蓮如上人や親鸞聖人の申されたお念仏につながりをもっていることが思われる。またこのお念仏が法然聖人、源信僧都、善導大師、道緯禅師、曇鸞大師、天親菩薩、龍樹菩薩、大聖釈尊へとつながりをもっていることが思われる。もっと深く逆行して見ると阿弥陀如来の御心につながっているのである。

その御心から流れ出ている奇(く)しきお念仏は、また何処まで流れるのかと、そのゆくてをながむると、末ついに如来の御むねに流れこんでいるようである。人間の流れにむすぼれて如来の流れがあるのか、如来の流れにむすぼれて人間の流れがあるのか、この二つの流れが一如のお念仏となりて、人間の口から無限の生命として湧出している。そしてこれは、吾等をして無上仏の権威をもたせんために、如来のお心づくしから、真実土に通ずる唯一の道として開いてくださった、真実の流れであることが思われる。

(「一河の流」『親鸞に出遇った人びと3』 一五二頁)

 

「称名念仏する私」の口元に、阿弥陀如来の御心へのつながりがある、それは、「如来の願心は、われらの上に拝む手となり、称える口となり、憶念の心となりて、顕るるもの」(「続一樹の蔭」『親鸞に出遇った人びと3』 一五七頁)といわれる通りの、阿弥陀如来のおはたらきそのものであるということを、ここにお示しくださっているとうかがうのです。

(佐々木恵精)

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2013年12月 念仏者とは一切衆生を「御同朋」として見出していく存在 法語カレンダー解説

201312失われたつながり

 

私たちは、いろいろなつながりのなかに生きています。関係性のなかに生きていると言っていいのかも知れません。家族のつながり、親子、兄弟、あるいは友だち、また地域、社会とのつながり、さらには自然とのつながりもあります。本当に、多種多様な関係性のなかに生きています。目には見えないけど、複雑に絡み合い、すべてがつながりのなかにあるということに、なかなか気がつきません。それどころか、つながっていることが面倒だからと、つながりを断ち切って、つながっていないことにしてしまっているのではないでしょうか。

 

どうして、つながりを断ち切っていこうとするのでしょうか。それは、一言で言えば、自分の思いどおりにならないからでしょう。他とのつながりのなかにいれば自分一人の思いどおりにはなりませんし、自分勝手なことはできません。助け合わないと生活できない時には、つながりを切ってしまうわけにはいきませんでした。みんな足りないところを補いながら、支えあってきました。しかし、少し余裕がでて生活が楽になってくると、そのつながりが面倒で、煩わしくさえなってしまうのです。隣近所の付き合いとか親戚付き合いがそうでしょう。それが、家族のなかでさえもそうなってきているところに、問題の深さがあります。

 

貧しくて生活に余裕のなかった頃に比べると、家族の関係もずいぶん変わってきたのではないでしょうか。いつの間にか、それぞれの部屋を持つようになり、専用のテレビがあり、携帯電話があり、部屋にこもってしまえば、家族であっても何をしているのかわからないというようなことになっています。都合のいい時だけつながり、都合の悪い時はそのつながりを断ちきってしまうことができます。自分の関心だけで、家族さえも見ていこうとしているのではないでしょうか。

 

悲しいことですが、家族のなかでも思いどおりにならないと、傷つけたり、殺し合うというような事件が、よく報道されるようになりました。一緒に生活していると、考えの違いや意見の対立があるのは当然でしょう。でもそこで、理解しようと努力したり、我慢したり、自分のことを本当に心配してくれていたと気づいたりしてきたはずです。そのことより、家族とのつながりを切り捨ててでも、自分の思いを通すことが強くなったのでしょうか。どこまでも自分の都合のみを守ろうとするのでしょう。自己中心の極みとも言うべきことです。このような極端なことだけではなく、いつの間にか自己中心の生き方というのが目立ってきたように思います。時代の流れのなかで、意識しないまま、煩わしい周りとのつながりを断ってきたのではないでしょうか。

 

 

御同朋とは

 

阿弥陀仏の本願を聞き、念仏申す私たちには、どのような世界がひらかれてくるのでしょうか。生活のなかで出会っていくあらゆる人たちを、自分の都合ではなく、その人として見ていくことができるのでしょうか。親鸞聖人は、お念仏のなかにともに生きる人びとを「同朋」「とも同朋」と言われています。今月の言葉は、宮城顗(しずか)師の著書『本願に生きる』のなかの言葉です。少し前後の文章を含めてご紹介してみます。

 

「御同朋」という言葉は、実は「一切衆生」、つまり、おおよそ人間をみる眼を言い表している言葉であって、あえていえば、念仏者とは一切衆生を「御同朋」として見出していく存在。念仏者が「御同朋」なのではない。念仏者の集いが「御同朋」なのでもない。念仏者とは一切衆生、一切の人間を「御同朋」として見出していく。そういう心をたまわったものであり、その歩みを開かれたものだというべきではないか。

(『本願に生きる』七七~七八頁)

 

本願を聞きひらき、念仏に呼びさまされながら生きるもの(念仏者)に開かれてくる世界は、自ずと一切の生きとし生きるものを、ともに生きるものとして見出されるものであることが述べられています。どこまでも、自分の思いや都合でしか周りの人を見ようとしない私に、どのようにしてこのような「御同朋」の世界が開かれてくるのでしょうか。「御同朋」とは、本願に出遇い呼びさまされて、初めて見出されてくる存在です。自分の関心のあるところでしか見ることのできない私か、一切衆生を見出していくことはとてもできません。本願には「十方衆生」と呼びかけられています。

 

本願が救わずにおれないものとして見出したのが、一切衆生なのです。本願に願われ呼びかけられている存在が私です。

 

本願に願われている存在、いや願われねばならない存在としての私に出遇う時、一切の衆生をともに願われているものとして受けとめ、見出していくことができるのでしょう。その時に、自分の関心や都合を超えて、一切衆生そのもの、周りの人をその人として見出し、出会っていくことができるのではないでしょうか。人を、物のように自分の都合のいいように利用するのではなく、人を人として見出していく、そこに「御同朋」の世界、人間が人間として生きるということがあるように思います。

 

 

人間であること

 

宮城先生は、多くの著作を遺しておられます。親鸞聖人の生涯を通して、その意味を尋ねるなか、人間の誕生、人間に生まれるということを、深く問われているところがあります。法然門下の先輩である聖覚法印(せいかくほういん)が著された『唯信鈔(ゆいしんしょう)』を書写されるなか、「人間」という言葉に左訓をつけて「ひとゝむ(生)まるゝをいふ」(『定本親鸞聖人全集』第六巻・写伝篇2・四〇頁)と説明してあります。そのことについて、

 

人間とは、ひととうまれたものをいうのだという左訓は、一見、同語反復のように思えます。しかもそのような左訓を宗祖がわざわざほどこされているということは、逆に、宗祖のご生涯というものが、人と生まれたという、そのことひとつを問いつづけられたご生涯であったということを物語っているとも思えるのであります。つまり、人間とは人と生まれたというその事実を生涯にわたって問いつづけてゆくものだという、そういうひとつのうなずきがそこにはこめられてあるかと思います。

(『宗祖親鸞―生涯とその教え(上)』一七頁)

 

と述べられています。人に生まれたとはどういうことなのか。人として生きるとはどういうことなのか。人間に生まれたら人間なのか。人間の姿はしているけれども、本当に人間として生きえているのか。さまざまな問いが出てきます。

 

人間として生きるとはどういうことなのでしょう。親鸞聖人は『涅槃経』の言葉を引いて、

 

無慚愧(むざんぎ)は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。慚愧あるがゆゑに、すなはちよく父母・師長を恭敬(くぎょう)す。慚愧あるがゆえに、父母・兄弟・姉妹あることを説く。

(『註釈版聖典』二七五頁)

 

と示されます。自らを恥じることのないものは人とは言わないのです。それはあさましい生きものと言われる畜生と言うべきでしょう。いや慚愧という自らを恥じるところにこそ、目上の人を敬うことが出てくるし、恥じるということがあるから、父母とか兄弟というような本当の人間関係が生まれてくる。形だけは親子であったり、夫婦であったりするけれど、本当の親子、夫婦という関係性は、ただ自分の言いたいことだけを主張しているところにはありません。自らの自己中心性を恥じ、愚かさを、汚さを恥じるところにしか、本当の人と人とのつながりはないということでしょう。人間であることの証しを、人と人とのつながり、関係性の上に見ていかれたものとすることができるでしょう。何とも思わずに自分の都合でしか人を見ていなかったことに気づき、慚愧し、痛みとなり、悲しみとなっていくところに、人と人とのつながりが回復されていくに違いありません。

 

 

本願のまなざし

 

法然聖人は、阿弥陀さまが本願にお念仏ひとつを選ばれたことを、次のように示しておられます。

 

しかればすなはち弥陀如来、法蔵比丘(ほうぞうびく)の昔平等の慈悲に催されて、あまねく一切を摂せんがために、造像起塔等(ぞうぞうきとうとう)の諸行をもって往生の本願となしたまはず。
ただ称名念仏一行をもってその本願となしたまへり。

(『選択集』『註釈版聖典(七祖篇)』 一二〇九~一二一○頁)

 

一切の生きとし生くるものを救いとるために、私たち人間の持っているすべての価値を超えたお念仏ひとつを選び取られたのです。そこには、「造像起塔」といった、財産のある者が仏像を造り、仏塔を起てて寄進して善を積むというような、私たち人間の持っている能力や価値を、一切排して見られたまなざしがあります。お金があるとか、才能があるとか、学問があるとか、立派な生活ができるとか、いのちの後からついてきたもので一切衆生を見られたのではありません。そういうものを、救うか救わないかの基準にはされなかったのです。

 

私たちは、どこまでも自分の関心によって、もっと言えば、煩悩という自分中心の欲を満たそうとする思いによって、周囲の人と関わりを持とうとしているのではないでしょうか。そうすると、その人のいのちそのものと出遇っているのではなく、後から付いてきた、表面的なものと出合っているに過ぎないことになってしまいます。私たちの人を見るまなざしはそのようなものですから、自分の思いにかなっている時はいいのですが、そうでなくなると、いつでも切り捨て見捨てることになってしまいます。そうして、つながりを断ちきっていくことになるのです。

 

本願のまなざしに触れることによって、小さな私の思いでしか人を人として見ることができなかったばかりか、人に嫌な思いをさせ、人を踏みつけにしてきたことに、気づかされるのではないでしょうか。それが、悲しみとなり痛みとなっていく時に、一切の存在を「御同朋」として見出し、ともに生きるということがあるように思います。

 

(後藤明信)

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