2017年6月 弥陀の回向成就して 往相・還相 ふたつなり

手を合わすということtpo5月

浄土真宗では、朝夕にお仏壇の前に座って手を合わせ、ご法座やご法事の機会にお聴聞をするということが伝えられてきました。
ところが最近は、仏事をしたり、お寺へお参りしましょうということを、皆さん、特に若い世代の方々にお勧めすることが、難しくなってきました。
ご法事をお勤めすることの意味について考える時、このように思う方はいらっしゃらないでしょうか。
「死んだ人が化けて出てこないように、お経を読んでもらっておく」
このような思いでご法事に参加するのでは、非常に残念な気がします。なぜなら、この言い方には二つの失礼なところがあるからです。
まず一つは、亡くなった方に失礼なのではないでしょうか。故人となった方は人生の先輩であります。年齢が上ばりとは限りません。同世代や年下の場合もあります。これまで私たちが見送ってきた先人は、この娑婆世界を精一杯生き抜き、私たちよりも一足先にお浄土へ生まれていかれました。生前さまざまなことを教えてくださった先輩が、この娑婆世界で最後に見せて教えてくださったのが、いのちある者が死にゆく姿です。儚くももろい、だからこそかけがえのないいのちを生き抜いたお姿です。その先輩に対して、「出てくるな」ではずいぷんと失礼なのではないでしょうか。
そしてもう一つは、亡くなった方と縁のあった方に失礼なのではないかと思うのです。故人とのお付き合いの度合いは人それぞれです。挨拶を交わす程度の人もいたでしょう。ですが、その方と常に寄り添い、ともに生きた人もいます。その方の死をいまだに受け容れられず、もう一度会いたい、顔を見たい、声だけでも聞かせてほしい、どのような形でもよいからもう一度姿を見せてくれないかと、いくら涙を流しても忘れられない人もいるかもしれません。そのような遺族に対して、失礼な言い方になってしまうのではないでしょうか。
死が他人事であると、私たちは平気で人を傷つけるようなことを言ってしまうのかもしれません。
「浄土真宗」という言葉は、往生浄土、つまりこの私がお浄土に往き生まれていくことを問題としています。
葬儀の折りの挨拶などで、「故人が生前、たいへんお世話になりました」という言葉を聞くことがあります。これは存命中のこと、つまり亡くなる前のことを言っていますので、本来ならば「死前(死の前)」(そんな言葉はありませんが)というべきでしょうか。この生前という言葉は、亡くなった後に生まれていく世界があることを前提としています。最近は、天国やあの世という言い方のほうが思い浮かべやすいのでしょうか。お浄土ということが意識されないまま、それでも次に生まれていく世界について言及しているのです。
往生浄土とは、この私のいのちの行く末を問題としています。他人事ではありません。そのことを私に教えてくれる真実、(真)の教え(宗)を、親鸞聖人は浄土真宗といわれたのです。

浄土真宗という道

今月のことばは、親鸞聖人の『高僧和讃』の中、曇鸞大師のお示しについて述べられた一首です。浄土往生について、それが阿弥陀さまのはたらきである他力によって私たちに恵まれているのだということを、曇鸞大師の『往生論註』などのお言葉を通してお示しくださっています。
私たちは阿弥陀さまのはたらきによって、浄土に往生して仏さまになることができるのです。そして、迷いの世界に還って縁のある方々を救う活動をします。この往相(浄土に往く様子)と還相(浄土から還ってくる様子)とを、ともに阿弥陀さまから恵まれるのです。
阿弥陀さまからたまわることを本願力回向といいます。回向とは、回はめぐらす、向はさしむけることで、自分のおさめた善行の功徳を他にふりむけることをいいます。
身近なところで何か欲しいものがあるとします。たとえば新しい車が発売され、それを欲しいと思った時、ただ欲しいだけでは手に入りません。使うお金を節約し、一生懸命働いて得たお金を蓄えて、欲しいものと同じ価値(値段)にまで貯めることができたら、それをお店に持って行って車を得るためにふりむける、役立たせることで欲しいものが手に入ります。
他のご宗旨で厳しい修行をしたり、滝に打たれるなどの荒行をするのも、何も体を鍛えたり、水に強くなることが目的ではないでしょう。行によって身心に得られた鍛錬を、さとりを開くためにふりむけ役立たせる。それを自力回向といいます。
浄土真宗では、阿弥陀さまが本願力をもって、その功徳を私にふりむけることを回向といいます。阿弥陀さまが本願のはたらきとして、南無阿弥陀仏にその功徳のすべてを込めて私たち衆生にふりむけてくださっているのです。それを他力回向、本願力回向といいます。
町で回転寿司のお店をよく見かけます。私は、ここにいつも感慨深い思いをもつのです。ご存じの通り、回転寿司は職人さんが私たちのためにつくってくれたお寿司が店内を回転します。グルーッと
めぐって私たちの席にまでさしむけられますので、私たちはお寿司を取りに行く必要も、また難しい技術を身につけてお寿司を握る必要もありません。ただ私たちのもとに届けられたお寿司を受け取って、口に運ぶだけです。おいしいお寿司を味わいながら浄土真宗の他力回向に思いをめぐらしていると、回転寿司の看板ですら、「えてんずし」と読みたくなってしまいます。

還相のはたらきの中に

私たちが死の痛みを感じる、その大きな機会の一つに、大切な方を見送るということがあります。私たちはこれまで、たくさんの方々を見送ってきました。それは一つ一つの傷となって、私たちの心に刻み込まれています。
その痛みを通して、私たちはいのちを見つめることになるといえるでしょう。
ある研修会で、ご一緒した四十代の女性に教えられたことがあります。
仏教にふれる入門的な学びの機会でした。私か言葉の説明をしたり、味わいを申しあげたりするたびに、真剣に受講しておられるその女性の表情からは、何かつらいご経験をなさったであろうことが伝わってきました。
会が終わり、他の受講生の方が帰られた後、小さな声で聞いてこられました。
「亡くなった人は、お浄土でどのように過ごしているのでしょうか?」
お浄土では仏さまになって、穏やかに人々を導く活動をなさっていることが、お経に示されています。仏さまのはたらきをお手伝いしてくださっているということですから、現に私たちの周りにも、それを感じることができるのかもしれませんね。そのようなことをご一緒に味わわせていただきました。
その女性は、二年前、十五歳のお嬢さまを病気で亡くされたとのことでした。静かに、そして強く、お嬢さまのことを今も思い続けていらっしゃる様子に、見えなくとも感じることのできる世界があることを教えられました。
「死んだらおしまい」という言い方をよく聞きます。
今あるいのちの大切さを重く受けとめる必要はもちろんあります。生きていてこそ、健康であってこそ、思い通りに活動できてこそ、というのは誰もが求める大切なことです。
生きることの意義は、軽んじられるべきではありません。ですが、だからといって、死んだらおしまいなのでしょうか。本人にとっては死んだらどうにもできない、生きているうちにしておかなければならないことがたくさんある、というのはわかります。
でも、周りの方にとっては死で終わりではないのです。その人の死とかかわって生きていかなければなりません。他者の死によって心に傷をうけ、他者の死の後もそのいのちを思い続けるのです。
浄土とは、死を通していのちをみつめ、そこに向かって歩む生き方を考えることを教えてくれるのです。

仏に導かれていた私

四月の法語の中で申しあげた実父の十三回忌の法事で、施主であり父の後を継いで住職となっていた兄が、次のような挨拶をしました。
「日々の生活では父のことを思い出すことが少なくなりました。ほとんど思い出すことはないと言っていいくらいです」
弟の私は、そこまで言わなくてもいいのではないかと思いながら聞いていました。長男というのは父親とぶつかり合うものだと改めて感じながら、続きを聞きました。
「父のことを考えようとしない私や、それぞれの生活をそれぞれの場で過ごしている親戚、ご門徒のみなさまが、父の法事という機会に仏さまの前に座って、一同に手を合わす時間を過ごさせていただきました。仏さまとなった父に導かれて、自身のいのちの行く末を見つめる場に座っていました。念仏とともに今のいのちを精一杯生き抜き、お浄土へ生まれて来てくれよと、父が願っていてくれたのではないか、そのような仏さまの願いにふれさせていただく十三回忌の法事となりました」
死んだ人のために法事を勤めているのではなく、亡くなった方から導かれて、仏さまのはたらきによって願われて、手を合わす私になっていたのだということに気付かされました。
これまで、私たちはいろいろな思いをもちながら身近な方を見送ってきました。
何とかならないのか、何かしてやれることはないのか。この思いは見送った後も続きます。あれでよかったのだろうか、こんなこともしてあげたかった、など。
今度は、私たちが見送られる側になっていきます。その時、遺していかねばならない愛する者たちに、いろいろな思いをもつのでしょう。
ということは、これまで見送ってきた方々も、遺る私たちにいろいろな思いを持ちながら、お浄土へと生まれていかれたことに気付きます。仏さまとなった先人の願いに導かれて、阿弥陀さまのはたらきによって私もお浄土へ参る身であることをしっかりと受けとめさせていただき、歩んでまいりたいと思います。
(佐々木隆晃)

カテゴリー: 法語カレンダー解説 | 2017年6月 弥陀の回向成就して 往相・還相 ふたつなり はコメントを受け付けていません

2017年5月 大信心は仏性なり 仏性すなわち如来なり

たまわりたる信心tpo5月
浄土真宗のみ教えで一番大切なことは「信心」であるといえます。蓮如上人の「御文章」に、

聖人(しょうにん)(親鸞)一流(いちりゅう)の御勧化(ごかんけ)のおもむきは、信心(しんじん)をもって本(ほん)とせられ候(そうろ)ふ
(五帖目第十通、「『註釈版聖典』一一九六頁」

とある通りです。
ですが、一番わかりにくいというか、合点がいきにくいのも浄土真宗の信心であるといえるかもしれません。
信心」という言葉を辞書で調べてみると、「神仏を信仰して祈念すること。また、その心」(「広辞苑」)とあります。神仏を信じるのですから、主語は衆生、つまり私です。ところがその説明には、次のように追加されるものがたくさんあります。

親鸞は(中略)信心は如来から与えられるものと考え、独特の理解を示した。
(『岩波仏教辞典』五七三頁)

親鸞は(中略)本願力回向の信心を明らかにした。(『浄土真宗辞典』三九六頁)

どの宗教も信心を語らないものはありません。何をどのように信じるのか、そこにそれぞれの宗教の特徴があらわれているといえます、そのような中、辞書で特に追加の説明がなされているように、浄上真宗の信心を理解することは簡単ではないようです。
今月のことばは、親鸞聖人の『浄土和讃』の中、『諸経讃』と呼ばれる一首です。さまざまな経典の言葉を通して阿弥陀さまと浄ヒの功徳を讃嘆するもので、この一節では信心について示されています。
はじめに「大信心は仏性なり(大いなる信心は仏性である)」とあります。信心とは私が信じるのであって、私の心のことをいうのだとすると、そこに大の字がついて大いなる信心と表現されるのはおかしいのではないでしょうか。親鸞聖人が、自分の心をそのように立派なものとお示しになるとは、考えにくいように思います。
親鸞聖人は、私の心、すなわち凡夫のはからいによる思いがいかにたよりにならないものであるかを、明らかにしてくださいました。この私が信じるとか、信じないとかいった場合、いくら言葉を尽くして信じているといっても、あるいは確固たる信念で信じ続けるなどといっても、自分の考えで信じている以上、都合が悪くなると信じなくなってしまいます。
親鸞聖人がお示しになった信心とは、他力の信心です。阿弥陀さまから与えられる、たまわりたる信心のことです。阿弥陀さまから回向されるので大信心(大いなる信心)といえるのであり、金剛心や一心ともあらわされるのです。
阿弥陀さまは、たよりにならない私の心を自分で何とかせよとおっしゃるのではありません。私たち衆生が煩悩を身にそなえた凡人であることをはじめから知っておられて、救わずにおかないと大いなる慈悲の心で本願をおこされたのでした。
まことの心
阿弥陀さまの本願は、「仏説無最寿経」に説かれる四十八願の中、第十八願として誓われています。そこには信心について、「至心信楽(ししんしんぎょう)してわが国(くに)に生(しょう)ぜんと欲(おも)ひ(欲生我国)(よくしょうがこく)(『註釈版聖典』一八項)とあります。心から信じて仏の国(お浄土)に生まれたいと願う、それが信心であるというのです。
至心とはまことの心、信楽とはとは信じ喜ぶ心、欲生とはお浄土に往生しようと思う心のことです。一見すると、この信心は主語か私で、私かどのように信じるのか、その私の信じ方を示しているように見えます。
ですが、先はども申しましたように、私の中にまことの心や確固たる信念を求めることは難しいものです。お浄土よりも迷いの世界である今の生活に執着する思いがとても強く、救いを信じ喜ぶ心もおこりません。
喜ぶべきことを喜べない私、まことの心をもつことができない私を、阿弥陀さまはすべて見抜いたうえで、そんな私を救わずにおかないと他力の悲願をおこされたのです。
まことの心を持てるようになったら救おう、仏のさとりに近づいてきたなら迎え入れようというのでは、いつまでも闇の中で立ちすくんでいなければならなかった私です。そのような私の姿を自身の悲しみとし、願わずにおれなかった阿弥陀さまのやるせない思いが、本願でありました。
阿弥陀さまは、私たち衆生にかわって真実の心(至心)をおこし、この私を往生させようと願い(欲生)、救いとることに疑いのない心(信楽)を完成されました。その願いを南無阿弥陀仏の六字に込めて、私たちに与えてくださっているのです。
他力の信心とは、南無阿弥陀仏に込められた仏の願いが私の心に入り満ちてくださっとところに成り立ちます。
阿弥陀さまが「われに任せよ、わが名を称えよ、必ず浄土に生まれさせよう」と願われた心が私に届き、「そうですか、お任せいたします」と受けとめていくところに、他力の信心をたまわるのです。
言葉は人を育てる
私の勤めている相愛大学には、『日々の糧(かて)』という法語を収めた小さな冊子があります。それを毎週木曜日の昼休み、礼拝の時間に学生のみなさんと拝読しています。
その法語に次のようなものがあります。

言葉は心のあらわれ。心が荒れると乱れた言葉、心が豊かだと美しい言葉となる。見えない心も、言葉で見える。

この冊子は、もともと高校生や中学生に拝読してもらうように編集されました。ある卒業生は、礼拝の時間に拝読した法語が、その後の人生の節目に思い出されることがある、そのようにおっしゃっています。難しい言葉や宗教の専門用語は用いられず、日々の生活の中でさまざまに示唆を与えてくれる言葉の数々が載せられています。
自分の心や他者の心、人の心は本当に見えにくいものです。見えないことから誤解も生まれ、苦しくつらい思いをせねばならないことがあります。だからこそ、田心いやりを忘れてはならないし、人の思いが垣問見えた時には大切にしたいものです。
口をついて出てくる言葉は、人を傷つけることもあれば、人を救う言葉となることもあります。言葉は心のあらわれであり、見えない心を伝えてくれます。
一方で、言葉には限界があります。言葉にした時点で、実際の思いとはかけ離れていってしまう特徴をもちます。言葉が一人歩さして、思いもよらない事態になることもしばしば見受けられます。
煩悩にまみれた私の心から発せられる言葉には、まことを見出すことは難しいといえるでしょう。真実の言葉にふれてこそ、真実に気付かされるのです。
ふだんから美しい言葉に接していると、その言葉に育てられ、自然と美しい立ち居振る舞いが身に付いてきます。そういえば、食事の時に申している「食前のことば」「食後のことば」を通して、おかげを感じご恩を喜ぶありがたさに気付かされます。そして、手を合わすことによって、たくさんのいのちをいただいて生かされているわが身であることに思いを致すことができるのです。
『歎異抄』の有名な言葉が思い出されます。

煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)、火宅無常(かたくむじょう)の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします
(『註釈版聖典』八五三~八五四頁)

(わたしどもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変る世界であって、すべてはむなしくいつわりで、真実といえるものは何一つない。その中にあって、ただ念仏だけが真実なのである『歎異抄(現代語版)』五〇頁)

真実の言葉である南無阿弥陀仏によって私の姿に気付かされ、仏とともに歩む人生へと導かれるのです。
願いが届いたところ
毎年一月に行われる大学入試センター試験で、感慨深い出来事にふれさせていただきました。
私の勤めている学校も試験会場となり、監督業務に携わらせていただきました。二百人ほどが入れる大きな教室に、間隔を空けて五十人が座って受験していました。私の受け持ちの列があって、前から順に問題冊子や解答用紙を配布いたします。その中、私か配布物を置いたり解答用紙を回収したりする、そのたびに必ず小さな声で、「ありがとうございます」とおっしゃる受験生がいました。シーンと静まりかえった教室ですので、その女の子の声は聞こえるか聞こえないかの小さな声でした。ですが、必ず何をした時も「ありがとうございます」とおっしゃるのです。
いつの間にか、私もその受験生の所に来ると、動作の時に少しだけ頭が下がってしまいます。もとより偉そうに行っていたつもりはありませんが、知らず知らずのうちに「こちらこそ」、あるいは「どうぞ」。そして「がんばってください」。私か声に出して言うことはありませんでしたが、そのような思いで頭を下げずにおれませんでした。
現代的な感覚でいうなら、そう言ったからといって試験に合格するわけではない。言っても何か得するわけではない。そんな時間があったら英単語の一つでも覚えたほうがマシ、そのようにいう人もあるかもしれません。
それでも、一言の「ありがとうございます」が、人の動きを変える力をもっていたのです。その方の言葉は私の心の底に、体の中に入り満ちたのです。
そして、その方はなぜこのように、「ありがとうございます」と言うようになったのだろうかと考えた時、想像でしかありませんが、その方がこれまでにかかわってきたたくさんの方々の願いが、そこにあるのではないかと思うのです。感謝することを忘れないでほしい、損得勘定や効率的・合理的な考えだけではない、恩を知る人になってほしいという願いをかけて接してこられたのではないだろうか。その方のことを大切に思っている人の願いが、その方の心の底、体の中に入り満ちて、「ありがとうございます」という言葉となってあらわれていたのではないか、そのように感じさせていただく出遇いでした。
阿弥陀さまの願いにふれ、まことの心をいただいて、お浄土を見据えた人生を歩ませていただくのです。それが大いなる信心をたまわり、如来とともに歩む念仏者としての心強い人生となるのです。

(佐々木隆晃)

カテゴリー: 法語カレンダー解説 | 2017年5月 大信心は仏性なり 仏性すなわち如来なり はコメントを受け付けていません

2017年4月 仏の御名を きくひとは ながく不退に かなうなり

名前の意味4月のことば-12
親鸞聖人のみ教えにふれていると、名前の意味を深く味わうことの大切さに気付かされます。自分の名前、家族の名前、友人、知人、それぞれの名前にはどのような字が使われ、どのような願いが込められているのか。そのように考える時、多くのいのちとかかわりながら生きてきた身であることを思わずにおれません。
四月は新年度を迎える月です。出会った相手に自己紹介をしたり、学校や職場でこれまでと異なる所属になるなど、新たな道に進む人もいるでしょう。自分の名前は他者とのかかわりにおいてこそ、意味をなすものでもあるのです。
以前よりは少ないかもしれませんが、日本の文化には改名という習慣があります。名を変えることによって新たな一歩を踏み出し、これまでと異なる生き方を自覚する、改名はその宣言ともなります。元服などの通過儀礼においても、幼名を改めて元服名(烏帽子名(えぼしな))を付けるなどしました。
様相は少し違いますが、結婚や養子縁組などによって改姓する場合も、いろいろな変化を自覚することになります。私自身、九年前に結婚して婿養子(婿養子)に入りましたので、姓も所属寺も住所も職場も、すべて独身の時とは変わりました。乗っている車のナンバーの地名から、家の中でテレビを見る時の体の姿勢まで変わってしまったような気がして、人とのかかわりによってそれまでとは異なる人生となることをしみじみ感じています。
浄土真宗では、門信徒としてお念仏の生活を送ることを誓う「帰敬式(ききょうしき)」という儀式があります。これを受式すると仏弟子としての法名が授与されます。法名とは仏法に帰依し、お釈迦さまの弟子となった者の名前です。生前に機会がなかった場合は葬儀の折りに付けられますが、本来は生前に受けることをお勧めし、お釈迦さまの「釈(しゃく)」の字を冠して「釋○○」と名付けられます。仏道を歩む出発点となり、念仏者として毎日を精一杯生き抜き、いのちを終えるとお浄土へ生まれゆく、そのような人生を歩んでいくことの名告りだといえます。
名前というものの意味を考える時、これまでの人生で受けた恵みとこれからの生きる方向性を改めて見定めることになるように思います。
これまで受けた恵みを「恩」といいます。恩は口と大と心という字から成り立っています。大は手足をいっぱいに広げた人の形、口はむしろ、敷物です。常に使用し親しんできた敷物の上に人が寝ているところに心を添えているので、日頃から大切にし可愛がられてきたことを意味し、体いっぱいに愛情を受けてきたことを恩といいます。
人から受けたご恩は、気付くことのできたものだけでなく、その多くを知らないところ、気付かないところで受けてきました。恩返しという言葉がありますが、そう簡単に返しきれるものではありません。そもそもすべて返して、貸し借りなしにするようなものではないのでしょう。返しきれない恩の大きさを知り、これからの生き方をその恩に「報」いるというかたちでいい表すのです。一生をかけて報恩の道を歩む、そのような生き方が始まるのです。
名に込められた願い
子どもに人気のあるなぞなぞの中には、大人も考えさせられるものがあります。
「自分のものなのに、他の人の方がよく使うもの、なあに?」
このなぞなぞは、答え自体にも教えられるものがあるのですが、ある会で申しあげた時のやりとりもありがたいものとなりました。
「それは私の給料です!」
ある男性が自信満々にお答えになり、続けて訴えるようにおっしゃいました。
「私が一生懸命働いて稼いだ給料を、家族は次から次へと使ってしまうんです。
ひどいと思いませんか?」
怒っているのでも悲しんでいるのでもなく、仕方がない、それでもがんばっている自分かいることをただ聞いてほしい、そんな印象でした。ご一緒に学ばせていただいたのは、その解決方法として家族に変化を求めるのではなく、給料が自分のものであるという思いを捨てることが一番の近道なのではないか、そのような視点の転換をお互いさせていただきましょう、という結論にいたったことでした。
なぞなぞの答えは「名前」です。
自己紹介や書類への記入など、自分の名前は自分が一番使うではないかと思ってしまいます。ですが、私か自分の名前を覚えるそのずっと前から、願いを込めて私の名前を考え、そして私を呼び続けてくれた人がいたのです。
名前は、他の人に呼んでもらうためにあるのであり、名前を通して他者とかかわることができるのです。「名」の字は夕と口から成っていて、夕方の薄暗い闇の中では顔がよく見えないから、口で自分の存在を声に出して相手に告げることを示しています。
名前を通していのちのかかわりに気付かされ、名前によって今後の生き方に思いを巡らすことができます。そこに、生かされているいのちであることを感じ取る念仏者へと育てられるはたらきがあったのです。それは、お念仏の中に毎日を過ごし、お浄土を見据えて生きる人生へと導く、阿弥陀さまの願いのはたらきでした。
願いを聞く
今月のことばは、親鸞聖人の『浄土和讃』の中、「讃阿弥陀仏偶和讃(さんあみだぶつげわさん)」と呼ばれる一首です。阿弥陀さまと浄土の徳について讃嘆されていて、この一節には阿弥陀仏のみ名の功徳が示されています。
はじめに「仏の御名をきく」とあります。仏のみ名とは南無阿弥陀仏の六字ですから、南無阿弥陀仏を聞くということです。
お念仏は自分の口でナンマンダブと称えるので、南無阿弥陀仏とは称えるものなのですが、それを聞くと表現するところに浄土真宗のみ教えの特徴があります。
阿弥陀さまは、この私を救わずにおかないと願いをおこされました。その願いとは、『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』の第十八願に「われに任せよ、わが名を称えよ、必ず浄土に生まれさせよう」と、誓われています。
阿弥陀さまが、わが名を称えよ、南無阿弥陀仏と称えてくれよとおっしゃっているのは、どのようなお心なのでしょうか。
数年前、実父の十三回忌の法事をお勤めした時のことです。法事にお参りくださった方々を見ると、以前とくらべ、父と圓世代のおじ・おばや、ご門徒の方々の人数が、ずいぷんと少なくなった印象でした。父と同じくお浄土に生まれられた方もいます。ご存命であっても、ご高齢のために外に出にくくなった方もいらっしゃいます。
一方で、子の世代である私たちや孫の世代はとてもにぎやかでした。私も当時四歳の娘を連れて帰省しました。父と直接会ったことのない家族も集まって、父から連綿と続くいのちのつながりを感じる、そのような法事でした。
その場で感じた変化の一つに、自分の一人称、つまり自身の呼び方がありました。私は自分のことを、実母と話す時は「ぼく」、施主の兄と話す時は「おれ」、ご門徒の皆さまには「私」、甥や姪には「たあ兄ちゃん(独身の時からそう呼ばれているのでこ、そして娘の前では「お父さん」といいます。顔を動かすたびに、自分の呼び方が変わるややこしさを感じたものです。
自分がどれだけ父親としての役割を果たせているか、はなはだ心許ないのですが、それでも実の父親の法事で、自分のことを「お父さん」と呼んでいる私かいました。
子どもが親に向かって「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになるのは、親の方から子どもに向かって「お父さんですよ」「お母さんはここにいますよ」と名告り、ずっと呼び続けてきたからでしょう。
この「お父さんですよ」という言葉は、考えてみればおかしな言い方です。自分のことを指して「さん」といい、「お」まで付けています。最近、敬語が乱れているといわれますが、自分に敬称を付けるのは言葉としては間違いでしょう。「父ですよIというのが正しい言い方です。
では娘に話しかける時、私か自分のことを「父ですよ」と呼び続けたらどうなるでしょうか。おそらく娘は私に向かって「ちち」と呼ぶでしょう。世話になるのだから、機嫌をとっておかなければいけないから「さん」といい、「お」まで付けようなどとは考えないでしょう。
「お父さんですよ」と子どもに向かって呼びかける時、そこには、あなたを放っておけない私かここにいますよ、声に出して呼んでごらん、遊びに夢中のあなたがこちらを見ていなくても、あなたを心配せずにおれない私はいつでも見ていますよ、そんな思いが込められています。
阿弥陀という仏さまから呼び続けられていた私です。そのまま呼べばいいように、願いとはたらきが込められた六字のみ名として私に与えられていたのです。それは念仏者として今の生涯を精一杯生き抜き、お浄土へと生まれてきてくれよと願わずにおれない親さまの願いであり、呼び続けずにおれない仏さまのはたらきだったのです。
願いの中で生きる
み名を聞き、南無阿弥陀仏の六字に込められた仏の願いを聞いて、そのはたらきの中に生かされている私であることに気付かされました。私の口から出てくるナンマンダブは、ともに歩んでくださる仏の声でありました。そのような念仏者となったなら、決して迷いの人生を過ごすことはないということを、「ながく不退にかなうなり」と今月のことばに示されています。
「ながく」というのはしばらくという意味ではなく、ずっと仏さまとともに歩む人生のことをいいます。
今も煩悩具足の凡夫であることに違いはありません。南無阿弥陀仏のこころを聞いたからといって、腹を立てることのない聖人君子のように立派な人になることができるわけではありません。思い悩みは尽きなくとも、それでも、ともに歩んでくださる仏さまのはたらきを常に身近に感じながら過ごす生き方が、念仏者には開かれているのです。
(佐々木隆晃)

カテゴリー: 法語カレンダー解説 | 2017年4月 仏の御名を きくひとは ながく不退に かなうなり はコメントを受け付けていません

2017年3月 一念慶喜するひとは 往生かならず さだまりぬ

往生が定まるIMG_20170228_0001_NEW-1
三月の法語では、『浄土和讃』の第二十六首(「讃阿弥陀仏偶讃」二四)の後半二句を味わわせていただきます。
まず、この和讃の全四句をいただきますと、
若不生者(にゃくふしょうじゃ)のちかひゆゑ
信楽(しんぎょう)まことにときいたり
一念慶喜(いちねんきょうき)するひとは
往生(おうじょう)かならずさだまりぬ            (「註釈版聖典」五六一頁)

(「もし生れることができないようなら、さとりを開かない」と本願に誓われているので、真実の信心を得たまさにそのとき、本願を信じ喜ぶ人は、浄土に往生することが問違いなく定まるのである。「三帖和讃(現代語版)』 一九頁)

と詠われています。
今月の法語である後半二句では、真実信心(信楽)が得られたその瞬間(一念)に湧きおこる喜び(慶喜)とともに、その時にさとりの世界であるお浄土に往生することが決定(けつじょう)しているということが見事に詠われています。
「若不生者」の誓い
冒頭の「若不生者」(もし生まれることができないなら)とは、阿弥陀さまのご本願のお言葉です。そこではじめに、本願の由来とその意味をうかがうことにいたしましょう。
「あらゆる生きとし生けるもの(「衆生(しゅじょう)」といわれます)がさとり(正覚)に至るように〔という衆生救済の願いを必ずや実現する〕」という決意(誓願)をもって、「衆生救済」の利他行の道を歩み、この目的を成し遂げようとする実践者を、「菩薩」といいます。そして、その道を完成してさとり(正覚)に至ったものを、「仏」や「如来」といいます。『仏説無量寿経』には、阿弥陀さまがかつて法蔵菩薩であった時、「あらゆる生きとし生けるものが、さとり(正覚)の世界である極楽浄土に往生できるように。さもなければ、私はさとりを得た仏とならない」という、「衆生救済」のための根本となる大誓願を、四十八にわたって誓われたことが説かれています。そして、この大誓願(四十八願)を完成・成就されて阿弥陀如来となられ、いま現に衆生救済の活動をされている、と説かれています。親鸞聖人の師匠である法然聖人は、その大誓願のかなめが第十八願であるとし、これを「本願中の王」とされました。
ここでは、その願文を親鸞聖人が主著『教行信証』に引用されているところによっていただくこととしましょう。〈ただし、ここでは原文や「現代語訳」の中に( )付で、漢語で慣用句として用いられる語句を付記しています。〉

たとひわれ仏(ぶつ)を得(え)たらんに、十方(じっぽう)の衆生(しゅじょう)、心(こころ)を至(いた)し(至心(ししん))信楽(しんぎょう)して(信楽)わが国(くに)に生(うま)れんと欲(おも)ひて(欲生)、乃至十念(ないしじゅうねん)せん。もし生(うま)れざれば(若不生者)、正覚(しょうがく)を取(と)らじ(不取正覚)と。ただ五逆(ごぎゃく)と誹膀正法(ひほうしょうぼう)を除(のぞ)く。

(わたしが仏になったとき、あらゆる人々が、まことの心で(至心)信じ喜び(信楽)、わたしの国に生れると思って(欲生)、たとえば十声念仏して(乃至十念)、もし生れることができないようなら(若不正者)、わたしは決してさとりを開くまい(不取正覚)。ただし、五逆の罪を犯したり、正しい法を膀るものだけは除かれる「顕浄土真実教行証文類(現代語版)」 一六一頁)

このように、この誓願(決意)をおこされて、さとり(正覚)を完成・成就されたのが阿弥陀さまです。そこで、この本願のとおり、阿弥陀さまがここにはたらいているといただき、「まことの心で阿弥陀さまのはたらきを信じ喜び、(その阿弥陀仏の国に)生まれると思って」「十声でも念仏する」ものは、さとりの世界であるお浄土へ生まれさせていただく。-その通りにいただかれて、念仏の生活をされたのが法然聖人でした。そして、その阿弥陀さまのたらきに出遇ったことを、

ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべし
                    (「歎異抄」『註釈版聖典』八三二頁)

とお示しくださったところに、「念仏往生」の法門が開かれたのです。
本願成就文の意味
さらに、親鸞聖人は、この第十八願文との関係から、・その本願が完成・成就されたはたらきを説かれるご文、すなわち『仏説無量寿経』下巻冒頭の「本願成就文」(第十八願成就文)に注目されました。そうして、「本願成就文」に基づいて「仏説無量寿経」全文を拝読され、阿弥陀さまのみ教えを受け止められたのです。そのご文を、同じく「教行信証」に引かれている引用文によっていただくと、

あらゆる衆生(諸有衆生)、その(無量寿仏の)名号を聞きて信心歓喜せんこと、乃至一念せん。至心に回向せしめたまへり(至心回向)。かの国に生ぜんと願ぜば、すなはち往生を得、不退転に住せん。ただ五逆と誹膀正法とをば除く                        (『註釈版聖典』二コー頁)

(すべての人々は、その名号のいわれを聞いて信じ喜ぶ〔その心(一念)をいだく〕まさにそのとき、その信は阿弥陀仏がまことの心(至心)をもってお与えなったものであるから、浄土へ生れようと願うたちどころに往生すべき身に定まり(即得往生)、不退転の位に至るのである。ただし、五逆の罪を犯したり、正しい法を膀るものだけは除かれる「顕浄土真実教行証文類(現代語版)」 一六二頁)

とあります。
このご文の読み方は、一般的な漢文体の読み方と異なっているといわれますが、親鸞聖人は「仏説無量寿経」の真意を受け止めて読み込まれ、そのためにこのような読み方をされたと理解できます。ここに、親鸞聖人の深く鋭い仏教観がうかがわれ、だからこそ、このような現代語訳がなされるのです。それは、どのようなことでしょうか。この成就文を、一般的、表面的な読み方で拝読しますと、次のようになります。

諸有衆生(あらゆるしゅじゃう)、其(そ)の(無量寿仏の)名号(みょうごう)を聞(き)きて、信心歓喜(しんじむくゎんぎ)して、乃(すなわ)ち一念(ねむ)に至るまで
 心を至し廻向(いかう)して、彼の国に生ぜむと願ずれば、即ち往生を得、不退転に住す。
(浄土真宗聖典編纂委員会編「蓮如上人500回遠忌総合計画実施記念浄土三部経」四七頁)

傍線を付したところに注目してご文を拝読しますと、ここではご文全体の主語は「諸有衆生」であるとみられますが、親鸞聖人は、「乃至一念」までと「至心回向」との聞に切れ目を入れて、二文からなるように読まれました。すなわち前述のように、聖人は「至心に回向せしめたまへり」(至心に回向なさっている)と読まれて、この部分だけは「無量寿仏」(阿弥陀仏)を主語とされています。ここから、「至心回向」すなわち「まことの心をもって回向なさる(ふりむけお与えになる)」のは、「あらゆる衆生が」ではなく「無量寿仏が」ということになり、無量寿仏(阿弥陀仏)のお仕事・おはたらきであったといただかれました。
このように、「至心回向」を阿弥陀さまのはたらきと受け止めることによって、『仏説無量寿経』を首尾一貫、矛盾なく拝読することができ、これによって「他力回向」の意が明確に示されたのです。

 

信方便の易行

 

さらに、三月の法語の結びの「往生かならずさだまりぬ」について、その意味をうかがいたいと思います。「本願成就文」には、「すなはち往生を得、不退転に住せん」とあり、

(信を得たそのとき浄土へ生れようと願う、そのときたちどころに)往生すべき身に定まり(即得往生)、不退転の位に至る。

と現代語訳することができます。その意味を、親鸞聖人は、七高僧の第一祖・龍樹菩薩が著わされた『十住毘婆沙論』の易行品五、および龍樹菩薩のみ教えに基づいて論説をなされている、第三祖・曇鸞大師のご指南によって、明確にお示しになりました。それは、おおよそ次のように説明できるでしょう。
龍樹菩薩は、「易行品」に次のように述べられます。

仏法に無量の門あり。世間の道に難あり、易あり。陸道の歩行はすなはち苦しく、水道の乗船はすなはち楽しきがごとし。菩薩の道もまたかくのごとし。あるいは勤行精進のものあり、あるいは信方便の易行をもって疾く阿惟越致に至るものあり。〈もし人疾く不退転地に至らんと欲はば、恭敬の心をもって執持して名号を称すべし〉。(中略)人よくこの(阿弥陀)仏の無量力功徳を念ずれば、即の時に必定に入る。
(『教行信証』「信文類」引文、「註釈版聖典」 一五一~一五三頁)

ここに、「信方便の易行」といわれ、「ちょうど船に乗せていただいて容易に目的地に至るように、〔阿弥陀さまのはたらきに〕感謝の念(恭敬の心)をもって阿弥陀さまの名号を称え念ずれば、〈即の時に必定に入る〉こととなる」、すなわち、阿弥陀さまに恭敬の心をもってそのはたらきを信ずるものは、直ちにさとりに至ることが決定した状態に入ることとなる、と説かれています。
「現生正定聚」となる
さらに、第三祖・曇鸞大師は、第二祖の天親菩薩の「浄土論」を解説する大著「往生論註」(「浄土論註」)を著わされ、その冒頭に龍樹菩薩の「易行品」の当該のご文を引かれて、註釈・解説の依りどころとされています。この『往生論註』のご文を親鸞聖人は「教行信証」「行文類」に引用されますが、そのかなめとなるご文だけをうかがうことにしましょう。

引用のご文は、「つつしんで龍樹菩薩の『十住毘婆沙』を案ずるにいはく」(『註釈版聖典』一五四頁)に始まり、菩薩の道に難行道と易行道の二道があることを示されます。そして、難行道について「五濁の世、無仏の時において、(自ら修行して)阿毘蹟致(不退転)を求むるを難とす」(同頁)といわれ、易行道については、

易行道とは、いはく、ただ信仏の因縁をもって浄土に生ぜんと願ず。仏願力に乗じてすなはちかの清浄の土に往生を得しむ。仏力住持してすなはち大乗正定の聚に入る。正定はすなはちこれ阿毘趾致なり。たとへば水路に船に乗じてすなはち楽しきがごとし          (『註釈版聖典』 一五五頁)

(易行道とは、ただ仏を信じて浄土の往生を願えば、如来の願力によって清らかな国に生れ、仏にささえられ、ただちに大乗の正定聚に入ることができることをいう。正定聚とは不退転の位である。これをたとえていえば、水路を船で行けば楽しいようなものである「顕浄土真実教行信証文類(現代語版)」四五~四六頁)

と述べられます。ここに龍樹菩薩の示される「易行道」を受けられて、曇鸞大師は「信仏の因縁」(阿弥陀さまに任せきるという信)によって浄土往生を願えば、「仏願力に乗じて」「大乗正定の聚」に入ると示されます。
こうして、阿弥陀仏の本願のはたらきに乗せていただくと(すなわち、阿弥陀さまのおはたらきに任せきって)、「大乗の正定聚」として「浄土に往生してさとりを得る身となる仲間に入る」ことができるのです。それは、この世を去る時のことでなく、いま現在において「往生成仏する身に決定している仲間」となる、すなわち[現生正定聚]を意味しているのです。
三月の法語である「往生かならずさだまりぬ」とは、まさにこの龍樹菩薩、曇鸞大師の示される「正定聚に入る」ことを意味しており、「現生正定聚」となることが示されているということになるでしょう。真実信心が得られたその時に、まさにこの「現生正定聚」となるということを、この一句で簡潔に詠われていて、味わい深い法語であります。
(佐々木恵精)

カテゴリー: 法語カレンダー解説 | 2017年3月 一念慶喜するひとは 往生かならず さだまりぬ はコメントを受け付けていません

表紙のことば 仏恩ふかく おもいつつ つねに弥陀を 念ずべし

和讃を味わうご縁にSA201701-1
二〇一七(平成二十九)年の法語カレンダーでは、ご和讃をともに味わうご縁とさせていただくこととなりました。
「和讃」とは和語による仏教讃歌ということで、平安時代の中頃から作られるようになりました。今様歌(いまよううた)の形式で、口ずさみやすい七・五調の歌謡によって、仏法を、また祖師がたの偉業を讃える詩歌として、民衆にも親しまれるようになっていったものと見られます。七・五を一句として、五句、七句、十句、あるいは数十句で一首とする「和讃」が盛んに作られたとのことですが、平安時代のものでは、例えば、比叡珀・天台の祖師で、親鸞聖人が浄土真宗の第六祖と仰がれる、源信和尚(げんしんかしょう)が作られた『極楽六時讃』があります。これは、七・五の句が八百七十句余りからなる長編の和讃で、極楽に往生した人が浄土を直接見聞するというかたちで、お浄土が讃嘆されています。
鎌倉期に入ってからは親鸞聖人が多くの和讃を作られましたが、そのご和讃は、七・五を一句として四部を一首とする形式で、その内容はそれぞれの和讃一首ごとに完結していました。口ずさみやすい和讃一首一首に浄土真宗の奥義を味わうことができ、しかも、仏法の奥義(おうぎ)を、また祖師がたのご教示を詠(うた)い讃嘆されて、報謝の心を示されているところに、大きな特徴があります。
主なご和讃として、浄土真宗のみ教えに基づいて阿弥陀さまとお浄土を讃えられる『浄土和讃』、七高僧のお導きとお徳を讃える『高僧和讃』、末法の世にある凡夫が救われるみ教えを讃える『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』の三帖(さんじょう)が、三帖和讃」としてまとめられ、聖人の教えを受ける御同朋御同行(おんどうぼうおんどうぎょう)によって常々詠われています。その他の和讃を含めて、聖人は五百首以上の和讃を作られており、そのおかげによって私どもはご法義を味わい、その法味(ほうみ)を楽しむことができることになったといえるでしょう。
また、親鸞聖人の畢生(ひっせい)の大著は、漢文体で論述された大論書『顕浄土真実教行証文類(げんじょうどしんじつきょうぎょうしょうもんるい)』(『教行信証』などと通称します)で、ここに浄土真宗の法義が示され、そしてまた報謝の心が披渥(ひれき)されていますが、聖人ご制作のご和讃も、『教行信証』と同じように真宗の法義のかなめが詠われ、報謝の心が詠われているため、「和語の教行信証」といわれます。日頃から、その格調高く優雅なご和讃を味わうことで仏法に出遇(であ)い、阿弥陀さまのお慈悲をいただくことができることから、このようにいかれているのです。
『高僧和讃』「善導讃」
それでは、法語カレンダーの月々のことばを通して、ご和讃を味わわせていただきましょう。

仏恩ふかくおもひつつ
つねに弥陀を念ずべし               (『註釈版聖典』五九三頁)

表紙にあげるご和讃の言葉ですが、これは『高僧和讃』の中の善導大師を讃える和讃「善導讃」の第二十五首(『高僧和讃』全体通しては第八十六首)の後半(第三・四句)になります。『三帖和讃(現代語版)』には、

仏(ほとけ)のご恩を深く思い、常に阿弥陀仏の名号を称えるがよい。   二一五頁)

とあります。
この和讃の前半二句に、

弘誓(くげい)のちからをかぶらずは
いづれのときにか娑婆(しゃば)をいでん           (『註釈版聖典』五九三頁)

(阿弥陀仏の本願のはたらきを受けなければ、はたしていつ娑婆世界を出ることができるであろう。三帖和讃(現代語版)』 一一五頁)
と詠われるのに続くもので、「阿弥陀さまの本願のはたらきにいだかれているご恩を深く受け止め、お念仏させていただかなくては」という、報謝の心が示されているといただくことができるでしょう。
娑婆とは
前半二句の中の「娑婆(しゃば)」とは、元は梵語(ぼんご)のサパー(saha)の音写語で、「忍(にん)・堪(かん)忍(にん)」などと訳されます。現代語としては一般に、不自由な施設から外の自由な世界を指して「娑婆」といい、軍隊の兵役なとがら解放されて自由の身となることを、俗に「娑婆に出る」などといいます。しかし、本来の仏教語としては「堪え忍ぶ」という意味の言葉で、この世の生きとし生けるもの(衆生)は自分の欲望が満たされず怒りや争いに振り回される、いわゆる煩悩の苦悩を堪え忍ばなければならないという意味で、この苦悩の世界、堪忍しなければならない世界を「娑婆」とか、「娑婆世界」「堪忍土」などといいます。
このご和讃では、その前半に、

阿弥陀仏の本願のおはたらきをお受けしなかったら、欲望や怒りの渦巻く煩悩に振り回されている娑婆世界(苦悩の世界)を、果たしていつ出られるだろうか。とても出られるものではない。

と詠われ、その後半に、

〔阿弥陀仏のご本願のはたらきに抱かれているからこそ、この娑婆を出ることができる。〕その仏のはたらきのご恩を深く思わせていただき、常に阿弥陀さまのみ名をお称えしなくては。

というように、本願のはたらきをいただいていることへの報謝の心が詠われているといただくことができます。
善導大師のお心
このご和讃は、前述の通り、『高僧和讃』の中の「善導讃(ぜんどうさん)」全二十六首の結びに当たる二首うちの第一首であり、善導大師(だいし)のお言葉に基づいて詠われています。善導大師のご著書『般舟讃(はんじゅさん)』は、浄土を願生する信心の人として阿弥陀さまのお徳を讃嘆する一大詩篇ですが、その中に次のような一節があり、それを親鸞聖人は『教行信証』の「信文類(しんもんるい)」に引用されています。そこには、

今より仏果に至るまで、長劫に仏を讃めて慈恩を報ぜん。弥陀の弘誓の力を蒙らずは、いづれの時いずれの劫にか娑婆を出でんと。

(『註釈版聖典』二六〇頁)

(これからさとりを開くまで、長く仏の徳をとだえて、大いなる慈悲の恩に報いていこう。阿弥陀仏の本願のはたらきを受けることがなかったなら、はたしていつ迷いの世界を出ることができようか。『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』二五〇頁)

とあり、その内容は、

阿弥陀仏の本願のはたらきを受けなかったならば、いつになったらこの苦悩する迷いの世界を出ることができるだろうか。〔本願のはたらきに出遇わせていただいているから、この迷界を出離する身となっているのである。〕 その阿弥陀仏のご恩を讃え、その大慈悲のはたらきにご恩報謝していこう。

と詠われているといただくことができるでしょう。この阿弥陀さまのはたらきに対するご恩報謝の心が、まさにこの和讃に詠われているのです。
冠頭のご和讃から
さらに、『浄土和讃』の冒頭には、一般に「冠頭讃」と呼ばれる二首が置かれていますが、このご和讃は「三帖和讃」全体のかなめを示す、まさに「冠頭」のお言葉であるといえるでしょう。
その第一首には、

陀の名号となへつつ
半心まことにうるひとは
憶念の心つねにして
仏恩報ずるおもひあり              三註釈叛聖典(一五五五頁)

真実の信心を得て阿弥陀仏の名号を称える身となった人は、常に本願を心に思いおこし、仏のご恩に報いようとするのである。三帖和讃(現代語版)』三頁)

と詠われます。
親鸞聖人は、比叡山で修行に修行を垂れながらも、さとり(正覚)への道を得ることができず、苦悶された末に恩師法然聖人を訪ねられました。そして法然聖人より「ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべし」(『歎異抄』『註釈版聖典』啓二二頁)という教えをいただかれ、「弥陀の本願を信じ、そのおはたらきにお任せして浄土往生の身とさせていただく、そのご恩報謝の念仏をさせていただくばかりである」と、念仏の道を一筋に歩まれることになりました。
この冠頭のご和讃は、まさに「真実信心の人」であり「念仏の行人」であるものの、あるべき姿を詠われていると、いただくことができるでしょう。

表紙に挙げるご和讃のことばもまた、この冠頭のご和讃と同じように、仏恩報謝に生きる念仏者の姿をお示しくださっていると、うかがうことができるでしょう。
親鸞聖人にお出遇いし、念仏の道を歩むものとして、まさに仏恩報謝に生かさせていただかなくては、と想うところです。
(佐々木恵精)

カテゴリー: 法語カレンダー解説 | 表紙のことば 仏恩ふかく おもいつつ つねに弥陀を 念ずべし はコメントを受け付けていません

2017年2月 如来すなわち 涅槃なり 涅槃を仏性と なづけたり

さとりの表現IMG_20170203_0017
二月の法語は、『浄土和讃』の第九十三首前半の二句ですが、まずはこの和讃の全四句とその現代語訳をうかがいましょう。

如来(にょらい)すなはち涅槃(ねはん)なり
涅槃を仏性(ぶっしょう)となづけたり
几地(ぼんじ)にしてはさとられず
安養(あんにょう)にいたりて証(しょう)すべし (『註釈版聖典』五七三頁)

(如来はすなわち涅槃である。この涅槃を仏性と申しあげる。凡夫には、これをさとることができない。浄土に至ってはじめてさとることができる。『三帖和讃(現代語版)』五六頁)

前半の二句に、「如来」「涅槃」「仏性」という言葉があり、これが二月の法語のかなめとなっていますが、その意味からうかがっていきたいと思います。このご和讃においては、いずれも「さとり」(正覚)の内容を表す言葉ですが、その元になる言葉の成り立ちを見てみましょう。
まず「如来」とは、「阿弥陀如来」「釈迦如来」などといわれるように、さとり(正覚)に至られたお方のことで、「仏」ともいいます。もともとインドの原語(サンスクリット語)では「tathagata」といわれ、その訳語が「如来」となりました。この語の解釈として、「tatha」は「その通りの」「その通りに」という意味の語で、「あるがままの真理」を意味し、「如」「然(しかり)」とか「真」などと訳されます。そこで、「tathagata」は「如(tathaに至った(gara))」、あるいは「如(tatha)から来った(agata)」という解釈から、「如去」「如来」などと漢訳されたのですが、やがて「如来」が一般的な訳語に定着しました。
それは、「如」なる真理(あるいは真理の体得者)が、この迷いの世界に来られてはたらいておられるという意味で、「如来」とはさとりを得られた仏がはたらき出ている真理の活動体である、と受け止められたからです。すなわち、「さとりの真理が、生きとし生けるものを(迷いの世界からさとりへと)救うはたらきが、如来であり仏である」ということになります。まさにあるがままの真理の活動体が、仏であり如来であるということです。
次に「涅槃」とは、やはりインドの原語(サンスクリット語)からくる言葉で、原語「nirvana」の音写語「涅槃」が漢訳語として定着したものです。元の「吹き消す」という意味の言葉から、この迷いの世を離れること、つまり自己中心的な欲望の活動である「煩悩」を吹き消し滅尽して煩悩の世界から解放されるという、煩悩の滅を意味する言葉として使われました。こうして、「涅槃」とは「解脱」を意味する語として用いられたのです。また「滅度」がその意訳語で、「煩悩悪業を滅して苦の果を度る」という意味であるとされます。「涅槃寂静」などといわれるように、煩悩の炎が吹き消された静かな境地を意味し、さとり(正覚)を意味するものとして古くから使用されてきた語です。
さらに「仏性」とは、まさに、さとり(正覚)を得られた仏の本性ということですが、これもインドの原語(サンスクリット語)の「buddhata」(仏の本性)「buddha‐dhatu」(仏の界・仏の本性)「buddha-gotra」(仏の種性)などの訳とされ、さとりそのものの性質を意味する言葉です。『涅槃経(ねはんぎょう)』には、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶしょう)」(生きとし生けるものはすべて仏となる本性を有している)といわれ、あらゆるものが本来さとりを得る本性を持っていると説かれています。確かに煩悩を離脱しさとりを得ることが仏道の根本ですが、現実には煩悩に覆われ苦悩の中にある私たちですから、その中から離脱を求めることは難中の難といわざるをえません。
真理としての如来
それでは、このご和讃にはどのような意味が示されているのでしょうか。
親鸞聖人の著述によって、『涅槃経』のご文に従ってこのご和讃が詠われているとうかがうことができます。『涅槃経』には、さとり(正覚)を別の語で解説して、さとりの何たるかを示すところがあり、その一節を聖人は『教行信証』の第五巻である「真仏上文類」に引用されています。そこには、

真解脱(しんげだつ)はすなはちこれ如来(にょらい)なり。至乃 如来はすなはちこれ涅槃(ねはん)なり、涅槃はすなはちこれ無尽(むじん)なり、無尽はすなはちこれ仏性(ぶっしょう)なり、仏性はすなはちこれ決定(けつじょう)なり、決定はすなはちこれ阿桁多羅三貌三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)なり(『註釈版聖典』三四二圭二四三頁)

真実のさとりはすなわち如来である。(中略)如来はすなわち涅槃である。涅槃は尽きることのないものである。尽きることのないものはすなわち仏性である。仏性はすなわち決定である。決定はすなわちこの上ないさとりである『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』三九二頁)

と示されています。
また、このご和讃の古写本に左訓が付けられていて、そこには、

如来と申すは即ち涅槃と申すみ言(こと)なり、涅槃と申すは即ち真(まこと)の法身(ほっしん)と申す仏性なり、知るべし。この凡夫はこの世界にしてさとらず候へば、他力をたのみまいらせて安楽浄土にしてさとるべしとなり(「顕智本」『浄土真宗聖典全書』第二巻〈宗祖篇上〉三八五頁・原片仮名)

とあります。
ここでは、「真解脱が如来である」「如来とは涅槃という言葉〔と同じ〕である」といわれているように、何ものにもとらわれることのないもの(無凝(むげ)、無尽のもの)である真理(如なる真理、真如法性(しんにょほっしょう))を如来ということが示され、また、この真理が仏を仏たらしめている本性であり、それを「仏性」と呼ぶといわれています。この真理に到達する(真理を体得する)ことによって、煩悩の苦悩から離脱し、「涅槃」(さとりそのもの)に至ることができるのです。
親鸞聖人は、『涅槃経』などを引用され、言葉を尽くして、如来は真理そのものであり、それが具現化してはたらき出るものであることをお示しくださっていますが、このご和讃の前半二句にもその意味が端的に詠われています。
真理が体得できない凡央
そして、後半の二句で、

しかし、煩悩の苦悩の中にある凡夫には、この真理の体得(さとり)を達成することはできない、安養浄土に至ってこそ達成できる。

と詠われているといただくことができます。

このように、煩悩の世界にどっぷり浸かっている私どもには、とても仏・如来の境界、さとりの境界を知ることも感じることもできません。阿弥陀さまの犬慈悲のはたらきをいただいてこそ、浄土への道を歩ませていただくことができ、「安養」(極楽浄土)に往生してさとり(正覚)を得ることができるのである、と知らせていただくのです。(佐々木恵精)

カテゴリー: 法語カレンダー解説 | 2017年2月 如来すなわち 涅槃なり 涅槃を仏性と なづけたり はコメントを受け付けていません

2017年1月 無明の闇を 破するゆえ 智慧光仏と なづけたり

「智慧光」のはたらき

IMG_20170131_0002_NEW
一月の法語は、『浄土和讃』の中の冒頭、「讃阿弥陀仏偶和讃(さんあみだぶつげわさん)」第九首のはじめの二句です。まず、その全四句とその現代語訳をうかがいましょう。

無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)するゆゑ
 智慧光仏(ちえこうぶつ)となづけたり
 一切諸仏(いっさいしょぶつ)・三乗衆(さんじょうしゅ)
 ともに嘆誉(たんよ)したまへり              (「註釈版聖典」五五八頁)
(阿弥陀仏の光は無明の闇をすべて破るから、智慧光仏と申しあげる。すべての仏も菩薩も縁覚(えんがく)も声聞(しょうもん)も、みなともにほめたたえておられる。「三帖和讃(現代語版)』一一頁)

このご和讃では、阿弥陀さまの智慧の輝きである「智慧光」を讃嘆されて、「如来の智慧の輝きは、私どもの無知の闇を打ち破ってくださる」と讃えられています。『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』(『大経』と通称されます)には、阿弥陀さまの大いなるはたらきを、「十二光仏」の仏名(ぶつみょう)をかかげて称讃されている場面があります。また、中国浄土教の基礎を築かれた曇鸞大師(どんらんたいし)は、『讃阿弥陀仏偶』という、この「十二光仏」を讃えられる偶文を作られました。親鸞聖人は、これら経典や祖師の言葉に基づいて「讃阿弥陀仏偶和讃」をご制作になられましたが、この「十二光仏」の第八に「智慧光」が挙げられているのです。
『仏説無量寿経)』には、次のように阿弥陀さまがおさとりを開かれ、衆生をお救いになる姿が説かれています。
阿弥陀さまは元は法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)といわれ、「あらゆるものが真実のさとり(正覚)の世界に至るようにならなければ、私はさとりを開くまい」との大誓願(本願)をおこされて、兆載永劫(ちょうさいようごう)といわれる永い永い間のご修行を行われました。そしてその本願を成就し、「限りない光と限りないいのち」の仏である阿弥陀さまとなられて、さとりの世界であるお浄土を建立されたのです。その結果、あらゆる生きとし生けるもの(一切衆生)をお浄土に導くおはたらきを、今現になされているのです。
このように、阿弥陀さまの本願のはたらき、大慈悲のはたらきが、「仏説無量寿経」では説かれます。
「十二光仏」は、この阿弥陀さまの大いなる慈悲のはたらきを具体的に示されているものと、うかがうことができます。その中で「智慧光仏」とは、仏としてすべてを見通される智慧-私どもの知識や言葉の世界をはるかに超えた、あるがままの真理(真如(しんにょ))をさとる智慧のちからIIIが、すべてを照らし出す輝きを持っているということが示されているといえるでしょう。
自己中心にしか動くことのできない私どもは、真実を知るすべを持たず、無知蒙昧の中にあって、自分勝手で貪るような欲望によってさまようばかりです。さらに、そのような欲望が満足できないために、怒りや恨みを生み出します。これら葛藤する激情が「煩悩」といわれ、お釈迦さま以来、説き示されてきた私ども「煩悩具足」の姿であります。このような私どもを、無知の闇、煩悩の闇からさとり(正覚)の世界へと救い出してくださるのが阿弥陀さまであり、それが「智慧光仏」と呼ばれるゆえんです。
無明の闇
このご和讃の「無明の闇を破す」というお言葉をいただくと、第一に思い浮かぶのが、親鸞聖人の主著「教行信証」の冒頭のお言葉です。『教行信証』には、その全体の「序文」にあたる章がおかれ、一般に「総序」と呼ばれています。聖人はこの総序に「浄土の真実の教」たる浄土真宗の根本を端的に述べられて、阿弥陀さまの本願のはたらきに帰すること、そしてインド・中国・日本へと、そのみ教えを伝えられた祖師方のご教示に報謝すべきことを披渥されています。その冒頭に、

ひそかにおもんみれば、難思(なんじ)の弘誓(ぐぜい)は難度海(なんどかい)を度(ど)する大船(だいせん)、無磯(むげ)の光明(こうみょう)は無明(むみょう)の闇(あん)を破(は)する恵日(えにち)なり。
(わたしなりに考えてみると、思いはかることのできない阿弥陀仏の本願は、渡ることのできない迷いの海を渡してくださる大きな船であり、何ものにもさまたげられないその光明は、煩悩の闇を破ってくださる智慧の輝きである。「顕浄土真実教行証文類(現代語版)』三頁)

と宣言されています。すなわち、

あたかも、自分では渡ることのできない大海原を、大きな安定した船に乗せていただいて向こう岸まで渡していただく、そのように、大慈悲のはたらきそのものである阿弥陀さまの本願のはたらきが、大きな船となってさとりの岸であるお浄土に渡してくださる。また、自分勝手な欲望の中で苦悩する私どもの苦悩の闇である煩悩を、その阿弥陀さまのすべてを見通されている智慧の輝きが破ってくださるのである。

と、阿弥陀さまの大いなる智慧と慈悲のはたらきを讃えておられるのです。
まさに、このご和讃前半のお心が総序の冒頭に、感謝と感激をもって語られているといえるでしょう。
ご和讃の典拠
親鸞聖人は、このご和讃を、どのような根拠によって作られているのでしょうか。前述のように、「仏説無量寿経」に説かれる「十二光仏」、そして「十二光仏」を讃嘆される曇鸞大師の『讃阿弥陀仏渇』が、直接の典拠であるともいえるでしょうが、諸先生方がご指摘の通り、『仏説無量寿経』の「胎化得失(たいけとくしつ)」と呼ばれているご文を念頭に置いておられたとも拝察されるのです。
「胎化得失」の文では、次のようなことが説かれています。
一つには、「明信仏智(みょうしんぶっち)」といい、阿弥陀さまの本願のおはたらき、大慈悲のおはたらきにそのままお任せする心、すなわち全幅の信任の心である真実信心に至った人は、この世を去るその時にお浄土に忽然と生まれる、このことを「化生(けど)」といいます。
しかしそれに対して、二つには「不了仏智(ふりょうぶっち)」といい、本願や大慈悲にいささかでも疑いがあるものは、お浄土の宮殿に生まれても。あたかも蓮のつぼみの中に閉じこもっているかのように、あるいは胎内にとどまっているかのように、真実の往生に至りえないでいるのです。そして五百年の間、仏の姿も菩薩・声聞(しょうもん)などの聖者(しょうじゃ)方にさえもまみえることがないので、これを「胎生(たいしょう)」といいます。このように、ここでは本願に対する疑いを持つことが往生の大きな妨げであることが示されています。
「胎化得失」のご文には、

かの化生のものは智慧勝れたるがゆゑなり。その胎生のものはみな智慧なし。
                         (『註釈版聖典』七七頁)

と説かれていますが、このご文から、親鸞聖人のご和讃に「無明の闇を破す」とある「無明」(無知)とは、阿弥陀さまのみ教えに疑いを持つことを意味しているとうかがうことができます。純粋に阿弥陀さまのお導きにそのまま従わせていただくことが、信心のかなめであること、そしてまた、そのような信心は阿弥陀さまの智慧の輝きのはたらきによって与えられるのである、といただくことができます。
朝陽を浴びて

このご和讃をいただきながら、思い出されることがあります。
それは、ベルギーのアントワープに慈光寺を開かれた、アドリアンーベルさん(一九二七-二○○九)のことです。
ペルさんの学生時代は、世界大戦などの変勁を経て、キリスト教の世界にも思想的に混乱が生まれ始めていた頃といえるでしょうが、その頃から東洋思想を学ぶようになり、仏教にも関心を持っておられたようです。しかし浄土真宗については、まだその名前さえも知られていない頃で、いわゆる上座仏教(じょうざぶっきょう)や、大乗仏教でも自ら禅定(ぜんじょう)を深め空(くう)の哲理を求めるような道などを学ぽうとされていたと思われます。
そんな折、英国のジヤックーオースチンさん(一九一三-一九九三)と出遇われるご縁が生まれます。銀行員だったオースチンさんは、いち早く英訳された『歎異抄』に魅せられて、その翻訳と解説を行った、神戸の稲垣最三師(法名によって瑞剱師と呼ばれます)に手紙を出され、その後、瑞剱師から一方的に手紙を送り続けられるというようにして、手紙説法が続けられたのでした。三百通以上の手紙によって、仏教の基本、大乗仏教の思想、浄土真宗の教義、他力回向のこと、お念仏のことなどが緯々説かれ、オースチンさんは、ついに浄土真宗本願寺派で得度されたのでした。そうして、ペルさんとも文通をしていたのですが、ある時(一九六〇年代後半と思われます)、英国からアントワープのペルさん宅を訪ね、仏教談義をさ
れたとのことです。
おそらく、オースチンさんからペルさんには、「自らさとりを求める道は凡夫に成就できるのですか」という課題を、またペルさんからオースチンさんには、「他力回向の教え、ただ弥陀の本願を信じて念仏する道とはどのような教えなのですか」という疑問を語りかけるという、論議が展開されたことだろうと想像されます。その談論は夜を徹してなされ、東の空か明るくなる頃、訪問者であるオースチンさんは疲れ切って寝込んでしまったのですが、ベルさんは頭が冴えわたり眠れないでいました。
そして、東の空にかすかに明るくなる朝陽を拝して、ベルさんは「はっとした」といわれるのです。かすかに朝陽を浴びながら、「阿弥陀さまの光明に照らされている……」という感慨を覚えたということなのです。太陽の光は阿弥陀さまの光明ではありませんし、それ以上に「如来の光明」は私どもの肉眼で見えるような光ではないのですが、ペルさんは朝陽を浴びて、「このちっぽけな私にふりそそいでい  3る阿弥陀さまの大きな輝き、大きなおはたらき」を感じ取られたのであろう、とうかがうことができるでしょう。
まさに、「無明の闇を破ってくださるのが、如来の智慧の輝きである」と詠われているのがこのご和讃である、といただくことができるでしょう。
(佐々木恵精)

カテゴリー: 法語カレンダー解説 | 2017年1月 無明の闇を 破するゆえ 智慧光仏と なづけたり はコメントを受け付けていません

2016年12月 世のもろびとよ みなともに このみさとしを 信ずべき

正信儡の結び12houwa

「ひかりといのちきわみなき 阿弥陀ほとけを仰がなん」からはじまった「和訳正信喝」は、いよいよこの法語をもって締めくくられていきます.

ここは本文最後の二句「道俗時衆共同心(どうぞくじしゅぐどうしん) 唯可信斯高僧説(ゆいかしんしこうそうせつ)」〔道俗時衆(づぞくじしゅ)ともに同心(どうしん)に ただこの高僧(こうそう)の説を信ずべしと.〕

(『註釈版や典』一.0じ頁)

の意訳になります.

「このみさとしを信(しん)ずべし」とは、これまで「正信偶」で述べられた「仏説無量寿経」の法義、インド(直樹・天親)、中国(曇鸞・道棹・稗導)、日本(源信・源空)の七人の高僧方の教法におしたがいしましょう、という意味です。
ここでは釈尊が出世された本意はひとえに阿弥陀如来の本願真実を説かんがためであり.『にごりの世にしまどうもの おしえのまこと 信ずべし」(「五濁悪時群生海(ごじょくあくじぐんじょうかい) 応僑如来如実言」)(おうしんにょらいにょじつごん)と示された言葉にも対応し、この世のすべての人びとにたいし、高僧方の導きによって「おしえのまこと」である『仏説無量寿経』に説かれる本願を信じ念仏申す身となり、出家(道)も在家(俗)も.時の人(時衆)みなともに(共同心)、浄上に往生させていただきましょう、と勧められ、百二十句の渇文を結ばれるのであります.

親鸞聖人が教法を学ぶ姿勢は、「御伝紗」(ごでんしょう)の「愚禿(じとく)すすむるところ、さらに私(わたくし)なし」(「註釈版聖典」 一〇五じ頁)や「御文章」の「親鸞(しんらん)めづらしき法(ほう)をもひろめず」

(『註釈版聖典』一〇八四貝)

と述べられますように、あくまでも伝統の祖師方の教法に依られました.
もちろん聖人独自の経典理解や他には見られない教義の展開がありますが、祖師方が一切の経典の根本意趣を「仏説無量寿経」に説かれる本願念仏の救済と見定められたこと、また光寿無量の阿弥陀如来に帰順し浄土を願生されたこと、さらにそれぞれの時代と人間に相応した教法を樹立されたことなど、まさに命がけのご苦労があって教えが伝わってきたことを仰がれ讃えられるという一貫した態度が窺(うかが)えます。
「仏説無量寿経」には、法蔵菩薩が本願を建立し、一々の誓いが永劫(ようごう)の修行によって遂に完成され阿弥陀如来となり、その名は誓いの通りに喚び声となって一切の世界に響きわたり、しかも時はすでに十劫というはかり知れない歳月が経過している、と説かれています。それは私自身が。「無始(むし))よりこのかた」といわれるように果てしなく生死流転(しょうじるてん)を繰り返し、如来の願いに背を向け続けてきた時間の長さをも意味しています。しかしながら今生まれ難くして父母の縁によって仏法の聞こえる世に生まれ、通い難くして本願と出遇い、仏の仰せに信順し念仏巾す人生を恵まれたことは、まことにしあわせなことといわねばなりません。

 

今日一日のいのち
ところで、私の手元に「死の宣告をうけて 竹下昭寿こ坦書」(竹下哲編)と題された竹下昭寿さんという方の手記の写しがあります。
この方は若くしてガンを患い、昭和三十四年に三十歳で往生の素懐を遂げられました。同年一月六日にガンを告知され、三月二十五日にはすでに不治の病状であることを医師に宣告されます。
そしてその日から四月十二日まで日記を書き、病苦をかかえた日々の心境をありのままに綴られています。その内容は、まさに昭寿さんが歩まれてきた人生を締めくくる法悦の記録ともいえるものでした。
冊子の冒頭には担当であった高原医師が、

…その日が来た。思い切って船のともづなをふりはなして、船出の口がいよいよ迫ってきたことを告げる口である。病状は…胃ガンである。すでに不治の状態であることを宣告した。あと幾月か幾日かと数えるよりも。今日一日限りと心得て、今日一日を頂いて生きて行くべきことを語った。-何もかも我一人のためなりき 今H一日のいのちたふとし’―これは昭寿君に贈った一位である、君は何等動ずることなく、平然として私の宣告を受けとられた。人ならぬ大きな力に抱かれた君の姿に、私はただお念仏申すのみであった。この日から君の生活は明るくなり、念仏と感謝の生活になった。
…ただ徒に人生航海の日の長いことが幸福ではない。喜びも悲しみも乗り越えて、一路お浄上を目ざして誓願の大船に乗托して、名残惜しくも雄々しくも船出された君こそ、人生最大の勝利者である
                          {「遺書をいただいてI」)
という一文を寄せておられます。
故人は篤信の家庭に育ち、遺書を編集された実兄の竹ド哲さんや念仏者であった高原医師をはじめ、法義篤き人びとに囲まれながら生涯を終えられたのでした。

 

竹下哲さんは、

愛する弟昭寿は、お念仏を申しながら静かに息を引き取りました。静かな、静かな往生でした。親思い、兄弟思いのやさしい弟でしたが、とうとう三十年五か月の生涯を閉じてしまいました。何だか夢のようです。あとに残された私どもは、片腕を失ったような、限りない寂しさと悲しさでいっぱいです。このや
るせなさと悲しさは、とてもことばで一胃い表すことはできません。でも、何かその底にはしみじみとした喜びがあります。深い安らぎがあります。それは、弟が如来の人悲を讃嘆し、静かに念仏しながらお浄土に召されていったからだ、と思います
                          (弟のことII)
と記されています。

 

白道を歩いていく

医師から不治である旨を告げられた日、

…これからさき、どんな病苦にのたうちまわるかも知れない。…この世を去る以外にないのだ。しかしその宿業の果てには、親鸞聖人や唯円房が渡っていられる処があるのだ。そして、十五年前往っておられるお父さんも。この世の人
間の愛情の、なんと濃やかな中に、自分は生かされていたことだろう。三十年間の愛の火の中で。しかも何よりも、仏縁に恵まれていたことの良かったこと。すべては大慈悲の唯中に、いままでもいまも生かされているのだ。…

また五日後には、

お念仏の世界こそ、寂しいこの人生の明け幕れの中での落ち着ける場所ですから。ほんとに人生とは寂しいところ、名残おしいところです。愛別離苦という言葉もしみじみと味わわれます。でも、なつかしいお浄土が川意されてあるのです、限りなくなつかしい浄土-

四月九日には、

白道を歩いていく お母さんや兄ちゃんたちの やるせなき愛情を総身に浴びて それでもひとり白道を歩いていく いつかその道がつきたとき そこにはお浄土が開けている 多くの仏さまたちが時っていて下さる おお御苦労だっ
たと如来さまが 抱きとって下さろう もうそのときは仏の一員 病、衣、食、住の執着のないところ 無執着の世界-浄上 そこでほんとうに大切なことだけを 無限にやらせていただけるのだ

と、念仏に出遇うことのできた人生の意味について書いておられます。
そして翌日の四月十二日、

…一本願の船に乗せて頂いているという、大安心の上でのやっさもっさだ、大いにじたばたしても、往生は間違いなし 如来の願船のびくともしないことのありがたさ

という言葉で「遺書」は終わっています。

 

常住の世界への夜明け

親鸞聖人は『一念多念文意』に「念仏の人をば、上上人・好人・妙好人・希有人・最勝人とはめたまへり」

(「註釈版聖典」六八一。貞)

と述べられ、念仏する人は分陀利華(白蓮華)であり、五種の誉れがある人にほかならないと讃えられています。なぜなら蓮華は泥の中でしか咲かず、泥に根を張りながら泥とは真反対の美しい花を咲かせるからです。そのように念仏の人は煩悩の濁りに身を沈めながら濁りに染まることなく、必ず浄土に往生する美しき人であるといわれるのです。
昭寿さんは如来に抱かれ、諸仏に讃えられ、朋友に励まされて浄土へと往かれました。白道を歩む人とは煩悩の苦をかかえ孤独の中にあって苫や孤独に沈まず、生死の事実に処してなお生死を超える念仏を賜った人であるといえるでしょう。
兄の哲さんは記録を編集される中で、

人生は一応五十年の契約。しかし、家主が不意に出て行ってくれ、と言うことがある。そのとき、田舎に自分の家がある者は、「これまでお世話になりました。ありがとう。」と言って出て行ける
と書いておられます。

この世はたえず変化しとどまることがなく、煩悩に満ちた世界です。この世で生きていく限り、私たちの惑い、苦しみ、悩み、悲しみは尽きることがありません。
しかしながら、尽十方無擬光の如来(煩悩にさえられずに十方を照らし尽くす光の仏)はこの世に来って生死を照らす光となり、苦悩にうちひしがれ孤独に涙するものの灯火となり、帰すべき郷里へと必ず導いてくださいます。光を信じ御名を称えることは暗き人生の暁となり、むなしく命終わることなき常住の世界への夜明けとなるのです。
阿弥陀如来は「安心して帰せよヽわが世界に至れよ」と一人ひとりの苦悩の人生に
喚びかけられています。そして私が称える念仏には、親鸞聖人をはじめ三国の祖師方、さらに浄上に往生された幾多の念仏者の願いがこもっていることが知られます。
この「正信喝」は自信教人信の書であるといわれます。本願のまことは「親鸞一人がため」(自信)と聖人によって受けとめられ、さらに「十方衆生みなもれず往生すべし」(教人信)とすべての人々に開かれた救いでありました。親鸞聖人は自ら信じたよりとされたこの「みさとし」を、すべての人びとに「どうか信じてください、お念仏申してください」とよびかけられているのです。

すべて命あるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ
                       (「スッタニパータ」 一四五濁)
仏陀は生きとし生ける者すべてを安楽、安穏の境地に至らしめたいと願われました。

 

カテゴリー: 法語カレンダー解説 | 2016年12月 世のもろびとよ みなともに このみさとしを 信ずべき はコメントを受け付けていません

2016年11月 さとりの国に うまるるは ただ信心に きわまりぬ

煩悩が転ぜられるはたらきimg_20161029_0012_new

今月は親鸞聖人の恩師法然房源空聖人のご功績を讃えられるところです。「正信偈」本文の「生死輪転(しょうじりんでん)の家に還来(かえ)ることは、決するに疑情(ぎじょう)をもって所止(しょし)とす。

すみやかに寂静無為(じゃくじょうむい)の楽(みやこ)に入ることは、かならず信心(しんじん)をもって能入(のうにゅう)とすといへり」

(「註釈版聖典」二〇七頁)

と示される後半部分の現代語訳です。
これはもともと

法然聖人(一一三三~一二一二)が著された『選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)』「三心章(さんしんしょう)」の「生死(しょうじ)の家には疑(うたがい)をもって所止となし、涅槃(ねはん)の城(みやこ)には信(しん)をもって能入となす」

(「註釈版聖典(七祖篇)」 一二四八頁)

の文によられたもので、

私たちが迷いの世界にとどまるのか、あるいは悟りの世界に生まれるかは、ひとえに本願を信ずるか。疑うか、その一事に尽きる意を表し、決判(けっぱん)せられるところです。

生と死を繰り返す迷いの世界は「生死の家」と喩えられ、また「生死の几夫の流転の闇宅」、「魔郷」などとも表現されています。一方で無明煩悩が一切消滅した悟りの領域は「涅槃の城」「安楽」「西方寂静無為(さいほうじゃくじょうむい)の楽」などと示されています。「楽」は「洛」と同じ発音で「洛陽」の意に通じるところから、「涅槃のみやこ」ともいわれます。

生死の闇とは智慧くらき私たちの住む娑婆界のことで、いわば浹い心で閉ざされた世界のことです。涅槃寂静とは煩悩を離れた安楽の境地、広やかな心開けた智慧の領域をいいます。この「生死の家」から「涅槃の城」に至るためには、私たちのさかしらな知識や功徳善根の所業をもっては成し遂げられないことであり、阿弥陀如来が成就された本願の名号を疑いなく聞信するほかはないとされるのです。

ですから、もし本願を疑う者あらばその自力をたのむ執心をひるがえし、如来の「わが名を聞いてわれをたよりとせよ、必ず救う」との仰せを素直に信じ受け入れるべきであると勧められるのです。
信心とは、阿弥陀如来の真実心、一切の虚仮不実をはなれた清浄なる願心のことであり、煩悩に汚れた虚仮不実の心をいうのではありません。しかしながら、ひとたび凡夫の心に如来の願心(智慧と慈悲)が至りとどくならば、この煩悩をかかえた身のままで往生成仏することが決定せしめられることになります。それはちょうど万川が海に帰して海水の一味となるように。仏の功徳(名号)によって煩悩がそのまま菩提と転ぜられ、この身に仏因が満足せしめられるからであります。

 

 

金剛の信心をたまわる

一般的に私たちが何かを信じるという場合、「まちがいないものと認めたよりにする。信頼する」という主体は、あくまでこちらの側にあります。その場合、信頼する対象が確かであるかどうかは常に私の判断一つにかかっており、自分が正しいと考えている判断が同じ対象であっても、その時々で変わっていくとすれば「信じる」といっても一定することがないのは明らかです。
たとえば、自分が信頼していた相手に裏切られたときに、「あの人を信じた私がバカだった、愚かだった」などと言って反省したりもする訳ですが、本心は「私を裏切ったあの人が悪いのだ、あの人が愚かなのだ」とどこかで相手を責める気持ちが潜んでいるものです。また人と口論した後で後悔し、相手に謝るときに「私も悪かった」とつい言ってしまう、そんなところにも相手を責める気持ちが「も」という表現となって露呈されてしまいます。あてにならない張本人が自分自身であるのに、「あの人があてにならない、他人をあてにはしない」と頑なに心を閉ざしてしまうのです。このように人間は自我愛から離れられず、自分が心底愚かであるとは思えない存在であるといえるでしょう。
本願力とはそのようなあてにならない不実の存在であるわが身を知らせ、閉ざされたわが心にはたらいて、悟りの世界にいたる正しき因を与えてくださるのです。それは仏の仰せを聞くことも、私が仏を信じたよりとする心も、すべて私に先行して用意されている一方的なはたらきであるといえます。
「唯信紗文意(ゆいしんしょうもんいん)」には、

この信楽(しんぎょう)をうるときかならず摂取(せっしゅ)して捨てたまはざれば、すなはち正定聚(しょうじょうじゅ)の位に定まるなり。このゆゑに信心(しんじん)やぶれず、かたぶかず、みだれぬこと金剛(こんごう)のごとくなるがゆゑに、金剛の信心とは申すなり。

(「註釈版聖典」七〇三頁)

と述べられています。ここで信心が金剛心であるといわれるのは、私がゆるぎなき不動の心を持つという意味ではありません。「どんなことがあっても、あなたをさとりの浄土に往生させずにはおかない」という決してくずれない、壊れることのない如来の一方的な願心、変わることなき本願力のはたらきによるから金剛の信心といわれているのです。

 

 

育まれる信頼感

さて、二〇一四(平成二十六)年、百四歳で亡くなられた詩人まどみちおさんの有名な童謡の一つに「ぞうさん」があることはよく知られています。「ぞうさんぞうさん おはながながいのね そうよかあさんもながいのよ」という歌詞で、「ぞうさんぞうさん だれがすきなの あのねかあさんがすきなのよ」と詩は続いています。私はこの歌はよく知ってはいましたが、詩の内容に込められた深い意味を今まで考えることがありませんでした。

ある詩人がこの詩について「「ぞうさん」とはいったいどんな詩なのか」と質問されたとき、まどさんは「ぞうに生まれてうれしいぞうの歌」とこたえられたといいます。
まどさんはこの詩で、「鼻が長いね」と言われたけれど、ぼくはお母さんとそっくり、大好きなお母さんの子どもだから、「そうよ」と胸を張ってこたえることができるぞうさんを登場させています。自分を大好きな子どもとして育ててくれるお母さんがいてくれるから、他と比べる必要がないぽく白身をよろこぶことができる、そんなぞうさんの気持ちを表現しようとされたのかもしれません。

さらには、私たち大人に向かって、あなたは子どもを信頼していますか、子どもたちの心に充足を与えていますか、あなた自身はこの世に生まれてきてよかったですか、劣等感や優越感に苦しんではいませんか、といった様々な問いかけをされているように思われます。
私事になりますが、昨年浄土に往生いたしました母は、私が何か頼み事をしたときにはきまって自分のことは後回しにして、私の頼んだ用事を済ませてくれていました。面倒な内容でもイヤな顔をせず、むしろ何かよろこんでしてくれているように思えました。そして「してあげた」というそぶりも見せず、言わずにいた母でした。

 

振り返ると私の方はわがままばかりで、自分にとって都合のよい親であればよい、とどこかで考えている不肖者でしたが、それもすべて承知のうえでの行動だったのだと思います。
子が親にたいして抱く信頼感は、もともと親が子を信頼する心からはじまっています。親への信用はつねに子に先行して親から子への信用としてとどけられていたのでした。
しかしながら、昨今ではその信頼が大きく揺らいでいます。家族問における殺傷事件の報道も珍しいことではなくなりました。「だれでもよかった」というような若者の理由なき凶悪事件が起きるたびに、加害者における生育歴との関連が識者によって指摘されています。

 

「愛することは向かい合うこと」とマザーテレサさんは言っています。自分と向き合ってくれない大人たち、自己肯定感が乏しく、虐待や養育放棄によってまったく親に愛情を感じられずに苦悩している子どもたちがいます。親から与えられる幼少期における信頼感。いわゆるベーシックトラストはその人格形成においてきわめて重要であることは明らかでしょう。
誰かに深く愛されているという自覚は、やがて他者の差異を認め、他者を大切にしようとするやさしさや、執拗に他者との違いにこだわる心を克服していく柔軟さにもつながります。また家族や友人をはじめ。多くの人びとと信頼関係を育んでいこうとする姿勢にもあらわれることでしょう。
先に述べましたように、人間の信頼はあくまで不完全であり、非常にもろく崩れやすいものではあります。この世において必ず別離というものがある以上、いつまでも関係が続くというわけにはまいりません。しかし私たちは不完全でしかない人間であるからこそ、心を通じ合わせ、互いの信頼の絆を一層大切に育てる努力をしなければならないと思うのです。

 

 

 

仏によって成就された信頼感

今月の法語である「さとりの国にうまるるは、ただ信心にきわまりぬ」と言われる信心とは、仏の方から一方的に与えられたまこと、信頼の心です。ですから、たとえ私が如来に背を向け、裏切っていくようなことがあったとしても、決してその心は壊れることもなく、揺らぐこともありません。それは絶対の信頼ともいうべきものであり、私の方から断絶しようとしても、仏の側からは決して断絶させないと、はたらいてくださっているという関係性なのです。必ずさとりの国に生まれさせようと、はたらき続ける真実心という信頼の極みが、仏によって成就されているのです。
私が称えている念仏は、如来が私と決して離れることがない信頼の「絆」で確かにつながっている証であるといえるでしょう。

雪ふるや 受くるのみなる母の愛

ここには、雪の空を仰ぎ、降りしきる雪に母の慈愛を重ね、母へのこよなき感謝を表そうとする作者の心情が溢れています。
私たちがめざすべき世界は「涅槃の城」です。それは人生に破綻し苦悩に沈み、不信感に閉ざされた「生死の家」を出離したところにひらかれる悟りの世界であり、仏の智慧と慈悲によって絶対の信が成就されているところです。そしてその境界は自らの悟りを完成するにとどまらす、ただちにこの世に還来して他者を救うために慈悲のはたらきをなすという世界でもあるのです。
念仏への信頼を育み、心豊かな人間関係が構築されるよう努力したいものです。

(貴島信行)

カテゴリー: 法語カレンダー解説 | 2016年11月 さとりの国に うまるるは ただ信心に きわまりぬ はコメントを受け付けていません

2016年10月 まどいの眼には 見えねども ほとけはつねに照らします

00
今月の法語は、ヒ高僧の第六祖、源信和尚を讃仰された「正信渇」本文、「煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我(ぼんのうしょうげんすいふけん だいひむけんじょうしょうが)」一煩悩(ぼんのう)、眼(なまこ)を障(さ)へて見たてまつらずといへども、大悲(だいひ)、倦(ものう)きことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり。(「註釈版聖典」二〇六頁)について意訳されたところです。

これはもともと「往生要集」にある

 

「われまたかの摂取(せっしゅ)のなかにあれども、煩悩(ぼんのう)、眼(なまこ)を障(さ)へて、見たてまつることあたはずといへども、大悲倦(だいひう)むことなくして、つねにわが身を照らしたまふ」

(「註釈版聖典(七祖篇)」九五六頁)

 

という文によられたものです。

源信和尚(九四二~一〇一七)は大和国(やまとのくに)(奈良県)当麻(たいま)の里に誕生され、七歳で父と死別、九歳で比叡山に登り慈慧僧正良源(じけいそうせいりょうげん)に師事されました。英才の誉れ高く十五歳にして宮中で仏典を講ぜられた折、天皇より布帛(ふはく)の栄誉を受け、早速故郷の母に贈ったところ、母はその品を送り返し、名声や利欲を求める世渡る僧になることは悲しい、どうか母の後世を導いてほしい、との手紙が添えられていたといわれます。その後和尚は母の誡めを深く心にとどめ、高位を求めることなく叡山横川(ひざんえいざんよこわ)の首榜厳院(しゅりょうごんいん)に隠棲(いんせい)し、専心(せんしん)に釈尊一代(しゃくそんいちだい)の法を学修(がくしゅう)されました。そして四十四歳の頃『往生要集』三巻を著して日本浄土教の大成をはかり、自らも浄土を願生(がんしょう)しつつ念仏の興隆につとめられたのでした。

 

頑魯(がんろ)のもの

『往生要集』序文には「予(よ)がごとき頑魯(がんろ)のもの」(私のようなかたくなで愚かな者)(『註釈版聖典(七祖篇)」七九し貞)と、和尚は自身について述べておられます。また「念仏証拠門」においては「極重(ごくじゅう)の悪人(あくにん)は、他の方便(ほうべん)なし。ただ仏(ぶつ)を称念(しょうねん)して、極楽(ごくらく)に生(しょう)ずることを得(う)」(『註釈版聖典(し咀偽)」 一〇九八頁)と浄土教における往生行の要点を示し、愚悪の人間が極楽に生まれる手だてはただ称名念仏(しょうみょうねんぶつ)するほかなきことを闡明(せんめい)にされたのでした。

愚悪の者とは、抜きがたい自己へのもりじゅこころ執着心、我が身可愛いという自己中心の思いのやむことのない。われわれ人間のことです。和尚が白身を深く誡められた名聞利養(みょうもんりよう)の執心もそのあらわれであって、今月の言葉に「まどいの眼には見えねども」といわれるのは、まさにそのような真理(智慧)に暗く煩悩に翻弄されながら苦悩していく、人間の有様を示されるのです。思い通りにしたいという我欲の心(惑)は、思い通りにいかぬゆえに怒りとなり、愚かしき言動となって表出(業)し、他を傷つけていくことになります。そして新たなとまのう苦悩(苦)をさらによび起こしていきます。こうした無知の行為と結果が連鎖してとどまることなく循環していくという、そのことに無自覚であるゆえに愚悪といわれるのです。

以前、首筋や肩の凝りかひどく腰の鈍痛もあったので、整体治療院で看てもらった時、診察室の鏡の前で「肩の位置が左右均等でなく、体に歪みをきたしている」と説明を受け、不自然な自分の立ち姿に驚いたことがあります。凝りや痛みの原因が普段からの姿勢を意識しないことでそれが習慣となり、知らず知らずのうちに体の歪みとなってあらわれてきたのでしょう。では、これがもし心の歪みであったとしたら、と考えると、なおさら自分で気づけるはずもありません。身心ともにケアを怠らないよう心がけたいと思ったことでした。

「観経疏(かんぎょうしょ)」には

「経教(けいきょう)はこれを喩(たと)ふるに鏡のごとし。しばしば読みしばしば尋ぬれば、智慧(ちえ)を開発す」

(「註釈版聖典(じ組篇)」ニハ七頁)

と示されています。つまり経典は喩えていうと鏡のようであり、たびたび読んで教えを尋ねていけば智慧が開けるといわれます。教法を鏡とすることは、鏡の前に立った自分の外側の姿ばかりか、まるでレントゲンに映し出されるように、内側の心の歪みまでも明らかになるのです。苦の原因、煩悩の病巣が知らされるところに、苦を厭(いと)い離れる智慧がもたらされることを教えられているのです。

今月の法語には「ほとけはつねに照らします」とあります。親鸞聖人は「尊号真像銘文(そんごうしんぞうめいもん)』で、先の「往生要集」の「大悲無倦常照我身(大悲倦むことなくして、つねにわが身を照らしたまふ)」について、

「常(じょう)」はつねにといふ、「照(しょう)」はてらしたまふといふ。無擬(むげ)の光明(こうみょう)、信心(しんじん)の人をつねにてらしたまふとなり。…(中略)…「我身(がしん)」は、わが身を大慈大悲(だいじだいひ)ものうきことなくして、つねにまもりたまふとおもへとなり。摂取不捨の御めぐみのこころをあらはしたまふなり。        

(『註釈版聖典』六六一頁)

と解説されています。「我身」とは原文では源信和尚のことをさしていますが、ここではさわりなき仏光(ぶっこう)は苦悩の根元であるまどいを照破(しょうは)して必ず大悲心のうちに摂め取り、さとりの浄土に往生させようとつねに信心の人を休むことなく怠りなく照らしまもってくださる、といわれています。

 

こんな人生もあるのかな…

過日、夫が亡くなったので葬儀をしてほしいとの連絡を受けました、初めてのご縁でもありましたので必要な事柄をお聞きして、指定された葬儀会館に向かいました。臨終から通夜、葬儀、火葬、還骨法要と済み、中険ではじめてご自宅にお参りをいたしました。読経を終えて、故人の妻であるΥさんから仏事のお尋ねがあり、そのときご家庭のことなどを伺いました。しばらくお話しされていて、話題が三人の子どもさんのことに及んだとき、しばし沈黙され、時折言葉に詰まりながらも語ってくださった内容は、
三人の子どものうち、次男は小学校四年生のときに自動車事故に遭い、医師からは脳挫傷との診断が下り、事故の翌日以来全く意識が戻らず、すでに四卜九歳になっているということ。二年前にご主人が脳梗塞、ガンを患って入院されるまでは、ずっとその子どもを自宅で看護されてきたこと。当時は行政の介護サービスが整っていない時代だったので大変難渋されたこと、食事などは自分で何とか咀喘はできても、口を開くタイミングを辛抱強く待たねばならず、一回の食事に二時間を要してしまうこと。。また入浴は本人の身体に硬直があるため、一人ではとても無理なので夫が帰るのを侍ってから二人でしなければならなかったこと。自分自身も数年来ガンを患って、三度の手術を経験してきたこと。そして夫婦で五十二年間暮らしてはきたが、日常生活はほとんど子どもの介護に明け暮れたので二人で旅行に出かけたことも、映画をゆっくり観たこともなかった。
というものでした。Υさんが、「子どもが施設に移った後、今は私がこのベッドで寝ております」と言って後ろを向かれた、その部屋の後方には長い介護の時を物語るかのような小さめのスチールベッドが見えました、そして「夫も亡くなり、私も病身となってしまいました。いつまで子どものそばにいてやれるか心細いことですが、やはりあの子を置いて死ぬわけにはいかない…、そんな気持ちでおります。…こんな人生もあるのかな…と不思議に思います」と言われました。
私は「こんな人生もあるのかな…」と二度繰り返された言葉を聞きながら。今日までの大変なご苦労が察せられて、胸が締め付けられるような思いになりました。「きっとこの世でお母さまでしかできない菩薩の行を、わが子のためになさってこられたんだと、私にはそう思えます」と私か一一日ったとき、Υさんはしずかにお仏壇の方に向かい、深々と頭を垂れ合掌されたのでした。Υさんの美しい姿の中に、たしかに大悲の光明かとどいてくださっていること、大いなる慈しみと悲しみをもってあわれみ、どのような苦悩の人生をも照らし慰めてくださる尊き仏光を仰がずにはおれませんでした。

子が受けてきた苦難は、その子とどこまでもともにあって、どのような労苦をも忍受していくという親の覚悟、苦難があることに気づかされます。重い病苦をかかえて生きるわが子なるがゆえに、苦悩し憐懲(れんみん)してやまない母なる情愛が知らされるのです。

 

人の憍りと仏の大悲
「教行信証」「信文類」には、

如来一切のために、つねに慈父母(じふぼ)となりたまへり。まさに知るべし、もろもろの衆生(しゅうじょう)は、みなこれ如来(にょらい)の子なり。

(『註釈版聖典』二八八頁)

と示されています、自分の存在がかえりみられることもなく、見離されてしまうことがあったとしても、決して見捨てることができないというたった一人の親が私のために存在してくださることほど、たのもしく安心できるものはありません.如来がもろびとをわが子と見そなわし、わが苦悩として同悲同苦される慈悲のはたらきは、まるで父母が一子にかかりはて寄り添うような姿にほかならないと喩えられています。

「若不生者(にゃくふしょうじゃ)、不取正覚(ふしゅしょうかく)」(あなたを安楽の浄土に、もし生まれさせることができなかったら、決して悟りの仏となることはない)という法蔵菩薩の誓願は、いったい誰のために建てられたのでしょうか。思えばながいまよいの私の歴史とともに、つねに南無阿弥陀仏の名となって喚びかけ続けてくださっていた途方もない如来の歴史があったのでした。その切なる願心はわがためにとどまらず、一切の衆生に向けられた広大無辺のはたらきであることを聞かせていただくとき、ただ頭を垂れ念仏申さずにはおれません。

源信和尚は、

雨の堕(お)つるに、山の頂(いただき)に住(とど)まらずしてかならず下(くだ)れる処(ところ)に帰(き)するがごとし。もし人、僑心(きょうしん)をもってみずから高くすれば、すなはち法水入(ほうすいい)らず」(雨が降れば山の頂にとどまらず必ず低い方に流れるように、自分を高くするならば法の水は入ることがない)              

(「註釈版聖典(七祖篇)」 一一七四頁)

と示されています。自然の道理を知らずして、僑り(おご)の心をもってみずからを高くし、仏法のめぐみを素直に受け入れようとしないこの私を、仏は大悲の光明をもって照らし、いよいよ念仏申す身に育ててくださいます。決して見捨てることなく、怠ることなく、つねに私たちを守護していてくださるみ仏であると教えてくださっているのです。(貴島信行)

カテゴリー: 法語カレンダー解説 | 2016年10月 まどいの眼には 見えねども ほとけはつねに照らします はコメントを受け付けていません