2019年5月のことば 十方の如来は衆生を 一子のごとく憐念す

おつとめのうた

三歳になった娘が本願寺関係の幼稚園に入園したての頃です。一日の仕事が終わり家に帰って、娘に「今日は幼稚園で何をしたの?」と尋ねても、「わからない」となかなか教えてくれません。そこで「今日はどんなお歌を歌ったの?」と改めて尋ねると、少しためらいながらも、うれしそうに笑顔で、

きーみょーむーりょーじゅーにょーらーい
なーもーふーかーしーぎーこー
なもあみだぶー なもあみだぶー
なもあみだぶつー

と、かわいらしい声で歌ってくれるようになりました。「正信偈」の最初の二句「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい) 南無不可思議光(なもふかしぎこう)」(「日常勤行聖典」六頁)と「南無阿弥陀仏」に旋律
が付けられている歌です。そして、この歌を歌うときには、両手を合わせて合掌をしています。
娘本人がどのように感じているかはわかりませんが、親としてこのすがたを見ると感慨深いものがあります。なにもわからずこの世に生まれ産声をあげた我が子が、手を合わせ、仏さまの歌を歌ってくれるまでになってくれたすがたを見ると、十分とは言えないかもしれませんが、お念仏を伝えることができたのではないかと、ホッと安堵し嬉しく感じました。

それとともに我が身を振り返り、今ではすっかり中年のおじさんになっていますが、私にもこのような時期があり、何もわからない私にお念仏を伝えてくれた両親をはじめ、まわりの方々のお育てがあったのであろうと思い返されます。

『浄土和讃』勢至讃の文

五月のことばは、親鸞聖人の『浄土和讃』のなか、「勢至讃」のご文からいただいています。

超日月光(ちょうにちがっこう)この身には
念仏三昧(ねんぶつざんまい)をしへしむ
十方(じっぽう)の如来(にょらい)は衆生(しゅじょう)を
一子のごとく憐念す               (『註釈版聖典』五七七頁)

親鸞聖人の時代、仏教の教えは漢語・漢文をもって示されることが基本でした。親鸞聖人も、主著である『教行信証』など、漢語で多くの書物を著されています。しかしながら、当時の多くの人々にとって、漢語で書かれた書物を読み理解するということはむずかしいことでした。これは、現代でもそうかもしれません。
そこで、親鸞聖人は、多くの人々が心得やすいように、わかりやすいようにと、「唯信秒文意」や『一念多念文意』などの和語・仮名交じりの書物も著されています。
さらに、聖人は、七五調の和歌の形式で仏さまや高僧方の徳をわかりやすく讃えた歌を数多く作られました。これがご和讃です。

このご和讃のなかで、阿弥陀仏とそのお浄土について讃えられているのが、『浄土和讃』百十八首となります。『浄土和讃』では、親鸞聖人が大切にされた高僧である曇鸞大師(どんらんだいし)の『讃阿弥陀仏渇』、私たちが依りどころとする「浄土三部経」の「無量寿経(大経)』、『観無量寿経(かんむりょうじゅきょうかんぎょう)(観経)』、『阿弥陀経(あみだきょうしょうきょう)(小経)』などによって、阿弥陀仏およびその浄土について讃嘆されています。

この『浄土和讃』の結びにあるのが「勢至讃」八首で、冒頭には、

  『首楊厳経(しゅりょうごんぎょう)』によりて大勢至菩薩和讃(だいせいしぼさつわさん)したてまつる (『註釈版聖典』五七六頁)

とあります。どうして、「浄土三部経」や『讃阿弥陀仏偶』などに比べるとあまり馴染みがない『首楊厳経』という経典によって、阿弥陀仏ではなく勢至菩薩を、『浄土和讃』の結びで褒め讃えておられるのでしょうか。
『首楊厳経』は、詳しくは『大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首拐厳経(だいぶっちょうにょらいみっいんしゅしょうりょうぎしょぽさっまんぎょうしゅりょうごんきょう)』という経典名で、唐の般刺蜜帝訳と伝えられます。この経では、二十五人の聖者がそれぞれ釈尊の前で、どのように円通の理、真如をさとられたのかを説き述べられます。その二十四人目が勢至菩薩で、念仏によってさとられたことが説かれます。
この「勢至讃」が示される理由として、ひとつには、勢至菩薩が釈尊の前で、

教主世尊(きょうしゅせそん)にまうさしむ
往昔恒河沙劫(おうじゃくごうがしゃこう)に
仏世(ぶつよ)にいでたまへりき
無量光(むこうりょう)とまうしけり               (「註釈版聖典」五七六頁)

と、数えきれないくらいのはるか昔に阿弥陀仏がお出になられたと述べられていることから、阿弥陀如来が永遠の昔からの仏さまであることを示すためであるとされます。これは、同じ『浄土和讃』の「大経讃」で、

弥陀成仏(みだじょうぶつ)のこのかたは
いまに十劫(じっこう)とときたれど
塵点久遠劫(じんでんくおんごう)よりも
ひさしき仏(ぶつ)とみえたまふ                 (『同』五六六頁)

と示される意を承けたものです。

法然聖人の本地

そして、「勢至讃」が作られたもう一つの理由として、勢至菩薩こそが親鸞聖人の師である法然(源空)聖人のもともとのおすがたであると、受け止められていたことが挙げられます。
親鸞聖人は、二十九歳のときに、京都にある六角堂で救世観音菩薩のお告げを受け、比叡山を下りられました。そして、法然聖人のもとで阿弥陀仏の喚び声である名号(南無阿弥陀仏)のはたらきによって自身が仏と成っていく道を、ひとすじに聞いていかれました。
その後、朝廷や旧仏教による法然教団への弾圧によって、三十五歳のときに離ればなれとなってしまわれますが、親鸞聖人は生涯にわたって法然聖人を慕い敬われていました。親鸞聖人のお弟子である唯円房が著したとされる『歎異抄』には、晩年の親鸞聖人のもとへお弟子方が尋ねて来られた際に、

親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。(『註釈版聖典』八三二頁)

と語られたと示されます。ただただ師・法然聖人の教えを受けとり続けられたことが窺えます。
『浄土和讃』勢至讃の末には「源空聖人御本地なり」(『註釈版聖典』五七七頁)と示され、親鸞聖人は、この師・法然聖人を勢至菩薩がこの世に生まれ出でられた方であると受け止められておられたのです。法然聖人の教えをただただ聞いていかれた親鸞聖人。だからこそ、法然聖人のもともとのおすがたである勢至菩薩を、『浄土和讃』の結びで褒め讃えられておられるのでしょう。

手を合わせるすがたに

勢至菩薩に念仏を教えられたのが阿弥陀さまでした。今月のことばにある「浄土和讃」の後半部にも、

超日月光この身には
念仏三昧をしへしむ

と、阿弥陀如来(超日月光)が勢至菩薩(この身)にお念仏(念仏三昧)を教えられたと、『首楊厳経』にもとづいて示されています。阿弥陀さまから勢至菩薩へ、勢至菩薩が源空聖人として生まれ出でられ、親鸞聖人へと念仏の教えは伝えられたのです。
親鸞聖人は、法然聖人からお念仏の教えをひとすじに聞いていかれ、その教えを生涯大切に受け止めていかれました。そして、法然聖人から受け取られたお念仏は、よくよく案じてみるならば、阿弥陀さまのおはたらきによっているのだと受け止め
られました。それは、すべての衆生を照らす日光・月光を超えるような智慧の光であるとともに、衆生一人ひとりを「一子のごとく憐念」し、ひとり子を哀れ慈しむような仏さまの大いなる慈悲のはたらきとして受け止められるのです。
最初に、わが子が幼稚園に入園し、仏さまに手を合わせ、お念仏するすがたを見て、親として安堵し、それとともにわが身を振り返ってみると、という話を書きました。まだまだ形ばかりかもしれませんが、子にお念仏が伝わったことは、父親である私だけではなく、妻である母親や、父母の親である祖父母、また、幼稚園の先生方など、まわりの多くの方々との繋がりがあってのことでしょう。その繋がりはたいへんにありかたいものです。
ただ私自身を省みてみますと、法然聖人が親鸞聖人に、阿弥陀さまが勢至菩薩に念仏を教えられたように、私か子に念仏を伝えたのだとは到底考えられません。
確かに、わが子と同じクラスのお友達が手を合わせるすがたにもホツとしますが、わが子ほどにはホツとしないというのが、親としての直截な思いです。また、ホツとしながらも、日頃の無邪気な言動に振り回され、内心穏やかではない私かいます。
親としての時を過ごすほどに、親さま(阿弥陀さま)とほど遠い自分に気づかされます。
そのような私、そしてわが子を、一子のごとく哀れ慈しんでくださっている阿弥を合わせるすがたを見守ってまいりたいものです。
(長岡 岳澄)

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2019年4月のことば 真実の信心はかならず名号を具す。

学生さんからの質問

親鸞聖人を宗祖と仰ぐ浄土真宗本願寺派と関係する大学として、京都には龍谷大学などがあります。また、同じく本願寺派の僧侶を養成するための学校として、中央仏教学院があります。龍谷大学、中央仏教学院で講義をしていますと、数年に一度、「どうすれば信心を獲られるのでしょうか?」という質問を受けることがありま
す。私の経験からいいますと、真面目な学生さんほど、このような質問をする傾向があるようです。それだけ真剣に道を求めてのことなのでしょう。よくわかります。

阿弥陀さまの願い

四月のことばは、親鸞聖人の主著である『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』のなかからいただいています。

真実の信心はかならず名号を具す。        (『註釈版聖典』二四五頁)

 

親鸞聖人は、ただひとすじに阿弥陀さまのはたらきによって、この私か仏と成らせていただく道を聞いていかれ、その道を明らかに示してくださいました。阿弥陀さまのはたらきは、このようにして人々を救うぞ、という願いにもとづいています。
その願いこそが本願です。
本願は、私たちが依りどころとする「無量寿経」に「第十八願」として、

  設我得仏、十方衆生、至心信楽、欲生我国乃至二十念
若不生者、不取正覚。唯除五逆誹膀正法
(『浄土真宗聖典全書』三経七祖扁、二五頁)

と示されます。このご文を書き下すと、

とひわれ仏(ぶつ)を得(え)たらんに、十方(じっぽう)の衆生(しゅじょう)、至心信楽(ししんしんぎょう)してわが国(くに)に生(しょう)ぜんと欲(おも)ひて、乃(ない)至十念(しじゅうねん)せん。もし生(しょう)ぜずは、正覚(しょうがく)を取(と)らじ。ただ五逆(ごぎゃく)と誹謗正法(ひほうしょうぼう)とをば除く。                       (『註釈版聖典』 一八頁)

となり、現代語訳すると、

わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。        (「浄土三部経(現代語版)』二九頁)

となります。これは簡単にいうならば、「われを信じ、わが名を称える者は、かならず救う」という意になります。
本願は、「われにまかせよ、かならず救う」という阿弥陀さまの根本の願いであり、その願いが願いのとおりに完成され、南無阿弥陀仏の喚び声として私のところへ至り届けられているのです。

本願の三つの心

親鸞聖人の主著であり、浄土真宗の根本聖典である『教行信証』は、「教文類(きょうもんるい)」「行文類(ぎょうもんるい)」「信文類(しんもんるい)」「証文類(しょうもんるい)」「真仏土文類(しんぶっどもんるい)」「化身土文類(けしんどもんるい)」という六巻から成っています。

今月の法語は、この『教行信証』の「信文類」からいただいていますが、「信文類」の前半では、先はどの本願に誓われている「至心・信楽・欲生」の三つの心について、多くの紙数を費やし、ご指南が示されています。

阿弥陀さまのお浄土に生まれ仏と成らせていただく、この正しき因は阿弥陀さまからふり向けられる信心一つであると、親鸞聖人は聞いていかれました。七高僧のお一人である天親菩薩が、

世尊我一心 帰命尽十方 無尋光如来 (「浄土真宗聖典全書」」」三経七祖篇、四三三頁)
(世尊、われ一心に尽(じん)十方無擬光如来(ぽうむげこうにょうらい)に帰命(きみょう)したてまつりて『註釈版聖典(七祖篇)』二九頁)

と「一心」と示され、親鸞聖人も、

涅槃(ねはん)の真因(しんいん)はただ信心(しんじん)をもつてす
(『教行信証』信文類、「註釈版聖典」二二九頁)

と、一心、信心こそが、往生成仏の正しき因であると示されています。
そうであるにも関わらず、先はどのご本願には「至心・信楽・欲生」という三つの心が誓われています。なぜ三心の願いが発されているのか、親鸞聖人はこのことについて真剣に問い求められるのです。そして、

仏意(ぶつい)測(はか)りがたし。しかりといへども、ひそかにその心(しん)を推(すい)するに(「同」、『註釈版聖典』二三一頁)

と、阿弥陀さまのお心は、はかり知ることができないとしながらも、如来回向の一心(信楽)のところに、阿弥陀さまの真実の智慧(至心)も慈悲(欲生)も具わっていることを顕すために、三つの心として誓われているのだと受け止められるのです。
そして、

  まことに知んぬ、至心・信楽・欲生、その言異なりといへども、その意これ一つなり。なにをもつてのゆゑに、三心すでに疑蓋雑はることなし、ゆゑに真実ので心なり。これを金剛の真心と名づく。金剛の真心、これを真実の信心と名づく。                    (「同」、『註釈版聖典』二四五頁)

と結ばれます。三心とて心の関係性は大切なところですので、このほかにもさまざまな角度から、三つの心は一つの心におさまり、一つの心に三つの心が具わっていることが示されます。
しかし、いま重く受け止めたいのは、本願の三心をいかに受け止めるかを問い詰められた、親鸞聖人の姿勢です。

ありのままのはたらき

信心こそが往生成仏の正しき因であるという道を聞いていくとき、ややもすると、ご本願に三つの心が誓われているということを軽視してしまいがちです。信心こそが正因であり、信心ひとつで往生成仏させていただくという教えは、そこに深いおいわれがあり、それこそが大切でありますが、一面では、わかりやすく、わかりやすいがゆえに、考えることを止めてしまいそうになります。結果、ご本願に三つの心が誓われているけれども、それはそれで置いておいてともなりかねません。
しかし、そこで忘れてはならないことがあります。それは、『無量寿経』は釈尊が説かれたまさに仏説であり、ご本願は阿弥陀さまの誓いであるということです。釈尊、阿弥陀如来は仏さまです。仏さまは、真理をさとられた方であり、そのお言葉はさとりの世界からのお言葉です。それは、われわれの思議を超えた世界からのお言葉です。私は、そのお言葉をいただき、ありのままの仏さまのおはたらきを受け取っていくのです。親鸞聖人がご本願の三心を問い求められたことから、仏語を大切にする、ありのままの仏さまのおはたらきを受け取っていく姿勢を見つめなおしたいものです。
親鸞聖人は、先ほど引かせていただいた「これを真実の信心と名づく」に続いて、今月の法語である「真実の信心はかならず名号を具す」と示されます。これは、真実の信心には、必ず名号を称えるというはたらきがそなわっている。
(「顕浄土真実教行証文類(現代語版)』ニニー頁)

という意です。このお言葉も、やはり先ほどの本願の三心のように、ありのままの阿弥陀さまのおはたらきとして受け取らせていただきたいところです。
本願には、「至心・信楽・欲生」の三心に続いて、「乃至十念」(わずか十回でも念仏して)と念仏を称えることが誓われています。「乃至」と回数を限らないとお示しくださっていますが、信心と称名が誓われている本願です。その願いが願いの通りに完成され、私にはたらいてくださっているのです。

まあそうであろう

親鸞聖人晩年のお言葉に、

弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて、むかへんとはからはせたまひたるによりて、行者のよからんともあしがらんともおもはぬを、自然とは申すとぞとききて候ふ。
(『正像末和讃』、「註釈版聖典」六ニー頁)

とあります。むずかしいお言葉ではありますが、行者のはからい、私自身の良い、悪いといったはからいを雑えるのではなく、ただただありのままの如来さまのおはたらきにおまかせしていくことが示されています。ありのままの私か救われていくのではなく、ありのままのはたらきによって、この私か救われていくのです。
中央仏教学院には通信制教育があります。通信教育ですので、平素はテキストや書簡による学びとなりますが、講義をする機会もあります。通信教育の受講生にはさまざまな方がおられますが、龍谷大学や中央仏教学院の通学生と比べると、ご年配の方、また、これまで聴聞を重ねてこられた方が多くおられます。そのような方に、冒頭に書いたように、「どうすれば信心を獲られるのでしょうかという質問を受けることがあります」という話をすると、これまた私の経験からすると、なにもおっしゃらず、にこっと微笑まれる方が多いように思われます。少なくとも「私は信心を獲ていますよ」とは言われません。
親鸞聖人は、五十九歳のとき、風邪をひかれて床に伏しながら、高熱の夢うつつのなかで、昔、衆生利益のために「浄土三部経」の千部読誦を志したことを思い出されました。そして自力のはからいが、いまだ経験としてご自身の内面に影響を与えていることを反省されて、「まはさてあらん(まあそうであろう)」(『恵信尼消息』、『註釈版聖典』八二(頁)とおっしゃっています。
「こうすれば信心が獲られますよ」とは、軽々しく答えられることではありません。ただ、「真実の信心はかならず名号を具す」と、ありのままのおはたらきをともどもに聞き、自らの過去を振り返りつつ、「まはさてあらん」と肯いてまいりたいものです。                                 (長岡 岳澄)

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2019年3月のことば われらは善人にあらず 賢人にもあらず

「賢善精進」の深意

三月のことばは、親鸞聖人の『唯信炒文意』というご著作のなかにあります。
親鸞聖人が聖教を拝読されるにあたって、ときに独自の訓点によって大胆な訓み替えをなさったことは、よく知られています。なかでも、その代表格ともいえるのが、善導大師の「散善義」の文の訓み替え(『顕浄土真実教行証文類(教行信証)」信文類、『註釈版聖典』一二七頁)ですが、この『唯信炒文意』では、それを一語一語
細かく区切ってご解釈くださっており、今月はそのなかの一文です。
まず、もともとの善導大師の「散善義」の文を見ておきましょう。原文は漢文体です。

不得外現善精進之相内懐中虚仮
(『浄土真宗聖典全書』‥』三経七祖篇、七六一頁)

とあります。この文を普通に読み下せば、

外(ほか)に賢善精進(けんぜんしょうじん)の相(そう)を現(げん)じ、内(うち)に虚仮(こけ)を懐(いだ)くことを得(え)ざれ。

『註釈版聖典(七祖篇)』四五五頁)

となるでしょう。「外面」だけ賢そうにして、内側が虚仮不実であるようなことであ ってはならない」といった意味になります。
これを、親鸞聖人は、

外(ほか)に賢善精進(けんぜんしょうじん)の相(そう)を現(げん)じ、内(うち)に虚仮(こけ)を懐(いだ)けばなり

「(『教行信証』信文類、『註釈版聖典』一七頁、()内引用者)

と読み下されています。「内側が虚仮不実であるのだから、外面を賢そうに振る舞っ てはいけない」といった意味になるでしょう。
似ているようで、少し意味が違ってきます。善導大師の場合は、外見が賢善精進 のすがたを取るのであれば、内面が虚仮不実であってはならないという、内外の不 一致を問題とされているのに対し、親鸞聖人の場合は、内側が虚仮不実の身である ことは動かしようがないので、外見を賢そうに振る舞ってはならないとされ、さら に厳しい自己内省が徹底されているように思われます。 「この文脈に沿って、細かく善導大師の文を解釈されていくなかに標題の一文があり、「私たちは、善人でもなければ、賢人でもない」と示されています。だから賢善精進の相を示すことなどできないのです。

智者のふるまひをせず

この大胆な訓み替えのベースには、「一枚起請文」に記された、法然聖人のお心が あるのではないかと想像しています。現代風にいえば、「念仏者の誓い」とでもいう べき規範です。

もろこし(中国)・わが朝に、もろもろの智者達の沙汰しまうさるる観念の念に もあらず。また、学文をして念の心を悟りて申す念仏にもあらず。ただ往生極楽のためには南無阿弥陀仏と申して、疑なく往生するぞと思ひとりて申すほかに 別の子細候はず。(中略)このほかにおくふかきことを存ぜば、二尊の あはれみにはづれ、本願にもれ候ふべし。念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法 をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがら におなじくして、智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし。
(『註釈版聖典』一四二九頁)

中国(「もろこし」)から仏教が伝来して以来、多くの高僧方による理解では、「念 仏」の「念」とは、精神を統一して邪念を雑えず、心に波風をたてず、浄土や阿弥 陀仏のすがたをありありと想い浮かべる、「観念」とされてきました。しかし、私たちのような心の散乱する凡夫において、乱れ心なく精神を統一することは、およそ 不可能です。ご法事のときでさえ、「焼香を早く回せや」、「料理はまだ来ないのか」 などと、すぐに雑念が湧いてきます。
「十方衆生」と阿弥陀さまが喚びかけられた、すべての者を等しく救いとろうと誓 われた本願の「乃至十念」の「念」が、特別の者しかなしえない、精神を統一した、「観念」の念仏のはずはありません。心の散乱する凡夫になしうる「念仏」とは、ロにお称えする「称名念仏」以外にはありえないのです。
わずかばかりの知識を持っているといっても、仏さまの智慧に比べると、何ほど の価値もありません。仏智の前では、ひとりの患者に過ぎないのがお互いです。そのような凡夫・悪人を救いの目当てとされた阿弥陀仏に対して、自らの智慧に頼り、 自らの智慧を誇ることは、むしろ背信行為であって、仏智の前では、ただ愚者であ り凡夫・悪人であるのが、私という存在です。

人間の怖さ

しかし、私たちは、ついつい善人の側に立とうとします。 ロングラン・ドラマだった「水戸黄門」では、必ずと言っていいほど、悪代官と悪徳商人が登場します。「こんな悪い奴は、早くこらしめてやれ」と、私たちの心が 叫びます。善人の側に立っているということですね。 数年前に流行った「半沢直樹」というドラマでは、銀行という組織の不条理に対 し、「やられたら、やり返す。倍返しだ」の決めぜりふで、相手を土下座させていま したが、それを痛快に喜んでいるのが私たちです。また、「忠臣蔵」での赤穂浪士の仇討ちに拍手喝采するのが私たちです。
「テレビのニュースを見ていると、毎日のように凶悪な犯罪が報道されます。そん なとき、「こんな犯人は厳罰にしろ」と裁くのが私たちです。しかし、同じような縁 に触れたら同じことをしたかも知れないという、自分自身の怖さに気付いているでしょうか。

法然聖人は、幼い頃、深夜、近くの賊に襲撃され、お父さんの漆間時国は命を落とします。瀕死の重傷を負ったお父さんは、いまわの際に、幼子であった法然聖人 に、「仇討ち」をしてはならないと諭されます。仇を討てば、今度は自らが仇討ちの 対象になり、恨みの連鎖が永遠に続くと諭されたのです。「やられたら、やり返す」 では、恨みの連鎖にしかなりません。
覚如上人が書かれたお書物に、『拾遺古徳伝」という、法然聖人の事跡を紹介され た伝記があります。極悪人として知られた耳四郎が、法然聖人のご教化に出遇う場 面の締めくくりに、

今時の道俗、たれのともがらかこれにかはるところあらんや。
「(『浄土真宗聖典全書』相伝篇上、一六五ー一六六頁)

と述べられています。こういわれると、「私は、耳四郎ほど悪人ではありません」と
弁解したくなりますが、

つくるもつくらざるも、みな罪体なり。おもふもおもはざるも、ことごとく妄 念なり。
『同』一六六頁)

と続くのです。悪いことをしたのが悪人で、しないのが善人という単純な話ではあ りません。マムシやハブのような毒蛇は、噛んだから毒蛇なのではありません。人 間の見方からすれば、噛もうが噛むまいがマムシは毒蛇なのです。そして、私たち も縁に触れたら何をするかわからない同じものを持っているということです。
また、こんなこともあるでしょう。近所の人との会話のなかで、「私は、つまらな い人間で」と言ったときに、「やっぱり、そうでしたか」と言われると、腹が立ちま す。「うちの子は、私に似て出来が悪くて」と言ったときに、「そりゃ、そうでしょう ね」と言われたら、「この人とは、二度と口をきかない」という気になります。口で は「あさましい」「罪深い」と言っていても、結局は、善人や智者の側に身を置いているのです。

機の深信・法の深信

法然聖人は、また、

浄土宗の人は悪者になりて往生す(『親鸞聖人御消息』、『註釈版聖典』七七一頁)

とも述べられています。私たちは、この「愚者になる」ということがむずかしいの かも知れません。すぐに善人になりたがる習性があるからです。
しかし私は、そんなにむずかしいことでもないように思います。それは、つねに 仏さまとお話をすればよいと思うからです。仏さまの智慧の前では、私は、愚者以 外の何ものでもないからです。仏さまの智慧に出遇ったとき、患者という私の本当 のすがたが知らされます。浄土真宗では、それを「機の深信」と称しています。

決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、臓却よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。
(『観経疏』「散善義」、『註釈版聖典(七祖篇)』四五七頁)

と示されます。いつから迷い始めたのかわからないほど、長い長い間、迷い続けて
きたのが私たちです。そこには、自分に誇る思いは微塵もありえません。しかし同
時に、

決定して深く、 の阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑な おもんぱか」 く慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず。
(『同』)

という「法の深信」、ご本願によって救われていくよろこびに支えられた身でもあるのです。

「われらは善人にもあらず、賢人にもあらず」(『註釈版聖典』七一五頁)

この「愚者」 の自覚こそは、「機の深信」という厳格な自己内省です。そして、それは、「法の深信」というよろこびに支えられた歩みでもあるのです。これこそは、仏さまの智慧
に出遇った者が恵まれる、尊い生き方です。
(満井 秀城)

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2019年2月のことば きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。

「聞」と「信」

「浄土真宗は、聴聞にきわまる」といわれます。
なぜ、そうなのかが明らかになるのが、二月のことばです。これは、親鸞聖人が書かれた『一念多念文意』というお聖教(しょうぎょう)のなかにあります。少し前からの一連の文を、以下に引用しておきます。

「聞其名号(もうごみょうごう)」といふは、本願(ほんがん)の名号(みょうごう)をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞(もん)」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。               (『註釈版聖典』六七八頁)

上下二巻で構成される『無量寿経(むりょうじゅきょう)』(『大経』)の下巻の冒頭には、阿弥陀さまの本願が成就されたことをあらわす第十八願成就文があります。この成就文では「聞其名号」とある「聞」について、『一念多念文意』では、二つの文章を通してご教示くださっています。
第一文は、

  きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。

という文です。「聞く」ということについて、「聞いて疑う思いがない」ことであるといわれるのです。ここでは、「聞」を疑いのない心(無疑心)、すなわち「信」によってあらわしておられます。
第二文が標題の文で、

  きくといふは、信心をあらはす御のりなり。

とあり、「聞く」という語が、「信心」をあらわす。つまり、「聞く」という語によって「信心」があらわされるというわけです。
どちらも、「聞く」ということについてのご教示ですが、構造が少し異なっています。図示してみますと、第一文が、

聞←信 (信によって聞をあらわす)

第二文が、

聞→信 (聞によって信をあらわす)

というふうに、双方向の構造であることがわかります。つまり、「聞」と「信」とが、互いに双方向で規定しあっているわけで、そのゆえに、「聞即信(もんそくしん)」(聞くことが即ち信心である)の法義が成立するのです。論理学的にいえば、AとBとが、互いに「必要」にして「十分」であるとき、A=Bとなります。

先手の救い

「聞即信」の「即」とは、「聞」と「信」との間に何も入る余地がないことをいうのです。「聞」と「信」との間に何かが介在したのでは、「即」とはいえません。「聞いて、わかって、信になる」とか、「聞いて、考えて、信になる」とか、間に自分の仕事が入ると、「聞即信」の聞き方ではないことになります。「わかる」とか「考える」とか、そのような私の心のはたらきが介在しない聞き方でなければなりません。
私事になりますが、私は、大学から大学院に進学するときに、別の大学に移りました。もう三十五年以上が経ちますが、今も鮮明に覚えています。
大学院の入学試験は、一次試験と二次試験とに分かれていました。一次試験の筆記試験にパスしか者が、二次試験の口頭試問(面接)に進めるのです。二次試験に臨むためには、一次試験から数日後、合格発表を見に行って、一次試験に合格した者だけが、そのまま二次試験を受けるという形でした。ですから、とにかく一次試験の発表は見に行かねばなりませんでした。二次試験の結果発表も、その日ではなく、これも数日後で、しかも、現在のように、ホームページでの掲示もありませんでし
たから、実際に見に行くほか、確認のしようがない時代でした。
福岡から大阪までわざわざ旅費を使って合格発表を見に行って、それで落ちていたのでは、お金のない学生にとってはつらいものです。そこで、高校の同級生で、その大阪の大学にまだ四回生で在学中の友人がいましたから、彼に発表の日時と私の受験番号とを伝え、代わりに見て電話で知らせて欲しい、と頼んでおきました。
発表当日、その時間が近づくと、そわそわします。当時は、携帯電話のような便利なものはなく、自分の部屋に固定電話もありませんでしたから、下宿の電話の前に張り付いていました。ところが、発表時間になって三十分か過ぎ、一時間が過ぎても、いっこうに電話がかかりません。そうすると、いろいろなことを考えます。「頼んだことを忘れていないだろうか」「日を間違えていないだろうか」「落ちていたから、なかなか電話がかけられずにいるのかも知れない」などと、いろいろな心配をし始めます。
電話がある大家さんの部屋に長くいることもできないので、自分の部屋にもどっていました。何時間も経った夕方になって、大家さんから「満井さん、電話ですよ」
と呼ばれて電話口に出ると、「通ってたよ」のT百です。「もっと早く知らせてよと思いましたが、とにかく「ありがとう」とだけ言って、電話を切りました。
私かいろいろな心配をする以前に、私の合格は、すでに決まっていたのです。私か心配し、いろいろと考えたから合格したのではありません。合格を知ったときには、すでに私の仕事は手遅れです。
私か考えて、私か理解して、それで初めて往生できるのではありません。私の仕事はすでに手遅れの、阿弥陀さま先手の救いの法を聞くのです。私の合格を教えてくれたのは、同級生でした。阿弥陀さま先手の救いの法を教えてくださったのは、お釈迦さまであり、親鸞さまだったのです。

無条件の信心

浄土真宗は、「信心正因(しんじんしょういん)」の法義です。時折、「絶対他力、無条件の救いなら、どうして、信心という条件があるのか」と訊かれることがあります。私は、「そうなったら仏教ではない」と答えることにしています。
『増一阿含経(ぞういちあごんぎょう)』という経典には、仏教とそうでないものとを見分ける、三つの指標が説かれています。「こうなったら仏教ではない」という目印です。一つは「宿命造」。いわゆる運命論・宿命論です。自分の人生は、すでに運命によって決定している。こうなったら仏教ではありません。お釈迦さまは、精進・努力によって自らの未来を切り拓く教えを説いてくださいました。
二つめは「尊裕造(そんゆうぞう)」。神意論のことです。この世界は唯一絶対の神によって造られ、全知全能の神によって支配されているという、ちょうどキリスト教のような考え方です。阿弥陀さまが全知全能の創造主であるのなら、いやでもおうでも浄土へ引きずり込むということもあるかもしれませんが、こうなったら仏教ではありません。
三つめが「無因無果(むいんむか)」。偶然論のことです。当然のことながら、仏教は因果の道理を説きます。私のさとり(仏果)には、私の側に仏因がなければなりません。それが正しい因果の道理というものです。おなかがすいたからといって、代わりに食事をしてもらっても、私は満腹になりません。私の仏果には、私の側に仏因がなければなりません。それが仏教の原則で、浄土真宗では、それを「信心正因」とするのです。
しかしながら、私の側の仏因といっても、私の側には迷いの元ばかりで、仏因になるようなものは、何ひとつ持ち合わせておりません。私の迷い心でつくった信心ならば、仏因になるというような厚かましいことはいえないのです。「かつて一善もなし」『無量寿経』、『註釈版聖典』六九頁)といわれる身において、仏因になりうるものは、阿弥陀さまからの真実が届けられる他力回向の信心のみです。

喚び声のままの信

「信心」は、「心」という字があるように、私の心に起こるものです。私の心に起こることについて、私のはたらき(自力)が関わったのでは、迷いのもとが雑じることになり、仏因とはなりえません。
私の心に起こることでありながら、私の心のはたらきをさせないあり方とは、どういうことになるでしょう。それが、聞くままがそのまま信となる、「聞即信」のあり方です。
「聞く」という行為は、先手の音声があって、初めて成立します。私か講義をたのまれても、日時を間違えて一日遅く行ったら、せっかく集まってもらった受講生にとっては、私か到着してないので「聞く」という行為は成立しません。
阿弥陀さまが「喚び声」の仏さまとなられたのは、私の心に起こる信心について、私の心のはたらきをさせず、先手の「喚び声」がそのまま信となる、まさに「他力回向」の信となる救いの構造を完成されたからです。
ちなみにですが、人間の五感のうち、一番最後まではたらいているのが、実は耳なのだそうです。お医者さんからの受け売りにすぎませんが、心臓が止まり、脈も呼吸も止まり、瞳孔がひらき、脳波が平坦になり、「ご臨終です」と宣告された後も、耳だけは、数十秒、長い人だと、数分間、聞こえているのだそうです。どうやって
確かめるのかは聞き忘れましたが、人間にとっては聞くということが最も基本なのかも知れません。
(満井 秀城)

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2019年1月のことば 如来誓願の薬は よく智愚の毒を滅するなり

自力が捨たる

一月のことばは、『教行信証』信文類(『註釈版聖典』二四六頁)からの一文です。「智愚の毒」。あまり聞き慣れない言葉かも知れません。「智者の毒」と「愚者の毒」といったところでしょうか。

「智者の毒」とは、どういうものでしょう。
「智者のふるまひ」「二枚起請文」、『註釈版聖典』 一四二九頁)という言葉もあるように、所詮わずかほどしかない自らの智慧をひけらかし、阿弥陀さまの他力にまかせない自力心のことと考えられるでしょう。

「雑毒(そうどく)の善(ぜん)」(『観経疏(かんぎょうしょ)』「散善義(さんぜんぎ)」、『註釈版聖典(七祖篇)』四五五頁)という言葉もあります。私たちの行う善は、仏さまのような完全な善ではなく、自力心という「毒が雑っだ」善なのです。
スーパーやコンビニなどでは、簡単便利で、しかも結構おいしいインスタント食品が、たくさん売られています。ずいぶん前に、冷凍食品に農薬が混入された事件がありましたが、どんなにおいしい冷凍食品でも、一滴の農薬によって「有毒食品」になってしまいます。どんなご馳走でも、有毒物質が混入したら一瞬にしてぷ『饅頭に変わるのです。せっかく阿弥陀さまの本願力に出遇っていながら、つまらない浅智慧という、自力の手垢がついた途端に台無しになるのが、自力のおそろしいところです。
この自力心のことを「本願疑惑」とも称しています。自らの智慧や力に頼る思いが残っているから、阿弥陀さまの他力にすべてをおまかせしないあり方になるのです。本願を信用しきれず、本願を疑っているから、自らを誇り、自力に頼ろうとするのです。
この自力心は、どうしたらなくなるのでしょう。
絶えず自力の思いに細心の注意を払い、自力心が顔を出すたびに、「自力が出た」「自力が出た」と、その都度、自力を退治していけばよいのでしょうか。しかし、これでは絶対に自力はなくなりません。自力が出てくるたびに、永久に自力を退治し続けたとして、最後に残る自力は誰が退治するのでしょう。最後まで、捨てる自分が残るという迷路に入ってしまいます。自力が一滴でも雑ったら他力になりません。しかも、自力で自力はなくぜないのです。自力をなくそうとする自力の延長線上には、他力はありません。
私かよくご法座の最後に申しあげる讐えがあります。「みなさん、訳のわからない話に長時間、おつきあいくださってお疲れになったでしょう。これから御座が終わって自宅に戻られたら、どうか、ゆったりとしたソファーに、身体をゆだねてみてください。ゆったりしたソファーに身を預けた瞬間に、肩の力がスーツと抜けるでしょう。実は、これが自力の捨たったすがたです。自力は自力で捨てられません。阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲の御手にゆだねたところ、他力にまかせたところで、おのずと自力が捨たるのです」

「三毒の煩悩」の治療

次に、「愚者の毒」とは、どういうことでしょう。
代表的なものに「三毒」の煩悩があります。「貪欲(むさぼり)」「瞑恚(いがり)」「愚痴(おろかさ)」の三つです。
「本願疑惑」は信心獲得によって晴れますが、煩悩は死ぬまでなくなりませんね。
表紙のことばのときにも申しましたように、「煩悩具足」の身として、

  臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず

です。
確かに、念仏申す身にならせていただいても、煩悩具足の身であることは変わりません。しかし、何も変わらないのかというと、そうでもないように思います。少なくとも、迷信には惑わされなくなりました。また、お互いの明日がわからず、ともすれば死んだらおしまいと思っていたのが、このいのちの落ち着き先がお浄土だと気付かせてもいただいたのです。腹が立ったら二この野郎」と拳が上がり、不快なものは払いのけようとする私の手が、仏さまの前では自然と合わされ、他人の悪口を言うのが楽しく、愚痴ばかりこぼしている私の口から、思わず知れず、お念仏がこぼれ出るのです。これらは、やはり何かが変わっているのだと実感します。
それが、「如来誓願の薬」のはたらきでしょう。この語を考えるとき、親鸞聖人のご消息が思い出されます。

もとは無明(むみょう)の酒(さけ)に酔(よ)ひて、貪欲(とんよく)・瞑恚(しんに)・愚痴(ぐち)の三毒をのみ好みめしあうて候(そうら)ひつるに、仏のちかひをききけじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして、阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし。
(『親鸞聖人御消息』、『註釈版聖典』七三九頁)

ここに、「阿弥陀仏の薬」によって、「三毒」を好まなくなる身に変えられることが示されています。
親鸞聖人の晩年には関東を中心に、阿弥陀さまの救いを誇る「本願ぼこり」や、そのように本願に甘えて、悪事を犯しても浄土往生の妨げにはならないという、「造悪無凝」といった誤った考えが広まりました。このご消息は、その上うな特定の状況を背景にしたものですが、「阿弥陀仏の薬」という言葉には、やはり注目せざるをえません。

智慧の光

「三毒の煩悩」が、「阿弥陀仏の薬」によってどんなふうに治療されていくのでしょう。私は、阿弥陀さまの智慧の光、「十二光」に注目しています。
「十二光」のうち、「清浄光」は、私たちの「貪欲」に向けられます。かさばりに汚れた私たちの心を、清らかな光で治療してくださるのです。
「歓喜光」は、私たちの「胆恚」に向けられます。喜んでいるときに、同時に怒りは起こりません。
私は、何か欲しいものがあるときは、妻の機嫌のいいときを狙います。今の職分に就くにあたって、本山のある京都に引っ越すことになりました。それまでも、私は宗学院という本山の機関に何年も在籍していましたから、週に二日は京都に用がありました。この問ずっと、大阪にある学生時代からのアパートから京都に通っていたのですが、引っ越すことになったので、「せっかくだから、いいオーディオが欲しいな」と思ったのです。妻の機嫌の悪いときに相談しても、にべもなく拒否されると思いましだから、機嫌のいいときを狙ったわけです。親がこれですから、子どもも学習します。親の機嫌のいいときに、「小遣いを上げてくれ」とねだるのです。
「智慧光」は、私たちの「愚痴無明」に向けられます。私たちの愚かな心に、智慧のお徳を届けてくださいます。
このように、阿弥陀さまは、「清浄・歓喜・智慧」の光によって、私たちの三毒の煩悩を治療してくださるのです。しかしながら、私たちは、「煩悩成就」の身ですから、次から次へと煩悩が湧き起こってきて、さっきまで機嫌が良かったのに、急に怒り出したということも、しばしばです。そういう私たちですから、さらに「不断光」として、断えず治療薬を施してくださるわけです。
私たちは、このような阿弥陀さまの智慧の光によって、三毒の煩悩が少しずつ治療されています。それが、第三十三願に誓われる、身も心も「鯛光柔軟」となるあり方です。この第三十三願を、親鸞聖人は真の仏弟子の利益として、『教行信証』信文類に引用されています(『註釈版聖典』二五七頁)。

こころにまかせずたしなむ

それでもなお、私たちが「煩悩具足」の身であることに変わりはありません。死ぬまで煩悩の花盛りです。
しかし、阿弥陀さまは、その煩悩の根っこを切ってくださっています。昔から、「切り花は実を結ばない」と言い慣わしています。煩悩自体は花盛りですが、根っこを切ってもらってますので、阿弥陀さまの名号(念仏)の功徳によって、この世で往生浄土が定まった正定聚の位につくのです。
そして、さらに私たちの欲望には際限がありませんが、お念仏申す身にならせていただくことで、つあれが欲しい」「これが足りない」という、不平・不満であった毎口が、「ありかたい」「もったいない」という、感謝の毎日に変わってくるのです。
蓮如上人は、『蓮如上人御一代記聞書』第五十五条に、

  こころにまかせずたしなむ心は他力なり。    (『註釈版聖典』 二五○頁)

とおっしゃっています。念仏者は、自らの欲望に振り回されず、「たしなむ心」をめぐまれ、つつしむ身にならせていただくのです。
ちなみに、標題の文の直前にある「阿伽陀薬」という万能薬の讐えは、法然聖人も用いられており(『選択集』、『註釈版聖典(七祖篇)』コー六〇頁)、親鸞聖人は、法然聖人から受け継がれたものと考えられます。万能薬ですから、「智者の毒」にも「愚者の毒」にも効くのです。
(満井 秀城)

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2019年表紙のことば 煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり

浄土真宗特別の法義

表紙のことばは、もともとは「不断煩悩得涅槃(ふだんぼんのうとくねはん)」(『日常勤行聖典』 )とい
う漢文を書き下したものです。
「あっ、それなら聞いたことがある」と思われた方も多いでしょう。それもそのはず、日頃、毎日の勤行(ごんぎょう)(お勤め)として親しんでいる「正信褐(しょうしんげ)」のなかの一句です。
毎日の勤行ですから、経本がなくても、スイスイと読める人も多いでしょうね。それはそれで、ありかたいことではありますが、逆に、つい無意識に読み進めてしまい、一句一句に込められた、尊く深いみ教えを充分に味わわずにいるとしたら、とても、もったいないことです。
「正信褐」の一句一句は、どの句にも浄土真宗のみ教えが凝縮されています。そのなかでも、この「不断煩悩得涅槃」は、字数においてたった七文字ですが、それまでの仏教の常識を根底から覆すほどの圧倒的インパクトがあるように思っています。

蓮如上人の「御文章」(信心獲得章(しんじんぎゃくとくしょう))の後半に、いまの「煩悩を断ぜずして涅槃を得」の文を、

  この義(ぎ)は当流一途(とうりゅういちず)の所談(しょだん)なるものなり。     (『註釈版聖典』 一一九項)

と述べられていて、浄土真宗ならではの特別な法義と評されています。

断ち切れない煩悩

その大きな意義を理解していただくために、まずは言葉の意味から見ていきましょう。
もともと「涅槃」という言葉は、サンスクリット語の「ニルヴァーナ」の音写と考えられています。その「ニルヴァーナ」には「吹き消す」という意味があり、煩悩の火が「吹き消された」状態を「涅槃」といいますから、煩悩を断たなければ「涅槃」とはいえないはずです。
そうすると、この標題の一文は間違っているのかというと、決してそうではありません。「煩悩を断ぜずして涅槃を得」とは、先に見たような「状態」についての定義を述べたものではありません。「誰が断つのか」という「王語」を問題とした文章なのです。
私たち凡夫は「煩悩具足」の身であって、自分自身の力で煩悩を断じ滅することはできません。親鸞聖人が、

  「凡夫(ぼんぶ)」といふは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらが身にみちみちて、欲もおほく、いかり、はらだち、そねみ、ねたかこころおほくひまなくして、臨終(りんじゅう)の一念(いちねん)にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず  『二念多念文意』、『註釈版聖典』六九三頁)

と示されるとおりです。
阿弥陀さまは、私たちがそのような身であることを、すでに、よくよくご存じの上で、この凡夫を「必ず救う」と立ち上がられ、無上の誓願をおこしてくださったのです。そして私たちは、この仏力・他力によって、さとりを得ることができるのです。
したがって、私たちの煩悩が迷いの果を引くという力を断ち切ってくださるのは、仏力・他力によるほかはありません。これを衆生の側では、「不断」であると示されているわけです。
つまり、煩悩を断ぜずして「涅槃」はありえませんが、仏力によって断たれ、私たちが断つのではないということを、衆生の側では「不断煩悩」といわれるのです。

不回向のこころ

このことは、「不回向(ふえこう)」の場合と同じです。
念仏が「不回向」の行であることについては、まず法然聖人が明示されておられます。

不回向回向対(ふえこうえこうたい)といふは、正助二行(しょうじょにぎょう)を修(しゅ)するものは、たとひ別に回向(えこう)を用(もち)ゐざれども自然(じねん)に往生(おうじょう)の業(ごう)となる。      (『註釈版聖典(七祖篇)』 一一九七頁)

と『選択集(せんじゃくしゅう)』で述べられるように、諸行は回向によって仏に功徳を振り向ける必要がありますが、念仏は阿弥陀仏が選定された行であるから、その必要がないということです。
親鸞聖人も、もちろん、この義を受けられますが、さらに、

  凡夫回向(ぼんぶえこう)の行にあらず、これ大悲回向(だいひえこう)の行なるがゆゑに不回向(ふえこう)と名づく。
(『註釈版聖典』四七九頁)

として、「大悲回向」だから衆生にとっては「不回向」なのだと、『浄土文類聚紗(じょうどもんるいじゅしょう)』に
示されています。他力が100だから、衆生は0ということです。
阿弥陀さまから回向されたものを、また、こちらが回向する必要などありません。ある年の夏に、ある人から、缶ビールか何か日持ちのいいものが、お中元として送られてきたとしましょう。日持ちがいいからと思って、しばらく物置にしまっておきました。ところが、お歳暮の時期になって「何かしなければ」と思い出し、物置を探してみると、まだ賞味期限内の缶ビールの箱がありました。「これがいい」と思って、「お中元」と書かれた紙をはがし、「お歳暮」と貼り替えてお返しをしたとしたら、先方はどう思うでしょう。「お中元」として差し上げた物がこんな形で返されてきて、気分のいいはずがありません。
私たちも、阿弥陀さまから「回向」された念仏を、もっともらしい顔をして「回向いたします」と返しているとしたら、滑稽の至りというか、阿弥陀さまに失礼な話です。だから「不回向」なのです。

生死大海の船筏

また、親鸞聖人のご和讃に、

無明長夜(むみょうじょうや)の灯俎(とうこ)なり
智眼(ちげん)くらしとかなしむな
生死大海(しょうじだいかい)の船筏(せんばつ)なり
罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ
(『正像末和讃』、『註釈版聖典』六〇六頁)

と詠まれています。
私たちは、長い長い無明の闇のなかを彷徨い続けてきました。そして、闇は闇自身の力で、闇を破ることはできません。光をもってしか、闇を破ることはできないのです。しかし、いかに千年の暗室であっても、一瞬の光で闇は破られます。衆生には智慧の眼がありません(0)から、阿弥陀さまの智慧の光(100)に遇うはかないのです。阿弥陀さまの智慧の光に出遇った者(100)は、いまさら、自らに智慧の眼がないこと(0)を悲しむ必要はありません。
また、私たちは、迷いの大海のなかにあっては、底に沈む方向性しか持ち合わせていません。そのような私たちが彼岸へと渡ることができるのは、ご本願の船に乗せられるからこそです。このときの私の仕事は(0)です。それは、大悲弘誓の船の力が100だからです。
「私は体重がひとの二倍もあるから」といって、船や飛行機が怖くて乗れないということがありますか? 事故は怖いかも知れませんが、体重には関係なく、船も飛行機も普段は安心して乗っています。それは、船や飛行機を信用しているからです。
罪障の重さも、弘誓の船の上ではまったく関係ありません。 かなり前に、北海道のある布教使さんから聞いた話です。その布教使さんが飛行機に乗っかとき、前の座席が新婚さんだったそうです。どうやら新婦は飛行機に乗るのが初めてだったらしく、小さな声ながら、「怖い、怖い」と言っていました。それが出発時刻となり、エンジンが「ゴーツ」と音を立て始めたときに、今まで何とか我慢していた新婦さんが、とうとう泣き出したのです。新郎さんは、その場を何とかしなきゃと思ったのでしょう。とっさのことながら、「僕がいるから大丈夫」と言ったそうです。その布教使さんは、「君がいようがいまいが、落ちるときは落ちるし、落ちないときは落ちない」と思ったそうです。安心の根拠は新郎さんにではなく、飛行機の側にあります。
仏力・他力にまかせることによって、大安心の毎日を送らせていただいているのが、念仏者です。念のために言いますが、阿弥陀仏の本願力には、飛行機と違って、事故や不具合の心配はまったくありません。

他力にまかせる

他力によって煩悩が断ぜられるのですから、「不断煩悩得涅槃」(煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。『註釈版聖典』二〇三頁)といいうるわけです。この法義の成立は、阿弥陀さまの大慈大悲あればこそです。およそ、浄土真宗の法義の根幹は「他力」です。すべてが「他力」のはたらき(100)ですから、私たち衆生の側の自力が入る余地はありません(0)。
最近、いろいろなお店で、ポイントカードなるサービスが行われています。ポイントが貯まったら、景品などの特典が得られる仕組みです。欲深い私は、まんまと乗せられて、いっぱいポイントカードを持つはめになっています。ポイントが満点になったカードに、新たにポイントを加算することはできませんよね。私たちの自力とは、「他力で満点」なのに、まだ何かを加算させようとする無意味な行為です。
(満井 秀城)

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2018年12月 自然というはもとよりしからしむるといふことばなり。

「自然法爾」法語とは


今月のことばは、『末灯紗』(『親鸞聖人御消息』)から取り上げられたご文です。

「自然(じねん)」といふはヽもとよりしからしむるといふことばなり。
(『註釈版聖典』七六八頁)

親鸞聖人は多くの著述を残しておられますが、その中には明らかに法語という形で門弟に伝えられているものがあります。「自然法爾(じねんほうに)」もその一つです。現在、披見できるものとしては、真宗高田派顕智上人(けんちしょうにん)書写本、蓮如上人(じゅうかくしょうにん)文明版『正像末和讃』末尾に置かれるいわゆる和讃本、そして従覚上人篇の『末灯紗』本、の三本があります。
三本を比較すると、『末灯紗』には「獲得名号」の文字及びその説明が欠けているということがありますので、まずその文を示しておきます。

 「獲(ぎゃく)」の字(じ)は、因位(いんに)のときうるを獲といふ。「得(とく)」の字は、果位(かい)のときにいた
りてうることを得といふなり。
「名(みょう)」の字は、因位のときのなを名といふ。「号(ごう)」の字は、果位のときのなを
号といふ。              (『正像末和讃』、『註釈版聖典』六ニー頁)

ここでは、有名な「獲得名号」の意味を、一字ずつ使い分けて説明されます。また、和讃本には二つの和讃が添えられています。なお、この「自然法爾」法語が著された時の聖人の年齢につきましては、三本間で八十六歳、八十八歳と一定していないため、断定することは難しいのですが、ともかく最晩年のものとして、親鸞聖人の生涯の結論が示されているとうかがうことができるわけです。 ところで、今月のことぼは、その法語「自然法爾」の中の言葉ですが、この一行だけではなく前後の文章も合わせみていくことによって、その深い心を味わうことができるように思われます。そこで、最初に掲げた文に続く文章を添えて、今一度書き出しますと、

「自然」といふは、もとよりしからしむるといふことばなり。
弥陀仏(みだぶつ)の御(おん)ちかひの、もとより行者(ぎょうじゃ)のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)とだのませたまひて、迎(むか)へんとはからはせたまひたるによりて、行者のよがらんともあしからんともおもはぬを、自然とは申すぞとききて候(そうろ)ふ。
(『註釈版聖典』七六八~七六九頁)

とあります。はじめに自然ということを短く説明し、後に少し詳しく説き示される形になっています。

はからいの否定

このわずかな文章の中に、「行者のはからいにあらずして」、「(弥陀仏の)はからわせたまいたる」と、「はからい」という言葉が二度も出てくることも、注意されることです。親鸞聖人は、私がはからうということを一番嫌われました。ですから、「御消息」全体の中には何度もはからいという語が出てきますが、それらははからいを否定されるためでありました。「自然法爾」法語の最初では、「自然」の「自」を解釈されて、

  「自」はおのづからといふ、行者のはからひにあらず。
(『註釈版聖典』七六八頁)

と、「行者のはからいにあらず」といわれ、また「然」についても、

「然」といふは、しからしむといふことばなり。しからしむといふは、行者のはからひにあらず                 (『註釈版聖典』七六八頁)

と、「行者のはからいにあらず」と同じようにおっしゃっています。
ともかく、はからうということ、往生のために善行を積んでいかなければならない、悪行の身では往生できないであろうと思うこと、このことが一番問題であったということです。そして、阿弥陀さまのはからいにおまかせしていくこと以外に、往生の道はないということであります。
阿弥陀さまのはからいとは本願のことで、阿弥陀さまの本願がそうさせるということです。阿弥陀さまの本願は、私の思慮分別を当てにされず、先だって南無阿弥陀仏と帰依させて、浄土に迎えようとお考えくださったのです。それは、阿弥陀さまの方から私を本願に遇わせるように仕向けてくださったということです。私の方からはたまたまですが、阿弥陀さまの方からは遇わせるようにはたらいてくださっているということです。
こんな讐えでお話しになる方もおられました。向こうから照らす無傷光によって闇が破られるならば、闇の方から「どうしたら晴れるだろうか」という心配をする必要はないのです、と。また、無傷光の暖かさで氷が溶かされていくならば、氷の方からどうして溶けようかと心配する必要はない。ただ、あるがままに照らされれば、闇はおのずから晴れ、氷はおのずから溶かされるとも。

絶対他力をあらわす言葉

さて、今月のことばの中から、「もとより」という言葉に注意してみたいと思います。
この語を辞書でみますと、「前から、古くから、いうまでもなく」と出てきますが、ここでの意味とは少し距離があるようです。では、ここの「もとより」はどんな意味でしょうか。やはり、阿弥陀さまからの一方的なはたらきを含んだ言葉といえましょう。行者のはからいに先だってという、時間的な意味も含まれているだろうともいわれています。もともと如来の性質として持っているはたらきを説明しようとしている言葉と受け取ることができます。
また、「もとより」を私たちが生まれる前からと考えますと、阿弥陀さまはすでにちゃんと仕上がった浄土から、私たちを待っていてくださる、このようにも味わうことができます。
そして、「しからしむる」と続けて読んでいきますと、その心がいっそう伝わってくるようです。自然という言葉に寄せて、他力ということをあらわしたということができるでしょう。
ところで、従来より自然の語について、いろいろ説明がされてきました。その中の一つに、阿弥陀さまのはたらき、絶対他力をあらわす言葉であるという見方があります。

①信心を得ることの他力自然をあらわす。
②現生で種々の益を得ることの他力自然であることを明かす。
③浄土に到ってさとりを開くことの他力自然であることを示される。

①の例として挙げられるのが、『唯信紗文意』に、

金剛(こんごう)の信心(しんじん)をうるゆゑに憶念自然(おくねんじねん)なるなり。この信心のおこることも、釈迦の慈父・弥陀の悲母の方便によりておこるなり。これ自然の利益なりとしるべしとなり。                      (『註釈版聖典』七〇二頁)

とある言葉です。憶念の信心が起こるのは、自然の力によって起こるのであって私か起こすものではない、阿弥陀さまのはたらきによってたまわるものであります。
②の例としては、「正信渇」の、

煩悩断(ぼんのうだん)ぜずして涅槃(ねばん)を得、すなはちこれ安楽自然(あんらくじねん)の徳(とく)なり。
(『註釈版聖典』五四九頁)

安楽土(あんらくど)に到(いた)れば、かならず自然に、すなはち法性(ほっしょう)の常楽(じょうらく)を証(しょう)せしむとのたまへり。                            (『同』五五〇頁)

というご文があります。
このように、他力自然と申しましても、信心を得ることも、現実で種々の利益を得ることも、そして、浄土に到ってさとりを開くことも、自然の語を用いることによって他力によるものであることが示されているのです。

自然のはたらきとしての転成

親鸞聖人は、また自然を転ずるということと関係付けて語られています。『唯信紗文意』には、

自然といふはしからしむといふ。しからしむといふは、行者のはじめてともかくもはからはざるに、過去(かこ)・今生(こんじょう)・未来(みらい)の一切の罪を転ず。転ずといふは、善とかへなすをいふなり。             (『註釈版聖典』七〇一頁)

と述べられています。自然が罪を転じ善と変えていくというのであります。
親鸞聖人は、救われるということを語られる場合、「転じられる」という表現をされます。その意味をわかりやすいように、川の水が海に流れ込むと、海はすべての川水を分け隔てなく受け入れて、しかも一味に同化していくことに讐えられます。
そのことを、「智慧のうしは(潮)に一味なり」(『高僧和讃』)とか「大悲心とぞ転ずなる」(『正像末和讃』)といわれるのであります。
ともかく、自然ということが転ずるということに大きく関わっているというよりも、自然のはたらきが転成ということを促しているということでありましょう。
自然を「おのづから」「しからしむ」と読まれた親鸞聖人は、人間のはからいを超えた阿弥陀さまのはたらきによる救いをあらわす語とされたのです。

願心荘厳の浄土

ところで、この自然について『教行信証』を中心にみていきますと、まだ独自の釈ははっきりとはみられないようです。『教行信証』が漢文であるという理由も考えられるかもしれません。それに対して和文の著述では、自然について釈しか文章が散在しており、ある先生は、いきいきとした独自のリズムさえ伴っているといわれます。このことは、和語の聖教が思想円熟した時期に著されたものであることを改めて示すものといえるでしょう。今、「独自のリズムさえ」といわれる言い方が、私の心に残ります。
ご和讃にも、自然の語がみられます。

定散自力(じょうさんじりき)の称名(しょうみょう)は
果遂(かすい)のちかひに帰(き)してこそ
をしへざれども自然に
真如(しんにょ)の門(もん)に転入(てんにゅう)する         (『浄土和讃』、『註釈版聖典』五六八頁)

と詠われる中に、また、

清風宝樹(しょうふうほうじゅ)をふくときは
いつつの音声(おんにょう)いだしつつ
宮商和(きゅうしょうわ)して自然なり
清浄薫(しょうじょうくん)を礼(らい)すべし                  (『同』五六三頁)

にも自然の語が用いられています。それによって、和讃に響くものが生まれているようであります。
そして、「自然はすなはち報土なり」(『高僧和讃』)、あるいは「自然の浄土をえぞしらぬ」(『浄土和讃』)と述べて、自然とは浄土のことを示しておられるということがわかります。報土とは浄土のことをいい、阿弥陀さまの願行に報いて成就された国土という意味ですから、浄土は本願によって荘厳された世界であるということがいえます。
また、自然とは、もとは「いろもなし、かたちもましまざず」(『唯信紗文意』)といわれる形なき一如から、法蔵菩薩として形をあらわされ本願を建てられた時の、衆生の救済を願う願心をあらわす語であるともいえましょう。ですから、「自然の浄土」という時には、「願心荘厳の浄土」の語が重ねられていきます。 浄土は創造されたものではありません。願心によって荘厳されたものですから、阿弥陀さまの願心に聞いていくことが大切だといえます。壮大・華麗な荘厳を成り
立しめている、阿弥陀さまのお心を聞かせていただかねばならないと思いながら、お言葉を味わっています。
(大田利生)

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2018年11月「聞」といふは如来のちかひの御なを信ずと申すなり。

浄土真宗は「聞の宗教」

今月は、『尊号真像銘文』の次の言葉を味わってみたいと思います。

「聞」といふは如来のちかひの御(み)なを信(しん)ずと申(もう)すなり。(『註釈版聖典』六四五頁)

浄土真宗については、「聞の宗教」あるいは「聞名の宗教」という言葉であらわされる場合があります。教えの内容をそのままあらわした言い方であります。どの宗教でも聞くということを語りますが、聞の宗教とまではいいません。したがって、この「聞の宗教」という言い方には、浄土真宗の立場、その特色がそのまま出ていますから、もっと用い、さまざまな場面で出していってもいいのではないかと思われます。
では、「何を聞くのか」ということになりますが、申しあげるまでもなく、阿弥陀如来の本願を聞かさせていただくのです。それは、浄土真宗とは本願そのものであるといえるからです。
その聞くといくことについて、親鸞聖人は『尊号真像銘文』では、冒頭に掲げられている法語のように説明されますが、『教行信証』「信文類」では、

しかるに『経』(大経・下)に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。   (『註釈版聖典』二五一頁)

と釈されています。ここに「聞」というのは、『仏説無量寿経』(『大経』)という経典に説かれるものであることが示されています。ですから親鸞聖人が、聞ということ、聞名を特に強調される背景には、『仏説無量寿経』という経典があったということです。いうまでもなく親鸞聖人の教えが『仏説無量寿経』、特にその本願によって構成されていることを考えれば、当然のことであります。今『仏説無量寿経』をみますと、多く本順に「我が名字を聞く」ということが誓われています。また、本願成就文には、次のように説き示されています。

あらゆる衆生、その名号を聞きて俗心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向したまへり。かの国に馬連と願すれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。ただ五逆と誹鳳正法とをば除く       (「註釈版聖典」四一項)

さらに、経典の最後にも、仏の名弓を聞くことを得て大利を得ることがが明かされています。
このように、名を重んずるという思想は、インドでも古くからあったといわれますが、おそらく『仏説公量寿経』もそう流れを受けていることがが想像されます。古代インドの名に対する観念と浄土経典のそれでは違いがあることも学者によっていわれていることですが、そういうことはは専門家にお任せすることににしましょう。
とにかく、『仏説無量寿経』には、阿弥陀仏の名を聞くことの大きな意味が説かれているのです。そして、「聞其名号」(その名号を聞きて)の語に続いて「信心歓喜」とありますように、聞くことと信ずることとは一つであることが示されていることも大事な点であるといえます。私たちは、聞くことと信ずることとは一つだとは思っていません。日常生活の中ではまず一緒に考えることもありませんし、聞いたら信ずる気持ちになったとはいいません。

法蔵菩薩の成仏と名号の成就

では、阿弥陀仏・本願・名号は、経典にどのように説かれているのでしょうか。少しく『仏説無量寿経』の内容を辿ってみることにします。燃灯仏にはじまる過去仏の系譜の中で、最後に世自在王仏が現れた時、一人の国王(後の法蔵菩薩)がその教説を聞いて、無上の菩提心を抱き、「願はくは仏、わがために広く経法を宣べたまへ」(『註釈版聖典』 一四頁)と請われ、世自在王仏との問答が始まります。そして、世自在王仏によって二百十億の諸仏の国に住む人天の善悪、国の優劣を説き示された法蔵菩薩は、それを目の当たりにされ、殊勝の願を起こし、五劫の間思惟され、真実の浄土とそこに生まれるための行を選ばれました。そして世自在王仏に促され、殊勝の願である四十八願を明らかにされました。この四十八願の中で他力救済の根拠が見出される第十八願こそが、根本の願となります。経典では、さらに法蔵菩薩の修行について語り、本願を成就して阿弥陀仏となり、それ以来十劫を経て、今極楽浄土にまします、と説かれています。
この阿弥陀仏は、光明無量・寿命無量の仏です。煩悩に覆われた私の眼には見ることのできない仏です。そこで願いのとおりの仏として言葉になって、すなわち名号となって、私のところに到り届いておられるのです。その名号には仏の徳のすべてが込められています。ですから、お念仏申すということは、仏が私と一緒におられるということです。また名号とは、仏の名前であるとともに、仏の名のりであるといわれます。こうして、声となって喚んでいてくださるのが名号であります。 本願成就の名号と呼ばれ、本願によってできあかっか名号ですから、名号のいわれを聞くということは、本願のいわれを聞くといっても同じことであります。冒頭に掲げられている「如来のちかいの御な」とある文によっても、誓いと御名(名号)のその意が理解されるところです。

仏願の生起本末と二種深信

さて、先に挙げました「『経』(大経・下)に「聞」といふは」という文ですが、これによって、「聞とは仏願の生起本末を聞くことである」と示されています。
阿弥陀さまが衆生救済の本願を起こされた理由が「生起」であります。それは、ここに流転輪廻して迷い続けている私かいるからです。阿弥陀さまはそういう私を哀れんで、なんとしても仏に育てあげてやりたいという心から、本願を起こされたのであります。ですから、二種深信でいえば機の深信にあたります。
機の深信で思い出すことがあります。それは十数年前にカナダへ布教に行った時のことですが、その当時の開教総長さんからお聞きしたお話です。あるところにお参りに行かれた時のこと、前回は玄関に「犬に注意」と貼ってあった紙が、二度目には「人間に注意」と書かれてあったそうです。家の中には悪い人間が住んでいるという思いからでしょうか、そして機の深信ですね、とおっしゃっていたことが思い出されます。
次に「本末」ですが、これは本願が成就して、現に私たちを救済しつつあることをいいます。「生起」が機の深信にあたれば、「本末」は法の深信に対応させることができます。そして「疑心あることなし」といわれます。このように、信と疑を対応させながら挙げられるのは、やはり『仏説無量寿経』の説き方がそのようになっているからです。
経典の終盤では、浄土への生まれ方に二種類あることが示されています。一つには仏智を信ずる者は化生という生まれ方をし、今一つは仏智を疑う者は胎生という生まれ方をします。この胎生については、

五百歳のなかにおいてつねに仏を見たてまつらず、教法を聞かず、菩薩・声聞の衆を見ず                     (『註釈版聖典』七七頁)

とあり、このような浄土への生まれ方を勧めているとは考えられませんから、やはり正しい信を勧め疑いを誠めたものと思われます。『教行信証』が真実と方便の巻に分けられていることも、この『仏説無量寿経』の説かれ方によられたものと考えられます。

許され聞き届けられた信

ところで、聞とは聞受の意味だということを聞いたことがあります。聞受とは、自分の方から聞き出すということではなく、他から受けたということをあらわす言葉である、と。聞という文字の性格をよくあらわした言い方だと思います。受け入れるということが重要になってくるからです。本願を受け入れるかどうかということが問題なのです。もちろん、受け入れる、入れないは自由です。しかし、受け入れない人には浄土が開けてこないということです。
親鸞聖人は『教行信証』「化身土文類」で、聴聞という言葉に、「ユリテキク信ジテキク」(『浄土真宗聖典全書』第二巻・宗祖篇上、二〇一頁)と左訓を施しておられます。「ユリテキク」(許されて聞く)ということは、聞き届けられてる、受け入れられているということです。
現代は、受け入れる心が次第に失われていくように思われます。受け入れている時の姿には美しいものがあります。月は自分で輝いているのではありません。太陽の光を素直に受け入れて、あのようにきれいに見えるのです。私は、その姿を妙奸人に見る思いがいたします。希有人・最勝人とほめ讃えられるのは、如来の本願を素直に受け入れているからです。また、「許されて聞く」には聞き届けられている、そういう意味もあります。私か聞くはるか以前から、阿弥陀さまは私のことを聞いてくださっているということです。そして、「信じて聞く」、ここに聞即信の意があらわれているといえましょう。

本願を聞思し変わる人生

そして、今一つ、『教行信証』総序の文に注意したいと思います。それは、

誠なるかな、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。
(『註釈版聖典』 一三二頁)

の文です。摂め取って捨てないという阿弥陀さまの本願、そのまことのみ言葉、この世を超えさせていただく正法に遇うことができたことを、「誠なるかな」と仰せになるのです。聞思してとは、間違いなく救うというご本願の心を聞いて思い取らせていただくのです。遅慮とは、「ああだ、こうだ」と思い煩ってはからうことなく聞いていきなさい、このようにうかがうことができます。
親鸞聖人の生涯は、本願を聞思する生涯であったといえます。本願に聞き名号のいわれを聞きはじめると、生き方に変化が起こるのでしょうか。あるいは、まったく変わらないのでしょうか。そこで、「御消息」の第二通に眼を向けてみたいと思
います。そこには、

まづおのおのの、むかしは弥陀のちかひをもしらず、阿弥陀仏をも申さずおはしまし候ひしが、釈迦・弥陀の御方便にもよほされて、いま弥陀のちかひをもききはじめておはします身にて候ふなり。もとは無明の酒に酔ひて、貪欲・瞑恚・愚痴の三毒をのみ好みめしあうて候ひつるに、仏のちかひをききけじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして、阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし。
(『親鸞聖人御消息』、『註釈版聖典』七三九頁)

と述べられています。
本願を知らなかった者が、教えを聞き始めると、少しずつ変わっていく様子が読み取れます。もちろん、臨終の一念ま煩悩はなくならないのです。それでも少し変わっていくところがあれば、周囲にも法が伝わっていく契機になるように思われ
ます。お互い聞法することを忘れないようにしたいものです。
(大田利生)

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2018年10月 煩は身をわづらはす、悩はこころをなやますといふ。

切り離せない身と心

今月のことぼは、『唯信鈔文意』の中から選ばれたものです。

煩(ぼん)は身(み)をわづらはす、悩(のう)はこころをなやますといふ。(『註釈版聖典』七〇八頁)

親鸞聖人は、よく文字を使い分け分析して、それぞれの意味を示されることがあります。分釈(ぶんしゃく)といいます。今は、煩悩を「煩」と「悩」に離して解釈されていますが、このような例は、ほかにもいくつかあります。歓喜・自然・名号などに行われています。聖人は、このような釈の仕方がお好きたったと思われます。
たとえば、『一念多念文意』には、次のような文が見られます。

「歓喜(かんぎ)」といふは、「歓(かん)」は身をよろこばしむるなり、「喜(き)」はこころによろこばしむるなり。                  (『註釈版聖典』六七八頁)

この文意は、身と心は切り離して考えることはできないということでしょう。ここでは身と心ですが、これをフ心と形」と置き換えて味わうこともできます。
あるお寺の掲示板に、こんな言葉を見たことがあります。

こころは、形にあわわれ
形は、こころをつたえる

私たちは、心が大切だ、いや形式から入っていかねばだめだと、心と形を分けて考える傾向があります。しかし、この言葉をじっと眺めていますと、心と形はけっして別物だといってしまうことはできないように思えてきます。

三毒の煩悩

ところで、親鸞聖人の著述をみていきますと、煩悩という文字、そしてそれを冠しか、煩悩成就・煩悩具足・煩悩熾盛といった四字熟語が、眼に入ってきます。そしてこれらの語は、凡夫・衆生を説明する文脈の中で出てきますので、私か今どのような生き方をしているかということと関わって、深く昧わっていくべき言葉であります。その文を、二、三挙げておきましょう。

煩悩成就(ぽんのうじょうじゅ)の凡夫(ぼんぶ)、生死罪濁(しょうじざいじょく)の群萌(ぐんもう)

(『教行信証』「証文類」、『註釈版聖典』三〇七頁)

煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)、火宅無常(かたくむじょう)の世界(せかい)

(『歎異抄』後序、『註釈版聖典』八五ご丁八五四頁)

煩悩熾盛(ぽんのうしじょう)の衆生(しゅじょう)をたすけんがための

(『歎異抄』第一条、『註釈版聖典』八三一~八三二頁)

などです。
私たちは、この三つの文から、この私か煩悩によってできあがり、煩悩を抱え、そしてその煩悩の勢いが強いこと、そんな煩悩と私の関係があらわされているとうかがうことができましょう。
さて、煩悩という言葉ですが、日常生活でも、ちょっとした会話の中で出てくることがあります。あの人は子煩悩だと。もちろん悪い意味ではありません。子どもへの愛情が、そういう言葉に置き換えられているからです。また、大晦日に撞かれる百八つの除夜の鐘は、それだけの煩悩を一撞きごとに一ずつなくしていくんだ、という説明を聞くことがあります。といたしますと、煩悩という言葉もまったく日常生活から姿を消しているわけではありません。ともかく、煩悩ということについて少し考えてみることにしましょう。
たくさんある煩悩の中で代表的なものが三つあります。三毒の煩悩」という言
い方をします。それは、貪欲・瞋恚・愚痴をいいます。
貪欲とは、貪(むさぼ)り、執着することであります。自分のものにしたいという心です。
あるいは、自分の都合のいいものをほしがる我欲ということです。しかし、自分のものにしましても、いつかは手放したり、別れたりしていかねばなりません。だから、そこで苦しみが生じてくるのです。愛別離苦(あいべつりく)とはそのことをいいます。したがって、その苦しみから逃れるには、愛欲の心を捨てる以外にない、仏教にはこのように煩悩を断つという立場もありますが、はたしてそれができるでしょうか。
また、怒りについても同じです。瞋恚といわれる私たちの心、これは貪欲と対極にあるものと考えられます。そして、怒りはしばしば火に讐えられます。貪欲を自分の枠の中へ引き入れようとする心だとすれば、瞋恚は憎しみの心を起こすわけですから、枠の外へ追い出すことに讐えられるからです。小さな火でも放っておきますと、次第に激しく燃えあかっていきます。そして、すべてを焼き尽くしていきます。
この貪欲と瞋恚が心情的なものといたしますと、愚痴の「痴」は、知的な煩悩だといわれます。真実に暗いということ、それは無知ということだからです。諸行無常という仏教の道理に暗いということ、だから迷い苦しんでいるということです。

二河白道の讐えと凡夫

今、貪欲・瞋恚の話をいたしましたが、頭に浮かぶのは、やはり善導大師の二河白道(にがびゃくどう)」の讐えです。その書き出しは、

人(ひと)ありて西(にし)に向(むか)かけて百千(ひゃくせん)の里(り)を行(ゆ)かんと欲(ほっ)するがごとし。忽然(こつねん)として中路(ちゅうろ)に二の河(かわ)あるを見る。一にはこれ火(ひ)の河(かわ)、南(みなみ)にあり。二にはこれ水(みず)の河(かわ)、北(きた)にあり。二河おのおの閥(ひろ)さ百歩(ひゃくぶ)、おのおの深くして底なし。
(『註釈版聖典(七祖篇)』四六六頁)

と説かれています。一人の旅人加西に向かって行くと、途中に火の河と水の河の二つの河が広がっています。その火の河が瞋恚に、水の河が貪欲に讐えられているのです。そして河は底がないほど深いというのです。これは、私たちの煩悩、貪りの心、怒りの心が限りなく深く、いつまでも体にまとわりついているということです。
人間を三種類に分けて、それぞれ怒り、すなわち煩悩の違いがどのように説明できるかという話があります。最初の人の場合は岩に刻んだ文字のような人、二番目の人は砂に書いた文字のような人、三番目の人は水に書いた文字のような人と、分けています。さて、私の抱く怒りの心は何番目になるでしょうか。おそらく一番目と答えられるでしょう。それは、岩に書いた煩悩という文字は何十年、何百年経っても消えることがないからです。砂に書いた文字は雨や風にあいますとすぐに消え、本には書くことさえできません。このことからも、煩悩はなかなか断っことができ

ないことが知られてまいります。
親鸞聖人は、『一念多念文意』の中で、次のように説き示されています。

「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、いがり、はらだち、そねみ、ねたかこころおほくひまなくして、臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえずと、水火二河のたとへにあらはれたり。
(『註釈版聖典』六九三頁)

これは凡夫の説明ですが、「人間とは」と語る時には必ずといってよいほど取り上げられる文です。ただ、凡夫という語をその原意号哭してみますと、「個々別々に生を営む」ということになります。別々ということは距離を置くということでしょう。どんなに私のことを思ってくれている人とても、距離がゼロになって、自らが他であり、他が自らであるという関係にはなりません。どこまでも距離がなくならないから、さますまな問題が起こっているということでしょう。ともかく、凡夫という言葉を、このような意味からも味わうことができます。

愛憎違順の背景

先の『一念多念文意』には「無明煩悩われらが身にみちみちて」と、無明煩悩とありました。その無明ということですが、これは愚痴ともいい、無知のことをさします。ただ智慧がないということではなくて、真実を知らないということです。苦しみの起こる一番根本に位置づけられています。親鸞聖人は『正像末和讃』に、

無明煩悩(むみょうぼんのう)しげくして
塵数(じんじゅ)のごとく遍満(へんまん)す
愛憎違順(あいぞういじゅん)することは
高峯岳山(こうぶがくさん)にことならず              (『註釈版聖典』六〇一頁)

と詠われています。この中で、愛憎違順という言葉に心動かされていく、そんな気持ちがいたします。私たちは、愛するということと憎むということとは大きくかけ離れ、相容れないものだと思っています。ところがどうでしょう? 愛し合っているところに憎しみが起こっている現実を見ることがあります。王舎城の悲劇もそうだと思います。みんな事件が起きた後の家庭に眼を向けていますが、事件が起きるまではおそらく阿闍世も愛情に包まれ、和やかな家庭生活が営まれていたと思います。そういう愛があるところに、家庭を崩壊に追い込む憎しみというものがあるということです。
このように考えてみますと、愛と憎はけっして切り離すべきものではないことに思い到ります。憎しみを引きずり、憎しみが絡み合った愛、その全体が愛というべきものといえましょう。
先の「愛憎違順」という言葉は、ある時は愛しある時は憎む、その振り幅の大きいことは、高い峰や山に讐えられるというのです。この語によっても、けっして愛と憎が別物と考えることはできません。

一味の世界

煩悩は、勢いよく流れ出る蛇口の水に讐えられます。ものと私を結びつけるということから、結使という言葉によってあらわされています。また、蓋という文字によっても示されます。お湯をコップに注ごうとしても、蓋をされていては入れることができません。
『高僧和讃』には、

煩悩(ぼんのう)にまなこさへられて
摂取(せっしゅ)の光明(こうみょう)みざれども
大悲(だいひ)ものうきことなくて
つねにわが身をてらすなり            (『註釈版聖典』五九五頁)

と詠われていますが、「煩悩にまなこさえられて」とは、このことをいうのです。しかし、「摂取の光明見ざれども」と続きますが、「大悲ものうきことなくて常にわが身を照らすなり」と、歓喜の思いに支えられているのです。
煩悩の流れの中に生き、おのおのの孤独の思いを抱きつつ、迷いの世界に沈んでいるのです。そういう私たちを哀れみ悲しんでくださったのが、阿弥陀さまの大悲大願でありました。なんとしても仏に育てあげてやりたい、浄土に生まれて救われることがないようなら私も仏になりません、と誓っておられるのです。そういう世界に帰ってこそ、

煩悩(ぼんのう)の衆流(しゅりゅう)帰(き)しぬれば
智慧(ちえ)のうしほに一昧(いちみ)なり        (『高僧和讃』、『註釈版聖典』五八五頁)

と、智慧のうしお(潮)に溶かされて、自他一如の世界が開けていくのです。
自分も他人もみな凡夫です。そういう姿が知らされていく時、互いに、許し合い、いたわり合い、そして、みんな尊いものを持っているのだという思いが広がっていくように思うことです。
(大田利生)

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2018年9月 まことの信心のひとをば、諸仏とひとしと申すなり。

褒められて嬉しい言葉

大学の講義やお寺での法話など、人前で話す機会がありますが、「話しぶりが岡先生に似てるねえ」「黒板の使い方が似てますねえ」などと言われると、嬉しい気持ちになります。岡亮二先生は、私か学生の頃から一番大きな影響を受けた先生です。来年(二〇一九年)の二月には十三回忌を迎えます。先生の真似をしているわけではありませんが、自然と口調やものの考え方が似ているのでしょうか。
私たち仏教徒にとって言われて嬉しい言葉は何でしょうか?「仏さまのような方ですねえ」「仏さまのように穏やかな表情ですねえ」という言葉は、仏教徒にとっては最高に嬉しい言葉です。最高の褒め言葉であるともいえるでしょう。
七月に布施波羅蜜についてお話をしました。一般的には、お寺や僧侶がお布施をいただきます。その立場が逆転して、寺や僧侶が布施をすることがあります。
「エッ!?」と思われる方もいらっしやるかもしれません。
布施は、一般的には財産・金品だと考えられています。僧侶がいただくお布施の多くがそれです。では、僧侶が施す布施とは何でしょうか。法施です。法とは、仏法です。阿弥陀さまのお心を説法し、人びとの不安や畏れを取り除き、喜びを分かち合うことが、僧侶の行う布施と考えられます。
「すべての人を必ず救う」「すべての人を平等に救う」「どんな人も」「どんな自分も」「いつの自分も」常に見守り、傍に寄り添ってくれるのが、阿弥陀さまです。自分が頑張っているから救ってもらえるわけではありません。逆に、こんなに悪い自分は、さすがの阿弥陀さまも救ってくれないだろうと心配する必要もないのです。
阿弥陀さまの広いお心に触れることができるその時に、私の「浄土往生間違いなし」「成仏間違いなし」と安堵することができます。この安堵の気持ちを、一人でも多くの方と分かち合いたいと思い、阿弥陀さまのお心を語ること。これが僧侶が行うことのできる法施という布施です。

仏がたと等しい

今月のことぼけ、お手紙(御消息)にあるご文です。

まことの信心(しんじん)のひとをば、諸仏(しょぶつ)とひとしと申(もう)すなり。(『註釈版聖典』七七八頁)

七月・八月と、煩悩について話をしました。私たちは、この世に生ある限り、煩悩から逃れることはできません。煩悩具足の凡夫です。煩悩熾盛の凡夫です。私たちが煩悩から逃れることができるのは、阿弥陀さまのはたらきによって、お浄土に往生して、直ちに仏さまに成らせていただくその時です。
阿弥陀さまのお心を、その如くに受けとめることができたからといって、その人の煩悩がなくなるわけでも、減っていくわけでもありません。けれども、娑婆の縁が尽きた時に、お浄土に往生することが間違いないとわかり、仏さまに成らせていただくことも間違いないとわかる方を、「まことの信心の人」とあらわされています。この「まことの信心の人」が、「諸仏とびとし」と讃嘆されるのです。最高の言葉で褒め讃えられるのです。
けれども、私たちが注意しなければならないことがあります。「まことの信心の人が諸仏である」とはあっしゃっていません。「まことの信心」といえども、煩悩を具足している凡夫であることには変わりはありません。煩悩具足の凡夫は、けっして真実清浄な仏さまと同じではありません。煩悩のかけらもまじらない、真実で清らかな存在が仏さまです。
煩悩具足・煩悩熾盛の凡夫は、仏さまとは真逆の存在と言わねばなりません。けれどもその凡夫を「まことの信心の人」と讃え、「まことの信心の人」は「諸仏とひとし」(仏がたと等しい)と讃えられるのです。
一見、矛盾するようなことです。どのように考えればよいでしょうか。

往生・成仏は間違いない

本願寺第三代宗主の覚如(かくにょ)上人の『執持()(しゅうじしょう)』というお書物には、「死の縁無量」(『註釈版聖典』八六五頁)という言葉があります。
ご門徒が亡くなられる最期の場面に立ち会うことができればいいのですが、亡くなられてからお電話をいただき、急いで駆け付けると、こちらから尋ねることなく、ご門徒(ご遺族)の方から、最期のご様子を細かく教えていただきます。
長年患っておられた病気で亡くなられた方。その病気とは異なる死因を診察された方。さまざまです。病気以外にも、事故で亡くなる、事件に巻き込まれて亡くなる、天災…、私たちの死因にはさますまな理由が考えられます。まさに、「死の縁無量一だといえます。
また、本願寺第八代宗主の蓮如上人の「白骨の御文章」などには、「老少不定」(『註釈版聖典』 二○四頁)と示されています。
平均寿命を聞くと、まだまだ生きられると思ってしまいますが、けっしてそんなことはありませんね。年の若い者はまだまだ長生きをし、年老いた方が先に亡くなるとはけっして定まっていないということです。
いつ亡くなるのかわかりません。またどんな原因で亡くなるのかもわかりません。けれども、いつか必ず亡くなります。では、私たちは亡くなるとどうなるのでしよ
今月のことばにある「まことの信心の人」は、阿弥陀仏の大いなるお心に出遇うことができた方です。亡くなると、必ず阿弥陀さまのお浄土に往生して、必ず仏と成らせていただけることが間違いないと知ることができている方です。
この方を、臨終を待たずに、仏に等しいという最大級の讃辞をもって讃えるのです。今月のお手紙とは別のお手紙には、「我善親友」(『註釈版聖典』七五九頁)という言葉もあります。親鸞聖人が最も大切になさった『仏説無量寿経』という経典にあるお言葉です。お釈迦さまが、「我が善き親友」(私のまことの善き友)とおっしゃるのです。
この世に生きる限り煩悩真っ盛りに違いはありませんが、この世の縁が尽きる時、浄土に往生し、すぐさま仏に成らせていただけるとわかるのですから、仏と等しいと讃えられるということは、矛盾はしないことだとわかります。
けれども、本当にお釈迦さまから「あなたは私のまことの善き友ですよ」と言われたならば、恥ずかしくなって、「滅相もない」と丁重に断りたくなるかもしれませんね。それはどの讃辞なのですね。

念仏をともに称える仲間

テレビのコマーシャルで、いろいろな商品・食品が宣伝されています。商品の素晴らしさや、食品のおいしさなどが、高らかに宣伝されます。心から、その商品の素晴らしさを実感し、その素晴らしさを一人でも多くの方に知ってもらいたいという思いから、宣伝をするのです。素晴らしさを知らずに勧めているとすればどうでしょうか?
たとえば大嫌いな食べ物があるとします。見るだけでもいやな、苦手な食べ物です。プロの役者であれば、苦手で嫌いな食べ物であることを見抜かれずに、上手に芝居を演じることができるかもしれません。けれども、素人にはそのような芸当はできません。どことなく、苦手である雰囲気が出てしまうのではないでしょうか。
逆に、大好きなものであれば、思い浮かべるだけで、顔がはころんでくるかもしれませんね。大好きな人や物事について話している時には、満面に笑みを浮かべながら話しているのではないでしょうか。
「まことの信心」の方は、肩肘張らずに、阿弥陀さまの素晴らしさを語ることができるのでしょう。
はじめに、法施という布施について話しました。僧侶が阿弥陀さまについて語ることが法施であると紹介しました。けれども、法施はなにも僧侶のみができることではありません。
日々、お仏壇の前に座って合掌礼拝をする生活を、身内やご近所のどなたかが見ておられると思います。もちろん、どなたかに見せるために合掌をするのではありません。けれども、合掌をする姿を見る人が、いつか何かのきっかけで、「手を合わせてどうなるの?」「なんのために手を合わせているの?」「お仏壇って何?」「ご本尊って?」「阿弥陀さまって?」という会話になれば、自然と阿弥陀さまや親鸞聖人・浄土真宗とのつながりを紡ぐことができそうです。これも立派な法施ということができると思います。立派な法施でなくても、法施の真似事でも良いと思います。
阿弥陀さまの素晴らしさ・有り難さ・尊さなどを知っているのは、僧侶だけではありません。ご門徒も、僧侶と同様に、阿弥陀さまとともに日々を暮らしています。葬場勤行として、善導大師の『観経四帖疏(かんぎょうしぎょうしょ)』のはじめにある「帰三宝偈(きさんぽうげ)」を読誦します。その最初に「道俗の時衆等(どうぞくのじしゅとう)(『註釈版聖典(七祖鎬)』二九七百)とあります。また日常勤行として読誦する「正信偶」の最後には、「道俗時衆(どうぞくじしゅ)ともに同心(どうしん)に」(『註釈版聖典』二〇七頁)とあります。道俗とは、出家の者と在家の者です。出家の者も、在家の者も、皆区別せずに、阿弥陀さまのお心とともにあります。
ご門徒の方々が、連れ合いや七千さまやお孫さまを連れて、お寺に参る。
家族だけではなく、気の合う仲間とともにお寺に参る。
念仏をともに称える仲間を増やすことが、阿弥陀さまのもっとも喜んでくださることだと思います。また、親鸞聖人も心から喜んでくださることではないでしょうか。
そのような仲間を一人でも二人でもつくることが、仏さまのはたらきに関わるということです。
大きなお心の阿弥陀さまに、ともに「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えさせていただだきましょう。(玉木興慈)

カテゴリー: 法語カレンダー解説 | 2018年9月 まことの信心のひとをば、諸仏とひとしと申すなり。 はコメントを受け付けていません