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「法語カレンダー解説」カテゴリーアーカイブ
2018年6月 自力の御はからいにては 真実の報土へ 生るべからざるなり
浄土真宗を理解するために 今月は、親鸞聖人が関東の門弟に宛てて書かれたお手紙(御消息)の中にある言 葉です。 このお手紙には、「笠間(かさま)の念仏者(ねんぶつしゃ)の疑(うたが)ひとはれたる(疑い聞かれたる)事(こと) … 続きを読む
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2018年5月 かの如来の 本願力を観ずるに 凡愚遇うて 空しく過ぐるものなし。
「空しく過ぐるものなし」 「人生が空しい」という人があるけれど、「人生を空しいもの」としか思えない人の人生が空しいだけである。阿弥陀さまの人悲の心にふれて、人生を尊いものであると知らされた人にとって、けっして「空しい人生 … 続きを読む
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2018年4月 回心というは自力の心をひるがえし、すつるをいふなり。
人生のターニングポイント 今月のことぼは、親鸞聖人の著作『唯信鈔文意』の一節です。 「回心」という言葉は、一般的には「かいしん」と読み、これまでの誤った心を改めることをいい、「改心」と同じ意味で用いることもあります。キリ … 続きを読む
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2018年3月 本願をききて 疑うこころなきを 聞というなり
本願を聞く 三月の法語は、親鸞聖人が、法然門下の先輩である隆寛律師の『一念多念分別事』を註釈された、二念多念文意』からの一文です。二念多念文意』は、専修念仏(せんしゅうねんぶつ)は称名念仏の数、一念・多念という念仏の数に … 続きを読む
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2018年2月 信心のさだまるとき 往生またさだまるなり
今ここでの救い 二月の法語は、親鸞聖人が関東から京都へ帰られて遷化(せんげ)されるまでに、関東各地の門弟に与えられたお手紙(御消息)で、『親鸞聖人御消息』からの一文です。そのお手紙のほとんどが、門弟の質問に対する返事や聖 … 続きを読む
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2018年1月 帰命ともうすは 如来の勅命に したがうこころなり
十字名号を解釈された文 一月の法語は、『尊号真像銘文(そんごうしんぞうめいもん)』からの一文で、天親菩薩の『浄土論』正式には『無量寿経優婆提舎願生傷(むりょうじゅぎょううばだいしゃがんしょうげ)』といい、『往生論』ともい … 続きを読む
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2018年表紙のことば 阿弥陀仏は光明なり、光明は智慧のかたちなり
和語聖教を味わうご縁に 二〇一八(平成三十)年の法語カレンダーでは、和語聖教を中心に、ともに味わうご縁とさせていただくこととなりました。 親鸞聖人のご書物には、漢文体で論述された『顕浄土真実教行証文類(けんじょうどしんじ … 続きを読む
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2017年12月 弥陀の回向の御名なれば 功徳は卜方にみちたまう
無惨無愧のこの身 今月のご法語は「悲嘆述懐讃」の中にあります。『正像末和讃』の中に「悲嘆述懐讃」は十六首あり、はじめの六首は末法の時代や人間のあり方を深く悲嘆され、仏法に帰すべきであることを示される和讃が説かれています。 … 続きを読む
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2017年11月 信心の智慧にいりてこそ 仏恩報ずる身とはなれ
あらゆる生きものへの慈しみ 私の奉職する筑紫女学園大学には、週に一度、驚くべき時間があります。それは、講義が行われる期間の毎週水曜日のお昼休みに開催されている「礼拝アワー」という時間です。はじめに参加者全員で「重誓偈」を … 続きを読む
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2017年10月 ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏をとなうべし
末法という時代 九月から十二月の法語は、『正像末和讃』からのお言葉です。「今の世の中は末法だ」とか「世も末だ」といった言葉を耳にすることがありますが、こうした表現の下地となった末法という時代の捉え方を背景にお書きになられ … 続きを読む
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