2019年10月のことば  「信心」というは すなわち本願回向の信心なり

信心一異の論争

十月のことばは、『教行信証』信文類(『註釈版聖典』二五一頁)からの一文です。
親鸞聖人の教えの特色として真っ先にあげられるのは、他力回向の教えです。聖
人において、回向とは『一念多念文意』に、

「回向(えこう)」は本願(ほんがん)の名号(みょうごう)をもって十方(じっぽう)の衆生(しゅじょう)にあたへたまふ御(み)のりなり。
(『一念多念文意』、『註釈版聖典』六七八頁)

と述べられるように、阿弥陀仏が本願力をもって、その功徳のすべてをあらゆる衆
生にふり向け与えられることを意味します。親鸞聖人の教えのなか、最も大切な信
心についても、「本願力回向の信心」と表現されるように、信心は私たちがおこすも
のでなく、阿弥陀さまの本願の力・はたらきによって与えられるものであるといわれています。
これについて、『歎異抄』後序(ごじょ)に記される信心一異(しんじんいちい)の論争に、親鸞聖人の信心理解
を見ることができます。信心一異と申しますのは、親鸞聖人の信心と師匠である法
然聖人の信心は同一か、それとも異なっているのか、という論争です。

  故聖人(こしょうにん)(親鸞)の御物語(おんものがたり)に、法然聖人(ほうねんしょうにん)の御時(おんどき)、御弟子(おんでし)そのかずおはしけるなか
に、おなじく御信心(ごしんじん)のひともすくなくおはしけるにこそ、親鸞、御同朋(おんどうぼう)の御中(おんなか)にして御相論(ごそうろん)のこと候(そうら)ひけり。そのゆゑは、「善信(ぜんしん)(親鸞)が信心(しんじん)も、聖人(法然)  の御信心も一つなり」と仰せの候ひければ、勢観房(せいかんぼう)・念仏房(ねんぶつぼう)なんど申す御同朋達、もつてのほかにあらそひたまひて、「いかでか聖人の御信心に善信房の信心、一つにはあるべきぞ」と候ひければ、「聖人の御智慧(おんちえ)・才覚ひろくおはしますに一つならんと申さばこそひがごとならめ。往生の信心においては、まったく異なることなし、ただ一つなり」と御返答ありけれども、なほ「いかでかその義あらん」といふ疑難(ぎなん)ありければ、詮(せん)ずるところ、聖人の御まへにて自他の是非を定むべきにて、この子細を申しあげければ、法然聖人の仰せには、「源空(げんくう)か信心も、如来よりたまはりたる信心なり。善信房の信心も、如来よりたまはらせたまひたる信心なり。さればただ一つなり。別の信心にておはしまさんひとは、源空がまゐらんずる浄土へは、よもまゐらせたまひ候はじ」と仰せ候ひしかば当時の一向専修(いっこうせんじゅ)のひとびとのなかにも、親鸞の御信心に一つならぬ御ことも候
ふらんとおぼえ候ふ。           (『註釈版聖典』八五一-八五二頁)

法然聖人がご在世のとき、数多い弟子の回で親鸞聖人と同一の信心の人は少なか
ったと見え、親鸞聖人があるとき、「自分の信心も師匠である法然聖人の信心も、同
一であって変わることはない」と言われたところ、勢観房や念仏房などの同門の人
だちから、「どうして師匠の法然聖人と四十歳年下の弟子である善信(親鸞聖人)の
信心が同一であろうか」という、異論が出たのです。
この文では、親鸞聖人のことを「善信」といわれています。「緯空(しゃくくう)」から「善信」に名を改められたのが親鸞聖人三十四歳のときで、三十五歳のとき流罪になられましたのでこの論争があったのはおそらく親鸞聖人三十四歳のときであろうといわ
れています。

法然聖人のお弟子

またこの文には、法然聖人の門弟として勢観房と念仏房の二人の名前があげられ
ています。勢観房という方は法名を源智といい、幼いときから法然聖人の弟子とな
り、聖人の衣鉢(いはつ)、すなわち師匠と弟(えんどんかい)子の法の伝授を受け継ぐほど、最も信頼を得ていた方です。法然聖人から天台の円頓戒(円満で頓ちにさとりに至る戒という意味で、
天台の大乗戒を指す)を受戒して、戒律を厳守しか生涯を送り、親鸞聖人より十一歳
年下です。法然聖人の絶筆となった「一枚起請文」を要請し、聖人の臨終のときに
は、枕元に仕えていた弟子の一人です。
もう一人の念仏房という方は、念阿弥陀仏(ねんあみだぶつ)という呼び方をされ、もとは天台の学僧でした。法然聖人五十四歳のとき、のちに天台の座主となる顕真の懇請によって、大原二一千院の隣にある勝林院というお寺で、大原問答あるいは大原談義ともいわれる、各宗の学匠の集会が催されました。東大寺の重源、三論宗の明遍、法相宗
の貞慶、天台宗の智海や証真など、当時の鈴々たる学匠が二十数人集まるなかで、
念仏房は、比叡山を代表する問者に選ばれるほどの抜き出た秀才であったといわれ
る方で、親鸞聖人より十六歳年長です。
大原問答で、法然聖人は、なぜ念仏が勝れているのか、念仏一つで往生できるの
か、ということを懇々と語っていかれたといわれます。そして、さまざまな宗派の
教えがあるけれども、その教えはいずれも優れているとして、ほかの教えを決して
低めず、自分のような愚かな者には道緯禅師や善導大師が説かれた念仏の教えし
かないということを、累々主張していかれたのです。その主張に感銘を受けた一人
が念仏房であり、のちに法然聖人の門下となられたのです。
もう一人の念仏房という方は、念阿弥陀仏(ねんあみだぶつ)という呼び方をされ、もとは天台の学僧でした。法然聖人五十四歳のとき、のちに天台の座主となる顕真の懇請によって、大原二一千院の隣にある勝林院というお寺で、大原問答あるいは大原談義ともいわれる、各宗の学匠の集会が催されました。東大寺の重源、三論宗の明遍、法相宗の貞慶、天台宗の智海や証真など、当時の鈴々たる学匠が二十数人集まるなかで、念仏房は、比叡山を代表する問者に選ばれるほどの抜き出た秀才であったといわれる方で、親鸞聖人より十六歳年長です。
大原問答で、法然聖人は、なぜ念仏が勝れているのか、念仏一つで往生できるの
か、ということを懇々と語っていかれたといわれます。そして、さまざまな宗派の
教えがあるけれども、その教えはいずれも優れているとして、ほかの教えを決して
低めず、自分のような愚かな者には道緯禅師や善導大師が説かれた念仏の教えし
かないということを、累々主張していかれたのです。その主張に感銘を受けた一人
が念仏房であり、のちに法然聖人の門下となられたのです。
作り上げるものではなく、阿弥陀如来から賜った他力回向の信心であるということ
が、法然聖人の言葉に示されているのです。従来は、法然聖人は他力ということは
強調されたけれども、親鸞聖人のように他力回向までは主張されなかったといわれ
てきました。しかし、「如来よりたまはらせたまひだる信心」という表現には、他力
回向という意味が明らかに見受けられるのです。

   如来より与えられた信心

では、阿弥陀如来より賜った、与えられた信心とは、具体的にどういうことでし
ょうか。
私事ではありますが、二〇一六(平成二十八)年三月に中央仏教学院を退任し、自
坊(広島県三原市)を拠点とした新たな生活が始まりました。ただ退任するまでの約
十年間は、京都と自坊との間を新幹線で年間約五十往復してきましたので、久しぶ
りに帰省したという感覚はありませんでしたが、長年住み慣れた京都を離れる寂しさは感じました。
そうしたなか、初めてマツダスタジアムにプロ野球の観戦に行きました。「カ≒フ
女子」という名前が全国的に広まっていますが、女性だけではなく老若男女を問わ
ず、上昇チームである広島カープの人気は高く、地元球場での観戦チケットを入手
するのは非常にむずかしいのが現状です。したがって、半ば観戦を諦めていた矢先、
たまたま親戚から貴重なチケットを二枚いただきましたので、坊守と一緒に観戦に
行きました。宣]つ赤に染まった球場の様子をテレビで見ていましたので、入場前に
二人そろって赤いユニホームを購入し、それを着用してファン一丸となって一喜一
憂しながら応援しました。
野球の応援には、声援あり、拍手あり、ウェーブありの、さまざまな行動があり
ますが、その元は広島カープというチームの活躍があるからにほかなりません。広
島カープの活躍によって、多くのファンが熱心に応援するのです。応援するすがた
を見れば自ら力を振り絞っているのですが、カープというチーム、そしてその活躍がなければ、球場に足を運ぶことも、一丸となって応援することもあり得ません。
そうしたことを考えれば、ファンの応援はカープというチームから与えられたもの
であるといってもよいでしょう。
本願力回向といわれる信心も、阿弥陀さまのあらゆるものを必ず救うという本願
の力・はたらきがあったからこそ、そのはたらきにすべてをまかせるという信心が
おこるのです。そういう意味で、信心は阿弥陀さまの本願のはたらきによって与え
られるものであるといえましょう。
(白川 晴顕)

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2019年9月のことば  わがこころよければ 往生すべしとおもうべからず

往生の要因

九月のことぼは、親鸞聖人が笠間(現・茨城県笠間市)の門弟の疑問に答えられた、ご消息に出てくる一文です。このご消息では、最初に「自力」「他力」の説明がなされ、つづいて次のように記されています。

  しかれば、わが身のわるければ、いかでか如来迎へたまはんとおもふべからず。  凡夫はもとより煩悩具足したるゆゑに、わるきものとおもふべし。またわがこころよければ、往生すべしとおもふべからず。自力の御はからひにては真実の報土へ生るべがらざるなり。      (『註釈版聖典』七四七頁、傍線引用者)

この文を現代語訳すると、次のようになります。

ですから、この身が悪いから、阿弥陀仏が迎え取ってくださるはずがないと思ってはなりません。凡夫はもとより煩悩を身にそなえているのですから、自分は悪いものである知るべきです。また、自らの心が善いから、往生することができるはずだと思ってはなりません。自力のはからいでは、真実の浄土に生れることはできないのです。
(『親鸞聖人御消息 恵信尼消息(現代語版)』二一頁、傍線引用者)

この「凡夫はもとより煩悩具足したるゆゑに、わるきものとおもふべし。またわがこころよければ、往生すべしとおもふべからず」という一連の文は、往生の要因について説きつつ、また人間の本質について言及した深い言葉となっています。
ここで批判されている考え方は、『歎異抄』などでも同様に批判されている「賢善精進」の思想といえます。「賢善精進」とは、善を積みあげ賢くなり精進していくことで、自身の浄土への往生がより引き寄せられていくとする考え方です。生前の行為下善行)と来世での果報との間に一定の相関があると考えます。そのため、それこそが往生の道だと思う人たちは、この世ではできるだけ善い行いをし、多く学問して賢くなり、日々精進してその継続や蓄積による功徳をたのみにしました。これらは確かに重要なことではありますが、法然聖人・親鸞聖人の浄土教の捉え方とは異なった道でした。

仏教における行の歴史

しかし、そもそも仏教の伝統をふりかえると、古くは「七仏通誠偶」に、

諸悪莫作(しょあくまくさ) 衆善奉行(しゅぜんぶぎょう)

自浄其意(じじょうごい) 是諸仏教(ぜしょぶっきょう)

(もろもろの悪を作すこと莫く もろもろの善を奉行し 自ら其の意を浄くす 是がもろもろの仏の教えなり)

とあるように、仏教では善業を行うこと(=衆善奉行)こそが、諸仏が同様に主張されていた道であるとされていました。この考え方は、その後も仏教の伝統において形を変えつつ、繰り返し説かれます。例えば、戒定慧の三学、六波羅蜜の修行、天台宗であれば一念三千の止観行、真言宗であれば三密の行などが、それにあたります。このように、善行や善業を行うことでさとりへのステージを一つひとつ登ると考える伝統が仏教にはありました。
また、この状況は、来世に天へ生まれるというインド社会の一般信者の考え方においても同様でした。この生天思想は、現世と来世の二つの境界をまたぐことを説いていますが、そこにおいて、その二つをつなぐ力となるものとして、生前の善業があると考えられました。この生天思想とある種の影響関係にあるなかで、浄土教の往生の考え方も出てきています。

浄土教における新たな行の展開

仏教のなかで、浄土教(浄土門)では、他の一般仏教(聖道門)のようにこの世界のなかでさとりの段階をあげていくという行ではなく、別種の極楽国土に往生する行というものが新しいテーマとなりました。それは「往生行」といわれますが、その「往生行」においても、阿弥陀仏や極楽浄土と私たちをつなげる行として、古来よりさまざまな善や観法が求められました。経典に説かれる内容に従い、六波羅蜜の修行や布施や寄進を行うことにより、よりよい形で極楽へ往生することも目指されました。
こうして、長い間、浄土教においても善行・善業の蓄積を重視する伝統があったのですが、法然聖人や親鸞聖人の日本浄土教では、従来の道とは異なる往生の業が示されました。
親鸞聖人の考え方は、長い間、それまで伝統としてあった善業の思想(善因楽果の思想)と「往生の行」とを合わせてみていくような考え方と、大きく距離をとることになりました。それは、これまでの自力による善の積みあげを超えた、新しい浄土の行でした。すなわち、先にも触れました『無量寿経』の阿弥陀仏の本願(第十八願)には、

  たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽してわが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らし。ただ五逆と誹誇正法とをば除く。                       (『註釈版聖典』 一八頁)

とありますが、親鸞聖人が重視されましたのは、その本願に則ったところの念仏と信心であり、他力の信行です。まさに阿弥陀如来によって選択された本願に説かれているままの行を、ただそのままに行う信行であり、自力の蓄積とは根本的に異なった行いということになります。

愚者になりて往生する道

ここで再度、今回のご消息の一文「わがこころよければ、往生すべしとおもふべからず」をふり返り分析しますと、この一節の内実としましては、

わが心よくて
→ そしてその善い心を前提として善行を積み重ね
→ その功徳によって往生する

という順序が見受けられます。親鸞聖人は、そのようなメンタリティー(精神性)全体に対して批判をされていますが、とりわけ、その最初の「わが心善くて」という出発点に問題性を見ておられるようです。
先に引用しました「七仏通誠偶」では、了目ら其の意(心)を浄める(自浄其意)」とありましたが、親鸞聖人は、そもそも自分の心が善くあることはできない、という前提を持っています。果たして、私たちの心は善くある(また、あり続ける)ことができるのでしょうか。親鸞聖人は、そのことについて、生涯自問し続けられました。
親鸞聖人が比叡山の修行での挫折を通し、またその後の人生を通してかみしめられた事実は、「わが心が善くない」という思いであったと考えられます。その思いを普遍化した結果、自己を基点として善行を積みあげていきたいとする考え方を、遠ざけられたのだと考えられます。
『歎異抄』第十三条にも、類似の文言として。

  わがこころのよくてころさぬにはあらず。     (『註釈版聖典』八四三頁)

というI節がみられます。また、その著作の処々において、ご自身の心は「虚仮不
実」(『正像末和讃』)であり、「蛇蝸のごとくなり」(『正像末和讃』)であるともおっしやられており、人間の心というものの不確実性を見定めておられます。
そういう意味では、T心の善き自分というもの」を前提として出発する「行」というものに対して、聖道門の伝統(=自力の行)との決別があったと考えられます。
三月のことば(四三頁)でも触れられていた、法然聖人の最晩年の「一枚起請文」には、

  念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらにおなじくして、智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし。           (『註釈版聖典』 一四二九頁)

と、念仏を信じる者は「智者のふるまひをせず」とおっしやっておられます。また、親鸞聖人のご消息にも、法然聖人は、

浄土宗の人は愚者になりて往生す    (『親鸞聖人御消息』、『同』七七一頁)

とおっしゃっておられたという記述が見られます。この「愚者になりて往生する道」を
法然聖人から親鸞聖人はいただかれ、人々にも説いていかれたのです。
(佐々木 大悟)

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2019年8月のことば 涅槃の真因はただ信心をもってす

三心と一心

七月のことば(九四頁)でも触れた、『無量寿経』の第十八願には、

  たとひわれ仏(ぶつ)を得(え)たらんに、十方(じっぽう)の衆生(しゅじょう)、至心信楽(ししんしんぎょう)してわが国に生(しょう)ぜんと欲ひて、乃至十念(ないしじゅうねん)せん。もし生(しょう)ぜずは、正覚(しょうかく)を取(と)らし。ただ五逆(ごぎゃく)と誹諧正法(ひほうしょうほう)とをば除く。                       (『註釈版聖典』 一八頁)

とあります。ここにありますように、もともとは漢文での第十八願で説かれる「至心信楽、欲生我国」とは、「至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて」と書き下されるように、一心から信じて、わたしの国に生まれたいと願う」というような、心の動きのことを表していました。
親鸞聖人は、この第十八願は「至心・信楽・欲生」という三つの心について説かれているとみられました。(それは、もともと法然聖人がみられた理解を引き継ぐものでした。)
四月のことば(五六頁)でも少し触れられていましたが、親鸞聖人は『教行証文類』信文類において、この第十八願の三心を天親菩薩の論書である『浄土論』のなかの、

  世尊我一心 帰一命尽十方 無尋光如来 願安楽国。
(『浄土真宗聖典全書』」』三経七祖篇、四三三頁)

(世尊(せそん)、われ一心に尽十方無磯光如来(じんじっぽうむげこうにょらい)に帰命(きみょう)したてまつりて、安楽国(あんらくごく)に生(しょう)ぜんと願(がん)ず。
『註釈版聖典(七祖篇)』二九頁)

の「一心」と、同一のものかどうかを問題にされます。ちなみにこの「一心」は、もとはおそらく「一心に」(心から信じて)というように副詞的に使用されていると思われますが、親鸞聖人の『教行証文類』信文類では、「一心」とは「一つの心(で)」というように名詞でとらえられています。また、この議論は古来「三一問答」といわれています。その「三一問答」の答えの部分に今回の言葉は出てきます。

問ふ。如来の本願(第十八願)、すでに至心・信楽・欲生の誓を発したまへり。  なにをもつてのゆゑに論士(天親)「一心」といふや。

答ふ。愚鈍の衆生、解了易からしめんがために、弥陀如来、三心を発したまふといへども、涅槃の真因はただ信心をもつてす。このゆゑに論主、三を合して一とせるか。                   (『註釈版聖典』二二九頁)

(問うていう。阿弥陀仏の本願には、すでに「至心・信楽・欲生」の三心が誓われて  いる。それなのに、なぜ天親菩薩は「一心」といわれたのであろうか。
答えていう。それは愚かな衆生に容易にわがらせるためである。阿弥陀仏は「至  心・信楽・欲生」の三心を誓われているけれども、さとりにいたる真実の因は、ただ信心一つである。だから、天親菩薩は本願の三心を合せて一心といわれのたであろう。『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』 一九三頁)

再度、「三一問答」の議論を確認してみましょう。『無量寿経』の第十八願では、「至心・信楽・欲生」の三心が説かれています。天親菩薩の『浄土論』のなかでは二心」が説かれています。すると疑問が生じます。阿弥陀さまが誓われた本願と、天親菩薩の自ら信心を明らかにされた帰敬の言葉とに、隨証があるとは考えにくいことですが、この二つの関係をどのように考えればいいのでしょうか? 親鸞聖人は、このような問いを設けられました。そして(自分自身による)答えとして、『浄土論』で「一心」が説かれたのは、信心を十分によく理解できない衆生に対して容易にわがらせるためである、と説かれました。その一心は、「三一問答」の展開に従うと、(『無量寿経』の)三心がおさまったところの「信楽」と同一です。その「信楽」こそが「一心」です。こうして、『無量寿経』で誓われた阿弥陀さまの本願である「三心」と、天親菩薩の帰敬の言葉である「一心」との間には、矛盾がないことを示されました。
この流れをうけて、「涅槃の真因はただ信心をもつてす」という一文が出てくるのです。したがって、ここでは「信心」とは複雑なものではない「一心」のことであり、その「信心」は経典においても論書においても共通して説かれており、かつ涅槃の真実の因であるということが、主張されているのです。

「涅槃」の意味

「涅槃」とは梵語ニルヴァーナの音写とされ、意訳としては「滅度」とされています。これは、釈尊以来、迷いの世界である輪廻を解脱するものとして、仏教で一貫して目標とされている静かなさとりの境地(涅槃寂静)のことをいいます。
その涅槃に至る道には、初期仏教以来、瞑想、六波羅蜜、天台の止観、真言の三密、禅など、さまざまな方法(行)が提唱されてきました。浄上教も釈尊一代の仏教の流れにあり、浄土に往生した後に得るという相違はありますが、目標はやはり同じく涅槃です。
この伝統に則って、「涅槃の真因はただ信心をもつてす」という言葉が生まれているのですが、この表現は、おそらく法然聖人の『選択集』を承けたものと考えられます。

  生死の家には疑をもって所止となし、涅槃の城には信をもって能人となす。
(『註釈版聖典(七祖鎬)』 コー四八頁)
(迷いの世界に輪廻し続けるのは、本願を疑いはからうからであり、さとりの世界に入るには、ただ本願を信じるよりほかはない。)

と法然聖人は述べられました。親鸞聖人はおそらくこの文を継承して、その涅槃の本当の原因が「信心」であるとしています。すなわち「信心(ー心・信楽)」が涅槃の真因であるとされました。(ただし、細かく見ると、二つの文章には、「信」と「信心」という相違、また「能入」と「真因」という相違があります。)

  「信心」の重視

ここで取り上げられている「信心」という語は、浄土教の伝統を大きくさかのぼると、先にも挙げた『無量寿経』の第十八願成就文に由来します。

  あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向したまへり。かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。ただ五逆と誹膀正法とをば除く。 (『註釈版聖典』四一頁、傍線引用者)

(無量寿仏の名を聞いて個白喜び、わずか一回でも仏を念じて、心からその功徳をもっ  て無量寿仏の国に生れたいと願う人々は、みな往生することができ、不退転の位に至るのである。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを膀るものだけは除かれる『浄土二部経(現代語版)』七一頁、傍線引用者)

この成就文に出てくる「信心」という言葉を親鸞聖人は重視され、『教行証文類』信文類をはじめさまざまな箇所で言及する中心の語として使用されました。また浄土真宗の中心の概念(信心正因)ともなっていきます。

「教行証」の体系と「教行信証」の体系

仏教は伝統的に行を中心として体系づけられており、法然聖人も専修念仏を主張されました。法然聖人は、「念仏」という行を表に出して諸行との優劣を語ることによって、一般仏教と浄土宗との違いを明らかにされました。こうして、「行」を基点としてギリギリのところで諸宗派と対峙しておられたのです。親鸞聖人は、法然聖人の没後、師の姿勢をより鮮明にされ、それら諸行と念仏の違いを「信心」という一心」の問題を交じえつつ説きました。
それまで体系的には、「教において行じて証る」という「教行証」という仏道の過程で議論されていたところに、親鸞聖人は「信」という概念を別に設けて、「教において行じて(信じて)証る」という「教行信証」という新しい体系を示されたのです。
おそらく、そのように説くことが最も実感に洽うものだったと思われます。そのなかで、伝統的に語られてきた「行」ではないものを涅槃の因として前面に押し出したところに、親鸞聖人の教義の特色があります。そして、それは仏教・浄土教の歴史において大きな展開点となっています。
親鸞聖人は、『教行信証』(『教行証文類』)において、この「信」を中心にした新しい体系を理論的に構築していきます。「信」の意義を拡大し、それを中心に教義付けました。そして、その「信心」の反対となる「疑」(はからい)を最も忌避すべきこととしました。こうして法然聖人とは違う角度から、独自に法然聖人の教えを補いつつ説かれているということができます。

信にもとづいた新たな仏道

また、この「涅槃の真因はただ信心をもってす」という一文を丁寧に語る場合、実際の時間の経過として、浄土教の伝統に則って分析するならば、

信心の獲得

往生する

浄土の理想的な修行環境
入正定聚・必至滅度の誓い(第十一願)のはたらき

涅槃(滅度)に至る

という過程が考えられます。それらを省略して、因果関係の論理に焦点をあて、大きくほかの要素を省略しますと、「涅槃の真因はただ信心をもつてす」(『註釈版聖典』二二九頁)ということになります。
八月のことぼけ、「涅槃の真因はただ信心をもつてす」という語り方によって法然聖人の念仏往生の教えを説かれたものです。それは、「ただ信心」という複雑でない言い方によって多くの人を誘引し、伝統にしばられず、人間の内面に焦点をあてて新しい仏道というものを示された言葉といえます。
(佐々木 大悟)

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2019年7月のことば 浄土真宗のならいには 念仏往生ともうすなり

『一念多念文意』の概略

七月のことばは、『一念多念文意』の後半(『註釈版聖典』六九四頁)に出てきます。
『一念多念文意』は『一念多念証文』とも呼ばれ、法然聖人門下で兄弟子であった隆寛律師(1148~1227)の著書である『一念多念分別事』に引証された経文の要文や関連する諸文をあげ、親鸞聖人が註釈を施されたものです。それぞれ、二念往生」に対する証文を十三文、例えば、

諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向
願生彼国 即得往生 住不退転(『註釈版聖典』六七七-六七八頁)

「多念往生」に対する証文を八文、例えば、

一日乃至七日、名号をとなふべし             (「同」六八六頁)

をあげて、そして最後に、この「浄土真宗のならひには、念仏往生と申すなり」という文章でまとめています。実際にその結論部分をみますと、

  おもふやうには申しあらはさねども、これにて一念多念のあらそひあるまじきことは、おしはからせたまふべし。浄土真宗のならひには、念仏往生と申すなり、まったく一念往生・多念往生と申すことなし。これにてしらせたまふべし・
南無阿弥陀仏           (『註釈版聖典』六九四頁、傍線引用者)

とあります。
この親鸞聖人のご文について、梯賓圓師は次のように現代語訳されています。

思っていることを充分に言い表すことはできなかったけれども、上来引証してきた証文と、その文意によって、一念を立てて多念を否定したり、多念を立てて一念を否定したりするような論争などしてはならないということは、わかっていただきたい。ヽ` 真宗の法義は念仏往生であると聞いている。決して一念往生の法義でも、多念往生の法義でもない。そのことをこれらの文証を通してよく心得ていただきたい。
南無阿弥陀仏。     (梯賓圓著『一念多念文意講讃』四一一頁、傍線引用者)

親鸞聖人が用いられる「浄土真宗」という語には多義ありますが、この文脈での「浄土真宗」とは、広く言えば、善導大師から法然聖人まで伝えられてきた浄土教の教えの流れ、より限定すれば法然聖人の浄土宗のこころという意味にとれるのではないかと思います。また、「ならい」という言葉も、ここでは「伝え聞くこと」くらいの意味が考えられます。
「一念」と「多念」

親鸞聖人当時には、「一念往生」「多念往生」の論争がありました。一念多念とは、丁寧にいうと一念義、あるいは多念義のことをいいます。一念義とは、浄土往生は一声の念仏で決定するという考え方をいいます。一方、多念義とは一生涯、できるだけたくさんの念仏を称え、その功徳によって浄土往生が決定するという考え方をいいます。このような一念多念といった「念の多少」を問題とする見方に対する反証的な文章として、親鸞聖人の「浄土真宗のならいには、念仏往生と申すなり」という一文が語られているといってよいでしょう。「一念往生≒多念往生」といった言い方のほかにも、「十念往生」といった言い方もありますが、ここで「一念往生」や「十念往生」ではなく「念仏往生」という言い方をされているのは、念仏の回数へのこだわりを無効化させたいという意図があったと考えられます。

「一念多念」という問題の発端

そもそも、浄土教においては、念仏を声に出して称える回数、称名念仏として「一念多念」が問題となる前段階として、多くの経典の読誦や阿弥陀仏への礼拝や観察といったさまざまな行のなかから、往生のための行(修行)として、称名念仏行が選ばれたという経緯があります。善導大師が「称名正定業」(「観経疏」「散善義」、「註釈版聖典(七祖篇)」四六三頁)といわれたように、そのようなさまざまな行からひとたび称名念仏が選ばれた後は、その念仏をいったい何回称えるべきかということが問題となりました。
この一念往生・多念往生の論争は、おおもとにまでさかのぽると、四月のことば金三頁)でも触れられた、『無量寿経』の第十八願に、

  たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽してわが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹膀正法とをば除く。                (「註釈版聖典」 一八頁、傍線引用者)

とあり、「十念」(乃至十念)と説かれるところに発端があります。また一方で、第十八願成就文には「一念」(乃至一念)と説かれています。

あらゆる衆生、その名号を聞きて信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向したまへり。かの国に生れんと願ずれば、すなはち往生を得、不退転に住せん。ただ五逆と誹膀正法とをば除く。       (「註釈版聖典」四一頁)
(無量寿仏の名を聞いて信じ喜び、わずか一回でも仏を念じて、心からその功徳をもって無量寿仏の国に生れたいと願う人々は、みな往生することができ、不退転の位に至るのである。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを膀るものだけは除かれる『浄土三部経(現代語版)』七一頁)

ちなみに、ここで「一念多念」の問題となっているうちの「一念往生」の「一念」という用語は、この第十八願成就文にある「一念」という語に由来します。
これら願文(十念)と成就文(一念)の間に細かい鮭髄があるところから、いったい行者は十念を行えばよいのか、一念を行えばよいのか、あるいはもっと多く念仏すべきなのか(例えば、百万遍)、総じて何回念仏すべきなのかということが問題となっていったと考えられます。
おおもとである『無量寿経』において、願文と成就文がともに「一念」で統一されていたり、あるいはともに「十念」であったりしていれば、あるいは、このような問題が後世に波及するようなことはなかったかもしれません。

念仏から信心への展開

そのおおもとの問題である第十八願文とも関連しますが、二念多念」の論争に対しては、別にこの第十八願に対してどのような願名をつけるのか、という願名の変遷を眺めることからも、みていくことができます。
『無量寿経』には本願文が四十八文あります。註釈がなされる初期段階ではそうではなかったのですが、註釈の歴史のある段階以降、徐々にそれぞれの願に名前がつけられるようになります。それは、新羅の法位(七世紀頃)の『無量寿経義疏』という註釈書が嘆矢とされています。本願名については、法位以降もさまざまな名前がっけられ、異なったまとめ方がなされるようになりました。(その願名は、それぞれの誓願の意味の中心をとった要約ととることができます。)例えば、唐の懐感(七世紀頃)は第十八願を「十念往生之願」、日本では奈良時代の智光(七〇九-七八〇頃)は「諸縁信楽十念往生願」と名づけました。また、同じく良源(九一二-九八五)は「聞名信楽十念定生願」と名づけていたことが知られています。これら諸師はいずれも、「十」という回数に注目していたことがうかがわれます。
法然聖人は、諸師の第十八願の願名に対して、「念仏往生の願」というシンプルな願名を採用されています。「念仏往生の願」という願名には、「十念」という回数ではなく、ただ「念仏」によって「往生」することを示したかったという意識がうかがえます。すなわち、念仏が本願に誓われた行いであるというところに力点があります。また、法然聖人が別に示された「選択本願」という言い方もありますが、これも阿弥陀仏によって選択された願(そしてそこに説かれる念仏)というところに焦点があたった願名であるといえます。
これらを総合しますと、親鸞聖人は「浄土真宗のならひには、念仏往生と申すなり」と、師である法然聖人の真意を承けた「念仏往生」の語をやはり選んで使用されていたと考えられます。法然聖人滅後も、二念多念」の問題は継続していたようです。
ちなみに、親鸞聖人は、第十八願に「往相信心之願」「本願三心之願」という願名をつけられました(『顕浄土真実教行証文類(教行証文類)」信文類、『註釈版聖典』二一一頁)。これは、「十念」という念仏の問題を心の問題に移行させ、「信心」の問題と受け止められたからです。このことは、これらの念仏の多少の論争と決別し、距離を置くという意味もあったことが考えられます。          (佐々木 大悟)

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2019年6月のことば 無擬の光明、信心の人をつねにてらしたまふとなり。

日常の孤独

現在、私は妻と二人の娘とともに京都に住み、私と妻の両親は、それぞれ車で一、
二時間ほどの距離のところに住んでいます。いわゆる核家族です。両親はたまに手助けに来てくれますが、基本は妻と私、特に妻が子育てをしています。妻は、児童館の子育て教室にもたまに出かけたりしますが、小さな子どもがいるとなかなか思うように出かけられません。子育てをしていると、世間から取り残されているようだ、と感じることもあるようです。今は町中に住んでいて、まわりには人が多くい
ます。それでも一歩、家のなかに入ってみると、世の流れと断ち切られたような、子育てに追われる家族の孤立、孤独があります。

源信和尚のお言葉

六月のことばは、親鸞聖人の『尊号真像銘文(そんごうしんぞうめいぶん)』のなか、源信和尚の銘文よりいただいています。

  無擬の光明、信心の人をつねにてらしたまふとなり。
(『註釈版聖典』六六二頁)

『尊号真像銘文』の「尊号」とは、礼拝対象としての阿弥陀さまの名号(南無阿弥陀仏や帰命尽十方無眼光如来など)のことで、「真像」とは、親鸞聖人が大切にされた祖師方の肖像画のことです。「銘文」とは、掛け軸をイメージしていただくと(イメージしづらいかもしれませんが)、中央に絵や文字があり、その上下に文章が付されているものがあります。その付されている文章が「銘文」で、経典や祖師方の書物の文章となります。この「尊号」や「真像」の上下に付されている「銘文」について、親鸞聖人が解説を施されている書物が『尊号真像銘文』となります。そのなか、今月の法語は、源信和尚の「往生要集」の文章についての解説のなかの一文となります。
源信和尚は、平安時代中期の比叡山の僧です。その主著である『往生要集』では、人は、この迷いの世界(穢土(えど))を厭(いと)い離れ、お浄土の世界を欣(ねが)い求めるべきであり、念仏によってお浄土に往生していくことが記されています。この書は、浄土教の流
れに大きな影響を与え、後の親鸞聖人も源信和尚を敬われ、浄土真宗では七高僧のお一人となっています。
源信和尚は、この『往生要集』のなかで、私たちが依りどころとする「浄土三部経」の一つである『観無量寿経』の、

  一一光明、偏照二十方世界念仏衆生摂取不捨。
(『浄土真宗聖典全書目』三経七祖篇、八七頁)
一々(いちいち)の光明(こうみょう)は、あまねく十方世界(じっぽうせかい)を照(て)らし、念仏(ねんぶつ)の衆生(しゅじょう)を摂取(せっしゅ)して捨(す)てたまはず。
『註釈版聖典』 一〇二頁)

のご文を受けて、

  またかの一々の光明、あまねく十方世界の念仏の衆生を照らして、摂取して
捨てたまはず。              (「註釈版聖典(七祖篇)』九五六頁)

と示され、このご文に続いて、

  我亦在彼摂取之中 煩悩障眼雖不能見、大悲無倦常照我身
(『浄土真宗聖典全書』‥』三経七祖篇、一一〇八頁)
(われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障へて、見たてまつることあたはずといへども、大悲倦むことなくして、つねにわが身をてらしたまふ。
「註釈版聖典(七祖篇)』九五六-九五七頁)

と示されます。
阿弥陀さまの光は、あらゆる世界の人々を照らし、摂め取って捨てられないけれども、私は煩悩に覆われて、仏さまを見たてまつることができない。にもかかわらず、阿弥陀さまの大いなる慈悲のはたらきは、このような私を見捨てることなく常に照らし続けてくださっている、という意です。

大悲無倦常照我

親鸞聖人は、源信和尚のこのご文をとても大切にされました。先はどの「我亦在
彼・:」というご文を読まれた方は、どこかで聞いたことがあるという思いを持たれ
た方も多いのではないでしょうか。私たちがお勤めする「正信偶」の、

  我亦在彼摂取中
煩悩郭眼雖不見
大悲無倦常照我             (『日常勤行聖典』三二頁)

(われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障へて見たてまつらずといへども、大悲、倦きことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり。『註釈版聖典』二〇七頁)

の一節は、この『往生要集』のご文に基づいていますし、源信和尚のことを詠われた『高僧和讃』では、

  煩悩にまなこさへられて
摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて
つねにわが身をてらすなり            (「註釈版聖典」五九五頁)

と詠まれています。
そして『尊号真像銘文』では、源信和尚のご文を銘文として解説が施され、「常照我身」の「照」の解説として、

無磯の光明、信心の人をつねにてらしたまふとなり。つねにてらすといふは、つねにまもりたまふとなり。            (『註釈版聖典』六六二頁)

とお示しくださっておられるのです。阿弥陀さまのなにものもさまたげとならない光は、常に照らし護ってくださっているのです。私は煩悩に覆われて、仏さまを見たてまつることができない、にもかかわらずです。

厭い離れるべき世界

源信和尚の『往生要集』では、この迷いの世界を厭い離れ、浄土を欣い求めるべきことが説かれます。この迷いの世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)の説示として、特に地獄のありさまが綾々説かれていることが有名ですが、今のこの人間界のありさまについても読み応えがあります。
人間界のありさまとして、種々の経典から、不浄・苦・無常のすがたがあると示されます。不浄とは「清らかではない」ということですが、もっと具体的には汚いということで、例えば「髄より膚に至るまで、八万戸の虫あり」(『註釈版聖典(七祖篇)』八三〇頁)と、私たちの体にはさまざまな虫がいると書かれています。最近はあまり聞かれなくなりましたが、一昔前まではシラミに人々は悩まされました。死してのちは、姐などの虫に食されるのが私たちでした。また、どんなに美味しいものを食べても、便・尿として出さざるをえないのが私です。
苦のすがたとは、仏教では人生のすがたを苦として捉えますが、やはり少し具体的に書かれています。例えば。

  この五陰の身は、一々の威儀、行住坐臥、みな苦にあらずといふことなし。
(『註釈版聖典(七祖篇)』八三四頁)

と、「歩いて苦しく、立って苦しく、座って苦しく、寝て苦しい」と書かれています。
体のどこかに痛みを抱えておられるかたも多いのではないでしょうか。私の場合は
膝ですが、ひどいときは歩いても、立っていても、座っていても、さらには寝ていて
も痛みがあり、そのような痛みと付き合っていかざるをえない日々を送っています。
そして、無常のすがたとは。

  一切のもろもろの世間に、生ぜるものはみな死に帰す。   (「同」八三五頁)

と、かならずみな死が訪れるのであり、どんなに長い寿命があったとしても終わりがあることが示されます。
源信和尚は、このような不浄・苦・無常のありさまである人間の世界を厭い離れるべきであると示されます。
『往生要集』では、人の世のすがたが不浄・苦・無常として徘々示されています。そのありさまをうかがうと、確かに私の人生は不浄であり苦であり無常であると感じる一方で、いまひとつ現実味が薄れているようにも思われます。これはおそらくは、現代を生きる私たちの生活は、源信和尚の頃、親鸞聖人の頃、または数十年前よりも、相当に快適になっているからではないでしょうか。
不浄ということに関していえば、多くの人々はシラミの庫みから解放され、また私の幼少期の頃と比較しても、(エの数が減り、道端で猫やイタチが死んで姐が湧いている光景を目にすることがなくなりました。不浄である本質は変わりませんが、それを感じる機会が減り、見た目にキレイになっているのが現代社会でしょう。
『往生要集』では、人間の世界のすがたにつづいて、天の世界のすがたが示されています。天の世界は、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)でいえば、人間よりも上の世界で、快楽極まりない世界であり、天人の寿命もはるかに長いとされます。
はるかに長いのですが、命が終わる時がきます。天人が衰えてくると、これまで仲良くしていたまわりの天人は離れていき、

  われいま依なく怯なし。たれかわれを救ふものあらん。
(『註釈版聖典(七祖篇)』八三八頁)

と頼るものがない孤独に苛まれていくさまが示されています。

   孤独な世を生きる

不浄なるものが日常の生活から見えづらくなり、かつてなく快楽極まりなくなっているのが現代の人間の世界かもしれません。それはまるで天の世界であるかのようです。しかし、たとえ天の世界であっても衰え、命終は避けがたく、快楽極まりなきゆえに、一層と孤独が際だってきます。
冒頭、今、いわゆる核家族として暮らしていることを書きましたが、核家族はもはや当たり前の世の中で、むしろ三世帯同居が珍しくなっています。それどころか、今、日本でもっとも多いのは、単独世帯(一人暮らし、独居)となっています。高齢の一人暮らしの方では、一日、誰とも話さない方や、孤独死の不安を感じておられる方が多いという話も聞きます。
また、掛け軸をイメージしづらいかもしれませんとも書きましたが、お仏壇のある仏間があり、床の間かあり掛け軸があり、親がいて子がいて孫がいる景色が、当たり前ではなくなって久しくなりました。
便利になり、不浄が見えづらくなり、快楽を見い出しやすい世の中であるがゆえに、個々の孤独は増し、また、家族のあり方も孤独を感じやすいものとなっています。そのような世の中で、私をいつも照らしまもってくださっている阿弥陀さまのありがたさ、かたじけなさを昧わってまいりたいものです。
(長岡 岳澄)

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2019年5月のことば 十方の如来は衆生を 一子のごとく憐念す

おつとめのうた

三歳になった娘が本願寺関係の幼稚園に入園したての頃です。一日の仕事が終わり家に帰って、娘に「今日は幼稚園で何をしたの?」と尋ねても、「わからない」となかなか教えてくれません。そこで「今日はどんなお歌を歌ったの?」と改めて尋ねると、少しためらいながらも、うれしそうに笑顔で、

きーみょーむーりょーじゅーにょーらーい
なーもーふーかーしーぎーこー
なもあみだぶー なもあみだぶー
なもあみだぶつー

と、かわいらしい声で歌ってくれるようになりました。「正信偈」の最初の二句「帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい) 南無不可思議光(なもふかしぎこう)」(「日常勤行聖典」六頁)と「南無阿弥陀仏」に旋律
が付けられている歌です。そして、この歌を歌うときには、両手を合わせて合掌をしています。
娘本人がどのように感じているかはわかりませんが、親としてこのすがたを見ると感慨深いものがあります。なにもわからずこの世に生まれ産声をあげた我が子が、手を合わせ、仏さまの歌を歌ってくれるまでになってくれたすがたを見ると、十分とは言えないかもしれませんが、お念仏を伝えることができたのではないかと、ホッと安堵し嬉しく感じました。

それとともに我が身を振り返り、今ではすっかり中年のおじさんになっていますが、私にもこのような時期があり、何もわからない私にお念仏を伝えてくれた両親をはじめ、まわりの方々のお育てがあったのであろうと思い返されます。

『浄土和讃』勢至讃の文

五月のことばは、親鸞聖人の『浄土和讃』のなか、「勢至讃」のご文からいただいています。

超日月光(ちょうにちがっこう)この身には
念仏三昧(ねんぶつざんまい)をしへしむ
十方(じっぽう)の如来(にょらい)は衆生(しゅじょう)を
一子のごとく憐念す               (『註釈版聖典』五七七頁)

親鸞聖人の時代、仏教の教えは漢語・漢文をもって示されることが基本でした。親鸞聖人も、主著である『教行信証』など、漢語で多くの書物を著されています。しかしながら、当時の多くの人々にとって、漢語で書かれた書物を読み理解するということはむずかしいことでした。これは、現代でもそうかもしれません。
そこで、親鸞聖人は、多くの人々が心得やすいように、わかりやすいようにと、「唯信秒文意」や『一念多念文意』などの和語・仮名交じりの書物も著されています。
さらに、聖人は、七五調の和歌の形式で仏さまや高僧方の徳をわかりやすく讃えた歌を数多く作られました。これがご和讃です。

このご和讃のなかで、阿弥陀仏とそのお浄土について讃えられているのが、『浄土和讃』百十八首となります。『浄土和讃』では、親鸞聖人が大切にされた高僧である曇鸞大師(どんらんだいし)の『讃阿弥陀仏渇』、私たちが依りどころとする「浄土三部経」の「無量寿経(大経)』、『観無量寿経(かんむりょうじゅきょうかんぎょう)(観経)』、『阿弥陀経(あみだきょうしょうきょう)(小経)』などによって、阿弥陀仏およびその浄土について讃嘆されています。

この『浄土和讃』の結びにあるのが「勢至讃」八首で、冒頭には、

  『首楊厳経(しゅりょうごんぎょう)』によりて大勢至菩薩和讃(だいせいしぼさつわさん)したてまつる (『註釈版聖典』五七六頁)

とあります。どうして、「浄土三部経」や『讃阿弥陀仏偶』などに比べるとあまり馴染みがない『首楊厳経』という経典によって、阿弥陀仏ではなく勢至菩薩を、『浄土和讃』の結びで褒め讃えておられるのでしょうか。
『首楊厳経』は、詳しくは『大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首拐厳経(だいぶっちょうにょらいみっいんしゅしょうりょうぎしょぽさっまんぎょうしゅりょうごんきょう)』という経典名で、唐の般刺蜜帝訳と伝えられます。この経では、二十五人の聖者がそれぞれ釈尊の前で、どのように円通の理、真如をさとられたのかを説き述べられます。その二十四人目が勢至菩薩で、念仏によってさとられたことが説かれます。
この「勢至讃」が示される理由として、ひとつには、勢至菩薩が釈尊の前で、

教主世尊(きょうしゅせそん)にまうさしむ
往昔恒河沙劫(おうじゃくごうがしゃこう)に
仏世(ぶつよ)にいでたまへりき
無量光(むこうりょう)とまうしけり               (「註釈版聖典」五七六頁)

と、数えきれないくらいのはるか昔に阿弥陀仏がお出になられたと述べられていることから、阿弥陀如来が永遠の昔からの仏さまであることを示すためであるとされます。これは、同じ『浄土和讃』の「大経讃」で、

弥陀成仏(みだじょうぶつ)のこのかたは
いまに十劫(じっこう)とときたれど
塵点久遠劫(じんでんくおんごう)よりも
ひさしき仏(ぶつ)とみえたまふ                 (『同』五六六頁)

と示される意を承けたものです。

法然聖人の本地

そして、「勢至讃」が作られたもう一つの理由として、勢至菩薩こそが親鸞聖人の師である法然(源空)聖人のもともとのおすがたであると、受け止められていたことが挙げられます。
親鸞聖人は、二十九歳のときに、京都にある六角堂で救世観音菩薩のお告げを受け、比叡山を下りられました。そして、法然聖人のもとで阿弥陀仏の喚び声である名号(南無阿弥陀仏)のはたらきによって自身が仏と成っていく道を、ひとすじに聞いていかれました。
その後、朝廷や旧仏教による法然教団への弾圧によって、三十五歳のときに離ればなれとなってしまわれますが、親鸞聖人は生涯にわたって法然聖人を慕い敬われていました。親鸞聖人のお弟子である唯円房が著したとされる『歎異抄』には、晩年の親鸞聖人のもとへお弟子方が尋ねて来られた際に、

親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。(『註釈版聖典』八三二頁)

と語られたと示されます。ただただ師・法然聖人の教えを受けとり続けられたことが窺えます。
『浄土和讃』勢至讃の末には「源空聖人御本地なり」(『註釈版聖典』五七七頁)と示され、親鸞聖人は、この師・法然聖人を勢至菩薩がこの世に生まれ出でられた方であると受け止められておられたのです。法然聖人の教えをただただ聞いていかれた親鸞聖人。だからこそ、法然聖人のもともとのおすがたである勢至菩薩を、『浄土和讃』の結びで褒め讃えられておられるのでしょう。

手を合わせるすがたに

勢至菩薩に念仏を教えられたのが阿弥陀さまでした。今月のことばにある「浄土和讃」の後半部にも、

超日月光この身には
念仏三昧をしへしむ

と、阿弥陀如来(超日月光)が勢至菩薩(この身)にお念仏(念仏三昧)を教えられたと、『首楊厳経』にもとづいて示されています。阿弥陀さまから勢至菩薩へ、勢至菩薩が源空聖人として生まれ出でられ、親鸞聖人へと念仏の教えは伝えられたのです。
親鸞聖人は、法然聖人からお念仏の教えをひとすじに聞いていかれ、その教えを生涯大切に受け止めていかれました。そして、法然聖人から受け取られたお念仏は、よくよく案じてみるならば、阿弥陀さまのおはたらきによっているのだと受け止め
られました。それは、すべての衆生を照らす日光・月光を超えるような智慧の光であるとともに、衆生一人ひとりを「一子のごとく憐念」し、ひとり子を哀れ慈しむような仏さまの大いなる慈悲のはたらきとして受け止められるのです。
最初に、わが子が幼稚園に入園し、仏さまに手を合わせ、お念仏するすがたを見て、親として安堵し、それとともにわが身を振り返ってみると、という話を書きました。まだまだ形ばかりかもしれませんが、子にお念仏が伝わったことは、父親である私だけではなく、妻である母親や、父母の親である祖父母、また、幼稚園の先生方など、まわりの多くの方々との繋がりがあってのことでしょう。その繋がりはたいへんにありかたいものです。
ただ私自身を省みてみますと、法然聖人が親鸞聖人に、阿弥陀さまが勢至菩薩に念仏を教えられたように、私か子に念仏を伝えたのだとは到底考えられません。
確かに、わが子と同じクラスのお友達が手を合わせるすがたにもホツとしますが、わが子ほどにはホツとしないというのが、親としての直截な思いです。また、ホツとしながらも、日頃の無邪気な言動に振り回され、内心穏やかではない私かいます。
親としての時を過ごすほどに、親さま(阿弥陀さま)とほど遠い自分に気づかされます。
そのような私、そしてわが子を、一子のごとく哀れ慈しんでくださっている阿弥を合わせるすがたを見守ってまいりたいものです。
(長岡 岳澄)

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2019年4月のことば 真実の信心はかならず名号を具す。

学生さんからの質問

親鸞聖人を宗祖と仰ぐ浄土真宗本願寺派と関係する大学として、京都には龍谷大学などがあります。また、同じく本願寺派の僧侶を養成するための学校として、中央仏教学院があります。龍谷大学、中央仏教学院で講義をしていますと、数年に一度、「どうすれば信心を獲られるのでしょうか?」という質問を受けることがありま
す。私の経験からいいますと、真面目な学生さんほど、このような質問をする傾向があるようです。それだけ真剣に道を求めてのことなのでしょう。よくわかります。

阿弥陀さまの願い

四月のことばは、親鸞聖人の主著である『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』のなかからいただいています。

真実の信心はかならず名号を具す。        (『註釈版聖典』二四五頁)

 

親鸞聖人は、ただひとすじに阿弥陀さまのはたらきによって、この私か仏と成らせていただく道を聞いていかれ、その道を明らかに示してくださいました。阿弥陀さまのはたらきは、このようにして人々を救うぞ、という願いにもとづいています。
その願いこそが本願です。
本願は、私たちが依りどころとする「無量寿経」に「第十八願」として、

  設我得仏、十方衆生、至心信楽、欲生我国乃至二十念
若不生者、不取正覚。唯除五逆誹膀正法
(『浄土真宗聖典全書』三経七祖扁、二五頁)

と示されます。このご文を書き下すと、

とひわれ仏(ぶつ)を得(え)たらんに、十方(じっぽう)の衆生(しゅじょう)、至心信楽(ししんしんぎょう)してわが国(くに)に生(しょう)ぜんと欲(おも)ひて、乃(ない)至十念(しじゅうねん)せん。もし生(しょう)ぜずは、正覚(しょうがく)を取(と)らじ。ただ五逆(ごぎゃく)と誹謗正法(ひほうしょうぼう)とをば除く。                       (『註釈版聖典』 一八頁)

となり、現代語訳すると、

わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。        (「浄土三部経(現代語版)』二九頁)

となります。これは簡単にいうならば、「われを信じ、わが名を称える者は、かならず救う」という意になります。
本願は、「われにまかせよ、かならず救う」という阿弥陀さまの根本の願いであり、その願いが願いのとおりに完成され、南無阿弥陀仏の喚び声として私のところへ至り届けられているのです。

本願の三つの心

親鸞聖人の主著であり、浄土真宗の根本聖典である『教行信証』は、「教文類(きょうもんるい)」「行文類(ぎょうもんるい)」「信文類(しんもんるい)」「証文類(しょうもんるい)」「真仏土文類(しんぶっどもんるい)」「化身土文類(けしんどもんるい)」という六巻から成っています。

今月の法語は、この『教行信証』の「信文類」からいただいていますが、「信文類」の前半では、先はどの本願に誓われている「至心・信楽・欲生」の三つの心について、多くの紙数を費やし、ご指南が示されています。

阿弥陀さまのお浄土に生まれ仏と成らせていただく、この正しき因は阿弥陀さまからふり向けられる信心一つであると、親鸞聖人は聞いていかれました。七高僧のお一人である天親菩薩が、

世尊我一心 帰命尽十方 無尋光如来 (「浄土真宗聖典全書」」」三経七祖篇、四三三頁)
(世尊、われ一心に尽(じん)十方無擬光如来(ぽうむげこうにょうらい)に帰命(きみょう)したてまつりて『註釈版聖典(七祖篇)』二九頁)

と「一心」と示され、親鸞聖人も、

涅槃(ねはん)の真因(しんいん)はただ信心(しんじん)をもつてす
(『教行信証』信文類、「註釈版聖典」二二九頁)

と、一心、信心こそが、往生成仏の正しき因であると示されています。
そうであるにも関わらず、先はどのご本願には「至心・信楽・欲生」という三つの心が誓われています。なぜ三心の願いが発されているのか、親鸞聖人はこのことについて真剣に問い求められるのです。そして、

仏意(ぶつい)測(はか)りがたし。しかりといへども、ひそかにその心(しん)を推(すい)するに(「同」、『註釈版聖典』二三一頁)

と、阿弥陀さまのお心は、はかり知ることができないとしながらも、如来回向の一心(信楽)のところに、阿弥陀さまの真実の智慧(至心)も慈悲(欲生)も具わっていることを顕すために、三つの心として誓われているのだと受け止められるのです。
そして、

  まことに知んぬ、至心・信楽・欲生、その言異なりといへども、その意これ一つなり。なにをもつてのゆゑに、三心すでに疑蓋雑はることなし、ゆゑに真実ので心なり。これを金剛の真心と名づく。金剛の真心、これを真実の信心と名づく。                    (「同」、『註釈版聖典』二四五頁)

と結ばれます。三心とて心の関係性は大切なところですので、このほかにもさまざまな角度から、三つの心は一つの心におさまり、一つの心に三つの心が具わっていることが示されます。
しかし、いま重く受け止めたいのは、本願の三心をいかに受け止めるかを問い詰められた、親鸞聖人の姿勢です。

ありのままのはたらき

信心こそが往生成仏の正しき因であるという道を聞いていくとき、ややもすると、ご本願に三つの心が誓われているということを軽視してしまいがちです。信心こそが正因であり、信心ひとつで往生成仏させていただくという教えは、そこに深いおいわれがあり、それこそが大切でありますが、一面では、わかりやすく、わかりやすいがゆえに、考えることを止めてしまいそうになります。結果、ご本願に三つの心が誓われているけれども、それはそれで置いておいてともなりかねません。
しかし、そこで忘れてはならないことがあります。それは、『無量寿経』は釈尊が説かれたまさに仏説であり、ご本願は阿弥陀さまの誓いであるということです。釈尊、阿弥陀如来は仏さまです。仏さまは、真理をさとられた方であり、そのお言葉はさとりの世界からのお言葉です。それは、われわれの思議を超えた世界からのお言葉です。私は、そのお言葉をいただき、ありのままの仏さまのおはたらきを受け取っていくのです。親鸞聖人がご本願の三心を問い求められたことから、仏語を大切にする、ありのままの仏さまのおはたらきを受け取っていく姿勢を見つめなおしたいものです。
親鸞聖人は、先ほど引かせていただいた「これを真実の信心と名づく」に続いて、今月の法語である「真実の信心はかならず名号を具す」と示されます。これは、真実の信心には、必ず名号を称えるというはたらきがそなわっている。
(「顕浄土真実教行証文類(現代語版)』ニニー頁)

という意です。このお言葉も、やはり先ほどの本願の三心のように、ありのままの阿弥陀さまのおはたらきとして受け取らせていただきたいところです。
本願には、「至心・信楽・欲生」の三心に続いて、「乃至十念」(わずか十回でも念仏して)と念仏を称えることが誓われています。「乃至」と回数を限らないとお示しくださっていますが、信心と称名が誓われている本願です。その願いが願いの通りに完成され、私にはたらいてくださっているのです。

まあそうであろう

親鸞聖人晩年のお言葉に、

弥陀仏の御ちかひの、もとより行者のはからひにあらずして、南無阿弥陀仏とたのませたまひて、むかへんとはからはせたまひたるによりて、行者のよからんともあしがらんともおもはぬを、自然とは申すとぞとききて候ふ。
(『正像末和讃』、「註釈版聖典」六ニー頁)

とあります。むずかしいお言葉ではありますが、行者のはからい、私自身の良い、悪いといったはからいを雑えるのではなく、ただただありのままの如来さまのおはたらきにおまかせしていくことが示されています。ありのままの私か救われていくのではなく、ありのままのはたらきによって、この私か救われていくのです。
中央仏教学院には通信制教育があります。通信教育ですので、平素はテキストや書簡による学びとなりますが、講義をする機会もあります。通信教育の受講生にはさまざまな方がおられますが、龍谷大学や中央仏教学院の通学生と比べると、ご年配の方、また、これまで聴聞を重ねてこられた方が多くおられます。そのような方に、冒頭に書いたように、「どうすれば信心を獲られるのでしょうかという質問を受けることがあります」という話をすると、これまた私の経験からすると、なにもおっしゃらず、にこっと微笑まれる方が多いように思われます。少なくとも「私は信心を獲ていますよ」とは言われません。
親鸞聖人は、五十九歳のとき、風邪をひかれて床に伏しながら、高熱の夢うつつのなかで、昔、衆生利益のために「浄土三部経」の千部読誦を志したことを思い出されました。そして自力のはからいが、いまだ経験としてご自身の内面に影響を与えていることを反省されて、「まはさてあらん(まあそうであろう)」(『恵信尼消息』、『註釈版聖典』八二(頁)とおっしゃっています。
「こうすれば信心が獲られますよ」とは、軽々しく答えられることではありません。ただ、「真実の信心はかならず名号を具す」と、ありのままのおはたらきをともどもに聞き、自らの過去を振り返りつつ、「まはさてあらん」と肯いてまいりたいものです。                                 (長岡 岳澄)

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2019年3月のことば われらは善人にあらず 賢人にもあらず

「賢善精進」の深意

三月のことばは、親鸞聖人の『唯信炒文意』というご著作のなかにあります。
親鸞聖人が聖教を拝読されるにあたって、ときに独自の訓点によって大胆な訓み替えをなさったことは、よく知られています。なかでも、その代表格ともいえるのが、善導大師の「散善義」の文の訓み替え(『顕浄土真実教行証文類(教行信証)」信文類、『註釈版聖典』一二七頁)ですが、この『唯信炒文意』では、それを一語一語
細かく区切ってご解釈くださっており、今月はそのなかの一文です。
まず、もともとの善導大師の「散善義」の文を見ておきましょう。原文は漢文体です。

不得外現善精進之相内懐中虚仮
(『浄土真宗聖典全書』‥』三経七祖篇、七六一頁)

とあります。この文を普通に読み下せば、

外(ほか)に賢善精進(けんぜんしょうじん)の相(そう)を現(げん)じ、内(うち)に虚仮(こけ)を懐(いだ)くことを得(え)ざれ。

『註釈版聖典(七祖篇)』四五五頁)

となるでしょう。「外面」だけ賢そうにして、内側が虚仮不実であるようなことであ ってはならない」といった意味になります。
これを、親鸞聖人は、

外(ほか)に賢善精進(けんぜんしょうじん)の相(そう)を現(げん)じ、内(うち)に虚仮(こけ)を懐(いだ)けばなり

「(『教行信証』信文類、『註釈版聖典』一七頁、()内引用者)

と読み下されています。「内側が虚仮不実であるのだから、外面を賢そうに振る舞っ てはいけない」といった意味になるでしょう。
似ているようで、少し意味が違ってきます。善導大師の場合は、外見が賢善精進 のすがたを取るのであれば、内面が虚仮不実であってはならないという、内外の不 一致を問題とされているのに対し、親鸞聖人の場合は、内側が虚仮不実の身である ことは動かしようがないので、外見を賢そうに振る舞ってはならないとされ、さら に厳しい自己内省が徹底されているように思われます。 「この文脈に沿って、細かく善導大師の文を解釈されていくなかに標題の一文があり、「私たちは、善人でもなければ、賢人でもない」と示されています。だから賢善精進の相を示すことなどできないのです。

智者のふるまひをせず

この大胆な訓み替えのベースには、「一枚起請文」に記された、法然聖人のお心が あるのではないかと想像しています。現代風にいえば、「念仏者の誓い」とでもいう べき規範です。

もろこし(中国)・わが朝に、もろもろの智者達の沙汰しまうさるる観念の念に もあらず。また、学文をして念の心を悟りて申す念仏にもあらず。ただ往生極楽のためには南無阿弥陀仏と申して、疑なく往生するぞと思ひとりて申すほかに 別の子細候はず。(中略)このほかにおくふかきことを存ぜば、二尊の あはれみにはづれ、本願にもれ候ふべし。念仏を信ぜん人は、たとひ一代の法 をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがら におなじくして、智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし。
(『註釈版聖典』一四二九頁)

中国(「もろこし」)から仏教が伝来して以来、多くの高僧方による理解では、「念 仏」の「念」とは、精神を統一して邪念を雑えず、心に波風をたてず、浄土や阿弥 陀仏のすがたをありありと想い浮かべる、「観念」とされてきました。しかし、私たちのような心の散乱する凡夫において、乱れ心なく精神を統一することは、およそ 不可能です。ご法事のときでさえ、「焼香を早く回せや」、「料理はまだ来ないのか」 などと、すぐに雑念が湧いてきます。
「十方衆生」と阿弥陀さまが喚びかけられた、すべての者を等しく救いとろうと誓 われた本願の「乃至十念」の「念」が、特別の者しかなしえない、精神を統一した、「観念」の念仏のはずはありません。心の散乱する凡夫になしうる「念仏」とは、ロにお称えする「称名念仏」以外にはありえないのです。
わずかばかりの知識を持っているといっても、仏さまの智慧に比べると、何ほど の価値もありません。仏智の前では、ひとりの患者に過ぎないのがお互いです。そのような凡夫・悪人を救いの目当てとされた阿弥陀仏に対して、自らの智慧に頼り、 自らの智慧を誇ることは、むしろ背信行為であって、仏智の前では、ただ愚者であ り凡夫・悪人であるのが、私という存在です。

人間の怖さ

しかし、私たちは、ついつい善人の側に立とうとします。 ロングラン・ドラマだった「水戸黄門」では、必ずと言っていいほど、悪代官と悪徳商人が登場します。「こんな悪い奴は、早くこらしめてやれ」と、私たちの心が 叫びます。善人の側に立っているということですね。 数年前に流行った「半沢直樹」というドラマでは、銀行という組織の不条理に対 し、「やられたら、やり返す。倍返しだ」の決めぜりふで、相手を土下座させていま したが、それを痛快に喜んでいるのが私たちです。また、「忠臣蔵」での赤穂浪士の仇討ちに拍手喝采するのが私たちです。
「テレビのニュースを見ていると、毎日のように凶悪な犯罪が報道されます。そん なとき、「こんな犯人は厳罰にしろ」と裁くのが私たちです。しかし、同じような縁 に触れたら同じことをしたかも知れないという、自分自身の怖さに気付いているでしょうか。

法然聖人は、幼い頃、深夜、近くの賊に襲撃され、お父さんの漆間時国は命を落とします。瀕死の重傷を負ったお父さんは、いまわの際に、幼子であった法然聖人 に、「仇討ち」をしてはならないと諭されます。仇を討てば、今度は自らが仇討ちの 対象になり、恨みの連鎖が永遠に続くと諭されたのです。「やられたら、やり返す」 では、恨みの連鎖にしかなりません。
覚如上人が書かれたお書物に、『拾遺古徳伝」という、法然聖人の事跡を紹介され た伝記があります。極悪人として知られた耳四郎が、法然聖人のご教化に出遇う場 面の締めくくりに、

今時の道俗、たれのともがらかこれにかはるところあらんや。
「(『浄土真宗聖典全書』相伝篇上、一六五ー一六六頁)

と述べられています。こういわれると、「私は、耳四郎ほど悪人ではありません」と
弁解したくなりますが、

つくるもつくらざるも、みな罪体なり。おもふもおもはざるも、ことごとく妄 念なり。
『同』一六六頁)

と続くのです。悪いことをしたのが悪人で、しないのが善人という単純な話ではあ りません。マムシやハブのような毒蛇は、噛んだから毒蛇なのではありません。人 間の見方からすれば、噛もうが噛むまいがマムシは毒蛇なのです。そして、私たち も縁に触れたら何をするかわからない同じものを持っているということです。
また、こんなこともあるでしょう。近所の人との会話のなかで、「私は、つまらな い人間で」と言ったときに、「やっぱり、そうでしたか」と言われると、腹が立ちま す。「うちの子は、私に似て出来が悪くて」と言ったときに、「そりゃ、そうでしょう ね」と言われたら、「この人とは、二度と口をきかない」という気になります。口で は「あさましい」「罪深い」と言っていても、結局は、善人や智者の側に身を置いているのです。

機の深信・法の深信

法然聖人は、また、

浄土宗の人は悪者になりて往生す(『親鸞聖人御消息』、『註釈版聖典』七七一頁)

とも述べられています。私たちは、この「愚者になる」ということがむずかしいの かも知れません。すぐに善人になりたがる習性があるからです。
しかし私は、そんなにむずかしいことでもないように思います。それは、つねに 仏さまとお話をすればよいと思うからです。仏さまの智慧の前では、私は、愚者以 外の何ものでもないからです。仏さまの智慧に出遇ったとき、患者という私の本当 のすがたが知らされます。浄土真宗では、それを「機の深信」と称しています。

決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、臓却よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。
(『観経疏』「散善義」、『註釈版聖典(七祖篇)』四五七頁)

と示されます。いつから迷い始めたのかわからないほど、長い長い間、迷い続けて
きたのが私たちです。そこには、自分に誇る思いは微塵もありえません。しかし同
時に、

決定して深く、 の阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑な おもんぱか」 く慮りなくかの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず。
(『同』)

という「法の深信」、ご本願によって救われていくよろこびに支えられた身でもあるのです。

「われらは善人にもあらず、賢人にもあらず」(『註釈版聖典』七一五頁)

この「愚者」 の自覚こそは、「機の深信」という厳格な自己内省です。そして、それは、「法の深信」というよろこびに支えられた歩みでもあるのです。これこそは、仏さまの智慧
に出遇った者が恵まれる、尊い生き方です。
(満井 秀城)

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2019年2月のことば きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。

「聞」と「信」

「浄土真宗は、聴聞にきわまる」といわれます。
なぜ、そうなのかが明らかになるのが、二月のことばです。これは、親鸞聖人が書かれた『一念多念文意』というお聖教(しょうぎょう)のなかにあります。少し前からの一連の文を、以下に引用しておきます。

「聞其名号(もうごみょうごう)」といふは、本願(ほんがん)の名号(みょうごう)をきくとのたまへるなり。きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞(もん)」といふなり。またきくといふは、信心をあらはす御のりなり。               (『註釈版聖典』六七八頁)

上下二巻で構成される『無量寿経(むりょうじゅきょう)』(『大経』)の下巻の冒頭には、阿弥陀さまの本願が成就されたことをあらわす第十八願成就文があります。この成就文では「聞其名号」とある「聞」について、『一念多念文意』では、二つの文章を通してご教示くださっています。
第一文は、

  きくといふは、本願をききて疑ふこころなきを「聞」といふなり。

という文です。「聞く」ということについて、「聞いて疑う思いがない」ことであるといわれるのです。ここでは、「聞」を疑いのない心(無疑心)、すなわち「信」によってあらわしておられます。
第二文が標題の文で、

  きくといふは、信心をあらはす御のりなり。

とあり、「聞く」という語が、「信心」をあらわす。つまり、「聞く」という語によって「信心」があらわされるというわけです。
どちらも、「聞く」ということについてのご教示ですが、構造が少し異なっています。図示してみますと、第一文が、

聞←信 (信によって聞をあらわす)

第二文が、

聞→信 (聞によって信をあらわす)

というふうに、双方向の構造であることがわかります。つまり、「聞」と「信」とが、互いに双方向で規定しあっているわけで、そのゆえに、「聞即信(もんそくしん)」(聞くことが即ち信心である)の法義が成立するのです。論理学的にいえば、AとBとが、互いに「必要」にして「十分」であるとき、A=Bとなります。

先手の救い

「聞即信」の「即」とは、「聞」と「信」との間に何も入る余地がないことをいうのです。「聞」と「信」との間に何かが介在したのでは、「即」とはいえません。「聞いて、わかって、信になる」とか、「聞いて、考えて、信になる」とか、間に自分の仕事が入ると、「聞即信」の聞き方ではないことになります。「わかる」とか「考える」とか、そのような私の心のはたらきが介在しない聞き方でなければなりません。
私事になりますが、私は、大学から大学院に進学するときに、別の大学に移りました。もう三十五年以上が経ちますが、今も鮮明に覚えています。
大学院の入学試験は、一次試験と二次試験とに分かれていました。一次試験の筆記試験にパスしか者が、二次試験の口頭試問(面接)に進めるのです。二次試験に臨むためには、一次試験から数日後、合格発表を見に行って、一次試験に合格した者だけが、そのまま二次試験を受けるという形でした。ですから、とにかく一次試験の発表は見に行かねばなりませんでした。二次試験の結果発表も、その日ではなく、これも数日後で、しかも、現在のように、ホームページでの掲示もありませんでし
たから、実際に見に行くほか、確認のしようがない時代でした。
福岡から大阪までわざわざ旅費を使って合格発表を見に行って、それで落ちていたのでは、お金のない学生にとってはつらいものです。そこで、高校の同級生で、その大阪の大学にまだ四回生で在学中の友人がいましたから、彼に発表の日時と私の受験番号とを伝え、代わりに見て電話で知らせて欲しい、と頼んでおきました。
発表当日、その時間が近づくと、そわそわします。当時は、携帯電話のような便利なものはなく、自分の部屋に固定電話もありませんでしたから、下宿の電話の前に張り付いていました。ところが、発表時間になって三十分か過ぎ、一時間が過ぎても、いっこうに電話がかかりません。そうすると、いろいろなことを考えます。「頼んだことを忘れていないだろうか」「日を間違えていないだろうか」「落ちていたから、なかなか電話がかけられずにいるのかも知れない」などと、いろいろな心配をし始めます。
電話がある大家さんの部屋に長くいることもできないので、自分の部屋にもどっていました。何時間も経った夕方になって、大家さんから「満井さん、電話ですよ」
と呼ばれて電話口に出ると、「通ってたよ」のT百です。「もっと早く知らせてよと思いましたが、とにかく「ありがとう」とだけ言って、電話を切りました。
私かいろいろな心配をする以前に、私の合格は、すでに決まっていたのです。私か心配し、いろいろと考えたから合格したのではありません。合格を知ったときには、すでに私の仕事は手遅れです。
私か考えて、私か理解して、それで初めて往生できるのではありません。私の仕事はすでに手遅れの、阿弥陀さま先手の救いの法を聞くのです。私の合格を教えてくれたのは、同級生でした。阿弥陀さま先手の救いの法を教えてくださったのは、お釈迦さまであり、親鸞さまだったのです。

無条件の信心

浄土真宗は、「信心正因(しんじんしょういん)」の法義です。時折、「絶対他力、無条件の救いなら、どうして、信心という条件があるのか」と訊かれることがあります。私は、「そうなったら仏教ではない」と答えることにしています。
『増一阿含経(ぞういちあごんぎょう)』という経典には、仏教とそうでないものとを見分ける、三つの指標が説かれています。「こうなったら仏教ではない」という目印です。一つは「宿命造」。いわゆる運命論・宿命論です。自分の人生は、すでに運命によって決定している。こうなったら仏教ではありません。お釈迦さまは、精進・努力によって自らの未来を切り拓く教えを説いてくださいました。
二つめは「尊裕造(そんゆうぞう)」。神意論のことです。この世界は唯一絶対の神によって造られ、全知全能の神によって支配されているという、ちょうどキリスト教のような考え方です。阿弥陀さまが全知全能の創造主であるのなら、いやでもおうでも浄土へ引きずり込むということもあるかもしれませんが、こうなったら仏教ではありません。
三つめが「無因無果(むいんむか)」。偶然論のことです。当然のことながら、仏教は因果の道理を説きます。私のさとり(仏果)には、私の側に仏因がなければなりません。それが正しい因果の道理というものです。おなかがすいたからといって、代わりに食事をしてもらっても、私は満腹になりません。私の仏果には、私の側に仏因がなければなりません。それが仏教の原則で、浄土真宗では、それを「信心正因」とするのです。
しかしながら、私の側の仏因といっても、私の側には迷いの元ばかりで、仏因になるようなものは、何ひとつ持ち合わせておりません。私の迷い心でつくった信心ならば、仏因になるというような厚かましいことはいえないのです。「かつて一善もなし」『無量寿経』、『註釈版聖典』六九頁)といわれる身において、仏因になりうるものは、阿弥陀さまからの真実が届けられる他力回向の信心のみです。

喚び声のままの信

「信心」は、「心」という字があるように、私の心に起こるものです。私の心に起こることについて、私のはたらき(自力)が関わったのでは、迷いのもとが雑じることになり、仏因とはなりえません。
私の心に起こることでありながら、私の心のはたらきをさせないあり方とは、どういうことになるでしょう。それが、聞くままがそのまま信となる、「聞即信」のあり方です。
「聞く」という行為は、先手の音声があって、初めて成立します。私か講義をたのまれても、日時を間違えて一日遅く行ったら、せっかく集まってもらった受講生にとっては、私か到着してないので「聞く」という行為は成立しません。
阿弥陀さまが「喚び声」の仏さまとなられたのは、私の心に起こる信心について、私の心のはたらきをさせず、先手の「喚び声」がそのまま信となる、まさに「他力回向」の信となる救いの構造を完成されたからです。
ちなみにですが、人間の五感のうち、一番最後まではたらいているのが、実は耳なのだそうです。お医者さんからの受け売りにすぎませんが、心臓が止まり、脈も呼吸も止まり、瞳孔がひらき、脳波が平坦になり、「ご臨終です」と宣告された後も、耳だけは、数十秒、長い人だと、数分間、聞こえているのだそうです。どうやって
確かめるのかは聞き忘れましたが、人間にとっては聞くということが最も基本なのかも知れません。
(満井 秀城)

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2019年1月のことば 如来誓願の薬は よく智愚の毒を滅するなり

自力が捨たる

一月のことばは、『教行信証』信文類(『註釈版聖典』二四六頁)からの一文です。「智愚の毒」。あまり聞き慣れない言葉かも知れません。「智者の毒」と「愚者の毒」といったところでしょうか。

「智者の毒」とは、どういうものでしょう。
「智者のふるまひ」「二枚起請文」、『註釈版聖典』 一四二九頁)という言葉もあるように、所詮わずかほどしかない自らの智慧をひけらかし、阿弥陀さまの他力にまかせない自力心のことと考えられるでしょう。

「雑毒(そうどく)の善(ぜん)」(『観経疏(かんぎょうしょ)』「散善義(さんぜんぎ)」、『註釈版聖典(七祖篇)』四五五頁)という言葉もあります。私たちの行う善は、仏さまのような完全な善ではなく、自力心という「毒が雑っだ」善なのです。
スーパーやコンビニなどでは、簡単便利で、しかも結構おいしいインスタント食品が、たくさん売られています。ずいぶん前に、冷凍食品に農薬が混入された事件がありましたが、どんなにおいしい冷凍食品でも、一滴の農薬によって「有毒食品」になってしまいます。どんなご馳走でも、有毒物質が混入したら一瞬にしてぷ『饅頭に変わるのです。せっかく阿弥陀さまの本願力に出遇っていながら、つまらない浅智慧という、自力の手垢がついた途端に台無しになるのが、自力のおそろしいところです。
この自力心のことを「本願疑惑」とも称しています。自らの智慧や力に頼る思いが残っているから、阿弥陀さまの他力にすべてをおまかせしないあり方になるのです。本願を信用しきれず、本願を疑っているから、自らを誇り、自力に頼ろうとするのです。
この自力心は、どうしたらなくなるのでしょう。
絶えず自力の思いに細心の注意を払い、自力心が顔を出すたびに、「自力が出た」「自力が出た」と、その都度、自力を退治していけばよいのでしょうか。しかし、これでは絶対に自力はなくなりません。自力が出てくるたびに、永久に自力を退治し続けたとして、最後に残る自力は誰が退治するのでしょう。最後まで、捨てる自分が残るという迷路に入ってしまいます。自力が一滴でも雑ったら他力になりません。しかも、自力で自力はなくぜないのです。自力をなくそうとする自力の延長線上には、他力はありません。
私かよくご法座の最後に申しあげる讐えがあります。「みなさん、訳のわからない話に長時間、おつきあいくださってお疲れになったでしょう。これから御座が終わって自宅に戻られたら、どうか、ゆったりとしたソファーに、身体をゆだねてみてください。ゆったりしたソファーに身を預けた瞬間に、肩の力がスーツと抜けるでしょう。実は、これが自力の捨たったすがたです。自力は自力で捨てられません。阿弥陀さまの大きな大きなお慈悲の御手にゆだねたところ、他力にまかせたところで、おのずと自力が捨たるのです」

「三毒の煩悩」の治療

次に、「愚者の毒」とは、どういうことでしょう。
代表的なものに「三毒」の煩悩があります。「貪欲(むさぼり)」「瞑恚(いがり)」「愚痴(おろかさ)」の三つです。
「本願疑惑」は信心獲得によって晴れますが、煩悩は死ぬまでなくなりませんね。
表紙のことばのときにも申しましたように、「煩悩具足」の身として、

  臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、たえず

です。
確かに、念仏申す身にならせていただいても、煩悩具足の身であることは変わりません。しかし、何も変わらないのかというと、そうでもないように思います。少なくとも、迷信には惑わされなくなりました。また、お互いの明日がわからず、ともすれば死んだらおしまいと思っていたのが、このいのちの落ち着き先がお浄土だと気付かせてもいただいたのです。腹が立ったら二この野郎」と拳が上がり、不快なものは払いのけようとする私の手が、仏さまの前では自然と合わされ、他人の悪口を言うのが楽しく、愚痴ばかりこぼしている私の口から、思わず知れず、お念仏がこぼれ出るのです。これらは、やはり何かが変わっているのだと実感します。
それが、「如来誓願の薬」のはたらきでしょう。この語を考えるとき、親鸞聖人のご消息が思い出されます。

もとは無明(むみょう)の酒(さけ)に酔(よ)ひて、貪欲(とんよく)・瞑恚(しんに)・愚痴(ぐち)の三毒をのみ好みめしあうて候(そうら)ひつるに、仏のちかひをききけじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして、阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし。
(『親鸞聖人御消息』、『註釈版聖典』七三九頁)

ここに、「阿弥陀仏の薬」によって、「三毒」を好まなくなる身に変えられることが示されています。
親鸞聖人の晩年には関東を中心に、阿弥陀さまの救いを誇る「本願ぼこり」や、そのように本願に甘えて、悪事を犯しても浄土往生の妨げにはならないという、「造悪無凝」といった誤った考えが広まりました。このご消息は、その上うな特定の状況を背景にしたものですが、「阿弥陀仏の薬」という言葉には、やはり注目せざるをえません。

智慧の光

「三毒の煩悩」が、「阿弥陀仏の薬」によってどんなふうに治療されていくのでしょう。私は、阿弥陀さまの智慧の光、「十二光」に注目しています。
「十二光」のうち、「清浄光」は、私たちの「貪欲」に向けられます。かさばりに汚れた私たちの心を、清らかな光で治療してくださるのです。
「歓喜光」は、私たちの「胆恚」に向けられます。喜んでいるときに、同時に怒りは起こりません。
私は、何か欲しいものがあるときは、妻の機嫌のいいときを狙います。今の職分に就くにあたって、本山のある京都に引っ越すことになりました。それまでも、私は宗学院という本山の機関に何年も在籍していましたから、週に二日は京都に用がありました。この問ずっと、大阪にある学生時代からのアパートから京都に通っていたのですが、引っ越すことになったので、「せっかくだから、いいオーディオが欲しいな」と思ったのです。妻の機嫌の悪いときに相談しても、にべもなく拒否されると思いましだから、機嫌のいいときを狙ったわけです。親がこれですから、子どもも学習します。親の機嫌のいいときに、「小遣いを上げてくれ」とねだるのです。
「智慧光」は、私たちの「愚痴無明」に向けられます。私たちの愚かな心に、智慧のお徳を届けてくださいます。
このように、阿弥陀さまは、「清浄・歓喜・智慧」の光によって、私たちの三毒の煩悩を治療してくださるのです。しかしながら、私たちは、「煩悩成就」の身ですから、次から次へと煩悩が湧き起こってきて、さっきまで機嫌が良かったのに、急に怒り出したということも、しばしばです。そういう私たちですから、さらに「不断光」として、断えず治療薬を施してくださるわけです。
私たちは、このような阿弥陀さまの智慧の光によって、三毒の煩悩が少しずつ治療されています。それが、第三十三願に誓われる、身も心も「鯛光柔軟」となるあり方です。この第三十三願を、親鸞聖人は真の仏弟子の利益として、『教行信証』信文類に引用されています(『註釈版聖典』二五七頁)。

こころにまかせずたしなむ

それでもなお、私たちが「煩悩具足」の身であることに変わりはありません。死ぬまで煩悩の花盛りです。
しかし、阿弥陀さまは、その煩悩の根っこを切ってくださっています。昔から、「切り花は実を結ばない」と言い慣わしています。煩悩自体は花盛りですが、根っこを切ってもらってますので、阿弥陀さまの名号(念仏)の功徳によって、この世で往生浄土が定まった正定聚の位につくのです。
そして、さらに私たちの欲望には際限がありませんが、お念仏申す身にならせていただくことで、つあれが欲しい」「これが足りない」という、不平・不満であった毎口が、「ありかたい」「もったいない」という、感謝の毎日に変わってくるのです。
蓮如上人は、『蓮如上人御一代記聞書』第五十五条に、

  こころにまかせずたしなむ心は他力なり。    (『註釈版聖典』 二五○頁)

とおっしゃっています。念仏者は、自らの欲望に振り回されず、「たしなむ心」をめぐまれ、つつしむ身にならせていただくのです。
ちなみに、標題の文の直前にある「阿伽陀薬」という万能薬の讐えは、法然聖人も用いられており(『選択集』、『註釈版聖典(七祖篇)』コー六〇頁)、親鸞聖人は、法然聖人から受け継がれたものと考えられます。万能薬ですから、「智者の毒」にも「愚者の毒」にも効くのです。
(満井 秀城)

カテゴリー: 法語カレンダー解説 | 2019年1月のことば 如来誓願の薬は よく智愚の毒を滅するなり はコメントを受け付けていません