ご門主のお言葉 被災者の皆様へ

被災者の皆様へ
このたびの東日本大震災によって被災された皆様に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。また、この災害によっていのちを失われた方々とご遺族に哀悼の意を表します。
大震災という思いがけない事態に直面し、深い悲しみの中にあります。
宗門では、すべての被災された方々の悲しみに寄り添い思いを分かち合いたいとの願いを持って、4月9日より親鸞聖人750回大遠忌法要をお勤めいたします。阿弥陀如来のお慈悲のなかに、ともに支え合う宗門である
ことを心にとめていただき、心身ともにお大切にお過ごしになられますよう念じます。

2011(平成23)年4月

門主 大谷光真

親鸞聖人750回大遠忌法要が4月9日から始まりました。来年1月16日まで65日間にわたり115座がつとめられ、全国各地から多くの方が参拝される予定です。法要開始を直前に控え、東日本大震災で多くのいのちが失われました。本願寺では大遠忌スローガン「世のなか 安穏なれ」のおこころを体し、被災された方の悲しみに一層寄り添い、その思いを分かち合って、大遠忌法要をおつとめします。8日には大震災で亡くなられた方の追悼法要が阿弥陀堂で営まれました。大遠忌という、50年に一度の尊いご縁をいただくにあたり、ご門主に法要の意義などについて力聞きしました。

なお、ご門主は今回の大震災に際し、「被災者の皆様へ」として、お言葉を発表されました。

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お彼岸 秋 彼岸会

 「暑さ寒さも 彼岸まで」という先人のことばに、汗して働く生身の人間を感じるのは、私一人ではないと思います。

そうした人たちが、いつごろからか、こぞって墓参りをする習慣を身につけてきました。なぜなのかを、よく考えてみたいことです。

   

 ところで、”彼岸″とは、”此岸”に対することばです。彼岸とは、浄土の世界であり、涅槃・さとりの世界のことであります。

 此岸とは、この私たちの生きて娑婆世界で、煩悩のうずまく迷いの世界であることは、申すまでもないことでありましょう。

 この、”彼岸″インドの原語では、何の逆巻く濁流そのものを意味するそうです。そうすると、この”彼岸″と”此岸″でもって仏法は何を伝えようとしたのでしょうか。

 前述しましたように、実は”此岸″という”岸”は、岸とは名ばかりで怒涛さかまいている”流れ”そのものですから、此世には何一つとして、あてたよりになるものはないのだよと教えているのでしょう。しかも、さかまく濁流のなかにあって、その中洲(嶋)にたとえられるのが、”彼岸″ であります。`

 このことは、此岸にとどまって、ただ死に向かって、単に滅びへの道だけで終るのではなく、死んでしまいにならない彼岸の浄土だけが、あてたよりになるんだよという、阿弥陀如来の切実な願いが、込められているのでありましょう。

   

 それこそ、地位・名誉・財産……を、あてたよりにして、ついには、それらに溺れてしまい滅びに向うこの身に、彼岸からのはたらきかけてある「南無阿弥陀仏」の、お喚び声にゆり起こされて目覚め、その「南無阿弥陀仏」そのものが、迷いの凡夫(この私)の智慧となって、この此岸でのゆるぎない支えとなって下さっているのであります。

   

 こうしたみ教えに出遇ってくれることを、誰よりも願っていてくれるのは、ご先祖だったのであります。 だから、こうした亡き人たちの心に出通い、また、出通うべく墓参りをしたのが、浄土真宗のご門徒さん方だったのでありましょう。

 彼岸は遠く、向こうの岸と眺めているだけでなく、彼岸から私へのはたらきかけ、「南無阿弥陀仏」となって、喚びかけ目覚めさせ支えてくださってあるはたらきに気づかせていただいてこそ、なき人々の死が、無駄ではなかったと味わうこともできます。

 墓前に頭をたれ、掌を合わす、亡き人の声を心して聞きたいと思うことであります。

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お墓

 私たち人間がこの地球上に誕生してから、随分長い歴史を経てきました。

 最近は考古学者によって、人類太古の遺跡が発掘される過程で、それは非常に原始的ではありますが、すでに葬儀や遺体安置の形跡がみられると報告されています。

 インドで興った仏教も人びとの埋葬については、いろいろな方法をとってきました。

 北インドのクシナガラで入滅されたお釈迦さまは、その弟子たちによって、遺骸は「荼毘」にふせられ、遺骨はインド各地に分骨し、仏塔を建てたと伝えられています。また、後世全インドを統一して、マウリヤ王朝を樹立したアショカ王は、深く仏教に帰依し、その在忙中に八万四千といわれるほど数多くの仏塔を建てたといわれています。そうして今もそのいくつかは往時の面影をとどめています。

 その後、仏教はインドから西域・中国・朝鮮を経て日本へと伝播していく過程での墓塔もさまざまに変化してきました。

 ところで、私たち浄土真宗の教団では、この墳墓のことをどのように考えてきたのでしょうか。

 親鸞聖人が九十年のご生涯を終えられて、お浄土に還帰されたとき、遺弟たちは聖人をどのように葬したのでしょうか。このことについて『御伝抄』には、次のように記述されています。

 

 洛陽東山の西の麓、鳥辺野の南の辺、延仁寺に葬したてまつる。遺骨を拾いて、おなじき山の麓、鳥辺野の北の辺、大谷にこれををさめをはんぬ。

文永九年冬のころ、東山西の麗、鳥辺野の北、大谷の墳墓をあらためて、おなじき麓よりなけ西、古永の北の辺に遺骨を堀り渡して仏閣を立て、影像を安ず。

   

 このことは私たちの教団にとっては、大変重要な意味をもっています。それはこの仏閣が現在の本願寺の基となるからです。

 お墓は一般的には死者の霊安所とか、また祖先崇拝の場としてとらえられている場合が多いようですが、しかし、仏教は本来、空・無我を説く教えですから、一般的にいわれている霊の存在を否定いたします。したがってお墓は霊安所的な考え方をしないのが仏教徒の正しいあり方です。それでは何のために墓碑を建てるのかということになりますが、浄土真宗では墓碑を建てるとき、その題字に「南無阿弥陀仏」とか、また「倶会一処」という文字を刻かのが通例です。これはこの文字、つまり七名号によって示されますように、お墓はご法義相続の場であることを表わしているからです。これは「ときをもいはず、ところをもきらはず念仏申す」場として在るのです。

 ところが近年、巷ではこのお墓に関するいろいろな俗信、たとえば、墓碑建立について、その建て方・日時・方角などの良否・また墓相字といったことがよくいわれているようですが、これは真実の教えにたつとき、全く戯論といわざるを得ません。

 お墓の正面に刻まれている「南無阿弥陀仏」については前述のとおりですが、それでは「倶合一処」という文字を刻むのは、それはどのような意味があるのでしょうか。

 これは私たち浄土真宗の所依の経典である『浄土三部経』のひとつである『仏説阿弥陀経』に説かれている経文の一句であります。

  

「舎利弗、衆生聞かんもの、まさに発願してかの国に生ぜんと願ふべし。ゆゑはいかん。かくのごときの諸上善人とともに一処に会することを得ればなり。」

  

 この経文のこころは、私たちが本願力によって信心に恵まれ、浄土往生を願うと、すばらしい善き人びととともに一処に会うことができるという意味です。また、このことについて、先師は「わたくしの尊敬する人、親しい人、愛しい人びとなど、これらの
 人びとと出会い、そして再び別れることのない世界」とわかりやすく説いて下さっています。このような意味から浄土真宗では「倶合一処」の経文を墓碑の題字として用いて仏縁を深めてきました。

 妙好人・浅偉才市さんは、次のような詩を詠んでいます。

  

  わたしの名号  なむあみだぶつ
  せかいの名号  なむあみだぶつ
  浄土の名号   なむあみだぶつ
  わたしも浄土も なむあみだぶつ
  みんなひとつ  なむあみだぶつ

  

 「南無阿弥陀仏」や「倶会一処」を題字にしたお墓は、これはただ単に先祖代々の納骨所ということではなくして、それは「みんなひとつ、なむあみだぶつ」と大きく開かれた世界を意味しています。

 浄土真宗のみ教えを聴聞するものは、ご本願によって、いのちあるすべてのものが、ともに教われる世界、そうして、親鸞聖人が「御同朋」といわれた「みんなひとつ」の「倶会一処」の世界に生かされる人間です。

 私たちは墓前にぬかずき、静かにお念仏させていただくとき、改めて「念仏は無碍の一道なり」ということを自覚せしめられることでありましょう。

(西脇 正文)

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2011年5月 至徳の風 静かに 衆禍の波 転ず 法語カレンダー解説

「海」の譬え

この言葉は、『教行信証』行文類「行一念釈」を結ばれるにあたり、念仏の道を歩む者が大悲の光明に摂め取られさとりを聞かせていただくことを、譬喩(ひゆ)を用いて讃嘆されたものです。あらためて全文を出させていただくと、

しかれば、大悲の願船(がんせん)に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに衆禍(しゅか)の波転ず。すなはち無明の闇を破し、すみやかに無量光明土に到りて犬般涅槃(だいはつねはん)を証す、普賢の徳に遵ふなり、知るべしと。

(『註釈販聖典』 一八九頁)

と讃嘆されていて、「至徳の風」も「衆禍の波」も、「大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば」という言葉を受けて述べられたものであることがわかります。

ここに「光明の広海」という言葉がありますが、親鸞聖人は「海」という譬えを用いて、ときには「本願海」「功徳大宝海」など、如来のはたらきを示される場合もあれば、一方で「群生海」「愚痴海」など、苦しみ悩む衆生を示される場合もあります。あるいは、「生死海」「無明海」などと苦しみや迷いの境界そのものを指して用いられる場合もあり、その使われ方はさまざまです。このように「海」をもってたとえられるのは、『浄土論』や『往生論註』といった書物に用いられた譬喩が元になっていると考えられますが、一方で「本願海」「信心海」など聖人特有のものもあったり、また善導大師の『観経疏(かんぎょうしょ)』に一度だけ用いられている「一乗海」の語を、「一乗海」「本願一乗海」「弘誓一乗海」「一乗大智願海」等と広くさまざまに用いられているところにも、聖人の「海」という語に対する思い入れが表れているように思います。

「海」という言葉が、如来のはたらきを示すような場合にも、苦しみ悩む衆生の境界を示すような場合にも、どちらにも用いられているのは、「海」という言葉自体がどのような特質を持っているからなのでしょうか。

一つには、その広大さがあげられるでしょう。「本願海」や「功徳大宝海」といった言葉は、その徳の広さを示しているでしょうし、また「群生海」や「愚痴海」などの言葉も、迷いの世界にある衆生が限りなく存在することや、またその迷いの深さを物語っているように思います。

二つには、それが静止した世界ではなく、動きがあり、はたらきがあるということです。この点については、親鸞聖人が『教行信証』行文類「一東海釈」で、

「海」といふは、久遠(くおん)よりこのかた、几聖所修(ぼんしょうしょしゅ)の雑修雑言(ざっしゅぞうぜん)の川水(せんすい)を転じ、逆謗闡提恒沙無明(ぎゃくほうせんだいごうじゃむみょう)の海水を転じて、本願大悲智慧真実悟沙万徳(ほんがんだいひちえしんじつごうじゃまんどく)の大宝海水(だいほうかいすい)となる。これを海のごときに喩ふるなり。(中略)願海は二乗雑善(にじょうぞうぜん)の中下の屍骸を宿さず。
いかにいはんや人天の虚仮邪偽(こけじゃぎ)の善業、雑毒雑心(ぞうどくざっしん)の屍骸を宿さんや。

(『註新版聖典』 一九七百項)

と説明されていることからもわかります。これは、『往生要集』や『往生論註』の解釈によって「海」という言葉の待つ意味を表しておられるのですが、さきはどの「本願海」や「功徳大宝海」という言葉の持つ「徳」とは、その衆生の煩悩にまみれたありようが、如来大悲の智慧によって功徳に転ぜられるというはたらきを意味しているのです。また、「信心海」という言葉も同様の意味を持つものでしょう。
一方、「無明海」や「生死海」という言葉も、迷いの世界をめぐり続けているという私たちのありようを示すものです。

三つには、「海」はさまざまなものを受け入れるということです。たとえば、川の水は海へと流れていきますし、私たちも海へと入っていくことがあります。「願海に流入せしむ」「願海に入りて」などの言葉や、「生死海に入りて」「生死海に漂没して」、あるいはっ大信心海ははなはだもつて入りがたし」などの言葉は、海が何ものも受け入れず、そこへ入り込むことができなければ成り立たない表現です。

四つには、その海の向こう側に、まだ見ぬ世界があるということです。言葉を換えれば、「海」はそれを超え渡るべきものであって、しかもその広さと深さのゆえに泳いで渡ることはできません。また、その海が穏やかなものではなく、荒れ狂う波が逆巻くようであれば、小舟で渡りきることも不可能です。大きくて丈夫な船だけがその海を渡ることができるのです。

「難思(なんじ)の弘誓(ぐぜい)は難度海(なんどかい)を度する大船」(『教行信証』総序『註釈版聖典』一三一項)、「一切智船に乗ぜしめて、もろもろの群生海に浮ぶ」(『同』行文類 『註釈版聖典』ニ〇一~二〇二項)といった表現は、さとりの岸へと渡ることができない私たちを、如来の大きなはたらきによって渡していただくことをたとえたものです。

  

如来の智慧の光明に照らされて

親鸞聖人が用いておられる「海」という言葉の譬えを見てまいりましたが、今月の言葉のもととなった「しかれば、大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば……」という文は、私たちが本願のはたらきによって浄土へ往生し、還相のさとりを聞かせていただくことを、「海」の譬えをもって讃嘆されたものであり、特に美しく描かれているように思います。

まず、「大悲の願船に乗じて」とあるのは、ご本願のはたらきを受け、「南無阿弥陀仏」とお念仏させていただく私たちのすがたを表しています。「光明の広海」とは、海が光そのものであるということではありません。海自体はやはり、「衆禍の波」が立つ生死の苦海であって、さまざまな悩みや苦しみに満ちた私の人生なのです。しかしながら、「大悲の願船に乗じ」たからには、その苦海には本願のはたらきが行き渡り、如乗の智慧の光明に照らされぬところはないというのです。

その光明のはたらきを「至徳の風静かに衆禍の波転ず」と表されているのですが、この「至徳」という言葉は、如来のはたらきに対して用いられているものであり、至極の功徳という意味であって、如来のこの上ない智慧と慈悲の徳を言います。また、「円融至徳の嘉号」「至徳の尊号」等と言われているように、「南無阿弥陀仏」の六字のみ名を讃嘆されるところで用いられるものです。そして、

「この徳号は一声称念(いっしょうしょうねん)するに、至徳成満(しとくじょうまん)し衆禍みな転ず」(『教行信証』化身土文類 『註釈版聖典』三九九頁)

と言われていることからも、「至徳の風静かに衆禍の波転ず」とは、私たちが本願のはたらきを受けお念仏申すなかに、人生におけるさまざまな禍(わざわい)の波も、如来の智慧のはたらきによって、人生を豊かに生き抜くものに転ぜられていくという意味であることがわかります。あるいは、「風」は船を進ませるはたらきを言われているのかもしれません。そうすると、本願の大船に乗じた私の人生は、如来の智慧のはたらきを風として帆にいっぱいに受けて、穏やかに力強く進んでいくことを言われているようにも思います。

そして、「すなはち無明の闇を破し、すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す」とあるとおり、私を包んでいた無明煩悩の闇は如来の光明に破られて、もはや迷いの世界を生死流転することなく、すみやかに限りない光の浄土へ往生し、この上ないさとりに到ることができる、そうした人生を私は歩ませていただくのです。

ここで「普賢の徳に遵ふなり」とありますが、「普賢」とは普賢菩薩のことで、お釈迦さまの慈悲のはたらきを表す菩薩であり、智慧のはからかを表す文殊菩薩とともに、お釈迦さまの両脇に侍する菩薩(普賢菩薩は向かって左側です)です。お釈迦さまは、この娑婆世界において八十年の生涯をかけて人びとをさとりへと導かれましたから、「普賢の徳」とは、娑婆世界における仏の慈悲のはたらきを表しています。ですから、「普賢の徳に道ふなり」とあるのは、浄土に往生して聞かせていただくこの上ないさとりとは、ふたたび浄土よりこの世界に還り来て、大悲心をもって苦しみ悩むすべての者を救いとる普賢菩薩のように、有縁の人びとを救いとる還相のさとりであることを示しています。

   

現生の利益

さて、親鸞聖人が「海」をもって如来のはたらきや苦しみ悩む衆生の境界を表されるとき、『浄土論』や『往生論註』などの七祖の聖教に用いられた譬喩を元にしておられると申しました。しかし、この「至徳の風静かに衆禍の波転ず」という譬えは聖人独自のものです。そして今見てきたとおり、この言葉は如来の本願のはたらきを讃嘆されるものなのですが、この譬えの中身は、「信文類」に示された「現生十益(げんしょうじゅうやく)」の第二・第三の利益にあたるとも言われます。

現生十益とは、現世に生存しているなかで受ける十種の利益ということなのですが、その第二は「至徳具足の益」、第三は「転悪成善(てんあくじょうぜん)の益」です。「至徳具足の益」とは、如来のこの上ない智慧と慈悲の功徳が、私たちの信心に具足しているということです。また、「転悪成善の益」とは、さきに見た「行文類」 一乗海釈で言われる徳が、そのまま私たちの信心の徳となってはたらいているということです。つまり、私たちの信心に具わる徳は、そのまま如来の智慧のはたらきの徳であるということになります。

そして、このことが現生の利益として言われるということは、如来のはたらきを受けているのが、今、まさにこの瞬間ということなのです。そうすると、本願名号の至徳の風が私の人生の衆禍の波を転じてくださるのは、今この時より他にはないということを知らせていただいていると言えるでしょう。

   

眼前に広がる海

親鸞聖人の九十年に及ぶ生涯のなかで、海が間近にあったのは流罪にあわれた北陸の地でありました。眼前に広がる日本海は、ときに激しく波を海岸に打ち寄せ、ときに穏やかに沈みゆく夕陽を映したことでしょう。聖人の目に映った海のすがたが、「大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに衆禍の波転ず」と示された、この美しい譬えを生んだのかもしれません。そのようなことを思いながら、あらためて聖人のご苦労を偲ばせていただくことです。

(安藤光慈)

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お彼岸 春 彼岸会

  「暑さも寒さも、彼岸まで」ということばを、みなさんは聞いたことがあるかなあ。

どんなにキビシイ寒さであっても、また、いく日も続いたウダルような暑さも、お彼岸のころになると、すごしやすくなるという意味のことばなんだよ。

 ところで、お彼岸には、家族そろってお墓参りにでかけ、掃除・草取りをして、お花やお香をあげたことが、何度かあると思います。 どうしてお彼岸になると、決まってお墓参りをするのでしょうか。 死んだ人に会えるからでしょうか。

   

“彼岸”というのは、阿弥陀さまの世界・お浄上の世界をあらわしたことばです。
私たちのいる迷いの世界である”此岸”に対することばです。此岸にいる私たちは、いつでも自分を中心にして生きています。このことは、お年寄りから赤ちゃんまで、みんな同じです。

   

ちよっと考えてみようか。 私の家族・私の学校・私の机・私の・・というように、いつでも「私」がついてまわり、私が中心でなければがまんできないのが、私たちです。

 

そんな私たちですが、それぞれ”私の都合”のいいようにしか、物ごとを見ることができませんし、考えることもできません。正しく見ることができずに、計算ちがいがおこり、悩み、苦しむのが私たちです。

   

 そんな私たちに、彼岸のお浄土から、この私の口からお念仏となて、「気づいておくれよ。はやく目を覚ましておくれよ」と、阿弥陀さまは、よびかけてはたらいてくだ下さっているのです。

 ちょうど、こわい夢を見てうなされているときに、肩に手をかけ、ゆり勤かし、声をかけて目をさまさせて、恐ろしい思いから解放して下さるように、あなたを温かくがきとって、一人ぼっちではないのですよと、よびかけて下さっているのです。

 そして、「この阿弥陀さまに出遇っておくれよ。この阿弥陀さまのおよび声に、耳をかたむけておくれよ」と、願っていて下さるのが、私たちのことを人切にしてくれて、亡くなって往かれた人たちです。

   

 お墓参りをして、亡くなって往かれた人の前で、お念仏をとなえ、手を合わせている姿を見ていただくことが、何よりも亡くなった人に喜んでいただけることなのです。

 だから、この私が、お念仏のみ教えに会うことが、何よりも人切なことなんです。

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ご先祖様

いのちの重さ いのちの広がり

 百人の大学生に、「あなたには四人の祖父母がおられますね。その四人のお名前を、いま、ここで全部書けますか」と質問してみました。書けると答えた人はわずかに二人。

核家族化か急速に速んでいることに驚きました。しかし、かくいう私も、その一代前、即ち曾祖父母八名の名前となると、まったく書けないのです。

 自分の両親から始めて、そのそれぞれの両親というふうに逆三角形を描いてみましょう。二十四代から二十五代前(親鸞聖人の時代)までさかのぼりますと、その数は数千万人になります。

 私は、その名前さえ知らない、実に多数のご先祖のいのちの流れの中に生かされているのです。不思議と申すよりほかありません。

 そのご先祖のお一人おひとりは、それぞれに精下作の人生を生きられたことでありましょう。ご苦労も多かったに違いありません。

そして、わが子、孫よ「幸せに生きよ」

 「真実のお法りをいただけよ」

「お念仏申すひとになっておくれよ」

との願いを残して下さったのです。

 無量ともいうべきいのちと、阿弥陀さまの願いをこの身にいただいていることを思う、わがいのちの重さに気づかせていただくのです。人間の値打ちは、学歴や肩書き、財産の有無ではありません。私の、このいのちそのものが尊いのです。それをはっきり教えて下さるのがお念仏の違であります。

 また、逆三角形にどこまでも広がるご先祖の図を見ますと、「世の中に他人はいないのだ」と実感されますね。

 親鸞聖人は、一切の有情はみなもって世々生々の父母・兄弟なり。と述べておられます。

 私達は、お墓に名前の刻まれたかが家のご先祖のことだけを考えるのではなく、いのちの広がりに思いをいたし、すべてのひとを差別なく愛し、尊敬する心をいただかねばなりません。

   

お休みのないご先祖

 弔辞の多くは、「安らかにお眠り下さい」と結ばれます。慣用の表現であり、病気で 苦しまれた方などへの言葉として用いられるのも、自然な感情の現れとも言えましょう。

 しかし、この世のいのちを終えたひとは、”永遠の眠り”につくのではありません。 まったくお休みのない「いのちとなってはたらいておられるのです。

 親鸞聖人は『浄土和讃』

  安楽浄土にいたるひと
  五濁悪世にかへりては
  釈迦牟尼仏のごとくにて
  利益衆生はきはもなし

 とうたわれました。

 ご先祖は、この世のいのちを終えたその時から、還相回向のみ仏となられ、この私をお救い下さる”おはたらき”を続けておられるのです。それは、眠るどころか、まったくお休みのない大活動のいのちなのです。

 私達は、年忌のお仕事(ご法事)などを丁重につとめますと、立派なことをしたと自己満足をいたします。しかし、私が忘れている時も、眠っている時も、ご先祖はお休みなくはたらいて下さっていることを思わねばなりません。

 また、世間では時折”先祖のたたり”などと言いますが、それはあやまった考えです。

私達は、たたりを恐れることの真反対、ご先祖の大きなご恩に生かされ、導かれていることをはっきり知らされ、喜びと安心の中に、感謝と報恩の生活をさせていただくのであります。

  

  ご先祖の喜ばれること

 ご法話や研修会で、「浄土真宗では、先祖供養ということは申しません」と聞かせていただきます。一般には、よく使われる言葉ですね。

 供養について、『広辞苑』には「三宝または死者の霊に諸物を供え回向すること」と説明してあります。

 けれども、ご先祖は、迷える”霊”ではありません。私を仏法に遇わして下さる善知識です。回向については、浄土真宗では阿弥陀さまが私どもをお救い下さるおはたらきを”他力のご回向”といただくばかりなのであります。お経も回向するものではありません。

 蓮如上人は『御一代記聞書』に

 他宗にはつとめをもして回向するなり、御一流には他力信心をよくしれとおぼしめて、聖人の『和讃』にそのこころをあそばされたり。
 

とお示し下さっております。

お念仏も、私の回向するものがらではありません。

 わがちからにてはげむ善にても候はばこそ、念仏を回向して父母をもたすけ候わめ
 ……(後略)

との聖人のお言葉をしっかり聞かせていただきましょう。

 私が、ご先祖のご恩を偲ぶご縁によって、いま、如来さまのお慈悲に遇う、本願名号のおいわれとおはたらきを聴聞させていただく、お念仏する身とならせていただく、このことこそが、ご先祖の最もよろこばれることなのであります。
                              

  (高千穂 正史)

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お仏壇

阿弥陀仏が主(あるじ)

  『冠婚葬祭入門』という本、ご存知でしょうか。一時はよく売れたそうですが、その本の中に、「お仏壇には、仏像が付きもので、もし仏像が無い場合は、仏画で間に合わせて結構です。」とありました。

 その影響でしょうか、ある人が「お仏壇を買ったら、アミダさんをまけてもらいましたわ」と、得々としておられました。

 ご門徒のお仏壇のご本尊は、ほとんどご絵像(仏画)ですから、みんな「間に合わせもの」や、「おまけ」を拝んでいることになります。

 本当は、お仏像にお仏壇が付きものであって、お仏壇にお仏像が付いてくるものでは
ありません。

   

お仏壇は先祖の位牌壇ではない

 どうして、このような間違いがおこってくるのでしょうか。

 それは、お仏壇が、ご先祖の入る処になっているからであります。

 日本人は、家の宗教はあるけれど、一人ひとりに宗教心がない、といわれるのもこのお仏壇のあり方にその原因がありそうです。

 お骨や、写真、位牌などご先祖にまつわるものが、お仏壇の中心になっていないと落着かない人にとっては、お仏壇というのは、ご先祖さまの入るありがたそうな箱であればよいのであって、ご本尊が「おまけ」であっても、埃だらけてあっても、さほど気にならないのかもしれません。

ですから、ご本尊のお荘厳であるお花や、お灯明やお香も、お念珠・聖典まで、ご先祖のための道具になってしまっています。

 ご先祖、ご先祖といっていますが、ひょっとしたら、白分たちが幸福になるために利用しているのかもしれません。

①年忌があたっていないのに、お仏壇を買うと不幸がおきるのではないてしょうか。
②お仏壇の向きが悪いから、病気が治らないのではないでしょうか。
③お仏壇を動かす場合、お経をあげてもらわないといけないのでしょうか。
①お念珠のひもが切れると、何か不吉なことがおこるのではないでしょうか。

 などなど、お仏壇に関係したこのような間いが多いのは、どういうことでしょう。

 お仏壇が、人間の安らぐ場所、亡き人は懐しく偲ぶもの、という世界からはるかに遠くなってしまっていることはもったいないことです。

   

お仏壇はお礼するところ

 浄土真宗のお仏壇は、文字通りご本尊てある阿弥陀仏をご安置する壇てあります。

 お仏像であろうとご絵像であろうと、浄土真宗のご本尊は立像といって、立っておられます。それは、立つたまま私たちを抱きとって救う仏さまだからです。座って居れぬほど救うに急を要するというお相であります。

 しかも、阿弥陀仏の御手は、あなたの救いは全部、この仏が仕上げているから安心しなさい、という印でありますから、私たちはただ「南無阿弥陀仏」とお礼のお念仏をするばかりであります。

 そうです、真宗のお仏壇は、阿弥陀仏にお礼申す場所であります。

 私たちの先輩は、「明日は試験だから、アミダさんによい点がとれるよう頼んでおいで」などと言わなかったのです。どんな時にも「お礼しておいで」と言いつづけて来たのであります。

   

お仏壇は人間の育つところ

 あるご婦入が、劫い時を回想していわれました。

  「お母さんと一緒に畑に行ったことがありました。お母さんは土に鍬を入れていました。私は、小川のほとりで遊んでいた時、蛙が足元にきたので思わず踏んでしまったのです。それを見たお母さんは、ナンマンダブツ・ナンマンダブツといいながら、グニャッとなった蛙を小川の中に入れやり 蓬か何かの草の汁を蛙の口に入れました。しばらくしてノ几気になった蛙を離して、その行方を見てから、私を抱きしめて“良かったね”といわれたのです。

そして、“アミダさまがよろこんでいられるよ”といって、また仕事にかかりました。

その時、劫なごころに思いました。

アミダさまって、お仏壇の中にじっとおられるばかりと思っていたけれど、こんなところにもおられるんだなあ、そして、アミダさまって、蛙が肋かっとことまで大よろこびされる、やさしい仏さまなんだなあ、と思わず、お礼のお念仏をしました。

すると、お母さんもお念仏していましてね、あのひととき今でも忘れられません」と。

 このご姉人のご主人は三男でしたが、結婚してすぐに、お仏壇を迎えられました。

 その二年後に、かわいい赤ちゃんが生まれたのですが、肺炎をわずらって数カ月のいのちを散らせてしまったそうです。

 「長男でもないのに、お仏壇なんか買うから赤ちゃんを死なせたのと違うか」と近所の人にいわれたそうですが、アミダさまが「そうか よしよし」と親子を抱きしめてくださるようで、ああお仏壇があってよかった。アミダさまのおかげて悲しみを乗りこえさせてもらいました、といわれました。

この人には、祟りとか罰とかが全く通じません。

 今は亡きお母さんのおかげです。といわれるこの人にとって、ご先祖は善知識なのです。

 ご本尊である阿弥陀さまを押しのけて、お仏壇の中心に置いて、はばからないご先祖壇からは、この人のように、やさしく、豊かな人生は開かれません。

 お仏壇は、本当の人開か育つ場所であります。

(都呂須 孝文)

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孟蘭盆会(うらぼんえ)(歓喜会(かんきえ))

 夏のお盆が近づくと、「亡くなった方が、帰ってこられるよ」「ひょっとすれば、トンボやチョウになって帰って来られるから、生き物をとってはダメよ」と、よくいわれたことがありました。

  

 どうしてお盆になると、お父さんたちは同じことを教えてくれていたのでしょうか。みなさんが、毎日食事をするとき、いただくものの名前を思い出してみて下さい。

 

 例えば、お米・お野菜・お魚・お肉・お豆・と、まだまだあります。

 

そして、私たちの先輩たちが、食べ物に尊敬する意味の「お」ということばをつけておられたことに気がつきます。

 

 このことは、ただ食べ物という品物を口にしているのではないとう思いがあったのでしょう。だから、食事のときは、いつでも、どこでいただいても、合掌して”いただきます”と、食前のことばを申してきたのです。

  

 毎日の生活のなかで、なにげなく言っていることばや、掌をあわせるしぐさに「たくさんの”いのち”のつながりのなかで、私の”いのち”は今、与えられているのですよ」と、教えられてきたようです。

 

 どの”いのち”も尊いんだよと教えてくれる反面、また、どの親もわが子だけが可愛いという一面があります。考えてみますと、この私一人を育てるために、知らず知らずのうちに親は、どれだけまわりの人たちを傷つけてきたかわかりません。そうしなければ、この私が、一人前に育つことはなかったんだよと、お盆のお話しで聞かせていただいたことがあります。

  

 お盆は、亡き人のご恩を返すための日であるよりも、返し尽くすことのできないご恩を、ただただ感謝する日としたいものです。そのことが、ふだん忘れがちになってしまっている”いのち”の尊さを学はしていただくことになると思います。

 

  ふだんは忘れてしまって”いのち”の尊さ、すべての”いのち”はひとしく、私の”いのち″も、アリや小さな虫の”いのち”も、その重さ・尊さということでは、等しいということにも、気づかせていただきたいものです。

 

 そんなことを考えるために、お盆はつとめられてきたものでありましょう。

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法名  《その意味と歴史》

Q. 「法名」は生前にいただくものであると聞きましたが

A .そのとおりです。浄土真宗門徒として、心から阿弥陀さまを敬い、そのみ教えに生きることを表明する儀式を「帰敬式」と言いますが、この帰敬式に際して、ご門主さまより「おかみそり」を受け、いただくのが「法名」です。

「法名」は、仏さまのみ教えに生きることを決意した人に与えられるものであり、仏弟子であることをあらわす名前です。

  浄土真宗の葬儀においては、「法名」が〔故人がそれをいただいておられなかった場合は、所属寺の住職がおつけして〕荘厳壇に置かれますので、法名=死者の名前と理解しがちですが、「法名」は、決して死者につけられる名前ではありません。

  私たちは、浄土真宗門徒としての自覚を深める意味でも、生前にできるだけ早い機会に「帰教式」を受けたいものです。

   

Q. 「法名」の起こりを教えてください。

A. お釈迦さま在世の頃は、出家剃髪して法衣を着すればみな等しく沙門釈子(この出家者は釈迦の子どもという意)と呼ばれていました。

 現在のような形式の「法名」が生まれたのは、仏教が中国に伝えられてからです。中国では実名の他に別名(字、論等)を持つ習慣があり、それが仏教に影響を与えたものと思われます。

  さらに中国では、最初、出家した者の多くは、師の姓をとって自らの姓としていましたが、乗合時代に、道安という憎は、仏弟子はお釈迦さまのお心を体して皆平等に「釋」をもって姓とすべきであると唱えて、自ら釋道安と名のりました。現在、私たちの宗門で法名を「釋OO」としているのは、ここに由来します。

  

Q 「法名」「戒名」は違うのでしょうか。

A 違います。ここをハッキリと理解しないと、仏事はどの宗派でも同じものと思ったり、字数が多いほど値打ちがあると誤解したりするのです。

  浄土真宗では、戒名とは言いません。戒名は、厳格な規律(戒律)を守って仏道修行する人々につけられる名前であり、阿弥陀仏の救いの法に信順して生きる私たちがいただく名前は[法名」です。従って、「法名」には、修行の経歴を表す道号(四字や六字の戒名)や、修行生活の形態を表す位号(信士・信女・居士・大姉等)はありません。

 「 法名」は「釋○○」というただそれだけです。

  

法名と基幹運動 

   宗祖・親鸞聖人は、独り仏道修行に励む清僧ではなく、山に獣を追い、海に魚を追う
    ことを生業とする、即ち戒律には無縁な民衆と共に、お念仏の法によって救われてゆく
    生き方をされました。その生きざまの表明が「釋親鸞」の名のりです。
     宗祖がご往生されて七百五十年、しかしながら、必ずしも私たちの宗門は宗祖の遺弟
    として、忠実な歩みを重ねてきたとは言えません。法名ひとつをとっても、死者の名前
    のイメージ、戒名との混同、そして長いほど位が高いとの誤解を生じさせてきました。
     今、私たちは自らのたどってきた道を振り返り、慚愧の思いを抱きつつ、宗祖のおこ
    ころに帰るべく歩みを道めています。それを基幹運動と呼び、その一環として誰もが等
    しく「釋○○」の法名をいただくよう、具体的な取り組みをしています。

  

忘れないで! 「法名」の基礎知識

※ 「法名」は、「釋OO」の二字。

※ 「法名」は、仏弟子であることをあらわす名前。

※ 「法名」は、死者の名前ではなく、生前にいただくべきもの。

※ 「法名」は、本来「帰敬式」を受式して、ご門主さまからいただくもの。

※ 「法名」に道号や位号を付けないのは、戒を守る修行者ではないから。

※ 「釋」の字は、お釈迦さまの弟子という意味。

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5/14 みどり会ご案内

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