2014年10月 ただ念仏せよ 念仏せよ 大悲回向の 南無阿弥陀仏 法語カレンダー解説

201410一人がためなりけり

 

この言葉は、梅原真隆(うめはらしんりゅう)和上の歌集『雑華雲』に収められた一首です。梅原和上は、明治、大正、昭和の中期を生き抜かれた偉大な真宗学者でありました。また、歌人でもあり、『雑華雲』『薺(なずな)の花』などに格調高い法悦の歌を数多く遺されています。

 

梅原和上といえば、霊山勝海(よしやましょうかい)和上が以前紹介してくださった話で、私の脳裏に焼きついているエピソードが思い出されます。兵庫県の芦屋市に「芦屋仏教会館」という聞法の道場がありますが、これを建てたのは丸紅商社の創始者である初代、伊藤長兵衛さんであります。伊藤長兵衛さんが芦屋に住むようにかって、ふと気がついたことには、「この芦屋にはお寺がない、お聴聞する場所がない」ということでありました。「仏にお礼することも知らん、聞法することも知らん、何というけったいな所じゃ、こんなところで人が育つのかいな、そうだ、ここにお寺を建ててみんなに聴聞してもらおう」そう考えた伊藤長兵衛さんは早速計画を立て、尊敬する梅原先生に相談に出向きました。ところが、その計画をじっと聞いておられた梅原先生は開口一番「伊藤さん、あなたはよいことをしようと思っておられるかもしれませんが、私は賛成できませんよ」の一言。「なぜですか」と普通ならば聞くところでしょうが、伊藤長兵衛さんは聞きません、梅原先生もまた、何でいけないのか、その理由をおっしゃいません。二人はそのまま別れるのです。

 

この時、伊藤長兵衛さんは七十歳くらいで、梅原和上は当時、龍谷大学の教授で四十歳そこそこです。親子ほども歳が違い、金を持っているのは伊藤長兵衛さんで、反対するのは梅原先生。伊藤長兵衛さんは、梅原先生ほどのお方が反対なさるのだから何か深いわけがあるに違いないと、そのことをのみ朝な夕な、寝ても覚めても働いている時もこのことが頭を離れませんでした。ところが、ある日ハッと気がつきました。取るものもとりあえず、当時、京都の東山に住んでおられた梅原先生の所へかけつけました。

 

「先生、この間の計画は全部ご破算にしました。しかし、今日は新しい計画を持ってきましたので相談にのってください」

 

そして、次のように言われたのです。

 

「新しい計画といいますのは、やはり、この芦屋に浄土真宗のお寺を建てたいのです。が、今度建てるお寺は、芦屋の人たちに聞法してもらうためではなく、この私がお聴聞するお寺が芦屋にありませんから、芦屋に聞法の道場を建てて、日曜ごとに聴聞させてもらおうと思います」

 

と言いましたら、梅原和上が身を乗り出して、

 

「伊藤さん、その言葉を今日まで待っていました」と。

 

そうして出来上がったのが芦屋仏教会館である、そして、法座のたびに席の最前列で熱心にお聴聞なさる伊藤長兵衛さんの姿があったということです。

 

弥陀の五劫思惟(ごこうしゆい)の願(がん)をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人(いちにん)がためなりけり。

(『註釈版聖典』八五三頁)

 

と、親鸞聖人が味わわれたように、「今日のご縁は我一人のためと思うべし」という姿勢、これを崩しては浄土真宗の聴聞は成立しませんよ、との梅原和上のご教化が偲ばれます。

 

お説教のあとで「ああ今日の話はうちの嫁に聞かせたかった」とか「お念仏のおみのりを次の世代に伝えるにはどうしたらよいか」と言われる人がいますが、仏教は、自分をさておいて他人に聞かせるハナシではありません。問題なのはこの私。

 

この私(罪悪生死の凡夫)をどうやって救おうかとのご苦労が、阿弥陀さまの五劫思惟でありました。

 

 

ただ念仏せよ

 

実はこの歌にはもう一つ「念仏せよ」が冒頭にありまして、

 

念仏せよただ念仏せよ念仏せよ

大悲回向の南無阿弥陀仏

 

が、本来の歌の全容です。「念仏せよ」が三度も繰り返されてあります。しかも、ただ念仏せよとは、ただこのことひとつ、お念仏よりほかに私の救われていく道はないよ、という意味合いです。

 

普通一般的に宗教と言えば、こちらから神さまや仏さまにお願いして助けてもらうことだと思われています。ナモアミダブツを祈りの言葉のように誤解している方が多いのです。ところが、浄土真宗のお救いは、阿弥陀さまからの一方的なお救いです。私の思いや計らいには一切用事がなく、すべてが阿弥陀さまの他力(一人ばたらき)で救われていきます。何故か。そうでなければ救われようのない私の姿がそこにあるからです。

 

人の悪口、己の自慢は大得意。うわべの顔と、腹の中とは大違い。人を傷つけ、いいじゃ悪いじゃ、好きじゃ嫌いじゃ、損じゃ得じゃと、心は常に自己中心。どこにそんな人がいるのかとキョロキョロ探す必要はありません。それはまさしくこの私の姿。

 

私たちは、よく「正直にいいなさい」と子どもを責めますが、大人の世界がどれほど正直でしょう。少しわが身のことを振り返ってみるだけでも、自己弁護のウソを積み重ねている自分を発見します。心の中を映すレントゲンでも発明されたら、たまったものではありません。

 

また、動植物の命をいただかねば生きていけないという事実。害虫という名のもとに蚊をたたき、ゴキブリを退治し、豚や牛や魚を食材として食べる。生きていくという、そのこと自体が罪つくりの日暮らしにほかなりません。親鸞聖人は一生涯「恥づべし傷むべし」(『註釈版聖典』二六六頁)と、深くご白身を見つめられました。

 

また、『一念多念文意』には、

 

「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、水火二河(すいかにが)のたとへにあらはれたり

(『註釈版聖典』六九三頁)

 

と、悲嘆なさいました。

 

このような私の姿を、阿弥陀さまは、煩悩成就、煩悩具足と見込まれました。そして、諸仏にすでに見離されたこのような者をどうしたら救うことができるかと立ちあがってくださったのです。あるお同行の言葉に、

 

如来さまは タマ杓子

同行衆は  イモ団子

救おうと思や 落ちる

救おうと思や 落ちる

ドギャーすかしらん

 

と、ありますように五劫という長い長い間思惟し、阿弥陀さまは「ナンマンダブツ」と言葉となり声となってこの口に称えられ、耳に聞こえる姿となって私のところに届いてくださいました。

 

「もうお前を救う仏は届いているよ。もうお前の親がここにおるよ」と私の口から名告(なの)り出てくださっている、それが私の「ナモアミダブツ」 です。そして、このお念仏こそが凡夫(この私)の救われていくたったひとつの道であるとしめされました。

 

生まれたばかりの仔猫を親猫が運ぶとき、仔猫の首のところを親猫が口にくわえて運びます。猿の赤ちゃんは母猿にしがみついたりぶら下がったりしています。しかし、仔猫はすっかり全身を親猫に預け、まかせきって、しがみつく力もぶらさがる力もいりません。〈仔猫が私で、母猫が阿弥陀さま〉私が救われていくに必要なすべてを弥陀の名号「ナモアミダブツ」に込めて、私に届いてくださっています。私がお念仏申す時、私に念仏させようとする阿弥陀さまのお手まわしが、すでにあったのです。この如来さまのおはたらきを、本願力回向(ほんがんりきえこう)とも大悲回向(だいひえこう)とも申します。
世にこれほどのお慈悲があるでしょうか。

 

 

嬉しいときも悲しいときも

 

阿弥陀さまの大悲心が私の胸に宿ったら、「ようこそ阿弥陀さま」と、お礼を申さずにはおれません。 その報恩の思いがまた、ご報謝の念仏となって出てくださいます。

 

南無阿弥陀仏に 味ふたつ

親の喚ぶ声

子の慕う声

 

念仏申すということは、「安心せよ、引き受けたぞ」とおっしゃる阿弥陀さまのお喚び声であるとともに、「ようこそ阿弥陀さま」と、私の頭が下がり切った相でもあります。

 

うれしいときもナンマンダブツ。悲しい時もナンマンダブツ。腹が立った時も何でもない時もナンマンダブツと、□からお念仏が出てくださる。いつでもどこでも浄土真宗の門徒はお念仏を申す日暮らしです。弥陀の救いは、煩悩成就の私を離れてはありません。今、ここに、すなわち私のいるところが、如来のはたらき場所です。ですから、何も仏前に座っている時だけとは限りません。道を歩いてナンマンダブツ。掃除をしながらナンマンダブツ。風呂の中でもナンマンダブツ。無理に合掌せずともよいのです。ねてもさめても、寝言にまでナンマンダブツと顕われてくださる阿弥陀さまです。

 

その仏さまのお誓いは、聞いて来いではありません。称えて来いでもありません。

 

「聞こえる仏となって救うぞ」、「称えられる仏となって救うぞ」と、全てが仏の手元で仕上げられて凡夫のところに出かけていって、抱いてかかえてはたらく「ナモアミダブツ」とナってくださいました。

 

ところで、また私には、喉頭ガンで声を失われた故・高千穂徹乗(たかちほてつじょう)和上の一文が、ズシリと心に響いてまいります。

 

「愚痴になるかも知れないが、声の出ないことは本当に寂しいものであります。時にはなんとかして一回声がでないものだろうかとさえ思う。(中略)どうか立派な声をもっておられる人々よ、その立派な声を、あまり他人の悪□をいうときに使わずに、お念仏を称える時にこそ使ってください。声なき私の切なる願いであります」と。

 

念仏せよ ただ念仏せよ 念仏せよ
大悲回向の 南無阿弥陀仏

 

弥陀大悲に生かされ、ご報謝に生き抜かれた梅原和上の、ご生涯の結論ともいうべき歌であろうかと深く味わわせていただきます。

(稲田静真)

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2014年9月 お念仏は 讃嘆であり 懺悔である 法語カレンダー解説

201409今月のことばは、金子大榮(だいえい)師のことばです。

 

一八八一(明治十四)年に新潟に生まれられた金子大榮師は、真宗大谷派の最高の学階である講師で、大谷大学の名誉教授です。金子師の初めての対話集である『金子大榮対話集』に、金子先生と東京大学名誉教授の武藤義一先生との対談が「悲しみの心・喜びの心」と題して収録されています。

 

その中で「お念仏は讃嘆(さんだん)であり、懺悔(さんげ)であるということがあります」と語られ、その内容を、

 

久遠劫来迷うてきた、いま初めての迷いではないというようなことはみな懺悔の言葉である。そして弥陀の本願というものがあって、それに遇うことができたという喜びが讃嘆になっている。そういうふうな立体的なものである。

(『金子大榮対話集』二六六頁)

 

と述べられています。

 

お念仏が讃嘆であり懺悔であるという意を示すお言葉が、親鸞聖人のお聖教のなかにあります。

 

親鸞聖人のお言葉をうかがってまいりましょう。

 

 

親鸞聖人のお言葉

 

『尊号真像銘文』に、

 

「称仏六字(しょうぶつろくじ)」といふは、南無阿弥陀仏の六字をとなふるとなり。「即嘆仏(そくたんぶつ)」といふは、すなはち南無阿弥陀仏をとなふるは、仏をほめたてまつるになるとなり。

また「即懺悔(そくさんげ)」といふは、南無阿弥陀仏をとなふるは、すなはち無始(むし)よりこのかたの罪業を懺悔するになると申すなり。

(『註釈版聖典』六五五頁)

 

とあります。

 

阿弥陀如来の本願の救いを聞き受けた、信心の念仏者が一声称える称名念仏は、阿弥陀如来の全ての徳を実の如くに讃嘆することになるといい、久しく遠い昔からの自らの造ってきた迷いの因である罪を懺悔していることになるというのです。

 

ここに述べられている「ほめたてまつるになるとなり」「懺悔するになる」という表現に大きな意味があります。

 

 

讃嘆のこころ

 

「讃嘆」は「ほめるたたえる」ということです。 『仏説無量寿経』(『大経』)に説かれた「諸仏称名の願」と呼ばれる第十七願の成就文に、

 

十方恒沙(じっぽうごうじゃ)の諸仏如来(しょぶつにょらい)は、みなともに無量寿仏(むりょうじゅぶつ)の威神功徳(いじんくどく)の不可思議なるを讃歎したまふ。

 (『註釈版聖典』四一頁)

 

とあって、諸仏が阿弥陀如来のはかり知ることができないすぐれた功徳をほめたたえると説かれています。

 

「ほめる」というのは、簡単なことのようですが、実はとても難しいことです。なぜなら、本当にほめることができるのは、阿弥陀如来の威神功徳不可思議なることを、その通りに知らなければなりません。

 

相手を知らずにほめるならば、ほめ足りないか、もしくはほめ過ぎてただの「お世辞」「おべんちゃら」となってしまいます。

 

阿弥陀如来の功徳を如実に知って、その通り讃嘆できるのは、悟りを開いた仏陀でなければ成し得ないのです。ですからこの第十七願では悟りを開いた諸仏が、阿弥陀如来を讃嘆すると誓われてあるのです。

 

さて、天親菩薩は『浄土論』において阿弥陀如来の浄土に往生するための行として説いた「五念門(ごねんもん)」の一つとして「讃嘆」を挙げています。

 

五念門とは「礼拝」「讃嘆」「作願(さがん)」「観察(かんざつ)」「回向(えこう)」の五つで、身に阿弥陀如来を礼拝し、口に阿弥陀如来の名を称えてその功徳を讃嘆し、心に阿弥陀如来の浄土への往生を願い、阿弥陀如来の浄土と仏・菩薩を思い浮かべ、自ら得た功徳を他の衆生に回し向けるということです。前の四つは自らを利益する自利を、最後の一つは他を利する利他を成就し、五念門をもって自利利他成就して悟りを開くと説かれていました。

 

これを承けた曇鸞大師は、五念門を修して速やかに悟りを得ることができるのは、阿弥陀如来の本願力、つまり他力によるからであると明らかにしました。

 

親鸞聖人は天親菩薩、曇鸞大師の教えを通して、これらの五種の修行は、浄土に往生し悟りを得ようとする念仏者が修めるのではなく、阿弥陀如来が自ら修したことと説かれました。

 

親鸞聖人の『入出二門偈頌(にゅうしゅつにもんげじゅ)』というお聖教には「願力成就を五念と名づく」(『註釈版聖典』五四八頁)と示して、阿弥陀如来の本願力が成就したことを、この五念門というと明らかにされています。

 

 

信心と五念門

 

もともと五念門を説かれた天親菩薩は、その著『浄土論』の冒頭に、

 

世尊(せそん)、われ一心に尽十方無碍光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず。

(『註釈版聖典(七祖編)』二九頁)

 

と示して、疑い心なく、二心なく「一心」に阿弥陀如来の浄土に往生することを願うと説き、それは五念門を修することで阿弥陀如来の浄土に往生することができると説いたのです。

 

これを承けた親鸞聖人は、信心を「証大涅槃の真因」(『同』二一一頁)と示し、自利利他成就した大涅槃を証する真の因であると説かれました。それは、阿弥陀如来が本願の救いを疑い心なく二心なく一心に信受せしめた信心に、阿弥陀如来が行じた五念門の功徳が具わっており、五念門によって得る自利利他の功徳が具わっているからでした。

 

このように「一心」といわれる信心に「五念」の徳が具わっているのですから、その信心を獲得した念仏者の相に、五念門の一つひとつが発(おこ)ってくる可能性があるのです。

 

このことは親鸞聖人が「真実の信心はかならず名号を具す」(『註釈版聖典』二四五頁)と示して、真実の信心には必ず名号を称えるという称名を伴うと明らかにされていることからもうかがえます。

 

もちろん信心を獲得した時に往生成仏に正しく定まった「正定聚」の身と成ったといっても、悟りの一分も開いていない凡夫であり続けることは事実です。その有り様はさまざまですから、画一的な相が発るというわけではありません。

 

しかし本来ならば、阿弥陀如来を私を救う仏とも思わず、千を合わせて礼拝することもしなかった私。まして口にお念仏を称えて、そのはたらきをほめたたえることかとするはずもなかった私が、今、阿弥陀如来を礼拝し、称名念仏しているのです。これは阿弥陀如来によって、五念門の徳が具わったご信心を賜ったからと言わずにおれません。

 

まさに阿弥陀如来が本願を信ぜしめ、念仏を称えせしめたのです。その信心の念仏者の称名念仏は、釈尊が『大経』を説いて阿弥陀如来の功徳を如実に讃嘆したのと等しいと言ってもいいのです。

 

凡夫の私が称えたことが等しいのではありません。信ぜしめられ、称えせしめられた念仏ですから、阿弥陀如来を如実に讃嘆したことになっていると、信心の利益として説かれているのです。

 

『尊号真像銘文』の「ほめたてまつるになるとなり」という表現はまさにそのことを示していたのです。

 

 

懺悔のこころ

 

『尊号真像銘文』に「懺悔するになる」と説かれたのはどのような深い意があるのでしょうか。

 

お説教をお聴聞させていただくと、「煩悩成就の凡夫」であるとか「罪悪深重」などと耳にすることが多くあります。

 

  まことに知んぬ、悲しきかな愚禿鸞(ぐとくらん)、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快(たの)しまざることを、恥づべし傷むべしと。

(『註釈版聖典』二六六頁)

 

という親鸞聖人のご述懐のお言葉はまさに厳しいお言葉とお聞きします。悲しいことに、深い欲に沈み、名誉欲や利益を貪る心に惑い迷わされ、往生・成仏が定まった聚(なかす)に入り、さとりに近づくことを楽しいとも思わない。恥ずかしく、嘆かわしいことと述懐されています。

 

ここで「悲しきかな」「恥ずべし、傷むべし」と述懐されていますが、これは単に卑下して述べられた言葉ではありません。この一文は、本願を信ぜしめられるところには、「真の仏弟子」となり、釈尊からは泥に染まらない白い蓮「分陀利華」と名付けられ、それを承けた善導大師は、念仏を相続する人をきわめてまれな尊い人「妙好人」であると説かれていると、自らが救われたよろこびを詳しく述べた後に続いて、記されているのです。

 

つまりここで悲しいと述懐されているのは、阿弥陀如来の救いに出遇うことができた上での述懐ということです。自らが「煩悩成就の凡夫」という迷いの存在であることは、自らが省みて見えるものではありません。

 

自己反省は、自分で自分を省みることです。いくら深く自己反省をしても、省みている自己白身は誰にも省みられていないのです。

 

親鸞聖人が「悲しい」と述懐されたお言葉は、阿弥陀如来の救いの光に照らされて、自己白身の影が初めてありありと知らされたから、言い得たお言葉なのです。

 

夕陽を背にして家路につくとき、目の前には黒々とした大きな影が現れます。自分より大きく、真っ黒な影がありありと見えています。しかしその影が見えているということは、夕陽に同時に照らされているのです。

 

いまここで「悲しきかな」と言い得ているということは、阿弥陀如来の本願に出遇い、その救いの光に照らされているから言い得た、よろこびの言葉でもあったのです。

 

懺悔する心、それは私の中からはでてきません。阿弥陀如来の救いに照らされ、本願を信ぜしめられ、自らの本性が知らしめられ、懺悔することになるのです。

 

阿弥陀如来を讃嘆することも、自らの至らなさ愚かさを懺悔することも、ともに阿弥陀如来の救いの利益によるものだったのです。

(葛野洋明)

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2014年8月 拝まない者もおがまれている 拝まないときもおがまれている 法語カレンダー解説

hougo201408今月のことばは、東井義雄(とういよしお)先生の言葉です。自由詩というスタイルには、東井先生が感じられ味わっていらっしゃった思いを、その時々のライブ感をもって綴られています。ですから、読むもの聞くもののこころにありありと伝わってくるのでしょう。

この言葉が収載された『東井義雄詩集』の「あとがき」に、大きな手術を終えて「恐らくこれが私の最後の本ということになるだろう」(『同』二九九頁)とありました。そんな詩集に『「老」いを生きる詩』が綴られています。そのなかの「墓そうじ」と題した三編の詩に出てくる言葉です。

 

墓そうじ

毎年/半日で済ませた墓そうじであるのに/きょうはこれで 二日目/
十時を過ぎると/おてんとうさまも 燃えてこられる/
「無理をしないで/もう下りてきてください」/
屋敷の草とりをしてくれている腰の曲がった老妻が/見上げていてくれる/
憶わぬさきから/憶われていた 私/
拝まない者も/おがまれている/
拝まないときも/おがまれている/
すみません/南無阿彌陀佛

(『東井義雄詩集』 一六六~一六七頁)

 

とあります。

東井先生が「白分のいのちのひとかけら」と大切にされたこの詩を、一面的な味わいで紹介などするべきではないでしょう。この詩を目にした一人ひとりが、それぞれに味わうべきこと思います。

先生の感じていらっしゃった深いお心を、全て味わうことができなくても、ここには、日頃とはかけ離れた、正反対のまなざしがあることは一目瞭然、誰もが感じるのではないでしょうか。

 

 

阿弥陀如来のまなざし

 

日頃とかけ離れた正反対のまなざし。それは単に、その時その時の出来事を、奇をてらって、他人が持ち得なかったまなざしで語ったというようなものではありません。

この『「老」いを生きる詩』には、六十七編の詩が綴られていて、その多くが「南無阿彌陀佛」と結ばれています。

日頃とかけ離れた正反対のまなざしとは、私たちが日頃は思いもしない、阿弥陀如来のまなざしだったのではないでしょうか。東井先生の言葉をご縁として、「阿弥陀如来のまなざし」ということを味わってみたいと思います。

 

 

阿弥陀如来の「誓願」

 

阿弥陀如来は、迷いの私を救おうと、願いを発(おこ)されたと『仏説無量寿経』(『大経』)に説かれています。

「願い」という言葉を、私たちのレベルで考えると、「○○したい」「お願いします」という希望や欲求と一緒に感じてしまいそうです。

阿弥陀如来の願いは、私たちが普段よく使う「お願い」などとは、まったく違います。

浄土真宗でよくお勤めされる「正信偈」に、

 

建立無上殊勝願(こんりゅうむじょうしゅしょうがん) 超発希有大弘誓(ちょうほつけうだいぐぜい)

(無上殊勝(むじょうしゅしょう)の願(がん)を建立(こんりゅう)し、希有(けう)の大弘誓(だいぐぜい)を超発(ちょうほつ)せり。 『註釈版聖典』二〇三頁)

 

この上なくすぐれた願をおたてになり、世にもまれな大いなる誓いをおこされた。

(『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』一四三頁)

 

とあります。

「無上殊勝の願」とは、「この上なくすぐれた願」とありますが、続いての「希有の大弘誓」とは、「世にもまれな大いなる誓い」と訳してあります。

阿弥陀さまのご本願は、単なる願いではなく「誓い」であるのです。このことは本願文の英訳からもうかがうことができます。

阿弥陀如来が建てられた四十八の誓願は、全て「設我得仏(せつがとくぶつ)」から始まります。この四字は「たといわれ仏を得たらんに」と読みますが、これは単に「もし私が仏になれたら……」という仮定の話ではありません。『浄土三部経(現代語版)には「私が仏になるとき」。『英訳親鸞聖人著作集』では「If,when attain Buddhahood,(もし私が仏陀の境地に至るとき)」と訳されています。いずれも「もし仏になれたら……」という単なる仮定の話などとはしていないのです。

阿弥陀如来は「私が仏になるとき」と始めて、必ず救う、もし浄土に往生させることができないならば、決して仏に成らないと誓われたのです。

 

 

誓いの目当て

 

阿弥陀如来の誓いを示した本願文には「十方衆生(じっぽうしゅじょう)」とあり、その誓いが成就したことを明示する本願成就文には「諸有衆生(しょうしゅじょう)」とあります。「衆生」とは多くの縁によって生をいただいているもの(衆縁所生)、また多くの生死をくりかえしている迷いのもの(衆多生死)の意です。

つまり阿弥陀如来の誓いは、いのちある迷いのもの全てを救うと誓われたのです。

しかし、本願文にもその本願が成就されたと明示する本願成就文のどちらにも、「唯除五逆誹誇正法(ゆいじょごぎゃくひほうしょうぼう)」というお言葉があります。

五逆といわれる大きな罪を作ったり、正法を誹謗する「誹謗のもの」は救いから除くと誓われています。

あらゆる迷いのいのちを救うと誓われた阿弥陀如来の本願に、救いから除外されるものがあるというのです。この「唯除」の一文は、抑止と摂取の二つの見方で解釈されてきた誓いの目当てが味わえる箇所です。「唯除」に込められた阿弥陀如来の心を聞くと、正に醍醐味を味わうことができるのです。

 

 

誓いの正(まさ)しき目当て

 

親鸞聖人は、この「唯除」の一文を『尊号真像銘文』に釈されて、その深い仏意を明かしてくださいました。

 

「唯除」といふはただ除くといふことばなり。五逆のつみびとをきらひ誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。

(『註釈版聖典』六四四頁)

 

  「唯除」というのは「ただ除く」という言葉であり、五逆の罪を犯す人を嫌い、仏法を謗(そし)る罪の重いことを知らせようとしているのである。この二つの罪の重いことを示して、すべての世界のあらゆるものがみなもれることなく往生できるということを知らせようとしているのである。

(『尊号真像銘文(現代語版)』六頁)

 

阿弥陀如来の本願成就文にある「唯除」という一文は、逆誇のものを救いから除くという意味で、除くということによって、あらゆるものが往生できることを知らせていると釈されています。

「除く」は「救う」ことを知らせるというのです。

 

 

通り抜け禁止

 

川柳に「通り抜け無用で通り抜けが知れ」というのがあるそうです。

「通り抜け禁止」と明示することでかえって、ここは通り抜けられると教えているという句です。

除くと示すことで、救う道がここにあることを明らかにするのと、通じるところがあるような気がします。

しかし、川柳と阿弥陀如来の誓いは全く同じということではありません。

確かに除くということで救いを明らかにすることは川柳とも通じるようですが、救いの道があるからといって逆謗のままで良いとは決してならないのです。

誹謗正法のものとは、正法を誹謗するものです。しかし、仏法を誹謗中傷するようなことだけではありません。「無仏・無仏法・無菩薩・無菩薩法」(『註釈版聖典』二九八頁)と考えるもののことです。仏などいやしない。仏法なんてない。菩薩も菩薩の法もないと考えるもののことです。

 

 

謗法のものとは私のこと

 

謗法のものとは誰のことを言っているのでしょうか。

これは私自身のことです。

さまざまな仏縁がありながら、阿弥陀如来やその救いが、本当にこの私を救う法であることなどとは、ちっとも思わずに生きてきました。

この私は現在、悟りの一分も開いていない迷いの存在です。いや迷いであることも知らずに生きてきた本当の迷いの存在です。現在、私か迷いの存在であるということは、あらゆるものを救うと誓った阿弥陀如来でしたが、その救いから、実際に除かれてきた証拠です。

では阿弥陀如来は謗法である私を救わずに知らん顔していたのでしょうか。いや、「謗法である限り、迷いから出て離れることはできない、また苦悩を深めていくだけだ、正法を謗ることはしてはならない」と抑え止めてくださっていたのです。

「謗法のものは除く」という誓いの言葉は、単なる抑え止めるというだけではありません。迷っていることにも気づかずにそのまま謗法を続けている私に、正法を誹謗しているということを知らしめているのです。そして「謗法の心を翻(ひるがえ)し、阿弥陀如来の誓いを自らの救いと聞き受けて、回心せよ。必ず救う」と、強烈に回心を迫り、信心獲得によって皆往生できることを明確に示す仏意が込められていたのです。

 

 

強く大きなおはたらき

 

阿弥陀如来は、単なる願いではなく誓いを建てられました。「救う用意は全て調えた。必ず救う南無阿弥陀仏と成就した。なのに生まれてきたそのまま、阿弥陀如来の本願名号を自らの救いと聞き受けなければ、また救いから除かれてしまう。必ず必ず回心せしめてみせる」と、永らく謗法を続けてきたこの私に、強烈に回心を迫り続けてきました。

その甲斐あって、いまこの阿弥陀如来の誓いを、私の救いと聞きよろこぶことができたのです。

如来のまなざしは、誠に強く大きなおはたらきでした。

(葛野洋明)

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2014年7月 本当の相になる これが 仏の教えの目的である 法語カレンダー解説

201407hougo今月のことばは、暁烏敏(あけがらすはや)師の言葉です。一九三四(昭和九)年、師が五十七歳の時に「教行信証講話」で述べられた言葉です。

暁烏師は一八七七(明治十)年に石川県の真宗大谷派の明達寺に生を受けられ、二十六歳の特に、終生の師となる清沢満之(きよざわまんし)師に遇うことを得て、ともに浩々洞(こうこうどう)を開設し、七十四歳の時には、真宗大谷派の宗務総長の重責を引き受けられました。

私たちが普段用いる言葉使いで「本当の相(すがた)になる」と聞くと、「私の本来のすがた、素直で純真無垢なすがたになること」と思ってしまいそうです。

仏の教えの目的が私の本来のすがた、素直で純真無垢なすがたになることと理解してしまえば、親鸞聖人が開顕された浄土真宗とは大きく異なります。

今月のことばに続けて、

 

本当の道に入らしむるというのが仏の教えの要である。「実相に帰せしめんとなり」、これはよほど味わいがある。

(『魂(いのち)萌ゆ』九〇頁)

 

と暁烏師は述べられています。

 

仏の教えの目的である「本当の相になる」というのは、「本当の道に入らしめる」「実相に帰せしめん」ことと明言されています。

暁烏師の言葉をご縁に、師が仰がれた親鸞聖人のお心をうかがってまいりましょう。

 

 

実相に帰せしめんとなり

 

「実相に帰せしめんとなり」というお言葉は、親鸞聖人の著された『顕浄土教行証文類』「行文類」六字釈の引文に法照禅師の『五会法事讃(ごえほうじさん)』を引いて、

 

それ如来、教を設けたまふに、広略、根(こん)に随(したが)ふ。つひに実相に帰せしめんとなり。真の無生を得んものには、たれかよくこれを与へんや。しかるに念仏三昧は、これ真の無上深妙(むじょうじんみょう)の門なり。弥陀法王四十八願の名号をもって、焉(ここ)に仏、願力を事として衆生を度したまふ。

(『註釈版聖典』一七〇~一七一頁、傍線筆者)

 

とあります。現代語でうかがいますと、

 

そもそも、如来が教えを説かれるときには、その相手に応じて、詳細に説かれたり簡略に説かれたりする。

それは、まことのさとりにたどりつかせるためであり、不生不滅の真実のさとりを得たものに、これらの教えを与える必要はない。この念仏三昧は、真実でこの上なく奥深い法門である。阿弥陀仏の四十八願成就の名号をもって、その本願のはたらきにより衆生を救われるのである。

(『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』七六~七七頁、傍線筆者)

 

となっています。「実相に帰せしめん」というお言葉は「まことのさとりにたどりつかせる」ということです。

「実相」という言葉は、信心の念仏者が得る真実の証果について「滅度」「常楽(じょうらく)」「畢竟寂滅(ひきょうじゃくめつ)」「無上涅槃(むじょうねはん)」「無為法身(むいほっしん)」「法性(ほっしょう)」「真如(しんにょ)」「一如(いちにょ)」等とさまざまな名称をもって「証文類」(『註釈版聖典』三〇七頁)に示されています。『唯信紗文意』にも同様に、

 

大涅槃と申すに、その名無量なり、くはしく申すにあたはず、おろおろその名をあらはすべし。

(『註釈版聖典』七〇九頁)

 

と述べさまざまな名称を並べて、

 

いろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。

(『同』七〇九~七一○頁)

 

と示されています。

このように親鸞聖人のお言葉をうかがうと、「実相」とは「真実の証果」「涅槃」のことと説かれています。私たち凡夫の知識や能力では到底理解できない、「無色無形言亡慮絶(ごんもうりょうぜつ)(色もなく、形もなく、言葉も亡じ、慮りも絶えた)」の悟りそのものを指しています。「ことばもたえたり」という悟りを言葉で示そうとするのですから、とても一言で悟りの全てを言い表すことなどできません。ですから、さまざまな名称を並べ挙げることで、語ることのできない悟りの内実を少しでも顕らかにしようとされているのだと言えるでしょう。

「実相に帰せしめん」とは、まことの悟りにたどりつかせる、つまりこの私を悟らしめるということです。親鸞聖人は法性禅師のお言葉を引用されて、この救いは本願名号によると、示してくださったのです。

 

 

真実のない私に如来の真実が

 

浄土真宗という救いは、阿弥陀如来がその本願名号(南無阿弥陀仏)によって、私をこの上ない悟りに入らしめるという救いです。

阿弥陀如来の本願名号は、あらゆるものにこの救いを聞き受けさせ、信ぜしめようということまで成就されています。

この願力によって信ぜしめられたのが浄土真宗のご信心です。これこそ私が悟れるか、迷い続けるかの大きな分岐点なのです。

親鸞聖人が「信文類」を著して真実の信心を開顕してくださったのは、浄土真宗において信心が最も肝要だからでしょう。

親鸞聖人がご信心を明らかにされたなかに、

 

一切の群生海、無始(むし)よりこのかた乃至(ないし)今日今時に至るまで、穢悪汚染(えあくわぜん)にして清浄の心なし、虚仮諂偽(こけてんぎ)にして真実の心なし。

(『註釈版聖典』二三一頁』

 

すべての衆生は、はかり知れない昔から今目この時にいたるまで、煩悩に汚れて清らかな心がなく、いつわりヘつらうばかりでまことの心がない。

(『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』一九六頁)

 

とあります。元来、私のなかには清浄な心、真実な心など一切なかったと明らかにしてくださいました。それと同時に、このような私であることを見通された阿弥陀如来が、

 

如来の至心をもって、諸有の一切煩悩悪業邪智(じゃち)の群生海に回施(えせ)したまへり。すなはちこれ利他の真心を彰す。

(『註釈版聖典』二三一~二三二頁)

 

如来の成就されたこの至心、すなわちまことの心を、煩悩にまみれ悪い行いや誤ったはからいしかないすべての衆生に施し与えられたのである。この至心は如来より与えられた真実心をあらわすのである。

(『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』一九七頁)

 

と示して、真実の心など持ち合わせていなかった私に、阿弥陀如来の真実の心を施し与えられたのだと示されているのです。

阿弥陀如来の本願名号によって、実相に帰せしめるということは、真実のなかったこの私に真実を与え、必ずこの上ない悟りの仏に成らしめるということとうかがえます。

真実がない私に真実が与えられる。それはいま迷いのなかにありながら、迷いになど何も気づくこともなく、このまま迷いを続け、さらに深い苦しみへと向かう以外になかった私に、自らが迷いの存在であることを決定的に知らしめられることです。そして、同時にそんな私を必ず悟らしめるという、阿弥陀如来の本願名号が届いていることを決定的に知らしめられることです。

 

 

安心の迷子

 

娘を遊園地に連れて行った時のことです。多くの人で混雑するなか、娘は楽しいことに目を奪われて、あっという間に親とはぐれて迷子になりました。

迷子になって泣きじゃくっている娘をなんとか見つけたして「迷子になったらお土産物屋さんにいなさい。お父さんとお母さんが必ず見つけてあげるから」そう言ってなだめました。

その後は一日楽しく遊んで、そろそろ帰る時間が迫ってきます。娘はまだまだ遊びたくて元気にはしゃいでいます。すると、また迷子になってしまいました。

帰る時に親とはぐれたら、家に連れて帰れなくなるかも……と心配して探し回りました。

いました! どこにいたと思います?

また泣きじゃくっているのかと思ったら、お店で、どれを買ってもらおうかと目を輝かして、お土産を選んでいたんです。

「迷子になってはぐれてしまって、心配してたのに、何してるの!」

ちょっと叱るように言うと娘は、

「迷子になったから、お土産見てた」

二コ二コ笑いながら言うのです。

最初に迷子になった時は泣きじゃくるしかありませんでした。しかし、「迷子になったらお店でお土産を見てなさい。かならずお父さん、お母さんが見つけ出して連れて帰ってあげるから」と既に聞いていた娘は、自分が迷子であることを知っていながら、何の心配もなく、二コ二コと楽しんでいたのです。

迷子は迷子でも安心の迷子だったのです。

阿弥陀如来の本願名号、その救いを聞き信じる念仏者は、自身が迷いの存在であることを決定的に信知せしめられています。しかし同時に、阿弥陀如来の本願は、この私を必ず命終に浄土に往生させ、この上ない悟りに至らせるということを、決定的に信知せしめられています。

本願名号によって実相に帰せしめられる。そこには、迷いの中に、迷いの存在であることを知らされつつ、何か起ころうとも、どのようなことになろうとも、もはや何ものにも揺るがされない大きな安心が与えられていたのです。

(葛野洋明)

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本願寺阿弥陀寺堂、本願寺御影堂が国宝に指定されました

shinbun国の文化審議会は5月16日、「本願寺阿弥陀堂」と「本願寺御影堂」を国宝として新規指定、「旧真宗信徒生命保険株式会社本館(本願寺伝道院)」を重要文化財(建造物)の新規指定、「本願寺」として建築郡(阿弥陀寺堂門、御影堂門、経蔵、鼓桜、手水所、総門)を重要文化財の追加指定とすることを文部科学大臣に答申した。この結果、官報告示を経て国宝、重文に指定されることになる。

 

阿弥陀如来像をご安置する阿弥陀寺堂は、宝暦(ほうれき)10(1760)年に再建された。旧堂に比べてはるかに大規模な阿弥陀寺堂の建立で、御影堂との壮大な両堂を並立する本願寺の構えが完成。渡廊下を介して両堂を門徒が参拝する信仰形態が出来上がり、近世を通して篤い信仰を受け続け、50年ごとの大遠忌のたびに伽藍(がらん)を発展させてきた真宗寺院の様態をよく表していることなどが評価され、江戸時代後期における大規模真宗本堂の完成形として国宝に指定される。

 

また、御真影(ごしんねい=親鸞聖人像)をご安置する御影堂は寛永13(1636)年に上棟。桁行62.1㍍、梁間48.3㍍で、江戸時代の建築として現存最大級の規模を誇る。小規模な道場から出発し、広壮な仏堂に到達した真宗本堂形式の頂点として位置づけられる建築。門徒により支えられ、社会に絶大な影響を及ぼした真宗本山の象徴として、文化史的に大きな意義があるとして評価された。

 

さらに、「本願寺」の建築郡は、規模雄大で質が高く、それぞれ各時代の優れた意匠と技術が結集されており、既指定の「鐘楼」とともに保存を図るため追加指定された。

 

また、本山前に明治44(1911)年に建てられた「旧真宗信徒生命保険株式会社本館」(本願寺伝道院)は、アジアの建築様式を取り混ぜた煉瓦造建築として、高く評価された。

2014(平成26)年 5月20日(火)本願寺新報 掲載

 

国宝指定

  • 本願寺阿弥陀堂
    • 附・渡廊下
    • 附・喚鐘(かんしょう)廊下

 

  • 本願寺御影堂

 

 

重要文化財指定

  • 本願寺(建築郡)
    • 阿弥陀寺堂門
    • 御影堂門
    • 経蔵(附・棟札)
    • 鼓桜(ころう)
    • 手水所(ちょうずしょ)
    • 総門
      • 附・築地塀
      • 附・御成門(おなりもん)
      • 附・目隠塀

 

  • 旧真宗信徒生命保険株式会社本館(本願寺伝道院)
    • 附・棟札
    • 附・石柵柱

 

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2014(平成26)年5月30日、6月3日 毎日新聞 朝日新聞掲載

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浄土真宗本願寺派の門主に就任する大谷 光淳(おおたに こうじゅん)さん(36)

 

約1000万人の門徒を抱える国内最大の伝統仏教教団、浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺、京都市下京区)の門主に来月就任する。「人口の多い都市部で、どのようにお寺を増やしていけるかが大きな課題」。若さを強みに宗派の更なる発展を目指す。

 

大谷光真門主の長男に生まれ、自宅そばにある本願寺派の宗門校、平安中・高校(現・龍谷大平安)に通学。法政大に進み、初めて親元を離れた。

 

「後継者」としての重圧が薄らぎ、自由に飲み会も楽しんだ。

 

都市生活の明るさ、楽しさと同時に感じたのは、仏教とそこに暮らす人々との「距離」だった。

 

同派が抱える全国約1万カ寺のうち首都圏はわずか400カ寺。京都や大阪と違って宗教関係の学校や木造の寺が少ないと感じ、月参りの習慣もないことに気づいた。

 

昼は大学、夜は築地本願寺の東京仏教学院(寺院の子弟ら対象の教育機関)に通った。子供を失った人や病気を抱えた人と学ぶ中で、浄土真宗の教えが多くの人の支えになっていることを確信。

 

「門主という立場で自分にできることがあるのではないか」。後を継ぐ決意が固まった。

 

「宗教離れ」が言われて久しい昨今、「葬儀に孫を連れて行かない人がいる」などと聞いては死を避ける風潮を憂えている。「『死』を意識して生きることこそ大事。今生きている時間やさまざまなご縁を大切にすることができるからです」

 

文・花澤茂人

写真・森園道子

 

 

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浄土真宗本願寺派の25代門主に就く大谷 光淳(おおたに こうじゅん)さん(36)

 

浄土真宗を開いた親鸞の子孫。

「お西さん」と親しまれる京都・西本願寺の境内で育った。6日、父・光真門主に代わり、門徒の数が1千万人とされる日本最大の伝統仏教教団のトップに就く。

 

「浄土真宗の教えが次の世代へと受け継がれていくよう、一つ一つを丁寧に務めたい」

 

門主後継者の自覚を深めたのは法政大の4年生の時。東京・築地本願寺にある夜間の東京仏教学院に聴講に通った。「子を亡くされた方、病気を持つ方、いろんな方が教えを学び、よりどころにされている姿に、私にしかできないことをしていこうと決めました」

 

高齢のトップが多い伝統仏教界にあって圧倒的に若い30代。3歳の長男の育児もするイクメンだ。

 

昨年まで6年間、副住職を務めた築地本願寺では、音楽ライブなどに顔を出し、20~30代の参加者とふれあった。「お寺に来るのは団塊の世代でも若いと言われる。世間一般でいう若い人への取り組みにも力を注ぎたい。たとえば、仏前結婚式は一つのきっかけになります」と語る。

 

地方では人口減や高齢化で門徒が減少。都市部では核家族化が進んで次世代へ信仰が受け継がれにくくなっている。「でも生老病死などの苦しみは時代や地域を問わず共通。苦しみを抱えながら生き、救われる道を示す浄土真宗の教えは現代に通じるはずです」

 

文・久保智祥

写真・伊藤菜々子

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2014年6月 深い悲しみ 苦しみを通してのみ 見えてくる世界がある 法語カレンダー解説

201406病いは有り難い

 

「人が憂うて優しさができあがる」、「優しい」という言葉には、このような漢字の意味が含まれていると聞いたことがあります。

 

私の恩師・村上速水先生は、龍谷大学文学部長の要職におられた昭和五十三年一月に脳血栓を患われました。重い後遺症を背負われながらも、「失ったものを悲しむよりも、病によって得たものをよろこびたい」という心で、その後の二十余年の人生を歩んでいかれました。ご病気をされるまでは、厳格なイメージが強く、大学や大学院のゼミの講義で、少しでも教義とはずれた発表をしたり勉強不足の学生には、厳しいお叱りの言葉が出ていました。学問に対して妥協を許さず、あくまでも真理を追究していこうとされる真摯な研究態度が、そうした厳格なイメージにつながっていたように思われます。しかし、病後は、先生の温和なお人柄が印象深く想い出されます。

 

病気をされたとき、私は大学院に在学中でしたが、すでに講義数も少なく、また自家用車を持っておりましたので、先生が退院された後、週二回の通院の送り迎えをさせていただくことを申し出ました。約一年牛の送り迎えを通じて先生と身近に接しさせていただき、知らず知らずのうちに受けた薫陶(くんとう)と温情は計り知れません。

 

大学教授という立場にあって、その生命ともいうべき「ものを書く」「言葉を喋る」という二つの機能に障害が生じられたため、闘病のご苦労は、筆舌に尽くし難いものがありました。中でも、長年研究を続けておられた「真宗別途義の研究」を半ばにして断念せざるを得ない状況になられたことは、学者としていかに口惜しい思いをなされたことか、容易に推察できました。

 

しかし、そういう状況の中にあっても、本願寺の総会所へ聞法に通われることを欠かされませんでした。そして、病気をされて三、四年経った頃、先生が「今でも病気をして嬉しいとは思わないが、この頃になって有り難いと思うようになった」と述懐された言葉は今でも忘れません。それは「病気をしたからこそご法義がよろこばれる。病気は今まで気づかなかったよろこびの再発見である」との味わいからにじみ出た言葉です。

 

誰もが病気になることを好んではいません。その病気を有り難いと味わうことのできる心の他に、どこに力強い生き方があるでしょうか。如来の本願の大海に帰入すれば、病のままで病が有り難いと受けとめられていく、悪が消滅することなく善に転じられていく、まさに「深い悲しみ苦しみを通してのみ見えてくる世界がある」の言葉通りのことを恩師の先生から教えていただきました。

 

 

苦悩の原因

 

重い病気になったり、愛する人との別れや孤独、思い通りにならなかったりすれば、これらはいずれも苦悩に結びつきます。また人一倍仕事ができ、頭脳が明晰で、社会的に立派に生きていることを誇りにしている人ほど、身体や頭脳や判断力が衰えていくことが辛いでしょう。生きているときだけがすべてであって、死ぬことは惨めでありダメになることであると思っている人ほど、迎える死は最も恐いものになるでしょう。このように優劣を重視するものの見方には、そこに価値を認める度合いが強ければ強いばど、その反動としての苦悩も深くなります。

 

苦悩の原囚はいろいろと考えられますが、その根本は煩悩にあると説くのが仏教の教えです。三毒の煩悩について存覚上人の『顕名紗(けんみょうしょう)』には、

 

まづ三毒といふは、貪欲・瞋恚・愚癡なり。貪欲といふは、いろに著し、たからにふけるこころなり。瞋恚といふは、いかりをなし、はらをたつるこころなり。愚癡といふは、無明におほはれ正理にまどひたるこころなり。貪欲を生じ瞋恚をおこすことも、そのみなもとをいへば、みな愚痴よりいでたり。

(『真宗聖教全書三』三二五~三二六頁)

 

と述べられています。欲しいものを何としてでも手に入れようとする貪欲、怒ったり腹を立てたり妬みを抱く瞋恚、そして道理やものごとをありのままに見ることができない(無明)ために迷いを深める愚痴、これらの三毒の煩悩によって苦悩が生じるのです。したがって、厳しい修行をして煩悩を断ったり、コントロールできるようになれば苦悩はなくなりますが、私たち凡夫にはなかなかできることではありません。また苦悩のどん底にあるときは、願望通りになることによって苦悩は解決すると考えます。新興宗教の勧誘に心が揺らぐのはそのような状態のときではないでしょうか。

 

 

苦悩の障りと如来の功徳

 

浄土真宗の教えは、厳しい修行や願望が適えられることによって苦悩を超えていく教えではありません。親鸞聖人が『正像末和讃』に、

智慧の念仏うることは
法蔵願力のなせるなり
信心の智慧なかりせば
いかでか涅槃をさとらまし

(『註釈版聖典』六〇六頁)

 

と讃えられるように、「信心の智慧」によって目覚めさせられる中に、煩悩に惑わされて優劣・善悪・損得ばかり重視していた見方の虚しさが知らされ、それに執われない心が具わってきます。優劣・善悪に執われない心には、隣の家に蔵が建ってもあまり腹が立ちません。「よかったね」で済まされます。

 

聖人は、『教行信証』「行文類(ぎょうもんるい)」に、

 

しかれば、大悲(だいひ)の願船(がんせん)に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに衆禍(しゅか)の波転ず。

(『同』一八九頁)

 

と述べて、信心の人を「光明の広海」に浮かぶと言われ、その利益を阿弥陀如来の「至徳の風」によって、さまざまな禍の波が転じられていくことであると示されます。

 

まさに、

 

罪障功徳(ざいしょうくどく)の体となる
こほりとみづのごとくにて
こほりおほきにみづおほし
さはりおほきに徳おほし

(『高僧和讃』「曇鸞讃(どんらんさん)」、『註釈版聖典』五八五頁)

 

です。罪業や苦悩の障りと阿弥陀如来の功徳は決して別々のものではなく、本来一体のものです。喩えていえば氷と水のような関係であり、冷たい氷が多ければ多いほど溶けて流れる氷も多くなるように、苦悩の障りが多ければ阿弥陀如来の功徳も多く溶け入ります。

 

ナムアミダブツは無料(タダ)である。しかし、これを自分のものにするのには高い授業料を払わねばならん。授業料は金じゃない、自分の苦悩である

(『大きな手の中で』八六頁)

 

苦悩の障りと如来の功徳を巧みに表現された念仏医者・米沢英雄師の言葉です。
善導大師が『観経疏』「玄義分」に諸仏の救いの目当てを示されて、

 

しかるに諸仏の大悲は苦あるひとにおいてす、心ひとへに常没の衆生を愍念(みんねん)したまふ。ここをもって勧めて浄土に帰せしむ。また水に溺れたる人のごときは、すみやかにすべからくひとへに救ふべし、岸上のひと、なんぞ済ふを用ゐるをなさん。

(『註釈版聖典(七祖篇)』三一二頁)

 

と述べ、仏の大悲が苦悩の深い人に注がれているのは、ちょうど水に溺れている人を真っ先に救うことと同じことであって、岸の上にいる溺れていない人をどうして救おうとされるであろうかと語られています。いま現に溺れている人、自力で岸にたどりつくことができない苦悩のただ中にいる人を救うのが先であって、溺れていない人は救われる必要性さえありません。

 

人生、思い通りに物事が運んでいる間は、中々自分をあてにする心は廃りません。

 

逆に、思い通りにならないという苦悩を何度か体験していく中に、あてにしていた自分はあてにならないのではなかろうかということが少しずつわかってきます。人生での悲しみや苦しみも自分を知るための学びの場であり、そのときこそ聴聞の大きな機会でもあります。

 

苦悩が苦悩のままで終わらない、背負っている重い荷物が少しでも軽くなる人生を歩むためにも、日頃の聴聞が大切です。聴聞を通して「見えてくる世界」を一つひとつ味わっていただきたいと願っております。

(白川晴顕)

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2014年5月 きのう聞くも 今日またきくも ぜひに来いとの およびごえ 法語カレンダー解説

お願いだから、そのまますぐに来ておくれ

私がまだ学生の頃、恩帥・村上速水(そくすい)先生とともに京都の上桂にある浄住寺というお寺を訪ねたことがありました。浄住寺は黄檗宗の禅寺です。このお寺を会場にして一年に一度、元大谷大学教授の池山栄吉という先生を偲ぶ「一道会」が開催されていましたので、その会に初めて参加させてもらったのです。お寺には池山先生の二十七回忌を機縁として名号碑が建てられており、その裏面に善導大師の「なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん」の言葉を先生が解釈された「お願いだから、すぐに来ておくれよ」の文字が刻んでありました。

 

池山先生は大学でドイツ語を教えておられましたが、『歎異抄』を通して真の念仏者となっていかれ、『歎異抄』をドイツ語に翻訳された『独語歎異抄』をはじめ、『意訳歎異抄』『絶対他力の体験』『信を行く旅人』『仏と人』など、お念仏の味わいを述べられた書物も出版しておられます。その念仏者・池山先生を偲ぶ会が、なぜ禅寺を会場にしてと不審に思われるかもしれませんが、実は浄住寺の榊原徳草(さかきばらとくそう)住職(当時)は禅僧でしたが、篤信の念仏者でした。京都女子大学の元教授・宮地郭慧(みやじかくえ)先生や龍谷大学の元学長・千葉乗隆(じょうりゅう)先生も一時、下宿されたことのあるお寺でもありました。

 

本堂にお参りしますと、まずご住職調声のもとで、『歎異抄』の前半部分が朗読されます。『歎異抄』の言葉に感極まって泣きながら朗読されるご住職の姿は、三十年余り経った今でも脳裏に深く焼き付いております。まさに『歎異抄』の一言一句が私のための法語という味わいからのお姿でした。朗読が終わりますと、参加者の中から池山先生の思い出や『歎異抄』の味わいを述べる法話が始まります。お参りしたときには西元宗助先生、川畑愛義(あいよし)先生、花田正夫先生など、今から思えば錚々たる先生方がお話をされました。特に池山先生がよくいわれていた「お願いだから、すぐに来ておくれよ」の言葉を各先生方が味わい深くお話しされましたが、当時、学生であった私には充分理解できませんでした。

 

 

二河白道の喩え

 

親鸞聖人は『教行無証』「信文類」に善導大師の二河白道(にがびゃくどう)の喩えを引用されています(『註釈版聖典』二二三頁)が、そこには釈迦・弥陀二尊の喚びかけが示されています。二河白道は、進むことも死、とどまることも死という切羽詰まった状況のなかにある旅人が、東の岸から「きみ、ただ決定してこの道を尋ねて行け。かならず死の難なけん。もし住まらばすなはち死せん」という勧める声と、西の岸から「なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん」という喚びかけを聞きます。続いて、その勧める声と喚びかけについて、

 

〈東の岸に人の声の勧め遣はすを聞きで、道を尋ねてただちに西に進む〉といふは、すなはち釈迦すでに滅したまひて、後の人見たてまつらず、なほ教法ありて尋ぬべきに喩ふ、すなはちこれを声のごとしと喩ふるなり。……〈西の岸の上に人ありて喚ばふ〉といふは、すなはち弥陀の願意に喩ふ。

 (『同二二六頁』)

 

と述べられ、東の岸からの勧めは釈迦の教法に、西の岸からの喚びかけは阿弥陀仏の本願に喩えられたものであると説明されています。したがって、二尊の命令とは、釈尊が説かれた教えの勧め(発遣)と、「まかせよ、必ず救う」という阿弥陀仏の喚びかけ(招喚)を意味します。その勧めと「まかせよ」という喚びかけの命令に、命令通りに応えていくのが信心であり、これを『尊号真像銘文』には「帰命は、すなはち釈迦・弥陀の二尊の勅命にしたがひて、召しにかなふと申すことばなり」(『同』六五六頁)と解釈されています。池山先生は、「なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん」という阿弥陀仏の喚びかけを「お願いだから、すぐ来ておくれよ」と阿弥陀仏から願われている言葉として受け止めていかれたのです。

 

 

願われている宗教

『癌告知のあとで』という本を残して、四十七歳で浄土へ往生された念仏者・鈴木章子さんのお兄さんで、元大谷大学長の小川一乗先生に中央仏教学院の特別講義に一度ご縁をいただきました。仏教学者ですが、お念仏の教えをわかりやすくお話ししてくださいました。その先生が「神と仏」の相違について、次のようなことをいわれています。

 

 神は人間を超越した不思議な能力を有し、我々に禍福を降ろす存在である。

キリスト教の神は全知全能・宇宙を創造し我々を裁く絶対者としての存在であり、神道の神は国土を創造し支配する神聖な存在である。そして神は我々の欲望を適えてくれる存在であるため「願う宗教」というべきである。しかし、我々の方から「願う宗教」は、困った時の神頼みのごとく、不幸な出来事から逃避する「逃げる宗教」であり、いつも願いが適うとは限らないため、「裏切られる宗教」でもある。そして、願う心は日頃、神仏を大切にしておけば不幸な出来事がふりかかってこないかも知れないという気持ちが基本であるため、神仏との取り引きをすることにもなる。

これに対して仏教は我々が仏(覚者)に成る教えであるから、仏は我々の大先輩であり、中でも阿弥陀仏は、我々の欲望から解放してくれる存在である。「願う宗教」の虚しさに気づき、迷いから目覚めよと、目覚めた仏から「願われている宗教」である(『宗教』三〇八号・要旨)

 

先生のいわれる「願う宗教」は言い換えれば「請求書の宗教」であり、「願われている宗教」は「領収書の宗教」です。阿弥陀如来に願い事を請求していくのではなく、「ぜひに来い」と願われている喚び声に気づいて、「そのままおまかせします、有り難うございました」と応えていくのが領収書です。

 

 

聞くということについて

「きのう聞くも 今日またきくも ぜひに来いとの およびごえ」という言葉は、昨日の聴聞も今日の聴聞も、いつ、どこで聞いても、「ぜひに来い」と願われている喚び声に目覚めていくことです。

親鸞聖人は「聞く」ということについて、『大経』の本願成就文の「聞其名号」の言葉を解釈して『教行信証』「信文類」に、

 

しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きで疑心あることなし、これを聞といふなり

(『註釈版聖典』二五一頁)

 

といわれ、また一念多念文意』にも、

 

「聞其名号」といふは、本願の名号をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。

(『同』六七八頁)

と述べて、名号を聞くというのは仏願の生起本末を聞くことと示され、名号を聞くことがそのまま信心であるといわれます。聞く内容について、仏願の生起とは、阿弥陀如来が本願を起こされた理由であり、仏願の本末とは、阿弥陀如来が因の位(法蔵菩薩)のときに起こされた本願が、果の位(成仏)において願い通りに衆生を必ず救う本願力・名号が完成したということです。わかりやすくいいますと、私のこころと如来のこころの、二つのこころを聞くということです。

私のこころを聞くというのは、煩悩罪悪に汚染され清浄真実の心がないために、往生できる要素をまったく持たない私のあるがままの相を知らせてもらうということであり、如来のこころを聞くというのは、迷いの世界を脱け出すことのできない私を必ず救うはたらきであることを知らせてもらうということです。この二つのこころを聞いていくことが、そのまま「ぜひに来い」と願われている喚び声に日覚めていくことです。

(白川晴顕)

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2014年4月 一切は 縁において生まれ 縁においてあり 縁において去っていく 法語カレンダー解説

hougocalender201404縁起について

 

仏教の根幹をなす思想の一つに縁起があります。この世の一切の存在は直接にも問接にも何らかのかたちでそれぞれ関わり合い、同時に生滅変化しているという考え方です。縁起という語は因縁生起の略であり、因は結果を生じさせる直接の原因、縁はそれを助ける外的な条件のことです。「一切は縁において生まれ、縁においてあり、縁において去っていく」の言葉には、この縁起の思想が端的に表明してあります。
釈尊の悟りの内容は縁起の理法を達観されたことにあり、それはそのまま、仏教の標幟が諸行無常印・諸法無我印・涅槃寂静印の三法印にあるといわれる所以でもあります。すなわち、この世に存在する一切のものは、常往にして不変なるものは何もなく、時間的に因縁果の道理に沿って刹那刹那に変化してやまないために、それ自身、無常であると説くのが諸行無常印です。また一切の存在は他のものと空間的な因縁の関係をもたずして存在するものは何もなく、互いにもちつもたれつの関係にあると説くのが諸法無我印です。

 

それは私白身も単独に存在するものではなく、さまざまな因と縁が和合する中に生かされている仮の存在であるために、我として執着すべきものではないことを教えています。したがって、一切の存在そのものはもちつもたれつの関係にあるために、自性(固定した独自の性質)をもつものではなく、無自性なるものであることを知らせるために説かれたのが諸法無我印です。

 

そして、この諸行無常、諸法無我の真理に目覚めていくことこそ涅槃寂静の境地を体得することであり、それが仏道の目指すさとりの境地に他なりません。

 

 

一切は縁において生まれ

 

初めの「一切は縁において生まれ」という言葉ですが、この世に命が誕生するためにはさまざまな多くの縁がなければなりません。私か生まれてくるためにも父母の両親がいなければなりません。その両親にも二人の親、そうして先祖を遡っていきますと、十代前(三五〇年頃前の江戸中期)は千二十四人、二十代前(七〇〇年頃前の親鸞聖人の鎌倉時代)は百四万八千五百七十六人、三十代前(一〇〇〇年頃前の平安時代)は十億七千三百七十四万千八百二十四人の親の数になります。さらに四十代前二四〇〇年頃前の聖徳太子の時代)まで遡りますと、その数は一兆九百九十五億千百六十二万七千七百二十六人という膨大な数字になります。聖徳太子の頃の日本の人口は五百万人位であったといわれていますので、数が合わないことになりますが、これはすべての先祖が他人同士であったと仮定した上での計算結果です。先祖の中には同じ先祖を持つ人同士が結婚するということも多くあったことは否めません。

ともあれ、私の先祖は、あなたの先祖と同じ人であり、まさに日本国民は血の通った父母・兄弟です。

 

したがって親鸞聖人は『歎異抄』第五条に「一切の有情はみなもって世々生々の父母・兄弟なり」(『註釈版聖典』八三四頁)と述べられたのです。そして、その先祖の一人でも欠けておれば、今の私は存在していないということになります。私かこの世に存在するということは当たり前のことではなく、とても不思議なことなのです。

 

 

縁においてあり

 

次の「縁においてあり」という言葉は、この世の一切の存在はお互いにもちつもたれつの関係にあることを示しています。自然界では太陽によって育てられた草を草食動物が食べて成長し、その草食動物を肉食動物が補食します。

そして肉食動物が死ぬとバクテリアが大地に草の栄養物として還元するといった食物連鎖を取り上げてみても、一切のものは単独に存在するものは何もないということが解ると思います。私かこの世に存在するのも私一人の力で存在しているのではありません。生きていくためには野菜や魚、肉も食べなければなりません。多くの命を犠牲にして今の私か存在しているのです。

 

しかし、今の特に若い世代はそのことに気づいていない人が多いのではないかと思います。先日もテレビで若いディレクターが佃煮にされた小魚と串刺しにされたエビが皿に整然と並べら牡た状況を見て、「綺朧ですね」という言葉を言っただけで、それを口にしました。そこからは「命をいただきます、申し訳ありません」という気持ちさえ伝かってきませんでした。ディレクターだけではなく、これが現代の若い世代に共通した姿勢ではないかと思います。仏教の教えを全く知らないことが大きな要因であるといってもよいでしょう。

 

仏教国・ブータンでは牛肉などは食べても魚は決して食べないと聞いたことがあります。同じ一つの命であれば、数多くの命を犠牲にしなければならない魚より牛一頭で多くの命が養えるという考え方からだそうです。

 

金子みすゞの有名な詩に「大漁」という詩があります。

朝焼小焼だ
大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の
大漁だ。

浜はまつりの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだらう。

(『金子みすゞ童謡全集』 JULA出版局』)

 

大漁だ、大漁だと祭りのように喜んでいるのは人間中心の考え方です。鰮の立場になれば、それは兄弟・仲間への弔いに他なりません。

 

仏教のものの見方は、「私一人の力で生きているのではない、多くの命を犠牲にしなければ生きていけない私である、申し訳ありません」。ここに仏教徒としての基本姿勢があります。

 

 

縁において去っていく

 

そして、結びの「縁において去っていく」という言葉には、因果律、すなわちあらゆる現象には原因のない結果はあり得ないのだから、それを引き起こした原因が必ずあるという見方が示されています。

 

以前、元検事総長であった方が、「人間死んだらゴミになる」ということを言われ、話題になったことがありました。仏教は因果の道理を踏まえたものの見方をしますので、「人間は生きてきたように死んでいく」という捉え方をします。そうすると結果がゴミになるのであれば、その人の生き様はゴミのような人生であったということになります。もし仮に元検事総長のお孫さんが訪ねてきて、「お爺ちゃん、僕死んだらどうなるの」と質問したら、果たして、「おまえが死んだらゴミになるんだよ」と応えられたでしょうか。元検事総長がどのような気持ちで、この言葉をいわれたのか、はっきりしませんが、このような考え方であれば、「死んだらもうお終い、生きているときがすべてである」という享楽主義にもなりかねません。同時に死ぬ間際になれば、「今から死ぬからゴミ袋を用意して遺体をゴミとして出すように」と家族に依頼しておくことも必要です。そしてゴミになる死であれば、迎える死は安らかかといえば、決してそうではなく、恐怖そのものになっていくのではないでしょうか。

 

親鸞聖人は『教行信証』「証文類」に

 

しかるに煩悩成就の凡夫、生死罪濁(ざいじょく)の群萌(ぐんもう)、往相回向(おうそうえこう)の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚(だいじょうしょうじょうじゅ)の数に入るなり。正定聚に住するがゆゑに、かならず滅度に至る。

(『註釈版聖典』三〇七頁)

 

と述べて、他力の信心を獲得すれば、即時に正定聚の仲間になることができ、正定聚が約束されるために必ず滅度の浄土に生まれることができると示されます。煩悩が満ち満ちていようとも、生死を繰り返す罪業深い身であろうとも、阿弥陀如来の本願のはたらき一つにすべてをまかせたならば、それが因となって迷いのない浄土へ往生できる果が得られるのです。

 

職場で安心して働けるのも、旅行が安心してできるのも、帰る家があってこそではないでしょうか。それと同じように、生きているときに帰っていく世界、帰っていく浄土が持てるということは、人生そのものが充実し安心できるものになっていきます。「縁において去っていく」のが仏教の説く因果の道理ですから、その縁を大切なものにしていかなければなりません。

(白川晴顕)

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