2014年1月15日 御正忌報恩講がとりおこなわれました。

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2014年1月15日に光明寺にて御正忌報恩講がとりおこなわれ、たくさんの方がお参りになりました。

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2014年2月 人は 法を求めるに止まって 法に生きることを 忘れている 法語カレンダー解説

hougo201402仏教が生きている ――法に生きる

 

二月は、高光大船(たかみつだいせん)師のお言葉をいただきました。大船師は、暁烏敏(あけがらすはや)師や藤原鉄乗(ふじわらてつじょう)師らとともに加賀の三羽烏とも敬われ、真宗大谷派の同朋会運動を生み出す源となった、篤信の念仏者であったといわれます。

 

みずからを仏法から離してその外側において「法を求める」に止まっているのではなくて、仏法の中にあって「法に生きる」のでなくては本当の仏法求道ではない、と断言されているところに、鋭い、そして真剣な「求法」の姿、「聞法」の姿が示されているとうかがわれます。学生時代に大船師に出遇われた訓覇信雄師は「仏教を生きている人がいる。仏教が生きているという事実に触れて目が覚めたんだ。……」と、最初の出遇いの印象を語られているとのことですが、今月の法語は、その意味をよく示しています。

 

 

『蓮如上人御一代記聞書』のおことばから

 

仏法が生活そのものとなるべきことを、『蓮如上人御一代記聞書(ごいちだいきききがき)』には適切な讐喩によって示されています。

 

その一つが、『聞書』第八八条に次のようにあります。

 

人のこころえのとほり申されけるに、わがこころはただ龍に水を入れ候ふやうに、仏法の御座敷にてはありがたくもたふとくも存じ候ふが、やがてもとの心中になされ候ふと、申され候ふところに、前々住上人(蓮如)仰せられ候ふ。
その寵(かご)を水につけよ、わが身をば法にひてておくべきよし仰せられ候ふよしに候ふ。万事信なきによりてわろきなり。善知識のわろきと仰せらるるは、信のなきことをくせごとと仰せられ候ふことに候ふ。

(『註釈版聖典』一二五九~一二六○頁)

 

現代語版では、次のように訳されています。

 

ある人が思っている通りをそのままに打ち明けて、「わたしの心はまるで籠に水を入れるようなもので、ご法話を聞くお座敷では、ありかたい、尊いと思うのですが、その場を離れると、たちまちもとの心に戻ってしまいます」と申しあげたところ、蓮如上人は、「その籠を水の中につけなさい。わが身を仏法の水の中にひたしておけばよいのだ」と仰せになったということです。
「何ごとも信心がないから悪いのである。よき師が悪いことだといわれるのは、他でもない。信心がないことを大きな誤りだといわれるのである」とも仰せになりました。

(『蓮如上人御一代記聞書(現代語版)』六三頁』)

 

自分のこころを籠に喩え、聴聞するみ教え(ご法義)を水に喩えて、本堂や会館で仏法を聴聞しているときは、ご法義の水がわが心の籠に入ってきて「ありかたいことだ」と思われるが、一歩外に出ると、ザルの籠からは水がすべて流れ出てしまって、もとのザルの、空の心になってしまう、と訴える聴聞者が取り上げられています。まさに、現代のせわしい社会生活を送る私どもの姿を端的に示しているといえるでしょう。蓮如上人は、即座に応えられます、「そのザルの籠を〔ご法義の〕水にひたしておきなさい」と。日々の生活そのものが仏法の中にあることが大事で、仏法がそのまま生活となるべきことをお示しくださっています。世事に忙しく追われている現代人にとって、難しいことといわれるかもしれませんが、「後生の一大事」を心にとめる場合、まさに日々の生活に仏法がある、仏法の中に生活する、仏法そのものが生活となるということが大事な事といえるでしょう。

「何ごとも信心がないから悪いのだ」といわれるのも、親鸞聖人の教えをしっかりと受け止められて「信がないのがもっともよくない」と厳しく戒められて、「ご法義の中に身を浸しておく」こと ―それが信心の姿でもあります― が大事であるとお示しくださっているといただくのです。

 

 

世間のヒマを闕きて

 

同じく『蓮如上人御一代記聞書』第一五五条に、聴聞のあるべき姿を次のように示されています。

 

仏法には世間のひまを闕(か)きてきくべし。世間の隙をあけて法をきくべきやうに思ふこと、あさましきことなり。仏法には明日といふことはあるまじきよしの仰せに候ふ。「たとひ大千(だいせん)世界に みてらん火をもすぎゆきて 仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり」と、『和讃』(浄土和讃・三一)にあそばされ候ふ。

(『註釈版聖典』一二八○頁)

 

同じく現代語版には次のように訳されています。

 

「仏法は世間の用事を差しおいて聞きなさい。世間の用事を終え、ひまな時間をつくって仏法を聞こうと思うのは、とんでもないことである。仏法においては、明日ということがあってはならない」と、蓮如上人は仰せになりました。

 

このことは『浄土和讃』にも、

 

たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきで
仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり

 

たとえ世界中に火が満ちているとしても、ひるまず進み、仏の御名を聞き信じる人は、往生成仏すべき身に定まるのである。

 

と示されています。(『蓮如上人御一代記聞書(現代語版)』 一〇〇~一〇一頁)

 

多くの人々が、次のように考えているかもしれません、―すなわち、仏教の話を聞く、ご法話を聴聞するということは、世事に忙しくしている者として、暇ができたら聴聞に行こうとか、追われている仕事をすませてからにしようとか、職を離れてある程度の年齢になってからにしようとか、と考えがちかもしれま廿ん。しかし、そのような世間的な仕事などは生涯つきるものではなく、常についてまわります。そこで、「後生の一大事」を聴聞する仏法聴聞のこころえを、蓮如上人は「世間のことに費やす時問をさいて法を聞け」とさとされています。そもそも、仏法を聞こうとしない人は、世間のことが大事、生きるための仕事が大事であるとして、ひまができたらとか、ひまがあったらとか、になりがちですが、それでは、一生聴聞の時を取ることができません。

 

親鸞聖人が命がけで「生死出づべき道」を求めて法然聖人を尋ね、念仏の道に到られた、そのおこころをいただいて、日々に、一刻一刻を聴聞の時として仏法を歩むべきことを、ここにお示しくださっているといただかれるのです。

 

二月の法語「人は 法を求めるに止まって 法に生きることを忘れている」をいただいて、仏法そのものに生きることを心にとめるべきであると受け止めさせていただくのです。仏法を対象化してしまったり、世間的なことの次に置いてしまったり、世間的なことの次に置いてしまったり、などしていては、仏法に本当に触れることはでない、仏法の中にわが身を置いて「法に生きるべし」とさとされているおことばといえるでしょう。

(佐々木惠精)

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2014年1月 み仏の み名を称ふるわが声は わが声ながら たふとかりけり 法語カレンダー解説

201401お念仏の声―――わが声に如来のおはたらきが

 

「お念仏を称える」というとき、筆者にはいつも思い出される感動の場面があります。それは、昨年(二〇一三年)の法語カレンダーを解説した『月々のことば』でも紹介したことですが、浄土真宗本願寺派の総長を長く務められた豊原大潤師がある祝賀会の席でご挨拶された時のことです。

 

豊原師は、お祝いの言葉を述べられて、ご自身の近況を次のように述べられました。

 

 私は、高齢になって耳が遠くなりました。自宅にいても家族の会話が全く聞こえません。一人ぼっちでいるような孤独の中での毎日です。そのような中で、ひとりでにお念仏を称えています。念仏申すばかりの生活なのです。ところが、ありかたいことに、自分で称えるお念仏だけは聞こえます。耳元でお念仏が響いてくださっている。これが尊い、ありかたいことです。

私か称えさせていただいているお念仏が耳元で響く、そのお念仏をいただきながら、お念仏のなかに生活させていただいています。お念仏して、阿弥陀さまにまみえながらの一日一日です、ありがたいことです・・・・

 

 

と加えられてご挨拶されたのでした。「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏……」と称えながら、阿弥陀さまの犬慈悲のおはたらきに出遇っておられる、そのお姿に感動をいただいたのです。

 

 

「南無阿弥陀仏」――――呼び名に大安堵

 

名号「南無阿弥陀仏」を称えるお念仏について、次のような説明をよくお聞きします。――幼子が「おかあちゃん!」と、母親を呼ぶ声に、「おかあちゃんはここにいるよ」と母親が応えると、母親の姿が見えなくても幼子は大安心している。「おかあちゃん」という呼び名はその幼子にとって母親の慈愛のはたらきあるものとして響いているのです。しかも、その呼び名「おかあちゃん」までも、母親に育てられていくうちに母親から教えられ与えられたもので、その呼び名を口にして母親の慈愛につつまれて安心しきっている。――「南無阿弥陀仏」と称名念仏するのは、ちょうどこのような幼子が母を呼ぶのと同じように、大慈悲のおはたらきである阿弥陀如来を、しかも阿弥陀如来から与えられた呼び名「南無阿弥陀仏」をいただいて、称えさせていただくところに、如来とともにあることに大安堵する、そのようにいただくことができるでしょう。

 

 

法味愛楽の中で

 

甲斐和里子(かいわりこ)師は、明治の世において、「仏教主義の学校が京都に一つもないのは、まことに申し訳ない」との思いからいち早く顕道女学校を、そして文中女学校を創設され、女子教育に専念されて現在の京都女子学園の基礎を築かれた、我が国の女子教育に大きな足跡を残されたすぐれた教育者でした。本願寺派の宗学者足利義山師のご息女であり、仏法の中に育たれて仏法を深く求め続けられた篤信のお方で、教育の場を離れられた後も日々法味愛楽のご生活でした。その法味をつづられたご著の一つ『草かご』には、お念仏を慶ばれるお姿がありありと著されています。今月の法語の歌についても、幾度かその心境を述べておられますが、その中から、八十九歳の時の一文をここにご紹介し、味わいを深めさせていただければ、と思います。

 

 私の口について申しあげます。もとより総入れ歯で妙な口でございますが、その妙な口からお念仏がおでましくださいます。いかなる大善大功徳よりも一声のお念仏の方がより尊いと聞かしていただいておりますが、さほど尊いお念仏が、ややもすれば人をそしったり、要らぬことを言いちらしたりする下品な下品な私の口から、昼でも夜でも、またこれを書いているただ今でもドンドン御出ましくださるということは誠に不可思議千万で、勿体のうてたまりません。
殊に人なき林の中などで声をたててお念仏していると、なんだか御浄土の如来様と御話をしているように感ぜられだして泣けてくるときがございます。

 

みほとけの御名を称ふるわが声は わがこゑながら尊かりけり

 

 私の父(足利義山)はじめ、数々の御同行さん方が、心臓麻疹や脳溢血で一声のお念仏も称えずに往生せられたことを見聞し、何となく本意なく思いつづけて居た私か突然重い胆石病にかかり、呼吸も苦しうなって来た時「サアやがて往生じゃ、ここでひとつ大声でお念仏して周囲の人々に安心して貰うてから眼を閉じましょう……」と思いたち、それこそほんまに命がけで努力して見たが遂に不可能であった。再び全快するほどの精力であってさへ右のごとくあったから、他日いよいよの時私は遂に一声のお念仏もよう称えずに往生させていただくかも知れん。されば父はじめその他の学者さんや御同行さんたちもあるいはそうであられたのかも知れん。そうとすればさぞやハガユクおぼしつつ御往生なされたであろうなど思われだして、三十年以前の其の胆石病以来一層ありがたくお念仏させていただかれるようになりました。無学な老人の私でも何の努力も要らず、安らかに安らかに称えさせていただかれる此の南無阿弥陀仏さまのあらせられることのありがたさ嬉しさは、いくら書いても際限がございませんからもうやめますが皆さまお互いに精出してお念仏して、一切有情に仏縁を結ばせてあげましょうではございませんか?

(『草かご(改訂版)』 一八五~一八六頁)

 

 

ご自分の口でお念仏しながら、その称名念仏の響きに阿弥陀如来のはたらきがとどいている、阿弥陀如来のみ手が差しのべられている、と感じ取られているお姿が、ありありとあらわされています。「南無阿弥陀仏」とともにあることの尊さを感得しておられるおことばです。

 

この一文を拝読して、親鸞聖人が『教行信証』の行文類に引用されている元照律師(がんじょうりつし)の『阿弥陀経義疏(きょうぎしょ)』のご文が思い出されます。それは次のようなご文です。

 

いはんやわが弥陀は名をもって物を接したまふ。ここをもって耳に聞き□に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入(らんにゅう)す。永く仏種となりて頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証(ぎゃくしょう)す。まことに知んぬ、少善根にあらず、これ多功徳なり

(『註釈版聖典』 一八〇頁)

 

現代語版では、次のように訳されています。

 

まして、阿弥陀仏の名号をもって衆生を摂め取られるのであるそこで、この名号を耳に聞き、口に称えると、限りない尊い功徳が心に入りこみ、長く成仏の因となって、たちまちはかり知れない長い間つくり続けてきた重い罪が除かれ、この上ない仏のさとりを得ることができる。まことにこの名号はわずかな功徳ではなく、多くの功徳をそなえていることが知られるのである。

(『教行信証(現代語版)』九七頁)

 

このように、「南無阿弥陀仏」という名号が生きとし生けるもの(衆生)をとらえて離さない、それで、み名を聞き口に称えると、如来の尊いお徳が、おはたらきが私どものこころに入り込んでくださる、と言われています。―――甲斐和里子師の歌と『草かご』の一文から、師がお念仏とともにあって如来の大慈悲に抱かれておられるおすがたがここにあるといただくのです。

(佐々木恵精)

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2014年表紙 称名とは み名を 聞くことであります 法語カレンダー解説

2014hyoushi智慧と慈悲

 

二〇一四(平成二十六)年の法語カレンダーは、前年に続いて「智慧と慈悲」をテーマとしています。仏法に出遇い、真実の道を歩むということは、如来の真実の智慧に照らされ大慈悲のはたらきにつつまれてこそ、生まれてくるといえるでしょう。

 

とりわけ、現代は、科学技術のあまりにも急速な進歩、発展に浴して便利か生活を送ることができるようになり、人間の願いや欲望を大いに満喫しているように見えるのですが、それだけなお一層、人間の自己中心的な生き方が強くなり、かえって争いや葛藤が増大し、ますます混迷の渦が深まっているように思われます。

 

釈尊以来、「人生は苦なり」と説かれていますが、「生死」の姿、すなわち、生まれてきて必ず死んでいくのだということを知識としては知りつつも、この「生死の問題」を先へ先へと追いやって、「生死出づべき道」を求める心が希薄になっているのが、この私も含めて、現代人の姿であるように思われます。そのような愚かな存在として、真実に目覚められた釈尊のみ教え、あらゆる衆生を「生死出づべき道」に導き救い取ろうとしてくださっている如来の智慧と慈悲に照らされてこそ、仏法に出遇った本当の生き方ができることになる、そのようにうかがわれるのです。

 

このような意味から、本年の法語カレンダーのテーマを、前年に続いて「智慧と慈悲」とし、先人のおことばを法語にいただいて、真実の智慧と慈悲に照らされるご縁とさせていただきたいと願っております。

 

 

称名―み名を聞く

 

表紙に、足利浄圓師のおことばをいただきました。

称名とは、 み名を 聞くことであります

 (『親鸞に出遇った人びと3』 」四九頁)

「称名」というのは、「称名念仏」といわれるように、直接には、阿弥陀さまの呼び名である名号を「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と称えることです。それは、『無量寿経』に説かれるように、「迷いのなかにあるあらゆる生きとし生けるものを真実の世界・浄土に救わずにはおかぬ」と誓われたご本願を完成されて、無量寿・無量光である阿弥陀如来となられ、いま現にはたらいてくださっています。その本願力につつまれて、報謝のこころから「南無阿弥陀仏」と称えることになる、ということであります。

 

親鸞聖人は、この「称名」について丁寧な説明を施しておられます、その意味をまずうかがうことにしましょう。聖人が八十五歳の時に書き記された『一念多念文意』に善導大師の『往生礼讃』のご文を引かれて、「称名」について説明されているのです。そのご文には、次のように記されています。

 

・・・・・「称」は御(み)なをとなふるとなり。また「称」ははかりといふこころなり。
はかりといふはもののほどを定むることなり。名号を称すること、十声(とこえ)・一声(ひとこえ)、きくひと(名号のはたらきを聞く人)、疑ふこころ一念もなければ、実報土(じっぽうど)へ生(うま)ると申すこころなり。
(『註釈版聖典』六九四頁、カッコ内は筆者記入)

 

その現代語版には、このご文が次のように訳されています。

 

 「称」は阿弥陀仏のみ名を称えるということである。また「称」の字には、「はかり」という意味もある。「はかり」というのは、ものごとの程度をそのままに定めることである。名号を称えることがわずか十声や一声のものや、ただ名号を聞いて信じるものであっても、少しも本願を疑う心がないので、真実の浄土へ生れるという意味である。

(二念多念文意(現代語版)』三九頁)

 

すなわち、「称名」とは、阿弥陀仏の名号を称えることである、その「称」には「はかり」という意味があり、ものの軽重を知る秤のように、ものの重さをそのままに定めるという意味があるといわれます。そのように説明されて、他力の称名が、「南無阿弥陀仏」という如来の名号のいわれの通りにそのままに、生きとし生ける衆生を往生成仏させる徳のあるものであることを示されるもので、衆生の往生成仏を定めるはたらきをもつものであることを意味しているとうかがわれます。また実際、「称」は、「称讃」とも言われるように、本来「たたえる」「ほめる」また「〔目方などを〕はかる」という意味であることが、国語辞典などにも示されています。聖人の説明は、まさに「称」の意味を踏まえて、「称名」を解説され、「名号を称える」という意義を明確に示してくださっているのです。名号の徳、そのおはたらきあることをそのとおりに受けとめて称えるのが「称名念仏」であり、この「私」の元では、したがって報恩のお念仏ということになる、と言い換えることができるでしょう。

 

 

「聞名」の宗教

 

さらに、足利浄圓師は、この称名の意義を深く受けとめられて、称名念仏することが、そのまま「み名を聞くことである」と示されたのです。浄圓師は、二十五歳で開教使としてアメリカにわたりカリフォルニアとハワイーホノルル本願寺で伝道に努められた後、帰国してからさらに宗学の研譜を積まれ、同朋舎を設立して仏教書の出版にも力を注ぎ、ついにはご自宅を法座「自照会」の会場に、さらに自照舎もご自宅に移して、仏法響流(こうる)に邁進された奇瑞の仏法者でありました。多く仏法愛楽のエッセー集を残されましたが、その一つに、「み名を聞くこと」について、その意味を、次のように述べておられます。

 

親鸞聖人の宗教は聞名(もんみょう)の宗教であります。称名はみ名を聞くことであります。念仏とはみ名を聞くことであります。称名念仏とは口を動かして懸命になって努力している心に価値があるのでなく、謹んでみ名において打ちあけられてある如来の御心を聞くことであります。称えるのでなく如来の真実の、自分を喚びさましてくださる御声を、そのまんま聞くところに浄土真宗の全体があり、親鸞聖人の宗教のありたけがあります。聖人の宗教は、この真実に自分を喚びさましてくださる御声を、み名において聞くだけであります。このほかに別に不思議も神秘もないのであります。

(「一樹の蔭」『親鸞に出遇った人びと3』 一四九頁)

 

ここに、親鸞聖人の示されたみ教えのかなめが「聞信」にあり「聞名」にあることが明確に示され、称名念仏もまた、報恩のこころの中に、如来のお心を聞かせていただくことがそのかなめとなっていることを示されているといただくことができるでしょう。

 

 

「私」にまで流れ出るお念仏

 

まさに「称名念仏」は、阿弥陀如来の本願のはたらきそのものであり、阿弥陀如来が私の口元にはたらいてくださっている、といただくことができるでしょう。そのお念仏のはたらきについて、浄圓師は、次のようなお言葉を示しておられます。

 

過ぎし過去の記憶をたどり、自分のこれまで歩んできた足跡を見つめて、危険な綱渡りに冷汗を覚ゆるようなことがある。また自分が現在やっていることで、よしそれを懸命になってやっていることでも、お浄土まで続くような価値のあるものでないことを見たとき、やるせなき果(はか)なさを感じる。そうした場合きっと私の口からお念仏が流れでる。私の生活においてあらゆる場合、その帰結としてお念仏が飛び出してくるのである。

私はよくこのお念仏は、何処から流れてきたものか、ということが思われるのである。一応考えると、私の育てられた家の中にお念仏申す習慣があったから、私は知らず識らずのうちに、こうした習慣になったのであるとも思われる。然し私の家のこの習慣は、何処から流れてきたかと、過去へ過去へとさかのぼって考えて行くと、私の申しているお念仏が、蓮如上人や親鸞聖人の申されたお念仏につながりをもっていることが思われる。またこのお念仏が法然聖人、源信僧都、善導大師、道緯禅師、曇鸞大師、天親菩薩、龍樹菩薩、大聖釈尊へとつながりをもっていることが思われる。もっと深く逆行して見ると阿弥陀如来の御心につながっているのである。

その御心から流れ出ている奇(く)しきお念仏は、また何処まで流れるのかと、そのゆくてをながむると、末ついに如来の御むねに流れこんでいるようである。人間の流れにむすぼれて如来の流れがあるのか、如来の流れにむすぼれて人間の流れがあるのか、この二つの流れが一如のお念仏となりて、人間の口から無限の生命として湧出している。そしてこれは、吾等をして無上仏の権威をもたせんために、如来のお心づくしから、真実土に通ずる唯一の道として開いてくださった、真実の流れであることが思われる。

(「一河の流」『親鸞に出遇った人びと3』 一五二頁)

 

「称名念仏する私」の口元に、阿弥陀如来の御心へのつながりがある、それは、「如来の願心は、われらの上に拝む手となり、称える口となり、憶念の心となりて、顕るるもの」(「続一樹の蔭」『親鸞に出遇った人びと3』 一五七頁)といわれる通りの、阿弥陀如来のおはたらきそのものであるということを、ここにお示しくださっているとうかがうのです。

(佐々木恵精)

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2013年12月 念仏者とは一切衆生を「御同朋」として見出していく存在 法語カレンダー解説

201312失われたつながり

 

私たちは、いろいろなつながりのなかに生きています。関係性のなかに生きていると言っていいのかも知れません。家族のつながり、親子、兄弟、あるいは友だち、また地域、社会とのつながり、さらには自然とのつながりもあります。本当に、多種多様な関係性のなかに生きています。目には見えないけど、複雑に絡み合い、すべてがつながりのなかにあるということに、なかなか気がつきません。それどころか、つながっていることが面倒だからと、つながりを断ち切って、つながっていないことにしてしまっているのではないでしょうか。

 

どうして、つながりを断ち切っていこうとするのでしょうか。それは、一言で言えば、自分の思いどおりにならないからでしょう。他とのつながりのなかにいれば自分一人の思いどおりにはなりませんし、自分勝手なことはできません。助け合わないと生活できない時には、つながりを切ってしまうわけにはいきませんでした。みんな足りないところを補いながら、支えあってきました。しかし、少し余裕がでて生活が楽になってくると、そのつながりが面倒で、煩わしくさえなってしまうのです。隣近所の付き合いとか親戚付き合いがそうでしょう。それが、家族のなかでさえもそうなってきているところに、問題の深さがあります。

 

貧しくて生活に余裕のなかった頃に比べると、家族の関係もずいぶん変わってきたのではないでしょうか。いつの間にか、それぞれの部屋を持つようになり、専用のテレビがあり、携帯電話があり、部屋にこもってしまえば、家族であっても何をしているのかわからないというようなことになっています。都合のいい時だけつながり、都合の悪い時はそのつながりを断ちきってしまうことができます。自分の関心だけで、家族さえも見ていこうとしているのではないでしょうか。

 

悲しいことですが、家族のなかでも思いどおりにならないと、傷つけたり、殺し合うというような事件が、よく報道されるようになりました。一緒に生活していると、考えの違いや意見の対立があるのは当然でしょう。でもそこで、理解しようと努力したり、我慢したり、自分のことを本当に心配してくれていたと気づいたりしてきたはずです。そのことより、家族とのつながりを切り捨ててでも、自分の思いを通すことが強くなったのでしょうか。どこまでも自分の都合のみを守ろうとするのでしょう。自己中心の極みとも言うべきことです。このような極端なことだけではなく、いつの間にか自己中心の生き方というのが目立ってきたように思います。時代の流れのなかで、意識しないまま、煩わしい周りとのつながりを断ってきたのではないでしょうか。

 

 

御同朋とは

 

阿弥陀仏の本願を聞き、念仏申す私たちには、どのような世界がひらかれてくるのでしょうか。生活のなかで出会っていくあらゆる人たちを、自分の都合ではなく、その人として見ていくことができるのでしょうか。親鸞聖人は、お念仏のなかにともに生きる人びとを「同朋」「とも同朋」と言われています。今月の言葉は、宮城顗(しずか)師の著書『本願に生きる』のなかの言葉です。少し前後の文章を含めてご紹介してみます。

 

「御同朋」という言葉は、実は「一切衆生」、つまり、おおよそ人間をみる眼を言い表している言葉であって、あえていえば、念仏者とは一切衆生を「御同朋」として見出していく存在。念仏者が「御同朋」なのではない。念仏者の集いが「御同朋」なのでもない。念仏者とは一切衆生、一切の人間を「御同朋」として見出していく。そういう心をたまわったものであり、その歩みを開かれたものだというべきではないか。

(『本願に生きる』七七~七八頁)

 

本願を聞きひらき、念仏に呼びさまされながら生きるもの(念仏者)に開かれてくる世界は、自ずと一切の生きとし生きるものを、ともに生きるものとして見出されるものであることが述べられています。どこまでも、自分の思いや都合でしか周りの人を見ようとしない私に、どのようにしてこのような「御同朋」の世界が開かれてくるのでしょうか。「御同朋」とは、本願に出遇い呼びさまされて、初めて見出されてくる存在です。自分の関心のあるところでしか見ることのできない私か、一切衆生を見出していくことはとてもできません。本願には「十方衆生」と呼びかけられています。

 

本願が救わずにおれないものとして見出したのが、一切衆生なのです。本願に願われ呼びかけられている存在が私です。

 

本願に願われている存在、いや願われねばならない存在としての私に出遇う時、一切の衆生をともに願われているものとして受けとめ、見出していくことができるのでしょう。その時に、自分の関心や都合を超えて、一切衆生そのもの、周りの人をその人として見出し、出会っていくことができるのではないでしょうか。人を、物のように自分の都合のいいように利用するのではなく、人を人として見出していく、そこに「御同朋」の世界、人間が人間として生きるということがあるように思います。

 

 

人間であること

 

宮城先生は、多くの著作を遺しておられます。親鸞聖人の生涯を通して、その意味を尋ねるなか、人間の誕生、人間に生まれるということを、深く問われているところがあります。法然門下の先輩である聖覚法印(せいかくほういん)が著された『唯信鈔(ゆいしんしょう)』を書写されるなか、「人間」という言葉に左訓をつけて「ひとゝむ(生)まるゝをいふ」(『定本親鸞聖人全集』第六巻・写伝篇2・四〇頁)と説明してあります。そのことについて、

 

人間とは、ひととうまれたものをいうのだという左訓は、一見、同語反復のように思えます。しかもそのような左訓を宗祖がわざわざほどこされているということは、逆に、宗祖のご生涯というものが、人と生まれたという、そのことひとつを問いつづけられたご生涯であったということを物語っているとも思えるのであります。つまり、人間とは人と生まれたというその事実を生涯にわたって問いつづけてゆくものだという、そういうひとつのうなずきがそこにはこめられてあるかと思います。

(『宗祖親鸞―生涯とその教え(上)』一七頁)

 

と述べられています。人に生まれたとはどういうことなのか。人として生きるとはどういうことなのか。人間に生まれたら人間なのか。人間の姿はしているけれども、本当に人間として生きえているのか。さまざまな問いが出てきます。

 

人間として生きるとはどういうことなのでしょう。親鸞聖人は『涅槃経』の言葉を引いて、

 

無慚愧(むざんぎ)は名づけて人とせず、名づけて畜生とす。慚愧あるがゆゑに、すなはちよく父母・師長を恭敬(くぎょう)す。慚愧あるがゆえに、父母・兄弟・姉妹あることを説く。

(『註釈版聖典』二七五頁)

 

と示されます。自らを恥じることのないものは人とは言わないのです。それはあさましい生きものと言われる畜生と言うべきでしょう。いや慚愧という自らを恥じるところにこそ、目上の人を敬うことが出てくるし、恥じるということがあるから、父母とか兄弟というような本当の人間関係が生まれてくる。形だけは親子であったり、夫婦であったりするけれど、本当の親子、夫婦という関係性は、ただ自分の言いたいことだけを主張しているところにはありません。自らの自己中心性を恥じ、愚かさを、汚さを恥じるところにしか、本当の人と人とのつながりはないということでしょう。人間であることの証しを、人と人とのつながり、関係性の上に見ていかれたものとすることができるでしょう。何とも思わずに自分の都合でしか人を見ていなかったことに気づき、慚愧し、痛みとなり、悲しみとなっていくところに、人と人とのつながりが回復されていくに違いありません。

 

 

本願のまなざし

 

法然聖人は、阿弥陀さまが本願にお念仏ひとつを選ばれたことを、次のように示しておられます。

 

しかればすなはち弥陀如来、法蔵比丘(ほうぞうびく)の昔平等の慈悲に催されて、あまねく一切を摂せんがために、造像起塔等(ぞうぞうきとうとう)の諸行をもって往生の本願となしたまはず。
ただ称名念仏一行をもってその本願となしたまへり。

(『選択集』『註釈版聖典(七祖篇)』 一二〇九~一二一○頁)

 

一切の生きとし生くるものを救いとるために、私たち人間の持っているすべての価値を超えたお念仏ひとつを選び取られたのです。そこには、「造像起塔」といった、財産のある者が仏像を造り、仏塔を起てて寄進して善を積むというような、私たち人間の持っている能力や価値を、一切排して見られたまなざしがあります。お金があるとか、才能があるとか、学問があるとか、立派な生活ができるとか、いのちの後からついてきたもので一切衆生を見られたのではありません。そういうものを、救うか救わないかの基準にはされなかったのです。

 

私たちは、どこまでも自分の関心によって、もっと言えば、煩悩という自分中心の欲を満たそうとする思いによって、周囲の人と関わりを持とうとしているのではないでしょうか。そうすると、その人のいのちそのものと出遇っているのではなく、後から付いてきた、表面的なものと出合っているに過ぎないことになってしまいます。私たちの人を見るまなざしはそのようなものですから、自分の思いにかなっている時はいいのですが、そうでなくなると、いつでも切り捨て見捨てることになってしまいます。そうして、つながりを断ちきっていくことになるのです。

 

本願のまなざしに触れることによって、小さな私の思いでしか人を人として見ることができなかったばかりか、人に嫌な思いをさせ、人を踏みつけにしてきたことに、気づかされるのではないでしょうか。それが、悲しみとなり痛みとなっていく時に、一切の存在を「御同朋」として見出し、ともに生きるということがあるように思います。

 

(後藤明信)

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青蓮仏教若婦人会 秋の研修会が開催されました。

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11月6日、ポカポカ陽気のこの日、当山 青蓮仏教若婦人会 秋の研修会を開催いたしました。   お勤めの後、ご法活を聴聞し、お楽しみ会としてフラワーアレンジメントを学びました。 昨年までは生花を使っていましたが、 … 続きを読む

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2013年11月 忘れても 慈悲に照らされて 南無阿弥陀仏 法語カレンダー解説

hougo201311あるがまま

 

秋の深まりとともに、見事に色づいた葉っぱが自然のままにパラパラと散っていく姿は、いろんなことを問いかけ教えてくれます。

はからいを超えた自然そのものであり、あるがままのすばらしさでしょう。葉っぱも春に芽吹いて、夏には青々と繁り、そして季節とともに色を変えながら、最後は散っていくのです。私も間違いなく、いのち終わっていかなくてはならないのですが、葉っぱのようにパラパラとはいきそうもありません。握りしめて放したくないものばかりです。若さを握りしめ、健康を、家族を、財産を、地位を、名誉をというように、挙げたらきりがありません。何よりいのちそのものを握りしめているのですから。ありのままに散っていく葉っぱは、「あなたは何を握りしめているのか」と問いかけます。

 

現代の私たちの生活は、ますます窮屈で生きにくくなるばかりです。頼りになるのは自分だけだと、脇目もふらず、財や地位を手に入れようと必死で働いています。その頼りであるはずのわが身が突然の病に倒れたり、そうでなくても衰え病んでいくのです。まったくあてにならないものを頼りにし握りしめて、その挙げ句に、こんなはずではなかったと涙を流し苦悩しているのが、私たちのあり方にほかなりません。さらに悲しいことには、あてにならないとわかっていても、あてにせずにおれないのです。

 

しかし、そんな何でも私が私がと力んで、私の確かさを根拠にしようとする生き方から解放されている人がおられます。こんな私をそのまま受けとめ、何があろうともしっかりと支えずにはおかないという大いなる願いのなかに、自在に生きる道があるのだと教えてくださっているのが、妙好人(みょうこうにん)と呼ばれた人びとです。

 

 

妙好人才市さん

 

今月は、そんな妙好人としてよく知られている浅原才市(さいち)さんの言葉です。才市さんは、嘉永三(一八五〇)年に島根県温泉津町(現大田市)小浜に生まれ、若い頃は船大工として働き、五十五歳の頃から下駄職人として生計をたてていました。若い頃から聴聞を重ねたようで、南無阿弥陀仏のこころをどこまでも聞きぬいたに違いありません。六十四歳の頃から、ご法義の味わいを自ら「口あい」と呼ぶ歌にして、ノートに書き残し始めています。下駄作りのかたわら、心に浮かんだことを仕事中はかんな屑などに書き留め、夜になってからノートに書き写したものです。そして、昭和七(一九三二)年に八十三歳で浄土往生を遂げるまでの約二十年間に、いまわかっているものだけで、六千首もの法悦(ほうえつ)の歌を残しています。

 

これら才市さんの多くの歌に満ちあふれているのは、「南無阿弥陀仏」にほかなりません。その歌のほとんどは、「南無阿弥陀仏」か「ご恩うれしや 南無阿弥陀仏」で結ばれています。それは、才市さんが称えるよろこびあふれるお念仏であることは言うまでもありませんが、南無阿弥陀仏そのものが才市さんの上にいきいきとはたらいている躍動感あふれる姿と言えるでしょう。

 

才市さんは、いま現にこのわが身に届いてはたらきつつあるもの、わが身を揺り動かし目覚めしめつつあるものを、南無阿弥陀仏といただいたのです。それは私からのアプローチではなく、徹底して仏さまの側からのはたらきかけです。私が理解したから、私がつかんでいるから、私が思っているから、ということではありません。それはみな私が前提となっています。いつの間にか、私を確かなものとしているのです。

 

才市さんは、南無阿弥陀仏の確かさを聞きぬきました。私が理解したから間違いがないと、私を確かさの根拠にするのではなく、不確かな私を救わずにおれないという南無阿弥陀仏の救いにおまかせしたのです。

 

才市さんの数多い「口あい」のなかから、少しその味わいをうかがってみましょう。

 

あなた わかしを どうしてすくう
わたしゃ ひとつも 合点がいらぬ
合点がいらずば その機のままよ
ご恩うれしや 南無阿弥陀仏

『ご恩うれしゃ』二二頁)

 

阿弥陀さまを「あなた」と呼んで、二人だけの対話を楽しんでいるような歌です。

 

こんな私をどのようにして救うのか、私の理屈で理解したから救われるとか、救われないとか、そんな私の理解(合点)などとっくに超えているのが、この南無阿弥陀仏の救いです。どこまでもあてにならない、わが身やわが心を当てにして苦悩している私(その機)を、そのまま救うというお慈悲がありがたくて、よろこばずにおれないのです。

 

忘れても

 

あらためて今月の言葉である才市さんの歌をみてみましょう。

 

忘れても 慈悲に照らされ 南無阿弥陀仏

 

私が阿弥陀さまのお慈悲を思っている時間など、たかが知れています。思い起こすどころか、忘れっぱなしです。思い出しても、すぐに忘れてしまいます。私はいつでも煩悩の虜になって、欲にまみれ、腹立ち、自分中心の愚かさで一杯です。恥ずかしいけれど、私から出てくるのはこれしかありません。阿弥陀さまが先にはたらきだして、こんな私が照らし出され、教えられて、私が忘れても、忘れられないとはたらき続ける親さまがすでに私の声となって、南無阿弥陀仏と名告(なの)りをあげていてくだざるのです。

 

この才市さんの心を、もう少しつぶさにうたった歌があります。

 

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
忘れて暮らす わたくしに
南無阿弥陀仏が さきにでて
思い出すのは いつでもあとよ
わたしゃつまらん(だめだ) あとばかり
わしのこころが さきならだめよ
おやのお慈悲が さきにある
おやのお慈悲は さきばかり
わしの返事は あとばかり
ご恩うれしや 南無阿弥陀仏

(『ご恩うれしや』一五九頁)

 

いつも先に出てくださるお念仏。自分のことで精一杯、自分の都合ばかりで、右往左往している私を揺り動かし、呼び覚ましてくださるお念仏。どこまでも、この私を照らして止まないはたらきなのです。そのはたらきが私の声となり、響きとなっているのがお念仏ですから、才市さんは私が称えるのではないと歌っています。

 

名号(を) わしが称えるじゃない
わしにひびいて 南無阿弥陀仏

(『同』一五一頁)

 

それは、私の全身に満ち満ちていてくださるはたらきですから、仏さまが称えてくださるお念仏だとよろこんでいます。あるいは、この私が仏さまに拝まれていることがお念仏であると、受けとめているのです。

 

さいちがほとけを 拝むじゃない
さいちがばとけに 拝まれること
南無阿弥陀仏

(『同』六〇頁)

 

 

摂取不捨のはたらき

 

いつも仏さまのはたらきが先にあります。その仏さまのはたらきであるお慈悲のなかにあることの実感を歌ったものがあります。

 

如来さん あなたのお慈悲は
摂取不捨の お慈悲でありまするな
ありがたいな
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

(『ご恩うれしや』 二六六頁)

 

ここでは、お慈悲につつまれていることを、こんな私を摂めとって捨てないという、はたらきのなかに生かされているという実感をもって、そのよろこびで表しています。阿弥陀仏とは、そういうはたらきそのものなのです。

 

親鸞聖人は、ご和讃の左訓に「摂取」ということをわかりやすく説明して、

 

摂(おさ)めとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂(せつ)はものの逃ぐるを追はへとるなり。
摂はをさめとる、取は迎へとる

(『註釈版聖典』五七一~五七二百・脚註)

 

と示されています。

 

阿弥陀さまのお慈悲は、いかなるものでもすべて拒まず受け入れるために、じっと待っているというような受け身ではなく、どこまでも追いかけてつかまえるという、じっとしておれない積極的な能動態のはたらきであると言えるでしょう。

 

捨てないとは、本当にそのものを生かそうとする積極的な意味があります。私が私のまま生き抜いていくことのできる道が開かれていることです。

 

念仏は
さいちが ほとけに とられた
ぶつの念仏
南無阿弥陀仏

(『ご恩うれしや』 一六○頁)

 

「仏にとられた」とは、南無阿弥陀仏が私にはいり込んできたのです。気づいてみれば、摂取不捨のお慈悲のはたらきの真っただ中にあったのです。私たちは、そのはたらきのなかにありながら気づくことなく、相変わらず、私が私がと、私からのアプローチに終始しているのです。「わしの心が先ならだめよ」と、才市さんは教えています。不確かな私の心を、そして私の身体をあてにして苦しんでいる私の姿に気づかせてくださるのです。

 

わたしや こまったことがある
どこをむいても 向き場がないよ
あしをぬべて すまんことであります

(『ご恩うれしや』六〇頁)

 

才市さんの姿が思い浮かぶようです。どこにいても、どこを向いても、如来さんのはたらきのなか、もうすでにここにきてくださっているのです。

 

如来さんは
ひとつも 寝やしなさらんがの
ご恩うれしや 南無阿弥陀仏

(『同』六一頁)

 

こっちが忘れても、こっちが寝ていても、忘れられない、寝てはおれないはたらきどおしのお慈悲のただ中にいるのです。才市さんが出遇った「如来さんのお慈悲」に、私たちも出遇わせていただきたいものです。

 

(才市さんの歌で、一部平仮名は漢字に書き改めております)

(後藤明信)

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2013年10月 世の中が便利になって一番困っているのが実は人間なんです 法語カレンダー解説

hougo2013-10『仏説無量寿経』に、世の人のあり方を「薄俗(はくぞく)」という言葉で示してあることを思いおこします。

 

しかるに世の人、薄俗にしてともに不急の事を諍(あらそ)ふ。(中略)〔欲〕心のために走り使はれて、安き時あることなし。

(『註釈版聖典』五四頁)

 

私たちは、せっかく人という深いいのちをいただいたのに、うわべだけの薄っぺらな生き方に終始しているのではないでしょうか。真なるものに触れることがないと、そうでないものを真であるかのように思い込んでしまいます。本当に出遇うべきものを見失って、目先のことにとらわれて、血眼になって争って過ぎていきます。欲張りの心のために、この身が走り回らされて、安らかな時のないままに終わっていくのです。

 

まさに現代は、「欲心のために走り回らされて」いる時代と言っていいでしょう。

 

そして、この肥大化した欲望、飽くなき利益の追求が引き起こしたものが、原子力発電所の事故だったのではないでしょうか。取り返しのつかないことになってしまいました。私たち人間の愚かさ、傲慢さを思わずにおれません。

 

確かに、電気がないと、現代の生活は成りたたなくなってしまいました。便利で快適な生活を象徴するものが電気と言えるでしょう。夜の地球を衛星から撮った写真を見て驚きました。小さな日本列島が、どこよりも明るく光っているのです。こんなにも電気を使わなければならないのだろうか。日本に住んでいると、いつの間にかそれが当たり前になってしまいます。

 

普段何気なく使っている電気が、いのちを脅かす危険きわまりないものの上に成り立っていたことに気づきませんでした。目に見えない放射能の脅威と、最終的に処理することのできない核廃棄物を、何世代も先の子孫にまで押し付けてしまう無責任さを思うと、このまま、このような生活を続けていいのだろうかと考えざるをえません。

 

この大震災を機に考え直さなければならないのは、あまりにも経済優先で突っ走ってきたこの社会にあって、一人ひとりのいのちを何よりも優先し大事にするとはどういうことだったのか、ということではなかったでしょうか。

 

 

人智と仏智

 

今月の言葉は、浅田正作さんの念仏詩集『骨道を行く』のなかの「人智(じんち)」と題されているものです。仏さまの智慧、仏智に対して、人間の智恵ということでしょうか。仏智は、とらわれを離れ、すべてをありのままに知り徹(とお)した智慧です。それは、いかなるものも分けることがありません。分けることがありませんから、対立も争いも生まれません。すべてがひとつであると、如実に見抜く智慧です。人間の智は、自分にとって都合の良いもの悪いもの、好きなもの嫌いなものとを分けて、執着します。そこに対立が生まれ、けんかもします。智恵の限りをつくして人を非難し、戦争までするのです。仏智は、すべてがひとつに融け合う智ですから、そのままが、本来のあるべき有りように背き、私という小さな殻のなかに閉じこもって生きる者を気づかしめ、本来のあり方へ導き救いとらずにおかないという、はたらきそのものです。

 

便利な世の中が困ったことと思えないのが、人間の智恵なのでしょう。便利になって良かったとよろこぶばかりで、それが将来どのようなことになっていくのかさえわかりません。現に、人間の智恵を尽くして過去に作り出した化学物質が、人間も含めた地球環境に及ぼす悪影響は、はかり知れません。それが困ったことという認識さえないというのが、人智の愚かさでしょう。また便利という言葉は、どこまでもいまを生きる人間にとって都合が良いように見えるということでしかなかったのです。現代の私たちは便利で快適な生活を追求するあまり、自分たち人間の都合のみを優先して、後の世代の人びとや、あらゆる生きもの、地球のことを省みなかったのではないでしょうか。

 

いのちの本来のあり方を見失わせ、困ったことであったと気づかせてくださるものこそ仏智であり、南無阿弥陀仏のはたらきそのものなのです。人間はどこまでも自己肯定(自分か間違っているとは思わない)するものです。それを打ち破るものに出遇わないと、気が付かないまま一生を過ごし、破滅するまで突き進む世の中になってしまいます。それを打ち破ろうとするのが、仏の智慧(真実そのもののはたらき)と言えるでしょう。

 

 

当たり前という闇

 

便利で快適な生活を求め続けてきたのが、人間の歴史と言えるのかも知れません。

 

夢でしかなかったことが一つひとつ現実のものとなり、あくなき追求の果てに、現代の生活があります。リモコン一つで、テレビ、エアコンから明かりの調節まで簡単にできます。また以前は、身体を動かして時間をかけなければできなかったことが、スイッチ一つでできるようになりました。ある意味、怠惰な時代と言えるのではないでしょうか。それこそ、忙しい忙しいと働きまわっていて、怠けているという認識はないでしょう。でも、私たちが身を置いているこの時代そのものが、怠惰なのです。身体は使わないで、結果だけは良いものを手に入れたい。汗水流すことなく、楽で快適な生活をしたい。こんな思いが蔓延している時代ではないでしょうか。本当は時間をかけ、手間ひまかけて初めてできるようなことなのに、それができていることがいつの間にか当たり前になってしまいました。

 

浅田さんの念仏詩集には、お念仏とともにあふれ出る多くの詩が収められています。

 

そのなかから、「当たり前が」と題されたものを紹介してみます。

 

当たり前が拝める
当たり前が
当たり前でなかったと当たり前が拝めるとき
どうにも始末のつかん
わが身から
ひまもらえる

(『骨道を行く』四七頁)

 

いままで当たり前とも何とも思わずに過ごしてきたことが、何かをきっかけに、これは当たり前ではなかったのではないかと、気づかされることがあります。本当はよろこぶべきことであり、感動すべきこと、感謝すべきことではなかったのか。でも、ありがたいとも何とも思わないまま過ごしてきた。そういうなかで、「始末のつかん」ことに悩まされ苦しんでいるのです。実際、始末がつかないことばかりです。思うようにならないことばかりのなかで、思うようになることを当たり前としているのではないでしょうか。こうなることが当たり前なのに、どうしてそうならないのかと苦しんでいるのです。

 

いつの間にか、みんなそうだから、いままでそうだったからと、そのことを前提にして、そうならないことに腹を立てたり、愚痴をこぼしたり、あるいは人を恨んだり憎んだりしているのではなかったでしょうか。自分の思いで、自分をがんじがらめに縛り上げているのです。自分で自分を不自由なものにしてしまっているのです。しかも、このことになかなか気づきません。人から束縛されることや周りから抑圧されることには、すぐ反発するのに、自分を自分で縛り上げることについては、本当に鈍感としか言いようがありません。気づかないまま身動きがとれなくなってしまいます。でも、そのことが当たり前でなかったと頭が下がる時、自分中心の欲に振り回されていたことに気づかされ、いつの間にか自分で自分を縛り上げてしまう、不自由な生き方から解放されるのです。

 

 

 

束縛からの自由

 

「ひまもらえる」とは、自由になる、解放されるということでしょう。自分の思いにがんじがらめに縛り上げられていた者が、その思いを打ち破ってくれるものに出遇い、思うようにならないままを引き受けていくことのできるところに立たされるのです。打ち破ってくれるものが仏の智慧で、すべてをありのままに照らし出すはたらきそのものです。その仏智に照らされて、自分勝手な小さな思いに縛られて自由を失い、せっかくいただいたいのちをいつの間にか過ごしてしまっている、わが身に気づかされるのでしょう。

 

仏の智慧に照らし出されて初めて、人間の智恵の暗さに気づかせてもらいます。現代の私たちは、便利で豊かな生活に慣れきってしまい、当たり前という深い闇のなかに、闇を闇とも気づかないまま過ごしているのではないでしょうか。人間の智恵の限りを尽くしたこの世の中の便利さが、実はその人間本来のあり方を見失わせ、人間性をも奪い取ってしまう困ったものだったのです。そのことを常に教えてくれるものに出遇っていかないと、その深い闇に飲み込まれてしまいます。

 

(後藤明信)

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2007(平成19)年9月1日 山口新聞朝刊掲載

20070901

みすゞゆかりの欄間

京都で本格的修復へ

―細江の光明寺 傷み激しく―

細江町の光明寺(泉哲朗住職)の欄間が二日、京都へ修理に出される。本格的な修理は初めてという。

 

欄間には唐獅子とボタンの花が描かれており、本堂に七枚飾られている。横はいずれも約180センチで、縦約110センチが四枚、約90センチが二枚、約60センチが一枚。欄間の上にはそれぞれ寄木造りの天人が見守るように置かれている。

 

天人を見た長門市出身の童謡詩人、金子みすゞは「ひとり日暮れの草山で夕やけをみてゐれば、いつか参った寺のなか暗い欄間の彩雲に、笛を吹いてた天人の、やさしい眉をおもひ出す―」と詠んだという。

 

欄間は同寺が1732(享保17)年に建て替わった際に付けられたとされる。寄木造りで、金箔(きんぱく)がはがれたり、木が折れて落ちたりして傷みが激しかったことから、京都の仏具店に修復に出すことになった。

 

泉住職によると、何度か補修したとみられるが、大掛かりな修理は初めてという。修復を終えて同寺に戻ってくるのは来春になりそう。

 

同寺は1863(文久3)年に幕末の萩藩士久坂玄瑞ら50人が集まり、奇兵隊の前身「光明寺党」を結成した場所として知られている。

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2013(平成25)年8月14日 朝日新聞朝刊掲載

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下関歴史散歩

宗門手形 身分の証しに

細江町1丁目の日和山のすそにある光明寺(浄土真宗本願寺派)は江戸時代に「宗門(しゅうもん)改め」が行われた寺です。

 

宗門改めとは、江戸幕府がキリシタン禁圧のため、民衆を何らかの仏教宗派に所属させ、証明させた制度です。光明寺では毎年7月26日にあり、それに先だって4、5月ごろ、町政を担っていた大年寄、小年寄が町民から誓紙血判を取りまとめ、幕府役人の検分を得ていたようです。

 

家ごとに家族の名前と年齢を記し、キリシタンではない証明として寺の印が押されるのが一般的でした。発行された宗門手形は住民の行動を保証し、身分の証しとなる何より大切なものでした。

 

また光明寺には幕末、高杉晋作と共に「松下村塾の双璧」と呼ばれた久坂玄瑞(くさかげんずい)率いる「光明寺党」の本営が置かれました。

 

光明寺党は有志党とも呼ばれ、50~60人ほどいたようです。1863(文久3)年、米国の商船ペンブローク号が来航した際、長州藩の軍艦・庚申丸(こうしんまる)で砲撃。第一次下関攘夷戦の火ぶたを切ったことで有名です。

 

下関は太平洋戦争の空襲で市街地の大部分が焼失しましたが、光明寺は戦火を逃れました。戦災直後の写真には寺の大屋根が姿をとどめています。

 

境内には明治期に私塾を開いた広井良図(りょうと)の顕彰碑、大洋漁業関係者の慰霊塔もあり、歴史散策を楽しめるスポットです。

 

下関市立中央図書館長・安冨静夫

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