投稿者「komyouji」のアーカイブ

2017年6月 弥陀の回向成就して 往相・還相 ふたつなり

手を合わすということ 浄土真宗では、朝夕にお仏壇の前に座って手を合わせ、ご法座やご法事の機会にお聴聞をするということが伝えられてきました。 ところが最近は、仏事をしたり、お寺へお参りしましょうということを、皆さん、特に若 … 続きを読む

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2017年5月 大信心は仏性なり 仏性すなわち如来なり

たまわりたる信心 浄土真宗のみ教えで一番大切なことは「信心」であるといえます。蓮如上人の「御文章」に、 聖人(しょうにん)(親鸞)一流(いちりゅう)の御勧化(ごかんけ)のおもむきは、信心(しんじん)をもって本(ほん)とせ … 続きを読む

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2017年4月 仏の御名を きくひとは ながく不退に かなうなり

名前の意味 親鸞聖人のみ教えにふれていると、名前の意味を深く味わうことの大切さに気付かされます。自分の名前、家族の名前、友人、知人、それぞれの名前にはどのような字が使われ、どのような願いが込められているのか。そのように考 … 続きを読む

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2017年3月 一念慶喜するひとは 往生かならず さだまりぬ

往生が定まる 三月の法語では、『浄土和讃』の第二十六首(「讃阿弥陀仏偶讃」二四)の後半二句を味わわせていただきます。 まず、この和讃の全四句をいただきますと、 若不生者(にゃくふしょうじゃ)のちかひゆゑ 信楽(しんぎょう … 続きを読む

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表紙のことば 仏恩ふかく おもいつつ つねに弥陀を 念ずべし

和讃を味わうご縁に 二〇一七(平成二十九)年の法語カレンダーでは、ご和讃をともに味わうご縁とさせていただくこととなりました。 「和讃」とは和語による仏教讃歌ということで、平安時代の中頃から作られるようになりました。今様歌 … 続きを読む

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2017年2月 如来すなわち 涅槃なり 涅槃を仏性と なづけたり

さとりの表現 二月の法語は、『浄土和讃』の第九十三首前半の二句ですが、まずはこの和讃の全四句とその現代語訳をうかがいましょう。 如来(にょらい)すなはち涅槃(ねはん)なり 涅槃を仏性(ぶっしょう)となづけたり 几地(ぼん … 続きを読む

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2017年1月 無明の闇を 破するゆえ 智慧光仏と なづけたり

「智慧光」のはたらき 一月の法語は、『浄土和讃』の中の冒頭、「讃阿弥陀仏偶和讃(さんあみだぶつげわさん)」第九首のはじめの二句です。まず、その全四句とその現代語訳をうかがいましょう。 無明(むみょう)の闇(あん)を破(は … 続きを読む

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2016年12月 世のもろびとよ みなともに このみさとしを 信ずべき

正信儡の結び 「ひかりといのちきわみなき 阿弥陀ほとけを仰がなん」からはじまった「和訳正信喝」は、いよいよこの法語をもって締めくくられていきます. ここは本文最後の二句「道俗時衆共同心(どうぞくじしゅぐどうしん) 唯可信 … 続きを読む

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2016年11月 さとりの国に うまるるは ただ信心に きわまりぬ

煩悩が転ぜられるはたらき 今月は親鸞聖人の恩師法然房源空聖人のご功績を讃えられるところです。「正信偈」本文の「生死輪転(しょうじりんでん)の家に還来(かえ)ることは、決するに疑情(ぎじょう)をもって所止(しょし)とす。 … 続きを読む

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2016年10月 まどいの眼には 見えねども ほとけはつねに照らします

今月の法語は、ヒ高僧の第六祖、源信和尚を讃仰された「正信渇」本文、「煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我(ぼんのうしょうげんすいふけん だいひむけんじょうしょうが)」一煩悩(ぼんのう)、眼(なまこ)を障(さ)へて見たてまつらず … 続きを読む

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