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「法語カレンダー解説」カテゴリーアーカイブ
2023年4月のことば 仏法の鏡の前に立たないと 自分が自分になれない
考え方のリセット 今月は、二階堂行邦師のことばです。二階堂師は、一九三〇(昭和五)年、真宗大谷派専福寺(東京都)に生まれ、当寺の住職を務められました。二〇一三(平成二十万年にご往生されています。 今月のことぼは、曽我量深 … 続きを読む
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2023年3月のことば こころにじごくがあるよ ひにちまいにちほのをがもゑる
自覚的世界としての地獄 数ある仏教書のなかで、「地獄」について最も詳しく説かれている本として『往生要集』を挙げる人は多いと思います。七高僧の第五祖で平安時代に活躍された源信和尚が書がれたこの本は、全十章から構成され … 続きを読む
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2023年2月のことば 世の中に最も度し難いものは 他人ではない この私
一宗の繁昌 二月のことばは、浄土真宗本願寺派勧学の稲城選恵和上(一九一七-二○一四)の言葉です。和上は、現在の広島県呉市音戸町にお生まれになり、一九四五(昭和二十)年に龍谷大学文学部を卒業し、翌年に浄土真宗本願寺派光蓮寺 … 続きを読む
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2023年1月のことば この世のことは 何事も何事も お念仏の助縁
救いの助縁 一月は、元龍谷大学学長の信楽峻麿先生(一九二六-二○一四)の「この世のことは、何事も何事も、お念仏の助縁」という言葉です。先生は、現在の広島県東広島市の浄土真宗本願寺派教円寺にお生まれになり、龍谷大学文学部、 … 続きを読む
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2023年表紙のことば 親鴬聖人の出現は私一人のためであった
難信・難聞の教え 本年の法語カレンダー(表紙)は、横超慧日先生(一九〇六-一九九六)の言葉からはじまります。先生は、現在の愛知県二呂市にある真宗大谷派の願行寺に生まれ、東京帝国大学(現・東京大学)の印度哲学科に入学されて … 続きを読む
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2022年法語カレンダー あとがき
あとがき 親鸞聖人御誕生八百年・立教開宗七百五十年のご法要を迎えた一九七三(昭和四十八)年に、真宗教団連合の伝道活動の一つとして「法語カレンダー」は誕生しました。門信徒の方々が浄土真宗のご法義を喜び、お念仏を申す日々を送 … 続きを読む
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2022年12月のことば いただきますと 合掌するのは 感動の表現である
あいさつの大切さ 十二月のことば「いただきますと合掌するのは感動の表現である」について昧わってみます。 私の寺からいくらも離れていない所に、同じ浄土真宗本願寺派の万福寺(渓間和美住職)があります。このお寺はかつて大阪市内 … 続きを読む
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2022年11月のことば たとえ一人になるうとも 仏はあなたと共にある
「フッドーバイ」という言葉の由来 一九九一(平成三)年に発刊された『ブッドーバイーみほとけのおそばにI』(百華苑)という題名の本を手元においています。これは、その前年に五十歳で往生された雪山隆弘師の遺稿集です。この本の題 … 続きを読む
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2022年10月のことば 悲しみあるがゆえに よろこびあり 煩脳あるがゆえに 菩提あり
人生のめぐり合わせ 十月のことぼは、「悲しみあるがゆえによろこびあり煩悩あるがゆえに菩提あり」 です。人生はI度きりです。それだけに誰もがそれぞれの人生を楽しく、よろこびいっぱいの幸福な人生であることを追い求めながら、生 … 続きを読む
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2022年9月のことば 手を合わせ 仏さまを拝むとき わたしのツノを 知らされる
中学生はがき通信 私の父は、一九七三(昭和四十八)年一月から二〇〇三(平成十五)年四月まで、毎月一回、近隣の中学生を対象に「中学生はがき通信」というたよりを送っていました。はがきの裏面には、中学生に向けたメッセージを一目 … 続きを読む
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