2023年12月のことば 一人一人がお浄土を飾っていく一輪一輪の花になる

花のいのち

十二月のことばは、梯實圓師(ー九二七ー二〇一四)の「一人一人が海士を飾っていく一輪一輪の花になる」というお言葉です。梯實圓師は、本願寺派勧学・行教校校長をはじめ、浄土真宗教学研究所長を歴任され、深い洞察と学識をもって種々の著書を世に出してくださいました。

著書である『花と詩と念仏」のなかで、曇鸞大が著してくださった「往生論註」の、

同一に念仏して別の道なきがゆゑに。遠く運ずるに、それ四海のうちみな兄弟とするなり。眷属無量なり。いづくんぞ思議すべきや

(「教行証類』「証巻」引文、「註釈版聖典」三一〇頁)

というお言葉を引かれた後に、

私どもは阿弥陀如来さまを共通のみ親と仰ぐ兄弟であり、姉妹であって、お互いにみ仏の眷属(仏・菩薩につき従う者)の一人として、如来さまの浄土難厳の聖なるみわざに参加しているものであるといわれているのです。ですから私どもも一人一人が浄土を飾っていく一輪一輪の花になるのだと味わわせていただきましょう。

(四〇頁)

とお示しをくださいました。

一人ひとりが浄土を飾っていく一輪一輪の花になるといわれるのですが、花を綺職だと思うことはありますが、なかなか花の「いのち」にまで目を向けるということは難しいことだと思います。ついつい「この花はいくらくらいするのだろうか」と花を経済的価値で測ってみたり、同じ花であっても「こちらの花のほうが花びらが大きくて綺麗だ」などと、そのすがたや形によって優劣をつけてしまいます。

赤松麟作という日本画家がこのようなことをいわれたといいます。

私ども絵描きというものは、青い木を描くのに墨で描けるんですよ。素人さんに青い木を描けというと、みんなすぐ緑青をぬって、それで青い木が描けたと思っていらっしゃる。しかし、それじゃあ青い色は見ているけれども、本当の青さというものは見ておらんのです。我々、絵描きというものは、その青い色の奥にもう一つ、青さというというものを見ているんです。したがって墨絵で青さが表現できる。そうならないと絵描きとはいえません。

(野口宗英著「生と死をささえる」一九三ー一九四真)

表面的なすがたを見ているのではなく、その木の奥にある生き生きと躍動する「いのち」そのものを見ておられるのだ、と感心させられたことを思い出します。

たしかに水墨画を見ますと、そこには、あたかも雪が降り積もっている景色があるかのように感じられるのが不思議です。

「仏説阿弥陀経』の一節に、

青色青光 黄色黄光赤色赤光白色白光微妙香潔

(『日常勤行聖典」一〇八ー一•九)

(青色には青光、黄色には黄光、赤色には赤光、白色には白光ありて、微妙香潔

なり。『註釈版聖典』一二二頁)

とあります。「青き色には青い光、黄なる色には黄なる光赤き色には赤き光、白き色には白き光」ということです。お浄土には色とりどりの蓮華が咲き乱れ、清らかな香りを漂わせています。おのおのが独自の光に輝いて、青い花が赤く光らなければならないのでも、黄色い花が白くならなければ輝かないというわけでもありません。みんなが同じ色にならなくてはならないのではなく、それぞれが自分の個性のままに、しかもまわりと見事に調和して、何者にも評価されることなく、排除されることなく、絶対の尊厳を持ちながらそこにあり続けることができる。それがお浄土の蓮華のすがたであるといわれるのです。

この経説は、お浄土の蓮華の話をしているわけではありません。この蓮華のすがたを通して、私たちの真実のありようを知らせようとしてくださっているのです。

そもそも私とはいったい何色なのでしょうか。世間では「私らしく」や「自分のカラー」などといわれますが、私自身いったい何色に輝けばよいのかと戸惑うことさえあります。「自由という名の不自由」という言葉も聞いたことがあります。自分色をもって自己を確立していくということも、考えようによっては生き辛さにつながっていくのかもしれません。

私たちは、育った環境も、受けてきた教育も、なにより生きてきた経験も異なった、かけがえのない歴史をもって今を生きているのです。そのすべてが受け入れられていく世界、それがお浄土であると私はいただいております。

分陀利華

親鸞聖人は「正信偈」のなかで、

一切善悪凡夫人聞信如来弘誓願

仏言広大勝解者是人 名分陀利華

(「日常勤行聖典』一五頁)

(小城悪の夫人・如来の弘誓願を信すれば、4、広大解のひととのたまへふんだりけり。この人を分陀利華と名づく。『註釈版聖典」二〇四頁)

と詠われています。

蓮華は、仏さまを象徴する花といわれます。なぜなら、蓮華は山菜のように清流には咲きません。また、乾燥した大地にも咲きません。汚い泥沼に花を咲かせるのです。その泥沼のなかに根を下ろし、泥を養分として美しく咲くのです。しかも、泥沼にありながら泥に染まらず、清らかな気高さをもって、その泥沼を花園へと変えるのです。そこから仏教では、仏さまの智慧と慈悲のお徳を讃えて、分陀利華と表わします。泥沼とは、私たちが身を置く世界そのものです。この世界は私利私欲に満ち溢れ、それぞれが自分の都合を押し付け合って、時に他を傷つけ、自ら傷つき、ともに傷つけ合ってしまう世界です。仏さまは、その醜い煩悩にまみれた私たちを導き育て、蓮華のような美しい人に転換させようとしてくださるのです。このように、もともとは仏さまのお徳を醬えて表わされていたものを、「正信偈」では私たちのような泥にまみれた凡夫の念仏者をほめたたえる言葉として用いられたのです。

それは、阿弥陀さまの「必ず救う」「我にまかせよ」と喚んでくださる本願のお心を受け入れたならば、いのち尽きるまで煩悩を抱えてしか生きられない存在でありながら、仏になる尊い徳を宿しているといわれるのです。そして、阿弥陀さまのお徳を仰ぎ尊ぶ者は、ものの考え方が根本から変革され、価値観が少しずつ変わっていくのです。

親鸞聖人は『入 出二門領』のなかで、

煩悩を具足せる凡夫人、仏願力によりて倍を獲得す。

この人はすなはち凡数の摂にあらず、これは人中の分陀利華なり。

(『註釈版聖典』五五〇頁)

と詠われています。順悩を具足している凡夫人も、阿弥陀さまの本願力によってを得れば、もはや凡夫であって、凡夫の数には入らない。だからこのような人を人間のなかの白蓮華と讃えられたのです。

僧を得た者は、今まで自分の都合だけでものを考え行動していたことを、あさましく恥ずかしいことであったと、わがすがたを顧みるようになります。これは、すでに阿弥陀さまのすべてのものを救おうという願いが至り届いているからです。

相も変わらず煩悩は沸き起こってきますが、煩悩を肯定しながら生きる生き方が、「恥ずべきことであった」と慎みをもって生きていくような生き方へと転換されます。煩悩をなくせるかどうかの問題ではなく、そのことを肯定するか、否定するかが大切なのです。

『教行証文類』に、中国の唐代の高僧、法照禅師が書かれた『五会法事讃」が引かれていますが、そのなかに、

この界に一人、仏の名を念ずれば、西方にすなはち一つの蓮ありて生ず。

(『註釈版聖典」一七ニー一七三頁)

とあります。今この世界で、一人の信者が仏の名(南無阿弥陀仏)を称えるならば、西方(極楽浄土)に一輪の蓮華の花が生じるというのです。法照禅師は、自ら称えるお念仏のなかに、阿弥陀仏の喚びかけを聞く感動を言い表されたのです。このお言葉を拝読するたびに、一人の念仏に生きたお方が思い出されます。

熊谷次郎直実というお方がいました。この方は法然聖人のお弟子で、もとは『平家物語』にも登場する、武蔵国、熊会期の武士です。特に平。乾盛との出会いは有名な話で、「敦盛最期」と題して伝えられています。「平家物語』ではこの段の最後に、

それよりしてこそ熊谷が発心の思ひはす~みけれ。

(「平家物語1』三八頁、岩波文庫)

とあって、敦盛との出会いの後、法然聖人のお弟子になられたようです。そして法名を蓮生と名のりました。

法然聖人のおられる京都と関東を往来する際、多くの逸話を残した方ですが、そのなかに「十念質入れ」というエピソードがあります。

あるとき、蓮生は急いで京都を出発してしまい、途中の路銀にも苦労したようです。また久しぶりの帰郷でもあり、一族に土産の一つも買って帰りたいと思い、藤沢の駅で宿の主に銭一貫文の借用を願いでたのでした。ところが宿の主は不審に思い、やんわりと断ったのでした。

「それでは質物を入れようと思うが、なにぶん持ち合わせがないので十念の念仏を質に入れよう」

「いえ、念仏など千遍いただいても、一銭もお貸しすることはできません」

「いや、わが称える念仏は一遍で一蓮生じ、十遍で十蓮を生じるが」本気にしない主に対して、蓮生は合掌して力強く念仏を称えると、不思議にも庭先に忽然と蓮華が生じたのでした。それに驚いた主は、「これは弘法大師の再来、銭はいかほどでもお使いください。もちろん返していただく必要はありません」

と申しました。そこで蓮生は最初の願いどおり一貫文を借りて、熊谷に向かいまし

た。

その後、蓮生は京都に戻る際に、一貫文を返しにやって来たのでした。

「借りたものをお返し申しあげたによって、預けた質物を返却願いたい」と言いますと、主は、

「ご勘弁願いたい。蓮華を切るのには忍びませぬ」

「いや、さにあらず。預けたのは十念の念仏、そなたが念仏を十遍称えてお返し願いたい」

すると主が喜んで「南無阿弥陀仏」と十遍称えると、蓮華は一茎も残らず消えていったのです。驚いた主が、

「どうかもう一称なりと念仏したまいて、わが家に蓮華をとどめられたい」とたのみ込むと、蓮生は、この世はかりの宿り、きのふ開きし花もけふは消失。穢土の現世に蓮華生ぜんよりは、永々未来極楽浄土の蓮華こそねがふべきことなり。ただ心こらして

称名念仏する人は、必ず海士の蓮華生ふること疑ひなし。

(『直実入道蓮生一代事跡」)

とご教化された、と伝えられています。

この世に咲いた花は必ず滅んでいかなければならない。求むべきは滅ぶことのない真実なる浄土なのだと。浄土に生まれ往くいのちを今生きているのであって、決して滅びゆくいのちを生きているのではないことを教えてくださっているように思います。梯實圓先生が生前、「私もいのち終わる時、お浄土で仏さまにならしていただくんやから、気の毒な者にはなりません」と言われていたことが思い出されま

す。

(宮部 雅文)

あとがき

親鸞聖人御誕生八百年・立教開宗七百五十年のご法要を迎えた一九七三 (昭和四十八)年に、真宗教団連合の伝道活動の一つとして「法語カレンダー」は誕生しました。門信徒の方々が浄土真宗のご法義を喜び、お念仏を申す日々を送っていただく縁となるようにという願いのもとに、ご住職方をはじめ各寺院のみなさまに頒布普及にご尽力をいただいたおかげで、現在では国内で発行されるカレンダーの代表的な位置を占めるようになりました。その結果、門信徒の方々の生活の糧となる「こころのカレンダー」として、ご愛用いただいております。

それとともに、法語カレンダーの法語のこころを詳しく知りたい、法語について深く味わう手引き書がほしいという、ご要望をたくさんお寄せいただきました。

本願寺出版社ではそのご要望にお応えして、一九八〇(昭和五十五)年版から、このカレンダーの法語法話集「月々のことば」を刊行し、年々ご好評をいただいております。今回で第四十四集をかぞえることになりました。

二〇二三(令和五)年の「法語カレンダー」では、「宗祖親鸞聖人に遇う」というテーマを設け、これまでお念仏を称え人生を生きぬかれた、先師の言葉を選定いたしました。本書では、これらのご文についての法話や解説を四人の方に分担執筆していただきました。繰り返し読んでいただき、み教えを味わっていただく法味愛楽の書としてお届けいたします。

本書をご縁として、カレンダーの法書を味わい、ご家族や周りの方々にお念仏の喜びを伝える機縁としていただければ幸いです。また、各種研修会などのテキストとしても幅広くご活用ください。

二〇二二 (令和四)年八月

本願寺出版社

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2023年11月のことば 生の依りどころを与え死の帰するところを与えていくのが 南無阿弥陀仏

宗教に遇い自らを知る

宗教のことを RELIGIONと英訳しますが、本来違うものではないかともいわれています。語源をみてみますと、強く (RE)結ぶ (LIGI)こと (IO)、 つまり、「自らを信仰に縛ること、神への信仰」という意味があるそうです。神さ

まと名づける存在と人間と名づける存在とがあって、この二つの存在を結びつける、むね。

それが信仰というものであるというのです 一方、宗教とは宗とする教えでありま す。「教え」とは、正しい道理を説いて、人々をさとし導いていくものです。また、「宗」とは「心」であり「中心」ということですから、教えを人間生活の中心としていくことといえます。

もし、阿弥陀仏という仏が向こうにいて、こちらに人間がいる。その阿弥陀仏と 人間を結びつけるものが念仏なら、それは人間の要求でしかないのかもしれません 。

現代では、多くの人が、自分の苦脳や、この世をどう生きるか、

幸せになるにはどのような宗教が自分にふさわしいのか。その解決法を情報収集するような態度で

宗教に触れています。しかしそれは情報の消費であって、

へたをすれば次から次へ と情報を取り込んだことで、かえって迷いを深めてしまうことにもなりかねません 。

どのような教えであっても、それを利用し、何かに至るための道筋のように考え るのではなく、その教えそのものが私たちの行きつくところ(目的)なのです。宗 教 に遇うということは、自分が何者であるかが知らされるということです。そして自分の考えを中心に生きてきた生き方が、教えを中心にして生きていく生き方へと転 換されるのです。それこそが救いなのです。その教えのように生き抜くということ ができて、初めて人は宗教のなかに生きているということがいえるのだと思います。

浄土真宗は阿弥陀仏の本願を宗とする教えです。本願とは、私たちにかけられた 阿弥陀仏の願いです。すべての悲しみ、苦しみを超えた平等なる世界 (極楽浄土) に生まれしめたいという願いを受け入れてお念仏させていただく、これよりほかに はありません。浄土真宗では、教えを利用し役立てようとする心から離れられない私たちに、生の依りどころを与え、死の帰するところを与えてくださるのが、南無

阿弥陀仏のお念仏であると、金子師はいわれたのでした。

念仏とは自己の発見

金子大榮師は、 一八八 (明治十 四)年に新潟県 に生まれられ、真宗大谷派での教学の近代化に尽力された仏教学者で、 一九七六(昭和五十一)年にご往生されました。師は 『歎異抄』 の解説書のなかで、

念仏の心において、まず明らかになることは自分というものです。念仏とは自 己を発見することであるわたくしはそういいたいのであります。 (中略) 自分を見出したということにおいて、その見出さしめた光として、そこに仏というものが感知されるのです 。 (「歎異抄 」 四六頁 、 徳間書店 )

ともいわれています。阿弥陀さまによって見出されたすがたは「凡夫」というすがたでした。

『教行証文類』(「顕浄土真実教行証類』)「行巻」に「凡夫道は究して星戦に至ることあたはず」(「註釈版聖典」一四七)

とあるように、凡夫であるとは仏に成れない身ということであり、それは仏道を歩もうとする者にとっては大いなる悲しみなのです。

小説家の幸田露伴氏が、

一切の人は皆愚人なり、皆凡人なり。若し人ありて我は愚人にあらずといはご其の人は既に真の愚人にして、又人ありて我は凡人にあらずといはご其の人は既に真の凡人たればなり。

(「牛庵夜譚」、『明治大正文学全集」第六巻、六五九頁)

といわれています。仏法に遇わせていただいて初めて「我は凡夫なり」と顧みることができるのです。

善導大師は、そのことを

「経教はこれを喩ふるに鏡のごとし」(「観経疏』「註釈版聖典(七祖備)」三八七頁)

と鏡に替えてくださっています。昔の鏡は今の鏡とは違って、銅鏡ですからつねに磨いていないと鏡が出て、顔がうまく映らなくなります。そこで絶えず磨き続けることが大事です。鏡をよく磨けばすがたが明らかに映るように、幾度も仏法を聞かせていただきますと、自分は真実について何も知らない愚か者であるということと、その愚かな者を捜め取り決して捨てないという阿弥陀さまの大いなるお慈悲がかけられたわが身であることが、知らされます。

大悲無倦常照我が親鸞聖人の「正偈」には、

「大悲無常照我」(大悲、倦きことなくしてつねにわれを照らしたまふといへり。「註釈版聖典」二〇七頁)

とあります。阿弥陀さまの大悲は、「無」(ものうきことなく)照らしてくださいます。

この「無総」とは、衆生(私)が阿弥陀さまの思いのままにならない状況であっても、嘆いたり、あきらめてしまうことがないという意味です。また「照」とは育てるという意味と、今まで気づかなかったことを気づかせるという意味があります。私が阿弥陀さまの願いに背くような状況であっても、阿弥陀さまは嘆いたり、あきらめたりすることなく、私を一方的にさとりの身になるまで育て続けられていらっしゃいます。このように、「無倦常照我」とは慶びとともに私のありようが知らされ続けられることでもあるのです。

私は今から十八年前に、夫婦二人で入寺をさせていただきました。当時、右も左もわからない私にご住職は優しく、丁寧にご指導くださいました。

毎朝、ご住職から「今日はAさんのお宅にうかがって、お勤めはお正偈さま。

それから何月何日にお寺の法要があるから、お参りに来ていただけるようご案内をして、帰って来てください」と言われておりました。私は言われたとおり、日々お務めをさせていただいておりました。またご住職自身も、ご門徒さまとお会いする際は、「今度の法要には必ずお参りください」とお誘いをされておりました。

しかし三年が経過しても、ご住職は私に毎朝、同じことを言われるのです。私は、「さすがに毎日同じことを言われなくてもわかっているのに・・・・・」と思いながら、少し聞きにくく感じておりました。特に、「お寺の法要にお誘いをしてください」という言葉が、徐々に聞きにくくなっていました。なぜなら私には、「僧侶として自分が聞かせていただいた仏法を、ご門徒の皆さまにも聞いていただきたい」「仏法に遇えた慶びをご門徒さまとともに分かち合いたい」という思いが、心の中に沸き起こっていたからです。

ですから、「そんなことは住職に言われなくても、自らの思いでご門徒さまにはお誘いいたします•••••・」と言えたかというと、そのようなことは口にはできず、心の中で何度も呟いていました。

それから数年が経ち、私は住職を継職させていただきました。いつものように法要のご案内をしておりますと、あることに気づかされました。それは毎回お参りをしてくださる方には、何度でもこの言葉を言えるのです。しかし、いくらお誘いをしても、まったくお参りになられない方やお誘いすることを拒絶するような方に対して、「今度の法要にお参りしてください」という言葉が言えなくなっている自分に気づいたのです。お誘いに応じてお参りに来てくださる方には言い続けることができますが、そうでない方には、「この人はいくらお誘いをしてもお越しになられない」「お誘いしても意味がない」と、なかば諦めた気持ちになり、魁を投げてしまっている私がいたのです。

一方、前住職は、「あなたがお参りになろうが、なるまいが、そのようなことは関係ない。むしろ、お参りされないのなら、お参りになるまで私はあなたをお誘いし続けます。それが住職として果たすべきことであります」と、どのような方にも同じことを言い続けておられたのだと思うと、改めてお誘いし続けることの難しさと尊さを感じるのでありました。

阿弥陀さまは、私が願いに気づいているか、そうでないか。いや、仏法に背を向け、煩悩を抱えてしか生きられない私を、決してあきらめることなく照らし育て続けてくださっているのです。

念仏者の生き方

ときに、私たちは「凡夫」という言葉に座り込んで漫然と過ごしがちです。しかし、浄土真宗に「凡夫だから仕方ない」といった言葉は存在しません。同じ善導大師に、

学仏大悲心

(仏の大悲心を学して「帰三宝偈」『註釈版聖典(七祖)」二九八頁)

 

という言葉があります。仏の大悲心を学ぶと読みますが、また「仏の大悲心に学ぶ」と聞かせていただいたことがあります。「広辞苑』では、「まなぶ」と「まねぶ」とは同義語とあります。したがって、学ぶということは真似ることでもあるのです。また、ご門主はご親教「念仏者の生き方」のなかで、仏さまの真似事といわれようとも、ありのままの真実に教え導かれて、そのように志して生きる人間に育てられるのです。と表してくださいました。

「凡夫」とは、自己中心的なものの考え方によって他を傷つけ、自分自身をも傷つけているすがたを表します。ですから「凡夫だから仕方がない」という言葉は、相手に対しても、自分に対しても、たいへん申し訳ない言葉なのです。本当の意味で、お念仏にも自分自身にも出遇っていないのではないでしょうか。

今、自他ともに傷つけていくようなわが身の愚かさに気づかせていただき、その愚かなものを見捨てず、一方的に育て、救おうとしてくださる阿弥陀さまのお慈悲さに心開かれたならば、少しでも身を慎み、言葉を慎んで、自己中心的なあり方を改めていこうとする、新たな方向性が恵まれるのです。

(宮部雅文)

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2023年10月のことば 念仏というのは私に現れた仏の行い

言葉となった仏さま

十月のおことばは、坂東性純師が「新講歎異抄」のなかで著してくださったお言葉です。坂東先生は、一九三二一(昭和七)年に東京都に生まれられ、真宗大谷派坂東報恩寺の住職を務めるかたわら、大谷大学や上野学園大学で仏教学者として活躍されました。そして、二〇〇四(平成十六)年にご往生されました。

念仏というのは私に現れた仏の行い

(二三八頁)

ここでは、他力念仏のお心を、簡潔かつ明快に表現してくださっています。

念仏は私のはたらきではなくて、阿弥陀さまの具体的な現れであります。「念仏する」という行いは、私の行いであるままが阿弥陀さまの行いであるという意味を持ちます。

親鸞聖人は、「教行証』「行巻」に「しかるにこの行は大悲の願(第十七願)り出でたり」(「註釈版聖典」一四一頁)といわれ、また「これ凡聖自力の行にあらず」(「同』一八六頁)と、称名はこの私の口から出てはいますが、私の「はからい」の心から出たものではなく、阿弥陀さまの「大いなるお慈悲の願い」から出た清浄真実な行いであることを表してくださいました。

「はからい」とは論功行賞の考えのことです。これは、功績の有無や大小に応じてふさわしい賞を与えることです。「これだけの功徳を積んだのだから、阿弥陀さまは救ってくれるだろう」と期待したり、また「このようなことでは救われるはずもない」と不安になったりと、人間の知識でもって阿弥陀さまのお救いをはかり知ろうとすることなのです。

南無阿弥陀仏のお念仏は、阿弥陀さまが一切の自力の行を選び捨てて、念仏一行を選びとり、善悪・賢のへだてなく万人を平等に救い取ろうと願われた、選択森風の行なのです。そしてその会仏は、阿弥陀さまが南無岡弥陀仏という声・言葉となって、私たちの煩悩生活のなかに入り満ちて、煩悩という自分の殻に閉ざされている私たちを喚び覚まし、さとりの世界へと向かわせるはたらきであって、これは私たちの上に現れている阿弥陀さまの行いなのです。

『仏説無量寿経」のなかには、

われ仏道を成るに至りて、名声十方に超えん。

究意して聞ゆるところなくは、誓ひて正覚を成らじ。

(「重誓偈」、『註釈版聖典」二四頁)

と、阿弥陀さまが私たちを救うために声・言葉の仏になろうと誓いを建ててくださったことが記されています。

そして、その願いが願いのままに終わることなく、南無阿弥陀仏の言葉の仏と現れ出てくださったのでした。南無阿弥陀仏は名号といいます。名号とは名前という意味ですが、単なる名前ではなく、「究意して聞ゆるところなく」とありますから、今、この私に届いているということです。また名前は言葉です。言葉はその人の心そのものといえますので、阿弥陀さまのお心が南無阿弥陀仏となって私に届いているともいえます。

阿弥陀さまの喚びかけ

親鸞聖人は、「「命』は本願招喚の勅命なり」(「註釈版聖典」一七〇)といわれました。「帰命」とは「たのみにする」「依りどころにする」という意味になります。ところが、親鸞聖人は「私にまかせなさい」「必ず救う」という阿弥陀さまの「喚び声」であるといわれたのです。また、ここではその喚び声を天皇の命令になぞらえられたのです。

「平家物語」巻第三「頼実」には、

天子には戯の詞なし、論言汗のごとし

(「平家物語I』二九八頁、岩波文庫)

とあります。「天子には冗談の言葉はない。天子のお言葉は、汗のように一度出れば取り消せない」という意味です。論言とは天皇の命令のことで、天皇の言葉は一度下しますと決して取り下げられることはありません。そのことを「汗の如し」といわれたのでした。汗は体温調節のために皮膚から外へ排出されますが、その汗がもう一度毛穴に戻ることはありません。

親鸞聖人は、「あなたを必ず救う仏がここにいます」「だから心配しないで私にまかせなさい」という阿弥陀さまのおおせを、取り消しのない絶対的な命令として受け取られたのでした。阿弥陀さまがどうか浄土に生まれてきてくれと願いを込めてこの私にはたらいてくださっていることを表し、しかもそのお言葉に二言はないことを現わしてくださったのです。私がそのようなことを願う前に、阿弥陀さまの方から「お願いだから、お念仏申して、わが極楽浄土に生まれてきなさい」と。

そのお心を、京都女子学園の創設者の一人で歌人であった甲斐和里子さん(一八六八ー一九六二)は、

側仏をよぶわがこゑは御仏のわれをよびます御声なりけり

(「草かご』二四四頁)

と、私の口から出るはずのないお念仏が私の口から出るということは、ひとえに阿弥陀さまの大いなるおはたらきである、と慶ばれたのでした。

また、親鸞聖人は「如来、諸有の群生を招喚したまふの勅命なり」(「註釈版聖典」二四一頁)とも表してくださいました。

「群生」とは「むらがりいきるもの」です。かつて群生とは「もやし」のようだと聞かせていただいたことがあります。植物は太陽の方向に向かって伸びるのですが、もやしは光のないところで栽培しますので、一本一本がそれぞれ別の方向に生えます。つまり、方向性を持たずに生きている私たちのすがたなのです。また、地上に生まれ出て雑草のように生きる私ども庶民大衆のことでもあります。

私はこの世に生まれてきたからといって、歴史に名を残せるような人生ではありません。せいぜい親子とか兄弟、夫婦といった、ほんのわずかで身近な者だけがその存在を気づかい合いながら、肩を寄せ合うようにささやかな生活を営んでいるだけです。いのち終えたとしても、「去る者は日々にうとし」ということわざのとおり、いつしか忘れ去られ、やがて生きていた証しさえもこの世から消えていくような存在です。特別な才能もなく、日々の生活に追われ、とるに足らない生涯であったとしても、私にとっては二度と繰り返すことのできない人生です。だからこそ、思うようにならない人生のなかで、辛くとも、苦しくとも、そこに尊い意味を見出そうと必死に生きているのです。

生まれてきた意味と生きていく意味、そしていのち終えたらどうなってしまうのか。阿弥陀さまは、その答えも見出せず、もがき苦しむ私たちに、「あなたを必ず救う仏がここにいます」「だから心配しないで私にまかせなさい」と、喚びかけ続けてくださっているのでありました。

選択本願のお念仏

選択とは物事を取捨することで、粗悪なものを選び捨てて、善妙なものを選び取るということです。阿弥陀さまは、平等の慈悲にかなわない自力の行を選び捨てて、念仏を一切界生の往生成仏の行として選び定めてくださいました。つまり選択の主体は阿弥陀さまであって、人間が選び定めたものではありません。

また、阿弥陀さまはこの私に選択肢を与えられませんでした。本来、自分の人生は自分で選択し、その選択したことに責任をもって生きていくべきものなのでしょう。しかし、迷うことなく自分の決めた道を歩んでいくということは、たいへん難しいものです。選択したことが順調に運んでいるときは「私の選択は間違いではなかった」と自信をもって進めるのですが、一転、事がうまく運ばなくなった瞬間、「この選択は間違いであったかもしれない」と動揺します。しかも後戻りもできません。

後悔と不安を抱えたまま、前に進むしかないのが私たちではないでしょうか。人間の選びには誤謬がつきものであり、選びの基準となる価値観もつねに揺れ動いているからなのでしょう。自らの選びに不安と動揺を抱えながらでしか生きようのない私だからこそ、阿弥陀さまは一切の自力の行を選び捨てて、念仏一行のみを選び取ってくださったのでした。自力の行がダメなのではなく、「自力の行はあなたの手にはおえない。最初はできるような顔をして取り組んでいても、行きづまるときが必ず来る。あなたの手に合うお念仏の行をこちらで仕上げたから、どうかこれを行じて浄土に生まれてきてください」「それがあなたにとって歩むべき道である」と、生きる方向性と為すべき行を定め与えてくださったのでした。

今のお救い

親鸞聖人の頃までは、お念仏といえば私の行いであり、そのお念仏によって臨終の際、阿弥陀さまのお迎えにあずかって、初めて救いが成立するという考え方が一般的でした。特に、臨終に心を静めて一心不乱にお念仏できるか否かが往生できるか否かを決める、と考えられていたのです。ですから、南無阿弥陀仏とは、「どうか阿弥陀さま、浄土へ迎え取ってください」といった意味になります。それに対して、親鸞聖人の教えは、阿弥陀さまの「我にまかせよ、必ず救う」という喚び声を疑いなく受け入れて、「有難うございます」とおまかせするとき、必ず往生すべき身に定めていただきます。

親鸞聖人のお弟子に、高田の覚信房というお方がおられました。あるとき、関東から親鸞聖人にお会いするため京都に上られたのですが、聖人にお会いして安心したのか重病に陥り、聖人のお住まいで臨終を迎えられたのでした。その臨終を迎えた覚信房を見舞われた聖人の目に留まったのは、苦しいなかで一心に念仏している覚信房のすがたです。それをご覧になった聖人のお心によぎったのは、阿弥陀さまのお迎えを祈るお念仏でした。聖人の教えを長年受けてきた覚信房に限ってそのようなことはあるまいとは思いつつ、聖人は覚房に対して、「どのようなお心でお念仏しているのですか」と聞きただされたのでした。そうたずねられた覚信房は、「お浄土に生まれるときが近づいております。ですから、いのちある限り、往生という利益を与えてくださった阿弥陀さまのご恩を感謝しなければと思って、お念仏させていただいております」と答えられました。そこには、大切な方との別れゆく寂しさのなかにも往生について少しの不安もなく、お救いにあずかったことを慶びながら歩みを運ぶ、念仏者のすがたがありました。

南無阿弥陀仏を、「我にまかせよ、必ずたすける」「だから安心して生き抜いてください」という阿弥陀さまの喚び声とわが耳に聞き、阿弥陀さまの「行い」といただくからこそ、苦難多き人生を浄土に向かって精一杯生きていくことができるのです。(宮部雅文)

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2023年9月のことば 「まこと」のひとかけらもない私に仏さまから差し向けられた「まこと」

みなもつてそらごとたはごと

九月のことばは、石田慶和(一九二八ー二〇一五)先生のお言葉です。先生は京都大学において哲学を学ばれたご経歴をお持ちであり、親鸞聖人の思想を哲学的視点から研究なさいました。また、先生のご著書を拝見しておりますと、戦争が先生に与えた影響の大きさを知ることができます。先生はかつて海軍の学校で学ばれていたというご経歴もあり、日本は戦争に必ず勝つと教えられ、疑うことも許されない状況のなかにおられました。しかし、結果として日本は戦争に負け、国中が焦土と化したとき、先生はご自分がじてきたものがまったくのうそ偽りであったことを実感されます。当時のことを先生は、

たよるべきなにものもなく、ずべき何者もないというのが、当時のありさまでした。

(『真宗入門ー宗教的人間の可能性ー』九八ー九九頁)

こと」はまったくないのだと気づいたとき、「ただ念仏のみぞまことにておはします」という言葉が強く胸に迫ってきたとおっしゃっています。今月のことばである「『まこと」のひとかけらもない私に、仏さまから差し向けられた「まこと』」というお言葉の背景には、石田先生のそのような体験と気づきがあったのでした。

価値観の押しつけ

さて、常に煩悩にとらわれて自分の都合のよい言動ばかりをしている凡夫に、「まこと」はありません。しかし、それでも私たちは自分のことを正しいとじて疑わないことがよくあります。ときに自分の価値観を人に押しつけ、それを否定されれば腹をたて、口を極めて相手を非難することさえあります。

数年前のテレビ番組で、大学生の就職活動が特集されていました。多くの学生たちが自分が将来なりたい職業について真剣に考えている様子が、映し出されていました。その番組内で、ある学生がなりたいと思う職業と、その学生の保護者が自分の子どもに望む職業とが異なっているご家庭が、紹介されていました。大学の就職活動支援の窓口にその学生の保護者が相談に来られ、窓口の職員さんが、「まずは、お父さまやお母さまと学生さんとで、十分に時間を取って話し合ってみてください」と伝えておられました。

するとその保護者は、「子どもの進路については、最近は毎晩、子どもと向き合いながら相談を重ねているのですが、なかなか結論が出ないんです」とおっしゃいました。しかし、その後の学生本人へのインタビューでは、「毎晩、両親から説得されています。私が自分の意見を言うと、もうちょっとよく考えなさいと怒られます」と言っていました。保護者は「子どもと向き合っている」と言い、学生本人は「親から説得され、自分の意見を言えば怒られる」と言っているわけですから、両者の受けとめ方はずいぶん異なっています。親からしてみれば、「自分たちは正しいことを子どもに言って聞かせているのであり、それが子どもの将来の幸せにつながるのだ」と倍じて疑わないわけです。しかし、親が子どもに「絶対にこうした方がよい」「これが正しい」と主張しても、子どもにとっては「親が自分の意見を否定している。違う意見を押し付けて説得してくる」としか聞こえない場合もあるようです。もちろん親も、子どものことを考えた上でアドバイスをしているわけですが、「自分は正しい、まことである」という前提を持ってしまうと、それはもう対話ではなく、価値観の押しつけになってしまうのではないでしょうか。「まこと」のひとかけらもない私」であることに気づかせていただくことの大切さをあらためて感じます。

さて、実はこの原稿を書いている期間に、二人目の子どもを授かりました。一人目のときも出産に立ち会わせていただいたので、今回も立ち会ったのですが、自分は本当に無力だとあらためて感じました。必死の形相で子どもを産んでいる妻を前にして、何もすることができませんでした。前回はスポーツドリンクを手に持ち、妻がそれを飲みたいと言ったときにサッと差し出す役目をしましたが、今回はそのスポーツドリンクが麦茶に変わっただけで、やはりひたすら見守ることしかできませんでした。しかし、何はともあれ、妻の闘と病院の皆さまのおかげにより、無事に次女を授かりました。

四年ぶりに出産に立ち会ったことで、あらためていのちの誕生のすばらしさ、いのちの尊さを深く味わうことができました。しかし、出産に立ち会いながら感じたのは、今こうして多くの人に祝われて誕生するいのちがある一方で、海外では戦争が起こり、日々この尊いいのちが数百、数千と失われている現実への憤りでした。

戦争とは、一部の為政者が自らの価値観こそまことであるとして、それを正当化していくことで起こります。自らにまことはないと省みることなく、我こそが正しいとわが道を突き進んで行くことは、破滅への道であるといえるでしょう。

普通指向の若者たち

私は今年で四十歳になりますが、職業柄、若い学生と接する機会が多くあります。

また、最近はだんだん学生との年齢差が大きくなり、学生の使っている言葉がよくわからないことも増えてきました。そして、学生の言葉遣いのなかにも少し気になるものがあります。それは「普通に」という言葉遣いです。「普通に美味しい」「普通に楽しい」といった言葉遣いを学生からよく聞きます。先日、ゼミに遅刻してきた学生に遅刻の理由を尋ねると、「普通に寝坊です」という返事が返ってきたのには苦笑しました。いずれにしても、「普通に」は本当に不思議な言葉遣いです。しかし、ここで少し考えてみたいのですが、二〇二〇(令和二)年から流行している新型コロナウイルス感染症により、私たちの生活は一変しました。入学式や卒業式も中止となり、卒業生には卒業証書を郵送するという、学生にとって非常に寂しい形で大学生活が終わっていきました。新型コロナウイルス感染症で様変わりした私たちの生活は、現在少しずつ元の形を取り戻している部分もありますが、まだまだ以前の日常とは程遠い状態です。そして、世界に目を転じれば、戦争によりこれまでの日常を奪われ、悲惨な状況で日々を送っている方がたもおられるわけです。

このように、これまでの普通の日々を失った今、若者が使う「普通に楽しい」というときの「普通に」という言葉遣いは、実は非常に私たちの幸せの本質を捉えた言葉ではないかと感じるようになりました。「普通に美味しい」「普通に楽しい」という何気ない「普通」という状態こそ、実はたいへん幸せなことであることを、「普通に」という言葉は教えてくれているように感じます。

また、最近の若者は必ずしも高い収入や豪華な生活を求めてはおらず、「普通の生活」ができればそれでよいと考えている者も多いというアンケート結果を、インターネットで目にしました。そのアンケート結果について、「最近の若者には夢や希望が足りないのではないか」といったような意見がネット上に散見されましたが、果たしてそうでしょうか。むしろ、高い収入があることや高い地位にあることが幸せであるというような価値観に縛られて生きることこそ、息苦しい生き方であり、それはまた苦しみの種にもなるのではないでしょうか。もちろん、「普通の生活」といっても、仏法に照らせばこの世界は「火宅無常の世界」ですから、次から次へと何が起こるかわかりません。しかし、だからこそ「普通に楽しい」といえる一瞬があるならば、それはたいへん幸せなことであると思います。若者の「普通に」という言葉遣いに当初は違和感も覚えていましたが、コロナで生活が一変し、戦争も起こっている今、この「普通に」という言葉にはむしろ魅力すら感じます。

仏さまから差し向けられたまこと

さて、しかし私たちがどれほど「普通に楽しい」状態が続いてくれることを願っても、現実にはそうはいきません。今日笑っていても、明日には涙を流して生きることもあるのが人生です。実際には自分が頼りにしていた人と別れたり、裏切られたり、頼みとしていたものを失ったり、この世界、そしてこの自分に、「まこと」はありません。そのように煩悩に振り回されながら人生で怒りや妬みを繰り返していく、この愚かな凡夫に届いてくださるお念仏こそが、唯一の「まこと」なのです。

南無阿弥陀仏のお念仏は、阿弥陀さまがこの私に至り届いてくださっているすがたです。そして、阿弥陀さまは、私たちの価値観を否定したり、私たちの行動に罪を告げたりはなさりません。自分の価値観に固執し、自分こそ正しいのだと、ときに他者を傷つけるような生き方をしている、そのような私のすがたに戻されたのが阿弥陀さまです。「「まこと」のひとかけらもない私に、仏さまから差し向けられた「まこと』」である南無阿弥陀仏こそ、まさしく人生の依りどころであるといえます。

(能美潤史)

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2023年8月のことば われもたすかリ人もたすかるというのが仏教の教え

阿弥陀さま中心の生活

八月のことばは、曽我量深先生(一八七五ーー九七一)のお言葉です。曽我先生は明治から昭和にかけて大谷大学教授、また学長として活躍され、たいへん多くの著作ものこされました。そして、先生はするどい感性と独自の表現をもって真宗教義を解釈され、その思索に満ちた言葉の数々は、今なお多くの人びとを惹きつけています。今月のことばである「われもたすかり、人もたすかるというのが仏教の教え」とは、私たち凡夫は自らの力で往生の種を作ることはできず、あらゆるものの救済を誓われた阿弥陀さまのご本願により、われも人も救われていくということを述べられたお言葉です。

阿弥陀さまは、煩悩にまみれた凡夫であるこの私をなんとしても救いたいと、立ち上がってくださいました。そして、「必ず救う。まかせてくれよ」と、南無阿弥陀仏のお念仏となって喚び続けてくださっています。曽我先生はご著書のなかで、私たちは阿弥陀さまに願われたいのちを生きている」ということを強調しておられます。「願われたいのちを生きる」ということは、阿弥陀さまのご本願を聞き、阿弥陀さまを中心とした生活をさせていただくということにほかなりません。

先日、お参りにいったあるお宅のご門徒さんが、「夫が亡くなり、子どもたちも都会に出ていますから、私は一人で暮らしています。その上、新型コロナウイルスで老人会もないので、最近は人と話をする機会が減って寂しく過ごしていました。

しかし、先日の朝、いつものようにお仏壇の阿弥陀さまにお仏飯をお供えしてお念仏していたら、「そうだ、阿弥陀さまとお話しさせていただこう」と思い立ち、そのままお仏壇で阿弥陀さまにいろいろと話を聞いていただきました。今では毎朝、阿弥陀さまに自分のさまざまな思いを聞いていただいています。そして、夕方、病院や畑仕事から家に帰ると、お仏壇の前に座って阿弥陀さまに一日のご報告をさせていただくのです。愚痴や人にはなかなか言えないことも、阿弥陀さまに聞いていただきます。日々の喜びも悲しみも、私のすべてを受けとめてくださる方がいるということは、なによりもありがたいことですね」とおっしゃいました。そのお話を聞き、この方はまさに阿弥陀さまを中心とした生活をしておられるのだなと感じました。

ともに喜びともに悲しむお慈悲の声

さて、私には二人の娘がいます。長女は以前、本願寺のすぐ隣にある幼稚園に通っており、幼稚園バスの見送りや迎えはいつも妻がしてくれていました。娘は帰りのバスから降りてくると、今日は幼稚園であれをしてこれをして、こんなことがあって嬉しくて、でも〇〇ちゃんとおもちゃの取り合いをしてしまって、というように、いつもその日の報告をしてくれるのだと、当時、妻が教えてくれました。そして、ちょうどその頃、妻が二人目の子どもを妊娠し、だんだんとつわりがひどくなっていきました。そこで、私が大学から早く帰ることのできた日に、妻の代わりに娘の幼稚園バスの迎えに出ました。私は娘が幼稚園での出来事を私にたくさん報告してくれるだろうと思い、とても楽しみにしてバスを待ちました。

いよいよバスが娘を乗せてマンションの前に到着し、私は「おかえり」と言いながら娘を出迎えたのですが、バスから降りてきた娘の第一声は今日の出来事の報告ではなく、「お母さんはどうしたの」でした。「お母さんはちょっとお腹がしんどくて、お家にいるよ」と言うと、娘はマンションに向かって駆け出しました。私も急いで娘の後を追いかけてマンションに入り、一緒にエレベーターに乗り込みました。

部屋は八階ですから、到着するまでに十数秒はかかります。その間にエレベーターのなかで、「今日は幼稚園で何をしたの」と何度も尋ねたのですが、娘の耳に私の声は届いていない様子でした。エレベーターが八階に到着すると、娘は部屋のなかに駆け込み、奥で横になっていたお母さんを見つけるやいなや、「あのね、今日は幼稚園で鬼ごっこしてね、〇〇ちゃんが鬼だったよ。給食はからあげが出てね、ふりかけも付いててね・・・・・」と、堰を切ったように今日一日の報告を始めました。私はあっけに取られてその様子を眺めていました。

その数日後、妻のつわりが引き続きひどいため、再び私が幼稚園バスの迎えに出る機会がありました。私は今度こそ娘から一日の報告を聞きたいと思ったのですが、前回同様、娘はお母さんのいるマンションに向かって駆け出し、エレベーターのなかでも私の問いかけには応えず、マンションの部屋に入るとすぐにお母さんに向かって、「あのね、今日はカスタネットでたくさん遊んで、すごく楽しくね・・・・・・」と、また一日の報告をしていました。娘が私には報告をしてくれなかったことはちょっと寂しかったのですが、娘のすがたを見ていると、毎日の嬉しいことも悲しいことも何でも報告できる相手がいるということはとてもありがたいことだなと感じました。先ほど紹介させていただいたご門徒さんの、「日々の喜びも悲しみも、私のすべてを受けとめてくださる方がいるということは、なによりもありがたいことですね」というお言葉を、娘のすがたとかさねながらあらためて味わわせていただきました。

日々の暮らしのなかでなにか嬉しいことがあったとき、お仏壇で阿弥陀さまにご報告すれば、「私も一緒に喜んでいますよ」と阿弥陀さまも一緒に喜んでくださいます。「こんな辛いことがあったのに、この悲しみを誰もわかってくれません」とご相談すれば、「私はあなたの悲しみをわかっておりますよ」と一緒に泣いてくださいます。そしてもちろん、お仏壇の前にいるときだけではなく、いつでもどこでも、南無阿弥陀仏というお念仏を通して阿弥陀さまからの「いつでも一緒ですよ」というお慈悲の声が、この私に届き続けてくださっています。

願われたいのちを生きる

さて、数年前にお参りにいったあるご門徒さんのお宅での話です。そちらのお宅には、高齢の女性が一人で暮らしておられます。お参りが終わると、コーヒーとケーキを出してくださいました。私の住んでいる町はのどかな田園地帯で、主な交通手段はバスになります。しかし、そのご門徒さんのお宅は、町の中心部からかなり離れており、現在はバスも走っていません。車の免許も持っておられないこのご門徒さんが、どのようにしてケーキを買ってきてくださったのだろうか、と気になりました。「このケーキはわざわざどこかで買ってきてくださったようですが、どうやって買いに行かれたのですか」と尋ねると、「タクシーで行ってきました」とおっしゃいました。そちらのお宅から最寄りのケーキ屋さんまでは少し距離がありますから、往復で数千円のタクシー代をかけてケーキを買ってきてくださったことになります。しかも話を聞けば、「自分は洋菓子は苦手なので、お寺さん用のケーキを一個だけ買ってきました」とおっしゃいます。

数百円のケーキをタクシーで数千円かけて買ってきてくださったわけです。「それは申し訳ないですよ。次からは、わざわざタクシーで買いに行っていただかなくても大丈夫ですからね」とお伝えしました。するとそのご門徒さんは、「気にせんでいいんですよ。私は若さんが喜んで食べてくれればそれが嬉しいんじゃから」と笑いながらおっしゃいました。

数百円のケーキー個を数千円かけて買いに行くということは、一般的には割に合わない行為であるといえます。しかし、そのご門徒さんは、あなたに喜んでもらえればそれでいいと、笑顔でおっしゃってくださいました。その表情とお言葉には、損や得というものを超えた温かいものを感じました。以前、自坊にお説教においでくださった布教使さんから、百円で買った野菜を都会で一人暮らしをする子どもに千円かけて宅配便で送る母親のすがたに、損得勘定を超えた温かい親心をみることができる、というお話をお聞かせいただきました。先ほどのご門徒さんの「若さんが喜んで食べてくれればそれが嬉しいんじゃから」というお言葉にも、まさにその親心に通じる温かさを感じます。

さて、この親心ということについて、時々お参り先で、「うちの親は阿弥陀さまのことを親さまと呼んでいました」と聞かせていただくことがあります。阿弥陀さまは、私たちを救うために果てしないご苦労をされ、南無阿弥陀仏という名号を完成し、お念仏を通して「必ず救う」と喚び続けてくださっています。衆生をわが子のように思ってくださる阿弥陀さまのお慈悲の温もりから、昔の方がたは阿弥陀さまを親さまと呼んでおられたようです。

しかし、阿弥陀さまは親のように常に私たちのことを思い続けてくださっているにもかかわらず、ときに私たちは阿弥陀さまのお心のこともすっかり忘れて、世事に追われて生きています。あるいは、できるだけ阿弥陀さまを中心としたお念仏の生活をさせていただいたとしても、最後にはこの体は衰え、病気にもなり、それまでの生活がままならなくなるときがやってきます。

うちのお寺に二十年以上も勤めてくださっていた法務員さんが、数年前に急な病気で入院されました。私が妻と一緒に病室にお見舞いに行くと、法務員さんはベッドに横たわって目を開けておられました。「〇〇さん、お具合はいかがですか」と声をかけると、「若さん、ありがとうございます。このたびの病気で、いろいろと味わいが深まりました。病気で横たわっているこの私にも、南無阿弥陀仏が届いてくださいます。私がこのまま寝たきりになったとしても、それでも阿弥陀さまは変わらず私のところに届いてくださいます。お念仏に出遇わせていただいた人生でよかった」と目に涙を浮かべておられました。私もそのおすがたとお言葉に涙が流れました。

「願われたいのちを生きる」ということは、「我もたすかり人もたすかる」というその阿弥陀さまのご本願を、人生を通して仰ぎ続け、そして、たとえこの身が老いや病によってどのようになろうとも、私は阿弥陀さまのお救いのなかにあるのだと、感謝の内にお念仏申して生きていくことをいうのでしょう。

能美潤史

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2023年7月のことば 正しいものに遇って 正しくない自分を知らされている

でや、うまいやろ

七月のことぼは、利井明弘先生のお言葉です。先生は一九三六(昭和十二年に大阪府高槻市に生まれられ、一九九〇平成二)年より十年以上にわたり、行信教校(高槻市)の校長を務められました。そして、二〇〇三(平成十五)年に出講先の広島で突然ご往生されるまで、多くの方がたをお導きくださいました。残念ながら、私は直接その警咳に接するご縁はありませんでしたが、先生の法話集等を通して、そのお人柄やお念仏の味わいに触れさせていただいています。また、生前の利井先生を知る方がたから、「明弘先生と一緒に焼酎を飲んだときはいつも、とても嬉しそうに『でや、うまいやろ』とおっしゃっていたなあ」と、先生を懐かしむお言葉を聞かせていただきます。先生はお念仏の話をされるときも、お念仏を深く味わいながら、そしてたいへん嬉しそうにお話しされていたとうかがっております。利井先生は、「でやごっまいやろ」とおっしゃりながら、多くの方がたとお念仏を味わい喜んでいかれました。
さて、今月のことばは、利井先生のご自坊、常見寺の寺報である「常見寺だより」に掲載された、先生のご法話の一節です。「正しいものに遇って 正しくない自分を知らされている」というお言葉は、「お念仏の教えに出遇うことで、この私
かいかに煩悩を抱えて自己中心的な生き方をしているのかを知らせていただく」と味わうことができます。浄土真宗のお念仏の教えとは、煩悩に振り回され、善行の一つもできず、とても自分の力では救われ難いこの私に、阿弥陀さまが声の仏となって届いてくださっているという教えです。阿弥陀さまが、「あなたはあなたのままでいい。私か必ずあなたを救う」と喚び続けてくださっているのです。普段から都合のよいことばかりを口にし、ときには人の悪口も出てくるこの私の口からお念仏が出てくださるのは、そんな生き方をしているこの私を何としても救いたいと立ち上がってくださった、阿弥陀さまのおはたらきをいただいているからなのです。

お念仏の主

もう十年近く前のことです。勤め先の大学で、基礎演習という科目を担当していたのですが、あるとき、講義が終わると三人の学生が私のところにやってきました。その学生たちは三人ともお寺の出身で、将来はお寺を継いで住職になることを目指している学生たちでした。その三人が、「講義を聞いたり、本を読んだりして、少しずつ専門用語もわかるようになってきたのですが、真宗学の内容がどうもしっくりこないというか、どこがありかたいのか白分のなかではっきりしません」と相談してきました。そこで私は、「専門用語などの知識を身につけることも大切ですが、ご法話をお聴聞してみると、また味わいが変わるかもしれませんよ。一緒にお聴聞に行きませんか」と誘い、数日後、大学の近くの会館で開かれている法座にその三人の学生と一緒にお参りしました。
そして、会場の真ん中あたりの席に学生だちと一緒に座りました。すると、前の方に座っておられる方がたのなかに、ひときわ大きな声でお念仏をしておられる年配の女性がおられました。実はその方は、他のお寺や聞法施設にも熱心にお聴聞に行かれる方で、私もこれまで何度かお見かけしたことがありました。その女性は、いつどこでお聴聞されるときも、誰よりも大きな声でお念仏をされ、その日もお説教が始まる前から大きな声でお念仏しておられました。そして、お説教が始まっても、「なまんだぶ、なまんだぶ」と何度も大きな声でお念仏しながらお聴聞しておられました。
そのとき、私だちより一列前に座っていた男性が立ち上がり、後ろの方に座っていた会館の若い職員さんを手招さして呼びました。職員さんがその男性のところに来て、「どうかされましたか」と小さな声で尋ねると、その男性は、「あのおばあちゃんがずっと大きな声でお念仏しているので、声が気になってご法話に集中できません。静かにしてもらうように言ってもらえませんか」と、職員さんに言いました。すると職員さんは男性に、「今はお説教中ですから、お説教が終わりましたら私からあの方にお話しさせていただきます。今日のところはこのままお聴聞を続けていただけませんか」と伝え、男性も「わかりました」と言って席仁戻り、お聴聞を続けられました。
そして、お説教が終わると、先はどの職員さんがその女性のところに行き、「本日はお参りいただき、ありがとうございました。実はお参りされている方のなかから、『もう少しお念仏の声の大きさやタイミングを考えてほしい』という要望がございました。次回から少しご配慮いただけませんでしょうか」と、伝えました。するとその女性は、「あんた、言う相手が間違っとるよ」とおっしゃいました。そう言われた職員さんがキョトンとしていると、続けてその女性は、「私か自分から進んで称えているお念仏なら止められるけれど、このお念仏は阿弥陀さまが今、煩悩まみれの私を喚んでくださる声だもの。お念仏を止めてほしいなら、私じゃなくて、阿弥陀さまに交渉するのが筋ですよ」とおっしゃるのです。職員さんは返す百葉がなかなか見つからず、苦笑いをしておられました。
この女性の態度は少し極端だと思われる方もおられるかもしれませんが、このやり取りを目の当たりにした三人の学生たちは、「今日のお説教の内容は少し難しくてわからないところもあったけど、お説教の後にあのおばあちゃんの言葉を聞いて、浄土真宗のお念仏は阿弥陀さまのお喚び声であるということが、何かストンとわかったような気がしました」と、笑顔で言ってくれました。分厚い本を何冊読むよりも、お念仏を喜んでおられる方のおすがたそのものが学生たちには響いたようでした。
その三人の学生だちとはその後も時々一緒にお聴聞に行き、お説教が終わると喫茶店で少しゆっくり話をするといった関係が続きました。そんなあるとき二二人の内の一人が、「自分もいつか死ぬんだということを、これまであまり本気で考えたことはありませんでした。しかし、講義やお説教のなかで『死』ということについて頻繁に話を聞くようになり、少しずつ自分の死について考えるようになりました」と教えてくれました。まだ二十歳前後の若い学生が、自らの死について少しずつ真剣に見つめようとしているすがたに驚きました。そして、学生とのそのようなやりとりを通して、十数年前の次のような出来事を思い出しました。

散る桜 残る桜も 散る桜

うちのお寺の本堂の前には、樹齢三百六十年を超える枝垂れ桜があります。毎年春になると、遠近各地から多くの方が花を眺めにいらっしやいます。ある年の春のこと、その日は桜はもう満開をすぎて散り始めていましたが、それでも朝から桜の下で花を眺めておられる方が何組かおられました。ちょうどその日、ご門徒さんが納骨堂にご家族のお骨を納めるため、お寺にいらっしゃっていました。納骨前のお勤めが本堂で終わり、納骨堂へ移動するため、いったん本堂から外に出ていただきました。
私もご門徒さんと一緒に本堂から外へ出ると、枝垂れ桜の下で、女性数名のグループが花を見ておられました。一陣の風が吹くたびに花びらが舞い上がり散っていく様子を見て、そのグループの方がたは、「あんなに満開に咲いていた桜ももう終わりね」「あっという間よね」と言いながら、しみじみと桜を見つめておられました。私はご門徒さんを納骨堂の方に案内しながら、そのグループのすぐ横を通り過ぎようとしました。すると、花を見ていた方がたがこちらに気づき、まずは私のすがたを見て、「あ、お坊さんだ」という感じで軽く会釈をしてくださったので、私も「ごゆっくりどうぞ」と言いながら会釈を返しました。続いてその方がたは、私の後ろを歩いておられたご門徒さんの方に視線を移しました。ご門徒さんは胸に骨壷を抱いておられました。その骨壷を見た一人の女性が、「あれ、骨壷じゃないかしら」と言うと、他の方がたも「そうよ、骨壷よ。せっかくお花見に来だのに縁起が悪いわ」と言って、すぐに目を背けておられました。私は、その方がたの声がご門徒さんの耳に入れば、あまりご気分がよくないであろうと思い、早足で納骨堂の方にご案内しました。
その後、ご門徒さんは納骨を済ませて帰られたので、私はもう一度、桜の下で花を見上げながら考えました。満開であった桜が数日を経て散っていくことも、人間の肉体がいずれ滅びていくことも、「無常」ということからするとその本質は変わりません。私たちは散っていく桜であればしみじみと眺めることができますが、骨壷を目の当たりにすると自らの「死」を連想し、できるだけ「死」という現実から目を背けようとします。しかし、私たちがどれほど「死」から目を背けて生きようとしても、そこから逃れることはできません。だからこそ、この人生は何に出遇うための人生であるのか、人生の依りどころとは何なのか、このいのちの行く末はどこであるのかを聞かせていただくことが大切なのです。いのちの帰するところを知らない人生は、ただ生き、死の恐怖に怯え、寂しく死んでいく人生であるといえるでしよう。

お念仏に出遇う人生

「私のこの人生は、阿弥陀さまのご本願に出遇わせていただくための人生であった。今このときも、阿弥陀さまが南無阿弥陀仏となって私に届いてくださっている。
この人生の喜びも悲しみも阿弥陀さまとご一緒だ。このいのちが終わっても、寂しく死んで消えていく人生ではなく、私はお浄土に生まれさせていただくのだ」と、お念仏を依りどころとし、いのちの行く末をお浄土と定めて歩んでいけるのが念仏者の人生です。ご門王さまが「念仏者の生き方」において、

  私たちは阿弥陀如来のご本願を聞かせていただくことで、自分本位にしか生きられない無明の存在であることに気づかされとご教示くださっているように、煩悩具足の凡夫であるこの私に届いてくださる真実の声に出遇うことによって、この身がいかに愚かな存在であるのかを知らせていただきます。そのような私を「必ず救う」と喚びかけてくださる阿弥陀さまにおまかせして、大きな安心のなかで人生を歩んでまいりましょう。

(能美 潤史)

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2023年6月のことば 信は如来の生命なり

「他力の信心」を示す言葉

今月のことばは、小山法城師がその著書『我等の歩み』に残された言葉です。小山法城師は、一八八七(明治二十)年に滋賀県で生まれられ、仏教大学(現在の龍谷大学)に学び、同大学教授、布教研究所所長、山科別院輪番、伝道協会会長などを歴任されました。一九五〇(昭和二十五)年には、本願寺派最高の学階(学位)である勧学に就かれ、専門的研究はもとより、その伝道に力を注がれ、一九七三(昭和四十八)年にご往生されました。
さて、宗教で示される「信」は、一般的に私たちの持つ信仰心と考えることができます。しかし、ここではその「信」が「如来の生命」と示されています。「如来」とは、阿弥陀如来という仏さまを指します。私の「信」が「阿弥陀如来の生命」であるとは、どういうことなのでしょうか。
この言葉は、浄土真宗という仏教を開かれた、親鸞聖人が示された「他力の信心」を明らかにしたものです。
「他力」という言葉は、社会一般では「本願」と合わさって、「自分の願いを他人の力で実現する」という無責任な態度を示す、マイナスーイメージの言葉として用いられています。「他力」も「本願」も、もとは仏教用語です。こうした社会一般での意味とは明確に区別して、もともとの仏教用語としての意味で考える必要があります。
親鸞聖人が用いられる仏教用語としての「他力」とは、「阿弥陀如来の本願にもとづく救いの力」という意味です。如来の力ですから、もちろん、プラスーイメージです。聖人の主著『教行信証』の「行文類」には次のように示されています。

  他力といふは如来の本願力なり。          (『註釈版聖典』 一九〇頁)
(他力とは如来の本願のはたらきである。『顕浄土真実教行証文類(現代語版)』 一 一
五頁)

「本願」とは、阿弥陀如来の慈悲の願いです。その内容は、すべてのいのちあるものに「南無阿弥陀仏」という言葉となってはたらきかけ、それを信じて念仏申すように育て、阿弥陀如来自身の世界である浄土に迎え入れて仏に成らせよう、というものです。本願を、その願いが向けられた私たちの立場から言い換えれば、阿弥陀如来のおかげで、「南無阿弥陀仏」を信じさせてもらい、念仏申す身にならせてもらい、往生成仏する身とならせていただく、ということになります。このような「阿弥陀如来のおかけ」を「他力」というのです。
このように、仏教用語としての「他力」は、私たちの往生成仏に関わる文脈で用いられる語です。日常生活上のさまざまな場面で、自らの責任を果たすべく努めることは当然であり、そうした場面で阿弥陀如来の力を意味する「他力」をいうことはありません。
仏教用語としての「他力」「本願」と、社会一般で用いられる場合との意味の違いを整理すると、次のとおりです。

「他力」の意味  「本願」の意味   根底にあるもの  語のイメージ
仏教用語 阿弥陀如来の力 阿弥陀如来の願い 阿弥陀如来の慈悲 プラス
社会一般 他人の力    私の願い      私の都合(煩悩)  マイナス

「信じずにはいられない」という信では、「他力の信心」とはどのような信心をいうのでしょうか。
「信」という心の状態には、二つの場合があります。一つは不安を伴う場合、もう一つは安心を伴う場合です。
一つ目の「不安を伴う場合」、「信」は「あることがらが、事実であること、もしくは事実となることを期待する」という状態を意味します。たとえば、「日本代表チームの勝利を信じています」などという場合です。勤務する京都女子大学では、学生さんに「皆さんが恋人の腕をひしと掴んで、『信じているからね』と言うときの『信』です」と説明すると、笑いながらうなずいてくれます。
二つ目の「安心を伴う場合」、「信」は「あることがらを、そのとおりに受けとめる」という状態を意味します。たとえば、私たちは電車の行き先表示をそのとおりに受けとめています。この場合、「信じている」などと言葉にすることはほとんどありません。京都駅で「東京行」と行き先表示のある新幹線を前にして、「私は、この新幹線が東京に行くと信じています」とは言いません。多くの方が「この新幹線は東京に行きます」とおっしゃるでしょう。行き先表示に対して、自らの判断等を交えず、そのまま受けとめているからです。そして、その新幹線に安心して乗ることができます。
いずれも「信」という言葉で語られる内容ですが、一つ目と二つ目のような差が生じる理由は何でしょうか。それは、「相手に私を信じさせるだけの力や実績があるか、ないか」の違いです。
日本代表は、私たちがどれほど勝利を願おうとも、勝てるとは限りません。そうした不安があるからこそ、熱中して応援するのだともいえます。あるいは、恋人の様子を不安に思うからこそ、「信じているからね」とその腕を掴まなければならないのでしょう。
一方、私たちは、公共交通機関の行き先表示に安心して身を任せています。鉄道やバスは、いつもいつも行き先表示のとおりに運行してきました。それによって、私たちは行き先表示を信じずにはいられなくなっているのです。このような「信」には安心が伴います。言い換えれば、交通機関は、常に「行き先表示のとおりに運行します、信じてください」と、私たちに信じてもらえるようはたらきかけてきたのです。そして、そのはたらきかけを私たちが聞いたままが、そのまま私の信じる心になっているのです。
よく考えてみると、私たちはさまざまなものを信じて、日々の生活を送っています。「信」というと何か特殊な心のように聞こえますが、必ずしもそうではありません。
そして、親鸞聖人がおっしゃる浄土真宗の信心とは、「阿弥陀如来の側に私を信じさせるだけの力がある」ことによって、私か「信じずにはいられない」ようになった心です。阿弥陀如来のはたらきのおかけで生じた信ですので、これを「他力の信心」といいます。そこには、決して捨てられることがないという、あたたかな安心が伴っています。
軒先の下にある石が雨水によって長い期間をかけて穿たれていくように、阿弥陀如来が私たちを救おうとされる活動は、ついに私たちの心に到達してくださいます。
私たちの立場からいえば、阿弥陀如来のお心を真剣にお聴聞することを通して、阿弥陀如来に対する、頑なな疑いの殼が破られていくのです。それは、たとえば学校の先生や親の真心が、ついに子どもの心に届くすがたに似ているといえるでしょう。
信心とは、阿弥陀如来のはたらきが、そのまま私たちの心に届いたすがたであり、阿弥陀如来が私たちの心を場として躍動しているすがただといえます。それを「信は如来の生命なり」と表現されているのです。

 「念仏者の生き方」

信心は私の心を場として、阿弥陀如来が活動されているすがたですから、私の心に少しずつ変化をもたらします。それについて親鸞聖人は、たとえばお手紙(『親鸞聖人御消息』第二通)のなかで、次のとおり示されています。

  仏のちかひをききはじめしより、無明の酔ひもやうやうすこしづつさめ、三毒をもすこしづつ好まずして、阿弥陀仏の薬をつねに好みめす身となりておはしましあうて候ふぞかし。              (『註釈版聖典』七三九頁)
(阿弥陀仏の本願を聞き始めてから、無明の酔いも次第に醒め、少しずつ三毒も好まないようになり、阿弥陀仏の薬を常に好むようになっておられるのです。『親鸞聖人御消息 恵信尼消息(現代語版)』九頁)

「三毒」とは、煩悩の代表で、貪欲・填恚・愚痴の三つをいいます。貪欲とは、自分に都合がよいことを「もっと、もっと」と求めてやまないむさぼりの心、継恚とは、自分に都合が悪いことを「嫌が、嫌だ」と遠ざけようとする、怒りの心です。
そして愚痴は無明ともいい、すべての物事は原因や条件の網の目のようなつながりのなかにあるのだという現実を受け止められない愚かさをいいます。
これに対して、阿弥陀如来の活動は、究極的には私たちをさとりへと導くはたらきです。さとりを得た方を仏といいます。仏は仏教の目標であり、究極の理想です。
そしてそれは、無明を根本とする、自分中心の心、すなわち煩悩を完全に滅しかありかたです。
阿弥陀如来の教えに出遇うまでは、自分中心の心で自他を傷つけ合っていることに気づかず、そのなかにどっぷりと浸かったまま、苦悩を深めていました。阿弥陀如来の教えに出遇っても、煩悩から解放されるわけではありません。けれども、阿弥陀如来のおこころを聞かせていただき、ほんのわずかでも、煩悩に振り回されるありさまを恥じ、それを離れようとする心が恵まれます。親鸞聖人は、こうした心
の転換をおっしゃっています。
さらに、別のお手紙で次のようにおっしゃっています。

  この世のわろきをもすて、あさましきことをもせざらんこそ、世をいとひ、念仏申すことにては候へ。(『親鸞聖人御消息』第三七通、『註釈版聖典』八〇一頁)
(この世の悪も捨て、嘆かわしい行いもしないようにしてこそ、この迷いの世界を厭い、念仏するということなのです。『親鸞聖人御消息(現代語版)』 一〇八頁)

信心を得た者は、三毒の煩悩に振り回される、自らの迷いのすがたを知らされ、その生活はお念仏申しつつ、煩悩に振り回されることを厭うものへと転換されていきます。それは、いわば「阿弥陀仏の薬」の効用です。このことは、個々の念仏者が社会を忌避し、自らの心の内に引き寵もることを意味しているのではありません。
私たち人間の作る社会に対する見方もまた、転じられていきます。
ご門主さまは、伝灯奉告法要のご親教で「念仏者の生き方」を示されました。そのなかで、武力紛争や地球温暖化等々の世界規模の課題を具体的に指摘されながら、阿弥陀如来のおこころを伝え、そのおこころにかなう行動に努めることが、一人ひとりの念仏者の課題であるとご教示くださっています。
「阿弥陀如来の生命」たる信心が私の心で躍動するとき、煩悩に振り回されるお恥ずかしい、私のものの見方が徐々に転換されます。さらには社会のありさまを考え行動する価値観も変えられていくのです。
(黒田 義道)

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2023年5月のことば 南無阿弥陀仏とは言葉となった仏なのです

「正信偈」の冒頭二句

今月のことぼは、安冨信哉師『真宗僧伽論-正信掲を通して』からいただいています。安冨師は一九四四(昭和十九)年に生まれられ、大谷大学教授や真宗大谷派教学研究所所長等の要職を歴任された、親鸞聖人の研究者です。二〇一七(平成二十九)年に往生されています。

本書は、二〇一四年から二〇一六年にかけて行われた、安冨師による「正信掲」の講義録です。「正信偈」は、浄土真宗の宗祖、親鸞聖人が作られた漢文の讃歌で、聖人の教えのエッセンスが詰まっています。その冒頭に、

  帰命無量寿如来 南無不可思議光          (『日常勤行聖典』六頁)

(無量寿如来に帰命し、不可思議光に南無したてまつる。『註釈版聖典』二〇三頁)

とあります。今月のことばは、この「正信偶」の冒頭二句を解説されるなかで示されたものです。
「帰命無量寿如来」も「南無不可思議光(如来)」も、ともに「南無阿弥陀仏」を中国語に翻訳した言葉です。「南無阿弥陀仏」とは、インドの古い言葉サンスクリット語の「ナマス「呂ヨ乳」十「アミターユス(ンヨぎ貨回)」もしくは「アミターバ(嶮且{回目}」の音だけを、漢字に写しか言葉です。このうち、「ナマス」は信じ順うことを意味し、中国語では「帰命」などと訳されました。「アミターユス」は「限りない寿命の仏」という意味で、中国語では「無量寿如来」、「アミターバ」は「限りない光の仏」という意味で、中国語では「不可思議光如来」や「無量光仏」等と、それぞれ訳されました。
「南無阿弥陀仏」も「帰命無量寿如来」も「南無不可思議光(如来)」も、阿弥陀如来を異なる表現で示したものということができます。そして、その如来のはたらきは、「いつでも(無量寿)」「どこでも(無量光)」、私たちを摂め取って決して捨てないものなのです。

お名号の実現と阿弥陀如来

さて、阿弥陀如来とは、南無阿弥陀仏という言葉になって私たちに至り届く仏さまです。阿弥陀如来が言葉となって私たちに至るすがたである南無阿弥陀仏を、お名号と呼んでいます。水と氷とが、すがたの違いであって同じものであるのと同様に、阿弥陀如来とお名号・南無阿弥陀仏もまた、二つに分けることができないものです。
このことは、阿弥陀如来が仏さまになられた経緯からうかがわれます。お釈迦さまが阿弥陀如来を讃えられた『仏説無量寿経』によると、阿弥陀如来は仏に成られ五剛は、法蔵菩薩という修行者でした。法蔵菩薩は、すべてのいのちある者を救いたい、という大きな願いを建て、それを実現するための計画を、天文学的な時間をかけて練られました豆劫思世。こうしてできた計画が四十八願と呼ばれる四十八の願いです。法蔵菩薩は、第十八願(本願)を中心とするこれらの願いのうち、ただの一つでも実現しないならば、決して仏に成らないと誓い、永遠ともいうべき長い期間の修行(兆載永劫の修行)の末に、阿弥陀如来という仏に成られました。
四十八願のうち第十七番目の願(第十七願)で、法蔵菩薩は、次のようにご自身の名号(「わが名/わたしの名」、南無阿弥陀仏のこと)の実現について、示しておられます。

  たとひわれ仏を得たらんに、十方世界の無量の諸仏、ことごとく沓嵯して、わが名を称せずは、正覚を取らし。  (『仏説無量寿経』、『註釈版聖典』一八頁)
(わたしが仏になるとき、すべての世界の数限りない仏がたが、みなわたしの名をほめたたえないようなら、わたしは決してさとりを開きません。『浄土三部経(現代語
版)』二九頁)

すべての仏がたにはめたたえてもらえるような、すばらしいはたらきである南無阿弥陀仏を実現しよう、という願いです。そのすばらしさとは、すべてのいのちあるものを救うことができる、そのような力・はたらきがある、ということです。
そして、法蔵菩薩が阿弥陀仏と成られ、第十七願がその願いのとおりに実現していることを、お釈迦さまは次のようにたたえられました。

  十方恒沙の諸仏如来は、みなともに無量寿仏の威神功徳の不可思議なるを讃
歎したまふ。            (『仏説無量寿経』、『註釈版聖典』四一頁)
(すべての世界の数限りない仏がたは、みな同じく無量寿仏のはかり知ることのでき
ないすぐれた功徳をほめたたえておいでになる。『浄土三部経(現代語版)』七二頁)

お釈迦さまは、阿弥陀如来のお名号・南無阿弥陀仏を「無量寿仏の威神功徳の不可思議/無量寿仏のはかり知ることのできないすぐれた功徳」と言い換えておられます。無量寿仏とは阿弥陀如来のこと、「功徳」とは修行の成果です。
このことから、法蔵菩薩が願いを建て修行された結果、阿弥陀如来という仏に成られたことと南無阿弥陀仏の実現とが、不可分であることがうかがわれます。阿弥陀如来は、ご自身の功徳すべて、言い換えればご自身が丸ごと南無阿弥陀仏になることを願い、それを実現されたのだということができます。今月のことばはこのことを端的に示しています。
阿弥陀如来は、自分中心の心(煩悩)に振り回される私たちを救う、ただそれだけを実現するために仏と成られた方です。自らのすべてをもって、私たちを救うためにはたらいている仏です。阿弥陀如来が活動されるすがたが南無阿弥陀仏なのです。

   対面で会うことの意味

ところで、本書が読者の皆さまのもとに届く頃、新型コロナウイルス感染症の流
行はどのような状況になっているでしょうか。
感染の拡大を防ぐために、テレワークやオンライン授業が推奨されました。私か勤務する京都女子大学でもオンライン授業が導入され、その対応に文字どおり必死の努力を続けています。
いくらか慣れてくると、パソコンの画面越しのコミュニケーションにも、便利な一面を感じます。感染症の問題に加えて、移動の手間が省けます。京都にいながら東京での会議に出席できます。ある程度、相手の表情がわかることも、電話にはないメリットです。
けれども、対面のすべてをオンラインで代替できるか、と問われたならば、やはり限界も感じます。私たちは、互いに表情の微妙な変化を感じ合いながら話をします。画面越しでは、そのような微妙なニュアンスが十分には伝わりません。特に、少人数でディスカッションを行う授業などでは、対面授業なら不要と思われる確認を何度も行う必要を感じています。
また、お互いにもともとよく知っている者同士が、オンラインでのコミュニケーションに移行することは容易かもしれません。一方で、打ち解けた人間関係をオンラインでのコミュニケーションだけで新しく作っていくことは、簡単ではありません。新型コロナウイルス感染症拡大のなかにあっても、各国の首脳ができるだけ対面で会談をしようとする理由がわかった気がしました。
こうした動きのなかで、病院等でのオンライン診療が行われるようになりました素人の考えでは、日頃から処方してもらっているお薬を継続してもらう等の診察であれば、オンラインでもよさそうな気がします。
ある機会に、医師のA先生に話をうかがいました。A先生はオンライン診療に不安を感じておられました。ご自身もオンライン診療を経験された上で、画面越しでは、患者さんのいつもとの些細な違いに気がつくことが難しく、病状の変化を見落とすことにつながってしまうのではないかと心配されていました。もちろん、これはA先生の見解であって、医師の回でもさまざまな意見があることでしょう。
ともあれ、より深いコミュニケーションをとるためには、直接、対面することが最上の方法であると思われます。

阿弥陀如来の導き

阿弥陀如来は、自分中心の心に振り回される「煩悩病」を患う私たちに、南無阿弥陀仏を処方してお救いくださいます。この南無阿弥陀仏には、診察も検査もお薬も、手術もリ(ビリも、「煩悩病」を治すために必要なすべての力があります。 親鸞聖人は、阿弥陀如来の薬/お名号・南無阿弥陀仏を、三つの側面から説明されています。思い切って要約すれば、次のとおりです。

  二)阿弥陀如来から私たちへの喚び声
(二)阿弥陀如来が私たちを救う慈悲(やさしさ)そのもの
言)阿弥陀如来が私たちを救う智慧(かしこさ)そのもの

お名号は、阿弥陀如来から私たちに対する「煩悩病を必ず治す。いのちの行く末、私にまかせよ」という喚び声です。その切なる勧めが私たちの心に至り届いたとき、私たちは阿弥陀如来の慈悲の力で、やがて必ずお浄土に往き生まれて仏に成る(つまり煩悩病の治癒)身になります。そして、そのことをよろこび、念仏を申しつつその智慧に導かれて生きる身となるのです。
医師が患者を心配して、感染症のリスクを承知で対面での診療を望まれるように、阿弥陀如来も私たちを心配して、お名号となって私たち一人ひとりのもとに自ら出向き、ともにいてくださいます。そうしなければ、重い「煩悩病」である私たちを救うことができないからです。
私たちは阿弥陀如来の教えに出遇わなければ、自らが「煩悩病」であることにさえ気がっくことができません。私たちがそうした重い「煩悩病」の患者であるからこそ、阿弥陀如来はお名号・南無阿弥陀仏となって、私たち一人ひとりのもとに赴かざるを得ないのであり、私たちにピッタリと寄り添い続けるよりほか、救う手立てがないのです。
南無阿弥陀仏は、私たちの心に届いて信心となり、念仏となって口に現れてくださいます。それは、私たちの立場に立っていえば、阿弥陀如来によって明らかにされた私たちの「煩悩病」のすがたをありのままに知らされることであり、阿弥陀如来の確かな導きのなかで、お念仏申す生活が続くということです。
浄土真宗本願寺派における仏教婦人会活動や女子高等教育、社会事業の先駆者であり、歌人であった九條武子さま(一八八七-一九二八)に次の歌があります。

  おばいなるもののちからにひかれゆくわがあしあとのおぼつかなしや
(大谷嬉子編『九條武子全歌集 無憂樹(あそか)』八一頁)

武子さまは、大いなる阿弥陀如来に導かれ、ご自身の煩悩に振り回されるすがたを、「おぼつかない足取りである」と省みられました。こうした宗教的内省に立ち、その上でお念仏とともに積極的に社会に関わっていかれました。仏教婦人会の方がたとともに取り組まれた京都女子大学設立運動や、関東大震災の被災者支援等が特に知られています。念仏者の生き方を武子さまから学ぶことができるのではないでしょうか。
(黒田 義道)

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2023年4月のことば 仏法の鏡の前に立たないと 自分が自分になれない

考え方のリセット

今月は、二階堂行邦師のことばです。二階堂師は、一九三〇(昭和五)年、真宗大谷派専福寺(東京都)に生まれ、当寺の住職を務められました。二〇一三(平成二十万年にご往生されています。
今月のことぼは、曽我量深師の

  仏は人を鏡として仏となる。人は仏を鏡として人となる。

という言葉をもとにされています。曽我師の言葉のうち「仏は人を鏡として仏となる」とは、修行時代の阿弥陀如来が人間を完全に見抜き、その人間を救うために必要なものを完璧に準備して阿弥陀如来という仏に成られたのだ、という意味です。鏡が過不足なく忠実に私たちのすがたを映すように、阿弥陀如来も、ご自身が救いたいと願われた、私たちのありさまを忠実に見抜き、それを救う準備をされたといえます。
そうであるならば、阿弥陀如来が見抜かれた私たち自身のすがたを聞く、つまり仏法の鏡の前に立てば、私たちは私たちのすがたを忠実に知ることができる、といえます。曽我師は、これを「人は仏を鏡として人となる」と表現されました。今月のことばも、同じ趣旨であろうと思われます。
さて、今月のことばをごI読になって、まずどのように感じられたでしょうか。
一つひとつの単語は、いずれも難しい言葉ではありません。強いていえば、「仏法号こでは、阿弥陀如来という仏さまの教えを意味」」という語が仏教用語ですが、それ以外は、私たちの日常の言葉で示された内容です。ところが、全体として容易に意味がわかるかと問われたならば、なかなか難しく感じます。
浄土真宗の宗祖・親鸞聖人が尊敬されたお坊さんに、中国の曇鸞大師がおられます。曇鸞大師は、「非常の言は常人の耳に入らず」(『往生論註』、『註釈版聖典(七祖篇)』 一三五頁)という言葉を遺されました。ここでいう「常人」とは、「常識的な普通の人」という意味で、「非常の言」とは「世間の常識を超えた話」を意味します。
私たちは、驚くようなことを聞くと、「信じられない」と思います。言葉を補うと、これは「(自分の持つ経験や常識からはまったく考えることができなくて)信じられない」という意味ではないでしょうか。阿弥陀如来とその国土(世界)である浄土のはたらきは、私たちの経験や常識を超えたものです。私たちは、にわかに受けとめることができません。曇鸞大師は、そのことをおっしゃっているのです。
つまり、阿弥陀如来の教えに向き合おうとするとき、私たちは、これまでに積み上げてきた経験や常識を、一度脇に置いて考えなければならない、ということです。
自分の物事の考え方をリセットする、あるいはマインドセット(無意識の思考パターン)を変更する必要があるのです。

確かな鏡との出あい

さて、今月のことばに戻りましょう。
今、このことばを考えていく上でリセットしなければならない常識は、「自分のことは自分がわかっている」という考え方です。
今月のことぼけ、まず「仏法の鏡の前に立だないと」と、仏法を鏡に讐えています。鏡は私たち自身の外見を映し出すものです。そして鏡は、私たち自身の内にあるものではなく、外にあるという点が大切です。
私たちは、自分のことは誰よりも自分こそがよく知っていると考えがちではないでしょうか。けれども、よくよく考えてみると、必ずしもそうではありません。たとえば、私たちは自分の顔を直接に見たことがありません。鏡やカメラのように、自分の顔を映してくれるものを通して見ているに過ぎません。顔は個人を見分ける上で必要ですし、表情には感情が現れます。けれどもその顔を、自分で直接見ることはできないのです。
あるいは、私たちはさまざまな癖を持っています。自分の癖について、自分自身で気がつく場合と他者に指摘されて気づくことと、どちらが多いでしょうか。多くの癖は、家族や友人等に指摘されて気づくように思います。この場合、家族や友人がいわば鏡となって、自分の癖を映し出してくれているといえます。
そもそも、自分について自分で考えようとするとき、そこには検討対象となる自分と、それを検討する自分(自分A)とがいることになります。このとき、自分Aが確かなものでなければ、自分を適切に考えることはできません。つまり、自分Aの確かさを、チェックする必要があります。それが必要だとすると、今度は自分Aをチェックする自分Bがいることになります。では、その自分Bが確かなものといえるか、確認しなくてよいのでしょうか。そうすれば、自分Bをチェックする自分Cが必要になります。では、自分Cが確かなものと……。結局のところ、自分だけで自分を考えようとすることには、限界があります。
他者の助言によって、それまで自分では気がっくことができていなかった、自分の長所や短所に気づいた経験は、多くの方がお持ちであると思います。ここで確かめたいことは、自分をよく知るためには、外から自分を映し出してくれる、俯かな鏡との出あいが必要である、ということです。
阿弥陀如来の教えは、私たちの心を映し出す鏡です。お釈迦さま以来、二十五百年にわたり、時代・地域を超えて、人々の心を映し出し、その課題を私たちに示し続けてきた鏡です。まず、この鏡に正面から向き合うことの必要性が示されているといえます。

鏡に映った「自分」

続く「自分が自分になれない」の内容は、どのように考えればよいのでしょうか。
詩人である杉山平一氏に、「生」という詩があります。

ものをとりに部屋へ入って
何をとりにきたか忘れて
もどることがある
もどる途中でハ夕と
思い出すことがあるが
そのときはすばらしい

身体がさきにこの世へ出てきてしまったのである
その用事は何であったか
いつの日か思い当るときのある人は
幸福である
思い出せぬまゝ
僕はすごすごあの世へもどる    (『杉山平一全詩集 上』二三六-二三七頁)

何か忘れ物をして部屋仁戻ったけれど、何を取りに戻ったのか思い出せないまま、また部屋を出る、という経験はないでしょうか。部屋を出たときに、「そうそう、あれを取り仁戻ったんだった」と思い出せたときは、うれしいものです。残念ながら、結局思い出せないままになることのほうが多い気がしますが。
私たちは物心ついたときには、既にこの世に生まれさせてもらっていました。きっと何かを取りに、この世にやってきたのです。さて、その用事は何だったでしょうか。「思い出せぬまま 僕はすごすごあの世へもどる」ことになってはいないでしょうか。
私たちは毎日、明日のことを考える余裕もないほどに、必死の思いで今日を生きています。あるいは、忍び寄ってくる老・病・死をどこかで感じつつも、それを忘れようとするかのように、目先の楽しみばかりを必死に追ってしまいます。
忘れ物が何であったか思い出せたときにうれしいように、私たちもこの世に生まれてきた用事が一体何であったのか、思い当たるならば幸せです。しかし、思い出せないままに終えていくことになりがちではないか。それが「生」の残念な現実ではないか。この詩は私たちに問いかけているのです。
私たちは多かれ少なかれ、何かしらの不満を抱えながら生きています。何かに十分満足したといっても、その満足がずっと続くわけではありません。また別の何かを望まずにはいられません。言い換えれば、いつまでもいつまでも、「自分には、何かが足りない」「何かを忘れた」と一種の自己否定を繰り返しながら生きている、といえます。それを今月のことばでは、「自分が自分になれない」とおっしゃっています。
果たして私たちは、このような自分の姿に気づくことができていたでしょうか。
私たちは、自分で思っているほど自分のことをわかってはいません。そのことを映し出すものが「仏法の鏡」、つまり阿弥陀如来なのです。

「自分が自分になる」

「仏法の鏡」を通して明らかにされる私たちの姿は厳しいものです。目先の楽しさなど自分中心の心に振り回され、「足りない、足りない」と思い続けているというものだからです。しかし、これに気づかされたのは、まさしく阿弥陀如来が私たちの心を映し出す鏡となってくださったからです。仏法の鏡を通して、自分自身のすがたを知らされるということは、言い換えれば、阿弥陀如来のはたらきが自分の所に至っている、ということです。
なぜ、阿弥陀如来は私を見抜かなければならなかったのでしょうか。それは、私を救うためです。私を救うためには、私以上に私のことを理解していないと救うことができません。
このことは、先生と子どもとの関係を例に考えることができます。勉強につまづいている子どもは、しばしば自分かどこでつまづいているのかもわからない状態に陥っています。「どこがわからないの?」と尋ねてみても、「どこがわからないのかも、わからない」という状態です。そうしたときに先生に必要なことは、その子ども以上に子どもの状況を確認し、つまづきのポイントを解消していくことです。
先生が子どもを救うためには、その子ども以上に先生が子どもを深く理解していることが必要です。そして、このような先生に救われた経験を多く持つ子どもは、未だに「わからない」が残っていても、先生かいるだけで安心することができます。
今はまだわからなくても、決して捨てられることはない、いずれ必ずわかるようになると思うことができるからです。わからなくても、わからないままの自分を認めることができるのです。
同じように、自分中心の心に振り回されて「足りない、足りない」と思い続けるよりはかない私たちも、阿弥陀如来との出遇いによって、「足りない」と思う自分のありのままを知らされ、悩みを抱えたままに阿弥陀如来に抱きとめられている自分を、素直に認めていくことができるようになります。そして、「足りない、足りない」に悩まされることのない浄土の世界へと、確かに導かれています。
(黒田 義道)

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2023年3月のことば こころにじごくがあるよ ひにちまいにちほのをがもゑる

   自覚的世界としての地獄

数ある仏教書のなかで、「地獄」について最も詳しく説かれている本として『往生要集』を挙げる人は多いと思います。七高僧の第五祖で平安時代に活躍された源信和尚が書がれたこの本は、全十章から構成されており、たいへん難解なものでありますが、端的に言いますと、その内容は「厭離機上 欣求浄土」ということになります。速やかに迷いの世界(餓土)を厭い離れて、真実の世界である浄土に生まれることを願うことが勧められています。その第一章に迷いの世界の具体的なありさまが、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道輪廻の世界として描かれています。

特に地獄のありさまの記述が全体の六割ほどを占めていて、非常に詳しく描かれています。

言うまでもなく、地獄とは生前中に犯した罪により、死後に罪人が赴かねばならない地下の世界のことです。『往生要集』では、罪の軽い方から重い方の順に、①
等活、②黒繩、③衆合、①叫喚、⑤大叫喚、⑥焦熱、⑦大焦熱、⑧無間(阿鼻)、の八つの地獄世界が、詳しく説かれています。初めの等活地獄の記述には、地下一千由旬(四千里)の深さのところにあり、生き物を殺しか者が堕ちると説か
れています。最後の無間地獄にいたっては、さらに底深く、頭を逆さにして堕ちること二千年にして、ようやく到達する世界と示されています。源信和尚は、こうした世界を実在の世界とお考えだったのでしょうか。それについて、黒田覚忍先生は次のように受けとめておられます。

  われわれの日頃の生き方は、他人の罪やあやまちは見えるけれども、自分の罪やあやまちはなかなか気づきません。また気づいたとしても、自分の罪やあやまちはひた隠しにし、他人のあやまちは非難攻撃し、いいふらすことを憚りません。このようなことを互いに繰り返しているのがわれわれの日頃のすがたではないでしょうか。(中略)私たちのこのような罪深さを比喩的に表現されて  いるのでしょう。          (『はじめて学ぶ七高僧』 一一〇-一一一頁)

地獄の世界は、私たちの日頃の生きざまを心深く省みて、その奥底にひそむ自己中心の根性に気づく人が感じる自覚的世界と言うことができます。そうなってきますと、現代の私たちにも無関係ではなくなります。

妙好人才市さん

さて、三月のことぼけ、妙奸人と讃えられた市井の念仏者、浅原才市さんの言葉です。才市さんは一八五〇(嘉永三)年に現在の島根県桜江町で生まれ、十九才のときに母のトメさんが亡くなるのですが、その前年に、トメさんは才市さんに
「お寺参りして仏法を聴聞し、お念仏をよろこぶ人になっておくれ」と哀願されました。そこから才市さんの聞法生活が始まりました。三十才のときに博多に出稼ぎに行き、そこで真宗僧侶であった父・西教の勧めで出会った、当時学徳高く名僧といわれた博多・万行寺の七里恒順師から大いに勧化を受け、聞法に励まれました。
五十八才のときに家族の待つ島根県温泉津町に帰り、下駄職人をしながら安楽寺住職梅田謙敬師の教導を受けられました。そして、六十四才から一九三二(昭和七)年に八十三才でご往生されるまでの二十年間に、阿弥陀如来の救いを喜ぶ信心の詩を書き綴ったノートを残されたのです。

三月のことばは、楠恭編『妙奸人 才市の歌』に集録されているものです。

  さいちこころに、なにがある。
さいちこころに、じごくがあるよ。
ひにち、まいにち、ほのをがもゑる。
めにわめゑねど、
これが正をこを、

ありかたいな。
をやさまが、わしのこころい、
なむあみだぶと、とろけやい、
ごをんうれしや、なむあみだぶつ、
なむあみだぶつ。                        (二〇七頁)

才市さんは、自分の心のなかに地獄がある。その証拠に、毎日の生活のなかでその地獄の業火が燃えさかっている、と歌われています。こうした境地はどこから生まれてきたものでしょうか。ありかたくも、親さま(阿弥陀如来)が南無阿弥陀仏の名号となって自分の心に届いてくださり、離れることなく一つになってくださっていると続けておられます。そのことについて次のような歌も残されています。

あさましや
さいち こころの火の中に
大悲のおやは 寝ずのばん
もえる機を ひきとりなさる
おやのお慈悲で
(梯賽圓著『妙奸人のことば』 一四九頁)

機とは、阿弥陀如来の救いのめあて、対象になっている者という意味です。心の火のなかに、つまり地獄のなかに阿弥陀さまがいらっしやって寝ずの番をしてくださる。煩悩の火(炎)をお慈悲によって引き取ってくださるというのは、とても味わい深い表現だと思います。才市さんは、「御法義のかぜをひいた、念仏のせきが出る」とも歌われています。咳が出るのは風邪を引いた証しでありますが、念仏が自分の口から出るのは、それほどに阿弥陀如来の心、本願のはたらきが、心深く宿っている証しだということを表しています。その心によって自覚せしめられているところの自分の罪深さを地獄とおっしゃっているのです。これは、先はどの源信和尚の地獄観と重なるものでもあります。
寝ずの番をし、燃える心を引き取ってくださる阿弥陀如来の慈悲のはたらきは、私たちが願うべき世界、さとりの世界、仏智(智慧)を知らせてくれるものです。
しかしその一方で、そうした真実と相反する心と生き方しか持ち合わせていない、私たちの正体にも気づかせてくれるのです。それが凡夫の仏道といわれる浄土真宗の往生道なのだと言えます。
繰り返しのようになりますが、才市さんが言うように、地獄とは視覚で見る世界でも、また一般的に考えられているような死後に赴く世界なのでもなく、阿弥陀さまの救いのはたらきに出遇った者が、本当の自分のすがたに出遇ったときに、そうとしか表現できない世界のことを言うのです。

仏恩報謝の生活

自分の心の中に燃えさかる地獄の業火を自覚し、阿弥陀如来にしっかりと番をしてもらい、引き取り手になってもらった才市さんの生活は、ただその漸愧と歓喜の思いを内に秘めて終始したわけではありませんでした。
近年、妙奸人に関する学術研究書や解説書、そして法味を綴られた伝道書などを多く出版されている菊藤明道先生は、才市さんが仏恩報謝の生活を送ったことについて、次のように教えてくださっています。

  才市さんはご信心の詩を詠むだけでなく、日々の生活そのものがお念仏の生活でした。仕事もご信心のはたらきであり、「仏恩報謝の行」といっています。
明治三十七年(一九〇四)には、大日本仏教慈善会財団の会員になり毎年寄付をしています。各地の凶作飢饉や天災被害に何度もお見舞金を送っています。
(『妙奸人の詩』七七頁)

才市さんが利他的生き方を大事にされていたことがうかがわれます。あらゆるいのちをわけへだてなく慈しみ苦を取り除くという、仏の智慧そのものに生きることはできないという自覚をいただくことは、決して自分の正体に居直るものではありません。それは、いつも一緒にいてくださる阿弥陀如来の心に少しでも学び実践する生き方へと、変容させてもらうことを意味しています。親鸞聖人は、『御消息』第二通において次のようにおっしやっています。

  かつては阿弥陀仏の本願も知らず、その名号を称えることもありませんでしたが、釈尊と阿弥陀仏の巧みな手だてに導かれて、今は阿弥陀仏の本願を聞き始めるようになられたのです。以前は無明の酒に酔って、貪欲・填恚・愚痴の三毒ばかりを好んでおられましたが、阿弥陀仏の本願を聞き始めてから、無明の酔いも次第に醒め、少しずつ三毒も好まないようになり、阿弥陀仏の薬を常に好むようになっておられるのです。
(『親鸞聖人御消息 恵信尼消息(現代語版)』九頁)

このお言葉を受けて、専如ご門主はご親教「念仏者の生き方」において、

  仏法を依りどころとして生きていくことで、私たちは他者の喜びを自らの喜びとし、他者の苦しみを自らの苦しみとするなど、少しでも仏さまのお心にかなう生き方を目指し、精一杯努力させていただく人間になるのです。

とお示しくださっています。
地獄と表現される私たちの自己中心の欲張り心は根強いものですが、そのような凡夫が歩むことのできる大乗の菩薩道(利他を大切にする生き方)が浄土真宗のみ教えであることを、立教開宗八百年にあたって確認させていただきます。
(河智 義邦)

カテゴリー: 法語カレンダー解説 | 2023年3月のことば こころにじごくがあるよ ひにちまいにちほのをがもゑる はコメントを受け付けていません