2023年7月のことば 正しいものに遇って 正しくない自分を知らされている

でや、うまいやろ

七月のことぼは、利井明弘先生のお言葉です。先生は一九三六(昭和十二年に大阪府高槻市に生まれられ、一九九〇平成二)年より十年以上にわたり、行信教校(高槻市)の校長を務められました。そして、二〇〇三(平成十五)年に出講先の広島で突然ご往生されるまで、多くの方がたをお導きくださいました。残念ながら、私は直接その警咳に接するご縁はありませんでしたが、先生の法話集等を通して、そのお人柄やお念仏の味わいに触れさせていただいています。また、生前の利井先生を知る方がたから、「明弘先生と一緒に焼酎を飲んだときはいつも、とても嬉しそうに『でや、うまいやろ』とおっしゃっていたなあ」と、先生を懐かしむお言葉を聞かせていただきます。先生はお念仏の話をされるときも、お念仏を深く味わいながら、そしてたいへん嬉しそうにお話しされていたとうかがっております。利井先生は、「でやごっまいやろ」とおっしゃりながら、多くの方がたとお念仏を味わい喜んでいかれました。
さて、今月のことばは、利井先生のご自坊、常見寺の寺報である「常見寺だより」に掲載された、先生のご法話の一節です。「正しいものに遇って 正しくない自分を知らされている」というお言葉は、「お念仏の教えに出遇うことで、この私
かいかに煩悩を抱えて自己中心的な生き方をしているのかを知らせていただく」と味わうことができます。浄土真宗のお念仏の教えとは、煩悩に振り回され、善行の一つもできず、とても自分の力では救われ難いこの私に、阿弥陀さまが声の仏となって届いてくださっているという教えです。阿弥陀さまが、「あなたはあなたのままでいい。私か必ずあなたを救う」と喚び続けてくださっているのです。普段から都合のよいことばかりを口にし、ときには人の悪口も出てくるこの私の口からお念仏が出てくださるのは、そんな生き方をしているこの私を何としても救いたいと立ち上がってくださった、阿弥陀さまのおはたらきをいただいているからなのです。

お念仏の主

もう十年近く前のことです。勤め先の大学で、基礎演習という科目を担当していたのですが、あるとき、講義が終わると三人の学生が私のところにやってきました。その学生たちは三人ともお寺の出身で、将来はお寺を継いで住職になることを目指している学生たちでした。その三人が、「講義を聞いたり、本を読んだりして、少しずつ専門用語もわかるようになってきたのですが、真宗学の内容がどうもしっくりこないというか、どこがありかたいのか白分のなかではっきりしません」と相談してきました。そこで私は、「専門用語などの知識を身につけることも大切ですが、ご法話をお聴聞してみると、また味わいが変わるかもしれませんよ。一緒にお聴聞に行きませんか」と誘い、数日後、大学の近くの会館で開かれている法座にその三人の学生と一緒にお参りしました。
そして、会場の真ん中あたりの席に学生だちと一緒に座りました。すると、前の方に座っておられる方がたのなかに、ひときわ大きな声でお念仏をしておられる年配の女性がおられました。実はその方は、他のお寺や聞法施設にも熱心にお聴聞に行かれる方で、私もこれまで何度かお見かけしたことがありました。その女性は、いつどこでお聴聞されるときも、誰よりも大きな声でお念仏をされ、その日もお説教が始まる前から大きな声でお念仏しておられました。そして、お説教が始まっても、「なまんだぶ、なまんだぶ」と何度も大きな声でお念仏しながらお聴聞しておられました。
そのとき、私だちより一列前に座っていた男性が立ち上がり、後ろの方に座っていた会館の若い職員さんを手招さして呼びました。職員さんがその男性のところに来て、「どうかされましたか」と小さな声で尋ねると、その男性は、「あのおばあちゃんがずっと大きな声でお念仏しているので、声が気になってご法話に集中できません。静かにしてもらうように言ってもらえませんか」と、職員さんに言いました。すると職員さんは男性に、「今はお説教中ですから、お説教が終わりましたら私からあの方にお話しさせていただきます。今日のところはこのままお聴聞を続けていただけませんか」と伝え、男性も「わかりました」と言って席仁戻り、お聴聞を続けられました。
そして、お説教が終わると、先はどの職員さんがその女性のところに行き、「本日はお参りいただき、ありがとうございました。実はお参りされている方のなかから、『もう少しお念仏の声の大きさやタイミングを考えてほしい』という要望がございました。次回から少しご配慮いただけませんでしょうか」と、伝えました。するとその女性は、「あんた、言う相手が間違っとるよ」とおっしゃいました。そう言われた職員さんがキョトンとしていると、続けてその女性は、「私か自分から進んで称えているお念仏なら止められるけれど、このお念仏は阿弥陀さまが今、煩悩まみれの私を喚んでくださる声だもの。お念仏を止めてほしいなら、私じゃなくて、阿弥陀さまに交渉するのが筋ですよ」とおっしゃるのです。職員さんは返す百葉がなかなか見つからず、苦笑いをしておられました。
この女性の態度は少し極端だと思われる方もおられるかもしれませんが、このやり取りを目の当たりにした三人の学生たちは、「今日のお説教の内容は少し難しくてわからないところもあったけど、お説教の後にあのおばあちゃんの言葉を聞いて、浄土真宗のお念仏は阿弥陀さまのお喚び声であるということが、何かストンとわかったような気がしました」と、笑顔で言ってくれました。分厚い本を何冊読むよりも、お念仏を喜んでおられる方のおすがたそのものが学生たちには響いたようでした。
その三人の学生だちとはその後も時々一緒にお聴聞に行き、お説教が終わると喫茶店で少しゆっくり話をするといった関係が続きました。そんなあるとき二二人の内の一人が、「自分もいつか死ぬんだということを、これまであまり本気で考えたことはありませんでした。しかし、講義やお説教のなかで『死』ということについて頻繁に話を聞くようになり、少しずつ自分の死について考えるようになりました」と教えてくれました。まだ二十歳前後の若い学生が、自らの死について少しずつ真剣に見つめようとしているすがたに驚きました。そして、学生とのそのようなやりとりを通して、十数年前の次のような出来事を思い出しました。

散る桜 残る桜も 散る桜

うちのお寺の本堂の前には、樹齢三百六十年を超える枝垂れ桜があります。毎年春になると、遠近各地から多くの方が花を眺めにいらっしやいます。ある年の春のこと、その日は桜はもう満開をすぎて散り始めていましたが、それでも朝から桜の下で花を眺めておられる方が何組かおられました。ちょうどその日、ご門徒さんが納骨堂にご家族のお骨を納めるため、お寺にいらっしゃっていました。納骨前のお勤めが本堂で終わり、納骨堂へ移動するため、いったん本堂から外に出ていただきました。
私もご門徒さんと一緒に本堂から外へ出ると、枝垂れ桜の下で、女性数名のグループが花を見ておられました。一陣の風が吹くたびに花びらが舞い上がり散っていく様子を見て、そのグループの方がたは、「あんなに満開に咲いていた桜ももう終わりね」「あっという間よね」と言いながら、しみじみと桜を見つめておられました。私はご門徒さんを納骨堂の方に案内しながら、そのグループのすぐ横を通り過ぎようとしました。すると、花を見ていた方がたがこちらに気づき、まずは私のすがたを見て、「あ、お坊さんだ」という感じで軽く会釈をしてくださったので、私も「ごゆっくりどうぞ」と言いながら会釈を返しました。続いてその方がたは、私の後ろを歩いておられたご門徒さんの方に視線を移しました。ご門徒さんは胸に骨壷を抱いておられました。その骨壷を見た一人の女性が、「あれ、骨壷じゃないかしら」と言うと、他の方がたも「そうよ、骨壷よ。せっかくお花見に来だのに縁起が悪いわ」と言って、すぐに目を背けておられました。私は、その方がたの声がご門徒さんの耳に入れば、あまりご気分がよくないであろうと思い、早足で納骨堂の方にご案内しました。
その後、ご門徒さんは納骨を済ませて帰られたので、私はもう一度、桜の下で花を見上げながら考えました。満開であった桜が数日を経て散っていくことも、人間の肉体がいずれ滅びていくことも、「無常」ということからするとその本質は変わりません。私たちは散っていく桜であればしみじみと眺めることができますが、骨壷を目の当たりにすると自らの「死」を連想し、できるだけ「死」という現実から目を背けようとします。しかし、私たちがどれほど「死」から目を背けて生きようとしても、そこから逃れることはできません。だからこそ、この人生は何に出遇うための人生であるのか、人生の依りどころとは何なのか、このいのちの行く末はどこであるのかを聞かせていただくことが大切なのです。いのちの帰するところを知らない人生は、ただ生き、死の恐怖に怯え、寂しく死んでいく人生であるといえるでしよう。

お念仏に出遇う人生

「私のこの人生は、阿弥陀さまのご本願に出遇わせていただくための人生であった。今このときも、阿弥陀さまが南無阿弥陀仏となって私に届いてくださっている。
この人生の喜びも悲しみも阿弥陀さまとご一緒だ。このいのちが終わっても、寂しく死んで消えていく人生ではなく、私はお浄土に生まれさせていただくのだ」と、お念仏を依りどころとし、いのちの行く末をお浄土と定めて歩んでいけるのが念仏者の人生です。ご門王さまが「念仏者の生き方」において、

  私たちは阿弥陀如来のご本願を聞かせていただくことで、自分本位にしか生きられない無明の存在であることに気づかされとご教示くださっているように、煩悩具足の凡夫であるこの私に届いてくださる真実の声に出遇うことによって、この身がいかに愚かな存在であるのかを知らせていただきます。そのような私を「必ず救う」と喚びかけてくださる阿弥陀さまにおまかせして、大きな安心のなかで人生を歩んでまいりましょう。

(能美 潤史)

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2023年6月のことば 信は如来の生命なり

「他力の信心」を示す言葉

今月のことばは、小山法城師がその著書『我等の歩み』に残された言葉です。小山法城師は、一八八七(明治二十)年に滋賀県で生まれられ、仏教大学(現在の龍谷大学)に学び、同大学教授、布教研究所所長、山科別院輪番、伝道協会会長などを歴任されました。一九五〇(昭和二十五)年には、本願寺派最高の学階(学位)である勧学に就かれ、専門的研究はもとより、その伝道に力を注がれ、一九七三(昭和四十八)年にご往生されました。
さて、宗教で示される「信」は、一般的に私たちの持つ信仰心と考えることができます。しかし、ここではその「信」が「如来の生命」と示されています。「如来」とは、阿弥陀如来という仏さまを指します。私の「信」が「阿弥陀如来の生命」であるとは、どういうことなのでしょうか。
この言葉は、浄土真宗という仏教を開かれた、親鸞聖人が示された「他力の信心」を明らかにしたものです。
「他力」という言葉は、社会一般では「本願」と合わさって、「自分の願いを他人の力で実現する」という無責任な態度を示す、マイナスーイメージの言葉として用いられています。「他力」も「本願」も、もとは仏教用語です。こうした社会一般での意味とは明確に区別して、もともとの仏教用語としての意味で考える必要があります。
親鸞聖人が用いられる仏教用語としての「他力」とは、「阿弥陀如来の本願にもとづく救いの力」という意味です。如来の力ですから、もちろん、プラスーイメージです。聖人の主著『教行信証』の「行文類」には次のように示されています。

  他力といふは如来の本願力なり。          (『註釈版聖典』 一九〇頁)
(他力とは如来の本願のはたらきである。『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』 一 一
五頁)

「本願」とは、阿弥陀如来の慈悲の願いです。その内容は、すべてのいのちあるものに「南無阿弥陀仏」という言葉となってはたらきかけ、それを信じて念仏申すように育て、阿弥陀如来自身の世界である浄土に迎え入れて仏に成らせよう、というものです。本願を、その願いが向けられた私たちの立場から言い換えれば、阿弥陀如来のおかげで、「南無阿弥陀仏」を信じさせてもらい、念仏申す身にならせてもらい、往生成仏する身とならせていただく、ということになります。このような「阿弥陀如来のおかけ」を「他力」というのです。
このように、仏教用語としての「他力」は、私たちの往生成仏に関わる文脈で用いられる語です。日常生活上のさまざまな場面で、自らの責任を果たすべく努めることは当然であり、そうした場面で阿弥陀如来の力を意味する「他力」をいうことはありません。
仏教用語としての「他力」「本願」と、社会一般で用いられる場合との意味の違いを整理すると、次のとおりです。

「他力」の意味  「本願」の意味   根底にあるもの  語のイメージ
仏教用語 阿弥陀如来の力 阿弥陀如来の願い 阿弥陀如来の慈悲 プラス
社会一般 他人の力    私の願い      私の都合(煩悩)  マイナス

「信じずにはいられない」という信では、「他力の信心」とはどのような信心をいうのでしょうか。
「信」という心の状態には、二つの場合があります。一つは不安を伴う場合、もう一つは安心を伴う場合です。
一つ目の「不安を伴う場合」、「信」は「あることがらが、事実であること、もしくは事実となることを期待する」という状態を意味します。たとえば、「日本代表チームの勝利を信じています」などという場合です。勤務する京都女子大学では、学生さんに「皆さんが恋人の腕をひしと掴んで、『信じているからね』と言うときの『信』です」と説明すると、笑いながらうなずいてくれます。
二つ目の「安心を伴う場合」、「信」は「あることがらを、そのとおりに受けとめる」という状態を意味します。たとえば、私たちは電車の行き先表示をそのとおりに受けとめています。この場合、「信じている」などと言葉にすることはほとんどありません。京都駅で「東京行」と行き先表示のある新幹線を前にして、「私は、この新幹線が東京に行くと信じています」とは言いません。多くの方が「この新幹線は東京に行きます」とおっしゃるでしょう。行き先表示に対して、自らの判断等を交えず、そのまま受けとめているからです。そして、その新幹線に安心して乗ることができます。
いずれも「信」という言葉で語られる内容ですが、一つ目と二つ目のような差が生じる理由は何でしょうか。それは、「相手に私を信じさせるだけの力や実績があるか、ないか」の違いです。
日本代表は、私たちがどれほど勝利を願おうとも、勝てるとは限りません。そうした不安があるからこそ、熱中して応援するのだともいえます。あるいは、恋人の様子を不安に思うからこそ、「信じているからね」とその腕を掴まなければならないのでしょう。
一方、私たちは、公共交通機関の行き先表示に安心して身を任せています。鉄道やバスは、いつもいつも行き先表示のとおりに運行してきました。それによって、私たちは行き先表示を信じずにはいられなくなっているのです。このような「信」には安心が伴います。言い換えれば、交通機関は、常に「行き先表示のとおりに運行します、信じてください」と、私たちに信じてもらえるようはたらきかけてきたのです。そして、そのはたらきかけを私たちが聞いたままが、そのまま私の信じる心になっているのです。
よく考えてみると、私たちはさまざまなものを信じて、日々の生活を送っています。「信」というと何か特殊な心のように聞こえますが、必ずしもそうではありません。
そして、親鸞聖人がおっしゃる浄土真宗の信心とは、「阿弥陀如来の側に私を信じさせるだけの力がある」ことによって、私か「信じずにはいられない」ようになった心です。阿弥陀如来のはたらきのおかけで生じた信ですので、これを「他力の信心」といいます。そこには、決して捨てられることがないという、あたたかな安心が伴っています。
軒先の下にある石が雨水によって長い期間をかけて穿たれていくように、阿弥陀如来が私たちを救おうとされる活動は、ついに私たちの心に到達してくださいます。
私たちの立場からいえば、阿弥陀如来のお心を真剣にお聴聞することを通して、阿弥陀如来に対する、頑なな疑いの殼が破られていくのです。それは、たとえば学校の先生や親の真心が、ついに子どもの心に届くすがたに似ているといえるでしょう。
信心とは、阿弥陀如来のはたらきが、そのまま私たちの心に届いたすがたであり、阿弥陀如来が私たちの心を場として躍動しているすがただといえます。それを「信は如来の生命なり」と表現されているのです。

 「念仏者の生き方」

信心は私の心を場として、阿弥陀如来が活動されているすがたですから、私の心に少しずつ変化をもたらします。それについて親鸞聖人は、たとえばお手紙(『親鸞聖人御消息』第二通)のなかで、次のとおり示されています。

  仏のちかひをききはじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして、阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし。              (『註釈版聖典』七三九頁)
(阿弥陀仏の本願を聞き始めてから、無明の酔いも次第に醒め、少しずつ三毒も好まないようになり、阿弥陀仏の薬を常に好むようになっておられるのです。『親鸞聖人御消息 恵信尼消息(現代語版)』九頁)

「三毒」とは、煩悩の代表で、貪欲・填恚・愚痴の三つをいいます。貪欲とは、自分に都合がよいことを「もっと、もっと」と求めてやまないむさぼりの心、継恚とは、自分に都合が悪いことを「嫌が、嫌だ」と遠ざけようとする、怒りの心です。
そして愚痴は無明ともいい、すべての物事は原因や条件の網の目のようなつながりのなかにあるのだという現実を受け止められない愚かさをいいます。
これに対して、阿弥陀如来の活動は、究極的には私たちをさとりへと導くはたらきです。さとりを得た方を仏といいます。仏は仏教の目標であり、究極の理想です。
そしてそれは、無明を根本とする、自分中心の心、すなわち煩悩を完全に滅しかありかたです。
阿弥陀如来の教えに出遇うまでは、自分中心の心で自他を傷つけ合っていることに気づかず、そのなかにどっぷりと浸かったまま、苦悩を深めていました。阿弥陀如来の教えに出遇っても、煩悩から解放されるわけではありません。けれども、阿弥陀如来のおこころを聞かせていただき、ほんのわずかでも、煩悩に振り回されるありさまを恥じ、それを離れようとする心が恵まれます。親鸞聖人は、こうした心
の転換をおっしゃっています。
さらに、別のお手紙で次のようにおっしゃっています。

  この世のわろきをもすて、あさましきことをもせざらんこそ、世をいとひ、念仏申すことにては候へ。(『親鸞聖人御消息』第三七通、『註釈版聖典』八〇一頁)
(この世の悪も捨て、嘆かわしい行いもしないようにしてこそ、この迷いの世界を厭い、念仏するということなのです。『親鸞聖人御消息(現代語版)』 一〇八頁)

信心を得た者は、三毒の煩悩に振り回される、自らの迷いのすがたを知らされ、その生活はお念仏申しつつ、煩悩に振り回されることを厭うものへと転換されていきます。それは、いわば「阿弥陀仏の薬」の効用です。このことは、個々の念仏者が社会を忌避し、自らの心の内に引き寵もることを意味しているのではありません。
私たち人間の作る社会に対する見方もまた、転じられていきます。
ご門主さまは、伝灯奉告法要のご親教で「念仏者の生き方」を示されました。そのなかで、武力紛争や地球温暖化等々の世界規模の課題を具体的に指摘されながら、阿弥陀如来のおこころを伝え、そのおこころにかなう行動に努めることが、一人ひとりの念仏者の課題であるとご教示くださっています。
「阿弥陀如来の生命」たる信心が私の心で躍動するとき、煩悩に振り回されるお恥ずかしい、私のものの見方が徐々に転換されます。さらには社会のありさまを考え行動する価値観も変えられていくのです。
(黒田 義道)

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2023年5月のことば 南無阿弥陀仏とは言葉となった仏なのです

「正信偈」の冒頭二句

今月のことぼは、安冨信哉師『真宗僧伽論-正信掲を通して』からいただいています。安冨師は一九四四(昭和十九)年に生まれられ、大谷大学教授や真宗大谷派教学研究所所長等の要職を歴任された、親鸞聖人の研究者です。二〇一七(平成二十九)年に往生されています。

本書は、二〇一四年から二〇一六年にかけて行われた、安冨師による「正信掲」の講義録です。「正信偈」は、浄土真宗の宗祖、親鸞聖人が作られた漢文の讃歌で、聖人の教えのエッセンスが詰まっています。その冒頭に、

  帰命無量寿如来 南無不可思議光          (『日常勤行聖典』六頁)

(無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる。『註釈版聖典』二〇三頁)

とあります。今月のことばは、この「正信偶」の冒頭二句を解説されるなかで示されたものです。
「帰命無量寿如来」も「南無不可思議光(如来)」も、ともに「南無阿弥陀仏」を中国語に翻訳した言葉です。「南無阿弥陀仏」とは、インドの古い言葉サンスクリット語の「ナマス「呂ヨ乳」十「アミターユス(ンヨぎ貨回)」もしくは「アミターバ(嶮且{回目}」の音だけを、漢字に写しか言葉です。このうち、「ナマス」は信じ順うことを意味し、中国語では「帰命」などと訳されました。「アミターユス」は「限りない寿命の仏」という意味で、中国語では「無量寿如来」、「アミターバ」は「限りない光の仏」という意味で、中国語では「不可思議光如来」や「無量光仏」等と、それぞれ訳されました。
「南無阿弥陀仏」も「帰命無量寿如来」も「南無不可思議光(如来)」も、阿弥陀如来を異なる表現で示したものということができます。そして、その如来のはたらきは、「いつでも(無量寿)」「どこでも(無量光)」、私たちを摂め取って決して捨てないものなのです。

お名号の実現と阿弥陀如来

さて、阿弥陀如来とは、南無阿弥陀仏という言葉になって私たちに至り届く仏さまです。阿弥陀如来が言葉となって私たちに至るすがたである南無阿弥陀仏を、お名号と呼んでいます。水と氷とが、すがたの違いであって同じものであるのと同様に、阿弥陀如来とお名号・南無阿弥陀仏もまた、二つに分けることができないものです。
このことは、阿弥陀如来が仏さまになられた経緯からうかがわれます。お釈迦さまが阿弥陀如来を讃えられた『仏説無量寿経』によると、阿弥陀如来は仏に成られ五剛は、法蔵菩薩という修行者でした。法蔵菩薩は、すべてのいのちある者を救いたい、という大きな願いを建て、それを実現するための計画を、天文学的な時間をかけて練られました豆劫思世。こうしてできた計画が四十八願と呼ばれる四十八の願いです。法蔵菩薩は、第十八願(本願)を中心とするこれらの願いのうち、ただの一つでも実現しないならば、決して仏に成らないと誓い、永遠ともいうべき長い期間の修行(兆載永劫の修行)の末に、阿弥陀如来という仏に成られました。
四十八願のうち第十七番目の願(第十七願)で、法蔵菩薩は、次のようにご自身の名号(「わが名/わたしの名」、南無阿弥陀仏のこと)の実現について、示しておられます。

  たとひわれ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく沓嵯して、わが名を称せずは、正覚を取らし。  (『仏説無量寿経』、『註釈版聖典』一八頁)
(わたしが仏になるとき、すべての世界の数限りない仏がたが、みなわたしの名をほめたたえないようなら、わたしは決してさとりを開きません。『浄土三部経(現代語
版)』二九頁)

すべての仏がたにはめたたえてもらえるような、すばらしいはたらきである南無阿弥陀仏を実現しよう、という願いです。そのすばらしさとは、すべてのいのちあるものを救うことができる、そのような力・はたらきがある、ということです。
そして、法蔵菩薩が阿弥陀仏と成られ、第十七願がその願いのとおりに実現していることを、お釈迦さまは次のようにたたえられました。

  十方恒沙の諸仏如来は、みなともに無量寿仏の威神功徳の不可思議なるを讃
歎したまふ。            (『仏説無量寿経』、『註釈版聖典』四一頁)
(すべての世界の数限りない仏がたは、みな同じく無量寿仏のはかり知ることのでき
ないすぐれた功徳をほめたたえておいでになる。『浄土三部経(現代語版)』七二頁)

お釈迦さまは、阿弥陀如来のお名号・南無阿弥陀仏を「無量寿仏の威神功徳の不可思議/無量寿仏のはかり知ることのできないすぐれた功徳」と言い換えておられます。無量寿仏とは阿弥陀如来のこと、「功徳」とは修行の成果です。
このことから、法蔵菩薩が願いを建て修行された結果、阿弥陀如来という仏に成られたことと南無阿弥陀仏の実現とが、不可分であることがうかがわれます。阿弥陀如来は、ご自身の功徳すべて、言い換えればご自身が丸ごと南無阿弥陀仏になることを願い、それを実現されたのだということができます。今月のことばはこのことを端的に示しています。
阿弥陀如来は、自分中心の心(煩悩)に振り回される私たちを救う、ただそれだけを実現するために仏と成られた方です。自らのすべてをもって、私たちを救うためにはたらいている仏です。阿弥陀如来が活動されるすがたが南無阿弥陀仏なのです。

   対面で会うことの意味

ところで、本書が読者の皆さまのもとに届く頃、新型コロナウイルス感染症の流
行はどのような状況になっているでしょうか。
感染の拡大を防ぐために、テレワークやオンライン授業が推奨されました。私か勤務する京都女子大学でもオンライン授業が導入され、その対応に文字どおり必死の努力を続けています。
いくらか慣れてくると、パソコンの画面越しのコミュニケーションにも、便利な一面を感じます。感染症の問題に加えて、移動の手間が省けます。京都にいながら東京での会議に出席できます。ある程度、相手の表情がわかることも、電話にはないメリットです。
けれども、対面のすべてをオンラインで代替できるか、と問われたならば、やはり限界も感じます。私たちは、互いに表情の微妙な変化を感じ合いながら話をします。画面越しでは、そのような微妙なニュアンスが十分には伝わりません。特に、少人数でディスカッションを行う授業などでは、対面授業なら不要と思われる確認を何度も行う必要を感じています。
また、お互いにもともとよく知っている者同士が、オンラインでのコミュニケーションに移行することは容易かもしれません。一方で、打ち解けた人間関係をオンラインでのコミュニケーションだけで新しく作っていくことは、簡単ではありません。新型コロナウイルス感染症拡大のなかにあっても、各国の首脳ができるだけ対面で会談をしようとする理由がわかった気がしました。
こうした動きのなかで、病院等でのオンライン診療が行われるようになりました素人の考えでは、日頃から処方してもらっているお薬を継続してもらう等の診察であれば、オンラインでもよさそうな気がします。
ある機会に、医師のA先生に話をうかがいました。A先生はオンライン診療に不安を感じておられました。ご自身もオンライン診療を経験された上で、画面越しでは、患者さんのいつもとの些細な違いに気がつくことが難しく、病状の変化を見落とすことにつながってしまうのではないかと心配されていました。もちろん、これはA先生の見解であって、医師の回でもさまざまな意見があることでしょう。
ともあれ、より深いコミュニケーションをとるためには、直接、対面することが最上の方法であると思われます。

阿弥陀如来の導き

阿弥陀如来は、自分中心の心に振り回される「煩悩病」を患う私たちに、南無阿弥陀仏を処方してお救いくださいます。この南無阿弥陀仏には、診察も検査もお薬も、手術もリ(ビリも、「煩悩病」を治すために必要なすべての力があります。 親鸞聖人は、阿弥陀如来の薬/お名号・南無阿弥陀仏を、三つの側面から説明されています。思い切って要約すれば、次のとおりです。

  二)阿弥陀如来から私たちへの喚び声
(二)阿弥陀如来が私たちを救う慈悲(やさしさ)そのもの
言)阿弥陀如来が私たちを救う智慧(かしこさ)そのもの

お名号は、阿弥陀如来から私たちに対する「煩悩病を必ず治す。いのちの行く末、私にまかせよ」という喚び声です。その切なる勧めが私たちの心に至り届いたとき、私たちは阿弥陀如来の慈悲の力で、やがて必ずお浄土に往き生まれて仏に成る(つまり煩悩病の治癒)身になります。そして、そのことをよろこび、念仏を申しつつその智慧に導かれて生きる身となるのです。
医師が患者を心配して、感染症のリスクを承知で対面での診療を望まれるように、阿弥陀如来も私たちを心配して、お名号となって私たち一人ひとりのもとに自ら出向き、ともにいてくださいます。そうしなければ、重い「煩悩病」である私たちを救うことができないからです。
私たちは阿弥陀如来の教えに出遇わなければ、自らが「煩悩病」であることにさえ気がっくことができません。私たちがそうした重い「煩悩病」の患者であるからこそ、阿弥陀如来はお名号・南無阿弥陀仏となって、私たち一人ひとりのもとに赴かざるを得ないのであり、私たちにピッタリと寄り添い続けるよりほか、救う手立てがないのです。
南無阿弥陀仏は、私たちの心に届いて信心となり、念仏となって口に現れてくださいます。それは、私たちの立場に立っていえば、阿弥陀如来によって明らかにされた私たちの「煩悩病」のすがたをありのままに知らされることであり、阿弥陀如来の確かな導きのなかで、お念仏申す生活が続くということです。
浄土真宗本願寺派における仏教婦人会活動や女子高等教育、社会事業の先駆者であり、歌人であった九條武子さま(一八八七-一九二八)に次の歌があります。

  おばいなるもののちからにひかれゆくわがあしあとのおぼつかなしや
(大谷嬉子編『九條武子全歌集 無憂樹(あそか)』八一頁)

武子さまは、大いなる阿弥陀如来に導かれ、ご自身の煩悩に振り回されるすがたを、「おぼつかない足取りである」と省みられました。こうした宗教的内省に立ち、その上でお念仏とともに積極的に社会に関わっていかれました。仏教婦人会の方がたとともに取り組まれた京都女子大学設立運動や、関東大震災の被災者支援等が特に知られています。念仏者の生き方を武子さまから学ぶことができるのではないでしょうか。
(黒田 義道)

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2023年4月のことば 仏法の鏡の前に立たないと 自分が自分になれない

考え方のリセット

今月は、二階堂行邦師のことばです。二階堂師は、一九三〇(昭和五)年、真宗大谷派専福寺(東京都)に生まれ、当寺の住職を務められました。二〇一三(平成二十万年にご往生されています。
今月のことぼは、曽我量深師の

  仏は人を鏡として仏となる。人は仏を鏡として人となる。

という言葉をもとにされています。曽我師の言葉のうち「仏は人を鏡として仏となる」とは、修行時代の阿弥陀如来が人間を完全に見抜き、その人間を救うために必要なものを完璧に準備して阿弥陀如来という仏に成られたのだ、という意味です。鏡が過不足なく忠実に私たちのすがたを映すように、阿弥陀如来も、ご自身が救いたいと願われた、私たちのありさまを忠実に見抜き、それを救う準備をされたといえます。
そうであるならば、阿弥陀如来が見抜かれた私たち自身のすがたを聞く、つまり仏法の鏡の前に立てば、私たちは私たちのすがたを忠実に知ることができる、といえます。曽我師は、これを「人は仏を鏡として人となる」と表現されました。今月のことばも、同じ趣旨であろうと思われます。
さて、今月のことばをごI読になって、まずどのように感じられたでしょうか。
一つひとつの単語は、いずれも難しい言葉ではありません。強いていえば、「仏法号こでは、阿弥陀如来という仏さまの教えを意味」」という語が仏教用語ですが、それ以外は、私たちの日常の言葉で示された内容です。ところが、全体として容易に意味がわかるかと問われたならば、なかなか難しく感じます。
浄土真宗の宗祖・親鸞聖人が尊敬されたお坊さんに、中国の曇鸞大師がおられます。曇鸞大師は、「非常の言は常人の耳に入らず」(『往生論註』、『註釈版聖典(七祖篇)』 一三五頁)という言葉を遺されました。ここでいう「常人」とは、「常識的な普通の人」という意味で、「非常の言」とは「世間の常識を超えた話」を意味します。
私たちは、驚くようなことを聞くと、「信じられない」と思います。言葉を補うと、これは「(自分の持つ経験や常識からはまったく考えることができなくて)信じられない」という意味ではないでしょうか。阿弥陀如来とその国土(世界)である浄土のはたらきは、私たちの経験や常識を超えたものです。私たちは、にわかに受けとめることができません。曇鸞大師は、そのことをおっしゃっているのです。
つまり、阿弥陀如来の教えに向き合おうとするとき、私たちは、これまでに積み上げてきた経験や常識を、一度脇に置いて考えなければならない、ということです。
自分の物事の考え方をリセットする、あるいはマインドセット(無意識の思考パターン)を変更する必要があるのです。

確かな鏡との出あい

さて、今月のことばに戻りましょう。
今、このことばを考えていく上でリセットしなければならない常識は、「自分のことは自分がわかっている」という考え方です。
今月のことぼけ、まず「仏法の鏡の前に立だないと」と、仏法を鏡に讐えています。鏡は私たち自身の外見を映し出すものです。そして鏡は、私たち自身の内にあるものではなく、外にあるという点が大切です。
私たちは、自分のことは誰よりも自分こそがよく知っていると考えがちではないでしょうか。けれども、よくよく考えてみると、必ずしもそうではありません。たとえば、私たちは自分の顔を直接に見たことがありません。鏡やカメラのように、自分の顔を映してくれるものを通して見ているに過ぎません。顔は個人を見分ける上で必要ですし、表情には感情が現れます。けれどもその顔を、自分で直接見ることはできないのです。
あるいは、私たちはさまざまな癖を持っています。自分の癖について、自分自身で気がつく場合と他者に指摘されて気づくことと、どちらが多いでしょうか。多くの癖は、家族や友人等に指摘されて気づくように思います。この場合、家族や友人がいわば鏡となって、自分の癖を映し出してくれているといえます。
そもそも、自分について自分で考えようとするとき、そこには検討対象となる自分と、それを検討する自分(自分A)とがいることになります。このとき、自分Aが確かなものでなければ、自分を適切に考えることはできません。つまり、自分Aの確かさを、チェックする必要があります。それが必要だとすると、今度は自分Aをチェックする自分Bがいることになります。では、その自分Bが確かなものといえるか、確認しなくてよいのでしょうか。そうすれば、自分Bをチェックする自分Cが必要になります。では、自分Cが確かなものと……。結局のところ、自分だけで自分を考えようとすることには、限界があります。
他者の助言によって、それまで自分では気がっくことができていなかった、自分の長所や短所に気づいた経験は、多くの方がお持ちであると思います。ここで確かめたいことは、自分をよく知るためには、外から自分を映し出してくれる、俯かな鏡との出あいが必要である、ということです。
阿弥陀如来の教えは、私たちの心を映し出す鏡です。お釈迦さま以来、二十五百年にわたり、時代・地域を超えて、人々の心を映し出し、その課題を私たちに示し続けてきた鏡です。まず、この鏡に正面から向き合うことの必要性が示されているといえます。

鏡に映った「自分」

続く「自分が自分になれない」の内容は、どのように考えればよいのでしょうか。
詩人である杉山平一氏に、「生」という詩があります。

ものをとりに部屋へ入って
何をとりにきたか忘れて
もどることがある
もどる途中でハ夕と
思い出すことがあるが
そのときはすばらしい

身体がさきにこの世へ出てきてしまったのである
その用事は何であったか
いつの日か思い当るときのある人は
幸福である
思い出せぬまゝ
僕はすごすごあの世へもどる    (『杉山平一全詩集 上』二三六-二三七頁)

何か忘れ物をして部屋仁戻ったけれど、何を取りに戻ったのか思い出せないまま、また部屋を出る、という経験はないでしょうか。部屋を出たときに、「そうそう、あれを取り仁戻ったんだった」と思い出せたときは、うれしいものです。残念ながら、結局思い出せないままになることのほうが多い気がしますが。
私たちは物心ついたときには、既にこの世に生まれさせてもらっていました。きっと何かを取りに、この世にやってきたのです。さて、その用事は何だったでしょうか。「思い出せぬまま 僕はすごすごあの世へもどる」ことになってはいないでしょうか。
私たちは毎日、明日のことを考える余裕もないほどに、必死の思いで今日を生きています。あるいは、忍び寄ってくる老・病・死をどこかで感じつつも、それを忘れようとするかのように、目先の楽しみばかりを必死に追ってしまいます。
忘れ物が何であったか思い出せたときにうれしいように、私たちもこの世に生まれてきた用事が一体何であったのか、思い当たるならば幸せです。しかし、思い出せないままに終えていくことになりがちではないか。それが「生」の残念な現実ではないか。この詩は私たちに問いかけているのです。
私たちは多かれ少なかれ、何かしらの不満を抱えながら生きています。何かに十分満足したといっても、その満足がずっと続くわけではありません。また別の何かを望まずにはいられません。言い換えれば、いつまでもいつまでも、「自分には、何かが足りない」「何かを忘れた」と一種の自己否定を繰り返しながら生きている、といえます。それを今月のことばでは、「自分が自分になれない」とおっしゃっています。
果たして私たちは、このような自分の姿に気づくことができていたでしょうか。
私たちは、自分で思っているほど自分のことをわかってはいません。そのことを映し出すものが「仏法の鏡」、つまり阿弥陀如来なのです。

「自分が自分になる」

「仏法の鏡」を通して明らかにされる私たちの姿は厳しいものです。目先の楽しさなど自分中心の心に振り回され、「足りない、足りない」と思い続けているというものだからです。しかし、これに気づかされたのは、まさしく阿弥陀如来が私たちの心を映し出す鏡となってくださったからです。仏法の鏡を通して、自分自身のすがたを知らされるということは、言い換えれば、阿弥陀如来のはたらきが自分の所に至っている、ということです。
なぜ、阿弥陀如来は私を見抜かなければならなかったのでしょうか。それは、私を救うためです。私を救うためには、私以上に私のことを理解していないと救うことができません。
このことは、先生と子どもとの関係を例に考えることができます。勉強につまづいている子どもは、しばしば自分かどこでつまづいているのかもわからない状態に陥っています。「どこがわからないの?」と尋ねてみても、「どこがわからないのかも、わからない」という状態です。そうしたときに先生に必要なことは、その子ども以上に子どもの状況を確認し、つまづきのポイントを解消していくことです。
先生が子どもを救うためには、その子ども以上に先生が子どもを深く理解していることが必要です。そして、このような先生に救われた経験を多く持つ子どもは、未だに「わからない」が残っていても、先生かいるだけで安心することができます。
今はまだわからなくても、決して捨てられることはない、いずれ必ずわかるようになると思うことができるからです。わからなくても、わからないままの自分を認めることができるのです。
同じように、自分中心の心に振り回されて「足りない、足りない」と思い続けるよりはかない私たちも、阿弥陀如来との出遇いによって、「足りない」と思う自分のありのままを知らされ、悩みを抱えたままに阿弥陀如来に抱きとめられている自分を、素直に認めていくことができるようになります。そして、「足りない、足りない」に悩まされることのない浄土の世界へと、確かに導かれています。
(黒田 義道)

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2023年3月のことば こころにじごくがあるよ ひにちまいにちほのをがもゑる

   自覚的世界としての地獄

数ある仏教書のなかで、「地獄」について最も詳しく説かれている本として『往生要集』を挙げる人は多いと思います。七高僧の第五祖で平安時代に活躍された源信和尚が書がれたこの本は、全十章から構成されており、たいへん難解なものでありますが、端的に言いますと、その内容は「厭離機上 欣求浄土」ということになります。速やかに迷いの世界(餓土)を厭い離れて、真実の世界である浄土に生まれることを願うことが勧められています。その第一章に迷いの世界の具体的なありさまが、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道輪廻の世界として描かれています。

特に地獄のありさまの記述が全体の六割ほどを占めていて、非常に詳しく描かれています。

言うまでもなく、地獄とは生前中に犯した罪により、死後に罪人が赴かねばならない地下の世界のことです。『往生要集』では、罪の軽い方から重い方の順に、①
等活、②黒繩、③衆合、①叫喚、⑤大叫喚、⑥焦熱、⑦大焦熱、⑧無間(阿鼻)、の八つの地獄世界が、詳しく説かれています。初めの等活地獄の記述には、地下一千由旬(四千里)の深さのところにあり、生き物を殺しか者が堕ちると説か
れています。最後の無間地獄にいたっては、さらに底深く、頭を逆さにして堕ちること二千年にして、ようやく到達する世界と示されています。源信和尚は、こうした世界を実在の世界とお考えだったのでしょうか。それについて、黒田覚忍先生は次のように受けとめておられます。

  われわれの日頃の生き方は、他人の罪やあやまちは見えるけれども、自分の罪やあやまちはなかなか気づきません。また気づいたとしても、自分の罪やあやまちはひた隠しにし、他人のあやまちは非難攻撃し、いいふらすことを憚りません。このようなことを互いに繰り返しているのがわれわれの日頃のすがたではないでしょうか。(中略)私たちのこのような罪深さを比喩的に表現されて  いるのでしょう。          (『はじめて学ぶ七高僧』 一一〇-一一一頁)

地獄の世界は、私たちの日頃の生きざまを心深く省みて、その奥底にひそむ自己中心の根性に気づく人が感じる自覚的世界と言うことができます。そうなってきますと、現代の私たちにも無関係ではなくなります。

妙好人才市さん

さて、三月のことぼけ、妙奸人と讃えられた市井の念仏者、浅原才市さんの言葉です。才市さんは一八五〇(嘉永三)年に現在の島根県桜江町で生まれ、十九才のときに母のトメさんが亡くなるのですが、その前年に、トメさんは才市さんに
「お寺参りして仏法を聴聞し、お念仏をよろこぶ人になっておくれ」と哀願されました。そこから才市さんの聞法生活が始まりました。三十才のときに博多に出稼ぎに行き、そこで真宗僧侶であった父・西教の勧めで出会った、当時学徳高く名僧といわれた博多・万行寺の七里恒順師から大いに勧化を受け、聞法に励まれました。
五十八才のときに家族の待つ島根県温泉津町に帰り、下駄職人をしながら安楽寺住職梅田謙敬師の教導を受けられました。そして、六十四才から一九三二(昭和七)年に八十三才でご往生されるまでの二十年間に、阿弥陀如来の救いを喜ぶ信心の詩を書き綴ったノートを残されたのです。

三月のことばは、楠恭編『妙奸人 才市の歌』に集録されているものです。

  さいちこころに、なにがある。
さいちこころに、じごくがあるよ。
ひにち、まいにち、ほのをがもゑる。
めにわめゑねど、
これが正をこを、

ありかたいな。
をやさまが、わしのこころい、
なむあみだぶと、とろけやい、
ごをんうれしや、なむあみだぶつ、
なむあみだぶつ。                        (二〇七頁)

才市さんは、自分の心のなかに地獄がある。その証拠に、毎日の生活のなかでその地獄の業火が燃えさかっている、と歌われています。こうした境地はどこから生まれてきたものでしょうか。ありかたくも、親さま(阿弥陀如来)が南無阿弥陀仏の名号となって自分の心に届いてくださり、離れることなく一つになってくださっていると続けておられます。そのことについて次のような歌も残されています。

あさましや
さいち こころの火の中に
大悲のおやは 寝ずのばん
もえる機を ひきとりなさる
おやのお慈悲で
(梯賽圓著『妙奸人のことば』 一四九頁)

機とは、阿弥陀如来の救いのめあて、対象になっている者という意味です。心の火のなかに、つまり地獄のなかに阿弥陀さまがいらっしやって寝ずの番をしてくださる。煩悩の火(炎)をお慈悲によって引き取ってくださるというのは、とても味わい深い表現だと思います。才市さんは、「御法義のかぜをひいた、念仏のせきが出る」とも歌われています。咳が出るのは風邪を引いた証しでありますが、念仏が自分の口から出るのは、それほどに阿弥陀如来の心、本願のはたらきが、心深く宿っている証しだということを表しています。その心によって自覚せしめられているところの自分の罪深さを地獄とおっしゃっているのです。これは、先はどの源信和尚の地獄観と重なるものでもあります。
寝ずの番をし、燃える心を引き取ってくださる阿弥陀如来の慈悲のはたらきは、私たちが願うべき世界、さとりの世界、仏智(智慧)を知らせてくれるものです。
しかしその一方で、そうした真実と相反する心と生き方しか持ち合わせていない、私たちの正体にも気づかせてくれるのです。それが凡夫の仏道といわれる浄土真宗の往生道なのだと言えます。
繰り返しのようになりますが、才市さんが言うように、地獄とは視覚で見る世界でも、また一般的に考えられているような死後に赴く世界なのでもなく、阿弥陀さまの救いのはたらきに出遇った者が、本当の自分のすがたに出遇ったときに、そうとしか表現できない世界のことを言うのです。

仏恩報謝の生活

自分の心の中に燃えさかる地獄の業火を自覚し、阿弥陀如来にしっかりと番をしてもらい、引き取り手になってもらった才市さんの生活は、ただその漸愧と歓喜の思いを内に秘めて終始したわけではありませんでした。
近年、妙奸人に関する学術研究書や解説書、そして法味を綴られた伝道書などを多く出版されている菊藤明道先生は、才市さんが仏恩報謝の生活を送ったことについて、次のように教えてくださっています。

  才市さんはご信心の詩を詠むだけでなく、日々の生活そのものがお念仏の生活でした。仕事もご信心のはたらきであり、「仏恩報謝の行」といっています。
明治三十七年(一九〇四)には、大日本仏教慈善会財団の会員になり毎年寄付をしています。各地の凶作飢饉や天災被害に何度もお見舞金を送っています。
(『妙奸人の詩』七七頁)

才市さんが利他的生き方を大事にされていたことがうかがわれます。あらゆるいのちをわけへだてなく慈しみ苦を取り除くという、仏の智慧そのものに生きることはできないという自覚をいただくことは、決して自分の正体に居直るものではありません。それは、いつも一緒にいてくださる阿弥陀如来の心に少しでも学び実践する生き方へと、変容させてもらうことを意味しています。親鸞聖人は、『御消息』第二通において次のようにおっしやっています。

  かつては阿弥陀仏の本願も知らず、その名号を称えることもありませんでしたが、釈尊と阿弥陀仏の巧みな手だてに導かれて、今は阿弥陀仏の本願を聞き始めるようになられたのです。以前は無明の酒に酔って、貪欲・填恚・愚痴の三毒ばかりを好んでおられましたが、阿弥陀仏の本願を聞き始めてから、無明の酔いも次第に醒め、少しずつ三毒も好まないようになり、阿弥陀仏の薬を常に好むようになっておられるのです。
(『親鸞聖人御消息 恵信尼消息(現代語版)』九頁)

このお言葉を受けて、専如ご門主はご親教「念仏者の生き方」において、

  仏法を依りどころとして生きていくことで、私たちは他者の喜びを自らの喜びとし、他者の苦しみを自らの苦しみとするなど、少しでも仏さまのお心にかなう生き方を目指し、精一杯努力させていただく人間になるのです。

とお示しくださっています。
地獄と表現される私たちの自己中心の欲張り心は根強いものですが、そのような凡夫が歩むことのできる大乗の菩薩道(利他を大切にする生き方)が浄土真宗のみ教えであることを、立教開宗八百年にあたって確認させていただきます。
(河智 義邦)

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親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞—生涯と名宝

開催概要

展覧会名
親鸞聖人生誕850年特別展 親鸞—生涯と名宝
会期
2023(令和5)年3月25日(土)~5月21日(日)
[主な展示替]
前期展示:2023年3月25日(土)~4月23日(日)
後期展示:2023年4月25日(火)~5月21日(日)
※会期中、一部の作品は上記以外にも展示替を行います。
会場
京都国立博物館 平成知新館
交通
JR、近鉄、京阪電車、阪急電車、市バス
交通アクセス
休館日
月曜日
開館時間
9:00~17:30(入館は17:00まで)
観覧料
一般 1,800円(1,600円)
大学生 1,200円(1,000円)
高校生 700円(500円)
  • ( )内は前売料金です(2023年1月25日~3月24日までの期間限定販売)。
  • 前売券については、展覧会公式サイトにてお知らせいたします。
  • 大学生・高校生の方は学生証をご提示ください。
  • 中学生以下は無料です。
  • 障害者手帳等(*)をご提示の方とその介護者1名は、観覧料が無料になります。
    *身体障害者手帳、療育手帳、精神障害者保健福祉手帳、戦傷病者手帳、被爆者健康手帳、特定疾患医療受給者証、特定医療費(指定難病)受給者証、小児慢性特定疾病医療受給者証
  • キャンパスメンバーズ(含教職員)は、学生証または教職員証をご提示いただくと、各種当日料金より500円引き(一般1,300円、大学生700円、高校生200円)となります。
記念講演会
3月25日(土) 「親鸞聖人の生涯」
講師:草野 顕之 氏(大谷大学 名誉教授)
※申込期間:1月25日(水)10:00~2月25日(土)23:59 先着順
4月1日(土) 「親鸞聖人伝絵の世界―覚如の絵巻制作」
講師:井並 林太郎(京都国立博物館 研究員)
※申込期間:1月25日(水)10:00~3月1日(水)23:59 先着順
4月8日(土) 「『文字』と『絵』から読み解く親鸞世界」
講師:安藤 章仁 氏(早稲田大学日本宗教文化研究所 招聘研究員)
※申込期間:1月25日(水)10:00~3月8日(水)23:59 先着順
4月15日(土) 「『坂東本・教行信証』と親鸞聖人」
講師:三木 彰円 氏(大谷大学 教授)
※申込期間:1月25日(水)10:00~3月15日(水)23:59 先着順
4月22日(土) 「親鸞聖人のご法物から立教開宗を聞思する」
講師:赤松 徹眞 氏(本願寺史料研究所長、龍谷大学 名誉教授)
※申込期間:2月24日(金)10:00~3月22日(水)23:59 先着順
5月6日(土) 「親鸞 生涯と名宝」
講師:上杉 智英(京都国立博物館 研究員)
※申込期間:2月24日(金)10:00~4月6日(木)23:59 先着順
5月13日(土) 「親鸞の手紙」
講師:羽田 聡(京都国立博物館 列品管理室長兼美術室長)
※申込期間:2月24日(金)10:00~4月13日(木)23:59 先着順
【時間】
13:30~15:00
【会場】
平成知新館 講堂
【定員】
各200名(予定)
※先着順。定員になり次第申込みを締め切ります。
※新型コロナウイルス感染症の状況によっては、定員を変更する場合があります。
【料金】
聴講無料(ただし、講演会当日の本展覧会観覧券が必要)
【申込方法】
申込
展覧会公式サイトよりお申し込みください。
参加証の送付
開催日の2週間前までにお送りします。
ご注意

  • 聴講の際は当日の観覧券が必要です。開始時間前までにご入館いただき、講堂入口にて参加証をご提示ください。
  • お預かりした個人情報は本展記念講演会の事務のみに使用します。
キャンパスメンバーズ講演会
京都国立博物館キャンパスメンバーズ会員校の学生及び教職員を対象に、本展示の見どころなどを解説する講演会を開催します。
【日時】 2023年4月14日(金)15:00~16:00(14:30開場)
参加方法など詳細は、
特別展「親鸞—生涯と名宝」キャンパスメンバーズ講演会
音声ガイド
【貸出料金】1台650円(税込)
【収録時間】約35分
【言語】  日本語・英語
【貸出受付時間】9:00~17:00
主催
京都国立博物館、朝日新聞社、NHK京都放送局、NHKエンタープライズ近畿
特別協力
真宗教団連合
協賛
DNP大日本印刷
展覧会公式サイト

 

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2023年2月のことば 世の中に最も度し難いものは 他人ではない この私

宗の繁昌

二月のことばは、浄土真宗本願寺派勧学の稲城選恵和上(一九一七-二○一四)の言葉です。和上は、現在の広島県呉市音戸町にお生まれになり、一九四五(昭和二十)年に龍谷大学文学部を卒業し、翌年に浄土真宗本願寺派光蓮寺(大阪府八尾市)に入寺されました。その後、龍谷大学研究科、宗学院をあいついで卒業し、中央仏教学院講師等を経て、一九八五(昭和六十)年に本願寺派勧学に就任されました。
和上の研究は、本願寺派内で大切に相続されてきた真宗教義に関するものをけじめ、その内容を宗教学や哲学、社会科学など学際的な考究を通して確認されるものも多くありました。それらは伝統性と先進性を併せ持つ先駆的なもので、多くの著書を残されました。また、そうした研究成果を現代の人にわかりやすく解説された本や法話集なども数多く出版されるなど、晩年まで精力的に広く浄土真宗のみ教えを伝えんとする自行化他の生涯を歩まれました。その教化やお人柄に出遇い感化を
受け、学恩を蒙った人は数多いらっしゃると思います。

二月のことば「世の中に最も度し難いものは他人ではない この私」は、ご著書『わかりやすい名言名句 蓮如上人のことば』のなかに出てくる一節です。和上の著書には蓮如上人に関するものが多いことで知られていますが、この本は、蓮如上人が『御文章』や『蓮如上人御一代記聞書』に残された数多くの言葉のなかから五十ほど選び出して解説を施されたものです。この言葉は、次の『聞書』百二十一条の解説のなかに出てまいります。

一宗の繁昌というのは、大が多く集まり、勢いが盛んなことではない。たとえ一人であっても、まことの信心を得ることが、一宗の繁昌なのである。だから、『報恩講私記』に、「念仏のみ教えの繁昌は、親鸞聖人のみ教えを受けた  人々の信心の力によって成就する」とお示しくださっているのである。

(『蓮如上人御一代記聞書(現代語版)』八二-八三頁)

和上が「この『聞書』の文は、浄土真宗の教団人の一人ひとりが銘記すべき言葉である」と警鐘を鳴らされていることを、重く受けとめたいと思います。 和上は続いて、いかに満堂にあふれるほどに参詣者があっても「名ばかりの門徒」では意味がなく、蓮如上人がおっしゃるように、お参りしている一人ひとりが信心を得る身となることが大切なのだ、と書かれています。和上もまたその危機感から、折に触れ、口を酸っぱくするほどに、この教え(信をとることが何より肝要)を強く説かれていました。
自戒を込めて申しますと、門徒という言葉には、広くは浄土真宗の教えをいただく人全般という意味もあるので、住職・僧侶も入れていいと思うのです。そうしますと「名ばかりの住職」(形ばかりの僧侶)という言い方もできるのです。
私か勤務している大学では学外の一般の人に向けた講座を開いていて、そのなかで真宗概論という科目を担当しています。年に数人ほどですが、全十五回の講義を受講されています。ほとんどがご門徒さんです。日頃は所属寺院のお世話をされていたり、法要にもよくお参りされている人が多いように見受けられます。ある年に、雑談をするなかで、そのうちのお一人から、冗談っぽく「住職さんは全員親鸞聖人と同じ信心を得ていらっしゃるのでしょうか?」という鋭い質問をいただきました。
慌てました。私も住職の一人だからです。私か「所属寺のご住職に聞いてみては?」と言うと、「直接は聞けないから、先生に聞いてみたんですよ」と言われたので、「それはそうですよね」と笑い合いましたが、正直に「それはわかりません」
と答えました。立教開宗八百年の区切りの年に、たまたま住職を務めるご縁をいただいている身として、和上が言われるように、今一度、この蓮如上人のお言葉を自分のこととして銘記したいと思います。

極難信の教え

さて、稲城和上は続いて次のように述べておられます。

お寺の宝物は、重要文化財のようなものではない。一人の信心を得た人が、生きたほんとうの宝物というべきである。この一人とは、私そのもののことといわねばならない。世の中に最も度し難いものは他人ではない、この私そのものである。         (『わかりやすい名言名句 蓮如上人のことば』 一八二頁)

ここに二月のことばが出てきます。親鸞聖人は、信心を得るとは、「仏願の生起本末」を聞いて「疑心がない」ことだと示されています。生起とは本願が起こされたきっかけのことで、阿弥陀如来が法蔵菩薩であられたときに、大慈犬悲にもよおされて、一切の衆生を平等に救おうという本願を建立されたことを言います。また本末とは、その本願と修行によって(本)、阿弥陀如来となり浄土が完成されたこと(末)を言います。つまり、阿弥陀如来の本願が実はこの私のためであったのだと、そのまま素直に受け入れることを信心を得たと言うのですが、これが簡単にはいかないのが凡夫・衆生の現実なのです。親鸞聖人もそのことをよくご存じであって、「正信掲」には、

  信楽受持甚以難 難中之難無過斯         (『日常勤行聖典』 一六頁)

(信じることは実に難しい。難の中の難であり、これ以上に難しいことはない。『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』 一四六頁)

と説かれています。
また現代においては、法蔵菩薩のお話は宗教の世界で語られる独特の説話であり、物語であって、現実の自分の人生とは無関係であるという受けとめをされる人が多いものと思います。和上がこの言葉を書かれた一九八七(昭和六十二)年でも、事情は同じではなかったかと感じます。いずれにしても、親鸞聖人の時代においても、現代にあっても、信心を得ることは難事だということです。
時代は違っても、その難事の原因は、「この私」が私のことを確かな存在だと思い、無常(すべては移り変わる∵無我(単独では生きられない)であることを顧みないこと、さらには貪欲(むさぼり)・填恚(いがり)・愚痴(真理を知ろうとしなどという三毒の煩悩に振り回されて生きていることに無自覚な点にあることは、共通しているように思います。言い換えますと、「自分はどのようないのちをいただき、なんのために生き死んでいかなければならないのか」、こうした自己に対する問いこそ、仏願の生起本末の物語が、わが事として聞こえてくる入口になるのだと思います。その問いは、仏教の説く道理を聞いていくなかで起きるのかも知れません。
あらゆるいのちは、縁起的存在である(確かな本体はなく、無量無数の因縁によって構成されていて、常に変化し、なくなっていく性質を有している)ことを聞いていくなかで、自己のいのちに対する問いがおのずと生まれることもあります。あるいは、親しい人との死別体験や、思いもよらない自身の健康問題などがきっかけになることもあります。あるいは、お付き合いでお寺に参り聴聞のご縁にあった人が、初めは馬耳東風であったけれども、聞き続けるなかで次第にそんな問いが掘り起こされる場合もあると思います。

往生は一人しのぎ

稲城和上はそうした点について、同書のなかで『聞書』第百七十一条を取り上げて、ご教示くださっています。まずその原文と現代語訳をあげます。始めのフレーズはたいへん有名で、声に出して読むときの語感も味わい深いと思っているので、あえて原文も紹介します。

  往生は一人のしのぎなり。一人一人仏法を信じて後生をたすかることなり。
よそごとのやうに思ふことは、かつはわが身をしらぬことなりと、円如仰せ候ひき。(『註釈版聖典』 コーハ四-コーハ五頁)
今往生は一人一人の身に成就することがらである。一人一人が仏法を信じてこのたび浄土に往生させていただくのである。このことを大ごとのように思うのは、同時  に一方で自分自身を知らないということである」と、円如さまは仰せになりました。
『蓮如上人御一代記聞書(現代語版)』 一〇九-一一〇頁)

円如上人は蓮如上人のお孫さまにあたるので、これは蓮如上人の教えと受けとめてよいと思います。和上は、ここには往生、後生の一大事の問題は他人事ではなく、私の問題であることが厳しく示されていて、そもそも(本当の)宗教というものは、まずは何よりも私そのものに問いを持つことから始まると言われます。そして、

この私そのものはただ一人しか存しない。『無量寿経』にある如く、「独り生れ独り死に、独り去り独り来る」というたた一人の自覚は、死を自覚することによって成立する。(中略)仏法が問題となることは、この私一人が問題となることである。      (『わかりやすい名言名句 蓮如上人のことば』二〇四頁)

と述べておられます。
立教開宗八百年にあたり、宗門(西本願寺)はノ目他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献することを目的として、さまざまな社会の課題に取り組んでいます。このことはとても大切なことと思いますが、それはまた、「往生は一人のしのぎなり」という教説の内実とともにあることも忘れないようにしたいものです。
(河智 義邦)

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2023年1月のことば この世のことは 何事も何事も お念仏の助縁

救いの助縁

一月は、元龍谷大学学長の信楽峻麿先生(一九二六-二○一四)の「この世のことは、何事も何事も、お念仏の助縁」という言葉です。先生は、現在の広島県東広島市の浄土真宗本願寺派教円寺にお生まれになり、龍谷大学文学部、文学研究科と進まれました。一九五八(昭和三十三)年四月に龍谷大学文学部に奉職し、さらに真宗学ひとすじに研究と教育の歩みを進めていかれ、多くの研究成果を残し、有為な人材を育成されました。先生は、真宗教学の現代化と国際化に取り組まれつつ、臓器移植問題など、社会の諸問題に対しても積極的に発言、行動され、そのなかで常々に浄土真宗は「めざめの宗教」であり、信心とは「智慧を得ること」であることを、教えてくださいました。
一九九五(平成七)年に定年退職されて後には仏教伝道協会理事長として、国内外における仏教伝道活動に尽力されました。すでに大学ご在職中から浄土真宗本願
寺派の海外開教区の別院や寺院を幾度も訪問し、開教使や門信徒の要請に応じて親鸞聖人のみ教えの本義を語られました。先生は、真宗の教義が世界に通用するためには、大乗仏教の原理に立ち返りながら語ることが大事であることを強調されていました。そのことは、そのまま今の日本において、私たちが浄土真宗のみ教えを学び、お念仏の生活を送る上にも必要な視点であると思います。

この一月のことぼは、ご著書『この道をゆく』に掲載されています。先生が座右の銘とされていた言葉で、縁のあった学生が卒業するにあたって、何か書いてほしいと頼まれたときに、好んで書き続けてこられた言葉であるとうかがったことがあります。ご著書には、この言葉の由来となった法然聖人の次の文章を引用されています。

  現世をすぐべき様は、念仏の申されん様にすぐべし。念仏のさまたげになりぬ
べくは、なになりともよろづをいとひすてべこれをとゞむべし。(中略)衣
食住の三は、念仏の助業也。 (『浄土真宗聖典全書』第六巻、六一一-六一二頁)

これは、法然聖人のお手紙や法語、伝記などが集録されている『和語燈録』(巻五)のなかの文章です。省略されている箇所も含めて、文意をいただいてみます。 法然聖人は、人生の目的はお念仏を申すことにあるから、お念仏を申しやすいように人生を送りなさい、ライフスタイルも一人ひとりにあった様式でよいともおっしゃっています。「衣食住の三は、念仏の助業也」というのは、衣食住は私たちの生活の基本です。その三つがお念仏を支えるための生業だと言われています。これは、お念仏を人生の第一義に、生活の中心にして生きることを薦められたものです。
念仏即生活、生活即念仏というお諭しです。法然聖人は、阿弥陀如来は煩悩具足の凡夫の浄土往生の行業として「称名念仏」 一行をお選びになったのであり、その他の諸行はお捨てになったことを明らかにされました。その称名念仏することが人生の第一義、生活の中心であるということには、どういう意味があるのでしょうか。

煩悩中心の自我教

少し視点を広くして、その意味をいただいてみたいと思います。世の中では、浄土真宗は宗教の一つだと考えられています。では、「宗教とは何か?」と問われると、その答えは一通りではありません。インターネットで検索すると、国語辞典などを出典にした定義が示されますが、そもそもキリスト教やイスラム教、その他、さまざまな名称の個別の教えをひとくくりにできる定義は存在しないのです。ただ一人の神を中心に成立している教えもあれば、多くの神を信仰することで成立している教えもあるし、そういった神の存在を前提にしない教えもあります。多種多様の様相です。昔から宗教学者が百人いたら百通りの定義があるとも言われるゆえんです。
先日ある宗教哲学の先生が、「宗教」という言葉を漢字のとおり、自分か「宗と
する教え」と解釈したらどうかというお話をされました。この場合の宗というのは、自分の考え方や行動を支配するもの、基準になるものという意味です。自覚的に信仰を持っている大は、その教えに黄づいて、たとえば食べるものや生活態度を決めています。こう言うと、現代の多くの日本人は、「私は無宗教者なので、そのようなものは持ち合わせていない」と答えるかも知れません。それに対して先生は、「自我教(自分教ともいう)」というものがありますよ、とおおせになりました。「自我教」つまり自我=自己中心の価値観がその人の考え方や行動を決めているということです。誰もが、それぞれの個性があるので、一見それは多様なように見えますが、仏教でいう煩悩をモノサシにしている点では共通していそうです。すべてを自分の都合の良し・悪し、損・得、快・不快、好き・嫌い、役に立つ・立たない等という価値基準で判断し、行動しています。自分にメリットをもたらすものはこれを際限なく求めようとし、気に大らないもの、デメリットをもたらすものは際限なく遠ざけ、排除しようとする、この煩悩が人生生活の基準になっているというのが自
我教、自分教の正体です。これでいくと、どうやら無宗教者という人は皆無に等しいようにうかがえます。

ところで、この自我教徒は他ならぬ私のことだと言えます。自信を持って言ってはいけませんが、否定はできません。正確に言うと、浄土真宗のみ教えに出遇う前の私の姿でありました。これもまた、言い直しが必要かと思います。お念仏のみ教えに生きるようになったからといって、自我教徒であることを免れたわけではありません。そのことを教えてくださったのが、信楽先生が大事にされた「生活念仏」です。先生は、真宗の仏道としての称名念仏とは、私か申すべき行為でありながら、それは決して私の行為に価値があるのではないことを強調されました。ただ南無阿弥陀仏と申す、その念仏の響きを通して、自身の心の奥底に聞こえてくるものに耳を傾け、それを味わうことが大切だとして、称名即聞名が親鸞聖人が明かされた念仏の肝要であると教えてくださいました。

念仏において、私自身が問われ、砕かれてゆくのです。すなわち、私から仏への方向において成り立つ称名念仏とは、またそのまま、仏から私への方向を持つところの聞名念仏、仏の呼び声を聞き、仏に念ぜられて生きる、ということ
へのめざめでなければなりません。仏を念ずるとは仏に念ぜられていることである。仏の名を呼ぶことは仏の呼び声を聞くことである。称名とは聞名である。
(『この道をいく』五〇-五一頁)

めざめ体験としての「信心」

教えを聞き始めた人にとって、自ら称える念仏が、ただちに阿弥陀如来の喚び声として聞こえてくるということはないでしょう。それは日頃のお聴聞、お仏壇へのお参り(勤行)、日々の称名念仏の相続によって、次第に阿弥陀如来の本願が、この私に向けて誓われたもので、いつの日か、その念仏が阿弥陀如来の私への喚び声と聞こえてくるのだと思います。まさに、仏さまの心が私に届き、仏に念ぜられていると感じるときがあるのです。そのような仏心に対する「めざめ」体験を「信心」といいます。その機縁やプロセスは人によってさまざまな違いがあるかも知れ
ませんが、信楽先生はその体験こそが真宗念仏の肝要だと示されました。

  煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします

(『歎異抄』、『註釈版聖典』八五三頁)

在俗生活とは、自我教に生きる日々とも言えるでしょう。それが偽らざる事実かと思います。しかし、聴聞を重ね念仏申していく人は、そんな生活のなかに、仏の智慧と慈悲を依りどころとする生き方を願うのです。それは、あらゆるいのちあるものが自他ともに平和で心豊かに生きることができることを願う生き方です。煩悩に基づく自我教はどこまでも自己中心的で、「まことあることなき」教えです。人によっては、そのままで生き続けていく人もいます。しかし、仏教に縁をいただき、なおかつ在俗の生活(自我教)のなかに、智慧と慈悲を活かした生き方、真実の生き方を願う人には、「念仏のみぞまこと」という基準がいただけるのです。日々にお念仏申す一声一声に阿弥陀如来の心を意識して、不真実なる方向へ進みがちな自分の考え方や行動を常に軌道修正してもらう、そういった在俗の仏道が浄土真宗と言えるでしょう。繰り返し繰り返し、日々の生活のなかで「めざめ」をいただく。
それゆえに、念仏することが人生の第一義であり、生活の中心となることを強調されたのです。宗とすべきは、本願の心、お念仏なのです。
最後に、先生の言葉では「助業」ではなく、「助縁」となっていることについて、自ら味わっていらっしゃる言葉を引用してみます。

  自分の人生生活の中で、どんなに悲しいことがあっても、どんなに腹が立つことに出あっても、それらはすべて、私に念仏を忘れないように、一声でも多くのお念仏を申すようにと、何かが働きかけているのだと、このように思いとって念仏せよ。そうすれば、どんな悲しみも苦しみも、きっと超えていくことができる。新しい道が開けてくる。          (『真宗の大意』七一頁)

誰しも人生の上に起こる順境は「おかけさま」とお念仏申すことができます。しかし、先生はそれだけではなく、逆境もまた、そこに仏法の真実、人生を味わっていくための大切な意味があるのだと言われています。これが親鸞聖人が浄土真宗を開いて、私たちに残してくださった、生活念仏のみ教えなのです。
(河智 義邦)

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2023年表紙のことば 親鴬聖人の出現は私一人のためであった

難信・難聞の教え

本年の法語カレンダー(表紙)は、横超慧日先生(一九〇六-一九九六)の言葉からはじまります。先生は、現在の愛知県二呂市にある真宗大谷派の願行寺に生まれ、東京帝国大学(現・東京大学)の印度哲学科に入学されて、高楠順次郎・木村泰賢・宇井伯寿といった、仏教学の研究で世界的な業績を残された諸教授から薫陶を受けられました。なかでも直接師事されたのが、同じ真宗大谷派寺院の出身者であった常磐大定教授でした。そのもとで中国仏教の研究に邁進され、とりわけ大乗仏教経典の『法華経』や『涅槃経』について、多くの著作を上梓されました。
一九四九(昭和二十四)年に大谷大学の教授になられてからは、中国仏教思想はもとより、親鸞聖人を中心に浄土仏教思想の研究や学生の教育、そしてお同行への教化伝道にも力を尽くしていかれました。
この表紙のことぼは、『慶喜奉讃に起つ』のなかの一節です。この本は、二〇二二(令和四)年に親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年の慶讃法要を記念して出版されたものですが、先生の言葉は、これより五十年ほど前の一九七三(昭和四十八)年の慶讃法要時に執筆された文章が、再録されたものです。その言葉は、半世紀という時間を越えて、今なお強い感化を与えてくださいます。前後の文章と併せて引用いたします。

浄土ということを現在の生と同じ地平に求めたり、来生ということをただ単に肉体的死滅後の生とのみ考えて、自己にとって何か望ましい生であるかを考えたことのない人、また自己の力の限界につき当たったことのない人、そうした人には正しくこの法門は難信であるといわれるゆえんである。そしてこれが難信であり、不可思議の法であるだけに、その法にめぐり会えた人のよろこびは大きく、これを明らかにせられた親鸞聖人の出現は私一人のためであったとい
う感激をよびおこすのであろう。              (七二丁七四頁)

聖人が誕生された八百五十年前と私たちが生きている現代とは別世界といっていいほどの隔たりがあることは、誰もが認めるところだと思います。「浄土に往生する」というお話をうかがっても、ご縁が深くそのままに聞ける人もいれば、「浄土」という言葉・世界について引っ掛かると言いますか、疑問を抱いて、そのような場所・世界を信じることはできないから、その教えをいただくことはできませんという人がいることは、この言葉が書かれた五十年前も同様であったと思います。それが「現在の生と同じ地平に求め」る人のことです。浄土という世界がいかに遠くとも、月や火星のように実際に存在するならば、その教えを受け入れるという立場の人がいます。実証的・合理的に理解できるならば信じましょうということだと思います。
また、阿弥陀如来の救い・浄土往生の教えは、単に死後の救いを説いているもの
で、今の自分の人生や生き方、あるいは幸福とは無関係な教えで、まだまだ先で聞くべきものなどと考えている人にとっても、「浄土」という世界、その教えは、難信だと指摘されています。難信という前に、右から左へ聞き流されてしまう、聞いてもらうことの難しい難聞の教えとも言えるかもしれません。

知的理解の重要性

浄土真宗のみ教えは、自力の修行ではさとりの境地に入ることのできない凡夫・衆生が、阿弥陀如来のご本願のいわれを疑いなく、すなおに聞き入れていくことによって、その浄土に往生せしめられ、直ちにさとりの身とさせていただくというものです。そこに、さかしらな凡夫の知恵や価値判断をさしはさむ必要はないとも聞かせていただきます。しかしながら、そのことは、決して本願について説かれた『仏説無量寿経』の教説や、阿弥陀如来、そして浄土という存在や場所について、学問的に学ぶことを否定されているわけではありません。

『歎異抄』第十二条には、次のようにあります。

   本願他力の真実の教えを説き明かされている聖教にはすべて、本願を信じて念仏すれば必ず仏になるということが示されています。浄土に往生するために、この他にどのような学問が必要だというのでしょうか。
本当に、このことがわからないで迷っている人は、どのようにしてでも学問をして、本願のおこころを知るべきです。経典や祖師がたの書かれたものを読んで学ぶにしても、その聖教の本意がわからないのでは、何とも気の毒なことです。                    (『歎異抄(現代語版)』二一頁)

阿弥陀如来の本願のお心(真意)や聖教の本意を知るために学問することは、意味のあることだと述べられています。そのことによって、ますます阿弥陀如来の深いお心を知り、浄土真宗の教えがいかに素晴らしい道を説いているかがわかるので
す。ただし、学問をすることで往生が決まるとか、学問によって名聞利養(名誉欲や財欲)を得ようとする考え方に対しては、過ちであると厳しく戒められていることは十分に注意しなければなりません。
法事の後の会食時に、あるご門徒さんから「浄土について理論的な説明をしてほしい」と依頼されたことが何度かあります。現代にあって、こうした人が数多くおられることは無理がらぬことだと思いますし、その心情を否定することなく、少しでも学問的な解説を通して、その真意・本意を、まずは知識としてでも知っていただくことも大切なことだと思います。

私一人のため

ところで、このご指摘に続くのが表紙のことばです。この「親鸞聖人の出現は私一人のためであった」という言葉をうかがって、ただちに思い起こされるのが、『歎異抄』後序の次の文です。

親鸞聖人がつねづね仰せになっていたことですが、「阿弥陀仏が五劫もの長い間思いをめぐらしてたてられた本願をよくよく考えてみると、それはただ、この親鸞一人をお救いくださるためであった。思えば、このわかしはそれほど
に重い罪を背負う身であったのに、救おうと思い立ってくださった阿弥陀仏の本願の、何ともったいないことであろうか」と、しみじみとお話しになっておられました。                      (『同』四八-四九頁)

阿弥陀如来の本願は、十方の衆生、生きとし生けるものを救うと喚びかけてくださっています。では、その喚びかけを聞き入れ、浄土に往生する道を歩まねばならないのは、一体誰のことでしょうか。親鸞聖人は、それはさとりにいたるための善行を何一つ修めきることができない私以外にない、と受けとめられたのです。聖人は比叡山で修行に励み、心を磨き、自らの煩悩を抑制して、あらゆる人々を分けへだてなく救いとることのできる、聖なる菩薩になろうとされていました。しかしながら、根強い煩悩の火を消すことができず、貪愛の心・脱憎の心を断つことができず、仏道者として絶望の淵に立だされたのです。そのときの聖人の心情は、存覚上人の『歎徳文』に次のように表現されています。

  定水を凝らすといへども識浪しきりに動き、心月を観ずといへども妄雲なほ覆ふ。                      (『註釈版聖典』 一〇七七頁)

厳しい瞑想行に励み、心を集中して静かな水面のような心境に入ろうとしても、私の意識は波のようにしきりに動き落ち着かず、きれいに輝く月のような心の本性を見ようとしても、煩悩の雲が心を覆ってしまう。年少時に比叡山に登られ、不思議にも「この身」として生まれたいのちの意義を、菩薩行に従事して生きること、つまり心を磨き智慧を得て利他行(慈悲行)に従事する生き方に見出されたものの、青春の、人生のすべてをかけたその道に、大きな挫折と絶望感を抱かれたのです。
その心情はいかぽかりであっただろうと想像します。そうした経験を経て、法然聖人に出遇われ、阿弥陀如来の本願のみ教えに帰人されていかれたのです。浄土に往生するという教えは、聖人と同じような比叡山での修行を必須条件とはされませんが、智慧と慈悲を理想として真実の生き方を求めつつ、この身に宿る識浪と妄雲を深く自覚することを通してのみ、深くうなずいていけるものだといえます。

先生は、そのことを「現に苦難の道にさまよっている私に代わって道をきりひらいてくださった」と述懐されています。まさしく、極悪最下の人のための極善最上の真実の教えが、親鸞聖人のご誕生によって、歴史のなかにその身をもって具体的に明らかになったのです。真実を求め、煩悩を抱えた身であることに苦悩する者に、真実に生きる道が開かれたことを意味する出来事でありました。聖人にとっては、阿弥陀如来の出現はまさに「親鸞一人がため」と表現するほどの有り難き出来事であり、またその聖人がご誕生にならなければ、今日の私たちが本願の真意に遇うことはできませんでした。あらためて、「親鸞聖人の出現は私一人のためであった」という言葉の感激が伝わってきます。先生もまた聖人同様に、仏道を歩む現実のまっただ中で、「この身」に苦悩されたのだと思います。
(河智 義邦)

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2022年法語カレンダー あとがき

あとがき

親鸞聖人御誕生八百年・立教開宗七百五十年のご法要を迎えた一九七三(昭和四十八)年に、真宗教団連合の伝道活動の一つとして「法語カレンダー」は誕生しました。門信徒の方々が浄土真宗のご法義を喜び、お念仏を申す日々を送って
いただく縁となるようにという願いのもとに、ご住職方をはじめ各寺院のみなさまに頒布普及にご尽力をいただいたおかげで、現在では国内で発行されるカレンダーの代表的な位置を占めるようになりました。その結果、門信徒の方々の生活
の糧となる「こころのカレンダー」として、ご愛用いただいております。
それとともに、法語カレンダーの法語のこころを詳しく知りたい、法語について深く味わう手引き書がほしいという、ご要望をたくさんお寄せいただきました。
本願寺出版社ではそのご要望にお応えして、一九八〇(昭和五十五)年版から、このカレンダーの法語法話集『月々のことば』を刊行し、年々ご好評をいただいております。今回で第四十三集をかぞえることになりました。
二〇二二(令和四)年の「法語カレンダー」では、「宗祖親鸞聖人に遇う」というテーマを設け、これまでお念仏を称え人生を生きぬかれた、先師の言葉を選定いたしました。本書では、これらのご文についての法話や解説を四人の方に分
担執筆していただきました。繰り返し読んでいただき、み教えを味わっていただく法味愛楽の書としてお届けいたします。
本書をご縁として、カレンダーの法語を味わい、ご家族や周りの方々にお念仏のよろこびを伝える機縁としていただければ幸いです。また、各種研修会などのテキストとしても幅広くご活用ください。

二〇ニー (令和三)年八月
本願寺出版社

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